wolf
※一人称はFEHの方
※エレブ大陸のキャラ多め
度重なる戦争でアスク王国には多くの孤児がおり、自らも孤児として育った異界の英雄であるなまえは非番の時は孤児院の手伝いをしていた。
孤児院ではなまえと似た身の上の英雄が数多く働いているものの、いつでも人手は足らない状況で、なまえは自分の身なりに気をつかう余裕もなく子供達の世話に勤しんでいる。ここに来た当初は豊かで艶やかであった髪は傷んできて指通りが悪く、時折子供の吐瀉物が付いていた。
そんな忙しない日が続くある時なまえが乳児を抱きかかえてあやしていると、買い物を終えて帰って来たロシェが何か用事のある様子でなまえに声をかけようとして顔をしかめた。
「なまえさん、なんか臭いません?」
「さっきそこで吐いちゃった子がいたの。片付けたはずなんだけど……」
「念のためもう一度ぼくが掃除するので、なまえさんはウルフのところに行ってきてください。すぐ外で待ってます」
「また突然……!どうしようロシェくん、わたしお化粧してないし髪も整えてない!」
同じく異界の英雄であるウルフはロシェの所属する狼騎士団の団長で、偶然孤児院で出会ってからというものの度々なまえに会いに来てくれるようになっていた。ウルフからの好意をそれなりに感じていて、なまえも彼の誠実でどこまでも真っすぐなところに惹かれている。
だから少しでも身ぎれいにしておきたいのに、今日のなまえの恰好はいつもよりぼろぼろでとてもじゃないが意中の人に会える状態ではない。
「だからあいつはそんなこと気にするやつじゃないですよ」
「わたしが気にするの!あ、ごめんね……びっくりしたねー」
なまえが声を張ると、乳児は目を見張って今にも泣きそうになるので、なまえは慌てて笑顔で優し気に笑う。
「セーラ、口紅とか頬紅持ってない?血色だけでもよくしたいの」
「ごめん!今ちょっと手が離せなくて……!こら!それはそうやって使うんじゃないの!」
なまえと年の近い修道女のセーラに声を掛けるが、男の子達が喧嘩をしているのを止めているのでそれどころではなさそうだ。
「なまえさん、本当にウルフは気にしませんて。初対面で泥だらけのなまえさんを見て興味を持った男ですよ?普通の男じゃないんです」
「ロシェくん、それはどういう意味?」
なまえはロシェの言葉を悪い冗談であると捉えて眉を顰める。
子供に泥団子を投げつけられた時のことだ。泥だけになった顔や服の汚れを外の水場で落としているところに偶然ウルフがロシェを訪ねてきたのが初めての出会いであった。
そうこうしているうちに扉が開き、精悍な顔つきをした青年が部屋に入ってくる。鮮やかな花のような色を持った髪がさらさらと流れるように揺れるさまが美しく、なまえは一目見ただけで顔を赤くさせた。
「悪いな。待てなくて入らせてもらった」
ウルフはロシェに一瞥すると、なまえを向いていつも真っすぐな眼差しをなまえの顔に注ぐ。右目は長い前髪に隠れて見えないものの、左目だけでも眼光の強さが感じられる。ウルフは佇まいだけで隙一つない様子が見て取れる程威厳のある一方で不思議と威圧感は感じさせない。ただなまえはウルフへの恋慕で緊張してしまい、途端にもじつきだした。
「なまえ、今いいか?」
「大丈夫よ。えっと……廊下に出た方がいい?」
「いや、忙しそうだからここでいい。明日遠乗りに出ないか?なまえを連れて行きたいところがある」
「わたしを……?」
ウルフに話しかけられることはあっても、出歩きに誘われることはなかった為になまえは動揺する。
「子供達も誘ってはいいが、道が荒いから勧めない。それに俺はなまえと二人で出掛けたい」
なまえは何もかも考えず感情のままに頷きたかったが、世話を必要とする子供達のことを考えるとすぐに返事はできなかった。
「少し考えていい……?」
「考えなくていいですよ、なまえさん。行ってきてください」
ロシェは布で床を拭きながら顔を上げる。親しい仲間がなまえを遠出に誘っているというのに特に驚く様子もなく協力的である。
「明日はまたレイの奴を引っ張ってくるからなまえは行ってきていい。チビどもの面倒は任せろ。レイをこきつかってやる」
隣の部屋で子供達とお絵描きをしていたはずのツンツン髪のチャドが音もなく現れて頼もし気に胸を反らす。その後ろでは緑髪のルゥがうんうん頷いている。
「なまえ、絶対行かなきゃだめよ?使えないと思うけど明日はエルクを捕まえてくるから安心して行ってきて」
セーラは子供が振り回してぶつけ合っていた横笛を取り上げながらなまえに意味ありげな視線を送る。
なまえは皆の注目を集めてしまっているのを恥ずかしく思ったが、それ以上に背中を押してくれる仲間たちの優しさを嬉しく感じた。
「ウルフ、誘ってくれてありがとう。明日楽しみにしてるね」
なまえの返事にウルフは唇の端を僅かに上げると、なまえの毛先を目に留める。
「何か付いてるぞ」
「え……?きゃあっ!」
指摘されて触れた髪の感触と、ふと香ってきた臭いの正体に気がついてなまえは悲鳴を上げた。
*
翌日完璧に身なりを整えたなまえであったが、なまえが目をかけていた子が高熱を出したことで看病することになり、本人以上に周りが気を揉んでいた。
「なまえさん、ウルフはいつまでも待つって言ってますけど」
「悪いからすぐにでも帰ってもらって。わたしは今日もここに寝泊まりする予定だから……せっかく誘ってくれたのにごめんなさいって謝っておいてもらえる?」
なまえは寝台にぐったりと横たわる子供の額から汗を拭う。
ウルフと出かけられないのは残念だが仕方ない。病気の子供が優先だし、なまえがいないとぐずる子なので放ってはおけない。
ロシェはそれを重々わかっているからか、なまえが絶対に譲らないことを察したように肩を落とす。
ロシェが部屋から出て行くと、なまえは目頭が熱くなるのを感じた自分に驚いた。忙しいウルフと会える時は限られているとはいえ、またいつか機会は巡ってくるだろう。なまえが約束を守れなくともウルフは理由を聞けば納得してくれる人であると考えているからそれ程気に病むことではないのだ。
何も問題はないはずなのに、泣きたくなるのは何故だろうか。日々の疲れで参っているからに違いない。好きでやっていることでも、疲れに敵わないこともある。
「それでもわたしはあなた達が大好きよ」
小さな手を愛おしそうに優しく包みこむ。使命感から始めた活動もある時から愛や喜びの為のものに変わっていた。今後もそれは変わらないだろう。
なまえがつきっきりで看病をして過ごしているうちにあっという間に夜を迎えた。
漸く子供の熱が下がったので安心して井戸の水を汲みに外に出ると、ウルフが綱木に馬を繋いでいるところであった。暗がりでも鮮やかな色の髪に隠れた横顔が朧気ながら見える。
ウルフはなまえに気がつくと、矢筒を肩に掛けてなまえの方に寄って来た。
「ウルフ……今日はごめんなさい」
「問題ない。また折をみて誘う。大丈夫か?」
月灯りに照らされるなまえの肌は青白さが際立ち、ウルフは心配そうに顔を覗き込む。
「わたしは大丈夫。子供の熱が漸く下がって一安心していたところよ」
「水を汲むんだな。手伝う」
ウルフは井戸に目を遣るなまえの意図に気がついたように、なまえの手から汲み桶を取り上げて井戸の水を汲み始める。
なまえの予想通りウルフは約束を破ったことを怒らないどころか、なまえを手伝おうとしてくれる。ウルフの優しさに涙腺が緩んだのかなまえの頬をぽろぽろと涙が伝わり落ちていく。
「泣いているのか?」
「あ、ごめんなさい……泣くつもりはなくて……」
「休んだ方がいい。中に入るぞ」
ウルフに促されてなまえは涙に濡れた顔を拭って頷いた。
一旦桶を厨房に運んでもらうと、静かに眠っている子供の様子を一緒に見に行った。
「この子がわたしに一番懐いてくれている子なの。今朝から熱が酷かったけど今は落ち着いてよかった」
「いい寝顔だな」
苦しそうな表情から一変して曇りのない健やかな子供の寝顔にウルフも穏やかな声音で言う。
狼騎士団の団長として厳格なウルフは時に冷たく、時に人当たりの強い人間に捉えられてしまうこともあるが、こうした何気ない受け答えで彼の優しさが伝わってくる。
「訪ねる度にここは騒がしくて混沌としているが夜は静かだ」
「寝ている時は信じられない程とっても可愛いの。食器や泥を投げつけてこないから」
「……何故泣いていたか聞いてもいいか?」
「さっきは突然泣いてしまってごめんなさい。ただ少し疲れちゃっただけだから気にしないで……」
「なまえが泣いているのを放ってはおけない。泣くほど疲れるのならここでの活動をやめようとは思わないのか?」
「どうかな……部屋が滅茶苦茶になっちゃったりまったく眠れない日が続いたりした時に少しだけ考えちゃったことはあるかも。でも元々自分がやりたくて始めたことだし、子供達を守りたい気持ちはずっとあるから本気で支援をやめようと思ったことはないかな……あのね、子供達がたまに綺麗なお花をくれたり、『ありがとう』って可愛い笑顔を見せてくれたりするからそれがとても嬉しくて皆のことが愛しくて仕方がなくなるの。そうね、だからわたしのためにも皆のためにもやめるつもりはないし疲れたくらいでもう泣かないから大丈夫よ」
話しているうちに自分の気持ちを再確認したなまえが前向きな様子を見せると、ウルフは安心したように表情の硬さを和らげる。
「それでも辛い時は周りを頼るといい。支援に来れるやつが他にいないか当たってみる」
「とても助かるわ。でも皆忙しそうだから無理はして欲しくないかな……わたしはウルフがこうして訪ねてきてくれるだけでも大分心が軽くなって助かってるの」
「……なまえに渡したいものがある」
ウルフは肩にかけていた矢筒を下ろすと、中から真白い花の束を取り出した。
なまえは差し出されたそれに驚いたが、すぐに笑顔になって花束を受け取って早速花弁に顔を近づけて匂いを香った。上品で甘やかな香りだ。
「すごくいい匂い。ありがとう。どこで摘んできたの?」
「ここから西の方にオレルアンのような美しい草原がある。草原の先に樹木の群生があってそこに着生していた花だ」
「へぇ……本当に綺麗なお花。オレルアンにもこのお花はあるの?」
オレルアンはウルフが度々口にする彼の故郷の名だ。話を聞いている限りとても美しいところなのだろう、となまえは以前から興味を持っていた。
「わからない。いつか異界に戻ることになった時に俺と共に来て確かめてくれるか?」
「……」
ウルフの言葉の意味を理解するまでに少々時間を要したが、理解したところですぐには返事ができない。なまえのいた世界はウルフとは異なる世界だ。いつか召喚師に頼めば元いた異界でなくとも送還してくれるという噂を聞いたことがあるが、真実の程はわからない。
「わたしはアカネイア大陸を知らないの……」
「なまえが知らないことは俺が全て教える」
「……前に元いた世界で家族も守るべき故郷もないって言ったけど……でも……」
ウルフと出身の異なることからいつかはこうなる気がしたが、深くは考えていなかったなまえにはあまりにも早すぎた。遠出の約束を破ってしまったばかりであることもあり、なまえはより不確実な約束を簡単に交わす気にはなれない。それに今更ながらいつもてんてこ舞いで余裕がなく、急に泣き出す薄汚れた女でウルフはいいのだろうか。
「オレルアンの地に俺と家族を作ればなまえは来てくれるか?」
因果関係がおかしくなっているが、なまえを説得する為の必死さ故から出た発言だろう。要望を通すための滅茶苦茶で、らしくないウルフの言葉になまえの気持ちが揺れる。
それに加えてウルフの熱い眼差しに見つめられるとなまえも弱かったし、今までの彼の言動がなまえの心を捉えて離さない。誰かと一緒の未来を見るなら、ウルフ以外には考えられないだろう。
「家族はオレルアンに行ってからがいいかな」
「……!そうだな……気が早かったな」
なまえの返答にウルフは珍しく動揺したように視線を落とす。いつも実直で落ち着きある彼の意外な一面にすらなまえは惹かれて自分の決断を後悔することはなかった。
ウルフはすぐに気を取り直したように普段通り隙のない真面目な面持ちでなまえを見つめる。
「誘いを受けてくれて感謝する」
「感謝なんて……こんな薄汚れたわたしで本当にいいの?今日は泥とか子供が吐いちゃったものとか付いてなくてよかったけど汗まみれで髪もぐちゃぐちゃだし……」
せっかく化粧や香油で整えた容姿も夜には崩れていて、なまえは自信がなさそうに足元を見つめた。アスク王国には傾国の美女といっても差し支えない程の洗練された容姿の女性が多い。そんな中で自分が選ばれる理由が見つからずに卑屈な気持ちになってしまう。ロシェの言う通りウルフが普通ではない論も否定できない気がした。
「何者にもなまえの美しさは損なえない。だからなまえのような純白の花を摘んできた」
ウルフに言われて、なまえは手にしていた真白い花を見る。一点の汚れもない堂々と咲き誇る花に自分を重ねて見てくれたことが、もしかしたら先程の彼の告白よりもなまえの胸を打ったかもしれない。心臓がぎゅっと締め付けられ、胸の鼓動が強く打ち鳴って感激に目が潤んでしまう。
「ありがとう……ウルフがそう言ってくれるのすごく嬉しい。でも今度会うときはちゃんと着飾ったところを見て欲しいかな」
「俺の前だからと着飾らなくてもいいが、見てみたい気持ちもある。この王国は祝祭が多い。今度子供達と祝祭に参加する時にでも見せてくれ」
「子供達が参加する時は自分を着飾ってる余裕がないかも」
「それなら子供達の面倒を俺が見る」
「ふふっ……本当?ありがとう」
ウルフが子供達に手を焼く姿を想像して思わず笑みがこぼれる。朗らかに笑うなまえを見つめるウルフの鋭い眦は柔く下がり、そんな二人の会話を扉越しに聞いていたチャドは顔を曇らせていた。
「二人がくっつくのはいいけどよ、なまえがアカネイア大陸にいっちまうのはやだな……おっさんと二人でエレブ大陸にくりゃいいのに」
「おっさんって……でもチャド達からしたらウルフでさえもおっさんなのかな……いや、どうかな」
年若く、ともすると中性的な美しさを持つ団長に対してのチャドの表現に、同じく隣で聞き耳を立てていたロシェは納得できずに首を捻る。
「どうでもいい」
レイが我関せずとでもいうように胡坐をかいた膝の上に乗せた魔導書の文字を目で追っているが、どこか苛立たし気な様子である。
「そういえば、レイが初めてなまえを見たとき『乳母か?』って聞いてきたよね?今おもうとなまえが誰かのものじゃないかって確認したかったのかな。だからさいきん狼騎士団の団長さんと仲がいいよって教えたら途端に興味なくしてたよね?」
レイの双子の兄であるルゥが、以前レイを無理やり孤児院に引っ張って来た時の話をするとレイは魔導書から赤くなった顔を上げる。
「はぁ?どうやったらそんな思考回路になるんだよ!少し大きいガキがガキ抱えてあやしてたから気になって聞いただけだ!誰があんな泥んこ女……」
「なまえの悪口はそこまでだ。ったく、おまえってやつは……少し年上の女がいいのか?なまえに甘やかされて『ガキじゃない!』ってキレながらも満更でもねぇ面してたもんな!」
「チャド、おまえっ……!」
「ふたりともケンカはやめよう!」
「もとはと言えば兄貴のせいだろ!」
わーわー騒ぎ立てる三人の子供を後にロシェはそそくさとその場から立ち去った。恐らく扉の向こうにいるウルフとなまえは今にも騒ぎを聞きつけて出てくるだろう。面倒なことに巻き込まれる前に逃げ切った大人のロシェは一人居室でため息をつく。
『乳母か?』
初めてなまえに会ったウルフがロシェに聞いてきた言葉がまんまルゥの言っていたレイの台詞と同じであった。なまえとウルフに大きな進展があったことで安堵したロシェであったが、ここにきて子供と同じ思考回路の団長を案じるべきか、それともマセたレイを案じるべきなのか思い悩んだ。
※エレブ大陸のキャラ多め
度重なる戦争でアスク王国には多くの孤児がおり、自らも孤児として育った異界の英雄であるなまえは非番の時は孤児院の手伝いをしていた。
孤児院ではなまえと似た身の上の英雄が数多く働いているものの、いつでも人手は足らない状況で、なまえは自分の身なりに気をつかう余裕もなく子供達の世話に勤しんでいる。ここに来た当初は豊かで艶やかであった髪は傷んできて指通りが悪く、時折子供の吐瀉物が付いていた。
そんな忙しない日が続くある時なまえが乳児を抱きかかえてあやしていると、買い物を終えて帰って来たロシェが何か用事のある様子でなまえに声をかけようとして顔をしかめた。
「なまえさん、なんか臭いません?」
「さっきそこで吐いちゃった子がいたの。片付けたはずなんだけど……」
「念のためもう一度ぼくが掃除するので、なまえさんはウルフのところに行ってきてください。すぐ外で待ってます」
「また突然……!どうしようロシェくん、わたしお化粧してないし髪も整えてない!」
同じく異界の英雄であるウルフはロシェの所属する狼騎士団の団長で、偶然孤児院で出会ってからというものの度々なまえに会いに来てくれるようになっていた。ウルフからの好意をそれなりに感じていて、なまえも彼の誠実でどこまでも真っすぐなところに惹かれている。
だから少しでも身ぎれいにしておきたいのに、今日のなまえの恰好はいつもよりぼろぼろでとてもじゃないが意中の人に会える状態ではない。
「だからあいつはそんなこと気にするやつじゃないですよ」
「わたしが気にするの!あ、ごめんね……びっくりしたねー」
なまえが声を張ると、乳児は目を見張って今にも泣きそうになるので、なまえは慌てて笑顔で優し気に笑う。
「セーラ、口紅とか頬紅持ってない?血色だけでもよくしたいの」
「ごめん!今ちょっと手が離せなくて……!こら!それはそうやって使うんじゃないの!」
なまえと年の近い修道女のセーラに声を掛けるが、男の子達が喧嘩をしているのを止めているのでそれどころではなさそうだ。
「なまえさん、本当にウルフは気にしませんて。初対面で泥だらけのなまえさんを見て興味を持った男ですよ?普通の男じゃないんです」
「ロシェくん、それはどういう意味?」
なまえはロシェの言葉を悪い冗談であると捉えて眉を顰める。
子供に泥団子を投げつけられた時のことだ。泥だけになった顔や服の汚れを外の水場で落としているところに偶然ウルフがロシェを訪ねてきたのが初めての出会いであった。
そうこうしているうちに扉が開き、精悍な顔つきをした青年が部屋に入ってくる。鮮やかな花のような色を持った髪がさらさらと流れるように揺れるさまが美しく、なまえは一目見ただけで顔を赤くさせた。
「悪いな。待てなくて入らせてもらった」
ウルフはロシェに一瞥すると、なまえを向いていつも真っすぐな眼差しをなまえの顔に注ぐ。右目は長い前髪に隠れて見えないものの、左目だけでも眼光の強さが感じられる。ウルフは佇まいだけで隙一つない様子が見て取れる程威厳のある一方で不思議と威圧感は感じさせない。ただなまえはウルフへの恋慕で緊張してしまい、途端にもじつきだした。
「なまえ、今いいか?」
「大丈夫よ。えっと……廊下に出た方がいい?」
「いや、忙しそうだからここでいい。明日遠乗りに出ないか?なまえを連れて行きたいところがある」
「わたしを……?」
ウルフに話しかけられることはあっても、出歩きに誘われることはなかった為になまえは動揺する。
「子供達も誘ってはいいが、道が荒いから勧めない。それに俺はなまえと二人で出掛けたい」
なまえは何もかも考えず感情のままに頷きたかったが、世話を必要とする子供達のことを考えるとすぐに返事はできなかった。
「少し考えていい……?」
「考えなくていいですよ、なまえさん。行ってきてください」
ロシェは布で床を拭きながら顔を上げる。親しい仲間がなまえを遠出に誘っているというのに特に驚く様子もなく協力的である。
「明日はまたレイの奴を引っ張ってくるからなまえは行ってきていい。チビどもの面倒は任せろ。レイをこきつかってやる」
隣の部屋で子供達とお絵描きをしていたはずのツンツン髪のチャドが音もなく現れて頼もし気に胸を反らす。その後ろでは緑髪のルゥがうんうん頷いている。
「なまえ、絶対行かなきゃだめよ?使えないと思うけど明日はエルクを捕まえてくるから安心して行ってきて」
セーラは子供が振り回してぶつけ合っていた横笛を取り上げながらなまえに意味ありげな視線を送る。
なまえは皆の注目を集めてしまっているのを恥ずかしく思ったが、それ以上に背中を押してくれる仲間たちの優しさを嬉しく感じた。
「ウルフ、誘ってくれてありがとう。明日楽しみにしてるね」
なまえの返事にウルフは唇の端を僅かに上げると、なまえの毛先を目に留める。
「何か付いてるぞ」
「え……?きゃあっ!」
指摘されて触れた髪の感触と、ふと香ってきた臭いの正体に気がついてなまえは悲鳴を上げた。
*
翌日完璧に身なりを整えたなまえであったが、なまえが目をかけていた子が高熱を出したことで看病することになり、本人以上に周りが気を揉んでいた。
「なまえさん、ウルフはいつまでも待つって言ってますけど」
「悪いからすぐにでも帰ってもらって。わたしは今日もここに寝泊まりする予定だから……せっかく誘ってくれたのにごめんなさいって謝っておいてもらえる?」
なまえは寝台にぐったりと横たわる子供の額から汗を拭う。
ウルフと出かけられないのは残念だが仕方ない。病気の子供が優先だし、なまえがいないとぐずる子なので放ってはおけない。
ロシェはそれを重々わかっているからか、なまえが絶対に譲らないことを察したように肩を落とす。
ロシェが部屋から出て行くと、なまえは目頭が熱くなるのを感じた自分に驚いた。忙しいウルフと会える時は限られているとはいえ、またいつか機会は巡ってくるだろう。なまえが約束を守れなくともウルフは理由を聞けば納得してくれる人であると考えているからそれ程気に病むことではないのだ。
何も問題はないはずなのに、泣きたくなるのは何故だろうか。日々の疲れで参っているからに違いない。好きでやっていることでも、疲れに敵わないこともある。
「それでもわたしはあなた達が大好きよ」
小さな手を愛おしそうに優しく包みこむ。使命感から始めた活動もある時から愛や喜びの為のものに変わっていた。今後もそれは変わらないだろう。
なまえがつきっきりで看病をして過ごしているうちにあっという間に夜を迎えた。
漸く子供の熱が下がったので安心して井戸の水を汲みに外に出ると、ウルフが綱木に馬を繋いでいるところであった。暗がりでも鮮やかな色の髪に隠れた横顔が朧気ながら見える。
ウルフはなまえに気がつくと、矢筒を肩に掛けてなまえの方に寄って来た。
「ウルフ……今日はごめんなさい」
「問題ない。また折をみて誘う。大丈夫か?」
月灯りに照らされるなまえの肌は青白さが際立ち、ウルフは心配そうに顔を覗き込む。
「わたしは大丈夫。子供の熱が漸く下がって一安心していたところよ」
「水を汲むんだな。手伝う」
ウルフは井戸に目を遣るなまえの意図に気がついたように、なまえの手から汲み桶を取り上げて井戸の水を汲み始める。
なまえの予想通りウルフは約束を破ったことを怒らないどころか、なまえを手伝おうとしてくれる。ウルフの優しさに涙腺が緩んだのかなまえの頬をぽろぽろと涙が伝わり落ちていく。
「泣いているのか?」
「あ、ごめんなさい……泣くつもりはなくて……」
「休んだ方がいい。中に入るぞ」
ウルフに促されてなまえは涙に濡れた顔を拭って頷いた。
一旦桶を厨房に運んでもらうと、静かに眠っている子供の様子を一緒に見に行った。
「この子がわたしに一番懐いてくれている子なの。今朝から熱が酷かったけど今は落ち着いてよかった」
「いい寝顔だな」
苦しそうな表情から一変して曇りのない健やかな子供の寝顔にウルフも穏やかな声音で言う。
狼騎士団の団長として厳格なウルフは時に冷たく、時に人当たりの強い人間に捉えられてしまうこともあるが、こうした何気ない受け答えで彼の優しさが伝わってくる。
「訪ねる度にここは騒がしくて混沌としているが夜は静かだ」
「寝ている時は信じられない程とっても可愛いの。食器や泥を投げつけてこないから」
「……何故泣いていたか聞いてもいいか?」
「さっきは突然泣いてしまってごめんなさい。ただ少し疲れちゃっただけだから気にしないで……」
「なまえが泣いているのを放ってはおけない。泣くほど疲れるのならここでの活動をやめようとは思わないのか?」
「どうかな……部屋が滅茶苦茶になっちゃったりまったく眠れない日が続いたりした時に少しだけ考えちゃったことはあるかも。でも元々自分がやりたくて始めたことだし、子供達を守りたい気持ちはずっとあるから本気で支援をやめようと思ったことはないかな……あのね、子供達がたまに綺麗なお花をくれたり、『ありがとう』って可愛い笑顔を見せてくれたりするからそれがとても嬉しくて皆のことが愛しくて仕方がなくなるの。そうね、だからわたしのためにも皆のためにもやめるつもりはないし疲れたくらいでもう泣かないから大丈夫よ」
話しているうちに自分の気持ちを再確認したなまえが前向きな様子を見せると、ウルフは安心したように表情の硬さを和らげる。
「それでも辛い時は周りを頼るといい。支援に来れるやつが他にいないか当たってみる」
「とても助かるわ。でも皆忙しそうだから無理はして欲しくないかな……わたしはウルフがこうして訪ねてきてくれるだけでも大分心が軽くなって助かってるの」
「……なまえに渡したいものがある」
ウルフは肩にかけていた矢筒を下ろすと、中から真白い花の束を取り出した。
なまえは差し出されたそれに驚いたが、すぐに笑顔になって花束を受け取って早速花弁に顔を近づけて匂いを香った。上品で甘やかな香りだ。
「すごくいい匂い。ありがとう。どこで摘んできたの?」
「ここから西の方にオレルアンのような美しい草原がある。草原の先に樹木の群生があってそこに着生していた花だ」
「へぇ……本当に綺麗なお花。オレルアンにもこのお花はあるの?」
オレルアンはウルフが度々口にする彼の故郷の名だ。話を聞いている限りとても美しいところなのだろう、となまえは以前から興味を持っていた。
「わからない。いつか異界に戻ることになった時に俺と共に来て確かめてくれるか?」
「……」
ウルフの言葉の意味を理解するまでに少々時間を要したが、理解したところですぐには返事ができない。なまえのいた世界はウルフとは異なる世界だ。いつか召喚師に頼めば元いた異界でなくとも送還してくれるという噂を聞いたことがあるが、真実の程はわからない。
「わたしはアカネイア大陸を知らないの……」
「なまえが知らないことは俺が全て教える」
「……前に元いた世界で家族も守るべき故郷もないって言ったけど……でも……」
ウルフと出身の異なることからいつかはこうなる気がしたが、深くは考えていなかったなまえにはあまりにも早すぎた。遠出の約束を破ってしまったばかりであることもあり、なまえはより不確実な約束を簡単に交わす気にはなれない。それに今更ながらいつもてんてこ舞いで余裕がなく、急に泣き出す薄汚れた女でウルフはいいのだろうか。
「オレルアンの地に俺と家族を作ればなまえは来てくれるか?」
因果関係がおかしくなっているが、なまえを説得する為の必死さ故から出た発言だろう。要望を通すための滅茶苦茶で、らしくないウルフの言葉になまえの気持ちが揺れる。
それに加えてウルフの熱い眼差しに見つめられるとなまえも弱かったし、今までの彼の言動がなまえの心を捉えて離さない。誰かと一緒の未来を見るなら、ウルフ以外には考えられないだろう。
「家族はオレルアンに行ってからがいいかな」
「……!そうだな……気が早かったな」
なまえの返答にウルフは珍しく動揺したように視線を落とす。いつも実直で落ち着きある彼の意外な一面にすらなまえは惹かれて自分の決断を後悔することはなかった。
ウルフはすぐに気を取り直したように普段通り隙のない真面目な面持ちでなまえを見つめる。
「誘いを受けてくれて感謝する」
「感謝なんて……こんな薄汚れたわたしで本当にいいの?今日は泥とか子供が吐いちゃったものとか付いてなくてよかったけど汗まみれで髪もぐちゃぐちゃだし……」
せっかく化粧や香油で整えた容姿も夜には崩れていて、なまえは自信がなさそうに足元を見つめた。アスク王国には傾国の美女といっても差し支えない程の洗練された容姿の女性が多い。そんな中で自分が選ばれる理由が見つからずに卑屈な気持ちになってしまう。ロシェの言う通りウルフが普通ではない論も否定できない気がした。
「何者にもなまえの美しさは損なえない。だからなまえのような純白の花を摘んできた」
ウルフに言われて、なまえは手にしていた真白い花を見る。一点の汚れもない堂々と咲き誇る花に自分を重ねて見てくれたことが、もしかしたら先程の彼の告白よりもなまえの胸を打ったかもしれない。心臓がぎゅっと締め付けられ、胸の鼓動が強く打ち鳴って感激に目が潤んでしまう。
「ありがとう……ウルフがそう言ってくれるのすごく嬉しい。でも今度会うときはちゃんと着飾ったところを見て欲しいかな」
「俺の前だからと着飾らなくてもいいが、見てみたい気持ちもある。この王国は祝祭が多い。今度子供達と祝祭に参加する時にでも見せてくれ」
「子供達が参加する時は自分を着飾ってる余裕がないかも」
「それなら子供達の面倒を俺が見る」
「ふふっ……本当?ありがとう」
ウルフが子供達に手を焼く姿を想像して思わず笑みがこぼれる。朗らかに笑うなまえを見つめるウルフの鋭い眦は柔く下がり、そんな二人の会話を扉越しに聞いていたチャドは顔を曇らせていた。
「二人がくっつくのはいいけどよ、なまえがアカネイア大陸にいっちまうのはやだな……おっさんと二人でエレブ大陸にくりゃいいのに」
「おっさんって……でもチャド達からしたらウルフでさえもおっさんなのかな……いや、どうかな」
年若く、ともすると中性的な美しさを持つ団長に対してのチャドの表現に、同じく隣で聞き耳を立てていたロシェは納得できずに首を捻る。
「どうでもいい」
レイが我関せずとでもいうように胡坐をかいた膝の上に乗せた魔導書の文字を目で追っているが、どこか苛立たし気な様子である。
「そういえば、レイが初めてなまえを見たとき『乳母か?』って聞いてきたよね?今おもうとなまえが誰かのものじゃないかって確認したかったのかな。だからさいきん狼騎士団の団長さんと仲がいいよって教えたら途端に興味なくしてたよね?」
レイの双子の兄であるルゥが、以前レイを無理やり孤児院に引っ張って来た時の話をするとレイは魔導書から赤くなった顔を上げる。
「はぁ?どうやったらそんな思考回路になるんだよ!少し大きいガキがガキ抱えてあやしてたから気になって聞いただけだ!誰があんな泥んこ女……」
「なまえの悪口はそこまでだ。ったく、おまえってやつは……少し年上の女がいいのか?なまえに甘やかされて『ガキじゃない!』ってキレながらも満更でもねぇ面してたもんな!」
「チャド、おまえっ……!」
「ふたりともケンカはやめよう!」
「もとはと言えば兄貴のせいだろ!」
わーわー騒ぎ立てる三人の子供を後にロシェはそそくさとその場から立ち去った。恐らく扉の向こうにいるウルフとなまえは今にも騒ぎを聞きつけて出てくるだろう。面倒なことに巻き込まれる前に逃げ切った大人のロシェは一人居室でため息をつく。
『乳母か?』
初めてなまえに会ったウルフがロシェに聞いてきた言葉がまんまルゥの言っていたレイの台詞と同じであった。なまえとウルフに大きな進展があったことで安堵したロシェであったが、ここにきて子供と同じ思考回路の団長を案じるべきか、それともマセたレイを案じるべきなのか思い悩んだ。