| 色気より“食”――彼はそんな人だ。 少し前に、想い人の彼と晴れて結ばれることとなった。今まで生きた人生の中で一番幸せなんじゃないかってくらいの喜びを感じて、それはもう舞い上がった。 そして恋人となった彼との関係なのだけれど――私が好きになった人は、普通の人よりは少し…いや、かなり……特殊な人でして。正直付き合えるだなんて思ってもみなかった私は、付き合えたという事実だけがほんのわずかに残る生活を送っていた。そう、つまり――あれから何も変わっていない。 「そうだよ、幸平くんと付き合うって正直ビジョンが見えない!何も見えない!お先真っ暗よ!」 私がお付き合いを始めた相手は、幸平創真という小さな商店街にある定食屋の息子。私は彼に恋をする以前に、彼に憧れていた。 幼い頃から彼の父と母の営む食事処“ゆきひら”で大人顔負けに調理場に立って立派に調理して、そして何度も何度も料理勝負を父親である城一郎さんに挑んでは負けて、挑んでは負けて……私は彼が勝ったところを一度も見ていない。けれども彼――幸平創真は、一度も挫折をしなかった。 そんな料理に一直線な彼を、私は心の底から尊敬している。だから、好きになるのに時間はかからなかった。 「おー苗字はよー、はえーな今日も」 「あ、幸平くん…!お、おはよう!うん、一色先輩にモーニングコールされて…」 「俺も俺も、うっしゃー今日も気張って畑仕事すっかー」 相も変わらずな朝の風景。世界でも有名な名門料理学校“遠月学園”に通う私たちは、唯一の寮といわれる極星寮に住んでいる。中等部から入学した私と違って幸平くんは高等部からの編入という形となり、編入の挨拶の時はそれはそれはとんでもない爆弾発言をして全校生徒に彼の名が轟いた。 「おいどーした?ぼーっとしてんぞ?」 「え、あっううん!朝だからまだ頭が起きてないだけだよ!…さあさあお世話頑張るぞー!」 「ん?おー!」 私と幸平くんの関係は――ハッキリ言ってなにも変わっていない。変わらない日々を過ごして、もう三週間は経ちそうな勢い。そもそも彼は昔から料理に夢中で毎日のように自分の料理を研究しては厄介ごとを持って帰って来たり安易に食戟を受けまくったり申し込んだり……本当に本当に、忙しい人なのだ。だからこの状況はもう、仕方ないのだろうなって…思っている。 それに、私が彼に想いを告げてしまった時の彼の反応も結構衝撃的だった。そもそも告白するつもりなんて本当になくて、それでも自然と無意識に私は彼に「好き」と言ってしまったのだ。その時の幸平くんの返事は―― 『ああそっか俺、お前のこと好きなのか……あーなるほど!うんうん!ようやく理解したわ!うん、俺も苗字のこと好きだわ、本気で!』 ――という、彼らし過ぎる返事だった。その“好き”が友情の方なのかと一瞬勘違いしそうになったけれど、彼はちゃんと“本気”だと言ってくれた。だから一応私の好きと彼の好きは同じなんだと思っているのだけど………今の状況を見ると、もしかしたら何かとんでもないすれ違いを起こしているのかもしれない。と、不安になった。 「苗字くん!どうかしたのかい?浮かない顔だね!」 「びぎゃっ!い、一色先輩!?いきなり生えてこないでください!」 「あはは!普通に表れたつもりだったんだけどね!驚かせてすまない!」 幸平くんとは少し離れた所で自分の管理している畑の作業を黙々していたら、突如どこからともなく一色先輩が現れて私の顔をぐっと覗き込む。神出鬼没な一色先輩の登場にはそこそこ慣れたつもりだったけど、不意を突かれたのでかなり驚いてしまった。畑仕事スタイルのふんどし姿が今日もお似合いです。 「悩みがあるなら聞くよ?」 「い、いえ…別に、なにも…」 「もしかして、創真くんとのことかな?」 「えっ!」 一色先輩はとても不思議な先輩だ。普段何を考えているのか分からない飄々とした表情で、遠月学園の十傑の一人で、裸エプロンで、屋根裏部屋に潜んでて……あ、不思議っていうかヘンタイだわ。そんな一色先輩に頭の中を見透かされたような目で見つめられ、私はガッチガチに固まってしまった。 「いやぁ青春だね!」 「え、あ…な、なんで…私、誰にも…」 私と幸平くんとの関係はまだ誰にも言っていない。この極星寮のメンバー誰一人…知らないはずなのに。 「ハッ!もしかしてまた屋根裏部屋で盗み聞…」 「いやいや!そんなことしないよ!」 「ほ、本当ですかぁ…?」 「全然信じてないって顔だね!あはは、傷つくなぁ!」 って言いながらあんまり傷ついた顔じゃない。でも盗み聞きしていたわけじゃないのだとしたら、どうして一色先輩は知っているんだろう。まさか幸平くんが?……いや、さすがにありえないかな。 「君たちを見ていれば分かるよ」 「えっ…」 「まあなんとなくだったんだけどね、でも苗字くんのその反応で確信したよ」 「ハッ!!」 「あはは、本当に苗字くんは顔に出るなぁ」 「う〜〜…恥ずかしすぎる…」 どうやら私は墓穴を掘ってしまったらしい。まさか気づかれていたなんて……ん?ということは、寮の皆にも…?――そんな私の不安が顔に出ていたのか、一色先輩は「みんなには気づかれてないと思うよ」と一言添えてくれる。やっぱり読心術あるんじゃないかなこの人? 「…じゃあ、もう諦めて相談していいですか?」 「ああ勿論だとも!」 「あ、で、でもここじゃアレなので…今夜時間ありますか?」 正直誰にも言うつもりなんてなかったけど、バレちまったらしょうがねぇ…なんてどこぞの悪役の台詞の如く思考回路で、私は思い切って一色先輩に相談することにした。 「あの、幸平くんが料理以外に夢中になってるとこ、想像できますか?」 「へ?」 時は過ぎてその日の夜、一色先輩は私の部屋に訪れた。夕飯を終えてお互いお風呂にも入って後は各々好きに過ごす自由時間。絶好の相談タイミングだ。ちゃんと服を着た(ここ重要)一色先輩が私の部屋の座布団に丁寧に座り、出したほうじ茶をにこやかに啜る。 「私、想像できないんです……だって幸平くんから料理を取ったら何が残るの?ってくらい、彼料理バカじゃないですか」 「え、えっと…(あれ、思ってた切り口と違うなぁ?)」 「それに幸平くんって意外性ナンバーワンじゃないですか、もしかしたら私の告白の答えもあれは普通の友達にする返事と変わらないのかもなって今更ながら思えてきて……だって、あれから何も変わってないんですよ?手すら握ってもないし……ましてやキ、キ…」 自分で言っておきながら顔が赤くなってしまった。どうやら私の相談が予想していたものとは少し違ったのか、一色先輩は珍しくも動揺を見せながらそれでもうんうんと話を聞いてくれる。言っててなんだか悲しくなってくるような内容に、私はどんどんと身が縮こまっていくようだった。 「んー…なるほどね、なんとなく理解したよ」 「一色先輩……やっぱり私、勘違いしてるんでしょうか?」 「いや、それはないと思うよ」 「え…」 一色先輩の返事は、思っていたよりも一刀両断するようなハッキリとした否定だった。あくまで僕個人の意見だけどね――と言うけど、どこからそんな自信があるの?というほど否定は早かった。 「苗字くんは、もう少し自分に自信を持っていいと思うよ」 「え……自信、ですか…」 「そうだよ、君はとても魅力的な女性だよ」 「そ、そんな…」 「あはは、照れた顔もチャーミングだね」 「一色先輩ほんとそういうの恥ずかしいのでやめてください…」 一色先輩は平気でこういう恥ずかしい台詞を言う人だ。ああ、よく考えたら私は相談する相手を間違えてしまったのかもしれない。幸平くんも不思議ではあるけど、一色先輩もかなり不思議な人なのだった…。 そうだ、幸平くんも天然というかなんというか、照れもせずに普通に女の子に向かって「カワイイ」とか「似合ってるな」とか言っちゃう人で、それで数々の女子が頬を染めてきたのを私は知っている。 「…一色先輩って、本当にいつもそう思って言ってますか?」 「ああ勿論、本気で思っているよ!」 「本気……」 その本気の度合いがもしかしたら幸平くんも一色先輩も少し違うのかもしれない。 「先輩!私の事、どう思いますか!?」 「え?どうって、それは…」 「魅力的だって言ってくれましたけど、恋愛できる可愛さはありますか!?」 「ちょ、ちょっと苗字くん…?」 「先輩!私のこと可愛いって思いますか!?」 「ちーーっす、苗字いま暇かー……あ?」 「「あ…」」 ガチャ――って、なんという最悪なタイミングだろう。 スルメイカを口からヒョロリと出しながら私の部屋のドアを開けて固まる幸平くん、反対では私が猛烈に一色先輩に詰め寄っている奇妙な光景。バッチリと、目が合いました。 「えーっと、何、してんスかね……」 「あ!えっと幸平くん!へ、へいらっしゃい!茶ァでもしばくかい!?」 「苗字くん、分かりやすく気が動転してるね。…さて、僕はそろそろお暇するよ」 「え!一色せんぱ…」 「じゃあね、あとはファイトだよ!」 まさかのここで一色先輩何もフォローしてくれず退場!…という、完全に私は顔面蒼白。ていうか、今の台詞聞かれてたのかな?ちょっとヒートアップしちゃってわけのわからない質問を一色先輩に投げかけてしまい、まさかそこに幸平くんが来るなんて思わないじゃないか。そもそも、彼が私の部屋に来るなんて告白をして以来だ。なんというタイミングの悪さなのだろうか。 そして数秒もたたないうちに一色先輩は私の部屋から出て行ってしまい、私と幸平くんの目が再び合致する。ああ、気まずすぎる。 「あ、あの……な、なにか…用、でした、かな?」 「ん?あー…軽く試作しよっかなって思って、せっかくだし苗字もって思ったんだけど」 「し、試作!う、うん!是非是非!参加させてください!」 「いや、やっぱいいわ」 「えっ…!」 なんだか幸平くんのテンションが先ほどの第一声から急にトーンが下がったような気がする。しかも断られてしまい、私は普通にショックを受けてしまった。 「試作は後にして、ちょっといいか?」 「え?」 そう言って幸平くんは部屋のドアを閉めて、私の部屋の中心に踏み寄ってきた。そして私の前に立ち止まり、見上げている私と目を合わすようにしゃがみこんだ。 「なあ、一色先輩のこと好きなの?」 そして少し訝し気な表情で、私へとそう尋ねた。 「……………え?」 「いやだってよ、さっき一色先輩に聞いてたじゃん」 「え、あ…いや、あれはそうじゃなくて…!」 「そうじゃないって、じゃあどーゆーことだよ」 「ゆ、幸平くん……怒ってる?」 幸平くんのこんな不機嫌な表情がまさか自分に向けられているなんて、なんだか不思議だ。彼のそういった顔は今まで何度も見てきたけど、それは全て料理に対してだった。 「そりゃ怒るだろ、だって苗字が好きなのは、俺なんじゃねぇの?」 「ッ…!!」 え、あれ――いま、もしかして……幸平くん、嫉妬してくれてる? 「なのに一色先輩と部屋で二人っきりって、しかもあんな距離近くって、怒らねぇほうが無理じゃね?」 「うっ……ご、ごめんなさい…本当にさっきのは違くて…一色先輩には、その、相談してて…」 「相談?」 「あ、あの……ていうか、幸平くん、私のこと本当に好きなの?」 「は?」 怖かったけど、確かめるように私はもう一度彼に尋ねた。すると幸平くんの顔は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったかのような呆けっぷり。 「え、あれ、俺前にも言ったよな?苗字のこと好きって……ん?」 「う、うん……でも、幸平くんの好きってもしかしたら友達の好きなんじゃって、不安になって…」 「んなわけねーだろ!ちゃんと本気の方だって!苗字、んなことで悩んでたのか?ったく、一色先輩じゃなくて俺に直接聞きゃあいいじゃんか」 「ええっ!そんな無茶な…!」 私の勘違いはどうやら本当に勘違いだったらしい。幸平くんのアッサリとしたその返事に心底安心して涙が出そうになる。幸平くんはそんな私をバカだなって笑って頭を撫でてくれた。 「まーでも、確かに俺らあれからなんも変わってねぇもんな!」 「そ、そうだよ…!幸平くんあれから普通すぎるくら普通だから私、夢なんじゃないかって…」 「あはは悪い悪い!いやー正直俺もさ、付き合うってなにすればいいのかイマイチ分かんなくてよ!」 ああ、幸平くんってこんな人だった。あっけらかんとした表情で正直に真っ直ぐにいつも物を言う。私はそんな彼のまっすぐなところが、なんだかんだ好きなのだ。ただ、たまに無神経すぎる時もあるけど。 「で、実際何すりゃいいんだ?」 「えっ!」 ほら、無神経だ。 「え、えーっと……名前で呼び合う…とか?」 「ほーー、なるほど、名前って呼べばいいのか?」 「っ!!」 なんでいつもそう彼は恥じらいがないんでしょうか。突然呼ばれた好きな人からの名前呼びに、私は不意を突かれて完全に心臓を撃ち抜かれた。ずるい。こんなのずるいよ幸平くん。 「ほら、俺のことも呼んでみ?」 「あ…ぅ……」 「もしかして、俺の名前忘れたってコトねーよな?」 「わ、忘れてない!えっと、その……そっ…創真…くん…」 「!」 ただ名前を言うだけなのに、私の顔は真っ赤だった。だって今までずっと幸平くんって呼んでたのに、今更下の名前で呼ぶなんて恥ずかしすぎるし慣れなさ過ぎる…。心臓をバクバク跳ねさせながらも、私はゆっくりと幸平くん…創真くんの顔を見た。すると、それは私が想像する彼の表情と――少し違っていた。 「やばいな、想像以上の破壊力だったわ…」 「え?」 「すげーなお前…」 「え、えぇ?」 なんでそんな驚かれているのか分からないのだけど、とりあえず恋人っぽい?こと…できたのだろうか。 「悪い、俺…あんま先の事とか考えてなくてよ。あん時もどっちかっつーと自覚したっつーか、ただそんだけだったんだわ」 深々と頭を下げる創真くんの言葉はやっぱり真っ直ぐで嘘偽りがない。私はそんな彼に少し慌てながらも、でもなんだか心がくすぐったくなるような嬉しい気持ちがした。 「なんで笑ってんだよ?」 「ふふ…だって、料理の事になるといつも思いもよらぬ発想と気転で突破していくのに、こういうことになると途端に鈍くなるんだもん、創真くんって」 「う……」 「大丈夫、私も全然分かって無かったから……だから、これから色々お互いの事知ろ?」 「………やっぱお前可愛いわ」 「えっ!?な、なにいきなり…!」 少しだけ創真くんの事が分かったような気でいたけど、やっぱり分からない!こういう事なんでサラっと言えちゃうの!? 「そーだよな、俺にしか名前にできねぇことやんなきゃだよな」 「へ?」 あまりにも突然で、私は迫りくる創真くんの顔をただじっと見つめるしかできなかった。近すぎるその距離に、私はおもわず目を瞑ってしまう。――その瞬間、唇に柔らかなものが触れたのが分かった。……え、これって、 「これも恋人の特権っつーヤツだよな?」 ふわりと柔らかく、湿っぽい艶やかな感触がじわじわと体中にいきわたるような感覚に陥る。ゆっくりと瞼を開ければ、にやりと笑った創真くんの笑みが私に向けられていた。 「…………」 「ん?おーい、起きてっか?」 「…………」 「あ、もしかしてダメなヤツだったか…?」 「ち、ちがっ………あ、あぅ…」 まだ至近距離にある創真くんの顔に真っ赤になりながらも、なんとか意識を取り戻していく私。でもやっぱりドキドキして創真くんの顔を直視できない。だってこんな不意打ち、ズルい。 「あはは、やっぱ名前かわいーなマジで」 うん、好きだよお前のこと。 今度は疑う余地なんてない、心から信じることのできる彼からの真っ直ぐな言葉だった。 「でもコレでこんな真っ赤じゃお前、この先大丈夫か?」 「へ?」 「だってよ、まだまだ俺らにしかできねぇこと、いっぱいあんじゃん!楽しみだな」 「そ、それって……」 ねえ創真くん、あなたはどこまでが本気で、どこまでが――… 「(これから、知ればいっか)」 ファーストキスは、スルメ味でした。 |