なんばーわん


関係者以外立ち入り禁止のエリアに、年端のいかない小さな子供が堂々とした足取りで歩いていたから目を剥いた。丁寧に帽子をかぶり、新調したばかりと言わんばかりに汚れひとつない綺麗なお洋服に身を包んで、トコトコと廊下の向こうへ歩いていく少女。
うーん、たぶん迷子だな。そう判断してから周囲を見渡すも、今日は出張等で職員が多く出払っているのもあってか、誰の姿も見当たらない。これはさすがに見逃せないと思い、私は進行方向を変えて少女を追いかけた。

「きみ、きみ。待ちなさいな」
「……だあれ?」

とんとん、と人差し指でその小さな肩を叩いて声をかける。振り向いた少女はまんまるな赤い瞳をさらに丸くして私のことを見上げた。
慎重に声をかけたつもりだったが、どうやらその身を硬直させてしまうほどには驚かせてしまったらしい。「私はこのセルクルジムの職員だよ。君は?」と簡潔に自己紹介をすると、少女は不安そうな顔をして一歩後ずさった。

「わ、わたし、なまえ……」
「なまえちゃん。今日は誰とここに来たのかな?お母さんやお父さんと一緒に?それとも、お友達と?」
「……う」



「とりあえず、一緒に行こうか。ね?」
「や、やだ。はなして」
「あはは、誘拐するんじゃないのよ」
「……どらみどろ、どくどく!」
「こ、こらっ!お姉さんを攻撃するんじゃありません!」

小さな手に握られたモンスターボールから、草のように見えるドラミドロの頭がひょっこり顔を出していた。なかなか渋いポケモンを連れ歩いてるのねこの子は……と感心していたら、私の大声にびっくりしたのか涙目になって肩を震わせ始めた。
「だ、だってぇ……ひっく……」
「ま、待って!泣かないで……おねえさんが悪かったからぁ〜……」




「なまえ!何しとん、こんなとこで!」

そこに現れたのは、つい先日このパルデア地方のチャンピオンランクとなったチリさんだった。セルクルジムに挑戦された時のたった数時間のうちに、職員の全員と仲良くなるほどのフレンドリーな性格で、他の挑戦者よりもひときわオーラを発していたのもあって、よく覚えている。あのリーグ委員長が他の地方でスカウトしてきた子……という噂もあるくらいだ。


「……おねーちゃ」

オネーチャ?

お姉ちゃん?言われてみれば、いや、言われるまでもなく、二人がとても似ていることに気がつく。こうして並んで見ると、タレ目どうして今まで気づかなかったのだろう。雰囲気が真逆だからだろうか。同じ髪色に同じ瞳の色で……

「コラ、なまえ。勝手に入ったらアカンって言うたやろ。それ以上に、他人に迷惑かけるのはもっとアカン。このお姉さんに謝りや」

「……うぅ……」

ポロポロ涙を流し始めた。

「ごめ、なさ……い……、ひぐっ……」

お姉ちゃんを探して迷い込んでしまったみたいだ。


「いえいえ。事情がわかってよかったです。お姉さんと会えてよかったね」
「……」

その子は何も言わずにチリさんのところへダッシュして、彼女の細い腰元にぎゅううと抱きついてしまった。

「すみません、この子人見知り激しいんや」
「そうですか……可愛い子ですね。お姉ちゃんにぴったりくっついて」
「なはは。家では案外あっさりしとるんやけどなあ」

磁石みたいにびったりくっついて、テコでも動かないという感じだった。



「……チリちゃん、くすぐったい……」
「我慢せえ。ちゃんと洗わな、明日もどうせまた汚れて来るんやから」

お風呂場で、いつものおさわり。お外をかけまわって汚れた体をチリちゃんに洗ってもらうのは、いつものお決まり。わたしの腕じゃ届かないところも、チリちゃんが隅々まで洗ってくれるから気持ちい。でも、くすぐったいところも触ってくるから、やだ。やじゃないけど、なんかやだ。でもおねえちゃんと一緒にお風呂に入れるのは嬉しいから、文句は言わない。

「なまえ。やっぱ、寮はやめとこか。離れ離れやと寂しいやろ」
「……べつに」
「寂しいやろ?」
「……」

お互いのからだをきれいきれいしたあと、湯船に浸かってわたしを抱っこするチリちゃんのお胸にほっぺをぐりぐりした。来月はアカデミーの入学式。毎日おうちの中で制服を着て、お友だちのドラミィちゃんと一緒にリビングで踊っちゃうくらい入学するのが楽しみ。
チリちゃんは心配性だから、わたしが寮でひとりで暮らせるのかって毎日毎日おふろの時間に聞いてくる。しつこい。こっちも毎日説明してるのに分かってくれないから、今日も説明するしかない。しょうがないおねえちゃん。

「毎日あの階段のぼるの、やだもん」
「あーな?それ言うたら、チリちゃんもリーグに勤めるようになったら毎日上り坂や。あの緩やかな坂が案外キツいんよなぁ」
「学校の階段の方がぜったい大変だもん……だからお家から通うのやだの。寮がいいの」
「そー。けど、寮って一人部屋やん。なまえ、一人で寝られるん?」
「寝られるもん!」



「ほんなら、今日は別々に寝よか」
「……」

一緒に寝ないの?
思わず黙り込んだら、チリちゃんは少し笑って私のことを見下ろした。

「めっちゃ不安そうな顔するやん」
「……してない!ひとりで寝れるもん……」




ひとりでベッドに入ったのはいいけど、いくら目を閉じてもぜんぜん眠れなかった。でもあんなこと言ったあとだから、今からチリちゃんのベッドに入るなんてできないから、こそこそとチリちゃんの部屋に入って様子を伺ってみた。

「……ぐぅ」
「……」

チリちゃん、寝てる。
私はひとりで寝れなかったのに、チリちゃんはぐっすり寝てる。なんかやだ。白状なお姉ちゃんなんか放っておいて、チリちゃんが寝てるベッドのそばでのびのびくつろいでるドォちゃんに近づいた。

「……ドォちゃん、一緒にねよ」

そうやって声をかけたら、空気を呼んで静かにどおーって返事してくれたから、ドォちゃんの近くで丸まって寝た。


「……くちゅん」
「おかしいなぁ、テーブルシティにクマシュンは普通いてへんのになぁ、迷い込んでしもたんかなぁ」
「ずびー……」



「……やっぱり、寮やめる……」
「そか。じゃ、これからもお姉ちゃんと一緒に寝ような」
「うん……」




「チリちゃん、服かして」
「どこ行くん?」
「デート」
「は?」


「……は?って怖……」
「誰とや」
「な、なあに?ダメなの?」
「誰?」

渋々答えた。

「学校の子と、だけど」
「ふぅん。遅くなるんやないで」

あっさり許された。

かと思えば、後日いきなりドタキャンされた。


「なんか、男の子ってよくわかんない」


「お嬢ちゃん。どーしたん。話聞こか。可哀想に。チリちゃんならそないな思いさせへんのになぁ」
「……チリちゃん、悪い大人みたい」
「ナハハ。実際悪いで」
「……」



「お風呂、入ろか」
「うん……はいる」



「……ん、ん」

チリちゃんとちゅうをするのは日課だけど、普通はこんなことしないらしい。チリちゃんが私のからだを触って可愛がるのも、ほとんど毎日してることだけど、普通はこんなことしないらしい。普通はもっと、恋人同士とかでやることで、赤の他人同士がやることだから、正真正銘血の繋がった実の姉妹で普通はこんなことしないらしい。
もう覚えていない幼少期の頃から、行為をしていたという記憶があった。当時はもちろん何も知らないから少しも疑問に思わなかったけれど、物心ついて、学校に通うようになって、同じ年頃の子とお話をする度に、何かがおかしいことに次第に気がついていた。

でも、私は知らない振りをした。だって、チリちゃんは毎日同じように、毎日変わらず、いつもと同じ様子で求めてくるから、家に帰ると普通なのはこっちであって、外の世界が普通じゃないんだってその都度思い直してしまう。
してることは変だけど、チリちゃんがおかしいなんて少しも思わなかった。だってチリちゃんは私を可愛がってくれてるだけだから。そんなチリちゃんが、私は大好きだから。

「……、……ぅ」


何も考えられなくなった頃、チリちゃんは優しく言い聞かせてくる。まるで洗脳されてるみたい。……いい気持ち。

「デートなんかどうせ上手くいかん。なまえの一番はチリちゃんやもんな」
「うん……」

チリちゃんは自他ともに認めるなんばーわん。

「なまえにはチリちゃんだけでええやろ?」
「うん……」

あと、自他ともに認める唯一無二の存在。

「なまえが一番好きなんは、誰や」
「……チリちゃん」
「な?分かったら、もう二度と変な気起こすんやないで」

ああ、チリちゃん……あの男の子に何かしたのかな。とぼんやり思ってその日は寝落ちた。



アカデミーの入学前、チリちゃんに内緒で仲良くしていた近所の三個くらい年上のお兄ちゃんとこっそり海に遊びに行った時、二人で沖合に流されワカメみたいなポケモンに襲われたことがあった。(そのワカメが今は私の手持ちにいるんだけど、)お兄ちゃんはドラミドロの少し奇怪な見た目におそれおののいたのか、私がどくをくらい溺れているのを視界に入れながら、相棒のブイゼルにしがみついてさっさと浜辺へ戻ってしまった。見捨てられたのだった。
幼い子供にとってはそれはかなり衝撃的な出来事で、そしてその有様は縄張りを侵されたワカメちゃんからしても不憫に思えたらしく、どくで朦朧としながらワカメみたいな体に必死にしがみつく小さな私を、ドラミドロはそれ以上襲うことはしなかった。

意識を失った私をポイ捨てせずに近くの岩場まで送り届けてくれた優しいドラミドロは、チリちゃんが助けにくるまでそばにいてくれたらしい。凶暴な正確なはずなのに、奇跡のような個体と出会った私。チリちゃんが来た瞬間に姿を消したものの、後日回復した私が探しに来たら思ったよりも簡単に再び現れてくれた。親友になった。

ちなみに、お兄ちゃんは二度と私の前に現れなかった。自然と疎遠になった。私のことなんかもう死んだと思ってるんだろう。

「赤の他人なんて、そんなもんやで。逆に、なまえとチリちゃんは血で繋がっとるやろ?ウチらの絆には適わへんよ。な?他の子と仲良くするんは、もうやめとき」

その日からチリちゃん以外の人と仲良くするのをやめた。チリちゃんがいるときもいないときも、あんまり他の人と話さないようにした。元々そうだけど、口数が少ない大人しい子供を装った。でも、どうしても仲良くしてしまう子たちはそこそこ出てきた。パルデアには活発な子供が多いのだ。こちらが喋らなくても一方的に話しかけてくる。あの男の子もその一人だった。遊びに行こうと言われた。私を見捨てた近所のお兄ちゃんよりいい人そうに見えたから、あんまり警戒し過ぎるのもどうかと思ったのだ。でも結局は……みんな私よりも大切な人がいるのかもしれない。私もそうだから。

実際、チリちゃんに勝てる人なんてこの世には存在しないんだから、チリちゃんの言うことは全部正しい。チリちゃん以外の人は、……なんだかみんな霞んで見える。二番目を前提とした人付き合いに、あまり意義を感じなくなった。







なんばーわんtop