shez


 
特務機関で剣士として従軍しているなまえは出陣の前に必ず磨いた刀剣に細かな傷を作るようにしている。敵の体を斬る際に刃に傷があれば、少しでも痛手を与えることができるからだ。

とはいえ、僅かな刃の傷は大した痛手にはならないだろう。なまえもそれはわかっている。それでも、せっかく手間ひまかけて大事に整えた刀剣の刃に傷をつけるのは、戦いに勝つ為の験担ぎだからだ。

今日も戦いの前に験担ぎを行おうと、縦長の革袋に入った砂の中へ刃を差し込んでいると、視線を感じた。咄嗟に振り返った先にはシェズがいて、青みがかった紫色の髪から覗く片目を皿のようにしてなまえを見つめている。

「何か用?」

「いや、何やってるんだろうなって……鞘と間違えてるわけじゃないよな?」

「流石に違うわよ。これは験担ぎ」

「験担ぎ?そうか……験担ぎ中は見ない方がいいとかあるのか?」

シェズはなまえから視線を逸らす。シェズは傭兵で身を立てていただけあって、戦いの前の習慣を行う仲間の姿には見慣れていたのだろうか。シェズが咄嗟にそういう気遣いができることになまえは感心した。

「別に見ててもいいわよ?楽しいものじゃないし、ただ砂で刃に傷を付けてるだけだけど」

なまえは縦長の革袋から刀身を抜くと、横に構えて刃の細かな傷をシェズに見せつける。

「確かによく見ると傷がついているように見えるが……刀剣を大事そうにしているなまえがそんなことをするなんて珍しいな」

シェズとは作戦を立てる時に話したきりだが、どうやらなまえが刀剣を大切に扱うことを知っているようだ。仲間のことをちゃんと見ている人として、シェズの印象がなまえの中で上がるがなまえもなまえで実はシェズのことを見ているのでお互い様である。シェズの強さをなまえは常日頃から羨ましく思ってよく見ていた。

「だから験担ぎなの。少しでも敵に痛手を負わせて戦いに勝つっていう」

なまえは構えを解くと、戦場の方へ視線をやる。瞳には薄らと恐怖が宿り、心臓が冷たく脈打つが、視線を落として儀式を済ませた刀剣を見ればそれらは抑えることができた。

生きる為に剣を取ったなまえは皮肉にも死が怖く、験担ぎによって恐怖を鎮めていているのだ。

「なるほどな。そういう個人の習慣は往々にして役に立つ。俺の仲間も昔、戦いの前に決まった言葉を叫びながら剣を高く掲げるやつがいた。いつもそれで生きて帰ってこれたからと言ってな。まあ、そいつは俺にそれを教えてくれた直後の戦いで死んだんだが」

「死んだんだ……」

役に立つと前置きした上で、験担ぎが効かなかった実例を出され、しかもそれがシェズに教えた直後の戦いで失敗したと聞いてなまえは狼狽えた。

途端に落ち着きをなくして、なまえは刀剣の先を見つめながら胸に手を当て荒くなる呼吸を整えようとした。

「大丈夫か?」

「この戦いで私が死んだらあなたのせいだから」

なまえの様子が変わったことでシェズに心配そうな声をかけられるが、なまえはせっかくの験担ぎを不安材料にされたことでシェズを恨みがましく睨みつけるとシェズからできる限り離れようと走り出した。

「え?いや、待て待て!なんで俺のせいなんだ……!」

なまえの事情を知らないといえど、シェズの言葉のせいでせっかくの験担ぎにケチがついたことが許せず、なまえは後ろから呼び止めようとする声に振り返りもしなかった。



*



数日後の昼、なまえが天幕で刀剣の手入れをしているところにシェズが訪ねてきていた。

「この間は悪かった」

「別にいいのよ。結局私は死ななかったし、危ないところをあなたが助けてくれたから。ありがとね」

あの後の戦闘でいつもより動きの悪くなったなまえは危うく背中から敵に斬られるところを寸前のところでシェズに助けられたのだ。

「いや、そもそも俺があんなことを言わなければなまえは危ない目に遭わなかったのかもしれん……大事な戦いの前に験担ぎが失敗した話をするなんて俺がどうかしていた。本当にすまん」

シェズは相当気にしているのか、力強い印象の瞳は垂れ下がった眉のせいか、活力を失っている。

「もう気にしなくていいわよ。それに私の方こそ、酷いことを言ってごめんなさい。あなたが気に病むことで戦いに集中できなくなったら私が困るから、次から私がやっていることに対しての失敗例を出さなければいいわ」

それで手を打ちましょう、とでも言うようになまえが提案すれば、漸くシェズは納得したように頷いてくれてなまえも安心できた。

会話も締まり良く終わったところで、なまえは獣皮に座って油を染み込ませた布を慎重に刀身に滑らせていると、シェズが近くに寄って興味深そうになまえの様子を観察し始めた。

「刀身の手入れか?」

なまえが一旦手を止めると、それを話していい合図と取ったのかシェズに聞かれる。

「ええ。油を塗り替えているところ」

「嗅いだことのある匂いだ。なんの油だ?」

整った小鼻をスンスンと鳴らして匂いの正体を探ろうとするシェズになまえはクスリと笑って、「こっち来て」とシェズを手招いた。

獣皮の敷布の上にシェズが胡座をかいて座ると、なまえはシェズの目元を隠すように手を翳す。

「目を閉じて」

「何をするつもりだ?」

そう言いながらもシェズは目を閉じている。言われるままにするシェズはなまえに対する警戒心が薄いのか、それとも信頼されているのか。なまえにはどちらかわからないが悪い気はせず、シェズの目元を覆うように翳した手を引っ込めた。

「いいから。口を開けられる?」

なまえは小さな革袋から一粒の乾燥した蕾を取り出し、言われた通りに唇を薄く開くシェズの口の中にそれを放り込んだ。

「……うおっ!?」

シェズが目を見張って口元に手をやる様子を見てなまえは肩を震わせて笑う。

「ふふっ……香りが強過ぎた?」

「これはなかなかだな……もしかして丁香か?」

「当たり。シェズは物知りね」

「傭兵稼業であちこち行っていたからな。珍しい交易品を買う機会もあって料理に使ったことがある。そうか、香辛料以外にも油として使われているのか」

「そ。防錆にいいの」

なまえは微笑むと、鼻歌を歌いながら手入れの道具を片付け始めた。
その間にもシェズは「これはなんだ?」と聞いて、なまえに説明を求めてその度になまえは道具の説明をした。

片付けを終えてもシェズはなかなか帰ろうとはせず、なまえに何か話したそうな顔をしている。なんとなくそれが言いづらいことなのだろう、となまえは察したが、聞かずにはいられなかった。

「まだ何かあるの?」

「……なまえがこの前敵に襲われた時、目を瞑るのを見た。普段は平気そうにみえたが、俺が余計なことを言ってしまったせいで戦いに怯えるようになってしまったんじゃないかと思ってな」

シェズと個人的なことを話したのはこの前が初めてだというのに、思いの外よく見ていてくれたようだ。そこまで観察されていたことにいつものなまえなら照れたところだが、核心を突かれたことで動揺してしまう。

「……元々戦いは怖いの。傭兵だった父を亡くしているから私もいつか死ぬんじゃないかって」

「そうだったのか……」

「一年に一度くらいしか帰って来なかったから顔もよく覚えてないんだけどね。父はいつも『勝利の砂』の入った革袋を持って家を出てては『勝ったぞ!』ってその革袋を掲げて帰ってきたの。でもある時、革袋を忘れて仕事に行っちゃって……もうそれっきり。代わりに私が母の為に父の形見の革袋を持って剣士として生計を立てているの」

「なら、なまえにとってあの験担ぎは大事なものだったんだな」

「そうね。死ぬのが怖くて嫌だけど、あれをやる時恐怖が和らいで、動きが良くなるの」

「俺が余計なことを言ったせいで、ケチがついたな……」

「いいのよもう。結局シェズに余計なことを言われても生きていたし、シェズが助けてくれたし」

「というよりは俺が招いてしまった悪運を俺で始末したみたいになったが?」

そう冗談っぽく結論付けるシェズになまえはクスクス笑いながらも、あの時なまえを助けてくれたシェズの姿を頭に蘇らせていた。

信じられない程の強さで敵を圧倒し、一騎当千の力を奮って陣営に優勢をもたらすシェズ──砂で刀身を傷つけるよりは験担ぎにはぴったりな存在な気がした。

「ねえ、明日も私の近くで戦ってくれない?」

「構わないが、いいのか?」

「むしろいてくれた方がいいの。だって強いシェズが近くにいた方が安心して背中を預けられるから」

「わかった。明日はなまえが安心できるように側で戦う」

「ありがとう」

快く引き受けてくれたシェズの青紫色の瞳をなまえはお守りを見るような目で見つめて安堵の微笑みを浮かべた。



*



翌日なまえは砂の入った革袋を荷物の中に忘れてしまい、途方にくれていた。

自分の持ち場でなんとか心を落ち着けようとするが心臓は早鐘のように打ち鳴り、腿が痺れ、頭は締め付けられるような痛みを感じている。

そんな折に側で戦ってくれると約束してくれたシェズがなまえを見つけて走り寄ってきた。

「シェズ……」

なまえが縋るような視線をシェズに投げかけると、なまえの落ち着かない様子を察したように「どうした?」と、シェズは首を傾げる。

「いつもの荷物の中に入れたまま忘れちゃって……今からだと取りに戻れないし……私、死んじゃう……!あの日の父親と一緒で……!」

なまえは焦りを包み隠さず打ち明けた。取り乱しているのもあるのだが、既にシェズはなまえの中で気を許せる相手になっていた。

「落ち着け。なまえは他のものに頼らなくても強いだろ。自分を信じろ」

「でも……あれがないと私……!」

「……実は俺もここに来てからだが……験担ぎをしていた。今のところかなり上手くいってる」

「何をしていたの?」

「それはだな……いや、もうそれが済んでいるというか実行中というか……とにかく俺がなまえの分まで験を担いだから大丈夫だ」

なまえを鼓舞しようとする時と打って変わり、途端にシェズの歯切れが悪くなる。しかし、シェズがなまえの為に験を担いでくれたと言うのだ。頼りにしている味方からの優しさになまえは心強さを感じて焦りが失せていくのを感じた。

「……わかった。私、シェズを信じるわ」

「自分を信じることも忘れずにな。お前は強い。だから恐怖に目を瞑らず、恐怖に向き合った上で打ち勝て」

「……怖いけど、頑張るわ」

なまえはこれから戦場となる場所へ目を向ける。既に敵は隊列を組み終えているであろうに土煙が舞っている。斥候の情報通り、相当数の敵を相手にしなければならないのだろう。

なまえはシェズへ目線を戻すと、彼の青紫の瞳と視線がかち合う。彼の瞳が獣のように輝くのをなまえは知っている。誰かは禍々しいと表現するが、瞳を光らせて稲妻のように紫電一閃に敵を薙ぎ倒す鮮烈な彼の強さになまえは神々しさすら感じていた。

なまえは堪らず、祈るようにシェズの片手を自らの両手に取って、自分の胸に引き寄せ、シェズの瞳を覗き込むように近くで見つめる。

「シェズ……戦いが始まるまでこうしてていい?」

「あ、ああ……そうだな。それでなまえが自信を持つなら好きにしていい」

「ありがとう……」

なまえは目を伏せてぎゅっと力を込めてシェズの手を握る。力を込める程心が温かくなって落ち着く一方で、また目を上げると困ったようなシェズの視線と絡み合い、心臓がドクドクと打ち鳴る。なまえにはなんとなくその脈動が焦りからくるものではない気がした。



*



あれから数ヶ月後シェズの存在に助けられながらも、なまえは自分の能力を如何なく発揮し、自信をつけていった。今はもう砂の入った革袋を持ち歩くことがなくなっていた。もちろん父の形見だから大切に保管はしている。

ある昼下がりの天幕の中、獣皮の上で正座をしてなまえが刀身の古い油を取り除くのに打ち粉を付けているのを隣でシェズが見つめていた。シェズと過ごす時間は最早日課になっており、なまえは程よい緊張と弛緩に心地よさを感じていた。

「そういえば、シェズが戦いの度にやっていた験担ぎって何?」

「ああ、それか……知りたいのか?」

「知りたいわ」

「戦いの前になまえを一目見る。それだけだ」

「それが験担ぎになるの……?」

なまえは知らずのうちにシェズに見られていたという事実に恥ずかしくなり、もぞもぞと居住まいを正した。

「今のところ全勝だ」

「……実は私もシェズのこと見てるから私の験担ぎが効いてるのかも……なんて、互いの実力よね?」

そう惚けてみせたものの、なまえは妙に緊張していてシェズの目をまともに見られずに目を伏せた。

「……なまえ、これを受け取ってくれるか?」

そう言われて外した視線をシェズに戻せば、手から縦笛のようなものを吊り下げている。

「笛……?」

なまえが手入れ中の刀剣を台に置き、掬うように両手を差し出すと、その手にそっと紐の付けられた縦笛が置かれる。

「呼び笛だ。なまえが俺を必要とした時に使ってくれ。どこにいてもなまえの元に駆けつける」

「……」

なまえはシェズの意図をはかりかね、黙りこくる。
そんななまえの態度に不安になったのか、シェズは眉尻を下げる。

「最近のなまえの強さを見ていれば俺の助けは必要ないのはわかっているが、なまえにはそれを持っていて欲しい」

「どうして?」

「どうして?って言われてもな……なまえに持っていて欲しいと思ったから渡したとしか言えんな」

「……どうして?」

「結構深掘るな……なまえに渡したいと思った理由だよな?そうだな……なまえのことを大切に思っているからだと思う」

シェズはなまえを見つめて、何の気なしという雰囲気で言うのでなまえは余計にシェズの気持ちがわからなくなった。

「笛はこれだけ?他にも笛は持っていないの?」

「ああ、それだけだ」

「私以外にあげたいと思っている人はいない?」

「別にいないが……?」

シェズは何故そんなことを聞くんだ、と言わんばかりに不思議そうな顔をする。

つまり、少なくともシェズにとってなまえは特別であるということだ。それがわかっただけでもなまえには十分だ。

「じゃあ、ありがたく受け取るわね。大事にするわ」

なまえは早速紐を首に掛けると、縦笛はなまえの胸の上に乗ってしまう。

「……服の中に入れようかな」

今度は無理に服の中に入れようとすると、胸の谷間に挟まり卑猥になってしまう。

「……紐の長さを調節してくる」

そう言って右手を差し出してくるシェズを見れば、左手で背けた顔を覆っている。心なしか耳が赤い。

水着で歩き回る英雄を見ても顔色ひとつ変えないシェズの意外な反応はなまえにとって一番わかりやすい好意の証であり、それを理解した途端になまえまで耳を真っ赤に染め上げた。


 
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