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「なまえちゃんに話したいことがあるんだけどー」
講義が始まる少し前、お友達のヒルダちゃんが私の隣の席で神妙な面持ちで話し始めた。
「なに?なんかあったの?」
「それが昨日ベレト先生にーー」
ヒルダちゃんの言葉の続きは、教室中から上がった黄色い声でかき消された。何事かと声のする方を探せば、ディミトリくんが教室の端で女生徒に声を掛けていた。
「なにあれ?あのディミトリくんがナンパー?」
隣の席に座るヒルダちゃんがえー、と引き気味に言う。私はまさか、とまた期待してしまう。
一昨日から私はディミトリくんを諦めようと彼を避けて行動した。食堂に彼がいればすぐに出たし、騎士の間には近づかなかった。
でも、こうしてディミトリくんの誰かを探すような素振りに、もしかして、一昨日のように肩を怪我した女の子を探しているのではないかと期待してしまう。
「しかも、リシテアちゃんとか派手な髪色の子は避けてるのねー。王国の王子様は素朴好きなのかしらー」
「どうかな……」
ヒルダちゃんの言う通り、ディミトリくんはリシテアちゃんやマリアンヌちゃんには目もくれず、髪色の大人しい子ばかりに話しかけていた。
ドキドキしながら、私に話しかけられたらどうしようか考えた。知らない振りをする?それとも……。
「あ、話の続きは?」
ヒルダちゃんにディミトリくんのことを勘づかれるのも恥ずかしいから、何ともない振りをした。
「あーそれでねー」
ヒルダちゃんが話し始めたけれど、話の内容は全く頭に入ってこなかった。ディミトリくんのことばかりに気を取られて、相槌も疎に反応していた。
「君の名前は?」
暫くして、後ろの席でディミトリくんの声が聞こえた。後ろの席は私の従姉妹のイーリカちゃんだ。彼女の家は私の家の分家であり、その微妙な距離感が気まずかったりする。一応たまに会話する仲だけど、どこか私を監視しているようなそんな風に感じる時がある。現に自由席なのにいつも私の後ろの席に座っている気がする。
ヒルダちゃんの話を聞きながら、ディミトリくんとイーリカちゃんの会話に耳を澄ました。
「イーリカです」
「聞き覚えは無いな……出身は?小貴族か?」
ディミトリくんの私の特徴を確認するかのような質問に、胸がいっぱいになる。これはもう私のことを探しているとしか考えられない。あれが夢でなかったと、ディミトリくんと話してお互い認識したい。
「はい。それ程立派な家系ではありません」
「領地はどの辺りだ?」
「グロスタールとリーガン領に近い領地ですよ」
「……もしや、数日前、肩の怪我をしなかったか?」
「……ええ。ちょっと怪我を……」
聞こえない振りをして耐えていたけれど、ぴくりと肩が跳ね上がってしまった。
イーリカちゃん、怪我なんかしてるの、と醜い疑いの感情が湧き起こってしまう。
ディミトリくんが私の名前を覚えていない時点で雲行きが怪しかった。彼なら気付いてくれると期待していたけれど、イーリカちゃんは私の従姉妹で顔立ちがほんのちょっとだけ似ているし、領地が繋がっているから、彼が彼女を私だと認識してもおかしくはない。
「イーリカか……俺と白い部屋で会ったことを覚えているか……?」
「白い部屋……えっと、わかりません」
彼女の返答に安心した。早くディミトリくんに私がその部屋で会った女の子だと気がついて欲しい。今になって、こんなにもディミトリくんに認識して欲しいと思うなんて自分でも驚いている。追い詰められて出てきた自分自身の本性に、漸く自分の気持ちがわかった。私はディミトリくんのことをまだ諦められていないんだ。
「そうか……もしかしたら、放課後声を掛けるかもしれない。その時はよろしく頼む」
もしかしたらということは、ディミトリくんはイーリカちゃんに確信を持たなかったみたいだ。ドキドキしながらディミトリくんに話しかけられるのを待っていると、クロードくんが私の目の前を横切って私の少し後ろで立ち止まった。
自然とヒルダちゃんも何事かと話すのをやめて、クロードくんの方を振り返った。
「やあやあ、ディミトリ君!朝から金鹿の女子をナンパとは流石色男!それで成果の程は?」
「揶揄うのはよしてくれ。俺はただ……探しているだけだ」
「探しているとは美人の子か?それなら……」
「わかった。もう出て行く。そろそろ講義も始まる頃だからな」
ちらりとディミトリくんを振り返って見ると、彼は私に気づくこともなく青と金地のマントを翻して行ってしまった。
「なんだったのかしらねー?」
ヒルダちゃんが首を捻る。
「さあ……」
皆はディミトリくんの行動の意味がわからないと思うけど、私にはわかる。だからこそ、今なら自分から彼を追いかけることができるというのに、立ち上がることもできない。いざ、対面して私のことを思い出してくれなかったらと思うと、勇気が出なかった。
「あ、それでさっきの続きだけど、あたしはベレト先生の学級の方が斧術を学べそうだから移ろうと思ってるんだけど……」
「えっ?」
ヒルダちゃんのカミングアウトにびっくりして、言葉を失った。ヒルダちゃんが学級移動だなんて……。
「ちょっとちょっとー!あたしの話聞いてたー?」
「ご、ごめんね。正直、話半分に聞いてた……」
「もー。要は、昨日ベレト先生から青獅子の学級にスウカウトされたから、来週には学級移動するかもって話よ。マヌエラ先生のいるこの学級は楽しいけど、資格試験で苦労しそうだし……だからさー、なまえちゃんもよかったら、一緒にいかない?竜騎士目指してるんだよね?」
「うーん……」
確かに斧術専攻で飛竜好きなことから竜騎士を目指しているけれど、私はこの学級が好きだし、金鹿の学級の生徒の9割以上が同盟領出身だ。マヌエラ先生の指導では、セテス様の講習を毎週受けているベレト先生程斧術と飛行術が学べないのはわかっているけど、それでもある程度のレベルまでは習得できる。
「級長がクロードくんじゃなくなるのは寂しくなるけど、ディミトリくんも良い人そうだしーって思ってた矢先に、さっきナンパして回ってたからちょっと考えものよねー」
「うん……」
適当に相槌を打った。
私が青獅子の学級に移ったら、彼がどう思うか考えた。私のことに気づいてくれるかな。
ヒルダちゃんと離れるのは寂しいし、自分の将来の為にベレト先生の学級に行くことは堅実だ。そもそも、目標設定の時点でマヌエラ先生にはベレト先生の学級に行ってもいいと言ってくれていた上、ベレト先生からはお茶会に積極的に誘われている。今、先生からスカウトされたら、簡単になびいてしまうと思う。でも、青獅子の学級に行って、あの人に気づいてもらえなかった時のことが怖くて迷ってしまう。
「私はもうちょっと考えてみる。誘ってくれてありがとね」
ヒルダちゃんにお礼を言ったところで、始業の鐘が鳴り、ベレト先生が教室に入ってきた。
*
放課後、教室を出ると向かいの植え込みの奥でディミトリくんとイーリカちゃんが向かい合って話しているのが見えた。
また胸がきゅうっと締め付けられたように痛くなって、2人を見ないようにして誰もいない温室に駆け込んだ。
金鹿の花壇の前にしゃがみ込んで、膝を抱えた腕に顔を伏せた。
「なまえ」
低く落ち着いた声が後ろから聞こえた。ドゥドゥーくんだ。
「なに?」
顔を伏せたまま返した。
「腹が痛いのか?」
「違うよ」
「体調が悪いのか?」
「体調……そうかもね」
「それなら医務室に行くといい」
「ううん。これは医務室に行っても治らないの」
「どうしたら治る?」
「わかんない」
顔を伏せたまま首を振った。ただ、ドゥドゥーくんと話していると、気が逸れて、胸の痛みがほんの少し楽になってきた。
顔を上げると、ドゥドゥーくんは青獅子の学級の花壇の前に行き花の様子を見ている。
「ねえ、この時間も当番なの?」
「違う。蕾が開きそうだったから見にきた。思った通り、咲いている」
ドゥドゥーくんの視線の先を見ると、ラベンダーがこの前と同じ状態で咲いている様子が見えた。
「それ、元から咲いてなかった?」
「いや、花穂がついていただけで、開花はしていなかった」
言われて見れば、そうかもしれない。
ドゥドゥーくんは園芸棚から、ハサミを取り出すとラベンダーを根元のあたりから切り始めた。
「もう切っちゃうの?」
「剪定を兼ねている」
その剪定を何と兼ねているのかよくわからなかったけど、ドゥドゥーくんがハサミを園芸棚にしまい、そこから紙と紐を取り出すのを眺めていた。ドゥドゥーくんは器用にもラベンダーの茎の先を包むように紙と紐でまとめると、それを私に差し出した。
「受けとれ」
「え?いいの?」
「ああ。ラベンダーの香りは沈静効果がある。今のおまえに必要だ」
「ありがとう」
ドゥドゥーくんが私の為に花を摘んでくれたのが嬉しかった。早速、花に顔を近づけると、清涼感のあるハーブのような匂いが香る。不思議と気持ちが落ち着く。
さっきのことは一度忘れて、私はこれからどうするべきかちゃんと考えてみようと思う。恋なんか関係なく、自分の将来の為の選択を。
「ドゥドゥーくん、私、もしかしたら青獅子の学級に移動するかもしれないの」
「そうか。おれは歓迎する」
ドゥドゥーくんは相変わらず薄い反応で淡々と言う。けど、その言葉選びにはどこか優しさを感じた。
ラベンダーの花を抱えて温室を出て、その足でベレト先生を探しに行った。先生に相談して、将来の為の選択をしたいと思う。