穏やかな春の日。
「本当におれがわからねえのか」
「すまない、初めて見る顔だとしか」
キッドがキラーに声をかける。どうも妙な術にかかったらしい。キラーは記憶がすっ飛んだ。怪我なくすんだものの、これは痛手である。
「とりあえず来い。船に戻るぞ」
「信じて良いのか、わからない。おまえは本当に信用して良い奴なのか?」
「信用できねえなら殺せばいい。おまえは闘い方も忘れてるだろうがな。どうする?ここに居ても死ぬだけだぜ」
確かに、キラーは何もかもがわからない。それならば頼りにするべく人間はこの男だけだと、キッドの後を歩いた。
人相もガラも悪いし、とても良い人には見えないが。どういう関係の人間なのだろう、友人だろうか?キラーは悶々と思いながらキッドの背中を見る。
船に戻ると、ここがおまえの部屋だとか、これがおまえの持ち物だとか、粗方の説明をされた。何もピンと来るものも無く、キラーは首を横に降るしかしない。キッドはどうしたものかとベッドにドカリ座りこんだ。面倒ごとは嫌いだと無視したいところ。しかしキラーのことを無視などできず。
「おまえ、なーんか思い出さないのか。幼馴染のおれ、海賊やってたこと、腕のこと、なんかあるだろ」
「すまない…」
ため息だけが部屋に響く。
そんな静かな部屋に、外の音が届いた。トントントンと弾むような音だった。
「キラーさん!帰っていらしたんですね!」
「!」
飛び込んで来たカオを前に、キラーは目を見開いた。名前すら出てこないが、どうしたことだろう、身体がどこか痺れたような感覚がした。まるで春風のように柔らかなこの女は誰だ。
「キラーさん、ドーナツですよ。ほら、キラーさんはレモンの」
「こいつは今おまえの名前すら覚えてないぜカオ」
黙ってドーナツを受け取ったキラー。そんな幼馴染みを横目に、キッドは今日のことをカオに説明した。
「大変…キラーさん、キャプテンのことも忘れてしまったんですか」
「キャプテンというのは、そこの赤い男のことか?」
赤い男呼ばわりされたキッドは少し不機嫌。
「わたしのことも、やはり…忘れて…」
「あ、ああ。すまない、その、これは美味い…」
ドーナツを食べながら、しどろもどろするキラー。どうしたことか『この女を悲しませてはいけない気がする』とキラーは思った。だがどうしていいのやら、さっぱりわからない。誰だかすらわからないのだから。
「キャプテン…キッドと言ったか。この女も、船員なのか?兄妹なのか?それにしては似ていない…おまえの顔は極悪だが、女は、綺麗だ」
「極悪面で悪かったな!」
「キャプテンは威厳があるだけですよ。ふふ、でも確かにわたしとキャプテンは似ていませんね」
笑った。
カオが笑うと、またキラーは痺れた。
「キラーさん、怪我が無いなら何よりです」
「チッ、腕でも折れば良かったんだ!この色ボケ!」
暴言を吐くと、キッドは治し方を調べてくると怒りながら出て行ってしまった。
「何を怒っているんだあいつは」
「よくあることです。仲が良いので、キラーさんとキャプテンは」
くすくす笑いながらカオはドーナツを口にする。そんな様子から、これはきっと日常茶飯事ということなのだろうとキラーは理解する。
「…その、カオと言ったか、おまえとはどうだったんだ、おれと」
「わたしと」
「仲が良かったのか?」
カオの手が止まって、考え込んでいる。キラーはドキリとした、もしかすると犬猿の仲だったりしたのかもしれない。
「良かったと思います」
「本当か!あ、いや、それなら良いんだ…」
ゴホンと咳払いをすると、キラーは改めてカオを見た。横顔が美しい。
「綺麗だ…」
思わず出たキラーの言葉に、カオの方が驚いた。慌てて誤魔化そうとするキラーを見て、カオはまたくすくすと笑った。
「そんなこと言うキラーさん、とても珍しいです」
「しかし事実だ。カオ…の記憶は無いが、何故だろう。め、目が離せない」
「そんなに嬉しいことを言ってもらえるのなら、記憶が戻らなくても良いかもしれませんね。ふふふ、それは意地悪でしょうか」
カオが笑うたびに痺れがやって来る。キラーは記憶がある時、もしかするとカオのことを好いていたのだろうかと考えた。人間、同じ人を好きになるものなのだろうか、心底不思議だ。
「前のことはわからないが、カオのことを、今…おれは…」
キラーはカオの手を握りしめて、なんとなしに甘い雰囲気になる。カオは前にもコレを知っていた、告白だ。告白されるのだと直感した時、キラーの後頭部に大きな衝撃が襲う。
ガツン!
****
ショック療法で治るらしい、変な出来事は海図の端に記された。これはキッドの癖である。日記のように、思い出が海図に刻まれてゆくのだ。
キッドが死なない程度にキラーの後頭部を思いっきりブン殴ることでキラーの記憶は戻り、この海賊団に平和は戻った。
記憶が戻って、キラーはふと疑問に思ったことをカオに問うた。
「記憶が戻らなくても、カオは良かったのか?」
「わたしは…どんなキラーさんでも好きです。だから、記憶があるか無いかよりも、キラーさんがそこにいるかどうかが重要なのです」
変ですかとキョトンとしているカオを笑うと、キラーは寝そべった。空が青い。白い雲が青によく映えて、綺麗だった。
すましていると、カオが少しワクワクしたような様子でこちらを覗き込む。どうしていちいち良い匂いがするのだろう。
「キラーさんはあの時なんて言おうとしたんですか。教えてください。記憶が無いのに」
「忘れてしまった。あー何も覚えていない、忘れた。忘れた」
ゴロンと向きを変えて、カオに背を向ける。
この時、生まれ変わっても、きっと君を好きになるだろうなと思ったんだ。それはきっと正解、間違い無く。それを伝えるのは来世でも良いだろう。
*もえさま
ありがとうございます。キラーさんで記憶喪失ネタ。
どちらが記憶喪失になるかは任せますとのことでしたのでキラーさんの記憶消しました。正直夢主ちゃんバージョンも書きたいです。楽しい。コメントもありがとうございます。すごく励みになりました!