lorentz
青海の節の後半となると、日中の日差しが強く、標高の高い山に土地を構えているここ、ガルグ=マク大修道院でさえとても暑く感じる。
ベレト先生の講義を受けながら、教室の後ろの方の席なのをいいことに、制服のミニスカートを小さく振って風を入れた。すーっと風が入っきて、気持ちいい。
「なまえさん、君は女性だろう……!今すぐそれをやめたまえ……!」
右隣の席のローレンツくんに怒られてしまった。講義中であるので、小声であるものの語調には凄みがあった。
「ローレンツくん、気になるの?やらしいよ……」
「なっ!ぼ、僕は別にっ……君が女性であることを忘れているようだから思い出させてあげているだけだ……!」
「そう?私色々気を遣ってるよ。下着だって可愛いのつけてるもん」
「そういう下品なことを言うのはやめたまえ!」
「あ、ベレト先生がこっち見てるよ」
ベレト先生が雨に濡れた子犬のような目でこちらを見るので、黙って前を向いた。ベレト先生のあの目はズルい。あんな目で見られてしまったら言うことを聞かない訳にはいかない。それでも、ローレンツくんを挑発したくて、右手でスカートの裾を摘んで軽く振れば、ローレンツくんに横目で睨まれた。
実はやっている本人が凄く恥ずかしい思いをしていることにローレンツくんは全然気づいてくれない。私は好きでこんなことしてる訳ないのにね。
ローレンツくんは下品な人が人一倍嫌いだ。でも、私はそんなローレンツくんが好き。彼の背の高く細身なところも好きだし、貴族としての責務の為に常に色々な事に気を遣っているところも好き。鼻先まで綺麗に鼻筋の通った高い鼻も素敵だし、口角の上がった形の整った唇はもっと素敵。
そんなローレンツくんに好かれる為には上品に振る舞えばいいのに、構って欲しさ、そして諦めもあってわざとローレンツくんの前では下品に振舞ってしまう。あーあ。ローレンツくんが地方貴族とかだったら、ローレンツくんと結婚出来るチャンスは少しはあったのかな。
紋章持ちの貴族で、しかもクロードくんが現れる前まではレスター諸侯同盟の盟主候補までになったローレンツくんに見合う人なんて、うちのクラスでいうとヒルダちゃんとマリアンヌちゃんくらいしかいない。私なんて見向きもされないし、実際一度も口説かれたことなんてない。何度も声を掛けられている2人が羨ましい。
*
夏が終わると秋が来て、あっという間に冬になった。秋のうちに冬の一大イベントにローレンツくんを誘おうと思っていたけれど、気づけばイベントまであと5日を切ってしまった。
「いよいよ不味い……」
平日の朝、自室の掲示板のカレンダーを見てため息をついた。そろそろ誘わないと、元々高いローレンツくんに断られる可能性がさらに高くなってしまう。
陰鬱な気分でのそのそと身支度を始めた。いつものミニスカートの下にタイツを穿き、靴はショートブーツにした。今日は気合いを入れて、いつもより濃い化粧をして、講義にでた。
その日の講義中にローレンツくんに羊皮紙の切れ端を渡した。その切れ端には、講義の後話したいことがあるから教室に残るように書いておいた。
返事は直ぐに返ってきて、羊皮紙の切れ端には綺麗な字で肯定の意が書いてあって安心した。
今日は一世一代の日だ。
今日は運良く、講義後にベレト先生に質問をする生徒がいなかった。直ぐに教室は空になり、私とローレンツくんだけが残った。
「それでこの僕に話とはなんだい?」
ローレンツくんは一番前の席の椅子に腰かけて、聞いてきた。私はというと、ベレト先生の使う教壇で立ったまま両手を下腹部の前で握り合わせてもじもじしていた。
なんとか緊張を抑えようと、息を吐き、ローレンツくんに顔を向けた。
「あの、来週に舞踏会あるよね?もう一緒に踊る相手決まってる?」
「いや、まだ決まってはいないが、誘う相手は何人か候補がいる」
「そう……」
その中に、確実に私はいないだろう。ショックだけど、ローレンツくんの回答はある程度予想通りだった。
「ローレンツくんがよければ、1回だけでも私と踊って欲しいの」
「それは……君はこの僕と踊りたいと言っているのか?」
ローレンツくんは目を大きく見開き驚いた様子だ。ローレンツくんの気持ちはわかる。ローレンツくんからすれば、下品が服を着て歩いているような私なんかが誘う資格もないと思っているのかもしれない。
「言葉のままだよ。私、ローレンツくんと踊りたいの」
「いや、まさか。このグロスタール家の嫡子の僕が君と……?下品が服を着て歩いているような君と?」
ローレンツくんは動揺しているのかばっと勢いよく椅子から立ち上がり、なよなよもじもじする私を見下ろした。
「下品で悪かったね。でも、最近はちゃんとしてたでしょ?」
ローレンツくんに対して、まだ諦めの気持ちを捨てきれなかった私はここ最近はわざと下品な行動をとるのはやめ、上品に振る舞うようにしていた。元々下品なことは恥ずかしくて苦手だったから、今思うと最初からそうすれば良かったと思って後悔している。
「確かに言われてみればそうだな」
ローレンツは顎に手を当て、思い出す素振りをした。
「ここ数節、君は大人しかったな。いや、でも何故君が僕と踊りたいのか僕にはまるで訳がわからないぞ。何か狙いがあるのか?」
「狙いというか、ローレンツくんと踊りたいだけだよ。だって、ローレンツくんって……その、かっこいいし、リードしてくれそうだし」
「僕がかっこよくて、リード出来るのは正しくその通りだが、まさか君の口からそんな言葉が聞けるとはな」
「事実を言ったまでだよ。それで、返事は……?」
ローレンツくんは唇をキュッと結び、暫く黙って私を見つめてきた。
ローレンツくんの顔は初めて見た時からかっこいいと思っていたし、そんな無言で見つめられるのは恥ずかしくて堪らない。可愛い表情を作って見つめ返したいけど、生憎そんな余裕はなくて、緊張で乾いた下唇を噛むしかなかった。
「……君が下品な行動を改めるのであれば、その誘い、受けようじゃないか」
まさか、ローレンツくんが承諾してくれるなんて思っていなかったから理解するまでに時間がかかった。それから間をおいて飛び上がるほどの幸福を感じて小躍りして喜んだ。
「ほ、本当?嬉しい!ありがとう!」
「いや、下品な行動を改めるのであればと言っているのだぞ」
「ここ数節、私は改めてるよ!だから、ダンスのお相手決定だね!ローレンツくん、楽しみにしてるね!」
「なまえさん!落ち着きたまえ!」
ローレンツくんに撤回される前にと、ローレンツくんの横を走って通り過ぎ、教室を飛び出した。仲のいいヒルダちゃんに報告しようと焦っていたのだけれど、今の走りが下品な行動であったことを思い出して、走るのをやめた。
*
ローレンツくんを誘った日から、ローレンツくんが私に対する態度が変わった。前より優しくなり、私に視線を向けることが多くなった。ふと、視線を感じて見ると目が合うから間違いないと思う。恐らく、私の行動が不可解で気になるのかな。
舞踏会当日、ヒルダちゃんの勧めで制服をロングスカートに変え、髪はマリアンヌちゃんのような編み込みカチューシャをして、アップにした。耳にはヒルダちゃんが作ってくれた小振りの耳飾りを付けた。化粧はあくまで自然になるようにして、濃くならないように頬紅は控えた。睫毛だけは上に向くように頑張って工夫した。
いよいよだ。緊張しながら、部屋を出ると、向かいの木陰のベンチにローレンツくんが座っていた。
「あれ?なんでいるの……?」
「もうすぐ舞踏会が始まるというのにまだ来ていないから迎えにきたのさ」
「もうそんな刻限?ごめんなさい。でも、ダンスの相手、他にいないの……?」
「君に誘われてから、誰も誘っていないさ。おや、今日はロングスカートなのか」
「ローレンツくんが好きそうだと思って。あの、なんで他の子誘わなかったの?」
「何人もエスコートするのは僕の価値観に反するのでな。今夜は君だけを最後まで完璧にエスコートしてみせる」
もしかしたら、他に誘った子がいて断られただけかもしれないけれど、お姫様にいうような台詞を言われて嬉しくて堪らない。
「今夜は私が部屋に帰るまで、エスコートしてくれるの……?」
「喜んで」
フッとローレンツくんは口元に笑みを浮かべた。元々鼻筋の通った端正な顔立ちなだけに、かっこいいなぁと自分の顔がぽーっと熱くなるのを感じて目を逸らした。
*
舞踏会が始まった。最初は級長クラスが会場の中央で踊っていて、それから何組かがダンスに加わった。
私は両手で果実のジュースのグラスを持ったまま、皆が踊っている様子を見ていた。
「僕たちもそろそろ行こうか」
「う、うん」
丸テーブルにグラスを置き、ドキドキしながらローレンツくんを見上げると、ローレンツくんはまたあの笑みを浮かべていた。
ローレンツくんは腰を低くした状態で片手を後ろに持っていき、もう一方の手を私に差し出した。男性が女性を誘う時のポーズだ。
「僕と踊っていただけますか?」
「喜んで」
ローレンツくんの手を取ると、腰を抱かれ会場の中央へと連れていかれた。
吐きそうな程緊張する。ダンスはヒルダちゃんの猛特訓のお陰で習得したけれど、背の高いローレンツくんに合わせられるかはわからない。
片手を取り合い、ローレンツくんの腕にそっと手を添えてポーズを取った。初めてローレンツくんに触れてドキドキがとまらない。
曲に合わせてステップを踏み始めたけれど、緊張で上手く出来ずにローレンツくんの足を踏んでしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。僕のリードに任せるといい」
ローレンツくんが怒らずに優しく言ってくれて、驚いた。いつもの彼なら怒って呆れると思ったのに。
安心してローレンツくんのリードに任せて、ステップを踏んだ。ローレンツくんは完璧だった。彼に合わせていれば、足を踏むことも、他のペアとぶつかることもなかった。1曲丸々踊りきる頃にはなんとかステップが踏めるようになった。
「慣れてきたなら、僕の顔を見て欲しいものだがね」
「あっ」
ダンスに集中し過ぎて、ローレンツくんの顔を見る余裕が無かった。ローレンツくんを見上げると、優しげな表情を浮かべていて、どきりとした。近くで見ても鼻が高く、顔が整っている。
視界にはもうローレンツくんしか映らなくなった。音楽も耳に入ってこない。ただただ、ローレンツくんの顔に見惚れるばかり。
「なまえさん、眉目秀麗な僕の顔に見惚れるのもわかるが、今度はステップが疎かになっているぞ」
「あ、ごめんなさい」
ローレンツくんの指摘で、意識をダンスに戻した。乱れていたステップをローレンツくんに合わせて修正した。
「両極端だな。君は」
「不器用で悪かったね」
「いや、そこが君の可愛らしいところだよ」
可愛らしいなんて素敵な言葉を言われて、なんて反応したらいいかわからずに聞こえないふりをした。でも、恥ずかしくて咄嗟に視線を床に逸らしたから、聞こえていたのがバレてると思う。
可愛らしいか。ローレンツくんは本当にそう思ってくれてるのかな。だとしたら、凄く嬉しい。
*
「送ってくれてありがとう」
1階の寮の前までついてきてくれたローレンツくんに感謝した。
舞踏会では素敵で夢のような一時を過ごせた。勇気を出して誘ってよかった。本当に。
「ローレンツくん、私のこと嫌いじゃない?」
嫌々誘いを受けていないか不安だった時もあって、こうして舞踏会に付き合ってくれた今でも気になって聞いてみた。
「嫌いなら誘いは受けないさ」
「でも、夏の私って下品の極みだったでしょ?」
「今思えば……入学当初、君は控え目で上品だったな。それに最近は大人しかった」
「私ね、ローレンツくんに構って欲しくて、下品なことしてたの。だけど、途中でやめたのはローレンツくんと舞踏会に出たかったからなの」
「……下品なことをせずとも、僕は構ったさ。いつもどこかですれ違えば、挨拶してるだろう」
「でも、お茶に一度も誘われたことなかった……私が平民だから……」
「そ、それはだな……いや、認めよう……確かに僕は貴族以外には声を掛けていない。それは偏にグロスタール家の発展、ひいてはフォドラの未来の為だ。貴族と平民では、どこぞの物語のようにはうまくはいかない。それに何より平民の方が不幸になってしまうだろうからな。それは平民を守るのが貴族の務めであるという僕の思想に反する……だが、こうなった今、僕は君と一緒にゆっくりお茶を飲みながら過ごしたいと思っている」
「それって……」
「僕は君に興味が湧いた。お茶会でもして、君のことをもっと知りたいと思う」
「本当?嬉しい……」
熱を持つ頬を両手で押さえた。ローレンツくんとの未来なんて無いと思っていたから、可能性が少しでもあることを示唆してくれて嬉しくて堪らないし、今にも泣きそう。
「明日の昼にでもどうかな?」
「うん。私はいつでもいいよ」
「ならば、明日にするか。丁度グロスタール家御用達の茶菓子を取り寄せていたからそれを出そう。君が気にいるといいんだが」
「ローレンツくんとこのお茶菓子美味しいって評判だよ。私、食べてみたかったの」
「まさか、僕に近づいたのは茶菓子目当てではあるまいな」
「まさか、ローレンツくん目当てだよ!」
言ってしまった後にはっと気づいた。ローレンツくんの冗談を真に受けて、本心を返してしまった。
既に私がローレンツくんに好意を寄せているのはローレンツくんに伝わっていると思うけど、こう言葉にはっきりだすと恥ずかしいものがある。
ローレンツくんもローレンツくんで真顔になるから、私はあわあわして、
「じゃあ、ありがとね!」
とだけ言って逃げるように部屋に飛び込んで扉を閉めた。
言い逃げ感が凄いけど、明日ローレンツくんが何事もなく接してくれると助かる。じゃなかったら愧死しそう。
夜寝る前にベッドの上に膝をつくようにして座り、ローレンツくんがさっきの言葉を忘れてくれるように女神様に必死でお祈りをした。
「ローレンツくん目当てだよのくだりの記憶が無くなりますように」
この必死なお祈りは結局女神様に届かなかったようで、ローレンツくんに会った時に早速、別れ際の言葉が忘れられない等と言われてまた逃げだす羽目になってしまった。
→after five years