mio eroe umanistico W


 
なんとなくナマエのことを考えた時、オレたちのことを嫌ってそうなナマエが突然オレにだけ好意を向けてきた理由は簡単にわかった。ナマエにとってオレは『自分のすべき行動を教えてくれる』存在だからだろう。それはナマエのドルチェ選びに助言した時と、ターゲットのブッ殺し方を教えた時の反応を思えば明らかだ。
だがわからねえのは、別れ際に突然黙りこんだことだ。今まであんな風になることはなかった。
家に帰ってもナマエの死んだような表情が頭から離れなかった。無理やり触れさせられたナマエの肌の感触までも右手に絡みついて不快だ。

「チィッ」

あいつのことを考えるだけで苛立ち、あいつの為に苛立つということ自体にも腹が立ち、あの後ちゃんと家に帰ったか気になる自分にもムカついてきた。
ナマエの無事を確認することもオレの仕事だ。仕方なくデスクトップの電源を付け、ナマエの所在地を辿れる追跡アプリを開いた。
最悪なことにナマエが今いるであろう地点はネアポリス駅でナマエの家の方向じゃあねえし、移動のスピードがかなり遅い。
恐らくナマエはこれから電車に乗ってどこかへ逃げる気だ。オレが面倒を任された以上、ナマエを逃がすわけには行かねえし、嫌な予感がしやがる。
急いで家を出てタクシーを捕まえたが、ネアポリス駅までと頼むと、「デモをやってるから行きたくないよ」と断られた。

「なんのデモだ?」

「さあ。通りに溢れてるゴミやバスに火を付けて回ってるとかで結構過激なことをしてるとだけは聞いてるよ」

ナマエは他人に流されることを一生の仕事のように生きてる女だ。間違いなくそのデモに参加しているだろう。
人通りのねえところまで運転手に送らせ、そこで運転手を直触りでブッ殺して外に放り出し、タクシーを奪ってネアポリス駅に向かった。途中パトカーのサイレンの音が遠くから鳴り響いてくるのが聞こえ、警備隊がもう現場へ向かっていることを察し、あいつの身を嫌でも案じた。あいつが逮捕でもされたら面倒なことになる。場合によってはボスから暗殺命令がでてもおかしくねえ。それに警備隊に撃たれでもしたら──。
嫌な想像が何度も頭に浮かぶ。これが他の仲間なら「大丈夫だろう」という信頼はあるが、ナマエの場合はそうもいかねえ。テロを起こしたことのあるイカれた女だ。無謀なことをしてサツに撃ち殺されることは十分にあり得る。
ナマエに電話を掛けたが一向にでなかった。わざと無視しているか気づいていないか判断がつかねえ。
焦燥に駆られて苛立ちながらアレナッチャ通りに入ると渋滞が起きていた。
仕方なくタクシーを乗り捨てて、生意気そうな若い男をブン殴ってバイクを奪い、歩道を走って駅まで急いだが駅の1ブロック手前で道路に大木が2本倒れていた。大木の先の道路は人混みで溢れていて、プラカードを掲げながら何かを叫んでいる。
あの中にナマエがいるだろうと思い、バイクを乗り捨て、能力を使って老化の煙を撒き散らし、ナマエを探した。幸いデモ隊の殆どが男で老人もいた。女より先にくたばるはずだ。人混みに紛れ、ナマエの姿を探し、駅の方へ歩き続けた。
遠眼だが、駅前のロータリーでバスが炎上しているのがわかった。立ち昇る黒煙の量からいって放火の後に爆発して炎上している。悲鳴やサイレンが遠くから聞こえてくるが、デモ隊は逃げる様子もなく「ピアヌーラが」とか「市内のゴミが」とかなんとか叫んでいる。恐らくゴミ処理場についてのデモ行進だ。
こんなところにいたらナマエだけでなくオレまで逮捕される可能性がでてきた。もう一度ナマエの携帯に電話をかけると漸く繋がった。

「オイッ!どこにいやがんだてめー!?」

「なによ。今、家よ」

「嘘こけ!ネアポリス駅でデモ行進してんだろ!電話越しにサイレンの音が聞こえてんだよッ!早く逃げろッ!」

「そういえば、あなたの電話からもサイレンの音が聞こえるわね」

「サツにパクられる前に逃げろッ!オメーは過去の経歴からいって調べられたらアウトだ!身柄引き渡し前に殺されるか引き渡し後に殺される!場合によってはオレたちにオメーの暗殺命令がでる!」

「あ、そう」

「オイ!聞いてんのか?──クソッ!」

電話を切られた。こんなに人に苛立ったのは初めてかってくらい腸が煮えくり返った。
こっちは嫌でもナマエの身を案じているのにあの女ときたら、「あ、そう」の一言で終わらせやがった。あり得ねえだろ。
だが、一瞬でもあの女を見捨てようとは思わなかった。自分でもわからねえが、多分ナマエが仲間だからだろう。他意はねえ。
引き続き人混みを掻き分けながら駅の方へ歩き、ナマエを探した。そろそろ頃合いのようで周囲で何人か倒れ始めたが、それでもナマエは見つからねえ。
いよいよ警備隊が到着したようだ。人混みの大分先、青いヘルメットが密集しているのが小さく見える。それから二度の銃声が聞こえ、悲鳴があがった。発砲にビビったのか、オレの周りで急に来た道を引き返す奴が出てきて、体を押され、駅の方へ向かうのが難しくなった。

「クソッ!ナマエッ!どこにいやがるッ!?」

あいつが返事しねえとわかっていても叫ばずにはいられなかった。周りの邪魔なヤツらを突き飛ばしながら駅の方へ向かってナマエを探した。
そのうちオレの能力でバタバタと倒れる人数が増え、視界がよくなっていき、遂にロータリーの手前の曲り角にあるバールの植え込みにナマエが倒れ込んでいるのを見つけた。オレのジャケットを着ている上に場にそぐわないドレスとハイヒールはかなり目立っていた。

「ナマエ!」

なかなかくたばらねえヤツらを突き飛ばして道を作り、ナマエに駆け寄った。

「無事か?」

ナマエを抱き起こそうとすると腹に肘鉄され、思わぬ反撃を喰らった。

「躓いて転んじゃっただけだから!私に触らないで!放して!」

オレを振り向き、逃げようと暴れるナマエの両手首を掴んだ。オレの貸してやったジャケットの袖を勝手に折っていてブチギレそうになったが、なんとか怒りを呑み込んだ。

「暴れんな!このまま老化させるぞ!」

「したいならすれば!?それが正しいと思ってるなら!」

「ざけんな!面倒なこと言ってねえでサツから逃げるぞ!」

「嫌よ!私は皆と一緒に──皆は?人がいっぱい倒れてる!」

「オレが老化させた!オメーもくたばりたくなかったら大人しくオレについてこい!今はそれが最良の選択だ!」

ナマエの好きそうな言葉を選んだが、ナマエは不機嫌そうに眉間にシワを寄せて瞳を細めた。

「何が最良よ!?私、あなたのこと嫌いよ!人のこと『咥えたがり女』だとか『ドブ女』とか『娼婦』とか今日になって急に言ってきて……あなたとリゾットだけはそういうこと言わないと思ってたのに……あなたがドルチェ選びに助言をくれたり、ターゲットの撃ち殺し方をちゃんと教えてくれた時、あなただけは私を理解してくれてると思ってた……!あなたこそ、私を理解して助けてくれる人だと思ってた!でも、もうわからない!あなたが数時間前に私を騙して、とんだ恥をかかせたから!私がたった一瞬で、ひとりで、自分の意志で選びぬいた答えを、あなたは間違いにした上に『娼婦』って貶めたッ!あなたの所為で今後私が選んだものは全て間違いになるッ!何をしてもうまくいかなくなるッ!」

ナマエはまたいつものように瞳を充血させ、頬や鼻先、耳までを赤く染め上げ、怒り狂っている。
前までは面倒だと思ってそこまで深く考えずにいたが、ナマエのことを少しわかってきた今ならちゃんと向き合ってやれる。

「それは悪かったな!だが、オレはオメーみてえな女は娼婦だと思っちまうし、いきなり胸を触らせてくる女は恋人にしたくねえ!オレの選択は間違ってなかったッ!今でもあの時のオレの行動は正しいと思っている!今までの人生だって、これからだってそうだ!オレが選んだ答えは全部正しい!何が正しいか、何が間違ってるかは全部オレが決めるからだッ!だから、オメーもそうしろ!オメーが失敗しても、オメーの取った行動は全部『正しかった』と思えばいいだろッ!?これで解決だッ!よかったな!」

「……」

ナマエよりもデケェ声で勢いよく怒鳴り返せば、ナマエは眉をゆるやかに下方へ引いた。オレの言ったことに納得したのかと思ったが、ナマエは下唇を噛み、瞳に涙を溜め──泣き出した。

「私の所為で、恋人が死んだッ!私は自分の選んだ答えが全部正しいだなんて思えないッ!」

幾筋もの涙を頬へと零し、ナマエは叫んだ。
漸くナマエの異常行動の理由が、少しずつ分かり始めた気がする。きっかけは全て恋人の死──とまではいかないか。ナマエの専攻は確か『宗教学』。テロを起こしたのは大学卒業後。元から他人の意見に流されやすく、それが異常の域に達した原因が恋人の死だろう。だから、『選択』に固執する。命のやり取りが絡む任務ではそれを一瞬で選ぶことが求められる。場合よっては息をつく間もなく連続して選択を迫られ、一つでも誤れば死ぬことがある。成功したとしても相手を殺すことになる。ナマエにはそれが耐えられないのだろう。

「選んだ答えが間違うことだってあるかもしれねえ。人生は決断の連続だ。最悪の選択をすることだってある。オレは間違わねえが、仮に間違えたとしても、大事なのはこれからの人生をどう生きるかだ。過去なんかケツに突っ込んで忘れろ」

「じゃあ教えてよ!私はどうしたらいいの!?こんな組織にいて生きる意味はなに!?あなたはなんでこんなところにいるの!?私はこれからどうやって生きればいいの!?私はあなたみたいに、チームの皆みたいに、覚悟できてないし、勇気もないわ!ひとりで任務なんて一生無理だし、同行してもらっても私が足引っ張って死んじゃう!私があなたたちみたいに常に正しい答えが見つけられるとは思えないッ!」

質問が多すぎる。だが、ナマエが欲しい回答はもうわかってる。

「オメーは何を目標に生きてる?」

「……わかんない」

「尊敬する偉人や著名人はいるか?」

「ううん……嫌いな偉人ならカント。あの人答えがでない問いもあるって言うから……」

「……尊敬するヤツは?親戚とか身近にいなかったか?」

「……プロシュート」

ナマエはバツが悪そうにオレから顔を背けて視線を外したかと思えば、流し眼でオレの反応を窺ってきた。
一瞬だけ、若干、胸が揺さぶられた。頭に残るような嫌な答えと答え方だ。
言いにくそうだったのは答えに自信がなかったからだろうが、いつものように怒鳴りながら答えられた方がマシだ。

「……なら、オレのようにならせてやるからオレを目標に生きろ。手伝ってやるし、見捨てはしねェよ。ナマエが自分の選択に自信が持てるようになるまではキッチリ面倒を見てやる。それでいいか?」

「でも、私はどんなに頑張ってもあなたみたいになれないかも……!」

まだうだうだと自信なく俯くナマエの頬を両手に挟み、オレと視線が合うように顔を上げさせた。

「なれないかも、じゃあねえ。なるんだよ。見込みはあるから努力しろ。大丈夫だ。オレが付いてる」

「そうね……あなたがいてくれるなら、やってみるわ!」

漸く正気を取り戻した様子を見せるナマエに一先ず安心した。これで突然発狂することもなくなるといいが。普段のナマエの言動は目に余るからな。

「来い。逃げるぞ」

大人しくなったナマエの手を引き、転がる男共を踏んづけながら来た道を引き返し、十字路を左に曲がってフィレンツェ通りに出たところで能力を解除した。ここも道路が大木で封鎖されていて、交通渋滞が起きているが歩道は歩けそうだ。
隣を歩くナマエを見下ろすと、先程まで折っていた、オレのジャケットの袖口を広げて眼元を拭っていた。よくみりゃあ、ジャケットが泥で汚れている。

「そのジャケットのクリーニング代に加えて、前回のドブの件で駄目になったスーツと靴をナマエに弁償してもらわねえとな」

「体で払うじゃダメ?」

ナマエは涙で潤んだ瞳でオレを見つめ、腕に抱きついて胸を押し付けてきた。

「そういう態度だから娼婦って言っちまうんだろーが!」

「さっきあなたのこと好きになったから、好かれたくてしてるの!あなたにならこの身を捧げてもいいわ」

「さっき?なら、数時間前の誘いはなんだったんだ?」

「その時は恋人という名目で私の教祖さまになって欲しくてよ」

「……前に洗脳されたカルトで教祖と寝たのか?」

「洗脳されてないし、過去はお尻に突っ込んで忘れるんでしょ?なんでそんなこと聞くの?あなたの顔全然タイプじゃない私が好きって言ってあげてるのに何が不満なの?」

「……やっぱ、おかしな女だよな」

ナマエがこれから変わろうとしているのを、『正気に戻った』と感覚的に捉えていたが、よくよく考えればこいつの通常時が既に正気ではなかった。
こんなおかしな女の、眉を下げる表情がずっと見ていたいと思える程に可愛いと思ったり、すぐに赤く染まる鼻先にキスをしたくなったり、形のいい頬を撫でたくなったりするのは何故なんだ──気付かぬ間にオレまで正気を失っちまったのだろうか。






back
ALICE+