電話をすると、ものの五分で充電が半分以下になるようになった。前までは遊べるオンナノコが面倒臭くなった時の体いい言い訳に使えていたけど、さすがにこのレベルではそもそもの役目すら果たせそうにないので、今使ってるガラケーをスマートフォンに機種変更しよう無難にiPhoneにしとくかと、代理店をふらふら覗いていた時だった。俺とは違って、明らかに目的もなくふらついている女が目についた。パッと見は普通の格好だけど、目元がおかしい。化粧崩れなどでは無く、不自然にトロンと垂れ下がっている。


「ねえ君、大丈夫」


いつもの手管はどこに行ったんだ、ってほどに硬い声が出てしまった。見知らぬ女の子に声をかけてその日中にベッドインなんてよくある日常の俺なのに、なぜだろう、初めて誘った童貞くん並みにガチガチに緊張していた。


「ちょっと貧血気味で、ご飯も食べてなくてお腹空いてるの」
「そうなんだ、時間ある? ご飯食いに行こっか」


女は目を丸くさせたあと、いいよと短く言った。



… … …



適当な居酒屋に入って女と適当に飲み食いした。腹が空いてると言ったくせにいうほど食べなかった女は、生ビールだけはするする胃袋に流し込んでいる。それから俺たちは、まるで久しぶりに再会した同級生のような近さと手探り感を持ち合わせて、昭和の懐かしい情景をモチーフにしたやけに天井の低いその空間で三時間半を過ごした。アルコールが回って少し首筋を赤くした女はニコニコ笑いながら上機嫌に、サキちゃんだかという友人のキャバ嬢の薄っぺらい話を遠回りしながらだらしなく垂れ流す。それに絶妙なタイミングで相槌を打ちつつ、微笑みながら中ジョッキを片手に、俺はいつかどこかで真向かいに座るこの女と出会っていると確信していた。


「そろそろ移動しよっか」
「そーだねー。西口のホテルでしようよ」


思わず えっ、と喉から声が出て、すると女は「もしかして童貞くんだった?」とケラケラ笑った。んなわけないだろ、と思いながら、ああこりゃとんでもないあばずれだと感心してしまった。そもそも普通の感覚を持ってる女なら、見知らぬ男から飯に誘われたら大抵が訝しげな顔をして去っていく。俺のルックスに釣られる、自身を持て余してるおろかな女の子もいることはいるけど、まず自分からは種を撒かない。お腹空いてる、なんて、あからさまなエサを。



… … …



ラブホテルにしてはいい感じだと思った。かび臭くもなく変に甘ったるい臭いもせず、ここで行われるだれかとだれかの生と性が絡み合う、じめじめしたなまぬるいあの空気が見事に感じられなかった。こっそり、今後はここも使おうと思ったぐらい。
フロントから部屋まですべて彼女が先導していった。あんた、ここに住んでんの? ってくらいスムーズで、辿り着いた103号室は彼女のアパートですって言われても疑わないほどに、彼女と俺をナチュラルに受け入れてくれる。
いつもだったら何となく照れたふうな会話をしながらシャワーを一緒に浴びて事に及ぶのだけど、しかし俺のルーチン通りに進まないのだった。彼女は何も言わないで、いきなり俺をベッドに押し倒した。どこにあったんだそんな力、て言うか俺結構ガタイいいのによく押し倒せたねとか、何が起きたか把握するのに時間差があり眼を丸くする。完全にマウントポジション取られて見上げる彼女は、なにか囁くように唇を動かした。


「え、なに、」
「及川くん。及川、徹くんだよね」


君のこと知ってるよ。及川くんは私のこと知らないだろうけど。
大好物を目の前に差し出された獣のこどものようにギラギラした目をしているくせになぜか、ぽろぽろと彼女は泣いていた。なんで泣くの、言葉にしようとする前に思考が先走る。思い出せ、思い出せ、いつかどこかで出会っているこの女を。ものすごい速さで記憶の引き出しを開けていく。中学、高校、大学、サークル、バイト先、職場、合コン、友人の友人、下着を脱がした女の子達……だめだ、思い出せないよ。ねえあんた、どこで会ったの?


「もう飛べなくなった? 私は17歳の頃、及川くんの背中ばかり見ていたよ」
「17……あ、」


高校生になったらぐんと背も伸びて打ち込んだバレーでも認知度が上がって、そうだった思春期の頃に開花したんだった。異性から無条件に好感を持たれる人種に。当時の俺は今みたいなずるさやエグさを持っていなくて、突き付けられる女の子たちからの好意はていねいに触れていた。受け取ったことは、残念ながら恋人がバレーボールだったので無かったはずだけれど、きっとその頃の俺に熱を上げていたファンの一人だったのだろう。これはまたすごい縁を拾い上げちゃったなと、すこし反省した。だって今こんなとこにいる俺たちなんかに、17歳の頃両手いっぱいに抱えていた眩しさや正しさ美しさが残っているはずもない。


「……キスしてくれない? 思い出せそうなんだ」
「変なひと。思い出せなくたっていいよ、もう」


ぜんぶ過去の話だから。そう吐き捨てると彼女は潔く、身に着けていた下着以外のもの全てを脱ぎ散らかした。その間器用に俺の股間あたりに自分のきもちいいところをこすりつけてたから、おどろくほどにいやらしくて、久しぶりにものすごく欲情してしまった。勢い良く彼女の腕を掴めば容易く体制を崩し、後頭部を掴んでムードも何もないケダモノみたいなキスから始まった夜。
はふはふと息を漏らして、出会った時より深く濁った恍惚した目をして俺を見つめている。乳房にむしゃぶりついて、空いている指先で下を弄ってやるとびくんびくんと胸が跳ねる。抜き差ししてトロトロになったその体液を掬って、見せつけるようにその指先を目の前でしゃぶって見せれば、唾液でぬらぬらと濡れた唇から執拗に及川くん及川くんと紡がれる。それがあまりに耳障りだったので、キスして塞いだら唐突に、最後の引き出しが開いた。

及川さーん、と丸くカドを取った声で俺の名前を呼ぶ女の子のグループの中に、ぽつんと居た。俺の名前を他の子みたいに呼ぶわけでも、差し入れを持ってくるでもなく、ただまっすぐに俺の試合を見に来ていた女の子。試合に勝てば選手のように喜んで、負け時合には堪えきれなかった大粒の涙を流してくれていた。正直ファンの子はみんな同じに見えていたけど、あの子だけは違った。一度だけ、いつもの癖で佇むその子に手を振ったことがある。あの子はビクッとして目を泳がせて、それから控えめに手を振り返してくれた。ぎこちなく笑った彼女の首筋が赤くなってたのが、なんだか可愛かったのを思い出した。
どうして忘れていたんだろう、そのあと卒業するまで俺はこの子を盗み見ていたことを。どうしてあの時、君が好きだよと言わなかったのだろう。どうして今になって、こんなふうに体を重ねることしかできなかったのだろう。

嬌声の合間合間に、及川くんは初恋だったとか、サーブを打つときの及川くんの目が好きだったとか、今は風俗で生きてるとか、ひどくしてくれないといけないだとか、聞きたくないことばかり彼女は教えてくれた。中に出してもいいよと笑うので、思いっきり腰を打ち付けて言われたとおり中で果てた。きっと彼女はピルを飲んでいるか、もしかして妊娠しない体なのかもしれないけれど、生まれて初めて俺の子どもができればいいと願ってしまった。俺のこどもを孕ませて、産ませて、あの頃みたいに照れてぎこちなく笑って欲しかった。及川くんじゃなくて、徹と呼ぶ声が聞きたいと思った。
ひどく感傷的な俺とは反対にスキモノな彼女は物足りなさそうに咥えて綺麗にしてくれる。知りたくなかったなあ、限りなく初恋に近い人がこんなにもフェラが上手だってこと。じゅぶじゅぶと音を立てていとおしそうに口に含む彼女を見ていたら、いっそぐちゃぐちゃに壊してしまいたくなって、気持ちよすぎてもういけないと泣きじゃくるまで犯した。後ろから、前から、壁に背を付けながら逃げ場もなく骨まで食われそうに抱かれている彼女は愉しそうに笑っていて、ああ制服のスカートが短くないあの子は死んじゃったんだなあとぼんやり思いながら、俺に犯されながらよろこぶ彼女の写メを撮る。壊れかけの携帯で、あられもない姿の幻の恋人を撮りまくる。



汗と精液と唾液でべたべたの身体を熱いシャワーで流して、一番大きなお札を3枚サイドテーブルに置いた。彼女は昨日のことなんて夢だったかのように静かに寝入っている。最後に汗でべたついた前髪を掻き分け、額にキスをした。君のこと多分すごく好きだったよ。さようなら、どうかお元気で。俺は君じゃない人と幸せになります。
帰って寝直そうと駅について、いつもの癖で携帯を開いてみたら「充電してください」
俺は少し笑って、それを真っ二つに折った。もういらないわ、これ。どんどん増えていった顔も思い出せない人たちのメモリーや、なんでもない日のどうでもいい写メや、口に出したら五分も続かないようなくだらないメール。そこに狂ったように撮り続けた女の写真なんて俺には必要ないものだから。また新しくすればいい、それは大事にすればいいんだと唱えて、駅のゴミ箱にふたつになったそれを放り込む。
帰りの電車の車窓から、オフィスビルがギラギラと太陽に照らされてプリズムのように反射しているのが見えた。もうすぐ夏が終わるらしい。







ラブホテル/クリープハイプ
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