Feramorz
モールにある香水専門店で、ナマエは好みの香水を探していた。去年の冬に買ったものがまだ残っているが自分の好みではないフローラル系の為、今度はアーモンドやヴァニラなどの甘さの強いものを検討している。
「段々匂いがわからなくなってきちゃった」
ナマエはムエットをパタパタと振りながら、隣にいる新しいデート相手のアロルドを見上げた。
「じゃあ、店員にコーヒー豆の瓶を貰ってきてもらうからそこにいて」
「ありがとう」
自分の為に積極的に動いてくれるアロルドに、ナマエは自然な笑顔を向けた。
ナマエはアロルドとのデートについては退屈に思っているが、彼の穏やかな性格は心地よくて好きになりかけている。それに買い物自体は好きであるから、ひとりで店にいるだけで楽しい。リボンや花をモチーフにしたチャームの付いた可愛らしいガラス瓶のデザインや、淡いブルーやゴールド、ピンク色などのカラフルな色の並ぶ飾り棚を見るだけでナマエは笑顔になれる。気分良く飾り棚の商品を見ていると、飾り棚の奥の窓越しに、外で立ち止まってこちらを見ているブロンドの男性──プロシュートと眼が合い、ナマエの顔から笑顔が消えた。
プロシュートは、ナマエの所属するギャング組織の同じチームの仲間で、元恋人でもあった。更に気まずいことに向こうが女連れであった為にナマエは慌てて店の奥に逃げたが、ナマエに気付いた様子のプロシュートは女性を外に置いたまま店内へ入ってきた。
ズカズカと真っ直ぐ大股で歩いてくるプロシュートを見て、ナマエは身体中が病気のように熱くなるのと同時に肌寒さを感じた。更には脚が震え、喉が塞がり、胸が圧迫され、あらゆる生理現象に見舞われてパニックになっていた。
ナマエはここ暫くプロシュートがいる時にはアジトへは行かないようにしていて、一緒の任務につくこともなかった為に彼に会うのは数ヶ月振りとなる。最後に会ったのは、彼女がプロシュートを振った日以来だった。
「ナマエ、元気そうだな。少し痩せたか?だが相変わらず綺麗だな」
プロシュートは目の前まで来るとナマエの手を取り、滑らかな甲へと口付け、名残惜しそうにゆっくりと手を離した。元恋人に対しての甲へのキスは、敬愛や親しみを込めただけのものであると捉えられる。──ナマエはそう思い込もうとしたが、プロシュートの瞳を見ると、どうにもそうは思えなかった。彼のいつも凛と張った瞳は柔らかく細められ、眼の覚めるような美しい虹彩に水光のように揺らめく光を湛えている。かつてプロシュートがナマエに愛を囁く時に見せる瞳と全く同じであった。
プロシュートに未練のあるナマエだが、「そんな眼で見ないで」と思った。プロシュートを恋しく思う一方で、彼のことを忘れたいとずっと願っていたのだから、愛おしそうな眼を向けられることで余計に彼のことを忘れられなくなることが怖いのだ。それに口付けられた手の甲はジリジリと焦げつくような熱を持っていて、またその熱を上書くように新たな熱を欲して堪らなくなってしまっていた。
ナマエはそんな欲望を抑えて、プロシュートからどう逃げようか思案した。また彼に恋をし、失敗を繰り返さない為にもここで靡くわけにはいかないのだ。
店員と話し込んでいる恋人のアロルドに視線を向けて、どうにか気づくようにアピールしていると、プロシュートはナマエの頬に手を添えて視線が合うように誘導した。
「どうした?ひとりで香水選びか?オレがナマエに合うモン選んでやろうか?ナマエにはフローラル系が合うだろう。いや、ナマエが自分で選ぶのが一番か……今のは忘れてくれ」
「……」
言い直しはしたが、ナマエは聞き流せなかった。プロシュートの言葉に、ナマエがプロシュートを振った原因を思い出したからだ。自分の好みではなく、プロシュートの好みに合わせようと必死になった結果、それに疲れて彼と付き合い続けることが嫌になってしまったのだ。
勿論、プロシュートが悪いわけではない。プロシュートに愛されたくて、自分から好みを聞いて、それに合わせようとしたのはナマエだ。完璧で隙のないプロシュートに見合うように毎日美容に力を入れたり、見栄を張って高価な買い物をしたりすることを選択したのもナマエだ。彼に非は一切ない。
しかし、プロシュートは好みを聞かれることに慣れてしまったのか、自分から「選んでやる」と言った。ナマエはどうしてもその台詞が気になり、返す言葉に詰まっていると、デート相手のアロルドがナマエのところへ走り寄ってきた。漸く知らない男とナマエがいることに気がついて、慌ててナマエを守りに来た様子だ。
「ナマエ、知り合いかい?」
「うん……えっと、職場の人で……」
アロルドの問いにナマエはぼかして答えた。アロルドはカタギの男性であり、寂しさを埋めてもらう為に暫く付き合いたいとナマエは思っていたから、プロシュートのことを「暗殺家業の仲間で元カレ」などと紹介するわけにはいかなかった。
「噂には聞いてたが、これがデート相手か?」
プロシュートは値踏みするようにアロルドの頭からつま先までを観察し、アルロドの着ている白いセーターの裾から淡いブルーのシャツがだらしなく出ているのを眼に留め、気に入らなそうに鼻を鳴らした。
アロルドはそんなプロシュートの態度に怒ることなく、人の良い笑みを口元に浮かべて、ナマエの肩を抱いた。
その瞬間、プロシュートが眉根を寄せるのにナマエは気が付いたが、気づかない振りをした。
「──えっと、きょ、今日で三度目のデートなの!一度目も二度目もランチとショッピングだけで、今日は三度目で、ショッピングしたら映画行くの!映画観たらすぐ解散するの!」
聞かれてもいないのに、ナマエは言い訳をするように隣にいるデート相手とのプランを話してしまった。
プロシュートから逃げたい一方で、プロシュートに未練があるあまりに、「アロルドとは深い仲になっていると思われたくない」という本心がついでてしまったようだ。
「……オレとの時とは違うんだな。まあ、ナマエが幸せならオレはそれでいい。オレは常にナマエの幸せを願い続ける……とりあえずは元気そうで安心した」
プロシュートは去り際の挨拶代わりにナマエの腕を優しく叩くように触れると踵を返し、心配したように店に入ってきた彼女の肩を抱いた。プロシュートの新しい彼女はナマエと良く似た容姿をしていて、それがナマエにはショックだった。プロシュートの好みが自分のような女性と前向きに受け取ることもできるが、裏を返せば自分のような容姿であれば誰でもいいということだ。ナマエは自分とその彼女のどちらがより優れているか服装やスタイルを比べ……彼女の方に軍配が上がったことを認めたところで、落ち込んでアロルドの顔を見上げた。アロルドはいつもの優しい笑みを口元に浮かべていて、ナマエは「いつも通りだ」と安心した。
プロシュートの失礼な態度も含め、職場の人に今までのデート歴や今日のデート予定を話したことを怒らないでいてくれるアロルドの優しさに感謝し、改めてアロルドの懐の深さを愛しく思えた。
ただこの瞬間もナマエの心はプロシュートにあり、アロルドとのデート中も自分が振った元カレのことばかり考えていた。
*
アロルドと映画を観た後、ナマエは自分から食事に誘い、リストランテで食事をとった後は、バールにまで誘ってコーヒーを飲んだ。
窓際のテーブル席に座り、ナマエは物憂げに窓の外を見つめていた。そんなナマエの姿を見て、アロルドは軽く咳払いをし、ナマエの注意を引こうとしたが失敗に終わった。
「予定になかったけど、今日はナマエと長く一緒にいられてよかったよ」
「うん……私もアロルドと一緒にいられて嬉しい……」
アロルドの言葉に、ナマエは漸く彼の方を見て力なく呟いた。
「でも、心はぼくと一緒にいてくれなかったよね?」
「えっ?」
「あのブロンドの男と会ってからずっと心がここにあらずだった」
「そ、そんなことないよ!」
図星を突かれたナマエは必死になって否定した。アロルドといることはナマエにとって癒しであったからアロルドには嫌われたくないのだ。
ナマエはプロシュートの前にいる時とは違い、アロルドの前では自分を飾らずにいられた。自然体で寛げ、自分の意見をはっきり言え、自信を失うことがない。プロシュートを振った原因が、アロルドには一切なかった。
しかしナマエの否定にアロルドは納得するような顔を見せず、頭を横に振った。
「じゃあ、映画の内容全部言えるかい?さっきリストランテでぼくが感想を話しても、君は頷くばかりで自分の意見は一切言わなかった。ずっと遠い眼をしていて頼んだ料理も殆ど残したよね。あの男と過去に付き合っていたんだろう?彼にはナマエに未練があるように見えた。だから……行ってきなよ」
「行ってきなって……?別に付き合ってなかったし……彼に未練もなにも……」
「じゃあ、ぼくが消える。きみの現実逃避先にされるのはごめんだ」
「ま、待って!」
席から立ち上がるアロルドをナマエは声を掛けてとめようとしたが、振り向きもせずに店の外へ出る彼を追いかける気まではしなかった。
アロルドの言う通り、ナマエはプロシュートに未練があり、香水店で再会してからずっとプロシュートのことばかり考えていた。また会いたいとか、お喋りしたいとか、触れたいとか。こんな自分にアロルドを引き留める権利はない。
ナマエは席を立ち、店を出た。アロルドを家に誘うつもりでいたから、バールは家に近いところにあった。本当は今日の予定ではアロルドと寝るつもりはなかったが、プロシュートが彼女といるところを見た所為で気持ちが変わったのだ。その決心は、自分としては「プロシュートとは終わったことを確認する為」のつもりでいたが、アロルドに振られた今、本当は「現実逃避先」としてアロルドを求めていたのかもしれないと思えた。
ナマエはぼんやりと、今後どうやってプロシュートを避けて生きるか考えながら、暗い通りを歩いていた。街灯の灯りがあるといえど明るさは微々たるもので、人通りが少なく、入り組んだ道故に仄暗い怖さがあるが、ギャング組織の、それも暗殺を専門とする部隊にいるナマエにとっては恐れることではなかった。しかし少し先の街灯の下に人陰を見つけると、流石に警戒して一旦立ち止まった。眼を凝らしてみるとなんとなく見覚えがある気がし、少し歩いて近づくと、その人影の正体がプロシュートであることがはっかりとわかった。
自宅までの道のりにいるということは、確実に自分を待ち伏せていたということ。そんな人を撒くことはできないだろう。ナマエはプロシュートを避けることは諦めて、緊張で硬くなる体を動かして自ら彼の近くまで寄って行った。
「なんで……?」
「伝えたいことがある。少し時間をくれ」
「いいけど……いつから付けていたの?先回りしたの?」
「ずっとオメーに張り付いていたのに気づかなかったんだな」
「えっ?えっ?怖い……なんで?彼女は?」
「モールでひとりってのは困るだろ?臨時でその辺の女を捕まえてすぐに捨てた」
「……そう、なんだ……」
「なんだ?安心したのか?」
「わ、私は別に、そんな……!」
「まあいい。とにかく、聞いてくれ。オレはまだナマエのことを愛している。いつもナマエを想っている……どこにいても、ナマエの姿がないか探しちまう。ずっと一緒にいてえし、いつも眼の端に留めておきてえ。一晩中他愛のない話をして笑い合って、その柔らかな髪に触れて、華奢な肩を撫で、一緒に朝を迎えたい」
「……」
ナマエはプロシュートからの告白に胸を打たれたが、何も返せなかった。自分も思うままにプロシュートに愛を伝えたいのに想いが口の先へ出ない。言ってしまったら、後戻りができない気がして勇気が出ない。
「別れた原因を思えばよりを戻すのは無理だろうが……その原因をなくす方法を見つけた」
「原因をなくす……?」
「オレを振る時に行った言葉、覚えてるか?オレといる時はいつも『自分を殺してる』っつっただろ?要はオレの好みを意識したくなったり、見栄を張りたくならなければいい」
「そんな簡単なことじゃないよ……プロシュートはいつだって完璧だもの……綺麗な髪に、綺麗な顔に、魅力的なスタイル。今も完璧だよ……」
「その完璧さがなくなればどうだ?オメーといる時、オレが『老化』すりゃあ問題は解決だ」
「えっ……?」
「まずは50歳くらいだな。確認できる鏡がねえが、オレなら簡単にできる」
プロシュートは自身のスタンド『ザ・グレイトフル・デッド』の能力を使い、あっという間に自分の容貌を衰えさせていった。
暖色の朧げな街灯の下で、プロシュートのブロンドの髪が白髪まじりになり、額や眼尻に数本のシワが刻み込まれていく。
明らかに「老化」したことはわかった。それでも青年時の色香はしっかり残っていて、佇まいからは壮年の男性らしい覇気を感じられ、堂々とした精悍な顔つきはナマエの眼には魅力的に映る。恐らくもっと老いても、ナマエにとってプロシュートは完璧に思えてしまうだろう。そして、そんなプロシュートに愛されたくて、自分というものを殺してまで彼に合わせようとしてしまうだろう。
「プロシュート……そんな……なんで……?」
「これで駄目なら80歳くらいはどうだ?それともアメリカ野郎みてえなダセェ服着ればいいか?」
「プロシュートこそ自分を殺してまで私に合わせないで……!そんなこと望んでない……!なんでそこまでしてくれるの!?」
「利害なんかどうでもいい程ナマエを愛しているからだ」
その簡潔な言葉は、先程自分への気持ちを語ってくれた時よりもナマエの心に響き、ナマエは漸く同じ過ちを繰り返さない自信が持てた。
「私も愛してるっ……いつもプロシュートを想ってる!あなたを想うと眠れなくなるし、ご飯も食べられなくなるの……!恋しくて息もできなくなるっ……!」
堪らず口の先へ出てきた自分の言葉に、ナマエはハッとした。プロシュートと別れてから如何に苦しい日々を過ごしたかを思い出した。付き合っている時よりも、ずっと辛くて苦しい思いをしていた。
「──私、あなたといられない時の方がずっと辛い……」
「なら、話はより簡単になったな」
プロシュートの手が腰に回ってきてグッと引き寄せられた。顔を傾けて唇を重ねてくる、壮年の容姿をしたプロシュートにナマエは抵抗しなかった。自分の彼への情熱に対しても抗うことはなかった。