orme del destino
※なんでも許せる方向け
夜空に浮かぶ満月は海を白く二つに裂いていた。水平線の向こうまでできた白い光の道の両端は黒く塗りこまれ、少し不気味だけど、隣で手を握ってくれている人のお陰で怖くはない。
今は多分午前4時頃で、プロシュートと身を寄せ合って岩場に座り、静かに海を見ていた。お互い長いこと黙っていて、その間絡めあった指──特に薬指を無意識みたくスルスルと擦られて、なんだかこそばゆい感じがする。
プロシュートは朝からリーダーと秘密の打ち合わせを何時間もしていて、その後は何をしていたのか私も知らなくて、プロシュートが家に帰ってきたのが確か午前3時頃だった。その時はひとりで寂しくソファで本を読みながらプロシュートの帰りを待っていて、プロシュートが普段より落ち着きのない様子で家に帰ってきたかと思うと、急に「出かけるぞ」と言った。私は言われるままいつもより厚着して車に乗り、この海沿いの岩場までプロシュートに連れて来られた。岩場の表面は服越しでも冷たく感じ、海を吹き抜けてくる春先の潮風は厚着をしていないと凍える程冷たかった。
プロシュートのいつもより硬い表情や口数の少なさから、リーダーと何かあったことが想像ついたけど、プロシュートが話すまで待つことにした。自分からは聞きにくいし、そのうち話してくれるだろうと思う。
「ナマエ……」
「なに……?」
突然繋いでいた手を離され、どぎまぎしながらプロシュートの方に顔を向けた。
暗くてはっきりとは見えないけど、プロシュートの眼は真剣そのもので、何を言われるのかと緊張して来た。全然見当つかないけど、大好きな人が話すことならなんでも受け入れたい。リーダーと喧嘩したというなら、私はプロシュートの肩を持つし、その後むしゃくしゃして通りがかりの人を殴ってまわったというなら、私はその後始末をする。
「今から言うことはオレの意志だ。誰にも強制されてねェし、ずっと考えていたことが今日になった。来たる未来が早まった、ってだけだ。思っていることそのまま話し、最後に一つだけナマエに質問する。だから、ナマエも本心のまま答えてくれ」
「うん……」
プロシュートの話だしが重た過ぎて胃まで痛くなってきた。
「まずオレは神の存在を信じてねえ。だが、たまに現実では到底あり得ねェことが起きたり、生や死を感じたりする時、その存在を信じてみようと思うことがある。いや、正確に言うと、信じる、っつーよりは、感覚的に特定の物事に対して神を結びつけねェと、不快感が頭のどこかに残るって感じだな。ま、この国に生まれた者のサガってやつだな」
「うん……?ちょっと、難しいかも……」
「要は、場合によって都合よく神を信じるってことだ」
「それならわかる」
わかったけど、プロシュートが神さまの話をするのはなんだか違和感があるし、何か悪いことを連想してしまう。例えば、近親者が亡くなったのかな、って。
「急に何を言ってるのかと思ってるだろーが、これからオレがやろうとしていることにその神が必要になってくるからこの話をしている。神には神秘性と永続性があるからな。永遠を伴う誓いには持ってこいの存在だ」
ハッと息を呑んだ。ギャング映画で何度も見たことのある"血の掟"──互いの親指に切り傷を付けて出血させてそれを重ね合わせ、誓約を交わして正式にファミリーになる為の儀式──が頭を過って、プロシュートと私が重大な誓約を行うのかと思って緊張してきた。
「立てるか?気ィつけろよ」
プロシュートに肩を支えられながら岩場の上に立ち上がった。岩場といえどもその表面は平坦に削られていて不安定さはなく、血の掟の為にしゃんと姿勢を正して立った。
プロシュートがスーツの内側に手を入れ、血の掟の為に何か針やナイフなどを取り出すのかと思って身構えていると、取り出されたのは小さな箱で、プロシュートがその場に跪いて両手でその小さな箱を上下に開いた。
「ナマエ、愛している。今までもこれからも、死がふたりを分かってもだ。今日より最期の日までオレはナマエを守り続けることを神に誓うから、ナマエはオレの傍にい続けることを神に誓ってくれ」
箱の中には宝石の嵌め込まれた銀色の指輪があった。
あまりにも突然過ぎた。今日は色々突然が多かったけど、その中でもこれは本当に不意打ちで、予想もしてなくて凄く驚いた。それから事態を理解して、段々嬉しさと感動が込み上げてきて、感情が昂ってきた。自分でもよくわからないけど、嬉し過ぎて涙が出てきてしまった。
「うん……っ!誓う!神に誓います……っ!私、プロシュートの傍、絶対離れないっ!それに、私もプロシュートのこと愛してるから守る!」
両手の甲で眼元を拭った。何度拭っても、なかなか涙が引っ込まなかった。ただでさえ暗いのに、視界が悪くなってプロシュートの輪郭すらぼやけてよく見えないけど、多分今立ち上がって、呆れ顔してる。
「泣きながら言われちゃあ、説得力ないぜ?」
「守るときは泣かないから!」
「そりゃあ、頼もしいな。ほら、指輪だ。念のために言うが、さっきのはプロポーズでこれは婚約指輪だからな?」
プロシュートに左手を取られ、薬指に指輪を通された。指輪はぴったりだった。
結婚だとか指輪だとか、今は実感がわかなくてよくわからないけど、とにかくプロシュートが神さまにずっと私と一緒にいてくれることを誓ってくれたことの嬉しさで胸がいっぱいになる。神さまは最初の結婚しか認めず、例え離婚しても、神さまにとってふたりは永遠に夫婦であることを知っているからこそ、本当に嬉しくて仕方がない。プロシュートが事前に神さまの存在意義のようなことを語ってくれていたのも効いている。
「そんなに泣くな」
プロシュートは私の頬に手を添え、ハンカチで押さえるように涙を拭ってくれた。
「ありがとっ……」
「こんな時になんだが、良い知らせと、オレにとって最悪な知らせがあるが、どっちから聞きたい?」
「さ、最悪な知らせ……?今、こんなに幸せなのに聞きたくないよ……」
「オメーにとっちゃあ、最悪ではねーが、納得できねえ話かもしれねえ。とりあえず、良い知らせから聞け。今週アメリカへ行く」
「アメリカ?なんで?突然過ぎない?」
びっくりして、涙が引っ込んだ。なんの準備もできてないし、家にあるスーツケースは壊れていて冬用の服を入れて置いたままなのを思い出した。
「この国だと婚姻証明書発行に時間がかかる。式場を押さえるのもな。それならアメリカの方が早ェよ。ついでにハネムーンとして楽しもうぜ?」
「ハネムーン嬉しい!アメリカかあ……」
アメリカといえば、ベガスにロスにニューヨーク。どこが一番楽しいか想像してみた。どこも楽しそう。でも、そもそも婚姻証明書と式場を早く押さえる為だけにわざわざ遠いアメリカに行く必要があるのか疑問に思った。婚姻申請だけして、ハネムーンならイギリスとかドイツ、近場の北イタリアでも十分嬉しいのに。
「でも、なんで急ぐの?」
「……ここからがオレにとって最悪な知らせだからだ。二週間後、元首が新婚をヴァチカンの教会で祝福する。その場に同席する枢機卿を殺す為にオメーとリゾットがふたりで別人を装って新婚のフリをする必要がある。リゾットはタキシード、オメーは純白のウェディングドレスを着て、リゾットが実行する」
「枢機卿を……?しかも私がリーダーと……」
頭の痛くなるような任務だ。そして、今のプロシュートの説明で色々わかってしまった。なんでプロシュートが今日リーダーと長時間話し合ってたのかとか、ずっと帰って来なかったわけとか、このタイミングで結婚を申し込んできたわけとか。
わかったところで嫌な気持ちにはならなかった。プロシュートが事前に「来たる未来が早まっただけ」と言ってくれたし、その為だけにたった一日で結婚を決心してくれたのが、むしろ嬉しかった。
「言っておくが、オレがやると言ったがオレの能力だと老いぼれの元首や他の司祭たちをまとめて殺し兼ねねェから却下された」
「それで、リーダーと私が偽装結婚する前に急いで結婚申し込んでくれたの?」
「言い方が気に入らねェが、実は言うとそうだ。偽装でも先に他の男の花嫁になられるなんてごめんだぜ」
プロシュートは優しく髪を梳いてくれて、額に口付けてくれた。
「そんな理由でも、結婚を決心してくれるのは嬉しい。私がプロシュートのお嫁さん……」
涙が引っ込んだ今は顔のにやけが止まらなくて、プロシュートに抱きつけば、私の背中に腕を回してくれて、いつもより強く抱きしめてくれた。
「もう幸せだし、今もすっごく幸せだけど、幸せにするから幸せにして」
「ああ。必ず幸せにしてやる」
暫くプロシュートの腕の中で甘えた。潮風が吹いてもプロシュートの腕の中だと全然寒くないし、凄く温かくて心地よかった。
*
プロシュートと寄り添って日の出を見届けた後は、プロシュートに手を引かれて港を歩いた。朝日を浴びながらの海沿いの散歩は気持ちが良く、結婚を申し込まれたのも相まって心がぽかぽかと温かく、幸せいっぱいだ。
漁港から離れ、フェリーの出入港となる海岸沿いにある、真っ白い壁の給水施設の横を通り過ぎるとプロシュートが突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「待てよ。もうすぐ教会の鐘の音が聞こえる筈だ……たまに十五分以上遅れやがるが──」
「ぎゃっ!」
突然コンクリートの地面から一メートルくらいの間隔を空けて次々と水が噴き出してきた。
下から噴き上げる水は私の身長以上の高さで、数秒毎間隔を空けて真っ直ぐに噴き出しては全身を濡らしていく。
「なにこれ!」
プロシュートの手を離して顔にかかった水を手で拭うけど、短い間隔ですぐにまた噴水に顔を濡らされる。
「仕掛け噴水だ。こういうの好きだろ?」
朝日に照らされた噴水が宝石のように絶え間なく光り、プロシュートの髪やスーツをびしゃびしゃに濡らしていくけど、プロシュートは崩れて額にかかった前髪を払いのけながら、ニッと唇の端を吊り上げて笑う。
噴水だけでなく、噴水の中にいるプロシュートも髪や瞳を煌めかせ、まるで映画のワンシーンみたいに綺麗で見惚れてしまう。
「好きだけど突然過ぎだし、プロシュートはこういうの嫌いでしょ?服も靴も大事にしてるじゃない!」
「ナマエが楽しければなんでもいい」
「それは嬉しいけど……もう!それならこっち来て!」
プロシュートの手を掴んで、もっと噴水の当たるところに引っ張ろうとすれば、逆に引き寄せられて一瞬にして頭から靴の中までびしょ濡れになってしまった。
「意地悪!」
「濡らそうとしたのはナマエの方だろ?おっと、漸く教会の鐘が鳴ったな」
遠くから鐘の音が鳴り響いてきた。朝を知らせる鐘の音だ。噴水で少し音を遮られているけど、ちゃんと聴こえてくる。
びしょ濡れになって顔に貼りつく髪を払いのけながら、私を柔らかい瞳で見つめるプロシュートを見つめ返すと、突然ある事を思い付いた。
プロシュートから逃げるように仕掛け噴水の合間を縫って走り出した。
「プロシュート、捕まえて!」
「いいぜ。捕まったらナマエの負けな」
「負けないよー!」
仕掛け噴水は数十メートルの距離を真っ直ぐ走れば抜け出せるようだけど、それだとつまらないから噴射口の合間をジグザグに縫って軽やかに走った。プロシュートとこんな遊びをするなんて夢にも思わなくて、楽しくて仕方がなくなり、つい笑みをこぼしながら走った。
暫く走ったところでどこまでプロシュートが付いてきているか後ろを振り返ると、いつかプロシュートがヴァチカンで私を追いかけてきたような気迫ですぐ後ろまで追ってきていることに気付いた。
「本気で走ってるの!?」
「あたりめーだろーが、っと!捕捉したぜッ!」
すぐ後ろから抱き締められて捕まえられてしまった。勿論、捕まえて欲しくて本気では走ってないし、そもそも靴も服も濡れているから早くは走れなかったけど、こんなに早く捕まえられるとは思わなかった。
まだ仕掛け噴水の中にいるというのに、プロシュートはそのままぎゅっと腕に力を込めて後ろから私を抱き締めたまま動かないし、私も動けなくなっていた。
その間も噴水は出続けて、私とプロシュートを濡らして行く。
「ナマエ、今度は逃げられなかったな?」
「私はもうプロシュートから逃げないよ?」
プロシュートもヴァチカンでの本気の追いかけっこのことを思い出して言っているのがわかった。
「オレはそれを信じるぜ」
プロシュートが私の濡れた髪を掻き分けて露出した耳にキスをしてくれた。水に濡れながらのキスはなんだか不思議だけど、ちゃんと体温があって温かい。
「ねえ、風邪引いちゃうから早く出よう?」
「ああ。負けたナマエの罰ゲームは車ん中で考えるか」
「罰ゲームあるの!?」
「当然だろ。わざわざ事前に勝敗の話しただろ?」
「そうだけど……まあ、いっか」
なんだか騙された気分になったけど、どうせ簡単な罰ゲームだと高を括って車に戻った。
後部座席に積んであるバスタオルを取り出して、車に寄りかかりながら真っ先に水に濡れた婚約指輪をきれいに拭いていると、プロシュートに「夜しっかり眠れるように、帰ったら一時間以上の仮眠禁止。これが罰ゲームだな」と言われて認識の甘さを改めた。
夜空に浮かぶ満月は海を白く二つに裂いていた。水平線の向こうまでできた白い光の道の両端は黒く塗りこまれ、少し不気味だけど、隣で手を握ってくれている人のお陰で怖くはない。
今は多分午前4時頃で、プロシュートと身を寄せ合って岩場に座り、静かに海を見ていた。お互い長いこと黙っていて、その間絡めあった指──特に薬指を無意識みたくスルスルと擦られて、なんだかこそばゆい感じがする。
プロシュートは朝からリーダーと秘密の打ち合わせを何時間もしていて、その後は何をしていたのか私も知らなくて、プロシュートが家に帰ってきたのが確か午前3時頃だった。その時はひとりで寂しくソファで本を読みながらプロシュートの帰りを待っていて、プロシュートが普段より落ち着きのない様子で家に帰ってきたかと思うと、急に「出かけるぞ」と言った。私は言われるままいつもより厚着して車に乗り、この海沿いの岩場までプロシュートに連れて来られた。岩場の表面は服越しでも冷たく感じ、海を吹き抜けてくる春先の潮風は厚着をしていないと凍える程冷たかった。
プロシュートのいつもより硬い表情や口数の少なさから、リーダーと何かあったことが想像ついたけど、プロシュートが話すまで待つことにした。自分からは聞きにくいし、そのうち話してくれるだろうと思う。
「ナマエ……」
「なに……?」
突然繋いでいた手を離され、どぎまぎしながらプロシュートの方に顔を向けた。
暗くてはっきりとは見えないけど、プロシュートの眼は真剣そのもので、何を言われるのかと緊張して来た。全然見当つかないけど、大好きな人が話すことならなんでも受け入れたい。リーダーと喧嘩したというなら、私はプロシュートの肩を持つし、その後むしゃくしゃして通りがかりの人を殴ってまわったというなら、私はその後始末をする。
「今から言うことはオレの意志だ。誰にも強制されてねェし、ずっと考えていたことが今日になった。来たる未来が早まった、ってだけだ。思っていることそのまま話し、最後に一つだけナマエに質問する。だから、ナマエも本心のまま答えてくれ」
「うん……」
プロシュートの話だしが重た過ぎて胃まで痛くなってきた。
「まずオレは神の存在を信じてねえ。だが、たまに現実では到底あり得ねェことが起きたり、生や死を感じたりする時、その存在を信じてみようと思うことがある。いや、正確に言うと、信じる、っつーよりは、感覚的に特定の物事に対して神を結びつけねェと、不快感が頭のどこかに残るって感じだな。ま、この国に生まれた者のサガってやつだな」
「うん……?ちょっと、難しいかも……」
「要は、場合によって都合よく神を信じるってことだ」
「それならわかる」
わかったけど、プロシュートが神さまの話をするのはなんだか違和感があるし、何か悪いことを連想してしまう。例えば、近親者が亡くなったのかな、って。
「急に何を言ってるのかと思ってるだろーが、これからオレがやろうとしていることにその神が必要になってくるからこの話をしている。神には神秘性と永続性があるからな。永遠を伴う誓いには持ってこいの存在だ」
ハッと息を呑んだ。ギャング映画で何度も見たことのある"血の掟"──互いの親指に切り傷を付けて出血させてそれを重ね合わせ、誓約を交わして正式にファミリーになる為の儀式──が頭を過って、プロシュートと私が重大な誓約を行うのかと思って緊張してきた。
「立てるか?気ィつけろよ」
プロシュートに肩を支えられながら岩場の上に立ち上がった。岩場といえどもその表面は平坦に削られていて不安定さはなく、血の掟の為にしゃんと姿勢を正して立った。
プロシュートがスーツの内側に手を入れ、血の掟の為に何か針やナイフなどを取り出すのかと思って身構えていると、取り出されたのは小さな箱で、プロシュートがその場に跪いて両手でその小さな箱を上下に開いた。
「ナマエ、愛している。今までもこれからも、死がふたりを分かってもだ。今日より最期の日までオレはナマエを守り続けることを神に誓うから、ナマエはオレの傍にい続けることを神に誓ってくれ」
箱の中には宝石の嵌め込まれた銀色の指輪があった。
あまりにも突然過ぎた。今日は色々突然が多かったけど、その中でもこれは本当に不意打ちで、予想もしてなくて凄く驚いた。それから事態を理解して、段々嬉しさと感動が込み上げてきて、感情が昂ってきた。自分でもよくわからないけど、嬉し過ぎて涙が出てきてしまった。
「うん……っ!誓う!神に誓います……っ!私、プロシュートの傍、絶対離れないっ!それに、私もプロシュートのこと愛してるから守る!」
両手の甲で眼元を拭った。何度拭っても、なかなか涙が引っ込まなかった。ただでさえ暗いのに、視界が悪くなってプロシュートの輪郭すらぼやけてよく見えないけど、多分今立ち上がって、呆れ顔してる。
「泣きながら言われちゃあ、説得力ないぜ?」
「守るときは泣かないから!」
「そりゃあ、頼もしいな。ほら、指輪だ。念のために言うが、さっきのはプロポーズでこれは婚約指輪だからな?」
プロシュートに左手を取られ、薬指に指輪を通された。指輪はぴったりだった。
結婚だとか指輪だとか、今は実感がわかなくてよくわからないけど、とにかくプロシュートが神さまにずっと私と一緒にいてくれることを誓ってくれたことの嬉しさで胸がいっぱいになる。神さまは最初の結婚しか認めず、例え離婚しても、神さまにとってふたりは永遠に夫婦であることを知っているからこそ、本当に嬉しくて仕方がない。プロシュートが事前に神さまの存在意義のようなことを語ってくれていたのも効いている。
「そんなに泣くな」
プロシュートは私の頬に手を添え、ハンカチで押さえるように涙を拭ってくれた。
「ありがとっ……」
「こんな時になんだが、良い知らせと、オレにとって最悪な知らせがあるが、どっちから聞きたい?」
「さ、最悪な知らせ……?今、こんなに幸せなのに聞きたくないよ……」
「オメーにとっちゃあ、最悪ではねーが、納得できねえ話かもしれねえ。とりあえず、良い知らせから聞け。今週アメリカへ行く」
「アメリカ?なんで?突然過ぎない?」
びっくりして、涙が引っ込んだ。なんの準備もできてないし、家にあるスーツケースは壊れていて冬用の服を入れて置いたままなのを思い出した。
「この国だと婚姻証明書発行に時間がかかる。式場を押さえるのもな。それならアメリカの方が早ェよ。ついでにハネムーンとして楽しもうぜ?」
「ハネムーン嬉しい!アメリカかあ……」
アメリカといえば、ベガスにロスにニューヨーク。どこが一番楽しいか想像してみた。どこも楽しそう。でも、そもそも婚姻証明書と式場を早く押さえる為だけにわざわざ遠いアメリカに行く必要があるのか疑問に思った。婚姻申請だけして、ハネムーンならイギリスとかドイツ、近場の北イタリアでも十分嬉しいのに。
「でも、なんで急ぐの?」
「……ここからがオレにとって最悪な知らせだからだ。二週間後、元首が新婚をヴァチカンの教会で祝福する。その場に同席する枢機卿を殺す為にオメーとリゾットがふたりで別人を装って新婚のフリをする必要がある。リゾットはタキシード、オメーは純白のウェディングドレスを着て、リゾットが実行する」
「枢機卿を……?しかも私がリーダーと……」
頭の痛くなるような任務だ。そして、今のプロシュートの説明で色々わかってしまった。なんでプロシュートが今日リーダーと長時間話し合ってたのかとか、ずっと帰って来なかったわけとか、このタイミングで結婚を申し込んできたわけとか。
わかったところで嫌な気持ちにはならなかった。プロシュートが事前に「来たる未来が早まっただけ」と言ってくれたし、その為だけにたった一日で結婚を決心してくれたのが、むしろ嬉しかった。
「言っておくが、オレがやると言ったがオレの能力だと老いぼれの元首や他の司祭たちをまとめて殺し兼ねねェから却下された」
「それで、リーダーと私が偽装結婚する前に急いで結婚申し込んでくれたの?」
「言い方が気に入らねェが、実は言うとそうだ。偽装でも先に他の男の花嫁になられるなんてごめんだぜ」
プロシュートは優しく髪を梳いてくれて、額に口付けてくれた。
「そんな理由でも、結婚を決心してくれるのは嬉しい。私がプロシュートのお嫁さん……」
涙が引っ込んだ今は顔のにやけが止まらなくて、プロシュートに抱きつけば、私の背中に腕を回してくれて、いつもより強く抱きしめてくれた。
「もう幸せだし、今もすっごく幸せだけど、幸せにするから幸せにして」
「ああ。必ず幸せにしてやる」
暫くプロシュートの腕の中で甘えた。潮風が吹いてもプロシュートの腕の中だと全然寒くないし、凄く温かくて心地よかった。
*
プロシュートと寄り添って日の出を見届けた後は、プロシュートに手を引かれて港を歩いた。朝日を浴びながらの海沿いの散歩は気持ちが良く、結婚を申し込まれたのも相まって心がぽかぽかと温かく、幸せいっぱいだ。
漁港から離れ、フェリーの出入港となる海岸沿いにある、真っ白い壁の給水施設の横を通り過ぎるとプロシュートが突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「待てよ。もうすぐ教会の鐘の音が聞こえる筈だ……たまに十五分以上遅れやがるが──」
「ぎゃっ!」
突然コンクリートの地面から一メートルくらいの間隔を空けて次々と水が噴き出してきた。
下から噴き上げる水は私の身長以上の高さで、数秒毎間隔を空けて真っ直ぐに噴き出しては全身を濡らしていく。
「なにこれ!」
プロシュートの手を離して顔にかかった水を手で拭うけど、短い間隔ですぐにまた噴水に顔を濡らされる。
「仕掛け噴水だ。こういうの好きだろ?」
朝日に照らされた噴水が宝石のように絶え間なく光り、プロシュートの髪やスーツをびしゃびしゃに濡らしていくけど、プロシュートは崩れて額にかかった前髪を払いのけながら、ニッと唇の端を吊り上げて笑う。
噴水だけでなく、噴水の中にいるプロシュートも髪や瞳を煌めかせ、まるで映画のワンシーンみたいに綺麗で見惚れてしまう。
「好きだけど突然過ぎだし、プロシュートはこういうの嫌いでしょ?服も靴も大事にしてるじゃない!」
「ナマエが楽しければなんでもいい」
「それは嬉しいけど……もう!それならこっち来て!」
プロシュートの手を掴んで、もっと噴水の当たるところに引っ張ろうとすれば、逆に引き寄せられて一瞬にして頭から靴の中までびしょ濡れになってしまった。
「意地悪!」
「濡らそうとしたのはナマエの方だろ?おっと、漸く教会の鐘が鳴ったな」
遠くから鐘の音が鳴り響いてきた。朝を知らせる鐘の音だ。噴水で少し音を遮られているけど、ちゃんと聴こえてくる。
びしょ濡れになって顔に貼りつく髪を払いのけながら、私を柔らかい瞳で見つめるプロシュートを見つめ返すと、突然ある事を思い付いた。
プロシュートから逃げるように仕掛け噴水の合間を縫って走り出した。
「プロシュート、捕まえて!」
「いいぜ。捕まったらナマエの負けな」
「負けないよー!」
仕掛け噴水は数十メートルの距離を真っ直ぐ走れば抜け出せるようだけど、それだとつまらないから噴射口の合間をジグザグに縫って軽やかに走った。プロシュートとこんな遊びをするなんて夢にも思わなくて、楽しくて仕方がなくなり、つい笑みをこぼしながら走った。
暫く走ったところでどこまでプロシュートが付いてきているか後ろを振り返ると、いつかプロシュートがヴァチカンで私を追いかけてきたような気迫ですぐ後ろまで追ってきていることに気付いた。
「本気で走ってるの!?」
「あたりめーだろーが、っと!捕捉したぜッ!」
すぐ後ろから抱き締められて捕まえられてしまった。勿論、捕まえて欲しくて本気では走ってないし、そもそも靴も服も濡れているから早くは走れなかったけど、こんなに早く捕まえられるとは思わなかった。
まだ仕掛け噴水の中にいるというのに、プロシュートはそのままぎゅっと腕に力を込めて後ろから私を抱き締めたまま動かないし、私も動けなくなっていた。
その間も噴水は出続けて、私とプロシュートを濡らして行く。
「ナマエ、今度は逃げられなかったな?」
「私はもうプロシュートから逃げないよ?」
プロシュートもヴァチカンでの本気の追いかけっこのことを思い出して言っているのがわかった。
「オレはそれを信じるぜ」
プロシュートが私の濡れた髪を掻き分けて露出した耳にキスをしてくれた。水に濡れながらのキスはなんだか不思議だけど、ちゃんと体温があって温かい。
「ねえ、風邪引いちゃうから早く出よう?」
「ああ。負けたナマエの罰ゲームは車ん中で考えるか」
「罰ゲームあるの!?」
「当然だろ。わざわざ事前に勝敗の話しただろ?」
「そうだけど……まあ、いっか」
なんだか騙された気分になったけど、どうせ簡単な罰ゲームだと高を括って車に戻った。
後部座席に積んであるバスタオルを取り出して、車に寄りかかりながら真っ先に水に濡れた婚約指輪をきれいに拭いていると、プロシュートに「夜しっかり眠れるように、帰ったら一時間以上の仮眠禁止。これが罰ゲームだな」と言われて認識の甘さを改めた。