私も知らない恋のたね

 カルデアには季節がない。
 雪山に作られた施設なので窓の外はいつでも吹雪で、良くても身が凍える程の寒さである。故に四季の移ろいもなければ花も咲かないので生花を目にするということは実は珍しい。

 その生花が落ちている。廊下に、ぽつんと。どこから来たのか誰の落としものなのかと視線を彷徨わせると、丁度レイシフト先から帰還したのであろうランスロットさんが立香くんと並んで立っていた。顎に手を当て、暫しうなる。……うん、なるほど。
 そうこうしている内に立ち話は終わっていたらしく、立香くんの背中が遠くなる。

「お疲れさまです、ランスロットさん。今お帰りですか?」

 その若い背中を見送るその巨躯に声を投げると、マントが優雅にたなびいて咲くような笑顔が私に向かい合った。

「アステル!はい、只今帰りました。本日もつつがなく」

 胸に手を当て軽く会釈する彼に「それは良かったです」と細やかな笑みを浮かべて歩み寄る。立香くんは気付かなかったのだろうか、と考えてそういえば彼は随分と背が高いことを改めて思い出した。手をその相貌に伸ばす。ランスロットさんが何か言いかけてまごついてる様が面白くてつい笑い声がもれた。彼の首と、鎧の、その隙間。

「れディ?!」
「花びらがついてますよ、此処に」
「え?あっ!お、お恥ずかしい……!!」
「?いえ、それ程でも。今日のレイシフト先は華やかだったようで」
「そ、それはもう!」

 首と鎧の隙間に挟まっていた花びらを指で摘まみ上げると、先ほどまで固まっていたランスロットさんが何やら大慌てで饒舌に語りだした。やれ花は美しく、やれ川のせせらぎがなんとやら。ジェスチャーを交えてせわしなく話す様は目まぐるしく、何がそんなに恥ずかしいのか、凡人の私には良く分からないが騎士には騎士の琴線があるのだろう。ぼうっとする私の目の前で揺れ動く紫色、何の気なしに言葉が口をついて出た。

「ランスロットさんは、藤の花のようですね」
「フジノハナ…ですか?」

 ランスロットさんが軽く小首を傾げる。

「"藤"の花です。紫色で…なんか、こう、木の枝がブドウみたいに…すごい…鈴なりの…花が」
「……はい」
「……すみません。私の拙い語彙力では説明出来る気がしないです」

 見たさまを言葉に変換して伝えるというのは酷く困難で、先ほどのランスロットさんのように私の両手が宙でから回る。そしてとうとう(物理的に)頭を抱えだした私に、慌てたランスロットさんが身を乗り出す。

「い、いいえレディ!どのような花かはこの不肖ランスロット存じませんが、私の様な大男を花に喩えて頂いた事は大変嬉しく!!」
「すみません…でもすごく綺麗な花なんですよ。こういう…」

 取り出したメモ帳にペンを奔らせて大雑把な輪郭を描く。木の幹から描いては枠内に収まりそうもないので、藤棚から垂れ下がる花の房を思い出した。薄紫いろで、小ささな花を。

 そんな私の手元を覗き込むランスロットさんを横目にそろっと見てみたのだが、何だかわくわくしているような妙な顔をしている。イメージはないのできっとランスロットさんの育った国には咲いていないものなんだろう。私はそこまで植物に関する知識は無いので憶測だが。

「…見事なものですね」
「本物の藤はもっとすごいですよ、カーテンみたいで」
「ああいえ、そうではなく…」

 藤の花のことだろうかと。あのどこか神聖ささえ漂う景色を思い出しかけて、引き戻される。
 きょとんとランスロットさんを見つめると、(先ほどの照れとは違う種類なのだろう)どこか照れくさそうに頬をかいていた。

「アステルは、絵がお上手だと思いまして」

 驚きで、目を見開く私にランスロットさんは和やかに微笑んだ。そしてそっと私の手元の藤の絵に目をくれた。

「私はフジノハナをこの目で見たことはありませんが、それでもどのような花なのかはアステルの絵でよく分かりました。きっと良い香りのする、美しい花なのでしょう」
「……そうであれば、嬉しいです」

 騎士だからなのか紳士だからなのか。はたまたランスロットさんであるからなのかは分からないが、その口から滑らかに零れ落ちる言葉たちは何とも煌びやかに輝いて見える。これがある種人望を集めたり士気を高めたり(あまつさえ女性の気までも惹いてしまったり)するのだろう。
 まぁ此処にも同じように士気を高めた阿呆が一人いるわけですが。

「であればもう少し…、きちんとした"藤の花の絵"を描きたくなってしまいますね」

 今まで知らなかったがどうやら私は褒められて伸びるタイプだったようで。こんなメモ紙のイタズラ描きではなく、きちんと仕上げたした"絵"を見てほしくなってしまった。そうだ、ランスロットさんはまだ"藤"の花の色さえ知らないのだ。

「…うん、ちょっと久しぶりに絵でも描いてみたくなりました」

 目下仕事以外の時間は無難に読書やナーサリーたちの遊び相手と、まるで保育士のような様になっていたので妙にやる気がわいてしまった。画材はダヴィンチちゃん辺りに頼めば一通りの物は秒で揃うだろう。必要なものは筆と絵具とパレットと、それから「では」
 飛ばしていた思考はランスロットさんに引き戻された。その目元は薄く赤い。

「レディ、ご迷惑でなければ制作の過程を拝見しても……?」
「?構いませんよ、というか私もランスロットさんに見てもらいたいです。すごく綺麗な花なので」

 描く前から何故か楽しくなってしまい、漏れてしまった笑い声にランスロットさんが少し噴き出した。その後ごまかすように咳払いをしていたけれどニヤつきが収まっていないのでどうしようもない。
 私は「見ていて楽しいかは保障しませんけどね」と笑えばランスロットさんは妙に自身のある声で呟いた。

「きっと楽しいことでしょう。貴女がいるなら」


∴騎士様の下心と誠実。