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「まったく。本当にナマエはついてないよな」

「うん……こんな私の為に来てくれてありがとね」

医務室の寝台の上。風邪で寝込んでいる私の様子を見に来てくれたお友達のレオニーに私は感謝した。

今日は十二の節の二十五の日だ。もうすぐ舞踏会が始まる時間で、先ほどマヌエラ先生は「また様子見に来るから安静にしていてね」と言うと軽い足取りで会場へ行ってしまった。私も行きたかったし、踊りたい相手が一人だけいたのにな。今日しか機会がなかったのに、それがもう一生叶わないと思うと悲しい。後悔したところでわざとやったわけではないからどうにもならないことだけど、お腹出して寝るんじゃなかった。

「レオニーはもう行った方がいいんじゃない?風邪移るから私といない方がいいよ」

「わたしはそんな柔じゃないよ。まあ、強制参加だからもうすぐ行くけどさ。また来るよ」

「ううん。来なくて大丈夫だよ。風邪移したらやだから気遣わないで」

「ナマエが逆に気遣っちゃうか。わかった。わたしはもう行くけど、寝台から抜け出さずにちゃんと体を温めるんだよ?」

「うん。ありがとう」

レオニーが燭台を持って行ってしまうと、部屋がしんと静まり返って寂しくなる。灯は暖炉の火と壁掛け燭台だけで部屋が薄暗い。寂しい上にちょっと怖い。風邪は移したくないけど、やっぱりレオニーがまた来てくれないかなと思ってしまう。

お布団を肩まで掛けて、体を横に向けた。眠っている間に早く舞踏会なんて終わっちゃえばいいのに、なんて考えているうちに風邪の怠さですぐにうとうとし始めた。瞼がくっついて意識が落ちそうになったところで、部屋の扉が開く音で目がすっと覚めた。

マヌエラ先生かレオニーかな、と医務室の出入口に目を遣ると、なんとローレンツくんが大きな籠を持って立っていた。

私は慌てて髪を直しながら身を起こした。

「やあ、ナマエさん。具合はどうだい?」

「ローレンツくん、なんで……?」

舞踏会の始まっている時間にローレンツくんが目の前にいるのが信じられない。ちょっと気になっていた相手が来てくれたことが嬉しくて心臓がとくりと跳ねる。

「君の様子を見にきただけだ。何か欲しいものはあるかい?」

ローレンツくんは木製の籠を寝台の傍の棚の上に置くと椅子に腰掛ける。

「特にないよ……」

「少し鼻声だな。熱はあるのかい?」

「うん」

「寒気はどうだい?」

「ちょっと寒いかな」
 
「喉の痛みは?」

「結構痛いかも」

「それは辛そうだな……ナマエさんにジンジャーティーを淹れてきたんだ。喉や保温に良いと思ってね。よければどうかな?」

「え……嬉しい……飲みたい」

あのローレンツくんが風邪を引いている私の為にわざわざそんなことをしてくれたのが信じられない。凄く嬉しい。

「ここは狭いから向こうで用意するよ」

ローレンツくんは籠を部屋の中央の円卓に移動させて、中から注ぎ口と取手が黄金色の豪奢な意匠のティーポットと縁が黄金色のカップとソーサーを一組取り出し、ティーポットからカップへ綺麗な所作でお茶を入れて、寝台の脇の棚に置いてくれた。近くで見ると、ティーカップの飲み口は波を打った意匠で外側には桃色のお花と金色の細かい紋様がある。目で見ても楽しめるティーカップで、舞踏会の日にはぴったりの茶器だ。私の為に選んでくれたと思うと凄く嬉しい。

「溢さないように気をつけたまえ」

「うん」

そっとカップを持ち上げ、ゆっくりと口元へ運んでゆっくりとお茶を飲み込む──ジンジャーの効いた、でも甘くて飲みやすいお茶だ。一口喉を通すごとに喉の痛みが和らぐのを感じた。

「おいしい!なんか喉に効いてる感じする!」

「それは良かった。焼き菓子も持ってきたが、食欲はどうだい?」

「少しだけ食べたいなー」

ローレンツくんがたまにくれる焼き菓子はとても美味しいから期待がもてる。ローレンツくんが来るまでは怠くて寂しくて食欲はなかったけど、ローレンツくんのお陰で元気も食欲も出てきた。

「持ってくるよ」

ローレンツくんが籠から焼き菓子の入ったお皿を取り出して、手渡してくれる。

「美味しそう」

「いつもと味が違うと思うが、是非食べて欲しい」

「ありがとう。いただくね」

焼き菓子を手に取り、口に運ぶ。ローレンツくんは味が違うと言っていたけど、本当にいつもと違って苦い。想像していた味とあまりの差があったせいかとんでもなく苦く感じる。

「苦い……」

「薬草の入った焼き菓子だ。滋養にいいだろう」

「ええっ……嬉しいけど、これ本当苦い」

口の中に残る苦味をジンジャーティーで流し込んだ。

「そんなに苦いのか。可哀想だが、ナマエさんには早く良くなって欲しいからな」

ローレンツくんは穏やかな微笑を口元に浮かべる。ローレンツくんの親しみの篭った表情がじんと心に染みて、自分の中でローレンツくんに対する気持ちが大きくなっていくのを感じる。

「ありがとう……ねえ、ローレンツくんは舞踏会出なくていいの?」

こうしてずっとローレンツくんと一緒にいたいけど、ローレンツくんは舞踊が大好きなはずだから、私の為に時間を割いてくれているのを申し訳なく思う。

「そうだな。強制参加なのに出なかったのはまずいかもな。だが、生徒一人一人の動向を見ている訳でもあるまい。問題ないだろう」

「そうじゃなくて、舞踏会出たくないの?」

「舞踏会には踊りたい相手がいないからな」

「えー、本当に?」

ローレンツくんなら、ヒルダちゃんとかマリアンヌちゃんあたりと踊りたがると思っていたからすごく意外だ。

「ああ。せっかくの前夜祭だ。君と過ごす方がずっといい」

「あはは……それはちょっと照れるかも……」

ローレンツくんの舞踊に対する熱い気持ちを知っているだけに、自分と過ごす方がいいと言われて恥ずかしくなった。

「でも、風邪移っちゃうかもだから、ローレンツくんはそろそろ戻った方がいいよ」

「僕のことは気にしなくていい。普段から風邪を引かないように気をつけているからね」

「ローレンツくん、偉いんだね」

「褒められたくて気をつけている訳ではない。貴族はいつでも助ける側にいなくてはならないからな。風邪なんて引いていたら、困っている平民は助けられないだろう」

「そこまで考えてるんだ」

私はローレンツくんのこういうところが好きだ。自分の体調管理でさえも他人の為だなんて、流石ローレンツくんだ。人間が出来ている。

「さて、そろそろ君は寝たほうがいい」

「もう?」

ローレンツくんが行ってしまうと思うと寂しくなった。さっき、戻った方がいいと自分で言ったばかりなのに、つい本心がでてしまう。

「あまり話すと喉が痛くて辛いだろう。僕がみているから、安心して寝るといい」

「ローレンツくんがみてるところで寝るの……?無理無理、恥ずかしいって」

「そうか。君もそういうのは気にするのか……みていると眠れないのなら、僕は戻るが……」

ローレンツくんは一旦言葉を切って咳払いをした。何か言いたげな様子なので、首を傾げて言葉を待った。

「その、君の風邪が治ったらの話だが……僕はナマエさんと踊りたいのだが、どうだろうか?」

「えっ?私と?ほ、本当?」

「ああ。君は今日を楽しみにしているようだったからな……その代わりになればと思ってな」

「ローレンツくん、それは優し過ぎるよ……!でも、その……なんというか、私もローレンツくんと踊りたいなぁってちょこっとだけ思ってたから、その申し出はありがたいよ」

ローレンツくんの口振りから私に同情してなのかな、と思って控えめに答えた。内心は凄く嬉しいけど。

「ちょこっと、か……そうか。ちょこっととはどのくらいだ?」

「え?あ、いや、ちょこっとじゃないよ!本当はローレンツくんと踊りたかったよ!」

ローレンツくんが残念そうに眉を落としながら聞くので、嫌われないか焦って勢いに任せて本心を伝えた。

「無理やり言わせてしまった感はあるが、僕も言い方が逃げ腰で悪かったかもな……はっきり言おう。僕は今日ナマエさんと踊ることを楽しみにしていた」

「本当?」

ローレンツくんの言っていることが信じれられなくて聞き返した。段々風邪のせいじゃない熱が内に篭るのを感じる。

「ああ。嘘は言わない。僕の本心だ。だから、舞踏会よりも君を優先した」

「そっか。そうなんだ……ローレンツくんが私と……」

つまり、どういうことなんだろうとのぼせ上がった頭で考えた。つまり、そういうことなのかな?

「その顔は僕の気持ちを理解したと見てもいいのだろうか?」

「ど、どうだろう……」

ローレンツくんが私の表情を読み取るように、じっと私を見つめてくるので視線を逸らした。通じ合っているはずなのに、ローレンツくんのことをどう思っているのか表情で悟られるのは恥ずかしくてやだな。

「まあいい。深い話は君が風邪を治してからだな。舞踏会については、楽器の弾ける友人が何人かいるから、曲や場所についてはこちらで考える」

「ありがとう……!」

そんなに本格的にやってくれるんだと思って嬉しくなってしまった。でも、その友人の前で踊るのも恥ずかしいかな。

「では、これで君が眠るまでここにいても問題ないだろう?」

「え。なんで?恥ずかしいからローレンツくん帰るまで眠れないよ」

「距離が縮まったと思ったのだが……仕方あるまい。君のそういう慎ましいところは美徳だと思っているから、僕は大人しく戻るよ」

「うん。ローレンツくん行っちゃうの寂しいけど、じゃあね。来てくれて凄く嬉しかった。お茶も茶菓子もご馳走様!」

「……益々帰りにくくなったな。だが、君の為に断腸の思いで戻ることを選ぶ。ジンジャーティーと茶菓子は置いておくよ」

ローレンツくんはジンジャーティーを再度カップに注いで、苦い茶菓子もお皿へ補充してくれた。

「また明日も来るから、ちゃんと寝ておくように」

「うん。ありがとう」

ローレンツくんが行ってしまうのを手を振って見送った。

ローレンツくんの前では万全でいたいし、早く風邪を治して一緒に踊りたいという気持ちが募る。

まだ温かさの残るジンジャーティーを片手に薬草いり焼き菓子を口に入れてみる──やっぱり、舌に残るような苦みがあるけどローレンツくんの為なら我慢できた。


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