anita ep1
ある日の昼下がり。アジトの居室にて、リーダーと次の任務の為の練習をしていた。練習といっても、ターゲットを殺す為の暗殺技能の練習ではなく、ターゲットの会社にアポイントメントを取る為に実在する人物になりきって、電話を掛ける練習だった。
「もしもしっス。社長と以前パーティーでお会いしたアニータっス。社長と……」
「おい」
リーダーの前で教えてもらった通りの内容を言ったつもりなのに、リーダーは手を突き出して、「やめろ」と合図してきた。私は口をつぐみ、リーダーの身体全体から発せられる圧に怯えて黙った。
「だから、そのスを取れと言っているだろう」
「ヒッ!ご、ごめんなさいっス!」
「……最初からやれ」
「は、はい!もしもし?っス。社長と……」
「おい」
今度は顎を掴まれた。私を見下ろすリーダーの瞳は暗殺者のそれにしか見えなく、おまけに立っ端があるし、圧が凄まじく、その圧だけでも人を殺せそうな感じがある。同業者で仲間であるといえど、凄く怖い。心の中で、プロシュート兄貴助けて、と叫んだ。
本来なら兄貴が私の教育係で教えるところを、リーダーが教えてくれているのは、イルーゾォを除いた他の皆が別件の任務中で出払っているからだ。リーダーに何度も注意されている私を、イルーゾォが偉そうに脚を組んでソファに座り、嬉々として見てくるのが凄く不快だった。イルーゾォはやることないなら帰って欲しい。
「どうしてそうなるんだ?キレる時とペッシと話す時は普通じゃあないか」
顎を強く掴まれ、じいっと眼を合わせて言われた。凄く怖い。
「そ、そうっスよね。でも、私、まともな敬語が使えないんス」
そこが私のコンプレックスだった。同じく兄貴の下につくペッシでさえそれなりの敬語が話せる一方で、私は全く使えなかった。でも、語尾に大体スをつければなんとか誤魔化せていたし、暗殺チームという殺しを専門とする仕事なら学ぶ必要もないと思っていたから学ぼうとも思わなかった。
「アニータになれるのはおまえしかいない。5分以内に死ぬ気でマスターしろ」
「そ、そう言われても……」
確かに写真でみたアニータは私と背格好や顔立ちがよく似ていた。今回私が暗殺要員に選ばれたのは、ターゲットである金融会社の社長に近づける女性に似ているからだ。彼女に変装できれば、指定のモノを社長に持たせ、なおかつ、指定の場所に誘き寄せれる。ただ殺すだけで済まないこの任務には私がぴったりだった。ただ問題が一つあり、私がアニータになりきれるかどうか以前に敬語が話せなかった。
「リゾット、敬語というものをこのおれがナマエに教えてやろうか?」
ニヤニヤと笑いながら私を見ていたイルーゾォが何を企んでいるのか急に提案してきた。「誰が変態から教えてもらうってんだよ、すっこんでろクソ野郎!」と喉まで出かかった言葉はリーダーの手前、呑み込んで、イルーゾォを睨んでやった。
「リーダー、イルーゾォなんかに教わるなんて嫌っスよぉ。リーダーから教えて欲しいっス」
両手を合わせてリーダーを見つめて、懇願した。イルーゾォに教わるなんてまっぴらごめんだ。いくらリーダーが怖くても、イルーゾォに教えてもらうよりはずっとよかった。
「……いいだろう。元よりそのつもりだった」
リーダーの言葉にイルーゾォはつまらなさそうに鼻を鳴らして部屋を出て行き、リーダーとふたりきりになった。最近、兄貴はイルーゾォと私がふたりにならないように気を利かせてくれているけど、今日はその兄貴がいなくて不安だったからイルーゾォがいなくなってくれて安心した。
「オレの言葉を復唱しろ。もしもし」
「もしもし」
「社長と以前、パーティーでお会いしたアニータです」
「社長と以前、パーティーでお会いしたアニータです」
リーダーが敬語を話しているのが可笑しくて笑いそうになったけど、笑える雰囲気と相手ではないから大人しく復唱した。
「例の取引の件で社長とお会いしたいのですが、アポイントメントを取れますか?」
「例の取引の件で社長とお会いしたいのですが、アポイントメントを取れますか?」
「社長にはアニータで通じます」
「社長にはアニータで通じます」
「……問題ないじゃあないか」
「……問題ないじゃあないか」
「おい、終わりだ。真似しなくていい」
リーダーにぴしゃりと怒られた。けど、「問題ない」とは一応は褒められたものと受け取って自信がついた。
「始めから一人でやってみろ」
監視するようなリーダーの視線にびびりながら、呼吸を整え、気合を入れた。
「もしもし。社長と以前、パーティーでお会いしたアニータです。例の取引の件で社長とお会いしたいのですが、アポイントメントを取れますか?社長にはアニータで通じます……リーダー、聞いてたっス?」
「ああ。やればできるじゃあないか」
珍しくリーダーが褒めてくれた嬉しさに口元が綻んだ。
「じゃあ、漸く電話できるっスね」
ローテーブルに置いていた携帯電話を手に取り、ターゲットの金融会社へ電話をかけた。相手は3コールで出て、ご用件をどうぞという。
「あ、もしもしっス〜。社長と以前、パー……」
リーダーに無言で携帯を持つ右手を包まれ、携帯の電源ボタンを押されて切られてしまった。ゴゴゴコゴと聞こえてきそうな程リーダーが殺気立っていてめちゃくちゃ怖くて、右手を包まれたまま腰を引いた。
「何故、そうなる?」
「ヒィッ!」
あまりも怖くて後退れば、リーダーも距離を詰めてきた。それを繰り返していくと、ついに背中に壁があたったので、カニ歩きで逃げようと左横に動けば、頭の横に手をつかれた。携帯を持つ右手は相変わらずリーダーの手に包まれていて、リーダーの顔を見上げれば、赤く光る瞳孔を持つ双眼とばっちり視線が合い、その温度の感じられない瞳の怖さに竦み上がった。
「リ、リリリリリーダー、怖いっス……」
「暗殺者が怖がるな。時間がない。失敗すれば死ぬと思ってやれ」
「わ、わかったっス……死ぬ気でやるっス」
「……仕方あるまい。紙に書いてやる」
リーダーは私から離れると、ソファに座り、ローテーブルに置いてあった紙にペンを走らせた。びくびくしながら待っていると、ひらりと紙を私に突き付けてきた。紙には読みやすい綺麗な字で、口語が綴られている。これなら失敗せずにできそうだ。
「ありがとっス。今度こそ絶対絶対成功させるっス」
「アドリブが必要な時もスをつけるな。つけた瞬間におまえの口から剃刀がでることになる」
「ヒィッ!」
リーダーの脅しには本気に聞こえる程の凄味があり、それに怯えながら震える手で電話をかけた。
緊張しながらも、なんとかリーダーの持つ紙を見ながら頑張って社長とアポイントメントを取ることができた。携帯をリーダーに返すと、アポイントメントまでにスーツを買い、アニータに寄せた化粧の練習をしろという。
「これがアニータの全体写真だ」
リーダーはどこからともなく、アニータの全身の写真を取り出して見せてきた。顔以外を見るのは初めてだった。
アニータは白いスーツを着ていて、胸元が丸出しだ。どうやらシャツを着ずにジャケットを直のまま身に纏っているようだ。スカートは膝より少し上の長めの丈であるものの、全体的に露出が多い印象を受ける。
「私がこれを着るんスか?」
着たくない、という意味合いを含ませて聞いた。
私の普段着は黒のショーパンに黒のタンクトップで上には兄貴とお揃いの黒地に白のヘリンボーン柄が入ったパーカーだ。この地味さは勿論仕事着だから、というのもあるけれど、脚は出す一方で胸を出さないのは、胸の露出が苦手だからだった。だから、アニータのような破廉恥な格好はしたくない。
「ああ。ちゃんと本人だとわかるように寄せろ。それと敬語に気を付けろ」
「そんなぁ……」
「当日はプロシュートが会社の外で見守るから安心しろ」
「ヒェッ。破廉恥アニータの馬鹿……っ!」
兄貴の前であんな破廉恥な格好するなんて恥ずかしくて仕方ない。想像するだけで緊張してしまう。
「この写真は無くすな」
リーダーが写真を差し出すので、私はそれを受け取り、アニータの破廉恥な格好を見てため息をついた。
「おまえの相手で体力を消耗した。コーヒーを淹れてくれ」
「はーい」
写真をソファに置いておいた鞄にしまい、給湯室でリーダーのコーヒーを作った。ついでに自分の分もミルクをたっぷり入れたカフェラテを作り、リーダーと2人きりのお茶会が始まった。
「で、そこでプロシュートの兄貴が私を見つめて言うんスよ!『ナマエ、よくやった』いやー、カッコいいっスよねー」
「……」
「別の案件では、あの兄貴の能力の範囲にいなきゃいけなかったんスけど、兄貴が氷を10キロも買ってきてくれたんス。あの兄貴がっスよ?お陰で全然老けなくて、ピチピチのままだったっス。兄貴って本当に優しいっス」
リーダーに兄貴語りを一方的にしていて、喉がいたくなってカフェラテを一口飲んだ。
この後皆が仕事を終えて、報告の為に来るのを待つ必要がある。それまで間を持たせたいけど、リーダーは兄貴の話題には興味がないようだ。
「そういえば、献血健康法というのを編み出したんスよ」
「ほう」
この話題にはリーダーは興味を示してくれた。献血による自分の体への恩恵を語ればリーダーが医学的見解から色々教えてくれた。
兄貴の話をしている時には冷ややかな空気だったのが、和やかになった。さっきはリーダーがめちゃくちゃ怖かったけど、今は全然殺気だっていなくて話しやすい。
「へーそうなんスねー。面白いっス!」
私の相槌にリーダーがフッと口元を少しだけ持ち上げた。
びっくりして、固まっているとリーダーは首を傾げてなんだその間抜け面はと言う。
「な、なんでもないっス」
リーダーが怖くて何もいえずに黙ることにした。今笑ってた気がするけど、どうだろう。気のせいなのかな。
そんな折、兄貴とペッシが帰ってきた。
「よお、ナマエ。リーダーに迷惑かけてないだろうな?」
兄貴は私の座るソファの肘掛け部分に座り、聞いてきた。正直迷惑かけまくったけど、本当のこと言うと兄貴が怒るだろうから言うのは躊躇ってしまう。
「えっと、えーと……」
「問題はなかったが、言葉遣いが不安だな。プロシュート、おまえが当日までにナマエに敬語の使い方を叩き込んでやれ」
私が返答に迷っていると、リーダーが庇ってくれた。さっきの薄ら笑ったような顔と私を庇ういつもと違うリーダーの様子には混乱してしまう。
「了解。おい、ナマエ。オレにも淹れてくれ」
兄貴は私の手に持つマグカップを指差し、私の隣に座った。
「はーい!」
立ち上がり、居室を出るときにリーダーを振り返って眼があったので目礼をすれば、視線を逸らされた。
今のはリーダーらしい反応だ。今日は兄貴がずっといなくて寂しかったけど、リーダーとふたりなのも悪くないかもしれない。