あれからどのくらい時間が経ったかわからない。部屋は相変わらず静かで物音一つしない。そのせいかカムイの息遣いがはっきり聞こえる。最初は気にならなかったけど、今では興奮した犬みたいに荒く息を乱し苦しそうで心配になった。
「カムイ、大丈夫?」
密着していたカムイの体から熱気を感じて、カムイの頬に触れた瞬間、手を振り払われた。
「さ、触らないでくれ」
「でも凄く熱いよ」
「なまえ、俺から離れた方がいいかもしれない」
「なんで?」
「おかしいんだ。なまえが近くにいると駄目なんだ。体が芯から熱い。喉が焼けるようにひりひりする」
「でも、心配……」
「なまえ!」
再びカムイの首辺りに触れるとその手を引っ張られ、そのままカムイにのしかかられた。首元にカムイの息がかかってくすぐったい。これって、マルスとのことを思い出して凄く恥ずかしい。私まで体が熱くなってきた気がした。
「カムイ、どうしたの?」
「なまえ、頼むから聞いてくれ。暫く俺から離れられるか?」
「カムイがどいてくれないと……あの、首がくすぐったいよ」
「す、すまない。とにかく俺はどくから、どこか遠くへ行ってくれ」
「わかった」
カムイが離れて行くのを感じたので、私もカムイの言う通りにその場から離れた。
「カムイ、大丈夫?」
「話すのもよしてくれ」
わけがわからなかった。触るなと言ったと思ったらのしかかってきたり、離れろって言ったと思ったら今度は話すのも駄目だなんて。カムイおかしくなっちゃったのかな。
沈黙のまま、じっとしていた。時々カムイが呻き声を上げた。どうしちゃったんだろう。カムイが心配なのか、さっき起こったことの恥ずかしさからか心臓が痛い。不安と緊張が入り混じった感情を抱えたまま、早く誰かが来ることを祈った。
それから間も無くして扉を叩くような音がした。
「誰か来た!」
立ち上がり、手探りで扉に近づいた。
「なまえ! そこにいるのか!?」
「なまえさん! 大丈夫!?」
リンクとルフレ君のくぐもった声が扉越しに聞こえて安心した。よかった。これで助かる。
「いるよ! カムイと一緒なの!」
「待ってろ! 今助けるからな!」
階段を駆け上がる音がして、また部屋が静かになった。
「カムイ、もう大丈夫だよ」
「ああ、これで安心だな……」
「うん」
暫くすると、明かりがつき、低い機械音が鳴り始めた。眩い光に目を細めながら扉の開閉ボタンを探し出して押した。扉は何事もなく開いた。
「よ、よかった」
カムイを振り返ると顔も耳も真っ赤で目は今にも溢れそうなほどの涙が滲んでいる。
「カムイ、顔が真っ赤だよ! 大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから今日はもう近づかないでくれ」
「え?」
カムイは私を避けるように後ずさった。
「本当にすまない。風邪みたいだから移すと悪い。しかし俺が誘ったせいでこんな目に合って悪かったな」
「カムイが謝ることじゃないよ。カムイといっぱい話せてよかった」
「ありがとう。俺もなまえと話せてよかった。ああ、リンクとルフレが来たみたいだな」
リンクとルフレ君が階段を駆け下りて来た。
「なまえ! 大丈夫か?」
「大丈夫。助けてくれてありがとう」
リンクは眉根を寄せ、私の手を取った。
「全然大丈夫じゃないだろう! 顔面蒼白で手がこんなに冷たくなって! 俺が温めてやる!」
「それは僕の役割だ! なまえさん、無事かい? 僕の外套を貸すよ」
ルフレ君はリンクの手を払いのけ、自らの外套を脱いで私にかけてくれた。
「ありがとう。でも私は元々自分の外套があるから。カムイにあげるね」
「いや、いい。なまえが使ってくれ」
カムイは遠慮がちに言ってくれたけど、風邪だというカムイの薄着が気になったので背伸びをしてカムイの肩にルフレ君の外套をかけた。
「カムイが心配だからここは遠慮なくもらってね」
「ありがとう」
「そうだ。カムイ、なまえさんと二人で何をしていたんだ?」
「訓練しようと思ったが停電してできなかった。それより早く帰らせてくれ。なまえが風邪を引いてしまう」
カムイの言葉に二人は頷いて、皆で階段を上り、外に出た。外も凄く寒くて震えが止まらない。母屋に着くと中は暖かくて、幾分震えがましになった。夜遅くだった所為か私とカムイがいないことに皆気づいていなかったみたいで、玄関で私達の様子を見た夜更かし中のファルコやフォックスは何事かと思ったみたいだった。
「部屋行って熱いシャワーしたい……」
「なまえさんって今ピーチ姫のところかい?」
ルフレ君に聞かれて思い出した。部屋の改修工事が何故か遅れていて、まだ部屋がないんだ。ピーチの部屋に向かうことにして、一旦皆と別れた(リンクはピーチの部屋の連泊交渉に失敗したらしく、元の部屋に戻ると言った)。
ピーチの部屋のドアノブに手をかけ回したけど、開かなかった。ガチャガチャ何度も捻ったけど、ダメだった。あっ。あの時と同じみたいと思い自分でもわからないけど、突然マルスの部屋に行こうと思った。今日マルスは助けに来てくれなかったけど、部屋にいて私がずっといなかったことに気づかなかったのかもしれない。今朝からおかしいマルスの態度についても聞きたいし、シャワーと寝床くらいなら貸してもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて緊張しながらもマルスの部屋をノックして暫く待ってみた。やがてゆっくりと扉が少しだけ開いた。
「誰だ」
マルスは顔を出すことなく、とても低くて冷たい声で聞いてきた。
「わ、私だよ」
マルスの声にびっくりしながら、部屋の中にいるマルスを覗くように顔を出せば、私服のままの怖い顔のマルスがいた。
「何か用?」
マルスはとても小さな声で言った。
「ピーチの部屋が開かないの。だからまた寝床とか貸して欲しくて。私寒いところにいたからシャワーも貸して欲しいんだけど」
「声を潜めてくれ。今は無理だ。三十分くらい待てるか?」
「待てるけどなんで?」
「マルス、誰と話してるの?」
部屋の奥からリュグナの声がして、心臓が止まりそうになった。何でこんな時間にリュグナがいるんだろう。
「誰でもいいだろう。来るな。おい、何している?」
「あら、許婚にそんな冷たい態度とるの?さっきまで熱かったのに」
リュグナが扉を大きく開け、マルスの横に出てきた。何故か浴衣姿で大きくはだけている。肩も胸元も丸出しで、誰かにそうされたみたいな格好だ。一瞬言葉を失った。
「あ、あっ。わた、私、も、もう来ないから! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「なまえ! 待て!」
ショックで自分でも何を言っているかわからないまま廊下を走り抜け階段を駆け下りた。こんな時間にあんな姿を見せつけられたら、考えられることは一つしかない。やだ。信じられない。死にたい。一階の医務室まで走り、中に入って扉を閉めた。中は真っ暗で誰もいない。手探りで近くのベッドに行き、お布団にくるまり、枕を抱いて縮こまった。心臓がばくばくして、頭ががんがんする。涙が溢れでてきた。嗚咽も止まらなくなった。枕に顔を押し付けて、何度か叫んだ。なんで、どうしてなのって。疑問しかわかなかった。
マルスと私はたまに喧嘩はするけど上手くいってると思ってた。それなのに、許婚が現れた途端、マルスは許婚にべったりで昨日からずっと一緒にいる。許婚のことを思い出して、私になんか興味なくなったんだ。
ずっと泣きじゃくっていたら、医務室の扉が開く音がした。
「なまえ?」
ピーチの声だ。なんでピーチがここに……。
「さっき、あなた私の部屋まで来たわよね?着替え中だったから、直ぐに出れなかったの。あとで部屋出てみたらあなたが走り去っていくのが見えたわ」
部屋が明るくなり電気が付いたのが布団越しにわかった。ベッドが軋む音が聞こえ、ピーチが直ぐそばに腰掛けたみたいだ。
「マルスと何かあったの?」
「あまりっ、い、言いたくない」
「そう。今からあの王子引っ叩いて事を洗いざらい吐かせようかしら」
「だめ!」
「冗談よ」
ピーチとマルスの修羅場なんて恐ろしくて考えられない。幸い冗談というから安心した。ピーチの冗談のおかげで少し落ち着いてきた。
「ありがとう。元気になってきた」
お布団から少しだけ顔をだした。息苦しさが楽になった。
「なんとなくだけど、あなたがこうなった理由は想像つくわ……昨日から変な女が出てきたみたいだけど、気にすることはないのよ」
お布団越しにピーチが背中を撫でてくれた。うぅ。ピーチったらいつも意地悪言うのに今日は凄く優しい。それが琴線に触れたようでまた涙が溢れでてきた。
「っうぐ」
嗚咽を堪え、抱えた枕に顔を伏せた。
「あらあら」
ふふ、と笑ってピーチは暫く黙って私の背中をさすってくれた。
「まあ、このタイミングで言うのもあれだけど、この際リンクに行くのもありかなって思わない?」
「な、なんで?」
「顔査定で言うならクラウドもありよね。ほら、あの王子より性格悪い奴なんて中々いないでしょう?だからあの王子以外で顔が良ければ・ ・・」
「もう!」
「なまえとピーチか?」
医務室の扉が開く音と共に、誰か入ってきた。声からしてクラウドかもしれない。抱いた枕で顔を隠しながら出入口を覗くとクラウドがトレーを持っているのがぼんやりと見えた。
「あら、お茶なんか持ってなんの用?」
「カムイが風邪引いたというから茶を作っていたんだが、あんたらが廊下からいなくなるを見ていてな。ついでに余分に作ったからどうかと思った」
クールなクラウドがこんな優しいことをするなんてと驚いてから、恥ずかしくなった。廊下から走り去るところを見られてたんだ。
「気が効くわね。じゃあ私は二階に上がるからお茶だけ頂くわ」
「え。ま、待って!」
「その子にお茶置いといてあげて。なまえ、部屋の鍵は開けておくからいつでも戻ってきてどうぞ」
ピーチはそう言ってクラウドのトレーからカップとソーサーを取り上げるとそのまま出て行ってしまった。残された私はクラウドと二人っきりになって気まずくなってしまった。なんだかこんな布団に包まって枕を抱いている格好で恥ずかしい。もしかして泣き叫んでいるところまで聞かれたのかと思うだけで顔から火が出そうだ。
「茶、ここに置いておくぞ」
クラウドがソーサーごとカップを机に置いてくれた。
「カムイからずっと闘技場に閉じ込められていたと聞いた」
「そうだよ」
顔を枕で隠しながら答えた。
「シャワーも浴びてないんじゃないか?こんな医務室にいて大丈夫か?ワドルディ呼ぶか?」
「ありがとう。でも今日はこのまま寝る。お茶、後で頂くね」
「ああ。ピーチ姫と何を話していたか分からないが、あの人凄いな」
「何が?」
「マルス王子のこと引っ叩いていた」
「本当に引っ叩いたんだ」
まさか本当にピーチがそんなことするなんて、あり得る話ではあるけどびっくりした。
「事の成り行きはよく分からないがあんたに良い仲間がいると分かって安心した。何かあれば仲間に相談した方がいい」
「そうだよね。ありがとう」
本当は何を見たのかピーチに言った方が良かったのかもしれない。マルスのことを叩いたのなら、リュグナのあの格好も見ているかも。ちゃんと全部話せばよかったと後悔した。後悔すると共にマルスとリュグナが何をしていたのかを想像してしまってまた泣きたくなった。
「クラウド、本当にありがとう。お休みなさい」
布団から手を出して振れば、クラウドは私の頭を布団越しに軽くぽんと叩くと、「大事にな」と言って医務室から出ていった。察してくれたのかもしれない。
クラウドが出て行って直ぐお茶を飲んでみたけど、とてもしょっぱい味がして、すっかり冷え切った身体は温かくなることはなかった。