bramimond
特務機関の書庫番見習いとして働き始めて約半年。色んな英雄さん達がここを利用するのを見守ってきたけれど、日を追うごとに英雄さんが新たに異界から召喚されるので私の仕事もそれに比例して増えてきた。
単純に貸し出し処理と返却処理の仕事量は利用者の増加に伴って増えるのは当然だけれど、問題は難しい注文をしてくる方が増えたことだ。例えば、学者の息子さんが鍛錬用に書庫の中で一番分厚い本をお求めになったり、都会出身の領主様が教養の為に帝王学から経営論、その他諸々領地運営に必要そうな書物を用意してくれと、学の足らない私にお願いしてきたり、戦術書ばかり読んでいた軍師の方が最近物語にハマってきたから何かお勧めはないか、と定期的に聞いてきたりと、仕事の負担になっている。
こうなると、どの従業員にも声を掛けることなく自分で目的の本を探し、その本を借りていくことなく、書庫で静かに読んで帰る人が好ましく映ってくる。
これは書庫番見習いとして最低な思考なのはわかってる。でも、毎日毎日朝から晩まで書庫で働いてると疲れちゃって好きで選んだ仕事でも嫌になっちゃうのだ。そりゃあ、英雄さん達皆のことは大好きだけど、こんなに仕事量が多くて大変なものだから、それとこれとは別、と言わざるを得ない。
それで最近仕事で心が荒んだり肉体が疲れてボロボロの中、癒しになる方を見つけた。ブラミモンドさんという、エリウッドさんやリンさんがご出身のエレブ大陸では生ける伝説の魔道士さんだ。
最近その方がここによく訪れるようになった。ブラミモンドさんは書庫の中でも人通りが少なく窓のない一角で朝から晩まで静かに他の大陸の伝記を好んで読んでいる。なんで読んでいる本まで知ってるかというと、たまに本の整理をする振りをしてブラミモンドさんのことを観察していたからだ。
ブラミモンドさんはゆったりとした踝丈の、褐色みを帯びた紫紺色のローブに、暗い灰みの強い黄緑色の上衣のフードを深く被っていて、顔もよく見えない上に性別も不明だ。更には声も心も借り物らしく、過去に出会った人やその場にいる人の声と心を鏡のように映すらしい。それでも誰かと話しているのを見ている感じ、思考にはかつてのブラミモンドさん自身のものでは、と思わせる普通の人とは違う思考を持っているように感じる。
「はあ。彼って何であんな素敵なの……?」
今日も怠い体に鞭打って、梯子で高いところに返却された本を仕舞い込みながら、近くで黙々と本を読んでいるブラミモンドさんを見てため息をついた。
呼吸をしていないのかと思うくらい全く動かないし、やっと動いた時の本のページをめくる所作の一つ一つが綺麗で無駄がない。
そんな彼を見ているだけで溜まった疲れも癒えて行く。
「え?あの人、性別不明じゃなかったのかい?はい、次はこれ」
梯子の下で、ルフレくんがいつも大量に本を借りて行くお詫びで返却を手伝ってくれていて、下から私の方へ背伸びして返却本を手渡してくれた。他の英雄さんもだけど、ルフレくんは特に人当たりがよくて優しい。いつも本を大量に借りて行ったり、お勧めを何度も聞いてこなければ本当に素敵な人なのに。
「ルフレくん、あの方とたまに一緒にいらっしゃいますよね?」
「ああ。どんな本を読んでるのか聞いたりするくらいだけど」
「男性かどうかだけわかりません?」
「それが未だにわからないんだ。ずっと観察しているけど、露出の激しい男女に目もくれないんだよ。前に廊下を一緒に歩いている時に水着姿の女性が横切ったんだけど見向きもしないし、目の前で僕が全裸になっても、『風邪を引くよ』としか言わなかったんだ」
「えっ?ルフレくん、全裸になったんですか……?」
「そうだよ。早朝とか人がいない時に本棚の影でね。それも策のうちだったんだけど、まさか目の前で脱いでも全く動じないとはね」
流石軍師、と言うべきなのか悩む内容だけれど、ブラミモンドさんの性別を見分ける為にそこまでするルフレくんには敬服する。
「こうなると、直接触って確かめるしか……いや、千年以上生きてるって言う伝説の中の伝説の人の身体を僕は触ることはできない……!何か策はないものか……」
ルフレくんもブラミモンドさんの性別が気になっているらしく、片手で頭を抱えて悩ましい声を上げた。
ルフレくんは対象がなんであろうと、ありのままを受け入れてくれる度量の大きさはあるけれど、あまりにも謎だらけな伝説の人に対しては気になることばかりらしい。
「私もそんな方を無粋に探ったり、恋慕うのも恐れ多くてできないので気持ちはわかります」
ブラミモンドさんが例え女性だろうとなんだろうと、神様のような存在だ。そんな方を質問攻めにしたり、恋慕うということは不敬に値するだろうから絶対できない。だから、こうしてひっそりとため息をつきながら見守るだけで私はいい。このままあの方を素敵な殿方として眺めるだけの人生で私は満足だ。
ブラミモンドさんを眺めながら返却本を棚に収め、下にいるルフレくんに催促するように手を差し出した。
「ルフレくん、次をお願いします」
「はい。ここの区画のはこれで最後だよ」
「ありがとうございま──あっ」
ルフレくんが背伸びして渡してきた本を下を向いて受け取った瞬間、目眩がして本を取り落としてしまい、更にバランスを崩して梯子から落ちてしまった。
「なまえ!」
本だらけの世界がぐるりと回って、落下していく体の重みを感じながら怖くてギュッと目を閉じた。私、死ぬかも。
けど、いつまでたっても背中に衝撃は走らないし、感じていた体の重みは消えた。ただ浮遊感と人の気配を感じて目を開けると、離れたところにいらしたはずのブラミモンドさんが私を見下ろしていた。
「大丈夫かい?」
フードから覗く薄く整った唇から紡がれる声と言葉はルフレくんのものだけど、確かにブラミモンドさんから発せられたものだ。フードにいつも隠れている瞳は影になってよく見えないけれど、細く、それでもしっかりと鼻先まで通った鼻筋や尖った顎は下からだとよく見えた。その造形の美しさに目を奪われ、更には離れたところにいたのに私を落下から助けてくださったという事実があまりにも非現実的で頭の整理が追い付かなくて黙って頷くことしかできなかった。
「ゆっくり下ろすよ」
ふわふわと浮いていた体はお尻からゆっくりと冷たい床に着地した。
浮遊感はなくなり、とりあえず上体を起こしたけれど、その体勢から一歩も動けずにいた。
「君を初めて見た時から具合が悪そうだった。書庫番に君を休ませるように伝えておいたが、どうやら融通が利かないようだ」
他人なんか興味無さそうにしているブラミモンドさんが私のことを認識していて、かつ体調を気遣ってくださっているような言動に益々混乱した。
ずっと黙っていると、ブラミモンドさんは不審に思ったのか、私の前にしゃがみ込み片手を伸ばして私の頬を包んきた。見た目通り冷んやりとした手だ。
「目を閉じて」
「えっ?は、はい!」
一瞬聞き間違いかと思って裏返った声がでてしまったけど、後から本当に「目を閉じて」と言われたことを脳が理解して目を閉じた。ほんのちょっとだけ口付けをされるのかと思って胸が高鳴ったけれど、当然そんなことはなくて、目を閉じていてもわかる程眩い光を感じた。体の怠さがみるみる取れていく。
「もう開けていいよ。気分はどうだい?」
ブラミモンドさんは私の頬から手を引っ込め、片膝を地面についたまま聞いてきた。その声色の優しさや穏やかさはルフレくんのものなのに、何故だか胸のドキドキが止まらないし、言葉や動作の一つ一つに一々キュンキュンしてしまう。
「良いです……疲れが全くなくなりました」
ルフレくんの声と口調だけれど、ブラミモンドさんと面と向かって会話をするのが初めてだから緊張で締め付けられる喉から声を絞り出して答えた。
ブラミモンドさんは唇の両端を持ち上げると、頷いた。それだけでも、くらりと来てしまう程いつもよりブラミモンドさんが素敵に見えて仕方がない。
「今のは体の疲労を取り除いただけだ。これを毎度やる訳にもいかない。君自身が休む努力をしないと君の体はそのうち壊れるだろう」
「でも書庫番の方が……」
「アルフォンス王子にここに従事する者の働き方を見直すように私から提案しておこう。王子の言葉なら、下の者は従うはずだ。だから、君は休みたい時に休みたいと書庫番に主張するだけでいい」
「は、はい……ありがとうございます……」
「そろそろ立てそうか?」
先に立ち上がったブラミモンドさんが手を差し伸べてくださった。恐れ多いけれど、その手をありがたく受け取って立ち上がった。
もう一度私に触れた手はやっぱり冷たくて、離された後も、冷んやりとした名残を感じた。
近くで感じるブラミモンドさんは何か普通とは違う感じを受けた。フードを目深に被っているのでブラミモンドさんの瞳は見えないのに、皮膚を貫くような視線を感じるし、人の形をしているのに、自分と同じ要素で成り立っている存在とはとても思えない程の異様な雰囲気を感じた。それでも、私の胸は熱く脈打つし、その場に縫い付けられたようにブラミモンドさんから目を離せなかった。
一方ブラミモンドさんは後ろで顎に手を当てずっと私達の様子を見ていたルフレくんを振り返った。
「ルフレ、梯子を上り下りするのは君の仕事だ。なまえは下で負担のない仕事をするといい」
「は、はい……」
自身の声と口調で命じられて動揺したようにルフレくんは返事をした。
ブラミモンドさんはそのまま上衣を翻して先程までいらしていたであろう席にお戻りになって、再び本を読み始めた。
「ルフレくん、どうしましょう……好きになっちゃいました」
胸を押さえながらルフレくんの方に向いて助けを求めた。
「それって、僕の声と口調は関係あるかい?」
ルフレくんは冗談っぽく笑った。
「わからないです。けど、さっきのブラミモンドさん、物語に出てくる王子様みたいでした」
「いや、まるで神様だったよ。あの場所から一瞬でこっちに移動した上に、君の落下を食い止めんだからね。凄かった」
「でも、助けたくださった上に私を気遣ってくださった様子はまるで王子様でした。胸が凄く、凄く苦しいです……」
「あの人の性別は男だと思うってことかい?」
「正直な話、お姫様じゃなくて王子様みたいだと思ったのですが、どちらでもいいです……あの方の姿形、奇跡のような方法で私を助けてくださったという事実、それだけで恋い慕うには十分な理由です」
「相手は神様のような人だけど……」
「問題ないです。この世界にあの方がいらっしゃって、私を気にかけてくださったという事実があっただけで私は幸せです」
ルフレくんのいうことはわかる。男女の関係はおろか、恋愛関係を望めない相手ではある。それに、そもそもあの方は異界の英雄だ。契約が終わればあの方はいなくなってしまう。
それでも私は先程の出来事を思い出すだけで、幸福に包まれて心が穏やかになる。それだけで私は十分だ。