gattino ep2 -prosciutto side-
ナマエが子猫を飼い始めた。ここでは生まれながらに憎まれる黒猫だ。特に迷信深いネアポリスの老人なんかは通りで黒猫が横切っただけで回れ右だ。そんな疎ましい存在の黒猫を、ナマエは自分の子のように可愛がっている。
ナマエは飽きっぽいところがある。以前は好きで飲んでいたカプチーノはいつの間にか飲まなくなり、ナマエはカフェラテを好むようになった。そして最近はチョコシロップやヘーゼルナッツシロップにさらに砂糖の入ったマロッキーノもたまに飲むようになった。
今のナマエがオレに見向きもせず、何よりも子猫に夢中なところを見ると、オレもいつかナマエにとってのカプチーノのような存在になるのかという考えがたまに過ぎる。オレにこんな思いを抱かせるなんて罪な女だな。
*
ある日の夕方頃、任務帰りにそのままアジトに戻る予定だったが、ナマエが動物病院に黒猫を預けたというからペッシと病院の外で待っていた。ナマエは数分と言ったが10分後に漸く出てきた。子猫の入ったバックパックキャリーを体の前に掛け、片手には銘菓の紙袋を持っている。キャリーの上部についた透明の円形窓から子猫が黄色の瞳を覗かせていて、オレと眼が合うなり毛を逆立てた。チッ。気にいらねえ。
「おい、その菓子はどうしたんだ?」
「獣医さんがくれたんス。子猫用のミルクとついでにお菓子貰ったっス」
「ああァ?何故獣医が菓子をくれんだよ?」
「私に聞かれても知らないっスよ。いつも利用してたら、くれるんじゃあないっスか?」
ナマエはそれが何か?とでもいうように、首を捻る。ナマエは何も理解してねえ。医者が菓子折りをくれる時は決まって下心があんだよ。オレには以前、カマホモ野郎の歯医者からキャラメルを貰ったことがあるからわかる。そいつはオレを見る眼が元々怪しかったが、歯に悪いキャラメルを貰って確信して、その場でブン殴って歯をへし折ってやった。ナマエにもオレくらいの勘とプライドを持って欲しいが、まあ無理だろうな。こいつは鈍すぎる。
「ナマエ〜、その菓子オレにも分けてくれよォ」
「いいけど、その代わりにこれ持っといて」
ナマエは菓子を強請るペッシに紙袋を渡した。女に菓子を強請るとは情けねえ。
「獣医は何歳だ?」
アジトに帰る大通りの道を歩きながら、バックパックキャリーを大事そうに両手で覆うナマエに聞いた。
「んー、30代に見えるっスけど……」
「独身か?」
「え?知らないっスよ。獣医さんなら指輪してないだろうし……そんなところそもそも見てないっスよ。なんでそんなこと聞くんスか?」
「ナマエは本当に何も理解してねェな。獣医にそのうちデートに誘われるぜ?」
「え?な、なんで?」
ナマエは動揺したように瞳を丸くさせ、左右に泳がせる。
「なんでもクソもあるか。誘われたらブン殴っとけ」
「この子を診てもらってる恩でそんなことできないっスよ!それにこの前誘われて断ったっス……」
「ハン!手がはえーこったな!何故病院を変えないんだ?」
「凄く親切で安心して任せられるからっスよ。立地もいいし」
「ナマエは鈍いなぁ……兄貴ィ、ちゃんと言ってやった方がいいよォ」
眼敏いペッシは気づいているようだが、今更オレも隠す気はねえ。
「ペッシは黙っとけ。ナマエ、菓子に釣られて騙されんなよ」
「子供じゃあないんだから、お菓子には釣られないっスよー。それに私はデートする相手はひとりって決めてるんス」
ナマエは頬を染め、ふいっと顔を正面に向けて俯いた。
ナマエの可愛いところが出たわけだ。こういう反応をされると問い詰めてからかってやりたくなる。
「そいつは誰だ?」
「……言わないっス」
「うげゃ。見てられねぇーや」
「オメーは黙れってんだよ、ペッシっ!おい、ナマエ。確か前にオレみてーな男になんとかって言ってたな。そいつのことか?」
「もー!知らないっスよー!今はこの子が恋人だからいいんスよー!ねー、シーノくん?」
ナマエはそう言ってキャリーについた透明の窓を撫でた。
子猫が恋人かよ。流石のオレも子猫の性別がどうであれ動物相手に嫉妬なんてものはしねえが、イラつくことにはイラつく。
「再来週には長いお別れだぜ?」
「シーノくんの幸せの為なら構わないっス……」
ナマエは悲しそうに子猫の見えるキャリーの窓を撫で続けた。
オレがいなくなった時、ナマエがどんなに悲しむかを想像したが、どうしてもカプチーノのイメージが脳裏をチラつく。
「ナマエ、今は何が飲みたい気分だ?」
「カフェラテかマロッキーノかなあ」
「オレは冷たいミルクが飲みたいよ」
「ペッシ、オメーには聞いてねーんだよ。なあ、ナマエ。カフェラテはいつ飽きるんだ?」
「そんなの私の気分次第っスよー」
その辺のナンパ
「ナマエ、オメーは悪い女だな」
「兄貴はさっきから何を言ってるんスか?」
「兄貴ィ、オレもわからなくなりやしたぜ」
「だからオメーは黙ってろっつってんだよ、ペッシ!」
「ひィィ!兄貴ィ、なんでそんなに怒るんだよォ〜!」
「あー、なんか今日はマロッキーノの気分っス」
ナマエはオレとペッシのやりとりに見向きもせずに能天気にひでーことを言いやがる。
カフェラテの次はマロッキーノってか。こいつは邪悪の権化のような女だな。カフェラテもカプチーノのようにいつか忘れ去る気か?
「ああ?マロッキーノだと?カフェラテはどうしたんだよ?」
「え?兄貴、なんで怒ってるんスか……?」
ナマエは全く要領を得ていないようで眉を落とす。本当にこいつは何一つ理解してねぇな。
「ナマエはカフェラテが一番好きなんだろ?」
「そりゃあ大好きっスけど……なんかそう言われるとカフェラテが飲みたくなったっス。そこで買って行こうかな」
ナマエは通りの先にあるバールに目線を向けた。ラテンジャズが店の外までうるせェ店だ。子猫に毒だろうが、ナマエはまだそこまで気が回ってねえようだ。
「オレが買ってきてやる。それで、ペッシは?」
「オ、オレは喋ってもいいんですかい?だったら、ミルクを……あそこは瓶でミルクだしてくれるんだ」
カフェラテにミルクなんて男の買うものじゃあねぇが、こいつらが飲みたいって言うなら仕方ねえ。
「チッ。マンモーニが。ふたりの分は買っといてやるから先に帰って子猫の面倒を見てやれ」
「兄貴ィッ!やっぱり、兄貴ィはオレにも優しいんだねッ!」
「わーい!兄貴の優しさに感謝するっス!シーノくん、兄貴が優しいんだよ〜?」
ナマエは高く柔らかい声でキャリーの中の子猫に話し掛ける。人前ではその声を出すなっつってるのに、ナマエはもう忘れている。
低く囁くような女の声は色気があって良いものだが、ナマエの甘い声も悪くはねえと思っている。その甘い声は当然いつかオレに向くのだろうが、こいつのことだ。急にカフェラテに飽きて、甘くしたマロッキーノがいいとか言い出す事だってあり得る。深煎りで挽いた強い香りのエスプレッソが飲めるようになっても、ナマエは永久にカフェラテを飲んでればいいんだよ。オレはエスプレッソ程苦くなく、オメーにはちょいとだけ甘い男だからな。