illuso
その人に初めて会ったのが昨日のことだった。彼は身長190cm近くもある大柄で、ダークブラウンの艶のある髪を5本に束ねた人で、体格に似合わず長い睫毛に薔薇色の瞳が特徴の綺麗な顔をしていた。その人は連れの女性を無視して、カウンター越しに私に対して「何歳だ?」とか「赤毛は地毛か?レディシュ?」と聞いてきた。
連れの女性は頬を膨らませ、私の方を睨んでくる。多分彼女だと思うけど、彼女をほったらかしにしてナンパしてくるなんてどういう神経をしてるのかと疑ってしまう。もしかしたら、彼女ではなく妹の可能性もなくはないけど、男の人とは髪や瞳の色だけでなく顔立ちも似ていない。
「あの、ご注文は?」
ケーキ屋に来といて、店員の私に関する質問しかしない男の人に呆れて聞いた。
「20歳くらいか?見事な赤毛だが、根本を見るに染めてないよな?」
「えーと、まあそうですね。それでどのケーキにしますか」
適当に答えて再度注文を聞いた。隣の彼女が腕組みをしながら今にも怒りを爆発させそうな程唇を尖らせて、ピンヒールで床をトントン叩いている。
「おすすめはあんのか?」
やっとまともな質問をしてくれた。
「えーと、苺とチョコのタルトがおすすめです……」
「じゃあ、それ2つ」
男の人は親指と人差し指を立てた。
「ねえ!あたし、こんな店嫌!早く帰ろ!」
女性は髪が逆立つ程怒った様子で喚く。こっちが怒られているみたいで気まずい。
「いや、ケーキ食いたい言ったのおめーだろーが。だったら一人で帰れよ」
男の人の対応は冷たく、彼女をあしらうように言う。
「はあっ!?もう信じらんない!あり得ないんですけど!あたし、本当に帰るよ!?」
「ああ。帰れ帰れ」
「もう知らない!」
彼女は男の人にハンドバックをぶつけると店から出て行ってしまった。
「ってことで、1つだな」
男の人は何事もなかったかのように人差し指を下ろした。彼女、凄く怒ってたけどいいのかな。
気まずい思いをしつつ、バイト仲間のマルタちゃんにタルトを箱に詰めてもらっている間お会計をした。
「お釣りとレシートです。ありがとうございました」
一応にこりと笑ってレシートとお釣りを渡そうとすると、男の人は釣りはやるよと言い、レシートだけを受け取ってレジカウンターの上に裏返して置いた。
「ボールペン持ってるか?」
「はい、これですか?」
何に使うのかなと思いながらも、ボールペンを胸ポケットから取り出して差し出した。彼はボールペンを受け取ると、レシートの裏にさらさらと何か数字のようなものを書き始めた。あっという間に書き終えると、彼はレシートとボールペンをレジカウンターの上に滑らせてこちらへ寄越した。
レシートの裏に書かれたのは見たところ、携帯の番号に見える。
「後で連絡しろよな」
彼はウインクをして、マルタちゃんからケーキの入った箱を受け取ると店から出て行った。
困ったようにマルタちゃんと顔を見合わせると、マルタちゃんは肩を竦めた。
と、まあこれが昨日のことだった。結局私はもらった番号に連絡しなかったし、するつもりもなかった。だって、彼女が目の前にいるのにナンパしてきた男の人だ。信用できない。
そして、今日もまた彼が来た。今度は一人で安心したものの、今日の彼は眉間にシワを刻み、怒ったように見える。
「こんにちは」
一応仕事中なので、ちゃんと挨拶をした。
「おい、昨日何故連絡よこさなかったんだ?」
「えっと、ごめんなさい。彼女がいるみたいでしたので……」
そんなことで怒っていたのかと半ば呆れながら謝った。
「なんだ。そういうことか。そのことなら安心しろ。昨日、別れたぜ」
「そうなんですか……」
やっぱり、昨日一緒にいたのは彼女だったんだ。彼女の幸せの為に別れてよかったと思う。
「だから今はフリーだ。おまえ──その名札は名字だよな?名前を教えてくれ」
「ナマエって言います……あの、ご注文を……」
「おれはイルーゾォだ。なあ、ナマエ。バイトはいつ終わるんだ?」
「……夕方頃です」
濁して答えた。
「17時くらいか?」
「そのくらいです」
本当は19時だけど、もう関わって欲しくないから嘘をついた。
「なら、それまで時間潰してるぜ。また、後でな」
イルーゾォさんは手を振ると注文もせずに店から出て行ってしまった。なんなんだろう。あの人。
今日もシフトが一緒のマルタちゃんは今の一部始終を見守ってくれていて、イルーゾォさんが店から出ていくとすぐに私の真横に来た。
「ナマエちゃん、あいつヤバそうだよ」
「うん。私もそう思う」
南部の男のナンパはしつこいのは知っているけど、ここまで偉そうで相手の気持ちを考えない強引な人は初めてだ。
私も今はフリーだけど、あの人と付き合ったら昨日の彼女のような扱いをされる未来が見えるから、イルーゾォさんとは付き合えないと思う。
*
17時半頃、イルーゾォさんがまた店内に来た。
「おい、17時って言ってなかったか?」
「すみません。長引いててもう少しかかるので今日は帰ってください」
「いや、ナマエが終わるまでずっと待ってる」
「えっと、本当に長引いてるので帰った方がいいですよ」
「好きな女の為ならいつまでも待てるぜ」
イルーゾォさんの言葉に嘘はなく、19時頃にバイトを終えて外に出ると、彼は店のすぐ外で待っていた。
「え?まだいらしたんですか……?」
あれから1時間半も外で待っていたのかと驚いた。流石に帰ってしまったと思ってたから。
イルーゾォさんはてっきり怒っているのかと思えば、にっと笑うと腰を抱いてきた。急な距離感に戸惑ってしまう。
「やっと終わったか、ナマエ。待ちくたびれたぜ」
「あの……」
「飯でも食いに行こうぜ」
「え、えっと、私……」
どう断ろうか理由を考えるけど、目の前の男から逃れられるような理由が思いつかない。こんなにしつこい人を撒くにはどうしたらいいんだろう。
「ナマエは何が好きなんだ?」
「なんでも食べれますけど……」
「なんでもか。それなら、フィレンツェ名物を扱った店なんかはどうだ?最近出来た店で話題なんだぜ?」
「うーんと……えーと」
「そこで決まりだな。赤毛は気が強いイメージだが、ナマエは大人しいな。うるさくねーし、おれの好みだぜ?」
「私、うるさいですよ?」
「そうか?まあ、まだおれ達は会ったばっかだ。これから仲を深めてお互いを理解すればいい。それで、地毛なんだよな?」
初めてあった時からこの人は私の赤毛に興味津々のようだった。やっぱり、赤毛の女と遊んでみたいだけなのかな。
「染めました」
「マジかよ。生まれつきのようにスゲェ似合ってるしよー、根元から綺麗に染まってるじゃあねーか。いい美容院に行ってるんだな」
染めたといえば興味が失せて離れていくと思ったのに、イルーゾォさんは褒めてくれた。この人思ったより悪い人じゃあないのかな。なんて一瞬思ったけど、昨日の彼女への仕打ちを思い出して、自分の感覚が狂ってきていることに気づいた。
丸め込まられる前に逃げなくちゃ。
「私、用事があるのでごめんなさい!ずっと待っててくださったのにごめんなさい!」
「は?ちょっ、おい!待てよ!」
その場を走り出して、イルーゾォさんから逃げた。真っ直ぐ駅に向かって、一度も振り返らなかった。
それから次の日もその次の日もイルーゾォさんがしつこく通い続けてきたし、私のシフトがない日にも目撃証言のタレコミまであった。
だけど、ある時を境に1週間程ばったりと来なくなった。諦めたのかな。
「あの人1週間以上来てないからもう安心だね」
いつもイルーゾォさんが来ていた時間になると、マルタちゃんが笑って言った。
「そうだねー。でも、来なくなると、それはそれで気になってきちゃったかも」
あんなにしつこかったから、3日も来なくなった辺りから、実はちょっと気になっていた。今どうしてるんだろうとか、他の子に狙いを変えたのかなって。そう考えると胸のあたりがきゅうっと痛んで会いたくて堪らなくなったし、ここ数日食欲もなくなってしまった。
そんな折に店内の出入りを知らせるベルがチリンとなって出入口を見ると、イルーゾォさんがいた。心臓がとくりと跳ねる。良かった。また、会えた。
「こんにちは」
久し振りに会えた嬉しさで声が弾んでしまわないように気をつけて挨拶をした。
「ナマエ、久しぶりだな」
にこっと笑うイルーゾォさんの左頬には薄い切り傷ができていた。治りかけのようで瘡蓋になっているけど、最近できたものに見える。
「イルーゾォさん、どうしたんですか、それ」
「あ?これか。いや、仕事でちょっとな。仲間がやらかしたせいで、おれのミスじゃあねーんだよ。しかしまあ、これは名誉の怪我だぜ?良い男がさらに良い男になっただけだろ?」
そもそも仕事をしていたことに驚いたけれど、どんな危険な仕事なのか唯々心配になる。
「なあ、せめて電話ぐらいくれよ。この1週間ナマエに会えなくて寂しかったんだぜ?」
「……ご注文どうぞ」
一応勤務中だし、マルタちゃんから刺さるくらいの視線をもらっているので業務的に接した。でも、内心は会えた喜びで高揚していて、また明日も来てくれるのかなと期待してしまう。
「そっけなくて、冷たいところも堪んなく好きだぜ。本当はおれのこと気になってるんだろ?いつになったら、おれに素直になれんだ?」
気が強くなくて大人しい子が好きなんじゃなかったっけと思ったけど、あえて無視した。
「私、素直ですよ?注文早くしてください」
「ハッ。益々気に入ったぜ。ほら、これ。電話番号とメールアドレス。どっちでもいいから頼むぜ?」
イルーゾォさんが文字の書かれた白いカードをレジカウンター越しに渡してきた。一応受け取ろうと出した右手をイルーゾォさんに両手で包まれた。
「次いつ会えるかわかんねーから、必ず連絡くれよ?」
「っ……は、はい」
大きな手に力強く包まれてちょっと怖かったけど、そんなことよりイルーゾォさんに触れて自分の胸が高鳴ったことに驚いた。あれ?もしかして、好きになっちゃったのかな。
次の日、イルーゾォさんは来なかった。不思議なことに、次の日もイルーゾォさんが来なかったらどうしようとか、諦められちゃったらどうしようという考えが私の中で渦巻いた。もう会えなくなるなんて耐えられないとまで思った。こんなに彼のことが気になるなんてどうかしてる。
自分でも駄目だと思いつつ、昨日貰った電話番号へ電話をかけてしまった。イルーゾォさんは2コールで出た。
「あの、ナマエです。イルーゾォさんの電話ですか?」
「やっとかけてくれたな?なあ、今どこだ?」
「家です」
「今からそっち行ってもいいか?住所教えてくれたらすぐ向かうぜ?」
「えーと……いきなり、家はちょっと……もう20時ですし」
「そんなおれだってすぐには手ださねぇよ。なあ、いいだろ?次、いつ会えるかわかんねーんだから」
イルーゾォさんに会えなかった1週間が辛かったことを思い出して、また会えなくなるのが怖くて、ついついイルーゾォさんにうんと返事をしてしまった。
1時間くらいして、イルーゾォさんが玄関先に来て、扉を開けた瞬間に抱きしめられた。
「あの、イルーゾォさん……?」
「今日泊まっていってもいいか?」
「まだ気が早くないですか……?」
「次いつ会えるかわからねーんだぜ?」
殺し文句だ。私がそれに弱いことに気づいたのかどうかは知らないけど、そんなことを言われたら何も言い返せない。
部屋に招き入れてゆっくりソファでコーヒーを飲みながら話しているうちに、いつの間にかキスをされて、いつの間にか押し倒されていた。
「まだ、そういうの早いです……」
「次いつ会えるかわからねーんだぜ?」
「それ、禁止!」
「もうおせーって」
イルーゾォさんは私に見せたことのない意地の悪そうな笑みを浮かべて、私の服を剥いで行く。あれ?イルーゾォさんってこんな笑い方をする人だっけ?そう思った時にはもう遅くて私の地毛が何色かわかるところまで見られてしまった。