una assassina ep1
ダニエレさんを殺害してすり減っていた心は兄貴がしてくれた約束のお陰で癒えてきた。
たまに思い出しては憂鬱な気分になるけれど、早く一人前になれば兄貴と一緒になれると思うと、憂鬱なため息が幸せなため息になる。
それからいくつかの依頼を私主体でこなすようになって、少しは度胸がついてきたし、予定通りうまくいかなくてもパニックにならずに冷静に対処できるようになってきた。「成長してきたな」って、兄貴にも褒められて嬉しかった。
明くる日の朝、ナイトローブを羽織り、いつものようにクソッタレの新聞屋に雑に投げ捨てられているであろう新聞を取りに玄関を出ると、目の前に大きな足が見えてびっくりして叫んで内側に引っ込んだ。
それからドアスコープを覗くと、30代くらいのスーツ姿の男性がいて、何度もブザーを鳴らすので、チェーンロックをしてから扉を開けた。
「なんですか?」
「弁護士のジルド・マリアーニです。フィウミチーノから参りました」
耳に馴染みのある都市名に動揺した。
フィウミチーノといえば、以前の仲間のいる場所のはずだ。そこから弁護士が来るだなんておかしい。以前の仲間に何かあったのかと心配になった。
「何の件ですか?」
「権利の譲渡についてお話があります。今、お時間ありますか?」
「ちょっと待っててください」
権利の譲渡と聞いて何もピンとこなかったけれど、もしかしたらそれは隠語で、私と連絡を取る為に仲間が寄越した遣いかもしれないと思った。それにこの人が以前の仲間と連絡をとれる唯一のツテとなるなら、取り合わない理由はない。
暗殺チームに異動になってから、リーダーから以前の仲間と連絡を取ることを一切禁じられていたし、仲間からの接触もなかった。
久し振りに仲間の近況を聞けると思って、まずはコーヒーメーカーを使ってコーヒーの準備をした。それから顔を洗って服を着替えて、マリアーニさんを招き入れた。
円卓の向かいにマリアーニさんを案内してコーヒーをお出しした。マリアーニさんはコーヒーを一口飲むと書類を円卓の上に準備し始めた。
「フィウミチーノからわざわざご苦労さまです。誰から依頼されたんですか?」
「誰、というより相続受取人がナマエさんだから訪ねてきただけですよ」
「相続……?」
少し嫌な予感がした。相続といえば、どういう時に使う単語かどうか、頭の中で確認した。人が亡くなった時に使うイメージがあったけど、実際は譲渡の言い換え言葉かもしれない。
「ええ。相続です。意外と良い方だったんですけどねえ、可哀そうな亡くなり方だったみたいで残念です」
「え……?誰が亡くなったんですか……?」
「誰って貴方にこんな素晴らしいものを譲渡するくらいですよ?ナマエさんもご存知でしょう?ピエトロ・ネリさんですよ」
お世話になった幹部の名前に肌が粟だった。到底受け入れられないし、信じられない話だ。
「ピエトロ・ネリさんってどのピエトロ・ネリさんですか……?」
ピエトロ・ネリなんてきっとありふれた名前だ。ただ私と知り合いでフィウミチーノと関係のあるピエトロ・ネリはひとりしかいない。それをわかっている一方で、どうか人違いであって欲しいという願望で聞いてみた。
「どのって、ピエトロ・パウロ・ウルバヌス・ネリさんですよ。他にもあなたを相続相手にしてくださるピエトロ・ネリさんがいらっしゃるんですか?」
マリアーニさんは困ったように眉を落とす。
パウロ・ウルバヌスはピエトロさんのミドルネームだ。嫌な名前を親から譲られた、とピエトロさんは言っていたのを思い出した。聖人の名前が詰まってるけど聖書は鍋敷に使っている、と白い歯を見せて明るく笑っていたピエトロさんが懐かしい。そんなピエトロさんが亡くなっただなんて信じられない。
「あの、ピエトロさんは本当に亡くなったんですか……?」
「ええ。脱獄から数日後に」
「脱獄……?牢屋にいたんですか?」
「知らなかったんですか?」
マリアーニさんは驚いたように仰け反った。
「何故牢屋にいたのか、亡くなるまでの状況を教えてください」
凄く嫌な予感がした。親友の死が何度も頭を過ぎる。
「では、罪状から──」
マリアーニさんの話だと、ピエトロさんは昨年の4月2日に違法賭博運営で刑務所に入れられたようだった。私がフィウミチーノを発った翌々日のことで驚いた。
捕まったのは他に従業員とイカサマを見つける為に雇っていたイカサマ師やその場にいた客などが逮捕されたらしい。ただ、共同経営者として名前のあったジャコモという人や、他5人が逮捕前日から足取りが掴めなかったらしい。
それを聞いて少しは安心したけど、不安は拭えない。ジャコモは以前の仲間の名前で、他5人は仲間の数と一致している。前日から行方不明、ということはもしかしたら、他の仲間も私が知らないうちに異動になったのかもしれない。それなら問題なく生きているはずだ。
「それで数日前に仲間の手引きによって脱獄して、ローマ郊外で臓器を口に詰められた状態で遺体となって発見されたようです。その他の仲間も同様の状態だったみたいで凄絶な現場だったらしいですよ」
「口に……?他の仲間……?」
「あー、それが興味深い話で、その行方不明だったジャコモという元共同経営者と他5人も同じような遺体となって発見されました。確か名前は皆聖人に因んでいたものだから覚えてますよ。マルコにアンドレア──」
「あ……ああっ……」
「あの、ちょっと!」
立ち上がってバスルームに駆け込んで便器に吐いた。昨日食べたものが液体と一緒にでてきた。
遠くからマリアーニさんの呼ぶ声が聞こえるし、他にも頭の中で鳴り響くように呻き声が聞こえてくる。
あの日の凄惨な映像が繰り返し頭の中で流れていく。
落ち着くまで時間がかかった。手を洗って口を濯いで戻ると、マリアーニさんは心配そうに声をかけてくれた。
「必要事項を説明して、書類にサインするだけで大丈夫ですが、出直しましょうか?」
「いえ、サインをするので説明をお願いします……」
「それでは……」
マリアーニさんの淡々とした説明を聞いて、書類にサインをした。相続するのはオペラ劇場で、そんなものを相続なんてしたくないけど、ピエトロさんは歌劇が好きだったのを思い出して、忘形見として譲り受けることにした。きっとボスにも秘密で資産として劇場を買ったのだろう。
事件の詳しいことをいくつか質問したけど、自分も詳しくはわからないと言われた。そもそもマリアーニさんはピエトロさんの刑事事件の弁護士ではなく、劇場相続の為だけに雇われていた弁護士らしい。それでも、事件はギャングの抗争として片付けられて捜査もそのうち打ち切られる噂は聞いているみたいだ。
「それでは、相続についての質問などがあればここに連絡をお願いします。劇場の支配人にも挨拶をして欲しいのでね、僕が仲介しますよ。あと、後日口座登録の用紙が送られてくるはずなので、それはご自分でご対応をお願いします」
マリアーニさんは名刺といくつかの書類を置いて帰った。
部屋にひとりになると、小一時間は泣いて悲しんだ。それから段々怒りが込み上げてきた。親友と仲間を殺したアイツと、今の仲間──いや、暗殺チームの7人に対する怒りだ。
悲しいことがあった時、怒りよりも悲しみに支配されていたけれど、今度は怒りの方が大きかった。それは多分、仲間だと思っていた人達に裏切られたからだ。
泣き腫らした顔や冷や汗をかいた体に熱いシャワーを流して服を着た。家にあるナイフ──フォールディングナイフや投げナイフ、サバイバルナイフ──を全て上着のポケットやベルト、靴の中に仕込み、持ち金全部を小分けにしていたるところにしまった。最後にパスポートを上着の内ポケットに隠した。寄り道先で必ず必要になるからだ。
あの弁護士は郵送でなんか送ってくるって言ってたけど、もうここには暫く帰ってこれないし、もしかしたら一生帰ってこれないかもしれない。
*
白い砂利の上を歩き、いつか造花を持ってきた白い墓石の前に来た。ここに親友は眠っていないけど、あの時捨てさせられた大事なものを取りに来ただけだ。
「ソルベさん、ジェラートさん、あなたたちなら私に教えてくれた?」
勿論返事なんて聞こえてこない。聞いても仕方のないことだけど、聞かずにはいられなかった。
墓の前にしゃがみ込んで、透明の瓶に入っている雨ざらしで錆び付いたチョカーを手に取った。お酒やペディキュアは置いてなかった。暗殺チームの誰かが回収したのかもしれない。
チョーカーをポケットにしまうと、アジトに向かった。あの人達の顔なんか見たくないけど、これで最後かもしれないし、聞かなくちゃあいけないことがある。
*
アジトに着くと、ちょうどよく皆揃ってた。皆、私が来た途端に話を止めて、なんだかいつもと雰囲気を感じた。どうせ私を仲間外れにして、私には話せない内容を話していたんだ。
「そんな怖い顔してどうしたんだ?」
ホルマジオが真っ先に声をかけてきた。私がお願いすれば、「しょうがねーなぁ」と言いながらも言うことを聞いてくれていたホルマジオだけど、隠していることを教えてって言えば教えてくれたのかな。
「あんたたち、私が何言いに来たかわかる?」
「おっと、あのふざけた敬語はやめたのか?おれたちへの敬いはどうしたんだよ?」
イルーゾォがいつもの調子でからかってきた。怒りに燃えてる今、それがいつもより腹立たしく感じた。
「黙れイルーゾォ!あんただって、知ってた癖に!なんで教えてくれなかったの!?」
「おい、急になんの話だよ?」
「私の仲間が務所に入ってたこと!」
「ナマエ、落ち着け。どこでそれを知ったか知らんが、理由を話してやる」
こっちがこんなに怒っているのにリーダーは知った顔して落ち着いた声色で言うのに腹が立って仕方がない。今はリーダーのフードに付いている球体の髪飾りでさえムカつく。
「結論から言うと、ナマエの以前のチームの幹部──ピエトロからナマエに言うなと口止めされていたからだ」
「なんで?どうして?」
リーダーの口からピエトロさんの名前がでて、更にピエトロさんが口止めをしたと聞いて混乱する。ピエトロさんがそんなことをする理由が思いつかないし、いつそんなことをリーダーに頼んだのかさっぱりわからない。
「そもそも投獄されたことはイルーゾォに調査に行かせて初めて知った。理由は推測だが、おまえが動揺しない為だろう」
「動揺?馬鹿にしてるの?私の大事な仲間が投獄されたんだから、口止めされてても教えてよ!この1年以上仲間が何してるのかな、なんて呑気に考えてたのが馬鹿らしいじゃん!私があんたたちと仲間ごっこしてる間、本当の仲間が苦しい思いをしてたなんて……!ほんっと、酷い!最低!仲間の振りして、私を騙して……!なんで誰も教えてくれなかったの!?」
思ったままのことをぶちまけた。それでも怒りは収まらず、自分の言っていることに何も間違いはないはずなのに、目の前の7人が険しい表情をするのがまたムカついた。
「ナマエ、落ち着け」
兄貴──もとい、プロシュートが叱るように声をかけてきた。
「オメーにそれを話したらその幹部に必ず会いに行くだろ?投獄はボスからの罰だ。幹部はオメーが来たらボスから何かされるんじゃあねーかって不安だったんだろ。これは推測だがよ」
今は大好きな人の言葉にも怒りが湧いてくる。私のことを受け入れてくれるみたいなことを言ってくれたのに、約束してくれたのに、私にこんな大事なことを教えてくれないなんて悲しいし、腹立たしいし、ずっと騙されていたみたいで悔しい。この1年以上、兄貴兄貴と慕っていた自分が馬鹿みたいだ。きっとこの人は私のことを弄んでいたんだ。私が一人前になったって、「ありゃ嘘だ」と言ってなかったことにするんだ。
「投獄はボスからの罰?なんでわかったの?」
「それは──」
「もういい。オレがナマエに全て打ち明ける……以前イルーゾォにナマエの調査に行かせたことを覚えているか?」
リーダーの言葉に頷いた。よく覚えていた。確か私の話を信じられなかったリーダーが裏付けの証拠を手に入れる為に、イルーゾォを遣わせて勝手に私の仲間と接触させたはずだ。当時それを聞いた時、イルーゾォが仲間に何かしてないか心配だったから記憶に残っていた。
「イルーゾォが調査から帰ってきた翌日、ボスからピエトロが刑期を終えたら殺すように依頼を受けた。そして、ナマエ。暗殺遂行者はおまえにしろと名指しされた」
「ボスが……?なんで……?それでその依頼を受けたの?」
「ボスからの依頼を受けないわけにはいかんだろう。この世界では口封じに刑務所に入る前か入った後で殺すことはよくある。だからわざわざ刑期を終えさせてから殺させるのはピエトロとおまえへの罰だろう……だが、安心しろ。おまえの元仲間が異動先で生きているのを確認し、ピエトロ殺害の依頼はつい先日取り下げられた。先程ちょうどそれについて話していたところだ。理由は情報分析チームに問い合わせても回答を得られなかったから推測するしかないが、幹部と仲間が隠し財産を積んでボスと取引したかもしれん」
「隠し財産は私が相続したよ……あはは。あの劇場をボスに譲渡したらピエトロさん、助かったのかなあ」
といっても、ただの劇場だ。どれ程の規模のものか知らないけど、大したお金にはならないと思う。
「ピエトロは死んだのか……?」
「ピエトロさんも仲間も皆、全員死んだよ。仲間の中で私だけが生き残っちゃった……他の仲間は異動先でもピエトロさんの投獄知ってたみたいだよ?だって、ピエトロさんの脱獄手伝って死んだんだよ?私も、死にたかった……こんな嘘つきチームのところで生きてるくらいなら、ピエトロさんたちと一緒に死にたかった!」
「おい、ナマエ。いい加減にしろよ。オレたちはオメーの為に黙ってただけだぜ?」
「私の為?馬鹿にしないで!あ、そっか、ダニエレさん殺させたのもピエトロさん殺させる予行練習だったってこと?その為に暫く飼って、都合が悪くなったからさっさと殺させたってわけ?最ッ底ッ!あんたがそんな人だとは思わなかった!好きだったのに、あんたの為ならなんでもするって思ってたのに!今は見るだけで反吐が出るわ!あんたなんか大ッ嫌いッ!」
「いい加減にしやがれッ!」
プロシュートがソファから立ち上がって近づいてきたけど、ベルトに引っ提げていたサバイバルナイフを取り出して彼に向けた。
「それ以上来ないで!皆、嘘つきッ!仲間だと思ってたのにこんな風に裏切って最ッッ低ッ!皆、嫌い嫌い嫌い嫌い!大ッ嫌いッ!あんたたちの所為で私の仲間が皆死んじゃったんだよッ!全部あんた達の所為だから!もう顔も見たくないッ!さよなら!」
喉が裂けそうな程叫んで、アジトを飛び出した。近くに通りかかったタクシーに乗って、ガリバルディ駅まですっ飛ばしてもらった。そこからネアポリス中央駅に行って、テルミニ駅までの切符を買った。
家を出る前から目的地は決まっていた。ローマだ──きっとそこに行けばアイツは勝手にやって来る。数ヶ月前にチョーカーを送ってきたのはきっとアイツだから。なんとなくわかるのだ。アイツを殺さなければ、きっと私の心に平穏は訪れないし、この怒りだって消えない。もう悲しむだけは終わったし、アイツの残虐な行為がそれを終わらせた。私はアイツを殺して仲間の仇を取る。その後のことはもうどうでもいいし、考えたくもない。