il salvatore
※妹から悪い虫を追っ払うだけの話
※差別の意図なし
婚約した妹の為に急遽顔合わせという名の食事会をセッティングした。
オレの可愛い妹にオレの許可なく手を出すとは、どんなふてェ野郎かと思えば、予想より遥かに最低なやつが妹と共に店に現れた。
よく磨かれた、白と黒のマーブル柄のセラミックタイルの上を、英国らしい幅広の色気のねェ革靴で歩く野郎は着ているスーツまでも色気が無く、肩周りの苦しそうな重量感のある仕立てだ。顔はまあ、悪くはねェが顎が細く、青とも緑とも見える瞳に癖の強い栗毛だ。頭から爪先まで英国産じゃあねーか。既にもう気に入らねえ。
「プロシュート!」
ナマエは数年前と違わず元気そうだ。見た目は以前より薄化粧で、服装も落ち着いた色のロングワンピースで地味になっているが、顔が元々華やかだから美人が際立つ。ナマエは若き日のステファニア・カッシーニよりも美人だった。
「ナマエ、久し振りだな。元気にしてたか?」
革張りのアクセントチェアから立ち上がり、久し振りに会うナマエを抱きしめ、両頬にキスを落とした。
「プロシュート、紹介するわ。彼が婚約者のジェイコブ。ジェイコブ・ジョエルよ」
「ジェイコブです」
「プロシュートだ」
軽く握手を交わして、すぐに手を離した。座ることを促すように丸テーブルの向かいの席へ手を向ければジェイコブはナマエの為にアクセントチェアを引き、ナマエを先に座らせてから席に着いた。英国紳士ぶっているところがまた一段と気に入らねえ。
ウェイターを呼んでメニュー表を持って来させた。
「まずはアペリティーヴォ(食前酒)に白ワインでも飲むか?それとも紅茶がいいか?」
「プロシュート!」
相手が英国人だから気を利かせたつもりがナマエに怒られた。ジェイコブはひきつけでも起こしたようなぎこちない笑みを浮かべると「いえ、白ワインで結構です」と、一丁前に言う。話し方もなんだか尊大振った口調で気に入らねえ。
とりあえず、ウェイターにグレコ種の白ワインを頼んだが、英国人にワインの味がわかるものか。
ナマエの希望で席だけの予約を取ったが、食事のメニュー表からなんでも好きなものを食えといえば、ナマエもジェイコブも食事は魚をメインに野菜ばかりのメニューを選びやがった。
「肉はどうした?ナマエの好物だろ?それにここに来て海老や貝もくわねーのか?」
何故かジェイコブが居心地悪そうに居住まいを正し、咳払いをした。
「ああ、その、僕たちは宗教上の理由で……」
「僕たち?宗教上?ナマエもオレもカトリックの家系だぜ?生き物なら人間以外は何でも殺して食う」
信仰しているかは別としてだが、教会には何度か行ったことがある。オレにとってカトリックは慣習的なものであるが、無宗教というよりはカトリックだという自覚がある。
「プロシュート、私改宗したの」
「なんだと?何教だ?カルトじゃあねーだろーな?」
「それは……」
「いや、待て。当ててやる。ジェイコブって名前の時点でおかしいと思ったぜ」
「ジェイコブはメジャーな名前よ!それにカトリックでもジェイコブの名前を付けるわ!カトリック以外だったら問題なわけ?」
ナマエは目くじらを立てて怒るが、昔から怒りっぽいところがあるからあまり気にはならねえ。
「宗教によっては問題だろーが。ジェイコブ・ジョエル……ジョエルって姓は確かアメリカの音楽家にいた気がすんな……そうだ。アレだな?豚の食えないやつ。いや、でもアレは牛や鳥はいいんだろう?」
「ええ、一部の人はね。だけど、ウチは肉類は一切摂らない方針なの。それで何か問題でも?」
「待て。もし結婚して子供ができたら、オレの甥っ子や姪っ子も肉を食わねえのか?え?そういうことだよな?オレの可愛い妹の子が栄養失調で病気になるってことだよな?」
ナマエの子供は殆どオレの子のようなもんだ。そんな可愛く尊い子供たちが肉食をやめて病気になるなんてことはオレが許さねえ。
「もう!お肉なんか食べなくても大丈夫なのよ!私だってここ2年食べてないけど、病気になってないわ!」
「数ヶ月後には病室で肉を食わされてるだろうな。今からメニューをステーキに変えてもらえ」
「はあ……飽きれたわ。ジェイコブ、ごめんなさいね」
ナマエはジェイコブへ右手を伸ばす。その薬指にはデケェダイヤの粒が乗った指輪がはめられている。通常この国での婚約指輪は宝石さえついていないような地味なものが多い。それは婚約期間を長く設ける傾向があって、結婚が正式に決まった後に新しく婚約指輪を贈り直すからだ。つまり、ナマエの派手な婚約指輪から相手の本気度が伺えるが、それは相手が英国のクソッタレだからなのか?英国野郎は皆大粒のダイヤを婚約指輪にするものなのか?
白ワインが席に運ばれ、ソムリエが白ワインの説明をしながらグラスにワインを注いでいく。
「ナマエとの再会にサルーテ(乾杯)!」
そもそも今日の目的は婚約祝いではなく、ナマエに会う為であったからこの祝辞に間違いねえが、ナマエもジェイコブもやる気のない掠れ声で"Salute"ともごもご言う。
「カンパーニャ州のワインは初めてか?」
「プロシュートが去年送ってくれたやつを2人で飲んだわ」
「口当たりのよく、果実味のある味が良かったです」
ジェイコブがなんとも当たり障りのない表現をする。まるで練習してきたかのように一言でスッと感想を言う様が鼻につく。
「そりゃあ良かったな。それで今ふたりは同棲してると聞いたが?」
「ええ。それが?」
「差別とかされてねーか?北は冷てェだろ?あの宗教はこの国じゃあ、差別の対象だからな。近所付き合いに問題はねェか?生卵とか豚の死体投げつけられてねーか?」
「……残念ながら普通にしているだけで、良く見られるの。確かに最初は修羅の国から来た外国人とかエチオピア人扱いされてたけど、今は差別だなんて感じたことないわ」
「なんの話だ?」
「南から来たって差別されかけた話よ」
「おい、オレはあの宗教の話をしてるんだぜ?それに南出身ってだけで差別だって?ハン!北は碌なやつがいねーな!」
「プロシュート、あのね、私が言いたいのは、最終的に北の人も私を南出身の外国人じゃあなくて、私自身を見て評価を変えてくれたの」
「そりゃあ、オメーがよく出来た女だからだ」
「私が言いたいのはッ!人柄を知ればッ!差別をしないってことなの!だから、プロシュートにはジェイコブのことをもっとよく知って欲しいわ!」
ナマエは周りを気にしてか、声を落として話すが語調が荒く、怒っているのが丸わかりだ。隣にいるジェイコブはナマエの手を握り、外国語で短く何かを言うと、ナマエが怒りを鎮めるように深呼吸をし始めた。これも宗教の習慣なのか、なんだか怪しいもんだぜ。
ナマエの言い分はよく理解したが、オレの根底にあるのは宗教差別ではなく、ナマエの健康状態の心配と、その宗教が本当にカルトじゃあないかの疑いだ。
「ああ。良く知ってやるよ。それで仕事は何やってる?」
「時計技師です」
「時計技師?何歳だ?」
時計技師にしては歳が若く見える。オレより年上ではないと納得できねえ職業だ。
「今年で24です」
「24じゃあ、まだ時計技師見習いだろ?」
「ええ。そうですが、いずれ独立技師になる予定です」
「ねえ、彼凄いのよ。オックスフォード大学出身なの」
ナマエが誇らしげに話すが、オックスフォード出身で時計技師になるやつなんているのか怪しいもんだぜ。
「卒業したのか?」
「卒業したに決まってるでしょ!」
「おい、落ち着けって」
ナマエはずっと怒りっぱなしで、血圧が心配になる程だ。つーか、これも肉食をやめたせいなのかもしれねえな。肉は間接的に血圧に良いらしいしな。
暫くオックスフォードの学位や卒論が云々退屈な話を聞いていると、漸く頼んでいた前菜が運ばれてきた。海老や貝に彩られた鮮やかな自分の皿と、婚約者に合わせて草しか乗っていない妹の皿を見て泣けてきた。妹の半生以上が雑草ばかりの食事になると思うとオレは悲しくて仕方がねえ。
「ナマエ、オレの海老食うか?そんな雑草ばかりじゃあ、体壊すぜ?」
「悪いけど、魚以外の海のものは食べない方針だから。あのね、プロシュート。お願いだからやめてくれる?人それぞれでしょ?人の生き方に口出されるってプロシュートだって嫌でしょ?」
ナマエはまるで子供に教えるように落ち着いた優しい声色で話すが、それでも必死で怒りを抑えているような声の震え方をしている。
「プロシュート、僕は生まれてからこの食事の仕方で病気になったことはないから安心して欲しい」
「あァン?オメーは風邪も引かねぇのか?ええ?それに歳食ってから病気になることだってあるだろーが!オックスフォードではそう教えられたかもしれねェがケンブリッジでは、ベジタリアンだかヴィーガンだかは早死にするって言ってんだよッ!」
「何でケンブリッジの話がでてくるの!?」
「ケンブリッジの論文にそう書いてあるからだ」
勿論適当な作り話だが、オックスフォードの対抗馬ならケンブリッジが順当だろう。
「ハッ……本当に飽きれた……もうっもうっもーっ!」
ナマエはテーブルに肘をつき、自身の前髪の間に指を差し入れて、引っ張るように強く掴んだ。奥歯を噛みしめるように唇の片側を横に引き、ナマエがいつも怒りを我慢する時の顔をした。せっかくの美人が台無しだが、ナマエはそれでも綺麗なことに変わりない。完璧に整った容姿である証拠だ。
「ナマエ、大丈夫だよ。あの言葉を心に思い浮かべて……」
ジェイコブがナマエの手を握る。なんだか様子が怪しい。儀式めいている。これがカルトのやり方なのだろうか。
「ええ……」
ナマエは髪を掴んでいた手を胸に当てると深呼吸して、何やら英語っぽい言葉でぶつぶつと何かを唱え始めた。
「おい、なんだそりゃあ?ナマエ、もしかしてこの男に騙されてるんじゃあねーか?実はカルト教徒か?」
「ああーッ!やっぱ、無理ッ!本っ当になんなの!?」
ついにナマエが爆発した。席から立ち上がり、膝の上に置いていたテーブルナプキンをテーブルに叩きつけた。
周りの客がこちらに視線を集め、ヒソヒソと互いに何かを囁き始めるが、ナマエは気にする余裕もないらしく、ヒステリックに喚き出した。
「なんでいつも私の邪魔をするの!?小学生の時からずっと、ずっっっっと、私の彼氏にケチつけてさあああッ!」
「おい、小学生の時はただの男友達って言ってたじゃあねェか?やっぱ、彼氏だったのか」
「どっちにしろ、プロシュートのせいで私は振られたのッ!その後だって、ずっとそうだった……皆、全員、別れさせたッ!」
「そのうち1人は薬の運び屋で捕まって、2人が麻薬中毒、10個上のやつは元受刑者だったじゃあねーか。他は忘れたが、皆犯罪者かその予備軍かのどちらかだぜ?ケチつけて当然だろ」
ナマエの付き合う男は全員碌な奴じゃあなかった。小学生の時のやつだって、確か近所のペットの犬だか猫だかを殺してその肉をナマエに食わせようとした変態サイコ野郎だった。何故かナマエは危険な男ばかりに惹かれるのだ。まあ、おそらくは兄のオレが危険な男だから、そういうやつに惹かれるのだろうな。そこがナマエの可愛いところでもある。
それでナマエが惹かれる男である以上、残念ながら、ジェイコブとかいうやつもカルトか地下室で麻薬を栽培しているようなチンケな犯罪者か娼婦を殴って金をせびる碌でもない男なのだろう。
「プロシュートなんて大っ嫌い!」
ナマエはテーブルナプキンを丸めてオレに投げつけると、ショルダーバッグを手に取り、背を向けた。
大っ嫌い、と言われた経験は何度もあるが、言われる度に胸にクるものがある。それでもオレはナマエの幸せのためには危ねェ野郎は駆除するつもりだ。
「便所か?」
「帰るの!ジェイコブ、行こう!」
「おい、待て!せっかく会えたんだぜ!おまえの祝金だって用意してある!」
「プロシュートがなんと言おうと、家に帰るから!」
ナマエは振り向いてそういうと、ぷりぷりと怒ったようにケツを左右に振りながらハイヒールの固い音を響かせて店から出て行った。
ナマエが帰っちまうのは残念だが、オレにはやらなくちゃあいけねえことがあるから仕方なく追うのは諦めた。
「プロシュート、すみません。僕もここで……」
オレに気遣うそぶりを見せながらも、アクセントチェアから立ち上がろうとするジェイコブを睨みつけた。
「おい、待てよ」
ジャケットの内側に手を入れ、ジャケットを膨らませると、ジェイコブはビビって大人しく黙った。
使い古された手だ。ハジキなんて持ち歩いちゃあいねえが、こいつにはよく効くようだ。
「ジェイコブ、オメーの変な宗教でナマエを洗脳してんじゃあねーよ。オレらイタリア人は皆カトリックなんだよ。例外はねえ」
「いえ、イタリアにもプロテスタントやその他の宗派が……」
「皆カトリックだ」
「……そう、ですね。イタリア人は皆カトリックだとしましょう。ナマエは自分で選んで改宗したんです。できたらプロシュートにも僕の話を聞いて理解して欲しいです」
「オメーの話は聞かねェよ。信者に肉を食わせない神は邪悪だ。サタン信仰に等しいぜ。ナマエの健康の為に別れてくれ」
「肉食が体に悪いというデータがあるし、僕は至って健康だ!」
「なんだ?オックスフォードとやらの論文がそう言ってるのか?ハン!拉致があかねーから表で話し合おうじゃあねーか!」
聞き分けの悪いやつには実力行使しかねえ。ナマエが怒り狂う姿が目に浮かぶが、これもナマエの為だ。仕方ねえ。
*
リストランテの裏通りで方をつけた。ジェイコブを2、3発ブン殴って脅せば、簡単に別れると引き下がった。ナマエの過去の犯罪者と犯罪者予備軍の彼氏たちよりも根性がなく、あまりにもあっけなくて拍子抜けした。やっぱ、肉食じゃあねーと根性が無くなるもんなんだな。
それからゆっくり食事の続きをすることにして、仕方なくペッシとリゾットをリストランテに呼んだ。ナマエとジェイコブが注文した魚と雑草だらけの食事でも、一切手を付けねえのは勿体ねーからな。赤ワインも追加で頼んじまったし。
「兄貴ィ、オレも肉がくいてぇよ」
ペッシがオレの皿の牛肉のステーキを見て指を咥える。やっとまともな感性のやつの言葉を聞けて安心した。
「だよなァ。そうだよなァ?ペッシよォ、オメーも肉が食いてーよなァ?」
「オレも肉を期待してきたが……魚と雑草ばかりだ」
リゾットの皿を見れば、そりゃあ悲惨なもんだった。マジで魚と雑草しかない。
「リゾット、肉食は健康にいいよな?」
「ああ。肉食は良質なタンパク質が摂れる」
「ったく。リゾットの言葉をあいつらに聞かせてやりてーな。うちの妹がサタン信仰し始めて大変だったんだぜ?」
「なんだ?肉食を控えるカルトということか?」
「そんな感じだ。おっと、ナマエから電話だ」
懐から電話を取り出し、その場で出た。
「ナマエか?」
「"Va' all'inferno !"」
ナマエの第一声が数年振りに聞く罵倒で、その怒りようから恐らくジェイコブから別れを切り出された直後なのだろうと見当がついた。
「オレはナマエの為を思ってだな……ちなみにサタン信仰に地獄の概念はあんのか?」
「プロシュートって本当に最低ね!もう一生口聞かないし、会わないから!新しくイイ人見つけて勝手に結婚するから!」
「おい!オレの許可なく結婚なんて許さねェぞ!相手がやべーヤツだったらどーすんだ!?」
「少なくとも、プロシュートよりはイイ人だったらいいでしょう!」
「オレよりイイ男がいる訳ねーだろーが!」
自分でいうのもなんだが、オレより男として優れたやつを見たことがないからこれは当然の思考で、決して自己陶酔している訳じゃあねえ。斜向かいに座るペッシが「自分で言うんですかい」と呟きやがったから足を踏んづけてやった。
「この自惚れ屋!まだヴィンツェンツォの方がいいわ!」
「ヴィンツェンツォってまさか変態サイコ野郎のことか?あいつの今を知ってるのか?」
「知らないけど、彼の方がずっといい男だわ!」
「ああ。尊い犠牲を払って肉食の良さを教えてくれたもんな」
「もう!ヴィンツェンツォを探し出して結婚する!」
「おい!それだけはやめろ!」
オレがそう言い終わるか言い終わらないかのタイミングで電話が切れた。まずいことになったな。
「プロシュート、ヴィンツェンツォと言ったか?」
「なんだ?聞き覚えがあるのか?」
リゾットに聞き返せば、重く頷いた。
「シチリアとチュニジアの間にある島でそんな名前の奴が事件を起こした話を聞いた」
「あの観光名所の火山島か?」
「ああ。確か年に一度の島民が集まる祭りの夜に殺した女の肉を島民に食わせたとかで問題になった。そうだ。姓はカヴァッツォーニで間違いない」
「間違いなくあのクソッタレだな。そいつはどうなった?」
「死んだ。殺した娘の親に殺されたらしい」
「その親に花束贈らねェとな」
これで心配事は一つ減った訳だが、ナマエの暴走を止めねえとまずいぜ。
ナマエにヴィンツェンツォを見つけられたかと電話をすれば、今は街でナンパした男といると言う。
「おい、誰だそいつは?」
「リラの花の色の綺麗な長髪で、露出の高いレザー服が素敵な人よ。私のタイプだわ」
「……まさか、片眼の空いたアイマスクしてねーか?」
オレの質問に戸惑いながらも"Si"(そうよ)と言う妹に眩暈がした。あの英国のクソッタレのせいでモンティ・パイソンの『人生狂想曲』の下品な歌が頭を過り、オレの大事な妹がメローネに何をされるか想像して吐き気までしてきやがった。クソッ。カトリックの所為でメローネみてェな悪魔が生まれんだよ。この国の連中は今からでもプロテスタントに改宗した方が身の為ってもんだぜ。
急いでナマエには逃げるように伝えて、リゾットには電話でメローネにその場を動かねェように命令するように頼んだ。
ったく。ナマエの救世主役も大変だ。こんなにも犯罪者や犯罪者予備軍共から救ってやってるのに、ナマエはオレの気を知らないで変な男とばかりと付き合いやがる。
「メローネに電話を切られた。どこにいるかも言わなかった」
リゾットが携帯片手に報告してくれた。
「あのクソ野郎」
「落ち着け。先に妹を保護してこい。オレはメローネを探しに行く」
「悪いな、リゾット。メローネを見つけたらオレの代わりに殴っといてくれ。今日は日曜だからな。あんな悪魔なら殴れば天国行きだぜ」
「フッ。ヴァチカンから礼状が送られてくるだろうな」
普段冗談を好まないリゾットが珍しく気の利いた返しをした。イタリアーノのクセして冗談の一つも言えねえペッシも見習って欲しいもんだぜ。
「オレは行く」
「兄貴もリーダーも行くんですかい?」
「ペッシ、オメーはリゾットと行ってメローネを探してこい。仲間を妹に会わせる気はねェから、オレと別行動だ」
「了解ですけど……」
ペッシは立ち上がるリゾットを怯えながら見上げる。
そんなペッシに飯代として輪ゴムでまとめた5万リラ札のズクを1束放ってやった。
「これで払っとけ。領収書はメローネのケツに突っ込んでケツ毛ごと金をむしり取れ」
「マ、マジにやるんですかい?」
「オメーは冗談も通じねえのかよ、ペッシよォ」
ペッシの顎の割れ目にグリグリ指を突っ込んで押せば、ペッシはひっと短く悲鳴を上げて固まった。
「メローネの所為で食事の途中で退席すんだぜ?それで意味はわかるよなァ?」
「あ、ああ!わかったよぉ、兄貴ィ。メローネに一言言ってやればいいんだよねッ!」
「そーいうこった。オレは先に行く。リゾット、ペッシをよろしくな」
「ああ」
急いでリストランテを出て、ナマエにもう一度電話を掛ければ、まだメローネと一緒にいるみてえだった。
「ナマエ、今から救いに行ってやるから、今隣にいる変態を刺激しねェように逃げろッ!」
「さっきから逃げろって言われても私はそんな気ないし、私が欲しいのは救いじゃなくてあなたからの祝福よ!」
「だったらまともな男を見つけろ!隣にいるメローネってヤツはカトリックをたてにそこら中の女を無理やり孕ませまくってるヤツなんだよ!」
「なんですって!?あなた、レイプ魔なの!?」
数秒後、電話越しに人体を何度も殴るような打撃音や何かを噴射するようなスプレー音と男の悲鳴が聞こえた。
恐らくメローネがナマエにやられた。ナマエは可愛すぎる故に小さい頃から人攫いにあいやすいもんだから、オレが護身術を教え込んでやった。きっとその護身術の成果をメローネに発揮したのだろう。スプレー音はきっとオレが毎年まとめてナマエに送っている痴漢撃退スプレーだ。
流石は旧約聖書を愛する宗教で異教徒には厳しい。メローネをカトリックと言ったからか、と聞きたかったが、ナマエは怒るだろうからやめておいた。
「おい、ナマエ?大丈夫か?」
「大丈夫よ。でも、どうしよう……メローネって人倒れて動かなくなっちゃった……」
「後の処理はオレの知り合いにやらせる。おまえは早くオレのところに来い」
「わかったわ」
こうしてナマエと連絡を取り合い、噴水のある広場で待ち合わせることにした。
急いで広場にたどり着き、噴水の近くによれば、噴水の前でナマエが男に絡まれていた。
男は髪を緩いM字形に刈り込み、円形のメタルスタッズのつきまくった橙色のジャケットを羽織ってる人相の悪い野郎──どこからどうみてもホルマジオだった。
ナマエはホルマジオのヤバさを既に嗅ぎ取ってるのか、満更でもない顔をして、髪を弄りながらホルマジオを熱のこもった眼で見上げている。さっきジェイコブにフラれたばかりで切り替えの早いやつだ。
ホルマジオにもオレの妹を知られたくねえ。だが、妹を守る為にも話しかけないわけにはいかなかった。
「ホルマジオにナマエじゃあねーか」
「なんだよ。プロシュートか。奇遇だな」
オレはナマエの肩に腕を回して、ホルマジオを睨んだ。
「プロシュート!彼と知り合いなの?」
ナマエは紹介してとでも言うように弾んだ声をあげる。
「ああ。それで、ホルマジオはオレの連れに何の用だ?」
ナマエに見えねえように、ホルマジオに早く帰れとジェスチャーした。理解の早いホルマジオは眼で頷いた。仲間の女に手を出すのはこの世界ではタブーだった。
「いや、美人に挨拶しただけだ。じゃあな」
ホルマジオはボトムのポケットに手を突っ込み、背を向けて去っていった。
ナマエはホルマジオの背中をじっと見つめて、名残惜しそうな顔をしている。
「ねえ、プロシュート。彼を紹介してくれないの?」
「あいつはやめとけ。カトリックのクセして元カノを何人か中絶させているし、今カレはパオロという既婚者の男で不倫している上にヤツは猫を食う。中東の猫が旨いらしい」
「それって本当なの……?だとしたら、最低ね……」
それっぽく語ったでっちあげをナマエは信じてホルマジオの背中を睨む。うまくいったと安心したのは束の間のことで、その睨みはオレへと向いた。
「最低といえば……私、ジェイコブにふられたの。あなたの所為よね?」
「それについては説明させてくれ。オレはナマエの健康の為にだな……」
「ふざけないで!肉食が健康に悪いってデータがあるのよ!」
「だからそれはオックスフォードの研究データだろ。ケンブリッジではなァ……」
「あなた、いつまでふざける気なの!?」
「落ち着けって。婚姻前にオレに会わせたってことはナマエも迷ってたんだろ?」
「……まだ理解してないの?」
ナマエは声を震わせ、下唇を噛んだ。何か言いたげだが、オレにはわからねえ。
「何がだ?」
「私はあなたに祝福されたくて来たの。私だってプロシュートが認めない男とは結婚したくないからよ!あなたは大事な家族だから……どうしたら祝福してくれるの?どんな男だったらいいの?一生私を結婚させない気?」
「ナマエ……」
今にも泣きだしそうな様子のナマエを抱きしめないわけにはいかなかった。肩を震わせるナマエを優しく抱きしめ背中を撫でてやった。
「そういうわけじゃあねーんだ。オレはおまえを愛してるから、幸せになって欲しい。頼むからまともな男と結婚してくれ。カトリックで犯罪歴がなく、ドラッグもやってなくて、それから女を孕ませたことがないやつだ。そうすれば、オレはもう何も言わねえ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「わかったわ……私も相手を選ぶ時に気をつけるわ」
「イイ子だ」
ナマエの背中を軽く叩いて離した。
紆余曲折はあったが、なんとかナマエとわかりあえたのはよかった。
「んじゃあ、今日はどーすんだ?ジェイコブとホテルとってんだろ?」
「ええ。でも、今日はプロシュートの家に泊まらせて。それで明日帰るわ」
「ああ。いいぜ」
「じゃあ、ホテルに荷物取りにいくから」
オレも行くと言ったが、ナマエはジェイコブと話したいことがあると言うからホテルの前まで送った。ナマエを待っている間に近くの酒屋でナマエと飲むワインを買い、同じ通りでやっていた市場でマスカットとモッツァレラとストラッチャテッラチーズを買った。ワインのつまみに、家にある食材と合わせてマスカット入りカプレーゼをナマエに作ってやりたい。あいつはガキの頃からマスカットの入ったカプレーゼが大好物だった。
久し振りにナマエと過ごす時間を想像して気分良くホテルの前までナマエを迎えに行くと、最悪なことにナマエの隣にはダークブラウンの長髪に赤い眼をした人相の悪い男が立っていた。
「だから犯罪者はやめろつっただろーがよォッ!」
買い込んだ食材を地面に投げ捨て、ナマエの腰に手を回す男──仲間のイルーゾォの横っ面をブン殴った。
「プロシュート、てめェーッ!何しやがるッ!!!」
「うるせェ!オレは名前がモハメッドだから、カトリック野郎をブン殴ったんだよッ!!!」
ナマエを妹だと勘付かれねえように無理くり理由を考えたわけだが、それが逆に功を奏してイルーゾォがオレの正気を疑い始め、喧嘩にならずに済んで事なきを得た。
「プロシュート、カトリックの男ならいいんじゃあなかったの……?」
その場を去るイルーゾォの背中を熱っぽい眼で見つめながらナマエが聞いてきた。
今日一日、ナマエが引き寄せ、惹かれた男たちのことを思えば、ある程度のボーダーラインを下げてもいいような気がしてきたが、オレはナマエの幸せだけは絶対に譲りたくねえ。
「さっき言った条件は変えねえよ。ちゃんとした男を厳選しろ。オメーは何歳になっても選べる立場にいることを忘れんな」
地面に投げ捨てた買い物袋を拾って無事を確かめ、ナマエの為にタクシーを拾って家へ帰る道中、隣を並走し、窓ガラスを叩いてくる赤色のオープンーに乗った眼鏡の男に見覚えがある気がして静かにサツに通報した。
※差別の意図なし
婚約した妹の為に急遽顔合わせという名の食事会をセッティングした。
オレの可愛い妹にオレの許可なく手を出すとは、どんなふてェ野郎かと思えば、予想より遥かに最低なやつが妹と共に店に現れた。
よく磨かれた、白と黒のマーブル柄のセラミックタイルの上を、英国らしい幅広の色気のねェ革靴で歩く野郎は着ているスーツまでも色気が無く、肩周りの苦しそうな重量感のある仕立てだ。顔はまあ、悪くはねェが顎が細く、青とも緑とも見える瞳に癖の強い栗毛だ。頭から爪先まで英国産じゃあねーか。既にもう気に入らねえ。
「プロシュート!」
ナマエは数年前と違わず元気そうだ。見た目は以前より薄化粧で、服装も落ち着いた色のロングワンピースで地味になっているが、顔が元々華やかだから美人が際立つ。ナマエは若き日のステファニア・カッシーニよりも美人だった。
「ナマエ、久し振りだな。元気にしてたか?」
革張りのアクセントチェアから立ち上がり、久し振りに会うナマエを抱きしめ、両頬にキスを落とした。
「プロシュート、紹介するわ。彼が婚約者のジェイコブ。ジェイコブ・ジョエルよ」
「ジェイコブです」
「プロシュートだ」
軽く握手を交わして、すぐに手を離した。座ることを促すように丸テーブルの向かいの席へ手を向ければジェイコブはナマエの為にアクセントチェアを引き、ナマエを先に座らせてから席に着いた。英国紳士ぶっているところがまた一段と気に入らねえ。
ウェイターを呼んでメニュー表を持って来させた。
「まずはアペリティーヴォ(食前酒)に白ワインでも飲むか?それとも紅茶がいいか?」
「プロシュート!」
相手が英国人だから気を利かせたつもりがナマエに怒られた。ジェイコブはひきつけでも起こしたようなぎこちない笑みを浮かべると「いえ、白ワインで結構です」と、一丁前に言う。話し方もなんだか尊大振った口調で気に入らねえ。
とりあえず、ウェイターにグレコ種の白ワインを頼んだが、英国人にワインの味がわかるものか。
ナマエの希望で席だけの予約を取ったが、食事のメニュー表からなんでも好きなものを食えといえば、ナマエもジェイコブも食事は魚をメインに野菜ばかりのメニューを選びやがった。
「肉はどうした?ナマエの好物だろ?それにここに来て海老や貝もくわねーのか?」
何故かジェイコブが居心地悪そうに居住まいを正し、咳払いをした。
「ああ、その、僕たちは宗教上の理由で……」
「僕たち?宗教上?ナマエもオレもカトリックの家系だぜ?生き物なら人間以外は何でも殺して食う」
信仰しているかは別としてだが、教会には何度か行ったことがある。オレにとってカトリックは慣習的なものであるが、無宗教というよりはカトリックだという自覚がある。
「プロシュート、私改宗したの」
「なんだと?何教だ?カルトじゃあねーだろーな?」
「それは……」
「いや、待て。当ててやる。ジェイコブって名前の時点でおかしいと思ったぜ」
「ジェイコブはメジャーな名前よ!それにカトリックでもジェイコブの名前を付けるわ!カトリック以外だったら問題なわけ?」
ナマエは目くじらを立てて怒るが、昔から怒りっぽいところがあるからあまり気にはならねえ。
「宗教によっては問題だろーが。ジェイコブ・ジョエル……ジョエルって姓は確かアメリカの音楽家にいた気がすんな……そうだ。アレだな?豚の食えないやつ。いや、でもアレは牛や鳥はいいんだろう?」
「ええ、一部の人はね。だけど、ウチは肉類は一切摂らない方針なの。それで何か問題でも?」
「待て。もし結婚して子供ができたら、オレの甥っ子や姪っ子も肉を食わねえのか?え?そういうことだよな?オレの可愛い妹の子が栄養失調で病気になるってことだよな?」
ナマエの子供は殆どオレの子のようなもんだ。そんな可愛く尊い子供たちが肉食をやめて病気になるなんてことはオレが許さねえ。
「もう!お肉なんか食べなくても大丈夫なのよ!私だってここ2年食べてないけど、病気になってないわ!」
「数ヶ月後には病室で肉を食わされてるだろうな。今からメニューをステーキに変えてもらえ」
「はあ……飽きれたわ。ジェイコブ、ごめんなさいね」
ナマエはジェイコブへ右手を伸ばす。その薬指にはデケェダイヤの粒が乗った指輪がはめられている。通常この国での婚約指輪は宝石さえついていないような地味なものが多い。それは婚約期間を長く設ける傾向があって、結婚が正式に決まった後に新しく婚約指輪を贈り直すからだ。つまり、ナマエの派手な婚約指輪から相手の本気度が伺えるが、それは相手が英国のクソッタレだからなのか?英国野郎は皆大粒のダイヤを婚約指輪にするものなのか?
白ワインが席に運ばれ、ソムリエが白ワインの説明をしながらグラスにワインを注いでいく。
「ナマエとの再会にサルーテ(乾杯)!」
そもそも今日の目的は婚約祝いではなく、ナマエに会う為であったからこの祝辞に間違いねえが、ナマエもジェイコブもやる気のない掠れ声で"Salute"ともごもご言う。
「カンパーニャ州のワインは初めてか?」
「プロシュートが去年送ってくれたやつを2人で飲んだわ」
「口当たりのよく、果実味のある味が良かったです」
ジェイコブがなんとも当たり障りのない表現をする。まるで練習してきたかのように一言でスッと感想を言う様が鼻につく。
「そりゃあ良かったな。それで今ふたりは同棲してると聞いたが?」
「ええ。それが?」
「差別とかされてねーか?北は冷てェだろ?あの宗教はこの国じゃあ、差別の対象だからな。近所付き合いに問題はねェか?生卵とか豚の死体投げつけられてねーか?」
「……残念ながら普通にしているだけで、良く見られるの。確かに最初は修羅の国から来た外国人とかエチオピア人扱いされてたけど、今は差別だなんて感じたことないわ」
「なんの話だ?」
「南から来たって差別されかけた話よ」
「おい、オレはあの宗教の話をしてるんだぜ?それに南出身ってだけで差別だって?ハン!北は碌なやつがいねーな!」
「プロシュート、あのね、私が言いたいのは、最終的に北の人も私を南出身の外国人じゃあなくて、私自身を見て評価を変えてくれたの」
「そりゃあ、オメーがよく出来た女だからだ」
「私が言いたいのはッ!人柄を知ればッ!差別をしないってことなの!だから、プロシュートにはジェイコブのことをもっとよく知って欲しいわ!」
ナマエは周りを気にしてか、声を落として話すが語調が荒く、怒っているのが丸わかりだ。隣にいるジェイコブはナマエの手を握り、外国語で短く何かを言うと、ナマエが怒りを鎮めるように深呼吸をし始めた。これも宗教の習慣なのか、なんだか怪しいもんだぜ。
ナマエの言い分はよく理解したが、オレの根底にあるのは宗教差別ではなく、ナマエの健康状態の心配と、その宗教が本当にカルトじゃあないかの疑いだ。
「ああ。良く知ってやるよ。それで仕事は何やってる?」
「時計技師です」
「時計技師?何歳だ?」
時計技師にしては歳が若く見える。オレより年上ではないと納得できねえ職業だ。
「今年で24です」
「24じゃあ、まだ時計技師見習いだろ?」
「ええ。そうですが、いずれ独立技師になる予定です」
「ねえ、彼凄いのよ。オックスフォード大学出身なの」
ナマエが誇らしげに話すが、オックスフォード出身で時計技師になるやつなんているのか怪しいもんだぜ。
「卒業したのか?」
「卒業したに決まってるでしょ!」
「おい、落ち着けって」
ナマエはずっと怒りっぱなしで、血圧が心配になる程だ。つーか、これも肉食をやめたせいなのかもしれねえな。肉は間接的に血圧に良いらしいしな。
暫くオックスフォードの学位や卒論が云々退屈な話を聞いていると、漸く頼んでいた前菜が運ばれてきた。海老や貝に彩られた鮮やかな自分の皿と、婚約者に合わせて草しか乗っていない妹の皿を見て泣けてきた。妹の半生以上が雑草ばかりの食事になると思うとオレは悲しくて仕方がねえ。
「ナマエ、オレの海老食うか?そんな雑草ばかりじゃあ、体壊すぜ?」
「悪いけど、魚以外の海のものは食べない方針だから。あのね、プロシュート。お願いだからやめてくれる?人それぞれでしょ?人の生き方に口出されるってプロシュートだって嫌でしょ?」
ナマエはまるで子供に教えるように落ち着いた優しい声色で話すが、それでも必死で怒りを抑えているような声の震え方をしている。
「プロシュート、僕は生まれてからこの食事の仕方で病気になったことはないから安心して欲しい」
「あァン?オメーは風邪も引かねぇのか?ええ?それに歳食ってから病気になることだってあるだろーが!オックスフォードではそう教えられたかもしれねェがケンブリッジでは、ベジタリアンだかヴィーガンだかは早死にするって言ってんだよッ!」
「何でケンブリッジの話がでてくるの!?」
「ケンブリッジの論文にそう書いてあるからだ」
勿論適当な作り話だが、オックスフォードの対抗馬ならケンブリッジが順当だろう。
「ハッ……本当に飽きれた……もうっもうっもーっ!」
ナマエはテーブルに肘をつき、自身の前髪の間に指を差し入れて、引っ張るように強く掴んだ。奥歯を噛みしめるように唇の片側を横に引き、ナマエがいつも怒りを我慢する時の顔をした。せっかくの美人が台無しだが、ナマエはそれでも綺麗なことに変わりない。完璧に整った容姿である証拠だ。
「ナマエ、大丈夫だよ。あの言葉を心に思い浮かべて……」
ジェイコブがナマエの手を握る。なんだか様子が怪しい。儀式めいている。これがカルトのやり方なのだろうか。
「ええ……」
ナマエは髪を掴んでいた手を胸に当てると深呼吸して、何やら英語っぽい言葉でぶつぶつと何かを唱え始めた。
「おい、なんだそりゃあ?ナマエ、もしかしてこの男に騙されてるんじゃあねーか?実はカルト教徒か?」
「ああーッ!やっぱ、無理ッ!本っ当になんなの!?」
ついにナマエが爆発した。席から立ち上がり、膝の上に置いていたテーブルナプキンをテーブルに叩きつけた。
周りの客がこちらに視線を集め、ヒソヒソと互いに何かを囁き始めるが、ナマエは気にする余裕もないらしく、ヒステリックに喚き出した。
「なんでいつも私の邪魔をするの!?小学生の時からずっと、ずっっっっと、私の彼氏にケチつけてさあああッ!」
「おい、小学生の時はただの男友達って言ってたじゃあねェか?やっぱ、彼氏だったのか」
「どっちにしろ、プロシュートのせいで私は振られたのッ!その後だって、ずっとそうだった……皆、全員、別れさせたッ!」
「そのうち1人は薬の運び屋で捕まって、2人が麻薬中毒、10個上のやつは元受刑者だったじゃあねーか。他は忘れたが、皆犯罪者かその予備軍かのどちらかだぜ?ケチつけて当然だろ」
ナマエの付き合う男は全員碌な奴じゃあなかった。小学生の時のやつだって、確か近所のペットの犬だか猫だかを殺してその肉をナマエに食わせようとした変態サイコ野郎だった。何故かナマエは危険な男ばかりに惹かれるのだ。まあ、おそらくは兄のオレが危険な男だから、そういうやつに惹かれるのだろうな。そこがナマエの可愛いところでもある。
それでナマエが惹かれる男である以上、残念ながら、ジェイコブとかいうやつもカルトか地下室で麻薬を栽培しているようなチンケな犯罪者か娼婦を殴って金をせびる碌でもない男なのだろう。
「プロシュートなんて大っ嫌い!」
ナマエはテーブルナプキンを丸めてオレに投げつけると、ショルダーバッグを手に取り、背を向けた。
大っ嫌い、と言われた経験は何度もあるが、言われる度に胸にクるものがある。それでもオレはナマエの幸せのためには危ねェ野郎は駆除するつもりだ。
「便所か?」
「帰るの!ジェイコブ、行こう!」
「おい、待て!せっかく会えたんだぜ!おまえの祝金だって用意してある!」
「プロシュートがなんと言おうと、家に帰るから!」
ナマエは振り向いてそういうと、ぷりぷりと怒ったようにケツを左右に振りながらハイヒールの固い音を響かせて店から出て行った。
ナマエが帰っちまうのは残念だが、オレにはやらなくちゃあいけねえことがあるから仕方なく追うのは諦めた。
「プロシュート、すみません。僕もここで……」
オレに気遣うそぶりを見せながらも、アクセントチェアから立ち上がろうとするジェイコブを睨みつけた。
「おい、待てよ」
ジャケットの内側に手を入れ、ジャケットを膨らませると、ジェイコブはビビって大人しく黙った。
使い古された手だ。ハジキなんて持ち歩いちゃあいねえが、こいつにはよく効くようだ。
「ジェイコブ、オメーの変な宗教でナマエを洗脳してんじゃあねーよ。オレらイタリア人は皆カトリックなんだよ。例外はねえ」
「いえ、イタリアにもプロテスタントやその他の宗派が……」
「皆カトリックだ」
「……そう、ですね。イタリア人は皆カトリックだとしましょう。ナマエは自分で選んで改宗したんです。できたらプロシュートにも僕の話を聞いて理解して欲しいです」
「オメーの話は聞かねェよ。信者に肉を食わせない神は邪悪だ。サタン信仰に等しいぜ。ナマエの健康の為に別れてくれ」
「肉食が体に悪いというデータがあるし、僕は至って健康だ!」
「なんだ?オックスフォードとやらの論文がそう言ってるのか?ハン!拉致があかねーから表で話し合おうじゃあねーか!」
聞き分けの悪いやつには実力行使しかねえ。ナマエが怒り狂う姿が目に浮かぶが、これもナマエの為だ。仕方ねえ。
*
リストランテの裏通りで方をつけた。ジェイコブを2、3発ブン殴って脅せば、簡単に別れると引き下がった。ナマエの過去の犯罪者と犯罪者予備軍の彼氏たちよりも根性がなく、あまりにもあっけなくて拍子抜けした。やっぱ、肉食じゃあねーと根性が無くなるもんなんだな。
それからゆっくり食事の続きをすることにして、仕方なくペッシとリゾットをリストランテに呼んだ。ナマエとジェイコブが注文した魚と雑草だらけの食事でも、一切手を付けねえのは勿体ねーからな。赤ワインも追加で頼んじまったし。
「兄貴ィ、オレも肉がくいてぇよ」
ペッシがオレの皿の牛肉のステーキを見て指を咥える。やっとまともな感性のやつの言葉を聞けて安心した。
「だよなァ。そうだよなァ?ペッシよォ、オメーも肉が食いてーよなァ?」
「オレも肉を期待してきたが……魚と雑草ばかりだ」
リゾットの皿を見れば、そりゃあ悲惨なもんだった。マジで魚と雑草しかない。
「リゾット、肉食は健康にいいよな?」
「ああ。肉食は良質なタンパク質が摂れる」
「ったく。リゾットの言葉をあいつらに聞かせてやりてーな。うちの妹がサタン信仰し始めて大変だったんだぜ?」
「なんだ?肉食を控えるカルトということか?」
「そんな感じだ。おっと、ナマエから電話だ」
懐から電話を取り出し、その場で出た。
「ナマエか?」
「"
ナマエの第一声が数年振りに聞く罵倒で、その怒りようから恐らくジェイコブから別れを切り出された直後なのだろうと見当がついた。
「オレはナマエの為を思ってだな……ちなみにサタン信仰に地獄の概念はあんのか?」
「プロシュートって本当に最低ね!もう一生口聞かないし、会わないから!新しくイイ人見つけて勝手に結婚するから!」
「おい!オレの許可なく結婚なんて許さねェぞ!相手がやべーヤツだったらどーすんだ!?」
「少なくとも、プロシュートよりはイイ人だったらいいでしょう!」
「オレよりイイ男がいる訳ねーだろーが!」
自分でいうのもなんだが、オレより男として優れたやつを見たことがないからこれは当然の思考で、決して自己陶酔している訳じゃあねえ。斜向かいに座るペッシが「自分で言うんですかい」と呟きやがったから足を踏んづけてやった。
「この自惚れ屋!まだヴィンツェンツォの方がいいわ!」
「ヴィンツェンツォってまさか変態サイコ野郎のことか?あいつの今を知ってるのか?」
「知らないけど、彼の方がずっといい男だわ!」
「ああ。尊い犠牲を払って肉食の良さを教えてくれたもんな」
「もう!ヴィンツェンツォを探し出して結婚する!」
「おい!それだけはやめろ!」
オレがそう言い終わるか言い終わらないかのタイミングで電話が切れた。まずいことになったな。
「プロシュート、ヴィンツェンツォと言ったか?」
「なんだ?聞き覚えがあるのか?」
リゾットに聞き返せば、重く頷いた。
「シチリアとチュニジアの間にある島でそんな名前の奴が事件を起こした話を聞いた」
「あの観光名所の火山島か?」
「ああ。確か年に一度の島民が集まる祭りの夜に殺した女の肉を島民に食わせたとかで問題になった。そうだ。姓はカヴァッツォーニで間違いない」
「間違いなくあのクソッタレだな。そいつはどうなった?」
「死んだ。殺した娘の親に殺されたらしい」
「その親に花束贈らねェとな」
これで心配事は一つ減った訳だが、ナマエの暴走を止めねえとまずいぜ。
ナマエにヴィンツェンツォを見つけられたかと電話をすれば、今は街でナンパした男といると言う。
「おい、誰だそいつは?」
「リラの花の色の綺麗な長髪で、露出の高いレザー服が素敵な人よ。私のタイプだわ」
「……まさか、片眼の空いたアイマスクしてねーか?」
オレの質問に戸惑いながらも"Si"(そうよ)と言う妹に眩暈がした。あの英国のクソッタレのせいでモンティ・パイソンの『人生狂想曲』の下品な歌が頭を過り、オレの大事な妹がメローネに何をされるか想像して吐き気までしてきやがった。クソッ。カトリックの所為でメローネみてェな悪魔が生まれんだよ。この国の連中は今からでもプロテスタントに改宗した方が身の為ってもんだぜ。
急いでナマエには逃げるように伝えて、リゾットには電話でメローネにその場を動かねェように命令するように頼んだ。
ったく。ナマエの救世主役も大変だ。こんなにも犯罪者や犯罪者予備軍共から救ってやってるのに、ナマエはオレの気を知らないで変な男とばかりと付き合いやがる。
「メローネに電話を切られた。どこにいるかも言わなかった」
リゾットが携帯片手に報告してくれた。
「あのクソ野郎」
「落ち着け。先に妹を保護してこい。オレはメローネを探しに行く」
「悪いな、リゾット。メローネを見つけたらオレの代わりに殴っといてくれ。今日は日曜だからな。あんな悪魔なら殴れば天国行きだぜ」
「フッ。ヴァチカンから礼状が送られてくるだろうな」
普段冗談を好まないリゾットが珍しく気の利いた返しをした。イタリアーノのクセして冗談の一つも言えねえペッシも見習って欲しいもんだぜ。
「オレは行く」
「兄貴もリーダーも行くんですかい?」
「ペッシ、オメーはリゾットと行ってメローネを探してこい。仲間を妹に会わせる気はねェから、オレと別行動だ」
「了解ですけど……」
ペッシは立ち上がるリゾットを怯えながら見上げる。
そんなペッシに飯代として輪ゴムでまとめた5万リラ札のズクを1束放ってやった。
「これで払っとけ。領収書はメローネのケツに突っ込んでケツ毛ごと金をむしり取れ」
「マ、マジにやるんですかい?」
「オメーは冗談も通じねえのかよ、ペッシよォ」
ペッシの顎の割れ目にグリグリ指を突っ込んで押せば、ペッシはひっと短く悲鳴を上げて固まった。
「メローネの所為で食事の途中で退席すんだぜ?それで意味はわかるよなァ?」
「あ、ああ!わかったよぉ、兄貴ィ。メローネに一言言ってやればいいんだよねッ!」
「そーいうこった。オレは先に行く。リゾット、ペッシをよろしくな」
「ああ」
急いでリストランテを出て、ナマエにもう一度電話を掛ければ、まだメローネと一緒にいるみてえだった。
「ナマエ、今から救いに行ってやるから、今隣にいる変態を刺激しねェように逃げろッ!」
「さっきから逃げろって言われても私はそんな気ないし、私が欲しいのは救いじゃなくてあなたからの祝福よ!」
「だったらまともな男を見つけろ!隣にいるメローネってヤツはカトリックをたてにそこら中の女を無理やり孕ませまくってるヤツなんだよ!」
「なんですって!?あなた、レイプ魔なの!?」
数秒後、電話越しに人体を何度も殴るような打撃音や何かを噴射するようなスプレー音と男の悲鳴が聞こえた。
恐らくメローネがナマエにやられた。ナマエは可愛すぎる故に小さい頃から人攫いにあいやすいもんだから、オレが護身術を教え込んでやった。きっとその護身術の成果をメローネに発揮したのだろう。スプレー音はきっとオレが毎年まとめてナマエに送っている痴漢撃退スプレーだ。
流石は旧約聖書を愛する宗教で異教徒には厳しい。メローネをカトリックと言ったからか、と聞きたかったが、ナマエは怒るだろうからやめておいた。
「おい、ナマエ?大丈夫か?」
「大丈夫よ。でも、どうしよう……メローネって人倒れて動かなくなっちゃった……」
「後の処理はオレの知り合いにやらせる。おまえは早くオレのところに来い」
「わかったわ」
こうしてナマエと連絡を取り合い、噴水のある広場で待ち合わせることにした。
急いで広場にたどり着き、噴水の近くによれば、噴水の前でナマエが男に絡まれていた。
男は髪を緩いM字形に刈り込み、円形のメタルスタッズのつきまくった橙色のジャケットを羽織ってる人相の悪い野郎──どこからどうみてもホルマジオだった。
ナマエはホルマジオのヤバさを既に嗅ぎ取ってるのか、満更でもない顔をして、髪を弄りながらホルマジオを熱のこもった眼で見上げている。さっきジェイコブにフラれたばかりで切り替えの早いやつだ。
ホルマジオにもオレの妹を知られたくねえ。だが、妹を守る為にも話しかけないわけにはいかなかった。
「ホルマジオにナマエじゃあねーか」
「なんだよ。プロシュートか。奇遇だな」
オレはナマエの肩に腕を回して、ホルマジオを睨んだ。
「プロシュート!彼と知り合いなの?」
ナマエは紹介してとでも言うように弾んだ声をあげる。
「ああ。それで、ホルマジオはオレの連れに何の用だ?」
ナマエに見えねえように、ホルマジオに早く帰れとジェスチャーした。理解の早いホルマジオは眼で頷いた。仲間の女に手を出すのはこの世界ではタブーだった。
「いや、美人に挨拶しただけだ。じゃあな」
ホルマジオはボトムのポケットに手を突っ込み、背を向けて去っていった。
ナマエはホルマジオの背中をじっと見つめて、名残惜しそうな顔をしている。
「ねえ、プロシュート。彼を紹介してくれないの?」
「あいつはやめとけ。カトリックのクセして元カノを何人か中絶させているし、今カレはパオロという既婚者の男で不倫している上にヤツは猫を食う。中東の猫が旨いらしい」
「それって本当なの……?だとしたら、最低ね……」
それっぽく語ったでっちあげをナマエは信じてホルマジオの背中を睨む。うまくいったと安心したのは束の間のことで、その睨みはオレへと向いた。
「最低といえば……私、ジェイコブにふられたの。あなたの所為よね?」
「それについては説明させてくれ。オレはナマエの健康の為にだな……」
「ふざけないで!肉食が健康に悪いってデータがあるのよ!」
「だからそれはオックスフォードの研究データだろ。ケンブリッジではなァ……」
「あなた、いつまでふざける気なの!?」
「落ち着けって。婚姻前にオレに会わせたってことはナマエも迷ってたんだろ?」
「……まだ理解してないの?」
ナマエは声を震わせ、下唇を噛んだ。何か言いたげだが、オレにはわからねえ。
「何がだ?」
「私はあなたに祝福されたくて来たの。私だってプロシュートが認めない男とは結婚したくないからよ!あなたは大事な家族だから……どうしたら祝福してくれるの?どんな男だったらいいの?一生私を結婚させない気?」
「ナマエ……」
今にも泣きだしそうな様子のナマエを抱きしめないわけにはいかなかった。肩を震わせるナマエを優しく抱きしめ背中を撫でてやった。
「そういうわけじゃあねーんだ。オレはおまえを愛してるから、幸せになって欲しい。頼むからまともな男と結婚してくれ。カトリックで犯罪歴がなく、ドラッグもやってなくて、それから女を孕ませたことがないやつだ。そうすれば、オレはもう何も言わねえ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「わかったわ……私も相手を選ぶ時に気をつけるわ」
「イイ子だ」
ナマエの背中を軽く叩いて離した。
紆余曲折はあったが、なんとかナマエとわかりあえたのはよかった。
「んじゃあ、今日はどーすんだ?ジェイコブとホテルとってんだろ?」
「ええ。でも、今日はプロシュートの家に泊まらせて。それで明日帰るわ」
「ああ。いいぜ」
「じゃあ、ホテルに荷物取りにいくから」
オレも行くと言ったが、ナマエはジェイコブと話したいことがあると言うからホテルの前まで送った。ナマエを待っている間に近くの酒屋でナマエと飲むワインを買い、同じ通りでやっていた市場でマスカットとモッツァレラとストラッチャテッラチーズを買った。ワインのつまみに、家にある食材と合わせてマスカット入りカプレーゼをナマエに作ってやりたい。あいつはガキの頃からマスカットの入ったカプレーゼが大好物だった。
久し振りにナマエと過ごす時間を想像して気分良くホテルの前までナマエを迎えに行くと、最悪なことにナマエの隣にはダークブラウンの長髪に赤い眼をした人相の悪い男が立っていた。
「だから犯罪者はやめろつっただろーがよォッ!」
買い込んだ食材を地面に投げ捨て、ナマエの腰に手を回す男──仲間のイルーゾォの横っ面をブン殴った。
「プロシュート、てめェーッ!何しやがるッ!!!」
「うるせェ!オレは名前がモハメッドだから、カトリック野郎をブン殴ったんだよッ!!!」
ナマエを妹だと勘付かれねえように無理くり理由を考えたわけだが、それが逆に功を奏してイルーゾォがオレの正気を疑い始め、喧嘩にならずに済んで事なきを得た。
「プロシュート、カトリックの男ならいいんじゃあなかったの……?」
その場を去るイルーゾォの背中を熱っぽい眼で見つめながらナマエが聞いてきた。
今日一日、ナマエが引き寄せ、惹かれた男たちのことを思えば、ある程度のボーダーラインを下げてもいいような気がしてきたが、オレはナマエの幸せだけは絶対に譲りたくねえ。
「さっき言った条件は変えねえよ。ちゃんとした男を厳選しろ。オメーは何歳になっても選べる立場にいることを忘れんな」
地面に投げ捨てた買い物袋を拾って無事を確かめ、ナマエの為にタクシーを拾って家へ帰る道中、隣を並走し、窓ガラスを叩いてくる赤色のオープンーに乗った眼鏡の男に見覚えがある気がして静かにサツに通報した。