anita ep3



任務に敬語が必要になった関係でカフェで働くことになり、あっという間に最終日である5日目を迎えた。
敬語はほぼ問題ないレベルに上達した。ここ3日はアジトに行っていないから、3日間会っていないリーダーとか兄貴は私の上達ぶりを見たらびっくりするはずだ。ちなみに、4日前は兄貴の持つ暗殺案件のお手伝いという名のお勉強をしてからバイトに行った。
カフェはビルの3階と4階に入っている。カフェの中で2階建ての構造になっていて、1階は普通の開けたホールで2階は完全個室だ。その為チャージ料が2階だけ別途多めにかかる。店内は暗めでクラシックな内装になっていて、ラテンジャズの音楽が絶えずかかっている。
制服は、上は白のノースリーブのシャツに黒色のリボン、下は短めのタイトスカートで、黒色の丈の長いエプロンを身につけている。後ろから見ると露出が高いけど、デザインが可愛くてちょっと気に入っている。インカムは片耳マイクの形状で、オーダーは全部インカムの口頭で済んで凄く楽。接客も楽しいし、仲の良いお客さんも出来た。
2階の個室で常連客のダニエレさんにコーヒーとパスタを運んで、ついでに隣に座って少しお話した。
ダニエレさんは20代後半くらいのバターブロンドが特徴の男性で、ボディタッチが激しいけど、チップをたっぷりくれるからいいお客さんだ。暗殺チームの収入はボスからの報酬だけだから、チップは本当に助かる。

「ナマエちゃん、明日も夜シフト?」

「あ、私、今日で終わりなんです。知り合いのお店のお手伝いで来ただけなんですよ」

「残念だ。敬語も上手くなってきたし、せっかく仲良くなったのになぁ。じゃあ、これ電話番号。家電はあるんでしょ?」

手元にあった財布から、名刺のようなものを出して、差し出してきた。

「はい。電話するかわからないですけど、一応貰っておきます」

電話をする気はないけれど、ダニエレさんの気を悪くさせないように受け取って、胸ポケットにしまった。ちょうどその時、隣の個室でチリンと呼び出しの音がなった。

「私、いきますね」

「後でまた呼ぶよ」

ダニエレさんの言葉にへらっと笑って個室を出た。隣の個室の扉を叩いてから開くと、中にはプロシュート兄貴がいた。

「ど、どうして……!」

「最終日だから様子を見に来た」

「えっと……兄貴、来てくださって嬉しいです……ありがとうございます」

お客さんに接客するようににこりと笑って敬語を披露して見せた。兄貴とは3日会っていなかったからか、兄貴は私の成長振りに驚いた様子で、暗めの照明に合わせたように陽の落ちた頃の海のような綺麗な瞳を見開いた。

「ナマエ、こっちに来い」

「失礼します」

兄貴に手招かれて、兄貴の隣に座った。いつもぼすんと座っていたけれど、店長に座り方を学んだ通りにゆっくり座り、エプロンを挟むように脚を組んだ。

「すっかり敬語がうまくなったんじゃあねーか?」

「はい。最初は慣れなかったんですけど、店長のお陰で上手くなりました!」

「……こっちが慣れねえな。オレの前では、いつも通りでいいぜ」

「……本当っスか?兄貴、嬉しいっス!」

オレの前では、なんて特別扱いみたいで嬉しいけど、舎弟みたいな話し方の方がいいだなんて、よっぽど私に敬語が似合わないのかな。

「しかし、オレは店長に1階の接客を任せるように言ったはずだ。何故個室のある2階の接客をやっている?」

「3日前に人手が足りなくて、2階の接客したんス。そしたら、ダニエレさん……常連のお客さんが私のこと気に入ってくれて、チップ払いが良くて、店長が2階に回してくれるようになったんス。あ、ここ、チップの3割は店に入れなきゃ駄目なんス」

「そういうことか……個室で何もされてねーだろうな?」

兄貴の視線が私の腕や太ももに移るので、どきりとした。兄貴に見られてると思うと恥ずかしくて、組んでいた脚を解いて、膝の上に手を置いた。

「ちょっと腕を触られるくらいっスよ。イルーゾォとメローネより千倍マシっス」

「……イルーゾォとメローネのせいで耐性が出来たってわけか。明日のターゲットもそのタイプだ。うまくかわせそうか?」

「はい!兄貴の心配には及ばないっス」

とは言ったものの、明日はひとりで社長に会って、ひとりで社長を誘導しなくちゃあいけないから不安だ。兄貴が離れて見守ってくれるらしいけど、本当に怖い。
チリンと呼び出し音が鳴った。隣のダニエレさんの個室からだ。

「呼ばれたんで行ってくるっス」

「ああ」

兄貴のいる個室を出て、またダニエレさんの個室に入った。

「どうしました?」

「隣から少しだけ声が聞こえたんだけど、知り合い?何話してるかまでは聞こえなかったけど……そういえば、昨日もナマエちゃんにしつこい客いたよね?」

ダニエレさんは眉をひそめて言う。不機嫌なのが伝わってくる。確かに昨日はしつこい客がいた。昨日のことを思い出すと背筋がゾッとする。



***



カフェで働き始めて4日目のこと。ダニエレさんにいつものコーヒーとパスタを出して、隣に座って少しお話しした。暫くすると、チリンと呼び出しベルが鳴った。イヤフォンマイクからは事前に隣に4名の男性客を通したと聞いていたので、面倒くさそうと思いながら隣の個室を開けた。

「失礼します。初めまして、お客様……え?」

個室の中にはふたり掛けのソファがふたつあり、奥側にホルマジオとイルーゾォがいて、入口側にギアッチョとメローネがいる。

「なんで、いるんスか……?」

「ペッシから聞いたんだよ。プロシュートには秘密だがよ」

ホルマジオが説明してくれたけど、答えになってない。とりあえず、ペッシを殴ることは確定したけど。

「何しに来たんスか……?」

「次の任務の為に敬語練習してんだろ?ナマエがちゃんと敬語話せてるから見にきたんだよ。だから、敬語で話せ」

イルーゾォがソファの背もたれの上に腕を置き、偉そうな口調で言う。むかつくけど、練習も兼ねて話すのは悪くない。

「敬語くらい簡単に覚えましたよ」

「へえ。敬語も悪くねーな」

「何ですかその上から目線。それで、何か飲むんですか?チップ出さないと、給仕しませんよ」

「ああ?ナマエの知り合いの店なら、もしろ奢ってくれよォ〜!」

ギアッチョがキレ気味に言う。

「駄目です!そこまで融通きかないですし、店長の好意で働かせてもらってるんです」

「ふむ。ナマエが敬語を使うと、何か変な感じがするな……」

メローネが顎に手を当て、それから私の丸出しの腕をじっと見てきた。

「な、何ですか?」

思わず腕を組むように両手で腕を掴んで、体を引いた。

「おい、メローネ。ナマエを怖がらせるなって」

ホルマジオが注意してくれた。凄く有難いし、頼もしい。兄貴とリーダーの代わりを担えるのはもうホルマジオしかいないと思う。

「おい、ナマエ。おまえの分の飲み物はこのおれが払ってやるから、さっさと選べ」

「ここ、そういうお店じゃないんで結構です」

イルーゾォの上から目線の提案にスッと手を出して断った。

「ああ?店員がそんな格好で、薄暗い内装に個室があるとくりゃあ、そういう店だろ?」

「違います!でも、オーダーは受け付けます。オーダーどうぞ」

「とりあえず、ハウスワイン4本」

ホルマジオが親指から4本の指を立てた。

「4本?酔って、店内で暴れないでくださいよ」

「ああ。それはオレが面倒みてやるよ。で、なんか美味い飯ねぇのか?」

まあ、ホルマジオなら本当に面倒は見てくれそうだけど、ホルマジオとイルーゾォはよく言い合いする仲だからどうだろう。今は仲良く隣に座ってるけど、喧嘩するとしたら、いつもこのふたりだし。

「こっちでおすすめの頼んでおきます。予算いくらですか?」

「50万リラだな」

メローネが即答した。事前に決めていたのかな。

「了解です。結構余裕ありそうですね。余った分はチップとしてもらってもいいですか?」

「だったら、可愛くねだってみろ」

イルーゾォが足を組み、顎を上げて言う。なんでいつも偉そうなのかな。殴られたいのかな。

「もう!チップはいらないからさっさと食べてさっさと帰ってください」

ぴしゃりと言いつけて、個室を出た。それからインカムでワインに合う食事をイルーゾォ達の個室に注文してあげた。
ワインを取りに厨房まで行き、また個室まで戻った。馴染みの店員と協力してワインとグラスを4つずつ個室に届けると、私だけ残れというので仕方なく残った。

「なんですか?」

「ナマエも飲んでいけよ」

イルーゾォは自分のグラスを私に差し出してきた。

「仕事中だから駄目です」

「そう言うな」

イルーゾォはグラスをテーブルに置くと、私を抱きしめてきた。何かと思うと、無理やりイルーゾォの膝の上に座らされた。イルーゾォがデカすぎて私との体格差のせいで、自分が子供に見られるから凄く屈辱的だし、こんなに密着するのは不快で仕方ない。

「だから、そういうお店じゃあないんです!」

逃げようとしても、お腹に腕を回されて逃げられない。

「おい、ナマエが嫌がってんだろ」

ホルマジオが助け舟を出してくれたけど、なんか期待してたのと違う。ホルマジオには殴ってでもイルーゾォを止めて欲しかった。

「ああ?別にいいだろ。こんな格好して誘ってる方が悪いぜ」

イルーゾォはそう言って、私のお腹に回していた手を胸に持ってきて、指を胸に沈めてきた。もう、耐えられない。

「てめぇ、職場だからってこっちが大人しくしてれば、調子乗ってんじゃあねぇ!」

「ふあああ〜」

イルーゾォに思いっきり肘鉄をダブルで喰らわして、怯んだところを抜け出した。いつもならナイフで追っ払っていたけど、ナイフは今ロッカーにあるから仕方ない。

「痛そうだなありゃあ」

「ディ・モールト!イイ!今の肘鉄は素晴らしい。今すぐにでも受胎させて、子供が見たいものだ」

ギアッチョのまともな反応と、メローネの気持ち悪い反応の差にドン引いた。

「……ここにはギアッチョとホルマジオしかまともな人がいないんですね」

メローネが私に興味を持った今、ギアッチョがまとも枠に入ってきている。
チリンと隣の個室からベルが鳴った。ダニエレさんだ。

「常連さんが呼んでるから、行きますね」

「いや、待て。常連がいるのか?」

メローネに引き止められた。

「いますよ。チップ払いが凄くいいんです。じゃあ、行ってきます」

へへっと笑いながら出口の方へ足を伸ばせば、メローネに後ろから抱きつかれてエプロンの上から下腹部辺りを触られた。

「こんのッ変ッッッ態!」

「ぐっ。すごく……ベリッシモ……イイ!」

イルーゾォと同じく両肘をメローネに喰らわして、個室を出て隣のダニエレさんの個室に入った。

「隣うるさかったけど、大丈夫?」

「大丈夫ですよ!せっかくの個室なのに、すみませんね。後で注意しますね」

「いや、いいんだ。そうだ。注文を追加しよう。ドルチェにしようかな。君も一緒に食べない?一口あげるよ」

「仕事中なので、ごめんなさい。気持ちだけ受け取っておきます」

「ああ!僕の気持ちを受け取ってくれるなら大満足さ」

ちょっと面倒くさいなと思いつつドルチェを注文してあげて、部屋を出て扉を閉めると、隣の個室の前にメローネがいた。さっき抱きつかれて変なところを触られたせいで警戒してしまう。

「なんですか?御手洗いならカフェの外ですよ?」

1階の方を指で指さした。

「常々考えていたんだ。おまえを受胎させる方法を。これから言う言葉をよく聞いて考えて欲しい」

メローネは自身の顎に手をやり、神妙な面持ちで話す。

「たとえ世界の半分をやると言われても、受胎は断固拒否します」

「プロシュートのDNAを組み込む」

「その話を詳しく聞かせてもらえますか?」

思わず即答してしまった。だって、兄貴の遺伝子を私の母体に入れるということは、生まれる子供は私と兄貴の子供だ。考えるだけで、嬉しい悲鳴を上げてしまいそうな程素敵な話だ。

「兄貴と私の子……素敵です!」

「厳密には『ベイビィ・フェイス』の子供だが……やはり、やめておく。子供がプロシュートを殺さんとも限らんからな」

「兄貴大好きな私の子供がそんなことするわけないですよ!子供の教育は私がします!」

「そんなに奴との子が欲しければ、オレとセックスして好きな体位を教えろ」

がばっとメローネに突然抱きつかれ、下半身を弄られた。迷わずメローネの頬を殴った。

「好きな体位なんか知らねぇんだよ、変態クソ野郎!さっさと、戻って大人しくしろ!」

個室を指さすと、メローネは大人しく部屋に戻ってくれた。もう。本当にメローネとイルーゾォは問題だ。どうせ来るなら兄貴に来て欲しかった。兄貴でないなら、リーダーでもいい。
チリンとメローネ達の部屋から音が鳴った。今度はなんだろう。
部屋に入ると、空気が重く、皆顔をしかめている。

「隣の男、しつこそうな奴だな。ブロンドだからって調子乗ってるタイプだな」

ホルマジオが頬杖をつきながら片手を気怠げに上げて言う。

「そうだな。ブロンド野郎はやめておけ。それにおれたちと住む世界が違うだろ」

ホルマジオに重ねるようにイルーゾォも言う。

「てかよ、ブロンド野郎がチップ払い良いなら奢ってくれよォォオオ!」

「どう、して……?」

隣のお客さんの情報が漏れている。どうしてかわからない。一体……この人達の能力で考えられるとしたら、隠密向きのホルマジオだけど……不自然な点なんて……。
ハッと気づいた。そういえば、ここを出る時と入る前にメローネに抱きつかれて、下腹部ーーエプロンのポケット部分を触れられた。もしかして……。

「ホルマジオとメローネ、何かしました?」

「さあな」

「さあ」

ふたりして、しらばっくれたけど、絶対ホルマジオが『リトル・フィート』を使って、私のエプロンのポケットに入ったんだ。

「もう、私はここで給仕しないので!担当代えてもらいます!」

「ああ?おれ等がそれを受け付けると思ってんのか?」

またイルーゾォが顎を上げて偉そうに言う。また肘鉄が食らいたいのかな。
私は皆を無視して部屋を出て、担当を代えてもらうように連絡してダニエレさんの給仕に付いていると何度も隣でベルを鳴らされ続けた。



***



とまあ、昨日の客は本当にしつこかった。結局、何回かベルを鳴らされて呼ばれた上に、ダニエレさんを暗殺するとか言い始めたので、私がブチギレてその場にあったワインの瓶をイルーゾォの頭にフルスイングしたら、皆大人しくなったから良かった。でも、本当のことを言うと、"仲間が私を気にかけて来てくれた"という事実だけは嬉しかった。私が暗殺チームに加入した時は皆私に冷たく、名前さえ呼んでくれなかったから。
目の前の不機嫌なダニエレさんは昨日のようなお客さんを想定しているんだろうけど、今日のは願ってもない有料物件で、もはやダニエレさんを放っておいて、個室でイチャイチャしたいくらいだ。

「今日のお客様は気の良い方ですよ。えっと、2回目のお客さんです」

適当に答えた。兄貴との繋がりを疑われるのは今後のことを考えて、念の為に伏せた。

「そう。何か飲む?ここで一緒に飲もう」

ダニエレさんはメニューを見ながら言う。

「ここ、そういうお店では……」

「カフェラテ好きって言ってたよね?じゃあ、俺の分はハウスワインお願い」

「……はい。かしこまりました」

ダニエレさんの有無を言わせない態度に、仕方なく片耳にかけていたイヤフォンマイクで厨房に知らせた。1階の厨房にアイスカフェラテとワイングラスを取りに行き、ダニエレさんの個室に入った。

「持ってきました」

テーブルにアイスカフェラテとワインを置くと、隣に来るように言われて、言われた通りに隣に座った。

「好きに飲んで」

「ありがとうございます」

アイスカフェラテに口をつけた。ダニエレさんはワインを一口飲むと、私の方にグラスを傾けた。

「ワイン、飲む?」

「仕事中なので……それにキティしか飲めないんです」 

キティは兄貴に教えてもらったカクテルだった。ワインが苦手な私でも飲みやすくて美味しいから最近好きになってきた。

「ああ。可愛いね。キティ……ガッティーナ。君にぴったりだ」

ダニエレさんの腕が私の肩に回り、腕に触れる。行動も、兄貴を思い出させる言葉も不快だけど、お客さんだし、チップの為の我慢だ。
ここまではいつも通りだけど、ダニエレさんはいつもと違いお酒を飲んでいる。酒癖悪くないといいんだけど。
チリンとまた兄貴の個室から音が鳴った。

「ダニエレさん、私行かなくちゃあダメなんです」

「いや、行かなくていい」

またチリンとベルが鳴る。兄貴の催促だ。早く行かなくちゃ。

「でも……」

「ほら、チップあげるから待って」

ダニエレさんは財布を手に取る。
今度はベルが続けて2回鳴った。兄貴、絶対苛ついてる。個室ふたつ分は私の持ち場だから、私が行かなくちゃなのに。社員さんに気づかれたら怒られてしまう。
突然、場の空気が変わった。薄い霧が辺りを漂っている。

「まさか……ッ!」

「あれ?……金がうまく、掴めない……」

隣のダニエルさんを見ると、自慢のバターブロンドが白くなり、背骨が曲がったお爺ちゃんになっている。多分ワインのせいで、体温が上がって通常より早く老けている。
急いでアイスカフェラテを手に持ち隣の個室に駆け込むと、兄貴のスタンド、『ザ・グレイトフル・デッド』が現れていた。

「兄貴!何やってるんスか!」

「隣で何をやっていた?長すぎだ」

「ただの接客っス!早くスタンド引っ込めてくださいっス!」

兄貴は舌打ちすると、能力を止めてくれた。
兄貴の隣の席に座り、カフェラテを一口飲んだ。不意打ちで能力を使われたから、なんとなく体を冷やしておきたくなった。

「隣の常連さんの様子見に行くの怖いっス……」

「そういや、もうそろそろ閉店だな。店長には閉店後にもここにいると言っている。オメーもそうしろ」

「どういうことっスか?」

「隣の接客はやめておけ。オメーの言葉から察するに、まともな奴じゃあない。今後面倒なことになるぜ」

「確かに暗殺者にとって、顔覚えられるのは面倒っスよね。でも、名刺まで貰ってしまったっス」

胸ポケットから名刺を取り出してみた。右上に描かれている会社のマーク。そして、左上の会社名を見て、驚いた。

「兄貴、どうしよう……あの人あの会社の秘書っス……」

「なんだと?」

兄貴は私の方に顔を寄せ、名刺を覗き込んだ。

「面倒なことになったな」

名刺は暗殺のターゲットである、金融会社の社長の秘書だ。秘書ということは、明日接触してしまう可能性がある。

「失敗するわけにはいかねえ。オレが対応する。ナマエは何も心配するな。打ち合わせ通りに進めろ。それより、よく名刺を手に入れたな」

「えへへ」

兄貴が頭を撫でてくれて、きゅんとした。
幸せだなあと思っていると、隣からチリンとベルの音がした。
時計を見ると閉店の時間だった。帰るときはいつも私が階下まで送っているからいつものようにしないと。

「行ってくるっス」

「待て。インカムを貸せ」

兄貴は両手で私の頭を掴むようにして、私の片耳に付けていたイヤフォンマイクを手に取った。近づいた拍子に兄貴の香水の良い匂いがふわりと香った上に、顔が一瞬近付いてキスされると期待してしまったが為にドキドキした。
兄貴は片耳にイヤフォンマイクを付けると、器用にも使いこなした。

「店長を出せ……オレだ。オレの隣の個室にいるダニエレはナマエ以外に対応させろ」

兄貴はそれだけ言うと、私にイヤフォンマイクを返してくれた。
兄貴の機転と強引さにときめいて兄貴を見つめていると、兄貴はぼけっとするなと私の額を指で押した。

「明日は気を引き締めて行け。予定の30分前に段取りの最終確認をする」

「はい!」

いよいよ明日だ。兄貴にあんな破廉恥な格好を見られるのは恥ずかしくて堪らず、今から緊張してしまう。

「ちなみに兄貴ってアニータが好みだったりするっス?」

「オレの好みは従順な女だ。くだらねえことを聞くな」

兄貴に怒られてしまった。そのせいで、好みが従順な女というのが本当かどうかわからない。流れからいって、従順になれって言われているような気もする。

「私の好みは兄貴みたいな男っス」

好きと言えない代わりにぼかして言った。明日、暗殺に失敗したらどうなるかわからない。だから今のうちに少しでもアピールしておきたかった。

「オレみたいな……?」

兄貴の片眉がぴくりと跳ねた。どうせくだらねえこと言うなって適当に流されると思っていたから、予想より怖い反応で戸惑ってしまう。

「はいっス。兄貴みたいな渋くて頼りになる男の中の男に抱かれたいっス」

「もっと可愛い言い方できねぇのか?チッ。周りが碌なヤツじゃあねーからな。女はそういうことを口に出すな」

「はいっス……」

兄貴の反応は悪くて、自分の発言を後悔した。抱かれたいって言うのは下品であることを学んだ。普段ホルマジオとかイルーゾォが有名女優を抱きたいとかなんとか言うから、女は抱かれたいと言うのが普通だと思ってた。

「そろそろ、帰るか。送っていく。1階で待っているから着替えてこい」

「ありがとっス!了解っス!」

兄貴が送ってくれると知って、さっきまで落ち込んでいたのに俄然元気になった。
急いでバックヤードのロッカールームで着替えて、社員さんにチップの精算をしてもらってから店長に挨拶しに行くと、店長はしわしわのよぼよぼになっていた。明らかに兄貴に″直触り″された様子だ。

「てんちょう!?」

「あ……ああ……2階に行かへて、悪はっは……俺を、ゆる、ひへふれ……」

店長は歯抜けながらも一生懸命発音して、謝ってくれた。

「プロシュートの兄貴にやられたんですね?私、店長には感謝してるんです!2階のお客さんはセクハラが酷かったけど、会話する機会が多かった分、すぐに敬語が覚えられたんです!それにチップが凄くて、お小銭稼ぎに良かったです!店長、ありがとうございました!プロシュートの兄貴にやめさせるように言ってくるんで、待っててください!」

その場を飛び出し1階のカフェの入口まで走って行くと、入口の前で兄貴が待ってくれていた。

「兄貴ぃ!店長のこと戻してあげてくださいっス!」

「そりゃあ戻すが、ここを出た後だな。オメーを2階にやった店長がわりィーぜ」

「でも、2階に行けたおかげで、事前にダニエレさんのこと知れたんで、よかったじゃあないスか!」

私の反論にプロシュート兄貴は私の顎を摘み上げ、顔を近づけてきた。こんなことされたら黙らない訳にはいかず、顔を熱くさせて口をつぐんだ。

「それとこれとは話が別だ。女なら、自分を安く売るんじゃあねーぞ」

「は、はいっス……」

至近距離で見る兄貴は、ただでさえ見てるだけで倒れてしまいそうな程美しくて素敵なのに、自分を安く売るなという言葉はどう考えても、私を思っての言葉である。兄貴、私のこと女扱いしてくれてるのかな。
パッと顎を離された後も顔が熱く、両手で火照る頬を覆った。

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