illuso
※モラハラパワハラセクハラレイポ
※色々おかしい
配属されたばかりの暗殺チームで意地悪な上司にこき使われ続けてこの半年間ずっと苛立っていた。そしてつい先日、新人の私に何一つ仕事を教えることなく、私を秘書という名の小間使い扱いをしてくる上司が、私がわざわざ買ってきたコルネットをまずい、と私に投げつけてきた。彼の下に付いてから精神をすり減らしながらも我慢してきた私はついに爆発してしまった。
上司からの連絡を断つ為に携帯の電源を落とし、たまたま近所でやっていたイベント──"Giapponese Villaggio"という17世紀から20世紀の日本を題材とした企画展に、同じ日系の男友達を誘って遊びに行った。会場では自分のルーツである日本の歴史変遷の資料館を見たり、20世紀初頭に流行った女学生のコスプレをしてはっちゃけていた。一瞬も休まる時がなかった悲惨な半年を振り返ると、今日という日の為に頑張って来たんだな、と思えて心から楽しめた。
衣装をレンタルしたまま色々会場をまわると、見世物小屋という江戸時代のお化け屋敷を模した体験型の展示を見つけた。お化け屋敷はホラー映画を観るよりもずっと怖くて苦手だけど、ゴールすれば和柄の小物が貰えるということで頑張って足を踏み入れた。入口から意匠が凝っていて、扉は木製で引き戸になっていて、中に入るとまるで時代劇のような世界観が広がっていた。壁は殆ど漆黒に塗られ、通路となる道は血糊の混じったような砂利が敷かれている。照明は、鬼火を思わせる青白い炎が街灯代わりにところどころに置かれているけど、中はかなり暗い。
ちょっと不安に思いながら、友達と身を寄せ合って狭い小道を歩いていると、突然地面から血まみれの手が出てきたり、顔を撫でるように、何か生き物のようなものが横切ったりと、思った以上に怖くて叫びっぱなしだった。
「ごめんね、私うるさくて……」
何もなさそうな道をとぼとぼと歩きながら、友達に声をかけた。
しかし、返事はない。
そういえば、隣に歩いていたはずなのにいつの間にかいなくなっている。不審に思って振り返ると、後ろには誰もいなかった。何度か友達の名前を呼んでも返事はなく、恐怖と不安からその場で動けなくなってしまった。どうして友達がいなくなったのか、果たして私はここから出られるのか、これからどうすればいいのかわからなくなった。
「ど、どうしよう……」
道は入り組んでいて、ここまで来るのに右へ左へと何度も折れた。ここから数メートル先にも曲がり角がある。ひとりで曲がる勇気はない。
ひっそりとした暗闇の中、遠くから何か生き物が蠢いているような音が微かに聞こえてくる。
それを意識しないように、両手で耳を塞ぎ、地面にしゃがみこんで両眼を瞑った。
「私は大丈夫。私は大丈夫……」
これでも気の強い方だし、上司が私のことを「アジア系」と呼んでくる度に「訂正してください」と食ってかかるくらいはしている。
まあ、私が反抗すればするほどあの上司が面白がって私を虐めてくる感は否めないけど。
「アジア系は皆ビビりなのか?」
「きゃあああああああああああ!!!!」
突然男の人の声と共に人影が現れ、驚いてしまった。しゃがんだまま後ろへこけてしまい、尻餅をついた。
「日本人の女ならもっと慎ましく驚けよ」
聞き覚えのある、人を小ばかにしたような声と、鬼火の照明で薄っすらと見える顔、それから見上げるばかりの長身で、漸く人影の正体がわかった。
「イルーゾォさん……?」
「ああ、おれだ。あの小生意気なナマエがまさかこんなにビビるなんてな。見に来てよかったぜ。なあ、おれの電話は3秒で出ろつったろ?ええ?携帯はどうしたんだよ?」
「携帯の充電がなくなっちゃって。何か用ですか?また焼きたてのピッツァを買ってこい、とかですか?そもそもよくここがわかりましたね……」
地面から立ち上がり、汚れた袴の後ろを叩きながらそっぽを向いて答えた。ビビっているところを見られて決まりが悪いのと、私にコルネットを投げてきたイルーゾォさんのことをまだ怒っていたからまともに顔が見られない。
「おまえが幾ら逃げてもおれなら見つかんだぜ?だから二度と逃げようとすんじゃあねーぞ。ほら、こんなくだらねぇところは出ようぜ」
イルーゾォさんは私の横を通り過ぎて入口の方へ向かっていく。元々ついていく気はないけれど、今のイルーゾォさんの言葉は聞き捨てならなかった。
「くだらなくなんかないです……」
「あァ?」
「そうやっていつも人のことを馬鹿にして……!もう、私、あなたの下は嫌です……!リゾットさんにチクります!」
「ンなこと言いつつ、お仕置きされてーんだろ?ええ、おい?」
「ち、違います……!」
前回されたお仕置きを思い出し、羞恥に身体が燃えるように熱くなった。
それがつい昨日のことで、コルネットを投げつけられてつい投げ返してしまった私を、彼は「お仕置きだ」と言って、全裸にひん剥いて私を椅子に縛り付けてきたのだ。広げて固定された脚の間に玩具を挿れられてイッた後もしつこく挿入され続けて、昨晩からアソコが痛い。そのこともあって私は彼から逃げたかった。
「されてえからまだリゾットにもチクってないんだろ?やっぱ、日本人は淫乱だな」
「やっぱってなんですか!?それに私は日系で日本人じゃあないです!あ、私の友達しりませんか?」
「ああ。あいつならさっき捕まえて帰らせた」
「帰らせた……?本当に?殺してませんよね……?」
「そんな簡単に人を殺すかよ。ほら、早く来いよ」
イルーゾォさんは立ちすくむ私のところへ数歩で戻ってくると、私の手を掴んできた。
私が彼の下に付いてすぐ、無理やり私を穢した手なのに、何故か安心感を持ってしまった。それは多分、彼を最低な人だと思いつつも、こういう場所では頼れることを知っているからだ。別に他意はない。
「そーいや、キモノっていうのかそれ?おれの為にエロコスチュームを着るとはそんなにおれに抱かれてえのか?」
「着物はエロコスチュームじゃあありません!どこがエロいんですか!?いや、言わなくていいですけど!」
「拘束具みてえにカッチリしたもんを剥ぐのは最高に興奮するじゃあねーか」
「着物を拘束具呼ばわりしないでください!」
「ごちゃごちゃうっせーな。いいから来いよ」
イルーゾォさんに無理やり繋がれた手を引っ張られ、来た道を戻って行く。歩幅の大きいイルーゾォさんに合わせて歩くのが大変で、何度も転びそうになりながらもついて行った。
歩幅に大きな差がある為に彼についていくのはいつも大変だ。彼は私が遅れると後ろを振り返って「チビは大変だな」とにやにや笑って見下ろしてくることもある。
私は別にチビじゃないのに、イルーゾォさんは自分の背が北欧人並みに高いからってそうやって私を揶揄って虐めて楽しんでいるのだ。趣味が悪い。
こうして今までの経験から、彼は決して私を女性扱いして私に合わせてくれるような人でもなく、私が慣れない袴を着て歩き辛くしていることに気づいてくれる人でもないことはわかっている。
なんだか悲しくなってきて、このまま立ち止まろうか考えていると、ふと大事なことを思い出した。
「あ、私、ゴールしてもらえる景品が……」
「景品?んなの大したもん貰えねーだろ」
「でも、せっかく入場料払ったから……」
「めんどくせーな。これから仕事だからおまえを呼んだんだよ。おれに従えよ」
「仕事?仕事を教えてくださるんですか?」
いつも雑務ばかりやらされていて、イルーゾォさんからまともに仕事を教えてもらえたことがなかった。この世界で生き残る為にもちゃんと仕事を覚えて経験を積みたかったから漸く仕事に連れて行ってくれるみたいで、さっきまでの憂鬱が嘘のように浮き足立った。正直景品も欲しいけど、仕事を教えてもらえる方が重要だ。
「ああ。だから早くついて来い」
「あっ。洋服は預けてあるので更衣室に行ってもいいですか?」
「めんどくせーから、貴重品だけ取りに行くことは許可してやる。それは脱ぐなよ」
「え?この格好で仕事連れて行く気ですか?」
「あたりめーだろーが」
「でもこれレンタル品で……」
「パクっちまえばいいだろ」
「40万リラで買えます」
「何が言いてえんだ?」
「買ってください。さっき転んじゃったから汚れてしまいましたし……確か汚したら強制買い取りです」
「おれがおまえなんかに40万リラも払うわけねーだろ。そんな金があったら女と食事する」
一瞬胸をどつかれたように呼吸が止まった。
これまでやってきたことを否定されたような気持ちと、私を見放すかのような発言に胸が締め付けられるような痛みを感じ、お腹の底からふつふつと怒りが湧いてきた。もう限界だった。
「……そんなお金あるわけないじゃあないですか……!イルーゾォさんが早く私を一人前にしてくれなくちゃあ実行手当だって付かないし皆さんより取り分が少ないんです!毎月の生活費とか保険料の支払いとかで精一杯なのに落ち着く時間さえくれなくて、深夜だろうが早朝だろうが私を呼び出して雑務をやらせたり、私に酷いことしたり……!他の女性と遊ぶ暇とお金があるなら、少しは私に報いてくださいよ……!なんでッ、なんでこんなに私を虐めるんですか!?」
息が切れる程の言葉で捲したてた後、イルーゾォさんは少しの間沈黙した。それから私の腰を抱いて引き寄せて来て、背を屈めて私の耳に唇をくっつけてきた。
「要はおれに抱かれたかったんだろ?任務までそんなに時間はねえが……今すぐ抱いてやるから機嫌直せ」
「話聞いてました!?というか今すぐって……あっ!」
お腹に手を回され、片手で脇に抱えられてしまった。どこに行くのかと思えば、そのまま入口の方へ戻り、途中退場用の非常口を出た。白壁の廊下を歩き、男性用更衣室に連れられ、そこにあった姿見の中へ引き込まれてしまった。
イルーゾォさんは更衣室のベンチに私を下ろすと、覆い被さって顔を近づけてきた。私はそんなつもりはなかったから顔を背けた。
「なに、するんですか……?」
「おまえから誘っておいてそりゃあねーだろ?他の女に嫉妬していて、おれに抱かれなくちゃあ不満なんだろ?」
イルーゾォさんは意地の悪い笑みを浮かべながら、私の耳たぶを指で挟み、スリスリと擦ってくる。過去何度も熱い舌でねぶられたことを思い出して身体が震えて反応してしまう。
「だ、だから違います!生活を犠牲にして不当に働かされてるから、その分の報酬が貰えてないことに腹が立っているんです!」
「このおれと一緒にいることが不当って言いたいのか?」
「そうですよ!人を召使いみたいにあれこれ指図して……私はあなたのパシリじゃありません!」
「パシリ、か……そうだな。そういう言葉としておまえを捉えてはなかったが……セフレっていえば満足か?」
「……っ!」
あまりにも酷い言葉に何も言えなくなった。正直セフレどころか好きな時に呼び出して好きにヤれて、ご飯も買って来てくれる便利屋さん扱いされていることをわかってはいたけど、いざどういう関係なのか言葉にされるとキツかった。
「おい、何泣きそうな顔してんだよ?恋人のように優しくしたことなんて一度もねーだろーが。わかりきったことだろ?」
煽り口調に、他人を追い詰めて楽しさを見出しているような嗜虐的な表情。いつものイルーゾォさんだ。
正直な話、イルーゾォさんがさっき手を繋いでくれた時、少しだけ期待していた自分がいた。彼が現れた時も怖かった半面、少し嬉しかった。いつも彼から逃げたい反面、捕まえて欲しかった。
この半年間、私がずっと苛々していて怒っていたのは、イルーゾォさんが仕事を教えてくれなかったことだけじゃなかった。彼が私を特別に思っていないことがわかっていたからだ。好きになってしまった人に好かれなくてずっと苛々していて、コルネットを投げつけられた時、惨めな自分に耐えられなくて逃げだしたのだった。
そう。私はイルーゾォさんのことが好きだ。だから、わかるのだ。イルーゾォさんが私に優しくなんてしたことがないのは嘘だって。初めて彼にパシられた時、買い物リストを一個もらしてしまい謝る私を「お仕置きだ」と言って床にねじ伏せ、凌辱した後に破れてしまった服の代わりに彼は自分の服を貸してくれた。「仲間にこのことを洩らしたら殺す」という彼の言葉に涙を流しながら頷けば、頭に手を乗せてくれた。いつもそんな風に「お仕置き」の直後は優しくしてくれていた。
そこだけが唯一望みの綱だった。いつかあの優しさを常にくれるなら、私は頑張れるだろう。使役されても何も文句はない。でも、この人にその気がないのを知ってしまった今はもう──
「ここから出してください」
イルーゾォさんから愛を貰おうとするのは諦めて、深みにハマる前に、と自分から断った。
「あァ?出すわけねーだろ?こんな格好して誘ってきたのはおまえだろ?」
「誘ってないです。さっき友達といいましたけど、彼は私の彼氏です。彼氏がいるのでできません。今更ですけど……」
「は?何言ってんだ?」
「だから、実は彼氏がいるので、イルーゾォさんとはもう寝ないです!離れてください!あと、仕事があるんですよね?間に合うんですか?」
「間に合うが……マジで言ってんのか?あんな男のどこがいい?つか、あいつおまえのこと『友人』としか言わなかったが……いつからだ?おれにべったりしてあいつと会う時間あったのかよ?あんなチビなんかといて楽しいのか?そもそも、おれにビビっておまえを売った男を信じるのか?」
拍子抜けした。
イルーゾォさんは本当に私の言葉を信じているみたいで、何故か狼狽えている。私がもう言うことを聞かなくなるとでも思っているのだろうか。
「セフレならこの件はイルーゾォさんに関係ないですよね?」
「関係あるだろ……ほらよ、今日みたいに彼氏を優先されると誰がおれの飯を買ってくる?」
「そんなの自分で買ってください!」
「……まあ、関係ねえか。どちらにせよ、おまえはおれのモンだ。おれが好きにする。引き続き、今まで通りだ」
イルーゾォさんは自信を取り戻したのか、また意地の悪い笑みを浮かべ、私の袴のリボンに手をかけてきたので、彼の手首を掴んで抵抗した。
「やめてください!」
「やめるわけねーだろッ」
「嫌です!やめっ……んむっ!」
唇を唇で塞がれて、抵抗もむなしく袴のリボンを解かれてしまった。安物のぼったくりセットだから帯のない袴で、イルーゾォさんの手探りだけでも簡単に脱がされていく。あえて着物と肌襦袢を左右に開いてはだけさせるだけに留められた。彼はいつも私を全裸にする癖に今日は着衣がいいらしい。
合わさる唇や擦れ合う舌を深く感受するように、私は本能のままに抵抗を諦めて彼を受け入れた。身体は正直だった。唇が合わさった瞬間から──いや、彼から逃げようと思った瞬間から本当は彼を求めていた。
私は諦めきれていなかった。
*
結局私は彼と最後までしてしまい、その後は仕事だとかいって彼に外に連れ出され、ずっと安全なところで彼がしている仕事風景を眺めているだけで終わった。彼は私に手伝いを請いもせずにひとりで全部やってしまった。相変わらず私に教える気がないらしい。
ただ一つ変わったことはある。
「あの、邪魔するなら手伝ってくれませんか……?」
あれからイルーゾォさんの家に軟禁されて1週間になる。朝昼晩のご飯の用意をさせられるところは変わっていないけれど、買い物も料理中も彼がずっとくっついて私から離れないのだ。今も私が夕飯の準備をしているところへ来て、後ろから私を抱きしめて邪魔をしてくる。嬉しいけど、危ないからやめて欲しい。
「うっせーな。邪魔なんかしてねーからさっさと準備しろ」
暴言は相変わらずだけど、ずっと私から離れないあたりは好いてくれていることはわかる。
「だから準備してるのにイルーゾォさんが邪魔してるんじゃあないですか!あ、そういえば、ここに来て1週間なんですけど、一旦着替えを取りに帰りたいです」
「んなの、おれの服着ればいいだろ。トップス一枚でワンピースになるからな。それに下着は買ってやっただろ?ついでに着物と袴も買い取ったしな」
「袴で外出はしませんけどね!」
「確かにあれは寝巻き用だな」
「寝巻きでもないですけどね!」
まるで恋人のような会話は未だ慣れない。これだけ一緒にいても彼はまだ私をセフレ扱いしているのか知らないけど、甘い言葉の一つも言ってくれないから、この関係がなんなのかわからなくて、会話の不自然さが気になってしまう。
「チッ。電話だ」
イルーゾォさんは携帯を手に取ると、私のお尻を触りながら電話の応対をした。私はお肉の下拵えをし、パスタ用のトマトを切りつつイルーゾォさんの会話を聞き耳を立てた。相手はどうやらリゾットさんで、仕事の依頼があるらしい。
電話はすぐに終わって、イルーゾォさんは不機嫌そうな顔をして、ガラスボールに積んでおいた間食用の林檎を手に取った。
「仕事だ。このまま行ってくっから、夕飯は後回しだ」
「わかりました。それなら、お肉を焼く時間とかパスタの茹で時間もあるので帰宅前に連絡ください」
「ああ。行ってくる」
イルーゾォさんは私を軽く抱きしめ、頬にキスをすると林檎を片手に行ってしまった。
家にひとり残された私は1週間振りにイルーゾォさんと離れてしまう寂しさを感じながら、彼の為にトマトソースを作っていると、ふと重要なことに気がついた。
「バジル買い忘れた!」
風味付けにバジルは必須だ。一瞬、トマトソースにバジルが入ってないことで怒ってお仕置きされてしまわないか期待したけれど、それよりはイルーゾォさんに美味しい料理を食べて欲しくて、慌ててお財布を片手に近くのスーパーへ駆け込んだ。
※色々おかしい
配属されたばかりの暗殺チームで意地悪な上司にこき使われ続けてこの半年間ずっと苛立っていた。そしてつい先日、新人の私に何一つ仕事を教えることなく、私を秘書という名の小間使い扱いをしてくる上司が、私がわざわざ買ってきたコルネットをまずい、と私に投げつけてきた。彼の下に付いてから精神をすり減らしながらも我慢してきた私はついに爆発してしまった。
上司からの連絡を断つ為に携帯の電源を落とし、たまたま近所でやっていたイベント──"Giapponese Villaggio"という17世紀から20世紀の日本を題材とした企画展に、同じ日系の男友達を誘って遊びに行った。会場では自分のルーツである日本の歴史変遷の資料館を見たり、20世紀初頭に流行った女学生のコスプレをしてはっちゃけていた。一瞬も休まる時がなかった悲惨な半年を振り返ると、今日という日の為に頑張って来たんだな、と思えて心から楽しめた。
衣装をレンタルしたまま色々会場をまわると、見世物小屋という江戸時代のお化け屋敷を模した体験型の展示を見つけた。お化け屋敷はホラー映画を観るよりもずっと怖くて苦手だけど、ゴールすれば和柄の小物が貰えるということで頑張って足を踏み入れた。入口から意匠が凝っていて、扉は木製で引き戸になっていて、中に入るとまるで時代劇のような世界観が広がっていた。壁は殆ど漆黒に塗られ、通路となる道は血糊の混じったような砂利が敷かれている。照明は、鬼火を思わせる青白い炎が街灯代わりにところどころに置かれているけど、中はかなり暗い。
ちょっと不安に思いながら、友達と身を寄せ合って狭い小道を歩いていると、突然地面から血まみれの手が出てきたり、顔を撫でるように、何か生き物のようなものが横切ったりと、思った以上に怖くて叫びっぱなしだった。
「ごめんね、私うるさくて……」
何もなさそうな道をとぼとぼと歩きながら、友達に声をかけた。
しかし、返事はない。
そういえば、隣に歩いていたはずなのにいつの間にかいなくなっている。不審に思って振り返ると、後ろには誰もいなかった。何度か友達の名前を呼んでも返事はなく、恐怖と不安からその場で動けなくなってしまった。どうして友達がいなくなったのか、果たして私はここから出られるのか、これからどうすればいいのかわからなくなった。
「ど、どうしよう……」
道は入り組んでいて、ここまで来るのに右へ左へと何度も折れた。ここから数メートル先にも曲がり角がある。ひとりで曲がる勇気はない。
ひっそりとした暗闇の中、遠くから何か生き物が蠢いているような音が微かに聞こえてくる。
それを意識しないように、両手で耳を塞ぎ、地面にしゃがみこんで両眼を瞑った。
「私は大丈夫。私は大丈夫……」
これでも気の強い方だし、上司が私のことを「アジア系」と呼んでくる度に「訂正してください」と食ってかかるくらいはしている。
まあ、私が反抗すればするほどあの上司が面白がって私を虐めてくる感は否めないけど。
「アジア系は皆ビビりなのか?」
「きゃあああああああああああ!!!!」
突然男の人の声と共に人影が現れ、驚いてしまった。しゃがんだまま後ろへこけてしまい、尻餅をついた。
「日本人の女ならもっと慎ましく驚けよ」
聞き覚えのある、人を小ばかにしたような声と、鬼火の照明で薄っすらと見える顔、それから見上げるばかりの長身で、漸く人影の正体がわかった。
「イルーゾォさん……?」
「ああ、おれだ。あの小生意気なナマエがまさかこんなにビビるなんてな。見に来てよかったぜ。なあ、おれの電話は3秒で出ろつったろ?ええ?携帯はどうしたんだよ?」
「携帯の充電がなくなっちゃって。何か用ですか?また焼きたてのピッツァを買ってこい、とかですか?そもそもよくここがわかりましたね……」
地面から立ち上がり、汚れた袴の後ろを叩きながらそっぽを向いて答えた。ビビっているところを見られて決まりが悪いのと、私にコルネットを投げてきたイルーゾォさんのことをまだ怒っていたからまともに顔が見られない。
「おまえが幾ら逃げてもおれなら見つかんだぜ?だから二度と逃げようとすんじゃあねーぞ。ほら、こんなくだらねぇところは出ようぜ」
イルーゾォさんは私の横を通り過ぎて入口の方へ向かっていく。元々ついていく気はないけれど、今のイルーゾォさんの言葉は聞き捨てならなかった。
「くだらなくなんかないです……」
「あァ?」
「そうやっていつも人のことを馬鹿にして……!もう、私、あなたの下は嫌です……!リゾットさんにチクります!」
「ンなこと言いつつ、お仕置きされてーんだろ?ええ、おい?」
「ち、違います……!」
前回されたお仕置きを思い出し、羞恥に身体が燃えるように熱くなった。
それがつい昨日のことで、コルネットを投げつけられてつい投げ返してしまった私を、彼は「お仕置きだ」と言って、全裸にひん剥いて私を椅子に縛り付けてきたのだ。広げて固定された脚の間に玩具を挿れられてイッた後もしつこく挿入され続けて、昨晩からアソコが痛い。そのこともあって私は彼から逃げたかった。
「されてえからまだリゾットにもチクってないんだろ?やっぱ、日本人は淫乱だな」
「やっぱってなんですか!?それに私は日系で日本人じゃあないです!あ、私の友達しりませんか?」
「ああ。あいつならさっき捕まえて帰らせた」
「帰らせた……?本当に?殺してませんよね……?」
「そんな簡単に人を殺すかよ。ほら、早く来いよ」
イルーゾォさんは立ちすくむ私のところへ数歩で戻ってくると、私の手を掴んできた。
私が彼の下に付いてすぐ、無理やり私を穢した手なのに、何故か安心感を持ってしまった。それは多分、彼を最低な人だと思いつつも、こういう場所では頼れることを知っているからだ。別に他意はない。
「そーいや、キモノっていうのかそれ?おれの為にエロコスチュームを着るとはそんなにおれに抱かれてえのか?」
「着物はエロコスチュームじゃあありません!どこがエロいんですか!?いや、言わなくていいですけど!」
「拘束具みてえにカッチリしたもんを剥ぐのは最高に興奮するじゃあねーか」
「着物を拘束具呼ばわりしないでください!」
「ごちゃごちゃうっせーな。いいから来いよ」
イルーゾォさんに無理やり繋がれた手を引っ張られ、来た道を戻って行く。歩幅の大きいイルーゾォさんに合わせて歩くのが大変で、何度も転びそうになりながらもついて行った。
歩幅に大きな差がある為に彼についていくのはいつも大変だ。彼は私が遅れると後ろを振り返って「チビは大変だな」とにやにや笑って見下ろしてくることもある。
私は別にチビじゃないのに、イルーゾォさんは自分の背が北欧人並みに高いからってそうやって私を揶揄って虐めて楽しんでいるのだ。趣味が悪い。
こうして今までの経験から、彼は決して私を女性扱いして私に合わせてくれるような人でもなく、私が慣れない袴を着て歩き辛くしていることに気づいてくれる人でもないことはわかっている。
なんだか悲しくなってきて、このまま立ち止まろうか考えていると、ふと大事なことを思い出した。
「あ、私、ゴールしてもらえる景品が……」
「景品?んなの大したもん貰えねーだろ」
「でも、せっかく入場料払ったから……」
「めんどくせーな。これから仕事だからおまえを呼んだんだよ。おれに従えよ」
「仕事?仕事を教えてくださるんですか?」
いつも雑務ばかりやらされていて、イルーゾォさんからまともに仕事を教えてもらえたことがなかった。この世界で生き残る為にもちゃんと仕事を覚えて経験を積みたかったから漸く仕事に連れて行ってくれるみたいで、さっきまでの憂鬱が嘘のように浮き足立った。正直景品も欲しいけど、仕事を教えてもらえる方が重要だ。
「ああ。だから早くついて来い」
「あっ。洋服は預けてあるので更衣室に行ってもいいですか?」
「めんどくせーから、貴重品だけ取りに行くことは許可してやる。それは脱ぐなよ」
「え?この格好で仕事連れて行く気ですか?」
「あたりめーだろーが」
「でもこれレンタル品で……」
「パクっちまえばいいだろ」
「40万リラで買えます」
「何が言いてえんだ?」
「買ってください。さっき転んじゃったから汚れてしまいましたし……確か汚したら強制買い取りです」
「おれがおまえなんかに40万リラも払うわけねーだろ。そんな金があったら女と食事する」
一瞬胸をどつかれたように呼吸が止まった。
これまでやってきたことを否定されたような気持ちと、私を見放すかのような発言に胸が締め付けられるような痛みを感じ、お腹の底からふつふつと怒りが湧いてきた。もう限界だった。
「……そんなお金あるわけないじゃあないですか……!イルーゾォさんが早く私を一人前にしてくれなくちゃあ実行手当だって付かないし皆さんより取り分が少ないんです!毎月の生活費とか保険料の支払いとかで精一杯なのに落ち着く時間さえくれなくて、深夜だろうが早朝だろうが私を呼び出して雑務をやらせたり、私に酷いことしたり……!他の女性と遊ぶ暇とお金があるなら、少しは私に報いてくださいよ……!なんでッ、なんでこんなに私を虐めるんですか!?」
息が切れる程の言葉で捲したてた後、イルーゾォさんは少しの間沈黙した。それから私の腰を抱いて引き寄せて来て、背を屈めて私の耳に唇をくっつけてきた。
「要はおれに抱かれたかったんだろ?任務までそんなに時間はねえが……今すぐ抱いてやるから機嫌直せ」
「話聞いてました!?というか今すぐって……あっ!」
お腹に手を回され、片手で脇に抱えられてしまった。どこに行くのかと思えば、そのまま入口の方へ戻り、途中退場用の非常口を出た。白壁の廊下を歩き、男性用更衣室に連れられ、そこにあった姿見の中へ引き込まれてしまった。
イルーゾォさんは更衣室のベンチに私を下ろすと、覆い被さって顔を近づけてきた。私はそんなつもりはなかったから顔を背けた。
「なに、するんですか……?」
「おまえから誘っておいてそりゃあねーだろ?他の女に嫉妬していて、おれに抱かれなくちゃあ不満なんだろ?」
イルーゾォさんは意地の悪い笑みを浮かべながら、私の耳たぶを指で挟み、スリスリと擦ってくる。過去何度も熱い舌でねぶられたことを思い出して身体が震えて反応してしまう。
「だ、だから違います!生活を犠牲にして不当に働かされてるから、その分の報酬が貰えてないことに腹が立っているんです!」
「このおれと一緒にいることが不当って言いたいのか?」
「そうですよ!人を召使いみたいにあれこれ指図して……私はあなたのパシリじゃありません!」
「パシリ、か……そうだな。そういう言葉としておまえを捉えてはなかったが……セフレっていえば満足か?」
「……っ!」
あまりにも酷い言葉に何も言えなくなった。正直セフレどころか好きな時に呼び出して好きにヤれて、ご飯も買って来てくれる便利屋さん扱いされていることをわかってはいたけど、いざどういう関係なのか言葉にされるとキツかった。
「おい、何泣きそうな顔してんだよ?恋人のように優しくしたことなんて一度もねーだろーが。わかりきったことだろ?」
煽り口調に、他人を追い詰めて楽しさを見出しているような嗜虐的な表情。いつものイルーゾォさんだ。
正直な話、イルーゾォさんがさっき手を繋いでくれた時、少しだけ期待していた自分がいた。彼が現れた時も怖かった半面、少し嬉しかった。いつも彼から逃げたい反面、捕まえて欲しかった。
この半年間、私がずっと苛々していて怒っていたのは、イルーゾォさんが仕事を教えてくれなかったことだけじゃなかった。彼が私を特別に思っていないことがわかっていたからだ。好きになってしまった人に好かれなくてずっと苛々していて、コルネットを投げつけられた時、惨めな自分に耐えられなくて逃げだしたのだった。
そう。私はイルーゾォさんのことが好きだ。だから、わかるのだ。イルーゾォさんが私に優しくなんてしたことがないのは嘘だって。初めて彼にパシられた時、買い物リストを一個もらしてしまい謝る私を「お仕置きだ」と言って床にねじ伏せ、凌辱した後に破れてしまった服の代わりに彼は自分の服を貸してくれた。「仲間にこのことを洩らしたら殺す」という彼の言葉に涙を流しながら頷けば、頭に手を乗せてくれた。いつもそんな風に「お仕置き」の直後は優しくしてくれていた。
そこだけが唯一望みの綱だった。いつかあの優しさを常にくれるなら、私は頑張れるだろう。使役されても何も文句はない。でも、この人にその気がないのを知ってしまった今はもう──
「ここから出してください」
イルーゾォさんから愛を貰おうとするのは諦めて、深みにハマる前に、と自分から断った。
「あァ?出すわけねーだろ?こんな格好して誘ってきたのはおまえだろ?」
「誘ってないです。さっき友達といいましたけど、彼は私の彼氏です。彼氏がいるのでできません。今更ですけど……」
「は?何言ってんだ?」
「だから、実は彼氏がいるので、イルーゾォさんとはもう寝ないです!離れてください!あと、仕事があるんですよね?間に合うんですか?」
「間に合うが……マジで言ってんのか?あんな男のどこがいい?つか、あいつおまえのこと『友人』としか言わなかったが……いつからだ?おれにべったりしてあいつと会う時間あったのかよ?あんなチビなんかといて楽しいのか?そもそも、おれにビビっておまえを売った男を信じるのか?」
拍子抜けした。
イルーゾォさんは本当に私の言葉を信じているみたいで、何故か狼狽えている。私がもう言うことを聞かなくなるとでも思っているのだろうか。
「セフレならこの件はイルーゾォさんに関係ないですよね?」
「関係あるだろ……ほらよ、今日みたいに彼氏を優先されると誰がおれの飯を買ってくる?」
「そんなの自分で買ってください!」
「……まあ、関係ねえか。どちらにせよ、おまえはおれのモンだ。おれが好きにする。引き続き、今まで通りだ」
イルーゾォさんは自信を取り戻したのか、また意地の悪い笑みを浮かべ、私の袴のリボンに手をかけてきたので、彼の手首を掴んで抵抗した。
「やめてください!」
「やめるわけねーだろッ」
「嫌です!やめっ……んむっ!」
唇を唇で塞がれて、抵抗もむなしく袴のリボンを解かれてしまった。安物のぼったくりセットだから帯のない袴で、イルーゾォさんの手探りだけでも簡単に脱がされていく。あえて着物と肌襦袢を左右に開いてはだけさせるだけに留められた。彼はいつも私を全裸にする癖に今日は着衣がいいらしい。
合わさる唇や擦れ合う舌を深く感受するように、私は本能のままに抵抗を諦めて彼を受け入れた。身体は正直だった。唇が合わさった瞬間から──いや、彼から逃げようと思った瞬間から本当は彼を求めていた。
私は諦めきれていなかった。
*
結局私は彼と最後までしてしまい、その後は仕事だとかいって彼に外に連れ出され、ずっと安全なところで彼がしている仕事風景を眺めているだけで終わった。彼は私に手伝いを請いもせずにひとりで全部やってしまった。相変わらず私に教える気がないらしい。
ただ一つ変わったことはある。
「あの、邪魔するなら手伝ってくれませんか……?」
あれからイルーゾォさんの家に軟禁されて1週間になる。朝昼晩のご飯の用意をさせられるところは変わっていないけれど、買い物も料理中も彼がずっとくっついて私から離れないのだ。今も私が夕飯の準備をしているところへ来て、後ろから私を抱きしめて邪魔をしてくる。嬉しいけど、危ないからやめて欲しい。
「うっせーな。邪魔なんかしてねーからさっさと準備しろ」
暴言は相変わらずだけど、ずっと私から離れないあたりは好いてくれていることはわかる。
「だから準備してるのにイルーゾォさんが邪魔してるんじゃあないですか!あ、そういえば、ここに来て1週間なんですけど、一旦着替えを取りに帰りたいです」
「んなの、おれの服着ればいいだろ。トップス一枚でワンピースになるからな。それに下着は買ってやっただろ?ついでに着物と袴も買い取ったしな」
「袴で外出はしませんけどね!」
「確かにあれは寝巻き用だな」
「寝巻きでもないですけどね!」
まるで恋人のような会話は未だ慣れない。これだけ一緒にいても彼はまだ私をセフレ扱いしているのか知らないけど、甘い言葉の一つも言ってくれないから、この関係がなんなのかわからなくて、会話の不自然さが気になってしまう。
「チッ。電話だ」
イルーゾォさんは携帯を手に取ると、私のお尻を触りながら電話の応対をした。私はお肉の下拵えをし、パスタ用のトマトを切りつつイルーゾォさんの会話を聞き耳を立てた。相手はどうやらリゾットさんで、仕事の依頼があるらしい。
電話はすぐに終わって、イルーゾォさんは不機嫌そうな顔をして、ガラスボールに積んでおいた間食用の林檎を手に取った。
「仕事だ。このまま行ってくっから、夕飯は後回しだ」
「わかりました。それなら、お肉を焼く時間とかパスタの茹で時間もあるので帰宅前に連絡ください」
「ああ。行ってくる」
イルーゾォさんは私を軽く抱きしめ、頬にキスをすると林檎を片手に行ってしまった。
家にひとり残された私は1週間振りにイルーゾォさんと離れてしまう寂しさを感じながら、彼の為にトマトソースを作っていると、ふと重要なことに気がついた。
「バジル買い忘れた!」
風味付けにバジルは必須だ。一瞬、トマトソースにバジルが入ってないことで怒ってお仕置きされてしまわないか期待したけれど、それよりはイルーゾォさんに美味しい料理を食べて欲しくて、慌ててお財布を片手に近くのスーパーへ駆け込んだ。