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あれから私は前島の所有するあのガレージ付きの家で生活させてもらい、全て前島の言う通りに行動した。それは探偵仕事のちょっとした手伝いだったり、生活用の部屋の掃除だったり、誘拐した未成年者達を一時的に収容する部屋の掃除だったり、使用された拷問器具の掃除だったり……。最初は慣れなかった。誘拐関連はそんな頻繁に行われるものじゃないからいいけど、でもやっぱり血や肉片のついたものを片付けるのは凄く辛かった。
そんな時励ましてくれるのは亮也だったけど、亮也に励まされても全然嬉しくなかった。私の心にはいつも前島がいた。勉強は並以上には出来たけど、前島から日常的に馬鹿にされることが多く、そんな言動さえ嬉しく感じてしまう程彼のことが好きだ。正直この気持ちを認めたくはなかった。認めてしまったらこの先が辛いから。だって前島は天才が故にあらゆる人間を馬鹿にして、見下している。私みたいな前歴持ちの小娘を相手になんて絶対しない。この気持ちは無くなるまで隠し続けるしかない。でも気持ちは日に日に増していく一方だった。
前島はここから離れた高級マンションに住んでいるらしい。優秀な探偵だから収入が良いと言う。でもその分会える頻度が少なくて辛い。一応一軒家の方を作業場として探偵の仕事をしたり、たまにここで寝て行くけど部屋は別々だ。
そんなある日、いつものように前島が私のいる家に来て、書斎で仕事をしている間、私は自分の部屋で頼まれた帳簿を付けていた。午前中から初めて、2回前島へのお茶出しと1回書斎の整理で呼び出されたのもあって、なかなか進まずもう15時になってしまった。お腹が空いてきた。
本日4度目の携帯コールが鳴り、嬉しさ反面ほんのちょっとげんなりした。急いで書斎に行くと、前島は書類片手にノートパソコンを弄っていた。
「何かご用?」
「窓を開けてくれ。空気が悪い」
「はい」
それくらい自分でやってと思うものの、これが嬉しかったりする。少しでも一緒にいて喋りたかった。
前島の直ぐ後ろにある広がった薄いグリーンの遮光カーテンを脇に避け、窓を開けた。5月の陽気な光が肌を温め、爽やかな空気が部屋に舞い込んできた。気持ちいい。
「窓開けたわよ」
「ああ」
前島は私なんかを振り向く気もないらしい。仕事に集中しているようだ。
私は壁に寄りかかり、ふわりと窓から舞い込んでくる風を感じながら前島の後ろ姿を見た。焦げ茶色のいい匂いのする長い髪も、小洒落た清潔な洋服も、華奢に見えるけど意外と広い肩幅も全て素敵に見える。後ろから抱き締めたい。
「いつまでそこにいる気だ」
前島はノートパソコンに何か文字を打ち込みながら言った。前島の声で正気に戻り、部屋を出て行こうとした。
前島に嫌われないようにと急いでいたのが駄目だった。ノートパソコンのコードに足を引っかけ、前島に向かって倒れこんでしまった。さらに悪いことに椅子ごと前島まで床に倒してしまった。
「何をしている!早くどけ!」
「は、はい!でもコードが」
パソコンまで床に落ち、コードが絡まっていてうまく起き上がれなかった。床に手をつくと、まるで私が前島を押し倒しているような構図になる。私の直ぐ近くには前島の顔があり、キスしようと思えばできてしまう距離。中性的で端正な顔立ちに目が釘付けになり、顔がかあっと熱くなってドキドキする。キス、したい……。そして私の股は前島の股間部分に丁度接していることにも気づいて割れ目がじわりと濡れる感覚がした瞬間、欲望に負け、前島の股間に自分の股を擦り付け、前島の唇に自分のを寄せていき、瞳を閉じた。その瞬間、両頬を掴まれ顔を離された。
「どういうつもりだ」
「ご、ごめんなさい」
飛び上がるように前島から離れた。前島が立ち上がり椅子を立たせている間に私はノートパソコンを机に戻した。
「私の不注意だったわ。ごめんなさい」
「……男なら見境なく発情するんだな」
前島は服を正しながら軽蔑したような眼差しを私に向けた。それがずしんと胸に重く来る。
「違う……」
「何が違うんだ」
「私、あなたが……ああ……あー、もう!探偵のくせに何でわからないのよ!」
ずっと前島だけを見ていたのに、細かい表情や仕草から何でも見破る探偵にそれを気付いてもらえてないのが辛くて大声を張り上げた。
「……もういい。出て行け」
前島の声は冷たく、視線は既にパソコンの画面に移っていた。
「……わかったわ」
震える声を絞り出して、私はずかずかと大股で部屋を横切り出て行った。前島の部屋の扉を閉めると、廊下を走り自分の部屋に飛び込んで、ベッドに潜り込んだ。我慢していた涙腺が緩んだ。洪水のように涙が出て来る。拒否された。やっぱり私みたいな人間は前島みたいな男を好きになってはいけなかったんだ。
*
一頻り泣いた後、洗面所で顔を洗った。また呼ばれたら直ぐ行かなくちゃいけないし、この泣きはらした顔を見せるわけにはいかなかった。もっとも、前島は滅多に私の方なんてみないけれど。
部屋に戻るとベッドの中で携帯が鳴る音がして慌てて掛け布団をひっくり返しなんとか受け取った。
「遅い!さっさと書斎に来い!」
「ごめんなさい!今から行くから!」
前島の怒鳴り声に合わせて言い返すように返事をした。鏡を覗くと少し目が腫れているのがわかった。でも前島は私のことなんて見ないからいいわ。
前島の書斎に入ると、驚いたことに前島は椅子から立ち上がり、扉の前に留まる私の前までつかつかと歩み寄ってきた。顔を伏せ、何をされるのかとびくついていると左手をがっと乱暴に掴まれた。手の平を上に向けさせられ、じっと検査するように見てくる。
「痕が薄くなっているな……」
1年程前のことだ。あれから病院なんて行かせてもらえなかったから肋骨は折れたまま自然治癒を待ち、手には勿論軟膏なんて塗っていない。お陰で左の手の平の皮はひりひりするわ痒いわで気付いたら分厚くなっていた。
なんで前島が今更手の平を見るのかわからない。もしかしたら、前島に対して変な気を起こしたと思われて、また根性焼きをされるのかと思い怖くなった。
前島は私の手を離すと今度は私の体をすっと目を細めて見る。
「確か肋骨はもう治っているよな。もともとあった傷はどうだ?」
「ここに来る前の……?」
「そうだ」
前島は私が親に虐待されていたことを知っていた。だからその時の傷がどうなっているか見たいらしい。恥ずかしいけど、一度は亮也に犯されていたのを見られている。今更だ。
震える手でワイシャツのボタンを上から外すと、手首を掴まれ制止された。
「脱がなくていい。先方に確認させる」
「え?どういうこと……?」
「おまえの戸籍は既に売った。あと、売れるものと言えば体くらいだろう。業者側がおまえを買うか判断させる」
「え?なんで……?」
「おまえみたいな女が一年何もしていなければ、俺を襲いたくなるのはわかる。風俗に行けばおまえは満足できるだろう。一石二鳥だ」
前島は勘違いしている。勘違いされたショックと怒りで唇がわなわなと震える。
「私は売女じゃない!こんな私にだってプライドがあるわ!風俗嬢なんて絶対嫌!今はもう好きな人としかしたくないの!だから……私がさっきあなたに迫ったのは……あなたのことがーー」
「やめろ。それ以上言うな」
最後まで言わせてもらえなかった。前島は脅すように私を睨む。なんとなくだけど、私は気付いてしまった。前島は私が前島を好きであることを知っている。
それなのに気付かない振りをする前島が可笑しくなってきた。
「やっぱり知ってたんだ。あなた探偵だものね」
「……そうか。ならはっきり言おう。おまえみたいな女を俺が抱くと思うか?選ばれた人間であるこの俺が、おまえのような下等種族を」
「俺にもプライドがある」と、前島は私の言葉を混ぜ返しに付け加えた。
「私更正したの。だから一つくらいあなたの言うことを拒否する権利が欲しいわ」
前島に左の手の平を見せた。前島はそれを一瞥すると浅く頷く。
「なら、俺からの命令はただ一つ。俺を好きになるな」
ばっさりと、容赦なく前島は言い放つ。それだけは聞きたくなかった。言って欲しくなかった。片想いも許してくれないなんてそんなのってない。酷いわ。
「わかった……好きになるの止めようと努力するわ……でも、多分……私……」
「早く出て行け」
また最後まで言わせて貰えなかった。ただ私も言うのを躊躇っていたから良かった。
あのとても辛い目に合った時、急に優しくなってふんわりと頭に手を乗せてくれたことが今でも忘れられなくて、あの時からずっと好きだった。自分が異常なのかもしれないと思いながら毎日前島のことを想ってた。だから、私はどんなに辛くても前島を好きであり続けるだろうし、これからも毎日前島を想い続ける。この先どんなことがあったって──