prosciutto
情報分析チームにおいて、他チームの為に掻き集めた情報をまとめるスピードは命といっても過言ではない。勿論情報自体の正確さは私の仕事の範囲ではないので、この場合に含まれない。そして、仕事の為にそのスピードを何よりも優先すると、私の悪い癖というか、慣習がどうしても出てしまう。
「だから"si〜,"じゃあなくて、"se〜,"にしろって言ってるだろォがッ!オメーはスペイン人かッ!?」
今日も取引相手の暗殺チームのプロシュートさんからお怒りの電話が来たのだけど、相変わらず受話器を離しても聞こえる程声が大きい。先程取り急ぎでファックスで送った資料の書き方について、また同じ指摘をされてしまった。そして、またスペイン人と言われてしまった。
ローマ出身の私はバリバリのローマ弁が抜けなくて、つい仮定法の"se"を"si"にしてしまう癖があり、今日も間違えてしまったようだ。
「すみません!すみません!次から気をつけます!」
「毎度それじゃあねェか!本気でそう思っているのならッ!最初からそうしろッ!」
「はい!わかりました!そうします!」
「オメーよォ、本当にわかってんのか?え?単語の語尾もアポストロフィーで略しまくってよォ、"n"だけ略すくらいなら、むしろ書けッ!手間が変わらねーだろうがッ!それにだッ!単語の語尾を略すどころか単語の途中まで略してちゃあ、意味わかんねーだろうがッ!」
多分"con"を"co"と書いたり、"
でもまあ、そういうネアポリスの人も"ciao"を"cia'"とか略すけど、今はそれに触れないでおこう。
「すみません!急いでる時は喋り言葉で書いちゃうので、ついローマ弁が……」
「ローマ弁とかそういう問題じゃあねぇ!一度注意されたことを延々と繰り返しているオメーの"成長"の無さに怒ってるんだよ、こっちはよォ!」
"成長"の無さという指摘に体が雷を打たれたような衝撃を受けた。そっか。プロシュートさんがこんなに怒るのはそういうことだったんだ。なるほど。"成長"ね。
「すみません!成長します!成長して、次は必ず略しません!"si"は"se"にします!」
「ああ。ったく。次は頼むぜぇ、ナマエ。オメーの情報のまとめ方やそのスピードは悪くねぇんだからよ。オレらはナマエのこと期待してるんだぜ?」
プロシュートさんが褒めてくれた。彼はいつも最初は怒るものの、最後には必ず鼓舞して次はちゃんと気をつけようと思わせてくれる。とてもいい人だと思う。
──まあ、その結果がコレなんだけど。
「ありがとうございます……」
「じゃあな。頑張れよ」
ガチャリと受話器が置かれる音がして電話が切れた。
「プロシュートか?」
近くで一部始終を見ていたリゾットさんが座っていた窓台から立ち上がり、私の隣に来た。
今日リゾットさんがいらしたのは直接依頼したいことがあったらしい。もう用が終わったらしいけど、プロシュートさんの声が電話越しに聞こえてきて足を止めていた訳だ。
「ええ。そうです。私のミスであなたのチームに迷惑をかけてごめんなさい」
「いや、そもそもあの文法をミスとは思っていない。実際わからなくはないし、オレらも同じように省略して書くことがある。怒っているのはプロシュートとギアッチョくらいだ。そのプロシュートもおまえの為を思って怒っているのだから気を病むのではなく、自分の為と思って気を付ければいい」
「リゾットさん……お気遣いありがとうございます」
優しい言葉かけはとってもありがたい。けど、ギアッチョさんは普通に怒っているだけだと間接的に明かされて、落ち込んだ。
「そうだ。プロシュートがおまえがどんな奴なのか気になると言っていた。今からアジトに戻るからついてくるか?」
あのプロシュートさんが私のことが気になるなんて、相当呆れてるのかな。親の顔が見てみたいとでもいうように、こんな"成長"しない奴がどんな面をしているか見てみたいと思ってるんだろう。
正直普段からプロシュートさんや他の暗殺チームの方々には直接謝りたいと思っていたのでちょうどいい機会だ。
「是非。これを機に謝りに行きたいです」
「それなら、今のうちに挨拶に来い。今後直接やり取りすることもあるかもしれないからな」
こうして上司に暇を頂いて、暗殺チームのアジトに行くことになった。事務所を出る前に残りの仕事をさっさと終わらせて、暗殺チームのアジトにファックスで情報を送っておいた。今度は"se"を使う必要がなかったし、略語を使わずに書いたから大丈夫なはずだ。
リゾットさんについて行き、道中で手土産の菓子折を買ってドキドキしながら段々治安の悪いエリアに入って行く。
「私、未だにあなた達の情報にアクセス権限が無いんです。プロシュートさんってどんな方ですか?私のイメージだと、髭の素敵なおじ様なんですけど」
お酒を片手に道端に倒れている酔っ払いや壁に向かってぶつぶつ何かを言っている不審者に目もくれずに真っ直ぐ歩くリゾットさんに聞いてみた。
プロシュートさんは声からして40代くらいの渋い男性をイメージしていた。髭の生えたダンディな方なんだろうなと思っているのだけど、私の想像通りなのかな。
「会ってみればわかる」
それはどういう意味なんだろうと不安になるような答えだった。
*
ゴミの散らかった落書きだらけの薄汚い路地裏に暗殺チームのアジトはあった。
想像より柄の悪い人達が薄暗い部屋の中央にあるソファに座っていて、リーダーと私を認めるとなんだなんだと立ち上がった。
「情報分析チームのナマエを連れてきた。そのうち直接取引することもあるだろうから覚えておけ」
「いつもお世話になっております。お初にお目にかかります」
「噂のローマっ子のナマエか?やっと会えたな」
真っ先に近寄って声をかけて頂いたのはダークブラウンの長髪の人だった。一度電話でやり取りしたことのある声かもしれない。話し方の雰囲気が似ているし、色々変なことまで聞かれたからよく覚えていた。
「イルーゾォさん?」
「おお。よくわかったじゃあねぇか。ローマ訛りがセクシーだと思ってたんだが、実物もそうだな。スーツがよく似合う」
ローマ訛りを好意的に捉えられたのが初めてでほっとした。
それでプロシュートさんっぽい人をキョロキョロと見渡すけれど、ここには髭の生えている人がひとりもいなかった。平均年齢が若いとは聞いていたけれど、皆10代後半から30代いかないくらいといった感じに見える。
「あの、いつもご迷惑をおかけしてすみません。これ、大したものじゃあないんですけど、よければ皆さんで食べてくださいね」
とりあえず、気の良さそうなイルーゾォさんに菓子折を渡すと、プラチナブロンドの小綺麗な男性が「おい」と声をかけてきた。
派手な柄の入ったスーツ姿の男性だ。スタイルがよく、暗い中でも角度で色が変わるような透き通った美しい瞳をしていて、その瞳に注意を引かれてしまう一方で、私はその「おい」の声で嫌な予感がした。まさかこの人が、という信じられない気持ちでいっぱいだ。
「オメーがナマエなんだよな?え?ようやく顔を出したってわけだ」
「プロシュート、さん……?」
疑問系で聞いたものの、ほぼ確信している。話し方からして絶対プロシュートさんだ。
「なんだ。まだオレらの顔も知らされてねーのか。オメーの上司はどうなっている?ったく、オメーじゃなくて、上司を叱るべきだな……その前にだ。こっちこいよ」
背を向けるプロシュートさんに、電話機とプリンターのあるカウンターまで来るように誘導された。
プロシュートさんはプリンターから文字の印刷された紙を取ると、私の顔の前に突きつけてきた。
「これはさっきオメーが送ってきた情報のコピーだ。なんか変じゃあないか?」
「えっと……別にどこも……」
紙を受け取って一通り眼を通したけど、別に変なところはなかった。でも、わざわざ聞くということは何かあるのだろう。
部屋の空気が入った時よりも重く、後ろの方で「またかよ」とか、「兄貴ィ、そんな怒らないでも……」などという声が聞こえて来る。
そんな中で一生懸命紙に眼を走らせるけど、問題になりそうな単語が見つからない。
「これの原本を持たされたギアッチョがさっきキレてたぜ?やつが任務でいない今、オレが代わりに教えてやる──オメー、また"cuore"を"core"と書きやがったな?」
「あっ」
確かにたった今目に止まっただけでも一箇所そうなっているところがある。
「もし、オレらが他の単語と書き間違えたのかとか推測したり、空目したりしたらどうするつもりなんだ?え?オレらは命を賭けて働いてんだ。オメーの所為で正しい情報を間違って解釈したらどうするつもりだ?オレらが──そんなヘマはしねぇが──万が一解釈ミスで死んだら責任とれんのか?」
「と、取れません……」
「だよなァ?要はオメーがそこまで考えて仕事をしているかどうかの問題なんだよッ!」
プロシュートさんは印刷用紙を裏側にして、カウンターに叩きつけた。怒鳴り声とカウンターを叩く大きな音に肩がビクッと跳ね上がってしまう。
「すみません……そこまで考えてませんでした。そうですよね。命を預かっているようなものですよね……理解しました」
「オレはおまえの『そうですよね』、『理解しました』は聞き飽きたんだよッ!オラッ、手ェ貸せ!」
「わっ」
プロシュートさんに右手を掴まれて、さっきカウンターに叩きつけられた印刷用紙の上に押さえつけられた。それからシャツの内側からボールペンを取り出したプロシュートさんはそれを私の右手に握らせてきて、私の右手を覆うように手を掴んできた。
「"c"、"u"、"o"……」
一文字ずつ紙の端から順番に無理やり書かされていく。強く掴まれた手が痛いけど、私はそんなことより別の方に注意がいってしまう。
私の左肩にはプロシュートさんの手が置かれ、右手はプロシュートさんに掴まれている──つまり、プロシュートさんに斜め後ろから密着されている状態で、さらに紙が見えるようにプロシュートさんが身を乗り出しているので、私の顔のすぐ横に彼の顔がある。追い討ちをかけるように彼のムーディな香水の良い匂いが鼻をくすぐり、心臓が大きく鼓動し、血流の音が耳に聞こえてきそうな程身体中の血が激しく巡る感覚がする。
凄く恥ずかしくて、男性として意識しない訳にはいかなくなる状況だ。
「"r"、"e"ーー"cuore"だ」
いつもの電話越しではなく、耳元で低く響く声がダイレクトに私の脳へ刺さる。顔だけでなくて声まで良いなんて反則だ。それをすぐ側で感じさせてくるのだから質が悪い。
「わかったか?あと100回この用紙に書いてから帰れよ」
「はい……」
プロシュートさんは私から離れると、革靴の小気味のいい音を響かせながら離れていく。私は恥ずかしくて後ろを振り向けないけど、恐らくソファに戻ったのだろう。
「ナマエ、プロシュートの言うことは聞かなくていいぞ」
リゾットさんが私を気遣ってか、遠くから声をかけてくれる。でも、私は後ろを振り向けられない。
「いいんです!私も直したいと思ってた癖なんで!」
紙に"cuore"を書きながら答えた。
今の私はきっと顔が真っ赤だろうから、心臓の鼓動が落ち着くまで、この紙に"cuore"を書き続けるしかない。こんな顔は絶対取引相手たちに見せられない。
"cuore"と書く度に心臓の鼓動を落ち着けるように意識した。
「おい、リゾット。ナマエを甘やかすと成長しねぇだろうが」
「オレは客として招いたつもりだった。他チームのスタッフに居残りさせられた子供のように書き取りをやらせるつもりか?」
「ああ、そうだぜ。それにナマエがやるって言ってるからいいだろう」
後ろの方からリゾットさんとプロシュートさんの言い合いが聞こえてきて気まずい。私の所為で本当に申し訳ない。
「なあなあ、ナマエよォ、おれには略字で資料くれてもいいんだぜ〜?活字もローマ訛りとか可愛いじゃあねぇか」
そんな空気を壊すようにイルーゾォさんが声をかけてくれたけど、「癖を直したいんで」と言えば、つまらなさそうに唸った。
それから心臓の落ち着きに合わせて、時間を掛けて書き取りを終わらせた。
「できました!100回以上書きました!」
紙を持って後ろを振り返れば、プロシュートさんがソファからのそりと立ち上がってこちらへ寄ってきた。
私から紙を受け取ると、上から下へと眼を通した。伏し眼がちになると、まるで瞳を閉じているように見える程、プロシュートさんの睫毛は長くて密度が濃い。
「よし。全部"u"が入ってるな……二度と間違えんなよ」
「はい。あの、本当にすみませんでした」
「謝罪はいいから、次から頼むぜ?」
「はい。あの、その紙持って帰ってもいいですか?」
「別に構わねぇが、何に使うんだ?」
「えっと、戒めというか……」
実は不純な動機だけど、私には書取りをした紙が大切な物に見えて仕方ないのだ。
「なんだ。熱心じゃあねーか。ほらよ」
プロシュートさんから紙を受け取ると、大事に折りたたんでスーツのポケットに入れた。
「では、私は帰るので……」
「待て。上司は今事務所にいんのか?」
「いますけど……」
「それなら、オメーの上司に一言言いに行くぜ」
「えっ?それなら電話でも……」
「今日中にオメーにアクセス権限与えさせてやる。オレの目の前でやらにゃあ、ちゃんと権限貰えてんのかわかんねェからな」
「え、えーと……」
「オラ、行くぜ」
肩を叩かれて急かされた。呆れ顔の暗殺チームの面々にお別れの挨拶をすると、「よい一日を」なんて皮肉の効いた挨拶を返された。
そんなこんなんで、一緒に私のチームの事務所の前まで着くとプロシュートさんは帰ると言い出した。
「上司呼んできましょうか?」
「いや、ナマエの上司には電話で言っとく。部下の前で怒鳴り散らして上司の面子を潰す訳にはいかねぇからな」
「でも、せっかくいらしたのに……」
「オメーを送っていく為の方便だよ。言わせるな」
「えっ……?私、ひとりでも帰れましたよ……?」
「ひとりで帰れるだと?オレの注意を何度も受ける女だ。どこか抜けてんだよ、オメーはよォ。そんな奴をあんな治安の悪い地区からひとりで帰らせる訳にはいかねーだろうが。それにわざわざ情報分析チームのスタッフが挨拶に来てくれたんだ。ちゃんと送り届けるってのが義理ってもんだぜ?」
諭すように言うプロシュートさんに筋の通っている人だと感じた。良い人なんだろうけどちょっと口うるさいな、なんて偶に思っていたことが恥ずかしくなってきた。
「まあ、挨拶に来たのにガキの罰則みてぇなことさせたのは悪かったな。だが、次からは完璧にできるだろ?」
「はい!お陰様で意識するようになりました!」
「オメーのことは期待してるからよ。これからもよろしくな」
スッとプロシュートさんが右手を差し出してくれたので私も右手を出して握手を交わした。
事務所に戻って席に着いても暫く落ち着かず、思わずプロシュートさんに書き取りをさせられた紙を取り出して見つめてはため息をついた。
一つ目の"cuore"の文字、"u"と"r"の字の癖が凄く好きだ。これはプロシュートさんが私の右手を握って無理やり書かせたから実際に書いた場合とは少し違うかもしれないけど、"u"と"r"の右側の跳ね具合が凄くイイ。いつもこんな癖のある文字を書くのかな。
なんてことを思うのはきっとプロシュートさんのことが好きになってしまったからだろう。また彼に会えることを願って、この想いは命を賭けて任務を遂行する彼らのチームの為に、完璧な資料を作るという行為に昇華するまでに留めよう。