due promesse ep1 -pro side-



ナマエという女は、自分の欲求ばかりを他人に押し付ける人間だ。兄貴分のオレに遠慮もなくあれをしたいこれをしたいとはっきり物を言う。たまに自分の欲求を抑えている様子を見せる時でさえ、眉根を寄せ、唇を尖らせて不機嫌になっているから、欲求が表情に全て表れている。
この表情の表れってのが、やっかいだ。ナマエの顔立ちは決して美人ではないが、保護欲をそそるような" carina(カリーナ)"な顔立ちだ。オレの好みではないが、ナマエの黒眼がちな濡れた瞳で見上げられたら、多少の思考は鈍る。現にナマエの持ち前の人懐こさと感情を全て曝け出すその表情や言語化しにくい感覚的に感じる魅力にオレだけでなく、他の仲間たちもあ、て、ら、れ、て、い、る、。
マジでやっかいなやつだ。ある意味暗殺者向きとも言えるかもしれない。だが、当のナマエは一人前の暗殺者になりたいという思考がない。オレの下にいることを気に入り、ずっとオレの下にいたいと言い張り、オレに褒められることを目先の目的としていやがる。その先の目的など全く考えていないようだ。
リーダーに面倒を見ろと言われた当初は子猫から立派な野良猫に育てるつもりだったが、ナマエは爪も研がずに喉を鳴らすばかりでずっと飼い主に保護される立場でいようとする。オレからしたら可愛さに騙されて賢しい子猫にそのまま居座られている気分だ。だが、オレにはいつかこの子猫を野良でやって行けるまでに育て上げて、オレの下から追い出す以外の選択肢は無い。その為にはそろそろナマエのケツを叩き、どうして一人前にならなくちゃあいけないのかを深く理解させる必要がある。
オレがそう強く意識するようになったのは、この前のアイルランド野郎事件の所為だった。オレがアイルランド野郎にトドメをさせと言った時、ナマエはやりたがらなかった。恐らく、復讐だとかそういうものに興味がないのだろう。ナマエの親友が殺された話を聞いた時にも、復讐したいだとか絶対許さないだとか恨み辛みを一言も言わなかった。オレたちが殺されてもナマエはただ泣くだけで終わるだろうとも思わせるような態度には呆れたもんだった。もしナマエに力が付いて自分に自信が付けば、復讐だとかそう言う思考回路が出来上がるようになるとオレは思う。今のナマエは先に恐怖に支配され、思考の幅が狭まっているように感じる。
ナマエがアイルランド野郎にトドメを刺すことを拒否した時は、憔悴しきっているように見えた。だから、その時は強く非難しなかった。言ったところでナマエに復讐心なんて芽生えず、泣き出すだけだと予感したからだ。
子猫との別れから数週間経ったが、外で猫を見かける度にナマエは胸に手を添えて悲しそうな顔をしやがる。ナマエは暗殺者にしては精神が弱過ぎる。このままだとナマエはいつかドジを踏んでコロッと逝っちまうだろう。
今日はナマエとキッチリ話をする為に、小雨の中、わざわざナマエのいるアジトに行った。湿気のせいでまとまりの悪い前髪が額にかからねえように撫でつけながら居間に入れば、ナマエが3人掛けソファで丸まって寝ている。
時刻は14時。カーテンを閉め切った部屋で洒落たピアノジャズがCDコンポから流れている。
オレの好きなレナート・セラーニ・トリオの曲だ。ナマエの最近のお気に入りらしく、最初聞いた時は「自分でも弾けそう」と一丁前にピアノの旋律を馬鹿にしてた癖に、CDを買って聴き始めたらしい。
物悲しげな中に耽美さのある曲調が気に入っていた訳だが、こうして聴くと雨の日にはぴったりの曲調だ。
オレのお気に入りの曲をかけて気持ちよさそうに眠るナマエの姿によって、ナマエと話し合う気が削がれた。
仕方なく、対面のソファに座り、ナマエを見つめる。
ナマエはこの1年で背丈が伸びた気がする。見た目も少し大人っぽくなった気もする。だが、心が変わらねえ。少しも"成長"しねえ。
任務はそりゃあ最初よりは手際良く出来るようになって来た。だが、こいつは大事な場面でビビって怖気付いたり、逆にまあ大丈夫だろうと楽観視したり、隙があり過ぎる。そういう隙を無くせと言っているのに、ナマエは一向に直す気がない。心が緩みきっていやがる。
ナマエの考えそうなことはなんなくわかる。一人前にはなりたいが、なった時、自分を保護するやつがいなくなるのがこえーんだよな。その自己矛盾のせいで心のどこかに甘えができちまうんだろう。
オレも自己矛盾というものを抱えているからよくわかる。オレは今より強くなって"成長"したいが、"老化"はしたくねえ。
だが、それがなんだ?そういう矛盾を抱えながらもその中に既に潜んでる真実を探求して生きていくもんだろ?
ナマエがこの自己矛盾を破壊するには早く一人前になって、保護者なんかいなくても生きていけることに気づけばいい。そして、その先の好きな未来を自分で掴み取って欲しい。
オレの場合は"栄光を掴む"。それしかねえ。だが、今のオレたちは首輪をされて坂道を上る権利すら与えられない世界に閉じ込めらている。ナマエはそのことにすら気づいていねーし、関心すら向けない。だからオレはナマエにはそれに早く気づいて、坂道を上りたいと自発的に思うまでに成長させたい。
そして、いつかナマエに選択の時が来た時、好きに選べるくれェには──いや、オレたちと来る道を迷うことなく選ぶくれェには育ってもらわねえとオレが困る。
オレにはこのまま坂道を上らずに生きるなんてことはできねえ。他の仲間も皆そうだ。リゾットだけは恐らく目的の比重が違うどころか、ほぼ100%が復讐の為だろうが、オレたちはいつでも首輪を投げ捨てる覚悟はできている。ペッシについても栄光を掴む為に必要なものが何かはまだ理解できてねェようだが、いざとなりゃあ、あいつも目的の為に自分の命を懸けるだろう。
ナマエ、オメーは当然オレらに付いてくるんだよな?このまま燻って生きてるくれェなら死んだ方がマシだよな?命を懸けてでも這い上がった方がいいよな?
ナマエにここまで求めるのは酷なことはわかっている。ナマエの身の上話はそりゃあひでェもんだ。同情する。ナマエが保護者を求めて寂しがりで甘えたがりな性質を持つことだって理解する。だが、それにしてもだ。"成長"しなくちゃあ、ナマエは生き残れねえし、"良い人生"を送れねえ。早く一人前になって、もし、オレらが死んでもひとりでやっていけるようになってもらわなくちゃあ安心できねェぜ。それとも何か。オレがナマエの寂しさを埋めてやれば、前を向いて歩き出せるのか?たまに見せるナマエの悲しげな表情を見ると、そう思うことがある。オレが癒せるならナマエの傷を癒した方が、ナマエは先の目標を考える余裕を持てるのか?できるなら、喧嘩でひでぇ怪我を負った野良猫が諦めずに立派に生き続けるように、どんな傷を受けてもそれに囚われずに生、き、る、こ、と、を渇望するような女になって欲しい。そうすれば──
CDコンポが円盤の擦れる音を発して次の曲に移った。特徴的な旋律の始まり──『 Besame(ベサメ) Mucho( ムーチョ)』だ。
いつかナマエがスペイン語のタイトルの意味を理解した上でオリジナルの歌詞を付けていたのを思い出した。

『いっぱいキスをして〜、アモーレェ〜、あなたのことがぁー、ななな──』

『あなたのことが、なんだ?』

『いや、別に……これ以上の歌詞はないっスよ』

あの時ナマエは頬を赤く染め、顔を背けて誤魔化すように「な」だけでピアノの旋律を歌い続けた。
ナマエはオレのことが好きだ。自惚れじゃあなくて、間違いなくそうだ。誰だって気づくレベルで、好きアピールが過剰だ。一度オレみたいな男が好きみたいなことを言い出した時は、オレじゃあないのかよと苛つくくらいにはオレもナマエには好意を抱いている。
どうしてこんな幼子のように振る舞うやつを好きになっちまったのか──恐らくナマエが悪魔だからだろう。ナマエにはその顔立ちだけでなく、男に"所有欲求"を抱かせる何かがある。「持ち前の人懐こさと感情を全て曝け出すその表情」以外の何かだ。これについてはかなり言語化しづらく、感覚的な問題だ。ナマエ本人の意図せず無自覚な方法で、相手に"所有欲求"を掻き立てさせている。さらに言うなら、こちらが近寄れば腰だけ引くような逃げの姿勢を見せるから追いかけたくなって余計に深みにハマる。まるで悪魔だな。狡猾で人を惑わすという意味で。

「ん……」

突然ナマエが呻き、寝返りをうつ。捻れた腰は細く、ショーパンからは柔らかそうな尻の丸みが露出している。
ナマエのショーパンはそんなに短くはないが、寝返りを打つ間にずり上がったようだ。他の仲間がいて、それがイルーゾォやメローネだったらどうするつもりだ。あいつらなら間違いなく手を出すだろう。ったく。ナマエには肌の露出は控えろとあれだけ言ってんのに何故言うことをきかねーんだよ。本当オメーは身勝手なやつだよな。

「ん……リィ……ラァ……」

ナマエがまた呻く。リラと言ったのか?いや、まさかリーダーじゃあねェよな?
ナマエはリゾットを慕っているし、尊敬している。マジにあり得る。
沸々と湧き起こる嫉妬心に段々ナマエに対する"所有欲求"の根源というものが言語化できそうな気がしてきた。まさか、あれか?そんな簡単な理由か?こいつがオレ以外にも愛想を振りまいて、さらには簡単に他の男へ行くように感じるくらい、ふらふらしているように見えるからか?他にも理由がありそうだが、"所有欲求"を掻き立てる理由の一部には含まれているのだろうな。

「ナマエ」

「……兄、貴ぃ……兄貴!?」

ナマエはソファに手をつき、半身を起こした。目をかっ開き、驚いた様子で乱れた髪を直しながら、オレを見つめる。

「悪魔のお目覚めか」

「えっ?悪魔?なんで?悪魔は酷い悪口っスよ!」

「ケツだして寝てんじゃあねーよ」

「ケ、ケツ!?」

ナマエは顔を真っ赤にさせながら自分のケツを触って確認し、あわわと奇声を発してずり上がっていたボトムの位置を直し、顔を俯かせる。そういう仕草に男が煽られることを理解してねえんだろうな。

「お見苦しいものをごめんなさい……」

「別に見苦しくなんかねーよ。それより、何の夢を見ていた?」

「えーと、なんだっけ?何か夢を見ていた記憶はあるんスけど、もう兄貴がそこにいたことに驚いて飛んだっス」

「どうせくだらねェ夢だろうな」

「覚えてないからそうかもしれないっスね。は〜よく寝たあ」

ナマエは伸びをして、ゆっくりと左右に体を揺らす。まるで寝起きの猫のようだ。

「オメーと話したいことがある」

「何スか改まって……?」

ナマエは怯えたように瞳を揺らす。本当にすぐ顔にでる。
これからナマエにはどうして一人前になる必要があるのか、理解させる必要がある。かなり手強い相手だが、新たな教育方針を探るという点でも、まずはナマエの考えを聞いてナマエのことをもっとよく理解しなくちゃあならねえ。これ以上ナマエの深みにハマりたくねェが、そうでもしねーと、こいつは一生バンビーナのままだろうからな。


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