靖友の唸る声で目が覚めた。朝からあいつは一体何をやっているのかと(といってももう12時近いのだけど)寝癖がついたクシャクシャな髪のまま、リビングにやってきた。しかし、当人はそこに居なかった。うちはダイニングキッチンなので、もちろんそこにもいない。じゃあトイレでなにか詰まらせたのか、はたまた腹痛がひどいのか? と、いたずらをしかける子どものようにちょっと目を輝かせて、個室のドアをコンコンノックする。シーン。がちゃりと遠慮なく戸を開けてみるが、なんだよーいないじゃん。


「ん?」


今聞こえたのは間違いなく、靖友の、私の名前を呼ぶ声だ。いやだから、どこにいるんだっての!!
……あっ、ベランダか! ひらめいた私は、南向きの日向ぼっこ御用達のそこに駆ける。


「おはよー」
「おはよう、って、やっと起きたンか。遅ェーよ!」
「とっくに起きてたわい! 靖友が隠れてたのがわるい!」
「はァ? 隠れてねーし」


なにいってンの? 靖友はぽかんとした顔をして、顎で指し示した。私は裸足のまま、靖友の隣に並ぶとベランダの向こう側、空き地になっているそこでは猫が2匹、見つめ合っていた。


「デートなんじゃない、これから」
「バッカ、ちげーよ。ありゃケンカしてンの。さっきとかすごかったんだぜ、すげー唸り声上げてヨ」
「えっ、あれ靖友の声じゃなかったの」


ベランダの、布団が干されているその柵に腕を組んで顎を乗せた。猫を見つめながらそういったら、バーカ。隣から腕が伸びてきて額を小突かれた。靖友の拳はゴツゴツと骨張っていて痛いのに、本人はそれを誰よりわかっていて、わざと拳を握って浮き出た骨の部分で私の額を狙う。でも、痛いはずなのにぜんぜん痛く感じないのは、ヤツがどうしようもないDV野郎でそれに私が慣れちゃったからではなくて、バカというその言葉が私には、好きだというそれに聴こえるからで。だからついつい、ふふふと笑ってしまうのだ。まあ向こうからすれば、おでこ小突かれてなに笑ってんだって思うだろうけどね。知らなくていいのだ、そんな照れくさい秘密なんて。


「靖友、布団干したんだね」
「おう。今日すっげ天気いいから。オメーも干せば?」
「うーん、そうだね。干さないとな〜」


すんすんと、今自分の手元にある横の男の布団に鼻を寄せた。あ、靖友の匂いがする。それと、おひさまの匂いもする。持ち主は今まさに始まった猫同士の激しい喧嘩に釘付けで、私の行動に気付いていない。たぶん、気付いたら引っペがされる。ヤツは悔しいことに、私より背も大きいし力もあるから。それこそ、すすきの中で互いを組みふせ合っているあの猫達と大差なく、簡単に抱きかかえられてしまう。(一昨日の夜もそうだった)
ニャーオニャーオ唸り声を上げていた彼らは突然静かになり、茶色の猫が灰色の雑種くんを踏みつけていた。うわー、初めてちゃんと猫の喧嘩を見たけど、すごいなこれは。ずっと踏んでるぞ茶色。


「もうダメだろな、あいつ」
「負けたかな」
「負けたな。何が理由かわかんねーけど、猫の世界も大変なんだなァ」


しきりに感慨深く彼は言うので、思わず吹き出してしまった。あんたも昔、おんなじように喧嘩してたんでしょうが。笑っていると若気の至りを思い出したのか、耳を赤くさせて靖友は私の両頬をつねってくる。


「いひゃいーー!!」
「おまえが悪いんじゃナァイ!!?」


猫はいつの間にか居なくなっていて、太陽は変わらず温かい日差しを注いでいて、私たちは子どもみたいにきゃっきゃと声を上げてじゃれ付き合う。口が悪くて怒りっぽくて、身体も態度もでかいこの男を、しかし愛さずにはいられない。だって額を小突くその手のひらも、頬を摘む指先もぜんぶ、私を愛してると言っている。ねえ、靖友は気付いているかな。私があんたの名前を呼ぶとき、いつだってそれに愛してるを忍ばせていること。おはようと、おかえりなさいと、おやすみにも同じように。
実は、だれかを心からいとおしく想うのにはなんにも特別な事はなくて、ちいさな子どもにも簡単にできてしまうくらいシンプルなことなんだろうなと私は思う。大人になればなるほど想いに飾りを付けてしまうけど、ラブってきっと、何気ない日常の言葉にすうっと自然と染みていくような単純さでできているんだろう。それでいいんだ。それが、いいんだ。

日曜日のとてもよく晴れた日に、猫の喧嘩を見て、布団を干して、お昼ごはんを食べたら今日は、ドライブにでも行こうか。そうやってふたりで心のなかにたくさんの黄色い花を咲かせて、私は頬をつねられたり、靖友はその指先の力をゆるめて笑うのだ。
途方も無く、この幸福を笑うのだ。






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