「あれ、おかしいな……」
放課後の廊下。狭いロッカーの中を何度も覗き込んで、何度目かの独り言をこぼす。ふだん独り言なんて言わないのに、今は何か口にしていないと気が済まなかった。
「見つからない?」
「うーん、そうみたい……」
いつも一緒に下校している友人はすでに帰り支度を済ませており、探し物をしているあたし待ちの状態。入学してから親しくなった彼女は優しくて滅多に慌てないタイプだけど、あたしの返答を受けてから珍しく時計を気にする素振りを見せた。
「あっ!ごめん、今日、用事あるんだよね?」
そうだった、彼女は放課後に用事があるって、お昼休みに話していたっけ。焦って声をかけると、友人は一瞬だけきょとんとしてからニヤリと悪戯な表情を浮かべた。
「……へぇ。私の話、ちゃんと聞いてたのね」
「へ?」
「ニーノ・ニノックスに夢中でうわの空だと思ってたわ」
「な、っ!?」
探し物を見つけるまでは帰れないから、今日は別々に帰るしかない。そう話を着地させたかったのに、友人の口から唐突に彼の友人の名前が出てきてギョッとしてしまった。
ニーノ・ニノックス君は、同級生の男子生徒だ。大人っぽくて格好良いと、校内でとにかくモテモテな有名人。女子生徒からの人気がすさまじく、連日のようにラブレターを貰ったり告白されているともっぱらの噂だ。その証拠とも言わんばかりに、廊下で名前を発するだけで周囲の女子生徒からチラチラと視線を受ける。そんなに大きな声だったわけでもないのに。
「ほら図星。ずっと怪しいと思ってたのよ、わざわざ遠い空き教室でお昼ご飯たべよう、なんて言い出してきた時から」
「いや、そ、その……」
友人はあたしの驚いた様子に確信を得たようだけど、真実は違う。
いや、確かに下心があって昼休みの過ごす場所を変えたのだけれど、正確にはニノックス君を見るためではない。それを伝えようとしたが、廊下で話すのははばかられた。この調子では友人が「彼」の名前も口にしてしまい、ニノックス君の名前に聞き耳を立て始めた周囲に知られてしまいそうだから。噂になるなんてまっぴらごめんだ。
「あ!ごめんなさい、私そろそろ行かなきゃ……」
「……ううん、こっちこそ一緒に帰れなくてごめんね」
もういちど時計に目を移した彼女が一瞬で申し訳ない表情を浮かべたものだから、こちらも2つの意味で申し訳なくなる。放課後に残ってまで探し続ける理由を彼女は知らないのに、今日見つからなかったら明日一緒に探そうねと、名残惜しそうに手を振って行った。用事の有無にかかわらず放課後はすぐに帰宅するタイプの子だ。紛失に気付いた午後から探し物に付き合ってくれて、明日も探し続けることになったら申し訳ない。どうにか今日中に見つけ出したいところだ。……早く取り戻したい理由は、他にもあるのだけれど。
あらかたの生徒が帰ったのか、人通りの落ち着いた廊下を歩いて再度クラスに戻る。机や鞄はすでに探した。ロッカーにも見当たらなければ、移動教室にあるだろうか。でも今日の時間割には移動教室の授業も体育もない。一日の行動から当てどころを探すが、午後から何度も試みているため、同じ記憶をたどるだけ。見つかる気がしないな。
たしか最後に見かけたのは午前中、学校のトイレで身だしなみを整えようと鏡を見た時だった。鏡に映る自分を思い出すと、同時に紛失したそれを買った時の強烈な記憶がよみがえる。
数か月前、ジーン・オータス君に恋してしまった、あの日の出来事を。
それは、いつも通りの下校時、友人と途中で別れた後のことだった。
パン屋の前をいつものように通りかかったとき、有名人のニノックス君が誰かと店内にいることに気付いた。一緒にいた男子生徒は金髪で、顔を見なくても誰なのかすぐ見当がついた。彼がオータス君だ。
2人は仲が良いようで、校内でも一緒にいる姿をよく目にする。ニノックス君はモテモテで有名だし、そんな彼と一緒にいるオータス君もそこそこ目立つ存在だ。彼らが目立つのは、他にも理由があるけれど。
そんな2人がパン屋にいる。有名人達でもパン屋に入るんだ、なんて。変なことを考えてしまったのだ。学校で2人は声をかけにくい独特の雰囲気をまとってたし、集団でにぎやかに過ごす生徒とは違って孤高に近いイメージを皆が持っているはずだ。
遠い存在と思ってた2人が、身近なパン屋で買い物してる。妙なちぐはぐ、もとい、不思議な感覚を覚えた。べつに誰だって好きにパン屋に行っていいんだけどさ。
そして店内の様子をショーウィンドウ越しに見ながら過ぎ去ろうとした時だった。食パンを見つめる、オータス君の優しくて柔らかい表情を目にしたのは。
ほんの一瞬、店の外から見かけただけ。それだけなのに、胸がギュッとして、次いで鼓動が早くなった。たまらない焦りと困惑と恥ずかしさと欲求が内側でぶつかり合う。彼の表情やそれを目にした直後のぐちゃぐちゃな感情がリアルタイムで記憶に焼き付くような、鮮烈な瞬間だった。
パン屋から離れた後、自分が恋に落ちたと気付いた。気付いてすぐ、あたしは「キレイになりたい」と思ったのだ。
居ても立っても居られず、近くの女性向け雑貨店に飛び込んで「それ」を買った。キレイになりたいなんて人生で初めて思ったものだから、何をすればいいのか全く分からなかった。だけど、何かせずにはいられなかった。
雑貨店で買ったものは、むかし『親戚』によく似合うと言われた髪かざり。学校に着けていっても不自然にならず、そこまで可愛くなれなくても変に浮くことはないはずだ。最後は勢いで買ってたな。
それからというもの、学校生活でもオータス君をよく視界に入れるようになった。最初は無意識に目で追っていたけれど、彼を見れた日はご飯を食べなくても十分なぐらい一日の幸福感が強かった。これはいいダイエットにもなるかも、なんて思ってしまったぐらい。
彼を見たい、知りたいと思う気持ちは徐々に強くなっていって、友人と昼休みを過ごす場所を変えさせてもらった。オータス君がニノックス君とよく過ごしている庭の木陰。そこが良く見える、昼休みに誰も使っていない静かな空き教室。人通りが少なく心地よい場所で、ずいぶん前に見つけた時から友人にも話していた。だから提案しても自然に受け入れられると思ってたんだけどな。
「あ」
そこでふと、あることに気づく。まだ、あの空き教室は確認していないじゃないか。クラスから離れてて授業の合間に行けないからと、放課後に行こうと後回しにしたのだった。すっかり忘れていた自分に呆れつつ、やっぱり時には立ち止まって考えることも必要なんだと体感。
ほんの少し軽くなった足取りで、習慣になった空き教室までの廊下を歩きだす。渡り廊下まで来ると、人気は遠くにあってなんだか別世界。でもそれはいつものこと。その先に探し物のが確かにあるという予感がする。ただの思い込みなのかもしれないけど。
どうか無事にありますように。そう思いながら、気づくと小走りになっていた足を止める。空き教室に着いた。
戸を開くと、昼休みに使う時とまったく同じ風景がそこに広がっていた。ほかの教室と同じように机が並んでて、黒板があって、教壇があって。窓からはオータス君がいつも過ごしてる木陰も見える。
流れで窓の外を注視しようとする癖を抑え、教室を見渡した。定位置になってる窓辺付近の席にも、教室の端にある棚にも、他の席や教壇にも、それらしいものは見当たらない。教室内に入って教壇や机の中も見てまわったけど、ない。床に這いつくばって座席や机の下も見たけど、やっぱり、ない。
ないのだ。どこにも。
さっきの予感は、やっぱりただの思い込みだったか。ここに来るときに軽く感じていた足取りが、ぶり返したように重くなる。もうどこを探せばよいのやら。ため息をついて、いつもの席に座り庭の木陰を見やる。
あれは、彼に恋したこときっかけに、ささやかでもキレイに、可愛くなりたくて買ったもの。それ以外にも、あの日からコソコソと爪や髪のお手入れをしたり、一着も持ってなかったワンピースを買ったりした。……いや別に、ワンピースなんて学校に着て行けないから買ったって意味ないんだけど。恥ずかしくてまだ一回も着れてないし。とにかくそういった見た目に気を遣うことも細々と続けるようになったのだ。
並行して連日昼休みに彼を見るようになったわけだけど、目が合ったことは一度もない。話したこともなければ、あいさつを交わしたこともない。ニノックス君と仲が良いとか、成績が良いとか、そういった誰でも知れる表面上のことしか彼を知らなかった。
彼のことを知りたい、もっといろんな表情が見たい。この感情に嘘はない。
それでも、あたしは現状で満ち足りた日々を過ごしているし、特別親しくなりたいのかと聞かれると、情けない答えしか浮かばなかった。
いまは放課後だから、いつもの木陰にオータス君はいないし、数分経っても彼が現れることはない。欠落した風景をずっと映し続ける窓。友人もいない、人気もない、探し物もない、なんにもない。あるのはあたしだけ。ポツリとした自分一人分の気配がやけに大きい。心地いい空間のはずなのに、とっとと去りたい気持ちに襲われた。
想い入れのあるものを諦めるのはとても惜しい。だけど、もう当てがないなら諦めるしかない。そのうちひょっこり出てくるかもしれないし。……またそれを身に着けようと思えるかは、分からないけれど。
悔しいような、情けないような、すこしの名残惜しさも嚙み締めつつ、教室を出ようとドアに手を伸ばした時だった。まだ触れていないのに、ドアがひとりでに動いた。
驚いて手を引っ込めると同時に、誰かが外側からドアを開いたことに気付く。人気が一切なかったから、本当にドアが自ら開いたように見えてしまったのだ。
「あ、」
「…………っ」
そしてドアを開けた人物を認識して、息が止まった。
あの日、食パンに微笑んでいた、オータス君がいたのだから。
いつもこの教室から遠目に見ていた彼が、いま、何の隔たりもなく目のまえに立っている。まさかこんな至近距離で視線を交わすなんて。予想も心の準備もしてなかたから、うまく息ができない。それなのに、思ったよりも身長が高いんだなとか、変なことを考えている自分もいた。……間近で見ると、本当にきれいな顔だ。
当の本人であるオータス君は、たぶん驚いたような表情で固まってしまっている。ドアのすぐ近くに人がいて驚いたのだろう。それに気づいて、あたしは我に返る。そうだ、あたしたちは初対面の生徒同士。何か用があってこの教室に訪れたのだろう。そう思ったけど、この教室は普段使われていない。なのに、何の用事でここに?……もしかして、誰かに呼び出しでもされたのかな……。想像して、ぐっと眉間にしわが寄りそうになった。急いで彼の乏しい表情から視線を外す。
彼の邪魔をしてはいけない。軽く会釈をして立ち去ろうとしたが、その前にあのさと、声を落とされる。抑揚がないのに、ふわっと掬い上げられるような……優しい響き。
「……これ、廊下で拾って。君のじゃない?」
声をかけられた驚きで固まっていると、オータス君の視線が少しさまよってから自分の手元に落とされた。つられるように彼の手にあるものを見て、また驚く。午後からずっと探していたものが、そこにあった。自分以外の手の中にあっていつもと印象が違ったけれど、確かに彼に恋した日に買ったものだ。
「……ちがった?」
無言の空間に、またオータス君が声が落とされる。驚きに固まり過ぎていたことに気づいて、慌てて首を振って肯定する。
「あ、ありが、とう……」
目を見れず、お礼の言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった。
すっと自分に差し出されたそれを受け取る。手は触れなかった。でも、受け取る間際に彼の体温が伝わってきて、どうにかなってしまいそう。
オータス君からの視線に居たたまれず、ようやく手元に戻ってきたものに異変がないか確認する。心持ちはまったく冷静ではないが、ざっと見た感じ、汚れや破損は見当たらない。ひとまず安心だ。この状況はまったく安心できないけれど。
まだオータス君は立ち去る気配がない。お礼は言った。何かほかに声をかけるべきだろうか。どうしたらいいのだろう。頭が混乱しててうまく動かない。
目の前にオータス君がいるのに、やっと言葉を交わせたのに。これを大きなきっかけとして、『次』になる何かを作りたい。でもそれを望んで行動するのが怖かった。
さっきまで彼の視界に自分が映ることはないだろうと、そんな日は訪れなくても良いと思っていた。どれだけ私の世界が色づいて広がっても、それはあたしの独りよがりだと理解していたから。
オータス君の見る世界が知りたいけど、その世界に入り込む勇気はなくて。彼の世界が曇ってしまうかもしれない、曇らせる要因に自分がなってしまうのが怖かったのだ。
だから安全圏内から見つめるだけで満足していたのだ。柄にもなく見た目に気を遣うのは、ささやかでもあなたの隣にいる自分を想像できたから。そうなるかもしれない、そうなったらいいなっていう、他力本願のおまじない染みた行動だ。
「壊れてない?」
「大、丈夫……」
そ、良かった。うえから落とされる言葉は心地いいけど、同時にもどかしくもなる。
これが自分への恋心がきっかけで買ったものだと知ったら、彼はどう思うのだろう。話したこともない同級生がずっとこっそり見てて、そのためにお昼休みの過ごす場所まで変えてると知ったら?あたしなんて彼にとっては同じ学校に通ってるだけの知らない女子生徒だ。そんな存在から向けられる感情なんて、迷惑に思うだろう。
普段、学校で目にするオータス君は冷めた表情をしている。決して冷たい印象を持っていたわけではないが、何を考えているかわからない謎めいた存在だった。声をかけにくい雰囲気もそこから来ているんだと思う。
実際、いまも何を考えてるのかわからないし。友好関係をそこまで必要としないなら、きっと、そういうことだって興味ないのかもしれない。興味がないのに一方的に好意を向けられるなんて、気持ち悪いに決まってる。
彼の迷惑な存在になりたくない。そんなリスクを負ってまで、自分の欲求を優先できない。ただ怖がってるだけだと言われたら、それまでなんだけど。
「……お昼、よくここに居るの見かけるけど、他に使ってる人いるの?」
それじゃあと声をかける前に、また言葉を落とされる。どうやら質問をされたようだ。ニーノ君以外と会話している姿を見たことがないだけに、またも驚いてしまう。なんだか驚いてばっかりだな、あたし。
「えっ、い、いない……。お昼は、あたしと友達の2人しか居ない、よ」
さして難しいことを聞かれたわけでもないのに、間違ったことを言ってないかやたら気にしてしまう。やっぱり回答するだけで精いっぱいの脳みそだ。とはいえ、ようやくまともに言葉が出るようになってきた。……変なしゃべり方する奴だと思われてたら嫌だな……。
質問の意図も目的もわからないが、空き教室が気になるのだろうか。そこでふと、彼の質問を思い返して、体温が急激に下がる。
……待って。オータス君、よく見かけるって、いま言わなかった……?
彼とは一度も目が合ったことないはずなのに、あの木陰からこの教室に気付いていたと?
それって、あたしが見てたことも、気づかれてるのでは?
ついさっき間近で視線が合った時の、彼の顔を思い出す。キレイな顔だと思ったのに、いまはそんな気持ちは何処へやら。落ち着きかけていた鼓動が今日一番に早くなる。
もしかして、彼は迷惑だからやめろと言いたいのかもしれない。お前なんか間違ってもありえないとか、その表情の奥には私が想像しえないほどの軽蔑に満ちた感情が潜んでるのかもしれない……。
パン屋で見た彼を思い出して、とたんに泣きそうになる。そんなのいやだ、怖い、いやだ……!
「ご、ごめんなさい!」
オータス君が何かまた言葉を発するような気配がして、怖くて耐えきれなくて、それだけ言って彼の横を通り抜けた。つまり、言い逃げだ。
え、という戸惑いの声だけが聞こえたけど、そんなの気にする余裕なんてない。
最初からずっと余裕なんてなかった。必死に取り繕って、でもきっと格好悪くて、ついぞその余力もなくなってしまった。彼の世界に自分がいたことを知って。それがどんな存在なのか、考えるだけで爆発して絶望しそうだ。
クラスに駆け込んでバックの中に探し物を突っ込んだ。そしてなに一つスピードを落とさないまま、廊下に飛び出す。
泣きそうなほどごちゃごちゃした感情も経緯も、ぜんぶ鞄の中にしまえたらよかったのに。
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パタパタと走り去る音が響く。いまのいままで目の前にいた存在が向こう側に紛れて行く気配。人気の遠い区画なだけに、やけに後引いてばつが悪くなる。
普通に話してたつもりだけど、何か謝らせるようなことを言ってしまっただろうか。しかし短い会話の内容を振り返っても思い当たる節がない。思わず息をついて、空き教室の窓辺に視線がいく。走り去った彼女がいつもお昼休みに座っている席だ。
正確な時期は覚えていないけど、ある時から妙な視線を感じるようになった。廊下を歩いてる時や、登下校や昼休みの時。ふとした瞬間に視線を感じ、気付いたときには消えている一瞬の感覚。でも、お昼休みは少し違って、見られている時間がすこし長いような。
そんな頻繁に見てくるのだから、いったい誰だろうと気になるのは当然で。昼休みに視線の元を見やると、ある教室にいきついた。いつも昼休みにニーノと昼食をとっている庭の木陰、そこから見えるどこかの教室に、談笑している彼女がいたのだ。
話したこともない女子生徒。たぶんあの子が見てきてるんだろう。誰かと楽しげに昼食をとっているその姿に、不思議と得体の知れなさは感じなかった。
俺はもともと友好関係は広くないし、同級生の顔だって把握してない性分。だから彼女に見覚えはなかった。ただその日から彼女を認識して、学年やクラスや名前を知っていった。
それから、なんとなく自分も彼女を見るようになった。あれだけ見てくるのだから、もし目が合ったらどうなるのだろうという、それだけの興味。
でも不思議なことに一切目が合わない。向こうが見ているのは確かなのに、こちらが視線をやると決まって彼女はよそを見ている。あえて視線を外してる素振りはうかがえなくて、そんな偶然があるのかとすこし笑ってしまったっけ。
だから、彼女がいつも身に着けている物を廊下で発見した時、ようやく目が合うと思ったんだ。キレイな彼女の髪をほど良く引き立てる、C字型の髪飾り。とても似合っていたし、毎日つけているからきっと大切なものなんだろう。
これを渡せば、俺が見たいものがすぐ間近で見れる。柄にもなく落とし物を拾って、放課後に話したこともない同級生を探した。途中、ニーノに茶化されてムカついたけど。
結果として、無事に落し物を彼女に渡せた。予想通り彼女のものだったし、初めて目が合って、言葉も交わせた。うまく行ってると思ってたけど……なんだか変な空気になってしまったのかも。
思い返すと今日までの時間が長く思えて、途端に力が抜けた。風にあたりたくて誰もいない教室の窓を開けると、涼しい空気が流れ込んでくる。予想より心地の良い空気に一息つくと、次いで外から良く知った奴が声をかけてきた。
「ニーノ」
あれ、渡せたのか?カメラを提げたニーノは片手をあげてこちらに向かってくる。彼女が昼休みに使ってる教室、つまりいま俺がいる教室は1階だから、窓を開ければ外を歩いてる人間とも難なく会話できる。そのうえ、ニーノは校舎とそれに沿って植えられてる茂みの間を歩いている。人ひとりが難なく歩けるスペースで、校舎の壁にすぐ触れられる距離。この辺はもともと人気のない区画だからか、ニーノ以外だれも見当たらない。
ニーノの顔を見ると午後に茶化されたことがぶり返し、ちょっと八つ当たりしたくなった。
「どこが脈ありなんだよ」
自分でもすこし驚くぐらい、ふてくされてる声だった。別にそういうのじゃないのに。
彼女の存在を認めてから、時々ニーノと彼女について話すようになった。同級生だと教えてくれたのはニーノだったっけ。よく覚えてないけど、向こうは気があるんじゃないか?って言われたのは覚えてる。別にそういう話がしたかったわけじゃないのに。
だから、……もし、仮に俺が彼女を意識するとするなら、それは絶対にこいつのせい。
ニーノは少しきょとんとした表情をしてから、いつも通りふっと笑う。なにか察したのだろう。変に勘違いしてなきゃいいけど。
「なに、振られた?」
「……振られてないし、そういうのじゃない」
「ふーん?」
そばまで来ると外側から窓辺に寄りかかるニーノ。八つ当たりしてるのに、ぜんぜんすっきりしない。
「でも、期待はしてたりして」
「は?」
ニーノは体勢を変えず、目線だけをこちらに向けて聞いてきた。
投げかけられた言葉によって、自然と彼女が思い浮かぶ。それは、いままで目にしてきた彼女でもなければ、今日対面した彼女でもない。
彼女は俺の手の中にあるもの目にして、受け取って、視線がかさなって、言葉を交わして……。
その先のふわふわしたイメージが輪郭を持つ前に、俺は思考を停止させた。なんだか変な気分になるから。
「期待って、たとえば?」
俺が知るわけないだろ。ニーノはそう笑いながら、窓辺で頬杖をつく俺に向かってシャッターを切った。