shawn (2/2)
何日も前の話。
私は服の仕立て屋を生業にしていた。依頼主の家からの帰り道、吹雪のせいでこの屋敷に流れ着いてしまった。屋敷に着いてすぐ、来る途中に白い狼に噛まれた傷を、今は亡き中国人の医者に見せれば、その時にはもう傷は無くなっていた。白狼に馬乗りになられて、首筋を噛まれたのは確かなのにおかしい。そして、私の言葉を聞いた屋敷の下僕である赤ら顔のモブ爺ががたがたと震えていた。その時はわからなかったけど、これが人狼になる呪いだと知ったのは初日にモブ爺を殺す時だった。訳もわからず私の体は暴走していて、モブ爺に伸びきった爪で切りかかりながら、止めてとお願いした。モブ爺は私から逃げながら、呪いについて話してくれた。
昔からある伝承で猛吹雪の森の中、白い狼に噛まれると夜中に人狼になる呪いをかけられ、一日一人の人間の心臓を喰らわねば死んでしまうという。そして吹雪が止むまでその呪いは解けないらしい。
私は恐ろしくて仕方なかった。泣きながら、モブ爺の言葉を頭の中で反芻してモブ爺の心臓を喰らった。
翌朝、泣いてばかりの私を慰めてくれたのはマイクとショーンだけで、他の人は私に黙れと怒鳴ってきたり白い目で見てきた。
ショーンは私を本気で心配してくれて、助けたいと言ってくれたし、私を怪しいと責める人に対して的確な言葉で論破してくれた。マイクはそうだそうだと言いながら私の機嫌を伺うだけだった。マイクには最初から下心があった。だから純粋に私に優しくしてくれたのはショーンだけだった。ショーンとは二十ぐらい年の差があるから、私のことを娘のように思ってくれてたのかもしれない。
そんな優しいショーンに私は恋をした。こけた頬に筋張った手は肉食を好むようになった私には魅力的には映らなかったけれど、賢そうな顔つきや物静かな所は男性として素敵だったし、なんとか人狼について調べようと図書室に篭って勉強している姿も素敵だった。
ショーンが図書室の本棚の横の机で一人本を読んでいる時、私は勇気を出して隣に座り、自分から声をかけた。
「人狼について何かわかった?」
「本当に人狼が存在すること、そして誰が人狼かはわかった」
探偵のショーンに犯人がわかったと言われれば大抵は焦るものだけど、私を人狼だと思っている素ぶりをしないので、私は安心してショーンの話を聞いていた。
「だが、問題は呪いの解き方だ。人間のうちに殺せば人間として死ねるが……」
ショーンはそこで口籠もり、私の瞳を覗き込むように見つめたまま微動だにしない。
私も私でショーンの一挙手一投足にドキドキが止まらなくて、ショーンの瞳を食い入るように見つめ続けた。
結局、ショーンが途中で視線を本に戻して本を閉じた。
「君は来る時に食べ物の匂いをさせていたから、食品を扱っているのかと思ったら仕立て屋だったみたいだな」
ショーンは私の後に来た人だった。他にもヒューとカミラとニックがいたけど、ショーンは私の隣に座り、二人してずぶ濡れ状態で暖炉に暖まっていた仲だった。あの時、チャンに傷なんてないと言われた後だっから動揺してショーンのことを気にしていなかったけど、今気づけばあの時からショーンは私のことを見てくれていた気がした。
「ええ。でも、確かに鞄にはハムサンドが入ってたけど、匂いキツかったかしら?」
「いや、そんなことはない。私はもう行く。ああ、最後に一つ」
ショーンは本を片手に机から立ち上がると、椅子に座ったままの私を見ろした。
「吹雪が止むように祈ろう」
「どうして?」
モブ爺が死ぬ間際に言った呪いの解き方だった。呪いなんて非現実的なものは口承でしか残っていないと思っていたから、本に書いてあったとは思わず、動揺してしまう。
「吹雪が止めば、人狼の呪いは解ける。そしたら──終わりだ」
「殺された人は……?」
昨日はモブ爺、今朝はチャンだった。チャンには白狼に噛まれたことを言ってしまっていたからチャンを選んだ。
私は既に二人も殺してしまった。生きる為とはいえ、この罪は一生消せない。
「人狼に罪はない。呪いを移した奴が悪い」
ショーンの簡単な返答に心が救われた。ずっと気にしていた。白狼の所為だと思い込もうとしたけど、駄目だった。でもショーンのお陰で、少しは白狼の所為だと思うことができた。ショーンのことがますます好きになってしまった。
*
朝、騒ぎ声で目が覚めた。急いで身支度を済ませて部屋を出るとクリスの部屋の前でニックやヒューが騒いでいる。
「まだ人狼が生きてるぞ!」
「一体誰が……」
「あの、ゆ、雪が止んでます!風もありません!」
カミラが珍しく長い髪を振り乱し、慌てて部屋から出てきた。吹雪が止んだ? だとしたら……。
「や、やった……帰れる……これで生きて帰れるぞ!」
「あーあ。結局、誰が人狼かわかんないままだが、今のうちにさっさと帰るか」
ニックもヒューも突然クリスの遺体が無いかのように振る舞いだした。
私には無視なんて出来ない。彼を殺したのは私だから。ショーンは呪いを移した奴が悪いと言ったけど……あれ? ちょっと待って。そういえば、ショーンは呪いを移すと言ってたわ。
ショーンの言った言葉に引っかかり、急いでショーンの部屋に向かった。そこにはショーンはいなくて、あったのは机に置かれた一冊の人狼についての本だった。それは図書室にある本の中で唯一人狼について書かれた物だった。
乱暴にページをめくって、ショーンの言っていた記述を探したけど、そこに書かれていたのは伝承でもなんでもなく、人狼やポルターガイスト、ユニコーン等の生態について書いてあるだけのオカルト本だった。
だとしたら、何でショーンは伝承のことを知っていたの? モブ爺に聞いたの? でも、呪いを移すなんてモブ爺はそんな言い方してなかった。
頭の中で、ショーンの容姿や職業、関わった事件の話、言動が断片的に駆け巡った。
「あ……」
とんでもない事実に気づいて眩暈がした。なんとか机にしがみつき、心を落ち着かせて私は部屋を出てショーンを探した。ホールにいた執事に聞くとつい数分前に出て行ったという。
私は着の身着のままに外に飛び出してショーンを探した。吹雪が止んだとはいえ、まだまだ歩くのは大変で、地面に厚い雪が積もっている。雪の照り返しに目を細めながら森に入ると、近くから狼の遠吠えが聞こえた。ここに来る途中に白狼に襲われたことを思い出したけれど、逃げるつもりはない、
ショーンはすぐ近くにいるはずなのに、辺りを見回しても見つからない。雪景色に隠れているのかも。
雪の上を走り回り、木々の隙間に入り込んで探してもショーンは見つからなかった。もうあの人に一生会えないのかと思うと、涙が溢れ出てきた。モブ爺を殺した時と一緒だ。膝から崩れ落ちて、その場で子供みたいに泣きじゃくりながらショーンの名前を叫んだ。
「うぇっ……っく……ショーンっ……会いたいのにぃ……ショーンっ! 好きだったのにっ! な、なんでぇ!」
雪の上を何かが軽やかに走る音が聞こえてきた。パッと目をやると、そこには真っ白でふさふさした毛並みの狼がいた。ここに来る途中で私を襲ってきた白狼だった。
白狼は私にゆっくり近づくと、私の傍で止まり、私に顔を近づけてきた。ペロリと頬を舐められた。目から零れ落ちた涙を拭ってくれているのかもしれない。優しい白狼、それはまるで──
「ショーン……?」
狼は尻尾を横に振り、私に体をくっつけながら私の周りを一周し、私の前まで来ると前足を私の膝の上に乗せる。白狼の赤い瞳と暫く見つめ合い、それから堪らず白狼を抱きしめた。もっと骨ばって固いと思ってたけど、ふかふかでずっしりしている。
白狼は私に体重を預けてくるので、あの時のように支えきれずに雪の上に倒れてしまった。白狼の生温かい息が首筋にかかる。
「やっ。くすぐったいわ」
震えながら白狼を押さえつけても、止めるどころか首筋を舐めてきた。
「そこはダメ! ダメってば! ねえ、話があるのに!」
ぴたりと白狼は首舐め攻撃をやめて、私の上から降りてくれた。
「私、北に住んでたんだけど、この足でロンドンに行こうと思うの。そしたら、あなたに会えるかしら?」
白狼は尻尾を立てた状態で左右にブンブンと振った。会えるってことなのかな。
「もし、会えなかったら……吹雪の時、またここに来るわ。何故私を噛んだのかはわからないけど、吹雪の時に誰かを噛む必要があるのなら、また私を噛んでくれる?」
自分でも恐ろしいことを言っているのはわかる。それは、また新たな殺人をすると予告するようなものだから。殺人をする度に傷ついたとしても、私にとってはショーンを失うことの方が深く傷つく。
白狼は今度は何も反応しなかった。お互い黙っていると、くしゃみが突発的に出てしまい、今更寒さを実感した。
「雪があるのにこの格好はダメね。一旦お屋敷に戻るわ。ロンドンへは数日後に行けると思うの。だから……またね」
白狼の鼻先にキスをした。お別れのキスだけど、また会えるように祈りを込めておいた。
「次はあなたが人間の姿の時にしたいわ」
立ち上がり、屋敷まで向かって歩いた。白狼はじっとその場に佇んでいて追いかけてくることはなかった。森を抜けて屋敷に着いた頃、遠吠えが聞こえてきた。多分それは別れ際に私が言ったことに対しての返事だと思う。