dimitri




燭台を手にして廊下を歩くアッシュくんの後ろをゆっくりとついて行った。夜のガルグ =マクは真っ暗であちこちに燭台や篝火が置かれているものの、流石に大広間の2階は全て灯りが消えていた。

「なんで僕がこんなことに……」

「だから、アッシュくんが忘れ物した時は私がついていってあげるから。お願いだから、ここまで来て引き返すなんて言わないで。一人で行くなんて怖くて無理なの」

うっかり書庫に小物入れを忘れてしまった私はアッシュくんに一緒に書庫まで付いてくるように頼んだわけだけど、結局アッシュくんに前を歩いてもらっている。別に幽霊とか信じていないけど、暗い中で一人で歩くなんて怖いから仕方ない。

「よりによってなんで僕なんですか?」

「他に頼める人がいないんだもの。大事な女友達には迷惑をかけたくないし、青獅子の男子だと頼めるのはアッシュくんくらいしかいなくて」

「シルヴァンなら喜んで来てくれると思いますけど」

「シルヴァンくんと暗闇で一緒になりたいなんて女子いないよ」

「それはそうかもしれませんけど……それにしても何か変な感じがします」

「なにが?」

「こんなに暗い中だとなまえさんが見えないんですけど、香りでなまえさんがいるってわかるんです」

凄く変態みたいなことをアッシュくんに言われたけれど、本人がそのつもりがないような能天気そうな語調で言うのであえて言わないことにしよう。

「どんな匂い?」

「花の匂いです。僕この花の匂いが好きで……」

多分、髪と手首につけた花の精油の香りだろうけど、流石に恥ずかしくなった。

「ごめん。やっぱりアッシュくんって変態……」

「ええっ!やっぱりって何ですか?僕のどこが変態なんです……うわぁっ」

「な、なに?」

突然立ち止まって叫び声をあげたアッシュくんに肩がびくっと揺れ、心臓がどくどくと音を立て始めた。

「い、今足音が……!」

「足音なら幽霊じゃないけど。もう驚かせないでよ」

ふうと息を吐いて、安心した。もしかしたら、誰かが見回りをしているだけかもしれない。

「そ、そうですよね。あ、でもセイロス騎士団が見回りしてたら……」

「そしたら、正直に話して書庫に入れてもらうよ」

「そんなに冷静なら、なまえさんも隣に来てくださいよ」

「これでも一応怖いの。言っておくけど、後ろにいるのも怖いんだからね」

暗闇の中だと神経が過敏になり過ぎて、人がいなくても背後から気配を感じてしまう。2階に入ってからずっと、後ろに誰かいる感じが拭えない。

「なら、なおさら隣に来てください」

「わかったよ」

アッシュくんの必死な様子と、私も背後の気配が気になって、アッシュくんの隣に寄った。

「はあ……あの曲がり角から幽霊が出たら……」

「そ、そういうこと言わないで」

幽霊を信じていないといえど、ガルグ =マクには生徒の間で有名な怪談話がいくつかあるから、怖くなってしまう。おまけにアッシュくんの緊張や恐怖が私にまで伝わってくるので参ってしまう。
緊張しながら、廊下の曲がり角を曲がった瞬間、何か灯が見え、同時にドンッと何かにぶつかり、アッシュくんと一緒に倒れ込んでしまった。

「で、でたぁぁぁあああ!」

アッシュくんは後退りしながら立ち上がると燭台を持ったまま、来た道を走り去ってしまった。
私は真っ暗闇の中に取り残され、あまりの恐怖で叫び声も出てこなかった。別に幽霊だとは思わないけれど、真っ暗の中、誰かもわからない相手がすぐそこにいるのだから、怖くて仕方ない。その場で釘付けになったように動けなくて、心臓が口から飛び出そうな程の緊張と恐怖でどっと汗をかいた。立ち上がる力もなく、床に暫く伏せて耳を澄ました。
さっき誰かにぶつかった。でも、相手は声を発さない。ただ、気配を感じる。かすかな息遣い。でも、どこから聞こえてくるのかわからない。それが後ろなのか前なのか。

「なまえか……?」

聞き覚えのある、若い男の人の声。殿下だ。
緊張の糸が解け、呼吸するのを思い出したように息を吐いた。

「殿下?どうしてここにいるんですか?」

「それはこっちの台詞だ。どこにいる?」

「床に伏せてます……でも、今起き上がるので……」

床に手をついて起き上がり、手探りで壁に触れた。これで今いる場所は確認できた。

「俺がぶつかった所為だな。すまない。怪我はないか?」

「はい……今、壁に手をついてます」

「わかった。危ないからそこを動くな」

衣擦れと足音で、殿下が近くにいることがわかった。静かにじっと待っていると、殿下の手が私の肩に触れるのを感じた。こうして殿下に触られるのは初めてで、また心臓が嫌な音を立て始めた。

「なまえ、大丈夫か?」

「大丈夫です……」

「先程走り去ったのは誰だ?」

「アッシュくんです。どうやら殿下を幽霊か何かだと勘違いしたんだと思います」

「なまえを置いて逃げるとな……」

「私も叫んで逃げ出したくなるくらい怖かったですよ。でも、相手が殿下で良かったです。騎士団の人だったら、怒られるところでした。何故、こんなところに?」

「書庫に調べ物があったんだ。なまえはどうしたんだ?」

「私は書庫に小物入れを置いてきてしまって……見ませんでした?」

「悪いが、暗くてわからなかったな。燭台もぶつかった衝撃で落として消えてしまったから今は1階に行くしかない」

「あ、私このまま手探りで書庫に行きます!」

このまま忘れ物を置いて部屋に戻る訳にはいかなかった。明日の為に絶対必要なものがあの小物入れには入っているのだから。

「怪我をしたらどうするんだ。明日の朝では駄目なのか?」

「それは……駄目です」

「小物入れがそんなに大事なものなのか?」

「えーと、化粧品が入っているので……外出るときは化粧をしていたいんです」

「そうなのか?なまえは化粧をしなくても良いと思うが」

殿下の不思議そうな語調に自尊心を擽られ、嬉しくてもどかしい気持ちになった。

「それは勿体ないお言葉ですけど、化粧しないと自信がなくて……」

「なまえは自信を持っていいと思うが……それにしても、こんな時間になって取りに戻る程とはな。化粧をしない状態を見てみたくなる」

「絶対見せれませんよ」

「益々気になってきたな。だが、朝取りに来てから講義の前に化粧をすればいいだろう。とにかく、行くぞ」

暗闇の中、殿下が私の肩から腕へと手を伝うようにして滑らせた。撫でるような感覚に恥ずかしくなり、顔に熱が集中する。多分、顔が真っ赤だろうから暗闇でよかった。

「壁伝いに行くしかない」

「はい!」

殿下に肩を抱かれるようにしているので、体の半分が密着した状態で、元来た道の方へ押されていく。ドキドキしながら壁に手をやり、少しずつ歩いて行った。
廊下の曲がり角まで行くと、そこから階段はすぐだった。

「危ないから、手を繋ぐぞ」

殿下は私の腕から手を離すと、今度は手探りで手を掴まれ、ギュッと握られた。殿下の手は私より温かく、ほっとするような不思議さがあった。なんとなく手の平で、殿下の皮膚が硬い所を感じて、きっとマメができているんだろうと予想できた。殿下は努力家で訓練を欠かさず続けているから、手袋をしていてもマメができているのかな。手を握っただけで殿下に男らしさを感じて、また一段と胸がドキドキしてきた。
壁に手を触れながら、1歩ずつゆっくりと階段を下りて行くと、漸く灯りが見えてきた。
階下まで下りきると、廊下には灯りがいくつも灯されていて、自然と繋いでいた手が離れた。私の手には殿下の手の温かさが名残惜しそうに感覚として残っている。
灯りの下だと、殿下の綺麗な黄金色の髪や明るい青色の瞳がはっきりと見える。明るいところで改めて見ると、殿下はかっこいい。こんな人とずっとくっついて手まで握っていたなんて考えると卒倒しそうになる。

「これで漸くまともに歩けるな」

殿下は苦笑気味に言った。
本音を言えばもっと暗闇で触れ合っていたかった。心臓がもたないくらいドキドキしていたけど、それがずっと続いて欲しかった。
1階の大広間を寮の方への道へ出ると、そこにはベレト先生とアッシュくんがいた。アッシュくんが先生を連れてきてくれたようだ。

「で、殿下!どうしてなまえさんと!まさかあの幽霊の正体って殿下だったんですか!」

ぶつかった相手を幽霊と勘違いするおとぼけアッシュくんに呆れつつ、ベレト先生を呼んできてくれた優しさには感謝した。

「……よくわからないが、そうなのだろう」

「アッシュくん、先生呼んできてくれたんだね。ベレト先生、来てくださってありがとうございます!」

頭を下げれば、ベレト先生は大丈夫かと心配してくださった。次からは自分を頼ってくれとも言ってくださり、確かに最初からベレト先生に頼めばよかったと反省した。でも、アッシュくんと一緒に行ったおかげで殿下とこうして触れ合えたのだから、これはこれで良かったと思う。
殿下と寮へ向かうまでの道で凄く気まずくなった。暗闇の中、くっついたり手を繋いでいた分、明るいところにでた時にどんな顔をしてどんなことを話せばいいのかわからない。
私の寮は2階にあり、殿下よりも大分手前の部屋だ。私の部屋の前まで行くと、殿下は立ち止まってくれた。

「明日は化粧をせずに講義に来たらどうだ?」

「考えときますね」

殿下の言葉は冗談と捉えて、適当に流した。ただ、化粧をしなくてもいいと言ってくれた時のことを思い出して落ち着かなくなり、髪に手をやった。ふわりと微かな花の匂いがした。ふと、アッシュくんに言われたことと、殿下が暗闇の中私に気づいてくださったことを思い出した。

「あの、どうして暗闇の中、私だと気づいたんですか?」

ドキドキしながら聞いてみた。自意識過剰かもしれないけど、もしかしたら、私の匂いを知ってくださっていたのかもしれない。普段から匂いに気をつけているから、殿下が知っていたとなると、嬉しくて堪らない。

「ああ、それは気配でわかった」

「け、気配?」

予想外な回答に硬直して頭が回らなくなった。気配ってなんだろう。

「なんとなく、わかるんだ」

「私の気配ってなんですか?」

「言葉にはしづらいな……敵意のなく、静かで無害……弱々しく、守らなくてはと思わせる。そのような感じだ」

「あ、あの、それはどういう意味で……?」

殿下の言っていることに好意を感じて、期待してしまう。

「ん?そのままの意味だが」

「そうなんですね……」

やっぱりと思い、がっくり肩を落とした。殿下は鈍い人だから、その言葉一つ一つに世の女性達は期待をしてしまうことに気づかない。前に町で殿下に口説かれたと騒いでガルグ=マクまで追ってきた女性までいたのだ。きっとその女性も今みたいなことを殿下に言われて勘違いしてしまったんだろう。殿下も罪な人。

「私、もう寝ますね。今日はありがとうございました」

「ああ」

殿下とこれ以上話しても、期待しては落とされの繰り返しになると思い、扉を閉めた。これからまた、化粧を落とす為に浴場に行かなくちゃいけない。申し訳ないけど、アネットに来てもらおう。
殿下が部屋に戻るタイミングを見計らって部屋をでた。



*



ガルグ=マクに響き渡る鐘の音で目が覚めた。毎朝鳴らされる、ガルグ=マクにいる人達の一日の始まりを知らせる鐘の音だった。

「やっちゃった……」

予定よりも遅く目が覚めて、思わずベッドの上で頭を抱えた。
書庫の小物入れを取りに行く時間があまりない。書庫まで行って、化粧をしてまた講義を受けに行くなんて時間がかかる。課題出撃の時だって完璧に化粧をしている私からしたら素のまま講義に出るなんて無理。
急いで制服に着替えて髪を整え、適度に香料をつけて部屋をでた。すれ違う人達に顔を見られないように俯きがちに走り書庫までつくと、真っ先に昨日座った机のところに駆け寄った。椅子の上に小物入れが置きっ放しになっているのを見つけた。
安心して小物入れをとって顔を上げると、向かいの棚の前に殿下がいて開いた本を持ったままこちらを見ていることに気がついた。

「で、殿下……」

「漸く来たか」

殿下は本を閉じて棚にしまうと真っ直ぐこちらへ寄ってきた。どうして殿下が書庫にいるのがわからなくて、頭がパニックになり、その場で動けなくなった。この場をどう切り抜けるかなんて考える余裕もない。ただ、どうしているのと、そのことばかりが頭の中を駆け巡った。

「やはり、化粧をしないと幼くなるのだな」

殿下は顎に手をやり、首を捻る。
化粧のことを指摘され、はっとして両手で顔を隠した。

「み、見ないでください!」

「何故だ?可愛らしいじゃないか」

「い、いやぁぁぁあああ!」

脱兎の如く書庫から逃げ出し、全力で廊下を駆け抜けた。

「こら!そこの生徒!走るでない!」

横を通り過ぎたセテス殿の怒鳴り声が廊下中に響いたけれど、それどころじゃなかった。殿下に素顔を見られた。もう合わせる顔がないくらい恥ずかしい。今日の講義は休むしかない。
頭の中で、そんな理由で休むなとベレト先生が困った顔をする様子が浮かんだ。ベレト先生、ごめんなさい。ごめんなさい。
ALICE+