高校時代の同級生がまもなく結婚するらしい。SNSで知るような距離感の知人だったから、そんなにダメージも無かったわけだけど、昨日久々に会った同じゼミだったマキちゃんも結婚前提で付き合っている彼氏がいるそうだ。真面目にコツコツ働いていて、ギャンブルなどもせず、マキちゃんのことを心底大事にしている。彼女が、ハードワークがたたって体調を崩した時、身体とメンタル両方を支え抜いた男前であるようだ。もはや、スタンディングオベーションを贈りたい。そして、その顔知らぬ未来のマキちゃん旦那の爪の垢をいただきたい。
 もちろん、その行き先は、私の相方であるおそ松である。


「はあーーー」


 ゆうに、三秒はある溜息が漏れた。
隣に座っているサラリーマンにチラ見されてしまった。しまった、ここは駅前のコーヒーショップだった。家のトイレでもあるまいし、感情はカフェラテと一緒に胃に流し込めておかなければ。

 とはいえ、あーー! 思い返せば苦笑いしかできなかった昨日が頭から離れない!
友達が結婚を意識した相手と付き合ったり、そのままゴールインしたり、そんなのが、ぜんっぜん珍しくない年齢にきてしまっている。男も女も同じくらいに。
 それなのに、おそ松のやろう、あのタバコ臭くてださいパーカー着てほっつき歩いては、定職に就かず毎日プラプラプラプラ。どこで何してるかなんて、ほとんどわからない。スナフキンのほうがまだ何かを求めて放浪してるわ。
パチンコだの競馬だのに行くなら、将来を見据えて貯金しなさいよと言っても、屁で返事して爆笑かましてくる始末。本気でぶん殴ったら、逆に腕十字固めしてプロレススタートってあんた。兄弟喧嘩じゃないんだから。

 カフェラテに口をつけつつ、ちら、と、スマホをいじっている左隣のサラリーマンを盗み見る。おそ松より年齢はちょっと上くらいかな。すらりとしたスラックスからして、スタイルがいいのだろうな。シングルスーツから見えるボタンダウンのシャツのセンスが良い。仕事バリバリできんだろなあ。リクルートでもないスーツで、土曜の午後二時にコーヒーショップですよ。スマホ手に取ったらアポイントがなんたらとか話し出したわ、お手上げだ! 左手の薬指に光るプラチナがまぶしいよ、まったく。

 リーマン査定のこの間、たぶん一分も無かっただろう。それでも、私に生まれた芽がむくむくと大きくなるには十分だった。


 すこしぬるくなったカフェラテをすすり、ぼーっと、ウィンドウ越しに見える行き交う人々を眺める。大学生カップルが絶妙な距離感で歩くのを、邪魔だといわんばかりにスタスタと追い抜かしていくキャリアウーマン。一般的に休日であるためか、いろんな人間が私の目の前を歩いていく。
 ここで気づくのが、案外ひとりで歩いている人も多いということ。カップル同士や、友人、職場関係かはわからないけど、二人並んで歩いている人たちと同じくらい、ひとりで自分の求めるところへと足を進める人がいた。

そういうのも、いいんじゃないだろうか。
私は、おそ松と一緒に居すぎたのではないだろうか。
私との未来を求めない男と、もうこれ以上一緒にいるのは、


「……しんどい」


 別れちゃおうかな。
脳裏に浮かんだその言葉。伝えたら、あいつ、どんな顔をするんだろうか。まぶたを閉じてイメージしてみるも、靄がかかったようにおそ松の顔は白く塗りつぶされたまま。


コンコンッ

 いなくなったはずのリーマンの席で、テーブルを突くような小気味良い音が鳴るから、訝しげに思い肘をついて俯いていた顔をちらりと向けると、見慣れた赤パーカー。ただしいつもの怠けた顔だけ、どこかに置いてきたよう。


「な、にしてんの」
「別れるってなに」
「は?」


 だから、別れるって、おれたちのこと?
珍しく真剣な顔をして繰り返すおそ松の声が、かすかに震えて聞こえるのは気のせいでしょうか。それにつられて、私の喉が震えるのも。


「……それも仕方ないことかもしれないよね」
「なんでよ」
「わかるでしょうよ。いい歳なんだから、お互い」


 これ以上話をしていたら、きっと涙が出てしまうとわかったから、早めに切り上げたくて言葉少なに対応する。別れ話って、いつだってすごく嫌な気持ちにさせられる。切り出す側も、される側も。


「私もいい歳なの。いつかは結婚して子どもも産みたいの。でもそれはたぶん、今のおそ松とじゃ無理なんだって悟った」
「ちょっと待ってって。これ見て」
「え、」


 ポケットから三つ折りされた書類をぱさりと私の前に出してきた。かさりと開いて表題のところに明朝体で連なるは、内定の二文字。


「結構前から動いてはいたんだけど、やっぱり正社員の職に就けるまで大変でさあ。やっと内定でたわけ。あんたに一番に見せたくて」
「えっなに、就活してたの? えっ」


 今世紀最大のドッキリじゃなかろうか。この男が、就職活動をし、その上正社員の椅子を勝ち取るなんて。明日地球が滅亡するらしいよ、と言われた方がまだ信憑性がある。間違いなく。


「ひっでーなあ! おれ、そんなダメ男だったわけ?」
「いやまあ、ていうか、ほんとに? なんで? なにかあったの?」
「なにかあったっていうか……」


 もごもごと、珍しく言い淀むおそ松。ええい、何をそんな躊躇うのか。借金か? でかい博打に負けて更生せざるを得なかったのか? とりあえず弁護士に相談して、自己破産なり何なりして工面できるようにしよう。
それと、おそ松が社員っつったって、今までそんな経験さして無いのだから、彼の生活やメンタルが落ち着くまでサポートしよう。そういえばどんな職なのかしら? よもやナイトレジャー関係じゃないよな? ……ってあれ、なんだ私、何だかんだこの男の世話を焼いちゃうんじゃないかって、やっぱり離れられないんじゃないかって、気付いちゃったわけで。
 そう思ったらもう、おそ松がばかみたいにいとしくて仕方なくなっちゃって。
別れるなんて嘘だよ、と言おうと口を開いたら、かぶせるようにおそ松は切り出した。


「あんたの作ったカレーが好き。あんたの笑った顔がすげー好き。おれ、あんたじゃないともっとダメな男になるって、自分でわかるよ。だから、だからさ、」
「おそ松、」
「……好きです。おれの隣で笑っててください、爺さん婆さんになるまで、ずっと」



 誰もが振り返る美貌も無ければ、ずば抜けた才能があるわけでもない。スーツを着こなしてバリバリ働くリーマンでもなければ、執事のようにうやうやしく扱ってくれることもない。しかし、それの一つでも当てはまってしまったら、きっと私はこの男を好きになったりしなかった。
 不真面目で、いい加減で、ばかで、すけべで。
ダサいパーカーばっか着て、おしゃれなデートなんて縁遠くて。
だけど、友達の彼氏のような誠実な男や、隣に座ったリーマンのようなイケメン。たとえ自分の妄想の中で作り上げた完璧な恋人ですら、あいつには敵わない。おそ松の私の名前を呼ぶ声が、宵闇で私に触れるときの目が、けらけら子どもみたいに笑う顔が、そのひとつひとつが悲しくなるほど好きなのだ。
そう、はっきりわかってしまったら、私が口にする言葉はもう、これしかないだろう。


「……おじいちゃんになっても食べてよね、辛口のカレー」







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