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週明け、いつもより早めに部屋を出た。震える手で斜めがけの鞄の紐を握り締めながら、初めて青獅子の教室に足を踏み入れると、教室には既にディミトリくんがいて、私に気づくと目を大きく見開いた。
私は気づかない振りをして、高鳴る気持ちを抑えながら彼の襟元を見つめた。目を合わせられる程の余裕はなかった。
「ディミトリくん、初めまして。なまえです。今日からよろしくお願いします」
「……ああ。よろしく頼む。敬語はいらないから気軽に接してくれ」
「うん……」
あの出来事が夢の中か現実か未だにわからないけれど、一度通常語で話した覚えがあって、違和感が凄い。
「もう一人金鹿の学級から来ると聞いたが」
「ヒルダちゃんはいつもギリギリに来るからまだだと思う」
ヒルダちゃんも今日から青獅子の学級に移動予定だった。
私がヒルダちゃんに学級移動が決まったことを伝えたら喜んでくれて、お互いに資格試験に向けて頑張ろうと約束した。先週ベレト先生に学級移動を迷ってることを伝えた時は「後悔しない選択を」と言われて尻込んだけど、ヒルダちゃんがいるなら私もここで頑張れると思う。
「そうか。学級移動したとしても、教師と生徒が違うくらいだ。やることは金鹿の学級とは変わらない。平日は基礎講習と訓練。週末は目標設定に基づいた講習を受けるだけだ。座席は自由で、インクも予備の羽ペンも机に置いてあるから好きに使っていい。質問はあるか?」
「特にない、かな」
「それなら俺が聞こう」
ディミトリくんは一歩私に近づき、私の顔を覗きこむように視線を投げかけてくる。予感はしていた。けど、まだ準備ができていなかった。
「最近、肩を怪我しなかったか……?」
「えっと……」
なんて答えたらいいかわからなかった。
ディミトリくんは確信を持って私に聞いているようには聞こえなかった。怪我をしたと言えば、ディミトリくんは私をあの時の子だと認識してくれるのだろうか。
「ディミトリ様!」
後ろから聞こえた声に反応して振り向けば、イーリカちゃんが笑顔で教室に入ってきてどきりとした。なんで、と不安になった。まさか、イーリカちゃんも学級移動したとか……?
「イーリカか。どうした?」
「昨日のお礼を申し上げに参りました。殿下と街へ行けるなんてとても光栄なことでした」
イーリカちゃんはスカートの裾を摘み、足を後ろに下げて頭を下げた。
「ああ」
ディミトリくんは短く答えた。休日に2人で出かけていたことがわかって悲しくなった。胸の辺りに不快感が募る。
「なまえちゃん、昨日は送迎会出れなくてごめんね」
イーリカちゃんは私の方にくるりと向くと、申し訳なさそうに謝った。
昨日は私とヒルダちゃんの送迎会をクロードくんが開いてくれた。金鹿の多くの生徒が集まってくれたけど、その中にイーリカちゃんがいなかったのは、ディミトリくんといたからなんだと納得がいく。
「別にいいよ。こうして、簡単に会えるからね」
「竜騎士になりたいんだよね?昔からの夢だもんね。頑張ってね」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、私はこれで……ディミトリ様、また後ほど会いましょう」
「あ、いや……そうだな」
ディミトリくんは歯切れ悪く返す。イーリカちゃんは笑顔を崩さず私を一瞥すると、踵を返して教室から出て行った。
本家と分家。イーリカちゃんのお父様が本家と折り合いが悪いので、気まずい関係に更に拍車がかかっている気がした。
イーリカちゃんは間違いなくディミトリくんのことが好きで、私が青獅子の学級に移動したことを快く思っていないかもしれない。
「イーリカと君の関係は?」
「従姉妹同士だよ」
「ああ、そうか……だからか」
ディミトリくんは顔を歪め、額に手を当て俯いた。
「従姉妹の割には似てる、とか?」
「そうだ。おかしいとは思った……イーリカと会話が全く噛み合わず、カノジョが本当にイーリカなのか自信が無くなった。だが、君だったのだな。顔を見て名前を聞いてすぐにわかった。気づかなかったことを許して欲しい」
ディミトリくんは顔を上げ、私を見つめる。ディミトリくんの言いたいことはわかる。けど、私が肯定してしまったら、その後はどうなるのかな。ディミトリくんとイーリカちゃんの関係。ディミトリくんと私の関係。そして、私とイーリカちゃんの複雑な関係。
「白い部屋に覚えはあるか?」
「……ううん」
首を横に振って知らない振りをした。これが今の最善の選択だと思う。イーリカちゃんのあの顔を見たら、私は裏切ることなんて出来ないよ。だって、少しでも私がディミトリくんと仲良くなれば、イーリカちゃんはきっと悲しむ。また分家と仲悪くなるなんて嫌。
「覚えていないのか……?」
「本当に何の話をしてるのかわからないよ」
「そう、か……変なことを言ってすまなかった。君のことをもっと知りたい。確か……」
ディミトリくんが何か言おうとしたところで、教室にぞろぞろと人が入ってきた。
「あれ?見覚えのない子がいるなー」
横から明るい赤茶色の髪の背の高い男の人が顔を出して、飛び上がってしまった。初対面なのに距離が近くて、びっくりした。
「シルヴァン!また見境なく女性を口説くな」
「いや、まだ口説いてませんって。俺、シルヴァン。よろしくな」
シルヴァンくんはにっと笑って、手を差し出した。
なんとなく名前に聞き覚えがあった。確かシルヴァンって人は女性がいないと死んでしまう病にかかっていて、子供からお婆ちゃんまで見境なく口説き、果ては雌牛や雌鳥にまで手を出す変態と噂を聞いていた。
怖いけど、ここで拒否するのも失礼なので手を差し出して握手した。
「私はなまえ。よろしくね」
「おおっと。初対面から気軽に話してくれる女性は貴重だ。あ、でもこの子殿下の女の子だったり?」
「シルヴァン!」
ディミトリくんが怒鳴ると、シルヴァンくんは笑って手をひらひらさせると前の方へ行ってしまった。
教室の前の方を見ると、ドゥドゥーくんがいることに気づいた。私が手を振ると、会釈してくれた。
「えっと、自由席だから後ろの方でヒルダちゃん待ってるね。ヒルダちゃんにも同じ説明するから大丈夫だよ」
「あ、ああ……」
一番後ろの席につき、ちらりとディミトリくんの方を見ると、他の生徒達と話している。流石は級長といったところで、皆から頼りにされてるんだと思う。
ディミトリくんはやっぱり、皆のディミトリくんなのではと思ってしまう。私なんかが好きになっていい相手じゃない。ディミトリくんが私を探してる理由だって、肩の怪我を詫びる為でしょう。イーリカちゃんとお出かけしたのもそうなんでしょう。
私は私。さっさとドラゴンマスターの試験に受かってこの学校を卒業出来ればそれでいい。そしたらもう他国の次期国王と関わることはなくなる。そもそも時期国王自体に会えることなんて普通はないことなのだ。貴重な体験を出来たと思えばいい。
卒業証書と試験合格証書の為に講習を受けて、他国の次期国王という物珍しいものを見て、その人に片想いをして、この学校生活は幕を閉じる。それでいいんじゃないかな。
「なまえちゃーん」
「あ、ヒルダちゃん」
ヒルダちゃんが教室に入ってくると、男子達が色めき立った。王国男子のイメージは騎士道精神! という感じでヒルダちゃんよりマリアンヌちゃんみたいな儚い子がタイプかと思いきや、案外可愛子は可愛い子で興味があるらしい。
ヒルダちゃんは周りの男子に目もくれず、私の隣に荷物を置くと、ディミトリくんに挨拶だけしてくると言って、本当に挨拶だけして帰ってきて隣に着席した。
「ディミトリくんって近くで見てもかっこいいのねー」
ヒルダちゃんの言葉に動揺して、固まった。なんて返せばいいのかな。肯定したら、好きだと思われちゃう。でも、ディミトリくんがどの距離で見てもかっこいいのは事実だ。
「ど、どうかな」
「先週末に思ったけど、なまえちゃんってわかりやすいのね……安心して。あたしは応援するから」
「なんのこと?応援なんか……」
「なまえちゃん、これはチャンスなのよ。相手の身分がなんであろうとここで出会えたのが奇跡だと思って積極的にいかなくちゃ!」
ヒルダちゃんの熱弁に否定する気もなくなってしまった。
「もう片想いを満喫するからいいの。私、この学校さっさと卒業したい……」
「えー。まだ年末のダンスパーティーがあるのよー?楽しみじゃない?」
「ヒルダちゃん、ダンスパーティーって表現はどうなのかな……大修道院落成記念祭の前夜祭のことでしょ?私は興味無いかな」
そういう男の子絡みのイベントのことなんか考えたくない。どうせディミトリくんは女子の争奪戦に巻き込まれるだろうから。
「なまえちゃん、勿体無いよー。でも、まだ先のことよねー。どうなるかわからないわね」
そう。ヒルダちゃんのいう通りまだ先のこと。そしてあっという間に過去のものになる。今ぐずぐず考えても無駄。だから、ディミトリくんのことは忘れて今は講習のことだけ考えよう。