yuri req
※士官学校編から約7年後
二週間振りの俺の帰宅に町の皆が温かく声をかけて迎えてくれた。教会の前を通れば子供たちに、と教会に住み込みの司祭がパンの詰まった籠をくれた。貧民街といえど、同じ戦場で共に戦った仲間である俺の口利きもあってか、フォドラの新王の支援のお陰で最近は食うに困るということもなくなってきて、町が活気付いてきた。
「これはおれがなまえに手渡してやる」
俺の隣を不機嫌な面で歩くバルタザールが俺からパンの入った籠をヒョイと取り上げた。
恐らくバルタザールは声をかけられるのが俺だけで、隣を歩く自分には目もくれなかったり、女子供にはビビられて身を隠され、赤ん坊には横を通っただけで泣かれたのが釈に触ったんだろう。
士官学校時代のバルタザールならまだ大丈夫だったかもしれねえが、この巨体に長髪は威圧感しかないからな。これから帰る孤児院に連れて行くのも考えものだが、うちの子供達なら大丈夫だろう。
「なんだよ。久し振りに会うんだからなまえが忘れてるかもしんねえぞ」
「そういや、なまえと会うのも終戦以来か。つってもあれから数年しか経ってねえだろ?それにおれはなまえに好かれてるからな!抱擁に接吻までしてくれるかもしれねえぜ?」
「悪いがそれをしてもらえる男は世界広しといえどもこの俺様だけだからな。期待するだけ無駄さ」
なまえは男嫌いを完全に克服し、俺の部下達とも上手くやっているが、俺以外の大人の男には抱きつくなんてことはしない。ちゃんと俺だけを特別扱いしてくれている。
「はっはっはっ。わーてるって。冗談だよ。それで……どうだ?なまえは益々いい女になったか?」
バルタザールのニヤついた顔に俺のなまえが汚されている気分になって、やっぱこんな奴を連れてくるんじゃなかったと後悔し始めている。
五日程前、かつて国境のあった土地でバルタザールと偶然出会った。いや、正確には道端でくたばっているところを拾った。どうやら路銀が尽きちまったらしい。そこをこの俺様が昔の好で助けてやったわけだが、暫く雇ってくれというから貧民街に帰るまでの用事で用心棒をやってもらった。バルタザールはついでになまえにも会いたいから暫くここで暮して、そのうちまた放浪の旅に出るという。
「なまえは相変わらずだ。孤児達の中にはなまえと結婚してなまえを守る、とかいうマセた奴もいるくらいだよ」
そのマセガキは、俺がこうやって自宅でもある孤児院を空けるのを快く思ってない様子だった。貧民街復興のために大事ななまえを置いて金稼ぎに奔走してるっつーのに、ガキに「なまえと結婚して守る」って言われちゃあ、この俺がそれに何も思わないわけがねえが、その言葉はなまえを思ってのことだと理解できるから怒りはしない。
「おや?好敵手の登場か?それなのに二週間も離れ離れで心配なんじゃないか?」
「ガキにいちいち嫉妬するかよ。阿保くせえ」
「おれだったら、あんな可愛らしい女房を置いて不安もなしに遠征なんてできねえな」
「女房?」
「ん?てっきり婚姻くらいは済ませてるかと思ったが?」
「してないぜ。なまえと俺の間には結婚なんてしなくても固い絆があるしな。なまえも結婚とか興味ねえだろ」
なまえと初めて口付けを交わしてからもう何年も経っている。最初はまあ控えめな関係だったが、今は男女の仲に落ち着いて、なまえもそれを理解してそうな感じはある。俺となまえはそれこそ「死が二人を分かつ時まで」一緒だから、特に誓約もいらないだろう。
「なら、夫婦なんじゃあねえか?」
「んー。まあ、夫婦みたいなもんか。なまえは奥さんってよりはなまえって感じだけどな」
「なんとなくはわかるぜ、その感覚。だが、女ってのは例外なく婚姻したがるもんだぜ?どうせならおれが立ち会って誓約式をしてやろうか?」
「いや、いらねえ。別に今更そういう形式ばったもんは俺達には必要ねえよ。別れるなんてありえねえし、今のままで幸せだしな」
この貧民街の為に働いて、好きな女と孤児の子供達の世話をしながら暮らし始めてからそれなりに経つが、ふとした時に幸せを感じている。今のままで十分だ。
「幸せ、か。まさかおまえからその言葉を聞ける日が来るとはな」
「そうか?」
「そうだ。ま、喜ばしいこった」
バルタザールはニッと笑うと、籠からパンを取り出して頬張った。子供達に、と貰ったもんをさも自分のもののように食い始めるバルタザールには呆れたもんだ。
*
「帰ったぞ」
「ユーリスだ!」
「ユーリス!」
バルタザールと共に孤児院に入れば、幼い子供達が俺のところへ駆けてきた。
「元気にしてたか?」
「うん!ねえ、このでっかいおじさんだあれ?」
「誰がおじさんだ!」
子供達の悪気のない言葉に俺は笑えたが、バルタザールは怒り気味だ。バルタザールは身なりを整えれば……いや、俺と並ぶと同世代のやつすらおじさん呼ばわりも免れねえからな。仕方ねえ。
「こいつは俺の荷物持ちだ。暫く置いとくがあんま関わるなよ」
バルタザールが何か言いたげに唸るが俺は無視をして、子供達に言い聞かせることにした。こいつは子供達には悪影響なところがあるからな。
「なまえはどうした?」
いつもなら町の誰かが俺の帰りをここに知らせて、俺がここに足を踏み入れるや否やなまえが飛び込んでくるのにな。
「ハロがなまえを引き留めて離さないんだよ!ユーリスのところには行くなって」
「またあいつか」
子供の説明に納得がいった。ここには本当になまえのことが好きみてえで、世話の焼ける奴がいるんだよな。
「例のマセガキのことか?」
「ああ。俺はなまえのところに行くからバルタザールはアンジーに案内してもらえ」
「アンジー?いい女か?」
「さあな。アンジーの他にもう一人女の従業員がいるが、少なくとも二人共子供達には好かれてるぜ」
厨房で夕食の準備をしている従業員のアンジーにバルタザールを託して、俺はなまえのいるという広間へ向かった。広間は普段遊び場になっているが、部屋の中にはなまえとハロしかいなかった。なまえはしゃがんでいて、まだ八歳だがこましゃくれたハロを抱きしめてあやしている。
「なまえ」
なまえを呼べば、こちらを向いて顔を輝かせ、ハロを離して俺のところへかけてきた。
俺は飛び込んでくるなまえを力強く抱きしめた。腕に伝わってくるなまえの体の厚みや温かさ、香ってくる赤ん坊の様な清潔な匂いを嗅いで、長い二週間だったと実感する。
「なまえから離れろ、ユーリス!」
下でハロが何か言ってるが、構ってられねえ。
なまえは俺から離れるとにこにこ笑ってハロの頭を撫でた。なんとなしにその行為を眺めていると、その手の指には馬鹿でかい赤い石で象嵌された玩具の指輪が嵌められていることに気付いた。
「なまえ、その指輪……」
「それはオレがあげたんだ。あげてからこの五日間はずっと付けてくれてるんだ!」
ハロはへへんと、鼻の下を擦り自慢げに言う。
なまえはなまえでキラキラした瞳でハロと指輪に交互に視線をやりながら俺に玩具の指輪を見せてきた。
なまえの光り物好きは知っていたから首飾りや腕輪を贈ったことがあるが、なまえは身につけずに宝物箱に入れたままだった。それが何故指輪だけは付けたままなのかはよくわからねえが、恐らくハロがそうお願いしたのだろう。
「ああ、綺麗だな……だが、その指輪は右手の薬指に付けるもんじゃねえぞ」
「あー!ユーリス、それはだめだぞ!」
ハロが床を踏み鳴らすが、気にせずなまえの右手の指から左手の人差し指辺りに指輪を付け替えてやった。
「ったく、夫のいない間に妻を物で釣って誘惑するなって。このマセガキが」
ハロの髪をくしゃくしゃにして頭を撫でてやったが、ハロは怒りで顔を真っ赤にさせて、俺の手を叩いて抵抗する。
「なまえは結婚してないんだからまだユーリスのもんじゃないんだよ!それに急に夫とか妻とか言い始めてユーリスおかしい!」
ハロは幼い割には人のことをよく観察してる奴だ。別に意識したつもりはないが、確かにバルタザールに言われた影響で出てきた言葉であることは否定できない。
「結婚してなくても、なまえは俺のもんに決まってるだろ。皆知ってることだ。子供はさっさと手洗って夕食の手伝いをしろ。アンジー達は手伝いのしない子供に飯は食わせねーよ」
「子供子供って馬鹿にして!ああ〜もう!ユーリスなんて嫌いだ!」
ハロは目に涙を溜めて出ていっちまった。
なまえが追いかけるか迷ってるような困った顔をするが、俺が引き留めた。
「なまえ、二週間も家を空けて悪かったな。今日から暫くは一緒にいてやれるから安心しろ」
なまえの髪の間に指を差し入れ、頭を支えながら口付けた。身を退いてなまえの顔を見つめれば、相変わらず満面の笑みを浮かべていて、昔からずっと変わらないなまえに安心したが、ハロの言葉がなんとなく耳底にこびりついたように離れなく、なまえの右手の薬指が空いてんのはどうにかしねえといけない気がした。
*
その日の夜、隣で裸で眠るなまえに夜具をしっかり掛けてやり、外出着を着て孤児院を抜け出した。
夜半の警備や見回り当番に当たっている部下達を労い、街の奥まったところにある地下酒場に入った。
中ではいつも以上の大騒ぎで泥酔して転がっている奴らが何人もいたが、俺が入れば起きてる奴は皆立ち上がり、誰かしらが寝ている奴を無理やり立たせた。
「このどんちゃん騒ぎはなんだ?」
「お頭ぁ!聞いてくだせえ!こいつが理髪屋んとこの長女と結婚するんすよ!」
大柄な部下のルッツが親友のテオの肩に腕を回した。テオは俺の部下の中でも割と学のある方で重宝していた。歳は三十程で恋人も長年いなかったようだが、相手が見つかってなによりだ。
「そりゃ、よかったな。おめでとさん。せっかくだ。俺がここにいるうちに町の皆で盛大に祝うか」
「いやあ、お頭がなまえさんとご結婚なさらないことにはそういう表立ったことはできないですよ」
「はあ?何言ってんだ。そんな遠慮はいらねえよ」
「いやいや。できないです」
テオはできないの一点張りで、いくらテオを説得しようとしても断られた。
「だから、お頭が早くなまえさんと結婚してくださいよぉ。なまえさんもその方が幸せですよぉ!」
「なまえは今不幸って言いてえのか?」
「ち、違いますってぇ!なんでそうなるんですかぁ!町の皆も望んでることなので早くなまえさんと結婚してください!」
「町の皆も望んでるのか……?」
「そうですよ!ここが食うに困らなくなってきた数節前からそれとなーく、言ってるのに気付いてないんですか?」
「ん?そんなこと言ってたのかよ。あ、いや、待てよ……」
気がつかなかったが、そういや、たった今思い当たることがあった。
数節前から部下の何人かは「奥方のことは……あ、奥方じゃなくてなまえさんか……」と、しつこくなまえの呼び方を間違え、町の奴らは「奥さんは……あ、なまえでしたね」と部下達と同様にわざとらしく間違えていた。
「どうですかい?思い当たることがありましたか?」
「はああ……あったよ。なら、はっきり言うぜ。なまえとはもう結婚してるみてえなもんだ。たった今からなまえは俺の妻だ。奥方でも奥さんでも好きに呼べよ」
辺りが静まり返った。皆黙り込んで目を丸くさせている。
「いや、なんか言えよお前ら」
「なまえさんがあまりにも不憫で泣けてきましたぜ!」
「おれらのお頭の察しが悪過ぎて、ここまでくると心配になってきましたよ!」
「ああ、もうわかった!なまえと町の皆の前で誓約式をする!軽い祝いの席も設ける!これでいいか?」
俺の言葉に部下達は爆発したかのように喜びの叫びを上げ、泣く奴まで現れた。
テオの祝いの場が俺となまえの結婚祝いかのような雰囲気になったが、そのテオが一番嬉しそうに泣いていて、大事にしていた部下であるだけに、俺の胸に迫るもんがあった。
勢いで決まったことだが、酒を飲み部下達とどんな式にするか談笑しながらなまえの花嫁衣装とその右手の薬指を飾る指輪を想像すれば、結婚も悪くねえかと思えた。
その夜部屋に戻れば、なまえはまだスヤスヤと健やかに眠っていたが、俺が夜着に着替えていると目を覚ました。
「起こしたか?悪いな。部下達と飲んできた」
寝台に乗れば、なまえは身を起こして俺に抱きついてきた。剥き出しのなまえの肩を抱いて、なまえの顔を見下ろせば、なまえも俺を見つめて唇を突き出してきたもんだから、それに応えた。なまえは皆の前では頬にしか口付けをしなくなった分、俺と二人の時はよくこうやって唇への口付けを求めてくるようになったし、今夜なんかは全裸になって俺が寝台に入ってくるのを待っていた。あまりに素直ななまえの行動にはいつも笑顔にさせられている。
「なまえは今幸せか?ガキ共の服を着せたり、食事の準備をしたり、遊びの相手をしたり、寝かしつけたり……毎日がそれだぜ?」
なまえは笑顔で首を縦に振る。
まあ、聞かずともわかりきったことか。なまえは毎日幸せそうに笑っているからな。孤児院の仕事は天職といってもいいくらいなまえは上手くやっている。皆なまえのことが好きで慕っているからなまえにできないことがあっても誰もそれを馬鹿にしないし、むしろ手伝ってくれているから俺としても助かっているところがある。
「俺も幸せだからこのままでいいが、町の皆が許さないからな。俺達は誓約なんかなくても一緒だってのに……一応確認だが、俺と結婚してくれるか?」
なまえは笑顔で頷くが、きっとわかっていない。
「神と皆の前で誓約をして、なまえの花嫁姿を見て、なまえの右手の薬指に俺の印を付けて、宴で美味いもんを食う。うん。ま、やる価値はあるよな。なまえは宝石とか花が好きだから、指輪の宝石はうんと綺麗で輝くものにして、頭には花冠を付けるか。宴では町の皆と歌って踊って騒ぐ……楽しそうだな」
なまえは歌と踊りの単語に反応したのか飛び起きて、夜着を着て、俺を引っ張り起こした。
「今やるのか?」
なまえが頷く。まあ、当日の予行練習だと思えばいいかと思い、なまえの好きな歌をなまえの為に歌いながら、なまえと体を寄せ合って裸足で静かに踊った。
月明かりの入り込む部屋で夜着の裾をふわりと浮かせながら踊るなまえは綺麗で魅力的だった。
*
俺となまえの結婚が決まってから町は大賑わいだった。連日住民が何かしらの品物や花を持って孤児院まで祝いを言いに来たり、どこで聞きつけたのかフォドラの新王から祝いの品として金銀や宝石に花嫁花婿用の衣装の布地を持った使者が送られてきたり、その数日後には楽器を持った楽士の団体まで新王の命だ、と言ってやって来た。楽士は式と祝宴の時に演奏する曲の希望まで聞いてきたもんだから、新王の過剰な祝い様には困った。新王は先の戦争での活躍の礼と言うが、それはもう貧民街への支援で余りあるほどだったから、今度は新王の婚儀が決まれば、その時に絶対貸しを返してやると心に誓った。
式の当日。孤児院から教会まで数百歩の道をわざわざ新王が寄越してきた馬車に乗ってくるなまえを司祭の前で待っていた。なまえの花嫁衣装はきっと美しいだろうと考えていると、ちょうど陽の光が教会に入り込む刻、開け放たれた教会の扉からなまえと付き添いの孤児のリリーとハロが入ってきた。楽士達が竪琴や横笛を奏でる中、リリーは籠を手にしてなまえの前を歩きながら薔薇を撒き、隣にいるハロはムスッとしながらも俺となまえの結婚指輪の乗った盆を持っていた。そのあとをなまえが歩いてくる。式の前日に練習していた時とは違い、なまえは真っ直ぐ歩くことなく、列席者に手を振ったり、通路側にいる女児の頬に口付けをしたり、男児には抱擁をしたりと、やりたい放題の道草を食いながらこちらへ来るが、その様子があまりにもなまえらしくて微笑ましく、列席者も皆目尻を下げて笑っていた。
なまえは遠目からも輝くばかりに綺麗だ。豪奢な刺繍の入った真っ白のドレスに身を包み、丁寧に梳られた髪には花冠が乗り、まるで童話の中の姫のようだ。今日の為に町中の女達が念入りになまえの体の手入れをし、化粧も町一番手先が器用な女が施したらしいが、本当に今日のなまえはいつも以上に輝いていて綺麗だ。
リリーは花を撒き終えると、なまえが付いて来ていないことに気づいて戸惑いつつも列席者席に行き、ハロは俺を睨みながら新王の贈ってきた宝石の嵌められた指輪を二つ俺に手渡してきた。
「ありがとな」
「フンッ」
ハロは鼻を鳴らすとリリーの後を追うように列席者席に向かう。
俺となまえの結婚が決まってからハロは不機嫌で、昨日の予行練習中も指輪を運ぶ係なんて嫌だと言って教会を飛び出したが、どういうわけかバルタザールの説得によって大人しく戻ってきて予行練習をちゃんとこなし、今日も問題なく指輪を運んできてくれた。
ハロを指輪係に選んだのはハロに俺となまえの結婚を認めて欲しかったからだが、ハロからは認めている素振りや祝っている気持ちは一切感じられない。残念だが、仕方ねえな。
なまえが一番前の席にいる孤児院の子達への抱擁を終えると、にこにこと笑いながら俺の前へ来た。これで漸く誓約式が始まる。
司祭が「死が二人を分かつまで」の夫婦の誓約を述べ、それを誓えるかとの問いかけに俺が誓うと答え、なまえは大きく頷く。
俺はハロの持ってきた指輪をなまえの右手の薬指に付け、なまえにも俺の右手の薬指へ指輪を付けてもらった。
誓いの口付けでは部下達が下品に指笛を鳴らしたり、手を叩いたりで大いに盛り上がり、そんな騒がしい中で司祭の婚姻宣言が終わった。
そのまま外の緑豊かな広場で祝宴が始まり、堅苦しい雰囲気から飲んで歌って踊っての場に変わり、なまえも大いに楽しんだ。
始めに俺となまえが楽士達の奏でる曲に合わせて踊り、その後なまえは孤児院の子供達や町の人達と続け様に踊っていた。
「ユーリスさんが漸くご結婚なされて、これで俺達も心置きなく……っ」
バルタザールと飲んでるところ、テオが婚約中の理髪屋の娘と挨拶に来た。テオは挙式中も泣いていたが、また殊更大きく泣き始めた。
「はいはい。お前が祝ってくれてるのはよーくわかったぜ。お前らの式はもっとド派手にしてやるから覚悟しておけよ」
テオも娘もかしこまって断ろうとするが、もう決めたことだった。
テオ達がはけて行くと、今度は他の奴らが挨拶に来て、夜が更けてきた頃に漸く町中の奴らの相手が終わった。
子供達は皆孤児院の従業員と一緒に帰り、体力無尽蔵のなまえは今度は部下達と踊っていた。楽士達は疲れ果てていて、今や住民達が持ち寄った楽器で音楽会が始まっていた。
「大人気だな」
バルタザールが踊るなまえを見ながら、エールの瓶に口をつける。
「ああ。なまえは皆に好かれてる」
「いや、おまえのことだよ。勿論、なまえもだがおまえはここの皆に好かれている。アビスにいた頃もだったが……」
「ありがたいことに俺もそう感じてるよ。好かれてるっつーよりは慕われてる、だけどな」
「どっちも一緒さ。おっと、ハロの奴だ。アンジー達の目を掻い潜ってきたな」
確かにアンジー達に連れられて帰ったはずのハロがいた。
なまえが部屋に置いてきた玩具の指輪をなまえの左手の薬指に嵌めさせている。
まだ諦めてなかったのかよ。
「そういや、ハロが予行練習の時に指輪を持ってくること拒否したよな?あの時どうやって説得したんだ?」
「いや、それは聞くな」
「なんだよ。気になるだろうが」
「怒らねえって約束できるか?」
「雇われの身で何言ってんだ?さっさと言え」
「……おれも初恋の人が人妻になったって聞いた時はショックでよ。そういう話をしたんだよ。気持ちがわかるって」
「それで?」
以前バルタザールからそんな話を聞いたことがあったから驚きはしなかった。確か八歳の時にレスターのいいところの貴婦人に恋をしたらしい。その時はまだ人妻じゃなかったはずだが。
「気持ちを伝えねえうちにその人がいなくなっちまって、大人になった今でもずっと心残りだってことを話したんだよ。それから人妻だろうがなんだろうが、想いを伝える機会があれば、絶対伝えてやるって心のどこかで思いながら生きてるっつーことも言ったな」
「それでハロはなんて?」
「『じゃあ、オレも諦めずになまえを想い続けて、いつかユーリスからなまえを奪って見せる!』とさ。言っておくが、おれはそんなこと一言も言ってねえぜ?」
「慰めとしてそれを言ったら、ガキじゃなくてもそうとっちまうだろうが」
思わず頭を抱えた。相手はまだ八歳の少年といえど、今まさにそいつがなまえの前で跪いて、屈んで手を伸ばしてやっているなまえの手の甲に口付けている。
とんだマセガキだ。将来バルタザール以上の輩になりそうな気さえする。
俺となまえの仲を引き裂ける奴なんていないという自信はあるが、十年後のハロを想像すると、なまえを宝石で釣って誘拐しそうとまで思えてきた。
「なまえのところに行ってくる」
なんだが落ち着かなくて、席を立った。
ハロを相手に踊っているなまえのもとへ行くと、なまえはハロと手を繋いだまま、俺に手を差し出した。三人で踊るつもりらしいが、俺にその気はない。
なまえの手は取ったが、なまえのハロと繋いでる手を放させた。
「ハロ、子供はもう帰る時間だ。鍛冶屋の親父に頼んで一緒に孤児院まで帰ってもらえ」
「なまえを放っておいて、バルタザールと一緒に飲んでたくせに!今更なんだよ!オレならなまえを放っておかない!寂しい思いなんかさせない!」
「寂しい?なまえは別に寂しくなんかねえだろ?」
「寂しがってるんだよ!ユーリスがいない時、なまえが泣いてる時があるんだよ!」
「そう、なのか……?」
にわかには信じられなくて、なまえの顔を見て聞くが、なまえは首を傾げるだけだった。
なまえから事実かは聞けないが、ハロがそう言うなら間違い無いだろう。
驚いた。なまえが泣いてるところなんて殆ど見たことがなかったからな。
アビスにいた頃なんか俺が三週間程いなくなった時もあった。それでもなまえは笑顔で俺を出迎えてくれていて、ハピやコンスタンツェからなまえが泣いていたとは聞いたことがなかった。
「不定期にいなくなる奴と結婚してもなまえは全然幸せじゃないんだよ!」
ハロの言葉は結構胸に重く来た。
なまえが泣いてるならハロの言う通りだ。こんな結婚だって無意味だ。なまえの幸せを考えれば、変えるべきなのはこの俺だ。
「わかった。なまえが俺と離れて不幸せな思いをするなら、俺はできるだけ外出を控える。仕事はできるだけ部下を使って処理する。それでいいだろ?」
「よくない!オレがなまえを幸せにするって決めたから!」
「それはお前の気持ち優先じゃねえか」
「バルタザールがそれでいいって言ったから!」
「あの野郎の言うことは聞くなよ……まあ、好きにしろ。お前のお陰でたった今、当分はこの町を出ないことを決めたからな。なまえ、お前が寂しい思いをしないように努力するぜ」
なまえの腰に腕を回して抱き寄せ、なまえの頬に口付けた。
なまえは嬉しそうに俺の肩にしがみついて、俺の頬に唇を押し付けてきた。
それを見て悔しそうに地面を踏み鳴らすハロには大人気なくて悪いとは思うが、こうでもしねえとハロは諦めないだろう。
「もう怒ったぞ!次なまえが泣いてるのみたら、絶対オレがなまえをもらうからな!」
「はいはい。精々頑張れよ」
「馬鹿にするな!オラ!鍛冶屋の親父、オレを孤児院まで送り届けろ!」
生意気なハロは鍛冶屋の親父に連れられて広場を後にした。
やっぱりガキだな、と思ってその日は遅くまで祝宴を楽しんで孤児院に帰ると、なまえと俺の寝室はアンジー達によって初夜用の飾り付けがされてあったが、山賊に襲われた後のように寝台が酷く壊されているのを見て、思った以上にハロが大人であることを思い知らされた。
二週間振りの俺の帰宅に町の皆が温かく声をかけて迎えてくれた。教会の前を通れば子供たちに、と教会に住み込みの司祭がパンの詰まった籠をくれた。貧民街といえど、同じ戦場で共に戦った仲間である俺の口利きもあってか、フォドラの新王の支援のお陰で最近は食うに困るということもなくなってきて、町が活気付いてきた。
「これはおれがなまえに手渡してやる」
俺の隣を不機嫌な面で歩くバルタザールが俺からパンの入った籠をヒョイと取り上げた。
恐らくバルタザールは声をかけられるのが俺だけで、隣を歩く自分には目もくれなかったり、女子供にはビビられて身を隠され、赤ん坊には横を通っただけで泣かれたのが釈に触ったんだろう。
士官学校時代のバルタザールならまだ大丈夫だったかもしれねえが、この巨体に長髪は威圧感しかないからな。これから帰る孤児院に連れて行くのも考えものだが、うちの子供達なら大丈夫だろう。
「なんだよ。久し振りに会うんだからなまえが忘れてるかもしんねえぞ」
「そういや、なまえと会うのも終戦以来か。つってもあれから数年しか経ってねえだろ?それにおれはなまえに好かれてるからな!抱擁に接吻までしてくれるかもしれねえぜ?」
「悪いがそれをしてもらえる男は世界広しといえどもこの俺様だけだからな。期待するだけ無駄さ」
なまえは男嫌いを完全に克服し、俺の部下達とも上手くやっているが、俺以外の大人の男には抱きつくなんてことはしない。ちゃんと俺だけを特別扱いしてくれている。
「はっはっはっ。わーてるって。冗談だよ。それで……どうだ?なまえは益々いい女になったか?」
バルタザールのニヤついた顔に俺のなまえが汚されている気分になって、やっぱこんな奴を連れてくるんじゃなかったと後悔し始めている。
五日程前、かつて国境のあった土地でバルタザールと偶然出会った。いや、正確には道端でくたばっているところを拾った。どうやら路銀が尽きちまったらしい。そこをこの俺様が昔の好で助けてやったわけだが、暫く雇ってくれというから貧民街に帰るまでの用事で用心棒をやってもらった。バルタザールはついでになまえにも会いたいから暫くここで暮して、そのうちまた放浪の旅に出るという。
「なまえは相変わらずだ。孤児達の中にはなまえと結婚してなまえを守る、とかいうマセた奴もいるくらいだよ」
そのマセガキは、俺がこうやって自宅でもある孤児院を空けるのを快く思ってない様子だった。貧民街復興のために大事ななまえを置いて金稼ぎに奔走してるっつーのに、ガキに「なまえと結婚して守る」って言われちゃあ、この俺がそれに何も思わないわけがねえが、その言葉はなまえを思ってのことだと理解できるから怒りはしない。
「おや?好敵手の登場か?それなのに二週間も離れ離れで心配なんじゃないか?」
「ガキにいちいち嫉妬するかよ。阿保くせえ」
「おれだったら、あんな可愛らしい女房を置いて不安もなしに遠征なんてできねえな」
「女房?」
「ん?てっきり婚姻くらいは済ませてるかと思ったが?」
「してないぜ。なまえと俺の間には結婚なんてしなくても固い絆があるしな。なまえも結婚とか興味ねえだろ」
なまえと初めて口付けを交わしてからもう何年も経っている。最初はまあ控えめな関係だったが、今は男女の仲に落ち着いて、なまえもそれを理解してそうな感じはある。俺となまえはそれこそ「死が二人を分かつ時まで」一緒だから、特に誓約もいらないだろう。
「なら、夫婦なんじゃあねえか?」
「んー。まあ、夫婦みたいなもんか。なまえは奥さんってよりはなまえって感じだけどな」
「なんとなくはわかるぜ、その感覚。だが、女ってのは例外なく婚姻したがるもんだぜ?どうせならおれが立ち会って誓約式をしてやろうか?」
「いや、いらねえ。別に今更そういう形式ばったもんは俺達には必要ねえよ。別れるなんてありえねえし、今のままで幸せだしな」
この貧民街の為に働いて、好きな女と孤児の子供達の世話をしながら暮らし始めてからそれなりに経つが、ふとした時に幸せを感じている。今のままで十分だ。
「幸せ、か。まさかおまえからその言葉を聞ける日が来るとはな」
「そうか?」
「そうだ。ま、喜ばしいこった」
バルタザールはニッと笑うと、籠からパンを取り出して頬張った。子供達に、と貰ったもんをさも自分のもののように食い始めるバルタザールには呆れたもんだ。
*
「帰ったぞ」
「ユーリスだ!」
「ユーリス!」
バルタザールと共に孤児院に入れば、幼い子供達が俺のところへ駆けてきた。
「元気にしてたか?」
「うん!ねえ、このでっかいおじさんだあれ?」
「誰がおじさんだ!」
子供達の悪気のない言葉に俺は笑えたが、バルタザールは怒り気味だ。バルタザールは身なりを整えれば……いや、俺と並ぶと同世代のやつすらおじさん呼ばわりも免れねえからな。仕方ねえ。
「こいつは俺の荷物持ちだ。暫く置いとくがあんま関わるなよ」
バルタザールが何か言いたげに唸るが俺は無視をして、子供達に言い聞かせることにした。こいつは子供達には悪影響なところがあるからな。
「なまえはどうした?」
いつもなら町の誰かが俺の帰りをここに知らせて、俺がここに足を踏み入れるや否やなまえが飛び込んでくるのにな。
「ハロがなまえを引き留めて離さないんだよ!ユーリスのところには行くなって」
「またあいつか」
子供の説明に納得がいった。ここには本当になまえのことが好きみてえで、世話の焼ける奴がいるんだよな。
「例のマセガキのことか?」
「ああ。俺はなまえのところに行くからバルタザールはアンジーに案内してもらえ」
「アンジー?いい女か?」
「さあな。アンジーの他にもう一人女の従業員がいるが、少なくとも二人共子供達には好かれてるぜ」
厨房で夕食の準備をしている従業員のアンジーにバルタザールを託して、俺はなまえのいるという広間へ向かった。広間は普段遊び場になっているが、部屋の中にはなまえとハロしかいなかった。なまえはしゃがんでいて、まだ八歳だがこましゃくれたハロを抱きしめてあやしている。
「なまえ」
なまえを呼べば、こちらを向いて顔を輝かせ、ハロを離して俺のところへかけてきた。
俺は飛び込んでくるなまえを力強く抱きしめた。腕に伝わってくるなまえの体の厚みや温かさ、香ってくる赤ん坊の様な清潔な匂いを嗅いで、長い二週間だったと実感する。
「なまえから離れろ、ユーリス!」
下でハロが何か言ってるが、構ってられねえ。
なまえは俺から離れるとにこにこ笑ってハロの頭を撫でた。なんとなしにその行為を眺めていると、その手の指には馬鹿でかい赤い石で象嵌された玩具の指輪が嵌められていることに気付いた。
「なまえ、その指輪……」
「それはオレがあげたんだ。あげてからこの五日間はずっと付けてくれてるんだ!」
ハロはへへんと、鼻の下を擦り自慢げに言う。
なまえはなまえでキラキラした瞳でハロと指輪に交互に視線をやりながら俺に玩具の指輪を見せてきた。
なまえの光り物好きは知っていたから首飾りや腕輪を贈ったことがあるが、なまえは身につけずに宝物箱に入れたままだった。それが何故指輪だけは付けたままなのかはよくわからねえが、恐らくハロがそうお願いしたのだろう。
「ああ、綺麗だな……だが、その指輪は右手の薬指に付けるもんじゃねえぞ」
「あー!ユーリス、それはだめだぞ!」
ハロが床を踏み鳴らすが、気にせずなまえの右手の指から左手の人差し指辺りに指輪を付け替えてやった。
「ったく、夫のいない間に妻を物で釣って誘惑するなって。このマセガキが」
ハロの髪をくしゃくしゃにして頭を撫でてやったが、ハロは怒りで顔を真っ赤にさせて、俺の手を叩いて抵抗する。
「なまえは結婚してないんだからまだユーリスのもんじゃないんだよ!それに急に夫とか妻とか言い始めてユーリスおかしい!」
ハロは幼い割には人のことをよく観察してる奴だ。別に意識したつもりはないが、確かにバルタザールに言われた影響で出てきた言葉であることは否定できない。
「結婚してなくても、なまえは俺のもんに決まってるだろ。皆知ってることだ。子供はさっさと手洗って夕食の手伝いをしろ。アンジー達は手伝いのしない子供に飯は食わせねーよ」
「子供子供って馬鹿にして!ああ〜もう!ユーリスなんて嫌いだ!」
ハロは目に涙を溜めて出ていっちまった。
なまえが追いかけるか迷ってるような困った顔をするが、俺が引き留めた。
「なまえ、二週間も家を空けて悪かったな。今日から暫くは一緒にいてやれるから安心しろ」
なまえの髪の間に指を差し入れ、頭を支えながら口付けた。身を退いてなまえの顔を見つめれば、相変わらず満面の笑みを浮かべていて、昔からずっと変わらないなまえに安心したが、ハロの言葉がなんとなく耳底にこびりついたように離れなく、なまえの右手の薬指が空いてんのはどうにかしねえといけない気がした。
*
その日の夜、隣で裸で眠るなまえに夜具をしっかり掛けてやり、外出着を着て孤児院を抜け出した。
夜半の警備や見回り当番に当たっている部下達を労い、街の奥まったところにある地下酒場に入った。
中ではいつも以上の大騒ぎで泥酔して転がっている奴らが何人もいたが、俺が入れば起きてる奴は皆立ち上がり、誰かしらが寝ている奴を無理やり立たせた。
「このどんちゃん騒ぎはなんだ?」
「お頭ぁ!聞いてくだせえ!こいつが理髪屋んとこの長女と結婚するんすよ!」
大柄な部下のルッツが親友のテオの肩に腕を回した。テオは俺の部下の中でも割と学のある方で重宝していた。歳は三十程で恋人も長年いなかったようだが、相手が見つかってなによりだ。
「そりゃ、よかったな。おめでとさん。せっかくだ。俺がここにいるうちに町の皆で盛大に祝うか」
「いやあ、お頭がなまえさんとご結婚なさらないことにはそういう表立ったことはできないですよ」
「はあ?何言ってんだ。そんな遠慮はいらねえよ」
「いやいや。できないです」
テオはできないの一点張りで、いくらテオを説得しようとしても断られた。
「だから、お頭が早くなまえさんと結婚してくださいよぉ。なまえさんもその方が幸せですよぉ!」
「なまえは今不幸って言いてえのか?」
「ち、違いますってぇ!なんでそうなるんですかぁ!町の皆も望んでることなので早くなまえさんと結婚してください!」
「町の皆も望んでるのか……?」
「そうですよ!ここが食うに困らなくなってきた数節前からそれとなーく、言ってるのに気付いてないんですか?」
「ん?そんなこと言ってたのかよ。あ、いや、待てよ……」
気がつかなかったが、そういや、たった今思い当たることがあった。
数節前から部下の何人かは「奥方のことは……あ、奥方じゃなくてなまえさんか……」と、しつこくなまえの呼び方を間違え、町の奴らは「奥さんは……あ、なまえでしたね」と部下達と同様にわざとらしく間違えていた。
「どうですかい?思い当たることがありましたか?」
「はああ……あったよ。なら、はっきり言うぜ。なまえとはもう結婚してるみてえなもんだ。たった今からなまえは俺の妻だ。奥方でも奥さんでも好きに呼べよ」
辺りが静まり返った。皆黙り込んで目を丸くさせている。
「いや、なんか言えよお前ら」
「なまえさんがあまりにも不憫で泣けてきましたぜ!」
「おれらのお頭の察しが悪過ぎて、ここまでくると心配になってきましたよ!」
「ああ、もうわかった!なまえと町の皆の前で誓約式をする!軽い祝いの席も設ける!これでいいか?」
俺の言葉に部下達は爆発したかのように喜びの叫びを上げ、泣く奴まで現れた。
テオの祝いの場が俺となまえの結婚祝いかのような雰囲気になったが、そのテオが一番嬉しそうに泣いていて、大事にしていた部下であるだけに、俺の胸に迫るもんがあった。
勢いで決まったことだが、酒を飲み部下達とどんな式にするか談笑しながらなまえの花嫁衣装とその右手の薬指を飾る指輪を想像すれば、結婚も悪くねえかと思えた。
その夜部屋に戻れば、なまえはまだスヤスヤと健やかに眠っていたが、俺が夜着に着替えていると目を覚ました。
「起こしたか?悪いな。部下達と飲んできた」
寝台に乗れば、なまえは身を起こして俺に抱きついてきた。剥き出しのなまえの肩を抱いて、なまえの顔を見下ろせば、なまえも俺を見つめて唇を突き出してきたもんだから、それに応えた。なまえは皆の前では頬にしか口付けをしなくなった分、俺と二人の時はよくこうやって唇への口付けを求めてくるようになったし、今夜なんかは全裸になって俺が寝台に入ってくるのを待っていた。あまりに素直ななまえの行動にはいつも笑顔にさせられている。
「なまえは今幸せか?ガキ共の服を着せたり、食事の準備をしたり、遊びの相手をしたり、寝かしつけたり……毎日がそれだぜ?」
なまえは笑顔で首を縦に振る。
まあ、聞かずともわかりきったことか。なまえは毎日幸せそうに笑っているからな。孤児院の仕事は天職といってもいいくらいなまえは上手くやっている。皆なまえのことが好きで慕っているからなまえにできないことがあっても誰もそれを馬鹿にしないし、むしろ手伝ってくれているから俺としても助かっているところがある。
「俺も幸せだからこのままでいいが、町の皆が許さないからな。俺達は誓約なんかなくても一緒だってのに……一応確認だが、俺と結婚してくれるか?」
なまえは笑顔で頷くが、きっとわかっていない。
「神と皆の前で誓約をして、なまえの花嫁姿を見て、なまえの右手の薬指に俺の印を付けて、宴で美味いもんを食う。うん。ま、やる価値はあるよな。なまえは宝石とか花が好きだから、指輪の宝石はうんと綺麗で輝くものにして、頭には花冠を付けるか。宴では町の皆と歌って踊って騒ぐ……楽しそうだな」
なまえは歌と踊りの単語に反応したのか飛び起きて、夜着を着て、俺を引っ張り起こした。
「今やるのか?」
なまえが頷く。まあ、当日の予行練習だと思えばいいかと思い、なまえの好きな歌をなまえの為に歌いながら、なまえと体を寄せ合って裸足で静かに踊った。
月明かりの入り込む部屋で夜着の裾をふわりと浮かせながら踊るなまえは綺麗で魅力的だった。
*
俺となまえの結婚が決まってから町は大賑わいだった。連日住民が何かしらの品物や花を持って孤児院まで祝いを言いに来たり、どこで聞きつけたのかフォドラの新王から祝いの品として金銀や宝石に花嫁花婿用の衣装の布地を持った使者が送られてきたり、その数日後には楽器を持った楽士の団体まで新王の命だ、と言ってやって来た。楽士は式と祝宴の時に演奏する曲の希望まで聞いてきたもんだから、新王の過剰な祝い様には困った。新王は先の戦争での活躍の礼と言うが、それはもう貧民街への支援で余りあるほどだったから、今度は新王の婚儀が決まれば、その時に絶対貸しを返してやると心に誓った。
式の当日。孤児院から教会まで数百歩の道をわざわざ新王が寄越してきた馬車に乗ってくるなまえを司祭の前で待っていた。なまえの花嫁衣装はきっと美しいだろうと考えていると、ちょうど陽の光が教会に入り込む刻、開け放たれた教会の扉からなまえと付き添いの孤児のリリーとハロが入ってきた。楽士達が竪琴や横笛を奏でる中、リリーは籠を手にしてなまえの前を歩きながら薔薇を撒き、隣にいるハロはムスッとしながらも俺となまえの結婚指輪の乗った盆を持っていた。そのあとをなまえが歩いてくる。式の前日に練習していた時とは違い、なまえは真っ直ぐ歩くことなく、列席者に手を振ったり、通路側にいる女児の頬に口付けをしたり、男児には抱擁をしたりと、やりたい放題の道草を食いながらこちらへ来るが、その様子があまりにもなまえらしくて微笑ましく、列席者も皆目尻を下げて笑っていた。
なまえは遠目からも輝くばかりに綺麗だ。豪奢な刺繍の入った真っ白のドレスに身を包み、丁寧に梳られた髪には花冠が乗り、まるで童話の中の姫のようだ。今日の為に町中の女達が念入りになまえの体の手入れをし、化粧も町一番手先が器用な女が施したらしいが、本当に今日のなまえはいつも以上に輝いていて綺麗だ。
リリーは花を撒き終えると、なまえが付いて来ていないことに気づいて戸惑いつつも列席者席に行き、ハロは俺を睨みながら新王の贈ってきた宝石の嵌められた指輪を二つ俺に手渡してきた。
「ありがとな」
「フンッ」
ハロは鼻を鳴らすとリリーの後を追うように列席者席に向かう。
俺となまえの結婚が決まってからハロは不機嫌で、昨日の予行練習中も指輪を運ぶ係なんて嫌だと言って教会を飛び出したが、どういうわけかバルタザールの説得によって大人しく戻ってきて予行練習をちゃんとこなし、今日も問題なく指輪を運んできてくれた。
ハロを指輪係に選んだのはハロに俺となまえの結婚を認めて欲しかったからだが、ハロからは認めている素振りや祝っている気持ちは一切感じられない。残念だが、仕方ねえな。
なまえが一番前の席にいる孤児院の子達への抱擁を終えると、にこにこと笑いながら俺の前へ来た。これで漸く誓約式が始まる。
司祭が「死が二人を分かつまで」の夫婦の誓約を述べ、それを誓えるかとの問いかけに俺が誓うと答え、なまえは大きく頷く。
俺はハロの持ってきた指輪をなまえの右手の薬指に付け、なまえにも俺の右手の薬指へ指輪を付けてもらった。
誓いの口付けでは部下達が下品に指笛を鳴らしたり、手を叩いたりで大いに盛り上がり、そんな騒がしい中で司祭の婚姻宣言が終わった。
そのまま外の緑豊かな広場で祝宴が始まり、堅苦しい雰囲気から飲んで歌って踊っての場に変わり、なまえも大いに楽しんだ。
始めに俺となまえが楽士達の奏でる曲に合わせて踊り、その後なまえは孤児院の子供達や町の人達と続け様に踊っていた。
「ユーリスさんが漸くご結婚なされて、これで俺達も心置きなく……っ」
バルタザールと飲んでるところ、テオが婚約中の理髪屋の娘と挨拶に来た。テオは挙式中も泣いていたが、また殊更大きく泣き始めた。
「はいはい。お前が祝ってくれてるのはよーくわかったぜ。お前らの式はもっとド派手にしてやるから覚悟しておけよ」
テオも娘もかしこまって断ろうとするが、もう決めたことだった。
テオ達がはけて行くと、今度は他の奴らが挨拶に来て、夜が更けてきた頃に漸く町中の奴らの相手が終わった。
子供達は皆孤児院の従業員と一緒に帰り、体力無尽蔵のなまえは今度は部下達と踊っていた。楽士達は疲れ果てていて、今や住民達が持ち寄った楽器で音楽会が始まっていた。
「大人気だな」
バルタザールが踊るなまえを見ながら、エールの瓶に口をつける。
「ああ。なまえは皆に好かれてる」
「いや、おまえのことだよ。勿論、なまえもだがおまえはここの皆に好かれている。アビスにいた頃もだったが……」
「ありがたいことに俺もそう感じてるよ。好かれてるっつーよりは慕われてる、だけどな」
「どっちも一緒さ。おっと、ハロの奴だ。アンジー達の目を掻い潜ってきたな」
確かにアンジー達に連れられて帰ったはずのハロがいた。
なまえが部屋に置いてきた玩具の指輪をなまえの左手の薬指に嵌めさせている。
まだ諦めてなかったのかよ。
「そういや、ハロが予行練習の時に指輪を持ってくること拒否したよな?あの時どうやって説得したんだ?」
「いや、それは聞くな」
「なんだよ。気になるだろうが」
「怒らねえって約束できるか?」
「雇われの身で何言ってんだ?さっさと言え」
「……おれも初恋の人が人妻になったって聞いた時はショックでよ。そういう話をしたんだよ。気持ちがわかるって」
「それで?」
以前バルタザールからそんな話を聞いたことがあったから驚きはしなかった。確か八歳の時にレスターのいいところの貴婦人に恋をしたらしい。その時はまだ人妻じゃなかったはずだが。
「気持ちを伝えねえうちにその人がいなくなっちまって、大人になった今でもずっと心残りだってことを話したんだよ。それから人妻だろうがなんだろうが、想いを伝える機会があれば、絶対伝えてやるって心のどこかで思いながら生きてるっつーことも言ったな」
「それでハロはなんて?」
「『じゃあ、オレも諦めずになまえを想い続けて、いつかユーリスからなまえを奪って見せる!』とさ。言っておくが、おれはそんなこと一言も言ってねえぜ?」
「慰めとしてそれを言ったら、ガキじゃなくてもそうとっちまうだろうが」
思わず頭を抱えた。相手はまだ八歳の少年といえど、今まさにそいつがなまえの前で跪いて、屈んで手を伸ばしてやっているなまえの手の甲に口付けている。
とんだマセガキだ。将来バルタザール以上の輩になりそうな気さえする。
俺となまえの仲を引き裂ける奴なんていないという自信はあるが、十年後のハロを想像すると、なまえを宝石で釣って誘拐しそうとまで思えてきた。
「なまえのところに行ってくる」
なんだが落ち着かなくて、席を立った。
ハロを相手に踊っているなまえのもとへ行くと、なまえはハロと手を繋いだまま、俺に手を差し出した。三人で踊るつもりらしいが、俺にその気はない。
なまえの手は取ったが、なまえのハロと繋いでる手を放させた。
「ハロ、子供はもう帰る時間だ。鍛冶屋の親父に頼んで一緒に孤児院まで帰ってもらえ」
「なまえを放っておいて、バルタザールと一緒に飲んでたくせに!今更なんだよ!オレならなまえを放っておかない!寂しい思いなんかさせない!」
「寂しい?なまえは別に寂しくなんかねえだろ?」
「寂しがってるんだよ!ユーリスがいない時、なまえが泣いてる時があるんだよ!」
「そう、なのか……?」
にわかには信じられなくて、なまえの顔を見て聞くが、なまえは首を傾げるだけだった。
なまえから事実かは聞けないが、ハロがそう言うなら間違い無いだろう。
驚いた。なまえが泣いてるところなんて殆ど見たことがなかったからな。
アビスにいた頃なんか俺が三週間程いなくなった時もあった。それでもなまえは笑顔で俺を出迎えてくれていて、ハピやコンスタンツェからなまえが泣いていたとは聞いたことがなかった。
「不定期にいなくなる奴と結婚してもなまえは全然幸せじゃないんだよ!」
ハロの言葉は結構胸に重く来た。
なまえが泣いてるならハロの言う通りだ。こんな結婚だって無意味だ。なまえの幸せを考えれば、変えるべきなのはこの俺だ。
「わかった。なまえが俺と離れて不幸せな思いをするなら、俺はできるだけ外出を控える。仕事はできるだけ部下を使って処理する。それでいいだろ?」
「よくない!オレがなまえを幸せにするって決めたから!」
「それはお前の気持ち優先じゃねえか」
「バルタザールがそれでいいって言ったから!」
「あの野郎の言うことは聞くなよ……まあ、好きにしろ。お前のお陰でたった今、当分はこの町を出ないことを決めたからな。なまえ、お前が寂しい思いをしないように努力するぜ」
なまえの腰に腕を回して抱き寄せ、なまえの頬に口付けた。
なまえは嬉しそうに俺の肩にしがみついて、俺の頬に唇を押し付けてきた。
それを見て悔しそうに地面を踏み鳴らすハロには大人気なくて悪いとは思うが、こうでもしねえとハロは諦めないだろう。
「もう怒ったぞ!次なまえが泣いてるのみたら、絶対オレがなまえをもらうからな!」
「はいはい。精々頑張れよ」
「馬鹿にするな!オラ!鍛冶屋の親父、オレを孤児院まで送り届けろ!」
生意気なハロは鍛冶屋の親父に連れられて広場を後にした。
やっぱりガキだな、と思ってその日は遅くまで祝宴を楽しんで孤児院に帰ると、なまえと俺の寝室はアンジー達によって初夜用の飾り付けがされてあったが、山賊に襲われた後のように寝台が酷く壊されているのを見て、思った以上にハロが大人であることを思い知らされた。