リュグナという女性が現れてからなまえの様子がおかしくなった。外の世界をあまり知らなかったせいか普段色恋沙汰には疎いが、なまえがマルス王子にキスマークを付けられた件を思い出せば、当然な事だと気付けた。なまえを医務室に連れて行った翌朝もなまえは元気がなさそうにしていた。なまえを妹のように大事に思っていただけに、心配になり時間の空いている夜に訓練に誘った。他になまえが可愛がっているピカチュウやカービィを誘えば元気になるかもしれないと思い、なまえの癒しになるようなメンバーにも声をかけることした。
「今日の夜、闘技場まで来れるか?明るいステージで訓練でもしてなまえを元気付けたいんだが」
「ピッカァ!」
「ぽよよー」
芝の少ない庭先で泥だらけのボールを追っかけて遊んでいたピカチュウとカービィを呼び止めお願いすれば、笑顔で答えてくれた。跪いていた足を伸ばし立ち上がると、後ろから声をかけられた。
「カムイ、ちょっといいかしら?」
振り返るとリュグナがいた。てっきりマルス王子といるものとばかり思っていたから驚いた。
「何の用だ?」
「あなたに頼み事がありまして、今お時間よろしいかしら?」
母屋の玄関柱に掛かっている時計を見るともう次のシフトの時間に迫っている。頼み事とやらが気になったが、今はそんな余裕はない。
「もうすぐ仕事だから出直してもらえるか?」
「勿論ですわ。ただ頼み事ついでにお茶をご馳走したくて、長い時間取れますの?」
頼み事にお茶。どういうつもりかは知らないが、リュグナは一体何者なのかちょうど気になってはいた。これは良い機会かもしれない。
「悪いが今日は忙しい。夕食後三十分なら空いている。その後は訓練の約束があるから勘弁してくれ」
「ええ。それで問題ないですわ。それでは美味しい茶菓子を用意しておくのでお夕飯は控えめになさってね」
全く相好の崩れないがどこか違和感のある笑みを浮かべてリュグナは踵を返し母屋に入って行った。姿勢良く真っ直ぐ歩く後ろ姿は何故か印象に残った。
「タリス国の姫様か……」
初めて見た時、貴族だとは直ぐにわからなかった。今見ると姿勢が良く、品の良さそうな笑顔を浮かべるものだと分かったが、それでも俺には何故か彼女が高貴な生まれにはみえなかった。しかし、マルス王子の許婚というのが本当であればそれなりの身分ではあるのだろう。
夜会う時に何か探りでも入れて見るか等と考えていると、何かが後頭部に強く当たり、転びかけた。振り返ると、俺に当たったと思われる転がるボールの側でピカチュウが短い両手で口元を押さえてけたけた笑っていた。
*
その日の夕食は軽めに済ませ、昼間にワドルディから渡された、招待カードを頼りに呼出し場所へ向かった。
カードには一階の簡易な地図が描かれていて、これによれば食堂より奥の厨房の隣の部屋に星マークが付いている。厨房の隣はワドルディがよく入退室している部屋で特に気にも止めずにいた。用具室か何かだと思っていたが、ここはリュグナ用の新しい部屋なのかもしれない。ここにきて日が浅いだけに、個人部屋以外にまだ行ったことのない部屋数が沢山ある。
当の部屋からワドルディが出てきた。俺に気づくと部屋のドアノブにぶら下がり、部屋を開けておいてくれた。
「ありがとう」
礼を言って部屋に入ると、中には長テーブルとそれに合う数の椅子と、観賞用植物しかなかった。テーブルの端にはリュグナが腰掛けている。俺に気づくと立ち上がり微笑んだ。
「そちらへどうぞ」
リュグナは目の前の席を指し、それに従い椅子に座ると、ワドルディがカタカタとティーワゴンを押してやってきた。別のワドルディが踏台を置くとそれに乗り、ソーサーとカップを1組ずつ俺とリュグナの前に置いた。テーブルがワドルディの背丈よりも大分高いのだ。続いて焼き菓子とケーキの乗ったケーキスタンドを危なっかしくもテーブルに乗せるとリュグナにお辞儀をして出て行った。
「昨日の今日で、こんな部屋を見つけたのか?」
「城住まいの経験があればこういう部屋を見つけるのは簡単なのよ。それより今日は来てくださって嬉しいわ」
「ああ、時間がないから早く要件を言ってくれ」
無礼だとは思いつつも遠慮せずに言ってしまった。元々リュグナには良い印象を持っていないだけにそれが全面に出ている気がした。
リュグナは笑みを崩さず、カップを口運び、一口飲むと咳払いをして口を開いた。
「単刀直入に言いますわ。あなたになまえを幸せにして欲しいのです」
「どういうことだ?」
「他の方から聞いた話ですと、あの子マルスのことが好きみたいでしたの。それで私があの子からマルスを奪ってしまったと負い目を感じてしまって。だからあなたがなまえに目をかけてくだされば私の心苦しさもなくなりますわ」
マルス王子をなまえから奪った、か。そもそもマルス王子はリュグナを知らないそぶりだった。そのせいで俺にはリュグナが一方的にマルス王子にくっついているように見える。
「言われなくても俺はなまえを大切に思っている。幸せになってほしいとも思っているよ」
「そう。あなたなまえのことが好きですの?」
「仲間としてとても好きだ」
「女性としては?」
「それは……」
即答できずに考えてしまった。なまえのことはずっと妹みたいなものとしてしか見ていなかった。ただキスマークの件で女性として意識した瞬間があったのは確かな話だ。しかし、相手が女性であればそういうことは起こり得ることで、なまえに限ったことではないだろう。改めて考えると恋愛感情というものをなまえに持っていないことがわかった。
「勿論女性として意識することはあるがいつも妹みたいに思っている」
「そう」
リュグナはつまらなそうな顔をすると、またカップに口をつけた。それからカップをソーサーに戻すと俺の方のカップを見つめた。
「とても美味しいお茶ですの。よろしけれお飲みになって」
リュグナに勧められ、毒でも入ってるのではないかと警戒してしまった。何故そう思ったのかは自分でもわからないが、何か危険な気がする。だが、流石に断れずに口をつけた。味覚は良いというわけではないが、俺の執事の淹れるお茶は完璧だった。銘柄は比べようがないが、その執事の茶と比べても遜色のないくらい美味かった。
茶だけを飲み干し、俺は席を立った。居心地が悪い上、リュグナは信用がならないから早くこの場を離れたかった。
「悪いが、この後用がある」
「あら、茶菓子が勿体無いわ」
「カービィにやってくれればいい」
「まあ。では、また明日、かしら?」
「ああ。おやすみ」
リュグナに見送られ、俺はそっと部屋を出た。
*
一度部屋に戻って、軽くシャワーを浴びた。それから深いグレーのシャツに黒のテーパードパンツを履き(街に行った時トレンドだからとリンクに勧められて買った)、最後に剣を持って部屋を出た。階下へ下りると、クラウドが外から母屋に入ってくるところだった。クラウドは頭から足先まで濡れていた。
「雨降ってるのか?」
「ああ。外出してたから、全身濡れてしまった」
クラウドは何よりも頭髪を気にしているらしく、前髪をいじりながら言う。頭髪は相変わらず崩れてはいないが、どれだけ固めたのだろうか。そういえば、なまえがクラウドのことをかっこいいと言っていたとリンクが騒いでいたのを思い出した。確かにクラウドの金髪碧眼はかっこよく見える。俺も髪型だけでもちゃんとセットしようかと考えながら、自分の前髪に触れてハッとした。何故髪型なんて気にする必要があるんだ。今まで通りでいいじゃないか。
「カムイはどこか行くのか?」
「闘技場に行ってくる」
「そうか。濡れないようにな」
クラウドが気遣ってくれた。クラウドとはここでは一番仲が良い。元々同じタイミングでこの世界にやってきたこと、部屋が同室であることが要因の一部としてあげられるが、一番はクラウドが仲間思いであることだろう。
クラウドの忠告通りに屋根のある道を通り、闘技場に着いた。訓練場のある地下1階に下ると中にはまだなまえもピカチュウ達もいなかった。剣でも磨いて待っていようと壁にもたれた。
そのうちなまえが来て、安心したのも束の間のことで電気が切れ、訓練場に閉じ込められるという事件が起きた。そして不幸は閉じ込められるだけに留まらず、寒さにやられてなまえと抱き合って体を温めていると不思議な感覚がした。なまえとこのままキスをしたいと思ってしまった。それからいつのまにか俺の身体に異変が起きていた。身体中が熱く、喉がひりついた。
最初、俺は死ぬのかと思った。原因が全くわからず今まで感じたことのない感覚に混乱した。寒気と暑さを同時に感じ風邪だと思っていたが、何よりも身体がなまえを欲していた。なまえのことが好きで堪らなくなり、事実なまえを押し倒し、あと一歩のところで戻ることが出来ないところまで行きそうになった。危なかった。
その後はすぐになまえと離れ、リンクとルフレが助けに来るまで耐え忍んでいた。
部屋に戻ると、クラウドは先に寝ていたらしく、俺の異変に気づくと心配して茶まで淹れてくれた。
本日2度目のシャワーを浴びて茶を飲むと段々と身体の疼きが無くなり、すぐに寝付けた。
だが、暫くして安眠の時間を邪魔された。扉を叩く大きな音で目が覚めた。
「誰だ?」
「さあ」
クラウドと一緒になって起き上がり、クラウドが電気をつけ、俺は部屋の扉を開けた。扉を叩いていたのはマルス王子だったらしく、焦ったように見える。
「こんな夜中にどうしたんだ?」
「なまえがそこにいるんだろう?なまえを返してくれるか?」
マルス王子は当然この部屋になまえがいるかのように言うが、いるわけがない。
「いないが、どういうことだ?」
「どうもこうもない。なまえを迎えに来た。そこにいるのはわかっているから早く返してもらおうか」
さっきから気になっていたが、返せというのはまるでなまえがマルス王子のものかのような言い方で、胸の辺りが締め付けられる感覚がした。なまえを抱きしめた時、嫌がられたことを思い出して気分が悪くなってきた。
「おい」
後ろからクラウドが出てきて、マルス王子を睨んだ。
「なまえはここにはいない。どうしてここにいると勘違いしているのか知らないが、今は真夜中だぞ。時間を考えろ。それと、彼女のことも……」
クラウドは強気に言うが途中から尻窄みになり、最後には誤魔化すようにごほんと咳払いをした。何故クラウドが彼女について言うのかわからなかったが、反応から彼女に触れにくそうにしているように見えた。
それでもマルス王子には伝わったようで、眉をひそめた。
「わかった。悪かった」
マルス王子は珍しく謝ると、大人しく引いていった。
扉を閉めて「一体なんだったんだ」と零すとクラウドは肩をすくめた。
寝る前のこの一件のせいで俺は彼女のことを考え始め、眠るに眠れなくなってしまった。先程俺の身体がおかしくなった時、彼女との身体的接触を身体で欲していたが、落ち着いた今は彼女の心が欲しくて堪らなくなった。たった数時間でのこの心境の変化に自分でも困惑して、確認するように手で自分の首元に触れても、あの寒気と身体の熱さは全くなかった 。