felix
アスク王国では今年の夜も冬祭りが開催され、特務機関の英雄さまたちが領民の私たちの町にわざわざやってきて、子供たちに贈り物を配ってくださるらしい。
家ではまだ幼い弟や妹たちが大はしゃぎだった。「オモチャをもった英雄さまはいつくるのー?」と、皆に同じ質問を何度も繰り返され、落ち着かせるのが大変だ。
本来なら親が面倒を見るはずだが、両親共に外に働きに出ていて、今年は冬祭りを一緒に過ごせない。
「きっと、もうすぐよってあーッ!」
まだ乳児の末っ子に洗ったばかりの前掛けに吐かれてしまった。
慌てて末っ子に悪いところがないか確認した後にその場を片付けたけれど、困ったことに前掛けを洗う水が足りなくなってしまった。
仕方なく、まだ頼りになる長男に末っ子を頼んで、井戸水を汲みに外に出た。
すぐ外の水を汲むだけだから動きやすい薄着の防寒着に首巻きをしたのだけど、外は雪がぱらぱらと降っていて寒く、指先だけでなく、鼻と耳まで冷たくて痛い。
急いで井戸水を汲み上げ、桶を持ち上げようとしたその時、「おい」と声をかけられた。
屈んでいた背をしゃんと立てて見ると、真っ赤な衣装を着た、同年代くらいの男の子が肩に大きな白い布袋を肩に担いで立っていた。
「あっ、英雄さま!こ、今年もわざわざお越しい、いただき、あ、ありがとうございましゅ……!」
あまりの寒さに歯の根までもが震えて、噛んでしまった。不敬だと思って慌てて「ありがとうございます!」と言い直して頭を下げた。
「……そんなにかしこまらなくていい。これは上からの命令でやっているだけだ。それより、その格好で水汲みは風邪を引く。その水桶は俺が運んでやるからお前は早く家に入って暖まれ」
「い、いえ!これくらい私がやります……!これが私の仕事なので!それに英雄さまは既に大荷物を持っているじゃありませんか!」
「いいから貸せ」
英雄さまは布袋を片手に水の入った桶まで軽々と持ち上げた。
英雄さまはやっぱり力が強いんだ、と感心しつつ、庶民の私を助けてくれる優しさに敬服していると、「早く先に行って家の扉を開けろ」と言われたので、急いで玄関口まで走り、扉を開け、英雄さまを迎え入れた。
家では暖炉の火を付けていたお陰で暖かく、冷たくなった体が溶けていくように体温を取り戻す。
ほっとできたのは一瞬のことで、赤い衣装を着た英雄さまを見た子供たちは皆一斉に喜びの悲鳴をあげて騒ぎ出した。
英雄さまは困りつつも子供たちに贈り物を手渡してくださった。
「おにーちゃん、ありがとーっ!」
子供たちは皆英雄さまにお礼を言うと即座に贈り物を開け始めた。
幾分しっかりしている長男でさえ末っ子を放り出してしまったので、私が末っ子を抱き上げた。
「お前も大変だな」
「いえ。親がいない時に面倒をみているだけですよ」
「それでも大変なことには変わりないだろう。労いも込めてこれをお前にやる」
英雄さまが桃色の包装に包まれた箱を差し出してくださった。
「え?私、もう大人ですよ?」
「まだ子供だろう。いいから受け取れ……いや、持てないか。ヤツらに開けられる前に俺が開けてやる」
「で、でも……!」
私は自分のことを大人だと思っているから贈り物をいただくのは申し訳なくて断ろうとした。けれど、英雄さまは有無を言わさぬように包みを開けていく。
「中身は……髪飾りか」
「……可愛い」
箱から取り出されたのは、中央に輝く石の付いた赤いリボンの髪飾りで、とっても素敵な品物だ。
「あー!おねえちゃん、ずるい!髪かざりをおにいちゃんにもらう気だーっ!」
贈り物のお人形を手にした妹がこちらへ走って来た。次女はお姫さま気取りでわがままなところが可愛いく、この子がお願いすれば、簡単に髪飾りを渡してしまうだろうし、大人な私より次女が髪飾りを付けた方がよく似合うだろう。
「駄目だ。これはこいつの──おい、名はなんという?」
「なまえですけど、それは妹にあげてください」
「断る。これはなまえが貰え。おい、そこの小さいお前。これはなまえの物だ。贈り物は一人一つと決められている。規則はまも──」
「ずるい!おねえちゃん、あたし、その髪かざりほしーっ!おねがい、おにいちゃん!それ、あたしにちょーだい!」
「おい!引っ付くな!」
次女が英雄さまの脚にしがみついてねだり始めるから、英雄さまは凄く困ったように眉根を寄せ、それから意を決したように私の方を向いてきた。
「なまえ、今のうちに付けてやる」
「でも……」
「これはお前の物だ。無理して大人になるな。欲求のままに受け取れ」
英雄さまは語気は強いものの、途端に何か自信を失ったように視線を泳がせながら、脚にしがみ付いている次女を引きずって私の目の前まで寄ってくる。
私はその時体が緊張に固まり、胸の鼓動を速めていた。それは同世代の男の子が目の前に来たからではなく、『無理して大人になるな』という英雄さまの言葉が胸に響き、同時にその時の真剣そうな表情が眼に焼き付き、鋭い痺れを背筋に感じたからだ。──多分、この感覚は英雄さまのことが好きになってしまったようだ。
英雄さまが私を見下ろし、手を伸ばして来て、思わずぎゅっと眼を瞑り、肩が跳ねてしまう。
耳の上あたりの髪をそっと掻き分けられ、髪飾りを付けられた。髪に触れられただけなのに、耳の上辺りが熱く感じ、胸が高鳴ってきゅうっと縮まる。
「……よくわからんが、これでいいだろう」
英雄さまが離れる気配を感じて漸く瞳を開けられたけれど、恥ずかしくて彼の顔を見ることができなかった。緊張と羞恥のせいか、こめかみの辺りが脈打ち、自分の耳の中に血流の音さえ聞こえてくる。
「あ、ありがとうございます!本当に、こんな素敵なものをいただけて……」
「この贈り物を用意したのは特務機関の連中だ。礼を言うならそいつらに言え。俺はもう行く。この強欲女に盗られるなよ……おい!」
欲しいものが手に入らなくて怒ったのか、次女が英雄さまに噛み付いてしまった。
「こら!英雄さまの脚を噛むのはやめなさい!」
「がるるるるる!」
次女は獣の鳴き声を真似して、更に英雄さまの脚に深く噛み付いた。
「おい!英雄さまをかんでなまえねえちゃんをこまらせるのはやめろよ!」
長男が走ってきて男の子から次女を剥がしてくれたお陰でなんとか英雄さまの脚が自由になった。
「英雄さま、お怪我はありませんか?」
「女児に噛まれたくらいで怪我をするような柔な鍛え方はしていない。俺はもう行くが……アレの面倒に加えて乳児の世話など大変だな」
英雄さまはチラリと私の腕の中の末っ子の子を見やる。
「大変ですけど、皆可愛くて癒されることも多いです。それに両親はもう何日かすれば帰ってくるはずなので……」
「それならいいが、無理はするなよ」
「はい……」
英雄さまの優しい声掛けに、益々彼への想いが胸の内で膨れ上がっていくのを感じた。
国を守る異界の英雄さまに恋をするなんて、あまりにも無謀なことだけれど、このまま想いを抑えきれそうにない。
「あの、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「……フェリクスだ。もう行く」
頭の中で英雄さまの名を忘れないように繰り返した。特務機関の英雄さまには滅多に会うことはできないけれど、名前だけでも知ることができたのはよかった。
今度こそ本当に、フェリクスさまは背を向けて玄関口からそのまま外へ出て行ってしまった。
「おにーちゃん!オモチャありがとー!」
子供たちが玄関からフェリクスさまが見えなくなるまで手を振る一方で、私は黙って彼の背中を見送った。
この恋はずっと偲んだままになるだろうけれど、それでも彼の背中を見るだけでうっとりとした幸福を感じることはできる。
耳の上の髪飾りに触れると、彼に髪を触れられた時のことを思い出してまた心臓がきゅっと握られたように小刻みに脈を打つ。
この髪飾りを頂けたことは勿論、フェリクスさまという素敵な英雄さまに会え、彼から直接髪飾りを頂けたことそれ自体が素敵な贈り物に思えた。
*
それから数日後。まだ雪の残る家を出て井戸水を汲み上げているところにフェリクスさまが、この前の格好とは全く異なる、何やら真っ白な襯衣に、金糸の刺繍のされた黒の胴着と、同じく黒の下衣を身に付けてやって来た。まだ寒いと言うのに、外套もなしに涼しい顔をしている。
「フェリクスさま……!どうして……?」
既に顔を洗って身なりは整えたものの、完全に油断していたので混乱したし、途端にこの前のような緊張が戻って来た。
「……この前のあの格好は浮かれているわけではないことを伝えに来た」
「えっと、その、浮かれているようには見えませんでしたよ?」
「そうか……ならいい。ああ、用件はそれだけではない。その髪飾りが盗まれていないか確認する用もあった。今朝から付けているなら、どうやらあの強欲女は諦めたようだな」
「ええ。町に出てあの子の欲しいものを買ってあげると約束すれば、納得してくれました」
フェリクスさまが帰られた後に次女が私のリボンを欲しがって暴れたので、先のことを条件にリボンを守ったのだ。可愛い次女にリボンをあげたい一方で、好きな人から頂いた物を手放したくはなかった。それに、彼が言ってくれた『無理して大人になるな』という言葉が後押しになってくれたから次女の要求をきっぱりと跳ね除けられた。
「物で釣ったのか」
「強欲ですから」
「フッ。そうだな……」
フェリクスさまが気難しそうな顔を、ほんの少し緩めた。
その笑顔のような表情にハッと瞳を見開いてしまう程惹かれ、慌てて視線を落とした。これ以上この方と話し、その顔を見てしまったら、お茶を誘うとか、無謀な行動に出てしまいそうな気がして怖くなった。
「あ、あの、私はもうこれで……」
地面に置いた水桶を持ち上げ、フェリクスさまに背を向けた。
すると、フェリクスさまは私の横に来て、水桶を軽々と私の手から奪ってしまう。
「これは俺が運ぶ。戸口を開ける為にいちいち地面に置く手間も省けるだろう」
そんな手間でもないのに私を助けてくれようとする姿勢に益々惚れなおしてしまい、ぼーっとフェリクスさまのお姿を見つめていると、家の柵の外から背の高い、橙色の髪をした男性が手を振って来た。彼もフェリクスさまと似た、黒地に金糸の刺繍のされた制服のような衣を身に纏っている。
「おーい!フェリクス!その子がヒルダたちの言っていた『無骨なフェリクスを骨抜きにする魔性の美少女』なまえちゃんかーい?浮かれた格好で一つの家に驚く程長く滞在して親交を育んだって噂はどーなんだー?」
「シルヴァン!!!!」
フェリクスさまは水桶を持ったまま、大股でシルヴァンと呼ぶ男の人へズカズカと歩いて行ってしまった。
そういえばつい先日のこと。戸外で薪割りをしていると、ヒルダとアネットという英雄さまたちがやってきて、フェリクスさまのことを根掘り葉掘り聞かれたことを思い出した。私は彼の優しい行動を全てあげただけなのに、何故か二人して驚いていたのが意外だった。確かにお二人の言うようにフェリクスさまは無骨に感じられたけれど、根っこからお優しい方なのはわかりやすい気がする。
そう思った矢先、こんな寒さの中フェリクスさまは桶の水を全て橙色の髪の方──シルヴァンさまに掛けてしまわれた。
その結果、シルヴァンさまの髪や衣が乾くまで家にいて頂くことになり、フェリクスさまは彼の御目付役として同じく家に留まってくださった。
「まさか、なまえちゃんと過ごす為に俺に水をかけるなんてなあ。やるなあ、フェリクス!」
「シルヴァン!貴様はもういっぺん冷水を浴びせられたいのか!」
シルヴァンさまがフェリクスさまをからかう度に、その言葉がどうか本当であれ、と願った。
また、彼らが騒ぐ度に寝かしつけた末っ子が目を覚まして泣くようになってしまい、どうか二人が仲良くしてくださるように願えば、近くで私の願い事を聞いていた長男がぽつりと「両方既に叶ってそうだよ」と呟いた。