ronan
アスク王国特務機関の城で癒し手として働くなまえは今日も訓練中の兵士たちの怪我や病気を診ていた。
今日の急患は十人程で皆すぐに癒しの力で治り、他には杖の力では治せない持病持ちの兵士に薬の調合をしたり定期検診をしたりしていた。
夕方頃には暇になり、治療室の片付けや整理、備品の確認をしていると、なまえの担当患者であるロナンがやってきた。
ロナンは召喚師によって異界から召喚された英雄であった。顔立ちや服装には華やかさはないが、柔和でありながらも誠実そうな顔付きは好青年を思わせる。髪や瞳は海のように鮮やかな青色で、華美な装飾を持たずしても十分魅力的な男性だ。
「ロナン!薬、もう切れたの……?それとも他に何か問題が……?」
なまえはロナンを一眼みるなり顔を輝かせたが、ロナンには昨日処方薬を出したばかりの為、今日も訪ねてきたことを心配した。
「……あ、と、そうなんだ……いや、実はまた薬草の湯に浸ける療法を受けに来た」
ロナンが少し言葉を詰まらせるが、突然のロナンの訪問に動揺していたなまえは気に留める余裕がなかった。
「あれ効いてるの?」
「ああ。確実に良くなっている気がするよ」
「それはよかったわ。じゃあ、用意するから待ってて」
なまえは薬草から抽出した成分の入った液体を大鍋に入れ、小さな処置台に乗せた。何枚か清潔な布や軟膏を用意し、全て必要な物を揃えてから温めの魔法を使って、大鍋を温めた。
処置台に対して横並びに座り、なまえはロナンの方へ少し体を向けた。
「一旦手を見せてくれる?」
ロナンは頷いて、なまえに両手を揃えて出した。ロナンの両手は痛々しいあかぎれだらけであったが、なまえは顔をしかめるどころか、傷の確認の為にロナンの手に触れたことで頬を赤らめていた。
──この手が私を守ってくれた。
ロナンの傷だらけの手を見る度にロナンの男らしさを意識し、愛おしく思えて仕方なくなっていた。ロナンの為にこのあかぎれを治したいと心の底から思っている。勿論、他の患者に対しても症状を和らげてやりたい気持ちはあるが、ロナンに対してだけはその想いが特別強い。
なまえはロナンに恋をしていた。きっかけは森で助けてもらえたことだ。なまえが森へ薬草を取りに行った際に熊に襲われそうになったところを偶然狩猟をしていたロナンが矢で追っ払ってくれ、その時の勇ましいロナンの姿に惚れてしまったのだ。その後も恐怖で震えるなまえを懸命に励まして城まで送ってくれたロナンの優しさもなまえの心を甘く捉えていた。
そっと睫毛を上げてロナンを見ると、ロナンの青い瞳と視線がかち合ってしまった。なまえは慌てて俯き、ロナンの手に視線を戻した。盗み見たつもりが、ロナンに見られたことに気が付いて居たたまれなくなった。
「じゃあ、この湯の中に浸けていいわ」
なまえに言われるままロナンは大鍋の中に両手を浸けた。少ししみるのか、ロナンは険しい顔をしたが、すぐに穏やかな顔に戻った。
「熱くない?」
「大丈夫だよ。いつも通りちょうどいいし、心地いい……これをした日はよく眠れるんだ。お陰でよくなってきているよ」
「本当?この療法が効いているなら、毎日やってみる?」
なまえはいつもロナンに会える日を楽しみにしていたし、傷の具合がよくならないか心配していた。ロナンの怪我を毎日治療してやりたいとも思っている。
「可能なら毎日受けたいけど、薬草が足りなくならないか?それに君に負担をかけたくない」
「負担なんて全然……!薬草は森にさっと取りに行けばいいのよ」
「また取りに行くなら僕が護衛してもいいか?」
ロナンの真っすぐな眼差しと護衛の提案に、なまえは驚き、瞳を丸くさせた。暫しの間ロナンの瞳に見惚れ、ハッと惚けていることに気づくと視線を外して咳払いをした。
「えっと、それは是非お願いしたいわ……ロナンがいると安心なの」
「よかった。この前君が森に行ったと聞いた時は心配で、この眼で君が無事に帰ってくるところを見るまで安心できなかった」
「ロナン……私、そんなこと言われたら勘違いしちゃうわ……」
ロナンの言葉はなまえの胸に甘美に響いた。自分に気があるような台詞に思えもした。ただなまえはロナンが誰に対しても優しい男性であることを知っていた。人の役に立とうと、王国領の村に猟師としての知恵を教え、村の暮らしが豊かになるように貢献していることも知っていた。だから、ロナンの台詞に他意はないと思おうとした。
「それは勘違いじゃなくて……いや、この状態では締まらないね」
ロナンは大鍋から手を引き、傍らに置かれた布を取って水気を拭き取った。布を処置台の上に戻すと、体をなまえの方へ向けた。椅子の間隔が狭い為にロナンの膝と自分の膝が触れ合い、なまえは心臓の鼓動を高鳴らせた。
「なまえ、僕は君が好きだ。いつも君のことばかり考えてしまうし、いつだって君に会いたいと思ってしまう。今日も治療の為ではなく、君に会う為に来た」
「あ、わ、私もロナンのことが好きで、いつもあなたが来るのを待っているの……だから、あなたも同じことを想ってくれていて嬉しい」
ロナンからの夢のような告白に、なまえは耳まで赤らめながら思いの丈をぶつけた。
ロナンは青く澄んだ瞳を大きくさせ、驚いたような顔をしたが、ふっと瞳を細めて淡い笑みを浮かべた。
「初めて君を森で見た時、お姫様のように美しく見えたから何故護衛の騎士もつけずに一人でいるのかわからなかった。でも実際はここで働く癒し手と知り、驚いた。ここで働きながらも、癒しの力では治せない難病の研究もしていて、本も書いていると知った時は信じられなかった」
なまえはロナンの言葉の一つ一つを胸に受け止め、熱に浮かされたような顔で聞いていた。褒められているのかはよくわからないような内容であったが、ロナンから想いを告げられたばかりであるから、全てが心地よく聞こえている。
「──そんな賢くて美しい君に猟師の僕が幸せを与えてあげられるかはわからないけれど、僕は君と一緒にいたい。賢いのに何も考えずに一人で森に入ってしまう君を守ってあげたい。僕の、この手で……」
ロナンの手がなまえの首筋に触れ、後ろ髪の下のうなじに触れた。猟師であるロナンの手のひらは硬く、ごつごつとしているが、なまえはその感触にロナンの男らしさを感じて緊張と羞恥に瞳を潤ませた。
ロナンの顔が近づいてくるとなまえは瞳を閉じ、ロナンの口付けを受け入れた。重なる唇の感触は柔く、なまえは気持ちの良さと想いを交わすような美しさに感動していると、その口付けがどんどん深くなってきていることに気が付いた。
上下の唇を何度もロナンの唇の間に挟まれ、離れたかと思えばまた角度を変えて口の端から端までを食まれた。背筋を甘く痺れさせるような心地よさを感じながらも、ロナンの口付けに愛欲のような淫らさを感じたなまえはそっとロナンの肩を押した。
「どうしたんだい?」
「……その、意外で……」
なまえは恥ずかしそうに顎を引き、ロナンを上目で見つめたが、少し濡れているような艶めいた唇に眼がいき、顔を背けた。
「何が?何か変だったかな……?」
「凄く器用というか……」
「ああ。僕は猟師だから器用なんだよ」
それは手先の話では、と思ったなまえだが、必然と大好きなロナンの男らしい手が自分の体に触れることを想像してしまい、頬を火照らせた。
「そうね、ただ器用なだけよね……」
「やりすぎだったかな?この手が君の綺麗な肌を傷つけるのが怖いから、口付けだけでもちゃんとしたくて……あ、首の肌、傷ついてないか?」
ロナンは慌てたようになまえのうなじから手を引き、心配そうに頭を傾げてなまえの首筋を覗き込んだ。
「待って。私はあなたの手が好きだから、そんなこと言わないで。この手で毎日いっぱい触って欲しいわ。お願い……」
なまえはロナンの手を取って自分の頬に当てた。ロナンの爽やかな見た目に反して、手はゴツゴツとして大きく、男らしくあった。大きな手に頬を包まれる感触は硬いが、安心感を覚えるような温かさがある。
「ありがとう、なまえ……君は本当に優しくて素敵な女性だ。僕は猟師としてこの手に誇りを持っているけど、やっぱり気になってしまうかな。何度でも君に触れられるようにまずは治療に専念するよ」
ロナンは処置台に向かって座り直し、再び薬品の注がれた大鍋の中へ手を入れた。
先程なまえは自らロナンの肩を押して口付けをやめさせたのだが、それはロナンの器用すぎる口付けに少し怖くなっていただけで、訳を知った今はロナンの健気な気持ちが嬉しいし、もっとして欲しいとさえ思っていた。
「私は気にしないけど、あなたが気になるなら、私に触れる前に薬を塗ればいいのよ。長くはもたないかもしれないけど、効果はあるはずよ」
「本当かい?でも、手が臭わないかな?」
「大丈夫よ。香り付けに肌にいいお花の成分も調合するから。そしたら気にせず触ってくれる……?」
「もちろんだよ。でも、今日はちゃんと治療を受けようかな」
「えっ?口付けくらいは別に……」
なまえはもっとロナンと口付けをしたいという欲求を口走ってしまい、口元を抑えて続きの言葉を呑み込んだ。「触れて欲しい」なら下品に聞こえないはずだが、「口付けくらい」と発言したのは下品に思えた。
なまえの心配は他所に、ロナンはなまえを下品だと思うような表情は見せなかった。代わりに柔らかい笑みを口元に刻んだ。
「理性のある男だと思われたいからね。それにもっと君と話して、君のことを知りたい。君のことを教えてくれるかい?」
ロナンの優しくて誠実そうな言葉はどこまでもなまえの心を甘く陶酔させた。ロナンの男らしい手や口付けの技巧に惹かれていたなまえだが、言葉を交わすのも素敵なことに思え、笑顔で頷いた。