indifendibile
まさに"
それで通りすがりの美青年に見惚れていると、男の子の乗った自転車に轢かれて転んでしまった。ふらふらと膝の皮が剥けて出血しているのにも気付かずにアジトに行けば、皆にクスリを疑われた。
「違うの!私、恋をしたみたいなの!一目惚れってあり得ないって思ってたけど、まさか、本当にこんな……こんな雷に打たれたような衝撃ってあり得るのかってくらい、ビリビリッと来て、肋を折られた瞬間みたいに呼吸が止まって、それで今アドレナリンがドバドバ出てる!まるで骨が見えるくらい肉を抉られたのに痛みを感じない時みたいな感覚よ!」
「もっと可愛い表現できねーのか?せめてアドレナリンじゃあなくて、ドーパミンにしろ」
ソファに座る私の膝にガーゼを当て、更に包帯で処置をしてくれているプロシュートが、苛ついたようにいつもより低い調子の声で言う。
プロシュートは数年前に新人だった私の面倒をよく見てくれた恩があるけれど、小うるさいところは好きじゃない。
「なによ。プロシュートは恋さえしたことがないんだからドーパミンのことなんか知らないでしょ!」
プロシュートはその優れた容姿だけでなく、自分の思想、信念に真っ直ぐなところが世の女性を魅了するのだ。本人もそれを自覚しているのか、「誰からも好かれるから、誰をも好いたことがねえ」とイキったことを言っていた。最初はプロシュートを「いいな」と思った私もその台詞で一瞬で冷めたのは懐かしい記憶だ。
「……女に一目惚れはねーが、物にならある。数年前に出たランボルギーニの4WDを見た時の衝撃は忘れねえ」
「あのロードスターかァ?」
興味なさそうにしていたギアッチョがプロシュートのくだらない話に乗り始めた。
男の人の車談義は何もわからないし、興味すらない。怠く思っていた折に向かい座るホルマジオがこっちにウィンクを飛ばしてきた。
「なに、ホルマジオ?」
「オレにはよおーくわかるぜ?」
ホルマジオは私に共感してくれたようで、コーヒーにウィスキーを足しながら、何かを思い出すように視線を宙にやる。
「とある女に一目惚れをしたことがある。まるで時が止まったように世界から音が消えて、その女の履くヒールの音しか聞こえなかった。その時オレはバイクに足を轢かれていたみたいだが、全く気づかなかった。あれは……アドレナリンのなせる技だ」
ホルマジオはしみじみと頷く。ここで「暗殺者がそんな鈍感でいいのか」なんて疑問が湧くようでは、イタリア人失格だ。
「流石ホルマジオね!ホルマジオ以外をイタリア人とさえ認めたくないわ」
仲間の皆は職業柄故か、どこかねちっこくてジメジメしてて見てるだけでも、うんざりすることがある。ただホルマジオだけは南部気質で陽気なところがあるから彼と話すと気が滅入らずにすむ。
「そうだな、ナマエ。ま、こいつらは三流イタリア人だから仕方ねーよなァ!ナンパした女にすら逃げられるんだもんなァ〜!」
「あァン?誰が三流イタリア人だってエエ〜ッ?」
「落ち着け、ギアッチョ」
ホルマジオの軽口にギアッチョが怒り始め、それをリゾットが戒めるという、いつもの流れになった。
こうなると、また気が滅入るような空気になる。
「一流イタリア人の私は一目惚れの男性を探して落としてきまーす、っと。プロシュート、手当てありがとね」
挨拶代わりにプロシュートの肩を叩いてアジトを出た。
*
「……『今週の火曜日17時46分頃にネアポリス駅前の大通りを歩いていたシルバーアッシュの髪の男性を知りませんか?背丈は180センチ程で、服は黒っぽい色です。見つけた方は以下の連絡先にご一報を』──って、情報が少な過ぎねーか?」
ネアポリス駅前の、車や人の多い大通りの歩道で、排気ガスの煙たい白煙や数秒ごとに鳴らされるクラクションの不快な音に辟易しながら、電柱やその辺の建物の壁にペタペタと貼り紙をしていると、いつの間にか現れたプロシュートが勝手に貼り紙を剥がして読み上げた。貼り紙はちょうど街路樹に貼り付けたばかりのものだった。
「返しなさいよ!」
「こんなことをしてもその男は見つからねーよ。諦めろ」
プロシュートは貼り紙を高く掲げると、縦にビリビリと音を立てて破き、その辺に放ってしまった。貼り紙は地面に落ちる間もなく風にさらわれ、車道へ飛んでいく。
普段から私に小うるさくも、目を掛けてくれていたプロシュートにこんな酷いことをされると思わなくて驚いて、それから一瞬にして頭に血が上った。
「なんてことすんのよ!」
「そりゃあ、いきなりこんなことされたら驚くよな……一度オレの下にいた時は可愛がってやったし、オレから離れた後もずっと優しくしてやってたからなァ?今日だってオメーのくだらねえ話に付き合いながら、その膝の怪我を手当てしてやったしな……今まで仕事がやりにくくなんねーように気持ちを押し殺していたが……もう限界だ。殺すのは人だけで充分だ」
すぐ横の車道で車が通り過ぎる度に巻き起こされる風に崩される前髪を、プロシュートは邪魔くさそうに掻き上げ、自嘲気味に笑う。なんだか知らないけど、妖しい雰囲気だし、ゆっくりと距離を詰めてくる様子が怖い。眼なんか獣みたいにギラギラ青く底光っていて、文字通り今にも牙を剥いて噛み付いてきそう。
「なんか三流イタリア人が上手いこと言おうとしてるみたいだけど、私にはさっぱり……」
プロシュートから逃げるように、彼の眼を見つめたまま後ろへ一歩ずつ退がった。彼に背中を向けたら、一巻の終わりとさえ思ってしまうようなプレッシャーを彼から感じ受け、背筋にぞくりとした戦慄が走る。
「このオレが三流イタリア人だと?オレが一流ってことをその生意気な身体にわからせてやろうか?え?何逃げようとしてんだ?逃がさねェぜ」
さっき貼り紙を付けていたプラタナスの枯れ木にトンと背がぶつかる。そのままカニ歩きで逃げようとすれば、頭の横、およそ歩道の街路樹に向かなそうな程太い幹に両手をつかれ、膝を割るようにプロシュートの脚が私の脚の間に差し込まれる。八方塞がりな状況を作り出すプロシュートに、逃がさないと言ったら逃がさない凄みを感じて、背筋が凍りついた。
プロシュートが少し顔を傾け、顔を近づけてくる。その行動の理由がわからなくて混乱する。彼から今までそんなシグナルを感じたことがないし、突然過ぎてわからない。
「な、なんで?どうして……?」
「出会った時からオメーが好きなんだよッ!理由は答えられねえから聞くんじゃあねーぞッ!」
「答えられないって理由がないってことじゃあ……ちょ、周りに人っ……!」
駅の近くで人も車も多いというのに、唇を重ねられた。数年前のプロシュートへの恋はとうに冷めていたというのに、今更こんなことをされても嬉しくもないし、突然過ぎて状況が飲み込めない。
抵抗しようと頭を振れば、両手でガッチリと頭を掴まれ、腕を振り上げてプロシュートの胸を叩いてもビクともしない。
そんな、嫌で暴れさせていた手はやがて抵抗力を失った。
──官能の海に溺れる。
まさにそんな感じのキスをされている。街の喧騒は耳に入らず、プロシュートの漏らす吐息や、口内で唾液の纏った舌の擦れ合う音、高鳴る自分の心臓の音しか聞こえない。鼻はプロシュートの整髪料や香水の混じった、うっとりと甘く痺れるような匂いしか感じない。まるで私とプロシュート以外の時が止まったような瞬間がずっと続いている。
長くて深いキスだった。骨まで蕩かされて動けなくなってしまうような、そんなキス。最後に、唇が離される時にちゅっと立てられたリップ音を合図に、急に自動車のクラクション音がけたたましく鳴り響いて鼓膜を打ち始めた。
乱れた呼吸を整えながら、震える指先で唇に触れた。あれだけ深く交わったというのに涎ひとつ溢していない。
「あなた、天才……?」
息も絶え絶えに言葉を紡げば、プロシュートは呆れたように、でも少し余裕ありげな笑みを口元に刻む。
「そこは一流イタリア人って言うところだろーが。わかったか?オレが二流でも、三流でもねえってこと」
「確かに……そう、かも……」
今私の心を掻き乱すように動く心臓は、どうあがいてもプロシュートの為に脈を打っていて、腰は甘いキスに蕩けてしまって立っているのもやっとだ。
「だったら、一目惚れした男を探すのはやめて、オレんとこ来やがれ。一晩中可愛がって、その男を忘れさせてやる」
崩れそうになっていた腰を抱かれ、耳元で低く囁かれる。
プロシュートに何をされても、骨の髄まで蕩かされた身体には抵抗できるわけもなく、本当の一流には攻撃力どころか相手の防御力をゼロにする力が備わっていることを嫌という程身体に教えられた。