アイスファイア 

 








 






「やっ……と着いた〜」


 チョコボから降りた○○は大きな伸びをする。

 それはチョコボも同じで、身軽になったのが嬉しいように二度跳ねた。


「お尻痛くなーい? 疲れたぁ〜もう帰りたいよー」

「今来たばっかりだよ!」


 愚痴をこぼしながらチョコボから降りるクラスメイトを介助する。見渡すと他の生徒も鞍から荷物を下ろしていた。


 たっぷり時間を掛け辿り着いた、眼前に広がる街。

 ここはメロエだ。


 ルブルム国内の端にあり、○○が住まう首都・ペリシティリウムから北西に位置する。

 用事がないかぎりは訪れる機会はなく、そして○○の人生において用事もなかったため、初訪問であった。


 もちろん観光目的ではなくチョコボの騎乗訓練というわけでもない。

 候補生数十人という大所帯での軍行だったため、危険なモンスターは避け、時間を掛けた安全策が取られた。

 魔導院を出立したのはまだ日も高かった13時。真上からだった日差しは大分傾いている。


 すっかり一仕事終えた気でいる生徒たちに教官は整列を促した。


「本日はここメロエで一泊し、明日の〇六〇〇にベスネル鍾乳洞に出立だ。各自、充分に装備の確認、身体のケアをしておけ。再三言っているが、ミッション内容を頭に叩き込むのも怠るな。それまでの時間の使い方は自由とする。候補生としての自覚を持ち、節度ある行動を心掛けよ。以上」


 今回のミッションを指揮する教官に解散と告げられて、候補生は地面に置いた装備品を持ち上げた。

 足取り重く、魔導院所有のホテルへと向かう。


「やっと自由時間〜○○っ、早く部屋行こ」

「荷物ッ!」


 スカートのすそを払い、私物だけを持って歩きだそうとしたクラスメイトを引き止める。

 だって重いんだもん、と唇を尖らせたから、忘れたというよりは考えたくなかったようだ。

 しぶしぶかばんを引きずる。


「わあっ! 大事な装備品を引きずっちゃダメだよ!」


 慌ててたしなめても、だって重いんだもん、の一点張り。

 ○○はため息をついてクラスメイトのかばんも肩に掛けた。


「しょうがないな、持ってあげるよ……。替わりにこっちお願いね」


 渡したのは○○の私物である小振りの鞄。


「さっすが○○! 頼りになるぅ」


 ぴょこんと抱き着いて軽いそれを手に持ち、調子の良いクラスメイト、ステラと○○はホテルへと向かった。
















「ポーション、エーテル、あと煙幕、過不足ナシ。……いや、ポーションもう少しあった方がいいかな?」


 寄宿するホテルに着いた○○はベッドの上に鞄の中身を全て出し、指差し確認でリストと照合していく。


「ね〜え? マッサージしてくれるって約束は〜??」


 振り返ると、部屋着に着替えたステラはベッドで雑誌を読んでいた。

 シャワー上がりなので髪がまだ濡れている。


 候補生用に誂えられた狭い室内は、扉を開けて正面にベッドを二つ構え、間に小さなサイドテーブルが一つ。

 装備品を収納するためか大きめの戸棚がベッドの足元に配されていて、残りの設備といえば洗面所、シャワールーム、トイレくらいのシンプルな造りだ。


「マッサージしたらそのまま寝ちゃうでしょ。教官に言われたように、先に確認してから」


 ピシャリと言って読んでいた雑誌を取り上げると、ステラは渋々とではあるがチェックを始めた。


「でも先に外出してきてからでいい? ポーション足しておこうかなって思って」


 その言葉に不服そうな声を出して○○の方へ振り向いた。


「そんなの、明日従卒から貰えばいいじゃん。真面目だなぁ」


 そうなんだけどさ。

 ポーションを手で弄び、昔の記憶を遡る。

 前に一度怒られたコトが……。


「○○?」


 もごもごと不明瞭に呟く○○に、ルームメイトは怪訝な表情を向けた。


「いやこっちの話。……ついでに街もまわってこようかなって」


 最後のポーションをかばんに詰めてバスタオルを手にする。さほどキツくはなかったが、チョコボで駆けて多少汗をかいていた。


「ねぇ、前に来たことあるんだよね? どっかイイトコない?」


 シャワールームに入る直前、返ってきたのは気のない返事だった。
















「確かに、あまり見るトコ無い……かな」


 二つ目の袋小路にたどり着き○○は踵を返した。

 初めて訪れたがメロエはシンプルな街らしい。東西南北に真っすぐ道が延びた、十字型の街並だ。


「魔導院もこのくらいシンプルだったらいいのに……」


 階段やら魔法陣やら複雑極まりない。


 途中、仲良く手を繋いで今日の出来事を話す親子とすれ違った。

 いいなぁシチューかな。

 下げられている買物袋からのぞく野菜に献立を想像する。

 大切な人の食べる顔を思い浮かべて作られる料理。学食も美味しいけれど、上手い下手ではなく母の手料理はまた別格だ。

 候補生寮にキッチンなんていう上等な代物はもちろん備わっていない。

 しばらく料理なんてしていない。


 十字路に差し掛かり最後の道に向かう。


 夕飯の支度時間だからかあちこちの煙突からいい匂いの煙りが昇っていた。

 ホテル帰ったら何食べようかな。

 お腹をさすりながら左右に建ち並ぶ家をふわふわ眺めていると、


「あ」


視線を移動させた先に、見覚えのある水色のマントが見えた。
















「お疲れ〜」


 声を掛けると、書面から顔を上げて振り返った。向けられた瞳はアイスグリーン。


「こんなトコで何してんの」

「シミュレーション」


 返ってきたのは短い言葉。

 部屋でやればいいのに。

 そう思いながら断りなく向かいに座る。


「部屋だと狭いからな」


 口に出していないはずなのに答えが返ってきた。


「筒抜けだ」


 溜め息をついたクラサメはドリンクに口を付ける。


「お前こそ何してるんだ」

「私? 私はもうちょっとポーション補充しとこうかなって思って」


 言いながら隣のイスに置いたアンプルが入った紙袋を叩く。


「前は当日従卒に貰ってたな。万全を期すに越したことはない。いい心掛けだ」


 そう言ってまた一口飲む。


 あんたは私の教官か何かか。


 とは思うが口には出さない。クラサメの言い分が正しい事くらいわかる。


「なんかクラサメと店のチョイス被るよね……なんでだろ」

「知るか」


 ○○が見つけたのは、街の外れのオープンテラス。客は少ないが、こざっぱりしていて落ち着く。


 二人の性格に似てる所なんて無い。むしろ対象に近い。

 だが今のように、クラサメがいるところに○○が来ることもあれば、○○がいるところにクラサメが来たりすることも度々あった。


 クラサメがいるんだったら……。

 ○○は腕を組む。


 誘えばよかったかな。確かカッコイーとかステラが騒いでいた気がする。

 いやでもクラサメにはエミナって可愛い彼女がいるんだからダメか。

 ダメ? いやクラサメが思ってるわけじゃないからいいのかな?


「おい百面相」


 考え込んでいるとメニューで頭を軽く叩かれた。


「俺がいるんなら、なんだよ。言葉を途中で切るな」


 またもやだだ漏れていたらしい。


「なんでもないわよ。誘えば良かったなーって思ってただけ」


 肩を竦めてメニューを受け取り、開く。


 誘えば良かった? ……俺を?

 クラサメは怪訝な表情を浮かべた。


「ここで会えたんだからどっちでもいいんじゃないか?」


 返ってきた言葉は上の空。

 どうやらオーダー選びに集中してしまったようだ。


 汗のかいたグラスを持ち上げる。


「……確かに、○○がいるなら俺も違うの頼めば良かったな」


 飲んでいたのはカフェラテ。グラスの底にはクラッシュされたコーヒーゼリーが沈んでいる。

 充分に甘い飲み物だが、他に気になったものもあった。


「いいわよ、私それ貰うから。本命頼んであげる」


 でも一口ちょうだいよねと付け足されはしたが、願ってもない申し出に視線を上げる。

 ではと、メニューを指そうとするが閉じられた。


「クラサメが頼みたかったものくらい分かるって」


 すいませーんとウェイトレスを呼ぶ。


「この、プリティキャットってやつくださーい」


 窓ガラスを拭いていたウェイトレスが返事をし、店内に入っていくのを見送ってからクラサメが口を開いた。


「よくわかったな」


 ○○は頬杖を付いているクラサメを見て、


「筒抜けよ」


先程のお返しとばかりに笑った。
















「ごゆっくりどうぞ」


 ○○の前に差し出されたオーダーの品。

 ラズベリーとフローズンヨーグルトがマーブルされていて、生クリームが溢れんばかりに乗っている。


 クラサメは広げてあったマップを畳んでテーブルの端に置き、飲み物を引き寄せた。


「召し上がれ」

「いただきます」


 言いながら長いスプーンでクリームをすくい、口に運ぶ。


「ところでお前、地図は頭に入ってるんだろうな」

「……先に感想とか無いわけ」

「当然美味いぞ。で?」


 もっと美味しそうに食べれないものかしら。

 組んでいた腕を解いてテーブルに付き、マップを広げた。


「大丈夫よ。ここほとんど一本道だし」

「どうだかな。去年の二の舞はごめんだぞ」

「まだ引っ張るか! もう時効だよ」


 ミッション中に迷子になったのは、クラサメの中では記憶に新しい。


「大丈夫だってば。前・左・右・まっすぐ! でしょ?」


 さも得意げに言うが。


「わかるか。なんの暗号だ。やっぱりお前の大丈夫は当てにならん」


 大丈夫! と言いかけて口を紡ぐ。

 大丈夫なのに。


「あと、荷物を持ってやる必要は無い」


 底の方からラズベリーをすくって食べながら、さも当たり前のように言う。


「……なんのハナシ?」

「ホテルまで。装備品持ってやってただろ」


 脈絡のない筋だったが、眉根を寄せて考え思い至る。


「ああ、メロエに到着したときの」

「自分の装備くらい、自分で持つべきだ」

「見てたの?」


 意外性に目を見張る。

 隊列も離れていたし、目も合う事なくホテルへ直行したのに。


「お前はやかましいからな。視界に入ってなくても耳に触る」

「やかましくって悪かったわね!」

「自分を守るための大事な装備品を引きずるなんてありえない」


 じろりと睨むクラサメの手には可愛い色味の飲み物。

 そんな状態で凄まれても……。


 やっぱり見てたんじゃん、と荒げた声を落ち着ける。


「やるときはやるからいいのよ。……たぶん」


 ちょっと軽いが、あれで腕のいいスナイパーだ。お陰で助かった事だってある。


「よくない。自覚が足らん。下の者にも示しがつかないだろ。第一」
「わかったわよ。後でちゃんとお説教しとく。だから私に当たらないでくれる?」


 長くなりそうだったので言葉を遮りホールドアップの体勢を取る。


 ってか直接言いなさいよ。

 ○○が言われる筋合いは全く無い。


「ん」


 グラスを持ってカフェラテを最後まで煽った○○は、ガリガリと音を立ててクラッシュゼリーと氷を食べながら、手を伸ばして飲み物を催促した。

 その女子らしからぬ様子に呆れながらも、スプーンを突っ込んで飲み物を渡す。


「一口な」


 にぃっと笑ってクラサメを見た○○は、スプーンを外してグラスを煽った。

 ごくごくと嚥下しているのがわかる。


「お前ッ!」
「お前ら! こんな所で何してる!」


 突然の第三者介入により動きを止めた二人は視線だけを動かす。

 見ると、副教官が駆け寄ってくるところだった。


「二人だけか? 他にも生徒を見掛けたら声掛けてこい! 街の入り口に集合だ!」


 そのただならぬ副教官の様子に怪訝な表情を浮かべて目配せをする。


「朱雀四天王が御到着だ!!」
















 ○○が駆け付けたときにはすでに候補生で人だかりが出来ていた。

 中には混じってメロエ市民の野次馬も見える。


「み、見えないっ」


 短い悲鳴や息を飲む気配はするが、肝心の四天王は視界に入らない。

 目の前には候補生を示すマント。

 跳んでみても良くて後頭部だ。


「遅いわよ!」


 すき間を探して移動しながら、隣に追い付いてきたクラサメに怒鳴る。


「金も払わず飛び出すヤツがあるか!」

「あ、ごめん! ねえクラサメ、どう? 見える!?」


 跳びはねながら声を掛ける。


「ねえ!」


 何度声を掛けても反応が無い。

 イラつきながら隣を見ると、珍しい事に絶句していた。


「クラサメ……?」


 呼ばれてハッと我に返り、たった今○○に気付いたように腕を引っ張る。


「ちょっ何すんのよ危な」
「いいから!」


 引っ張られるままに数歩たたらを踏む。


「退け」


 上から降ってきた体温の無い声。


 振り返ると人垣が割れたそこには凄惨な姿の四天王が立っていた。


 きつく巻かれた豪奢な金髪と、同じく黄金色の瞳。

 衿の高いロングコートも同じ金色で、アクセントとして黒く縁取りされている。


 夕暮れの太陽で全てのそれを染められてはいるが、何より目に付いたのは太陽のせいではない全身の赤。


「血……」


 血痕だった。


「血が……!」


 髪にも。顔にも。腕も、足も。

 全身血まみれだった。


「手当を……!」

「大事無い」

「怪我が……!」

「退け」


 二の句が継げない。

 素気(すげ)ない切り返しに心が折れそうになるが、唇を引き結んで両腕を前に突き出す。


「ッ失礼します!」


 深く深く呼吸をして意識を高める。


「フルケア!!」

「余計な事をするな」


 淡く緑色に光ったが、煩わしそうに腕を払われて一瞬で消えた。


「退けと言っているのが聞こえないのか」


 眼光の凄みが増す。

 冷たくてこれ以上下がりようが無いはずの温度が更に下がった。


「申し訳ありませんでした。言い含めておきます」


 横にいたクラサメが○○の肩を引っつかみ強引に後ろへと下げる。


 他の四天王は諌めるように肩を叩いてホテルへと向かったが、金色の四天王は眉間に深い皺を刻んだまま○○を見下ろし動かない。


「上の命令を聞けない者はいらん。失せろ」


 唇をわななかせ、血の気の失せた○○へ更に言葉の冷水を浴びせると、鼻面にしわを寄せて盛大に鼻を鳴らし、踵を返してホテルへ消えていった。















「本当にお前はッ!!」

「……ごめん」


 四天王がホテルに消え、候補生も三々五々に居なくなった。


「要らん手間を掛けさせるな!!」

「……ごめん」


 教官からも小言を頂いた。

 その後。


「退けと言われたんだ! 素直に退いとけよ!!」

「だって」

「だってじゃない!!」


 ○○はクラサメにお説教を喰らっていた。


「……だって」

「だってじゃねぇよ……斬られてもやむ無しだったぞ、あれ。勘弁しろ……寿命縮んだ……」


 腰に手を当て深い溜め息をつく。


 “四天王を遮るべからず”は魔導院に属する者ならば誰もが知っている。

 彼らはそれほど、魔導院に、延いてはルブルム国に貢献しているのだ。


 ○○だってもちろん承知だが、衝撃のあまり念頭から吹き飛んでいた。


 あんなに血まみれの状態で。怪我だって相当深いはず。


「ごめん……。ねえ、大丈夫だよね?」


 怒られている自覚が無いのか○○は人の心配ばかりだ。

 これは響いていないな、とクラサメは溜め息をついた。


「“不死身の四天王”だ。どうせ全部返り血だろ」


 足取りだってしっかりしてたしな。

 そう言って四天王が消えたホテルの方を見遣る。


「そう……だよね」


 ○○はまだ心配そうだ。


「そうだ。不死身だ。化け物だ。心配するだけ無駄だ。むしろ失礼だ」

「……クラサメ、それ失礼」


 小さくではあるが、やっと笑った。


「死にかけの人間にあんな凄みを出されてたまるかよ」


 存在に視線を奪われて動けなかった。

 頭が、動かす事を忘れていた。

 身体が、動ける事を忘れていた。


 我に返ったのは○○がフルケアを掛けた後。


 負けてたまるかよ。

 盛大に舌打ちをしてそう誓う。


「あっごめん、クラサメ、飲み物代」


 何がきっかけなのか、○○は思い出したようにポケットを漁りだした。


「今度レッドクローバー連れてけ」


 何やら上乗せされている。


「……三個までね」


 押し付けられたポーションの入った紙袋を受け取り小さく呟いた。
















 このホテル内のどこかに四天王がいる。


 それだけで生徒は浮足立っていた。

 隠す事なく全身血まみれでの寄宿は、想像を掻き立てるのに充分すぎる程だった。





 全部返り血なんじゃないか。

 何人殺したんだ。

 白虎方面から来たぞ。

 何のミッションだったんだ。





 様々な憶測は自然と肩が下がる○○の耳にも入ってくる。

 夕食を食べ終え部屋へと続く階段を上りながら、先程の体温が感じられなかった視線を思い出した。


 だってあんな血まみれで。

 手当てはいらないと言われたけれど、でも。

 突然目の前に現れた赤に、頭で考えるより先に身体が勝手に動いていた。重いため息をついて部屋のドアを開ける。

 だって、と、でも、を繰り返すが、聞いて欲しい人はここには居ない。


「帰ってきた! ねえねえ見た!? 四天王!」


 部屋に入るなり駆け寄ってきたのは同室のステラ。


「あ、うん……見たよ」

「いいなー! 羨ましい〜!」

「何してたの? 部屋にいたんじゃないの?」


 街の外れにいた○○まで召集が掛かったくらいなのに。


「寝てたのよ……」


 うかつだったわ……と腕を組む。


「どうだった? やっぱりカッコイイ?」

「うん、かっこよかった、と思う」

「……どーしたの?」


 いつもの○○のテンションと違う事に気付いたステラは顔を覗き込む。


「んー。なんか今疲れがきたみたい。早めに寝るね」


 ほとほとと歩いてベッドに向かう○○は本当に疲れてみえる。


「わかった。アタシごはん食べてくる。カードキー持ってくから鍵ちゃんと閉めときなね」


 おやすみと言って○○の頭をぽんぽん叩き、ベッドの上にあったポーチを手にして部屋を出ていった。


「うん……おやすみ」


 返したのはステラが居なくなって大分後の事だった。
















 部屋に明かりは点けられておらず、暗い室内には窓から差し込む光だけ。

 ○○は身じろぎもせずベッドに腰掛けたままだった。


 何をしているのかといえば何もしてなくて、何を考えているかといえば何も考えていない。

 ただ、呆けていた。


 幸運な事に、○○の送ってきた人生の中で、狭い人脈の中ではあるが失った人はいない。

 もしかしたら記憶に無いだけかもしれないけれど。


 あの人たちは、恐らく誰かの大事な人を奪ってきたのだ。

 命を奪うという事は、そういう事。


 身震いをしてきつく両腕を抱きしめる。

 かくいう○○だって何度か人命を断った事もある。


 それ自体は覚えているが、自分は何故、人を殺めたのか。

 クリスタルの加護により覚えていない。


 それぞれが正義を掲げて武器を取る。自分が悪だと思っている人間なんていない。

 正義も悪も、視点に寄って姿を変えるのだ。


 急に、心に鉛が落ちてきたように重くなった。


 ダメだ。寝てしまおう。


 のそりと布団をめくると風を感じた。


 窓、開いてたんだ。

 どうりで寒いはず。


 窓を閉めようとして振り向くと、一人しかいないはずの部屋で視線が合わさった。





 全身黒ずくめの中、光っていたのは満月のような瞳。





「ハァイ」

「あなたは四天王の……!」


 窓枠にしゃがみながら手を振っているのは、先程が初見の四天王の一人だった。


「なッ……どッ!」


 なんでこんなトコに。

 どうやってココに。


 馴れているのか、驚きにまともな言葉にならなかった○○の言葉を読み取り、彼はなんでもないようなことのように言った。


「なんでかっつったら、さっきのお礼を言いに。どうやってかっつったら、ま、四天王だから?」

「こ、ここ四階ですがッ!?」

「軽い軽い」


 ひらひらと手を振りながらにぃっと猫のように笑む。


「声上げるかと思ったけどな。結構度胸あんじゃん」


 ……絶句したんです。


 ちょっくら失敬と言いながら、漆黒の四天王は窓枠に腰を下ろした。長い脚を持て余している。


「中まで入んねーって。汚しちゃうしな。安心しろ」


 いえ、と頷いて小さく返事をするしかない。


「そそ。ボスに代わって礼を言いに来たんだ。さっきはありがとな」


 ○○は怪訝な表情で目の前の人物を見た。


 怒鳴られた……いや、怒鳴られさえしてない記憶しかない。


「さっきのフルケア」

「……の礼……ですか……?」

「そそ」


 全くもってわからない。

 教官に説教を喰らい、クラサメに怒鳴られる程の行為だったはずだ。

 礼を言われるなど。


「あんただけだったんだよ。動いたの」


 教官も、候補生も、戦(おのの)き道を開ける事しかしなかった。


「まぁ……いきなしこんなナリで現れた俺らも俺らなんだけど」


 そらびっくりするわな、と、歯を見せて血糊で固まった前髪をつまむ。


「返り血……ですか」

「……今日だけは落としたくなくってな」


 その質問には答えず、口元に笑みを浮かべながら○○に視線を戻した。


「……出張った真似をして申し訳ありませんでした。……でも」


 私には。


「御心が、壊れていたように見えたので……」


 ○○が苦しそうに瞳を閉じたほんの僅かの間、クッと見張られた瞳。

 何を言ってるんでしょうね、と苦笑しながら視線を戻したときには、もうその瞳は無かった。


 しばらく思案した後、手で○○を招くように催促をする。


「俺、貸しは作んねー主義なんだ。いつ死ぬかわかんねーからな。あんたには貸しが一つある。なんかあったら呼べ」

「○○ー? 寝てるのー? 鍵開いて」

「うぉッやべ」


 カチャリとドアが開いた。ステラが帰ってきたようだ。

 電気はまだ点いていない。

 ○○の腕を掴んで耳元に口を引き寄せる。


「いいか俺の名前は」
「キャーーーッ!!」


 ステラが電気を点けて叫ぶのと、名前を言い捨て窓から飛び降りたのは、ほぼ同時だった。






















 ……眠い。


 集合時間は〇六〇〇。

 やっと眠りについたと思ったらすぐに起床せねばならない時間だった。


 昨夜の出来事は夢だったのではないか。

 耳たぶを触りながら小さく欠伸をする。


「寝てないのか」


 隊列の少し前にいたクラサメが欠伸を見咎めて声を掛けてきた。


「おはよ。早く寝るつもりだったんだけど……」


 装備を担ぎ直しながらまた欠伸。語尾がふやける。


「なんか、寝つけなくて」

「じゃあ知ってるか。昨夜、どっかの部屋に変質者が出たらしい」


 そのクラサメの言葉に頭が覚醒する。

 それってもしかして。


「いやあの変質者じゃなくて」

「クラサメくん、おっはよーっ」


 軽い衝撃と共にステラが割り込んできた。

 今日は自分の装備品は自分で持っている。


「ねえ聞いてよぉ昨日ウチの部屋に痴漢が出たの!」


 あ、やっぱり。


「ねっ○○っ」

「あぁいやまぁあはは」


 頬を引きつらせながら曖昧に笑う。


「……○○の部屋だったのか」

「そうなの! アタシたちの部屋! 怖かったぁ〜。ねっ○○」

「えぇとまぁその」

「……何かされたのか」


 何故そこで私を睨む。


「いや別に」

「何言ってんのよ! キスされてたじゃない!」

「「は!?」」


 驚愕の声はサラウンド。

 クラサメだけではなく○○も声を発し、慌てて顔の前で手を振った。


「違う違う見間違いだって!」


 ステラからの角度からだとそう見えたのかもしれないが。


「……されてないんだな」


 だからなんでクラサメが睨むわけよ。


「されては、いないよ」

「……されて”は”?」


 言葉尻を逃さない。

 さすが氷剣の死神と呼ばれるだけはある。視線も冷たい。


「ちょっと耳たぶかじられた」

「はぁッ!?」


 思わず怒鳴りそうになったクラサメだったが、人目を気にして口を閉ざす。


 お前はまたなんでそう隙を見せる! どうせ一般市民だろうが! 撃退するくらいわけないだろ!

 心の中に思い留めながら、代わりに盛大な溜め息を付いた。


 そんな事は露知らず。

 ○○は○○で思考を巡らせていた。


 今からあの人は四天王だって言ったら、イコール変質者又は痴漢になってしまう。


 ……言えない。

 死んでも言えない。

 私には是正する事が出来ません……。力不足で申し訳ございません……。

 お願いだからステラ、全身血まみれだったコトは思い出さないで……。


 空を仰ぎ見、盛大なため息をついた。
















「集合!」


 響き渡った教官の一声に、皆隊列を組直した。

 ベスネル鍾乳洞に到着したのは一〇〇〇。チョコボではなく徒歩での移動だ。


 ぽっかりと口を開けていた洞窟。

 中に入ってみると存外広い。その一角を使って最終チェックが行われていた。


「今回のミッション内容を述べよ」


 短く返事をし、指名された者が一歩進み出る。


「今回の目的は洞窟最奥にいるキングベヒーモスの角を持ち帰る事であり、ターゲットの生死、手段は問わないとされています! 途中、ベヒーモスに出くわした際は速やかにこれを排除、血肉を持ち帰れば尚良し」

「そうだ」


 頷いて機材のボタンを押す。

 でこぼこした洞窟の壁面に地図が写し出された。


「複雑な造りではない。戦闘時間を加味しても、正味百二十分もあれば戻ってこられるだろう。○○」

「は、ハイ!」

「迷うなよ」


 突然名指しされ姿勢を正したが、すぐにコケるハメになった。


「酷いです! 迷いません! 迷えませんから!」


 これくらいの一本道、子供だって大丈夫だ。


「私は過大評価も過小評価もしていない。残念な実績の賜物だ」


 言い返す言葉がない。

 感じる視線に縮こまった。

 ちらりとクラサメを盗み見ると、視線こそ合わなかったが溜め息を付いている様子だった。
















『ちょっと! 教官ヒドくない!?』

「……第一声がそれかよ」


 スリーマンセルでミッションの最中だ。

 クラサメは肩を落としながらベヒーモスに留めを加えた。


『だっ−迷っ−の一回−−じゃん!』

「それだけ印象が強かったんだろ」

『さて−−い触らしたわね!』

「するかよ」


 絶命したのを確認して、チームの二人に進む指示を与える。

 隊を四つに分け、各チームが連携を取りつつ洞窟深くへと進んでいた。

 第一部隊であるクラサメは先頭をきって進んでいる。

 ベヒーモスに遭遇する確率も、高い。


『に−−も、これ便利ね』


 イヤホンから聞こえてくる雑音混じりの声。

 第三部隊である○○の声だ。

 姿は無い。


「そうだな」


 今回、初めてミッション中にインカムの試作品を導入をした。

 範囲も広くないし、雑音も酷い。入口に設けたタワーである教官とも連絡は出来ない。

 だが、チーム同士の連携は格段に取りやすくなっていた。


 今後改善されて全体像を把握する司令塔から指示を飛ばせるようになれば。


「これからミッションがやりやすくなるんじゃないか」

『早く−−すればいいな〜。よっと』


 耳元でモンスターの断末魔がした。


「改善点は無数にある。これは試作品だし普及するのはまだ先だろうな」


 進む内に、また前方から唸り声が聞こえてくる。

 納めていた剣を再び抜刀した。


『ところで−−サメ、ベヒーモス−−すぎ。死体−か見て−−−−けど』


 どういうクレームだ。


「楽でいいだろうが。それより」


 三方から囲うように指示を出す。


「直通にしてないでチャンネル開けとけ」


 他のチームの状況がわからないからな。

 言いながら自らも剣を構えて突っ込んだ。
















 時折沸いてくるモンスター以外に特に問題も無く、○○の率いる第三部隊はスムーズに進んでいた。


「えーっと、どこだここ」

「E−7っす」

「そうそう、E−7、制圧完了……っと」


 汗かく暇もないような戦闘時間だ。


「今回のミッションは楽でいいっすね」

「さっすがよね〜。先頭きってるのはあの、クラサメくんだし?」

「氷剣の死神! く〜カッコイイなあ!」


 他のメンバーが会話に花を咲かせている間、○○はノーコメントで絶命したモンスターに向かい黙祷を捧げていた。


 氷剣の死神。

 耳にしてから三ヶ月ほど経つか。


 その二つ名、あんまり好きじゃないんだよな。


 もちろん、呼ぶ側に他意は無い。

 尊敬と畏怖を込めて付いた呼び名なんだろうけれど。


 死に神って……。


 クラサメは○○の同期であり、親しい人間だ。……向こうはどう思ってるか知らないが。


 四天王も、同期の人からすればそんなカンジなのかな。


 不死身の朱雀四天王。


 あの人たちだって普通の人間のはずなのに。


「ハイハイ、進みますよ〜。今は楽かもだけど、目的はキングベヒーモスの角なんだからね」


 手を打って先を促す。

 対象は、キングベヒーモスではなくその角。

 倒す事を目的としていない。

 導入された人数から考えても。


「きっと手強い。──了解。急ぐよ」


 入って来た通信に耳を貸し短く返事をした後、三人は暗がりへと駆け出した。
















「遅くなりました!」


 道中、第四部隊も追い付いてきて、クラサメが待機していた場所、G−1地点に合流。

 クラサメはそれには答えず、ウェイトのジェスチャーを示した。

 それぞれが近場の岩陰に隠れる。


 それを見た○○も後方にいるメンバーに待機の指示を出し、自らは姿勢を低く保ってクラサメの所へ駆け寄った。


『どう?』

「遊ぶな」


 直接とイヤホンからの二重の声に眉をしかめると、肩を竦めはしたが○○もさすがにすぐチャンネルを切った。

 あまり遊びはないようだ、と感じたらしい。


「いるぞ。デカい」


 耳を澄まさなくても唸り声と岩が砕けるような音が聞こえてくる。

 何かを感じ取っているのか、ターゲットも熱(いき)り立っているようだ。


「全員で動きを抑えた後、ステラが角をスナイプ、確保したら煙幕使用で退避、でいいんだよね?」

「ああ」

「頼んだわよ、リーダー」

「期待してるぞサブリーダー」

「ちょっと私がいつからサブリーダーに」

「じゃあ聞くが俺がいつからリーダーになったんだ」


 確かに。


「残念ながらあいつらは使えない」


 顎で反対側にいる二人を指す。

 第一部隊のクラサメ以外の二人だ。

 指示を与えても並の反応。期待以上の働きはしない。

 後半は指示を出す方が手間と考え、ほぼ一人と考えてここまで来た。


 そっちはどうだと目線で促され、○○は視線を泳がせる。


「指示を出せば、ちゃんと。うん」


 悪くないのだが、○○がサポートに回っていた。

 ステラのスナイパーとしての腕も、広くないこの洞窟では半減している。


「……頑張りますか」

「そうだ。頑張れ」

「ナニよそれ。他人事じゃないでしょ、あんたもよ」


 しらっとしているクラサメを見る。


「ここまで楽だっただろ。力を余している分、働け」


 言い返そうとする○○を遮り、クラサメはレディの掛け声を掛けた。
















 後方支援の弾丸で足止めを貰い、零距離だったベヒーモスとの間合いを広げる。

 ○○は詰めていた息を吐きだし呼吸を整えた。


 何度も切り結んでいるが、ブレイクサイトが短すぎて大ダメージが与えられないでいた。


「クラサメ! 見える!?」

「見える事は見えるが生憎ッ」


 体重が乗った爪を剣で受ける。


「手が塞がってる!!」


 ベヒーモスに張り付いて立ち回っているのは○○とクラサメのみ。

 他のメンバーは銃や魔法での支援だったり、回復・防御魔法でのアシストに回ってもらっていた。

 ブレイクサイトが見えてからの初動では遅すぎる。

 ……見えているかも怪しいが。


「てかさ!」


 ○○が叫ぶ。


「クラサメ下がってブレイクサイト狙ってもらった方が効率良くない!? 私こいつ初見だし行動基準わかんないもん!! 教科書でしか見た事ないんだけど!!」


 初見の格上モンスター相手にヘイスト無しでこの張り付いた立ち回り。

 しかも一太刀も喰らっていない。

 内心舌を巻く。


「それも手だがそうするとお前の負担が!!」


 考えてなかったわけでは無いが、単純に○○に掛かる負荷は倍だ。


「でもこれじゃあ!!」

「ああ!!」


 埓が明かない。


「……なるべく早く頼むわよ」


 ○○は汗で張り付いた髪の毛をかきあげ、にぃっと笑った。

 やはりそれしかないか。


「誰に向かって言ってる」


 一発目で決めてやる。

 負担なんか。


「任せろ」

「任せた」


 拳を合わせ、○○はキングベヒーモスの懐に飛び込んで行った。





 張り付いていた小蝿がいなくなり、他の獲物を探していたベヒーモスにファイアSHGをかまして注意を引く。


「こっちだ!!」


 唸り声を上げながら巨体を転換させる。


「そうよ、私だけ見てなさい」


 前足での引っ掻きをスライディングでくぐり抜けて対象の反対側へ移動。


「プロテス! オーラ! ヘイストちょうだい!! そこの二人はヤツが右足振り上げたら左足狙って!! 他の人もとにかく銃で足!! ダウン狙い!! 攻撃魔法はNGでよろしく!! ステラ、そっちにポジショニング移行!!」


 ベヒーモスの爪攻撃を細かい立ち回りで避けながら周囲への指示を飛ばす。

 クラサメの組み立てと同じだ。


 だが指示を待たず汲み取れというのがクラサメで、仔細に指示を飛ばすのが○○。

 ミッション中に迷子になるという快挙をやってのけても作戦隊長に選ばれるのにはこういった背景があった。


 下の成長を促す。


 全員に役割と責任を与えるのだ。


 その気配りはクラサメには無い。

 ここでこのサポートがあればと思いながら、思うようには動かないチームのメンバー失望する。


 口に出さなきゃ伝わらないわよ。


 いつかの演習で、○○のチームの動きを見た後に言われた言葉だ。


 お前は言わなくても汲んでたろうが。


 訓練生だったときはよく同じチームでミッションを熟した。

 実力からしてクラサメがリーダーに立つ機会が多かったが、正に欲するサポートをして寄越す。

 居て欲しいところにポジショニングをしていて、欲しいタイミングでサポート魔法。

 コンボが途切れるときも、絶妙なタイミングで切り込んできて、接近戦にもまわれる。

 そして何より、目配せをすると必ず視線が合った。


 切り込み特攻隊長みたいな性格をしているくせ、完璧なサポートをしてのけるのだ。


 自分の配下に置くならこいつだなと、訓練生ながらに思ったのは秘密だ。

 言ったら殴られる。


 そんな事を考えながら、構えた剣は隙無くブレイクサイトを狙って下ろさない。


 ○○は魔法を掛けてもらった礼やサポートの銃が決まったときの労いに逐一声を張っていた。


「喋りすぎだ馬鹿!! 口を閉じろ!!」


 息上がってんだろうが!


「馬鹿って言うな馬鹿って!! 失礼な!!」


 本末転倒だ。口を閉じさせたくて言ったのに言葉を返させてしまった。


 馬鹿野郎。


 じり、と広げた足を擦る。


 ブレイクサイトは、まだ見えない。
















 さすがの私も疲れてきたわよ。


 テイルスピンをぎりぎりでかわし後方に回り込んで時間を稼ぐと、頬を伝う汗を拳で拭った。


 周りの仲間に注意を向けさせないよう、常に張り付き、二十分程。

 ○○は動き続けていた。


 銃でのサポートは無駄弾も多く、ブレイクサイトには至っていない。

 それは動きの無いクラサメを見ても明らかだ。


 みんな頑張ってくれている。

 あと少しのはずだ。


 更に後方へ跳んで岩陰にいるステラに声を掛けた。


「いつでもイケるようにちゃんと狙ってるんでしょうね?」

「当たり前よ! もー嫌!! 怖い!!」


 泣き言は返ってくるがスコープから目は外さない。


 上等。


「もう一息よ!! 集中!!」


 ベヒーモスがその巨躯を翻す。

 その、○○との開いた距離。


 息を荒げ、前脚を擦るその動作は初見だ。


「なん……だ?」


 ベヒーモス。遠距離。遠距離。


「しゃくり上げだ!! 避けろ!!」


 思い至ったのとクラサメの声は同時。

 更にベヒーモスも力強く前脚を蹴り出したのも同時だった。


 えーっとえーっと、横に回避が基本!

 頭の中で広げていた教科書をなぞる。


 動作に結び付けようとするが、視界に入ったのは。


「くっそ!!」


 ○○は回避ではなく腕を交差させて防御の体勢を選んだ。
















「○○ッ!!」


 体重の乗ったキングベヒーモスのしゃくり上げを受け、小柄な身体が宙を舞う。


「重……ッ!! 大……丈夫! 生きてるわよッ!」


 舞いながら声の主を視界の端に捉える。

 なんて顔してんのよ。


 真下を見ると角を突き上げたキングベヒーモスはそのまま鋭い牙を見せて口を開けた。

 次の動作は。


「ッ!! 全員ウェイト!! ──クラサメッ!!」


 天井まで突き上げられた○○は身体を捻って逆さに蹴り返し、自ら牙へと突進していった。

 左腕を口内に突っ込むと、キングベヒーモスは巨大な顎を噛み合わせて壁へと叩き付ける。


 岩盤が崩れ、肺の空気が絞り出されたその一瞬、キングベヒーモスの動作が止まった。


 視界に煌めく氷剣。


 ベヒーモスの前脚を足場に飛び上がり、クラサメは角を断った。
















 下敷きになれば簡単に圧死してしまえそうな巨体が沈む。


 一同が詰めていた息を取り戻し、緊張の糸を緩めた。


「角ゲット〜。ステラ、よろしく〜」


 放物線を描いて舞った角を無事な右手で掴んだ○○は、それをステラへと投げ渡すと力無く隙間の開いたベヒーモスの口から左腕を抜いた。


「いたたたたたた」
「馬鹿野郎!! 無茶してんじゃねぇよ!!」


 クラサメは剣を納める事もせず開口一番に○○を怒鳴り付ける。


「いってぇ〜。あでも割と平気だよ、ほら」


 そう言って左腕の袖を捲り現れたのは。


「ガードエンブレム? ってやつ。耐性50%だっけ。すごーい」


 効果あるのね〜と左腕を動かす様は確かに大事ないように見られる。


「40%だ馬鹿。ガードエンブレムは貫通耐性。……確かにしゃくり上げには有効かもしれんが……」


 剣を納めて○○を睨む。


「いくら動きを止めるためだからってキングベヒーモスの口の中に腕を突っ込むヤツがあるか! 牙による殺傷は貫通じゃなく切断! 全ッ然意味無ぇよ!!」


 牙による傷がまだ浅いのは、単に○○の運に依るものだ。

 そこまで考えが至らなかったのか、数拍静止してぽりぽりと頬をかく。


「……計算ミス……」


 ……本当に数字とか計算弱いなこいつ。


「あ、ちょっと、ナニよその目! 私今回の功労者でしょ!? 労りなさいよ! 怪我人よ!」

「……労る人間は自分で選択する」

「酷いっ! 酷〜い! ねえステラ〜クラサメってこんなだよ? ケアルかけて〜……わっ」


 垣間見えたこれが素なんだよとステラに泣きつこうとした○○は回復魔法と共に抱き着かれた。


「……ステラ?」


 呼び掛けに返事はなく、肩越しに小さな謝罪と嗚咽が聞こえてきた。


「しゃくり上げ、かわさなかったのって、アタシが、いたからでしょ? ごめん……ごめんね○○……」


 確かに、寸前で視界に入ったのはキングベヒーモスに正面で構えられ腰を抜かしたステラだった。

 いなければ回避していたはず。

 しかし。


「結果オーライじゃない?」


 角も手に入ったし。





 ミッションクリア。





 と、続くはずだった言葉はベヒーモスの咆哮に遮られた。


 そういえば殺してない。

 ダウンを取っていただけった。


「リーダー! 先頭切って活路拓いて! 雑魚がまだいる!!」

「お前は!」

「こーゆーとき、サブはしんがりでしょ」

「……無茶すんなよ」

「入り口まで走るだけよ、大丈夫。行くよステラ、しっかり」


 肩を叩いて気付けをする。


「煙幕を張れ!!」


 轟き渡ったのは、二重の声。






















 ベスネル鍾乳洞入り口、A−12地点に設けられた拠点。

 モニターの稼動音以外に聞こえてくる音も無い中、何の前触れもなく現れたのは四天王だった。


「ご苦労」

「……ッ! ハッ!!」


 教官・副教官は椅子を蹴倒して起立、敬礼をする。


「活きのいい新人はいるか」


 洞窟内に於いてなお、太陽の光を寄り集めたかの如く光を放つ金色の四天王。

 その金の瞳を向けられた教官は更に天高く敬礼をする。


「ハッ! 只今ミッション中の者では1組のクラサメ・スサヤ、並びに5組の○○がまだ使い物になるかと!」

「そうか」


 聞いておきながらさして興味もなさそうなそぶりで腕を組み、モニターに近付く。


「なんだ、この点は」


 副教官は倒れた椅子を起こしモニターの前に差し出した。


「ハッ! 今回新たな試みとして導入されました、試作品ではありますがインカム並びに発信機であります!」


 興味があるのか無いのか。鼻を鳴らして出された椅子に座った。


 言葉が途切れる。

 気まずい沈黙が流れた。


「楽にしていいよ。任務じゃないから」


 後ろ手を組んで壁面の地図を見ていた柔和な四天王が、その空気を悟ったように言葉を掛けた。


 では何故。

 教官と副教官は視線を交わらせる。


「……四天王に欠員が出た」


 小さく、しかし重く、その呟きは洞窟内にこだました。
















 入り口まであと少し。

 雑魚を倒しきったクラサメは、マントを翻し今来た道を駆け戻っていた。

 すれ違う他の訓練生に檄を飛ばし、ひたすらに駆ける。


 おかしい。


 耳に当てているインカムからは他の隊長二人の声と雑音のみ。

 いつもの喧しい声がしない。


 まさか迷ってんじゃねぇだろうな!

 ほぼ一本道。分かれ道が二箇所しかないこの洞窟で。

 ぎり、と奥歯を鳴らす。


「クラサメくん!」


 煙幕のおさまりかけている前方にライフルを背負った○○のチームメンバーの姿を見付けた。

 クラサメを見付け、駆け寄ってくる。


「一人か! ○○は!!」

「角が!」


 クラサメも駆け寄りながら問い掛けると、脈絡の無い答えが返ってきた。


「○○は!!」


 肩を掴んで再び問うと、喘ぎながら言葉を紡いだ。


「角! あいつが縄張りから出てまで……追ってくるのは角を……取り戻そうとしてるからなんじゃないかって! ……○○が!」

「その角は!!」


 言いながら揺さぶるステラの手元を見るが、持っている様子は無い。


 まさか。


「引き付けるから……! 教官呼んできてって!」


 言いながらみるみる内に涙を浮かべる。


「泣いてる暇があるならさっさと呼んで来い!!」

「クラサメくんは!?」

「アイツだけに任せておけるか! どこで分かれた!!」

「D−9!!」


 言われた場所から先を展開する。

 追われているのだから引き返す事はしないはず。そこから入り口まででの分かれ道は。


「G−10か!!」


 遠くない。


「さっさと行け!! 走れ!!」


 言いながらクラサメも○○がいるであろう予測地点に駆け出した。
















「うわぁ〜ホントに角だったんだ」


 ステラにはああ言ったが、まさか本当にそうだとは。


「もしかしたらもしかするかもぐらいだったんだけ、どッ」


 薙ぎ払われる爪をかわす。


「しかも故障とか!」


 こんなときに○○のインカムは不調だ。

 ザーっという機械音しかしない。


「汗かいたからか!? 防水くらい基本でしょーが!! 使えないったら!!」


 最初は便利と言っていたにもかかわらず、一人を良いことにあっさり言を翻し存分に悪態をつく。


 ○○はひらすらキングベヒーモスから繰り出される突進やテイルスピンをかわし続けていた。

 怒りで動作も速くなっているし範囲が広がっているため、見切りが難しい。

 徐々に負う傷も増えてきた。


 しかし。


「あと少し。きっと来る」


 考え方が似ているとは思わないが、ミッションの同行を重ねる内に大分クラサメの思考が読めるようになってきた。


 獲物が自分一人のため、注意を逸らせない。暴れるベヒーモスをかい潜るのは今の○○では実力不足だった。


 耐えて待つしかない。


「だーもうっ遅い!」


 しゃくり上げを横へ回避して叫ぶ。


「来てやったのにその言い草は何だ!!」


 振り仰ぐと待ちに待っていた人物が息を切らして姿を現した。


「あら居たの!?」

「悪いかよ!!」

「遅いのよ!!」


 舌打ちをしてベヒーモスに向き直ると、クラサメは今まで聞いた事のない程の悪態をついて怒鳴った。


「元気じゃねえかよ!!」

「何よ瀕死だったら良かったわけ!?」

「インカムどうした!!」

「不調よ!!」

「使えない!!」

「意義無し!!」

「全く以って使えない!!」

「ちょっと待ってそれどっち!? ねえそこすごい重要!!」


 ……待っていたはずなのに。

 何故か怒鳴り合いになってしまった。


 ○○とクラサメの間に極太の尻尾が叩き込まれる。


「ところで怒鳴りあってる場合じゃなくない!?」


 キングベヒーモスが唸りながら胴体を回転させた。


「確かにな!!」


 口からは不気味な赤い蒸気。もう手には負えない。

 連れて帰る事になってしまうが仕方がない。ミッションの目的である角も手放すわけにはいかないのだから。

 何とか出し抜けば、後は上長が何とかしてくれるだろう。


「煙幕あるか!!」


 クラサメはとっくに使い切っている。


「そんなのあるわけないでしょ!!」


 聞いておいて何だが、残していたら何故使い切ってないと怒鳴る所だ。

 暴れ狂うキングベヒーモスの爪をかわしながら考えを巡らせる。


「クラサメ! あれは!?」

「どれだ!」

「アイスファイア!」

「ショットガン同士だぞ!!」

「でも煙幕無いしそれしか!!」


 また選択肢は無い。

 先程○○に立ち回りを託したのと同様に。

 選べる選択肢を持っていない。


 全ては自分の無力故に。


 再び大きく悪態を付いて踵を踏み鳴らし、抜刀していた剣を納める。


「頼むから壁には当てんなよ!!」

「そっちこそ! 全弾命中させてよね!!」


 言いながら既に魔力を溜めていた○○はファイアSHGを放った。






















「ほう」

「ヤるね〜」


 前方から感じたぶつかり合う魔力の気配に、金色の四天王は形の良い眉を跳ね上げ、漆黒の四天王は口笛を吹いた。


「どうよボス」

「悪くない判断だ」


 悪くない。

 それは目の前の人物の中では最大級の誉め言葉だ。


「俺出番無いかもな〜。貸し一つ、かー……。いつ返せんだろ。ッあー気持ちワリッ」


 大きく伸びをして帽子の上から頭をかく。


「どうだかな」

「お?」

「行け」

「ラジャッ」


 派手な光と音を残して漆黒の四天王は姿を消した。


「あれ、ヘッド必要?」


 岩に腰掛け、ほお杖を付いていたもう一人の四天王が意外そうな声を上げた。


「お前も必要かもしれん。油断するな」


 自らの得手である大剣を地面に突き刺し見つめ続けているのは前方の暗がり。洞窟の奥。

 視界からの情報は無くとも空気中を伝うファントマの気配や魔力の分子から察する事は、四天王に取っては容易い。

 岩盤を抉(えぐ)るような音がだんだんと近付いてきてもいる。


「ひよっこに回復魔法の正しい使い方を教えてやれ」

「かしこまり」


 小首を傾げて岩から腰を上げ埃を払うのと、○○を担いだクラサメが現れたのはほぼ同時だった。


「はいはーい、治療しますよ〜」


 曲がり角を曲がったところで、本来ならば出会(でくわ)すわけのない面々がいた事にクラサメは足を止めた。

 ぱたぱたと近付いてくるのは藤色の真っすぐな髪の人物。


「四天王……」


 肩を上下させながら気を失っている○○をそっと降ろす。


「また酷い傷だねぇ。でもま、ケアルで充分でしょ」


 詠唱時間零で繰り出される淡い光。

 途端に○○の傷は癒え、小さく呻いた。


「あ、の……何か」


 呼吸を整えようとはしているがそれにはまだ時間が足りない。息が上がったまま、金色の四天王に問い掛ける。


「何かの、任務中……でしたか……」

「気にするな」


 昨日ほどの刺々しさは無くなっているが、やはり反応は冷たい。

 クラサメが言葉を紡げずにいると、閉じていた瞼を開け易々と固い地面に突き刺していた大剣を抜いた。


「退け。それもだ。共に斬られたくなければ」


 それ、と顎で指されたのは薄目を開けた○○。

 介抱していた藤色の四天王はすでに場所を移し手頃な岩に腰掛けていた。


「○○、大丈夫か」


 返ってきたのは小さな笑みと吐息。

 肩を貸してその場を離れる。


 金色の四天王を通り過ぎたとき、耳障りな金属音と共に岩盤が崩れ落ちた。


「お連れしましたよッ……とォ」


 その声に半身振り向く。

 先程○○とクラサメの前に現れた漆黒の四天王だった。


「んじゃま、後はよろしくね、ボス」


 すれ違い様にボスと呼ぶ金色の四天王の軽く肩を叩いてひょいひょいとクラサメの所まで来た漆黒の天王は、体を屈めて○○の顔を覗き込んだ。


「おいおい……生きてっか?」

「御迷惑を……」

「気ィにすんな。これでプラマイゼロだって」


 キングベヒーモスをたった一人であしらって○○とクラサメの退避時間を稼ぎ、尚且つ息の乱れも無い。


 そこではたと気付く。

 キングベヒーモスを殺してない。

 そして先程の言葉。


 後は任せた。


 思い至ったのと岩盤の破砕音はほぼ同時。

 咆哮をあげ、キングベヒーモスが姿を現した。


「しつこいな……!」

「見てな」


 ベヒーモスとの間にいた漆黒の四天王が身体をずらす。


「これも実践勉強の一つだよ」


 笑顔を絶やさない藤色の四天王もクラサメに声を掛けた。


「……ラサメ」


 隣からか細く○○が名前を呼ぶ。


 ベヒーモスの唸り声に紛れて聞き取れない。口元に耳を寄せる。


「わたしも、見たい……」


 こんな状態で。

 さっさと帰院して医務室に連れていきたいのに。


 心の中で毒づきながら、壁にもたれさせ首を支えてやる。


「見えるか」

「ん、ありがと……」


 視界には、唸り、涎を撒き散らすキングベヒーモスと、金色の四天王。


「見ていろ若造共」


 足を大きく開いて大剣を斜に構える。


 数拍の空間を作ったのち、短く呼気を吐き出すと流れる一筋の金色の光となった。
















「一撃……」

「キルサイト……!」


 断末魔の咆哮を上げ、今度こそキングベヒーモスは物言わぬ死体となった。


 見えなかった。

 意識が朦朧としている○○だけではなくクラサメにすら。

 キルサイトはおろかブレイクサイトさえ。


 これが朱雀四天王。

 アギトを目指して日々を送る候補生の頂点。


 確かに同じ人間とは思えない。

 思いたくない。


 実力差が。


「ありすぎるだろ……」


 追い付ける気がしない。


「すごいね……とおいな……。頑張ろね」


 名前を呼ばれて、支えていた○○を見る。


 これを見て意欲が増すのかお前は。


 道の険しさに眩暈すら覚えるのに。


 負けてたまるかと、昨日誓ったばかりだったのに。


「……そうだな」


 ○○が行くのであれば俺も。


「でもごめん、いまは……」

「ああ。寝とけ」


 瞼に手をあてがう。

 目を閉じる最後まで○○の瞳には金色がうつっていた。

 痛々しく残る吐血の痕跡。口の端に流れた血を跡を拭ってやる。


 帰るぞ、○○。


 再び○○を担ごうと立ち上がったとき、金色の四天王から声が掛かった。


「先程のファイアとブリザドの融合はどっちの発案だ」

「……○○です」

「今回が初か」

「……以前に一度。そのときはブリザドボムにファイアライフルを当てた簡易な代物でしたが……。何か」

「先程はショットガン同士だったな」


 思いがけない言葉にクラサメは目を見張る。


 種類まで分かるのかよ!


 音や気配で属性は判別出来るとして、ミサイルやライフルといった種類の判断は難しいはずだ。


「洞窟を破壊しかねない、危険な行為でした。申し訳ありません」

「別に咎めているわけではない。後者に放ったブリザドがお前か」


 答える代わりに名前を返す。

 なんだ。なにで引っ掛かっている。金色の瞳を正面に受けて、尋問されているような気さえする。

 腕を組んで何かを思案していた金色は、思い付いたように口を開いた。


「ところでこいつの血肉はいらんのか」


 構えていたのに全然関係無い話だった。


「只今他の候補生を寄越します……」


 そういえばミッションの加点になる。

 切っていたインカムの回線を開いた。

 飛び込んできた大音量の声に眉をしかめつつ短く指示を出すと、再び切る。

 いろいろ詮索されそうで面倒だ。


「お前は」

「申し訳ありませんが」


 ○○を肩に担ぐ。


「荷物がありますので」


 喋っている時間が惜しい。

 早く帰院させてくれ。






















 ベスネル鍾乳洞から帰還して二日。

 学院に帰還する最中もメンバーから質問攻め、次の日の平常通りの授業でも隙あらばクラスメイトに囲まれていた。





「四天王見たって聞いたけど本当!?」

「メロエの街では血まみれでご登場とか!」

「何話したんだよ!」

「あの難易度のミッションクリアしてくるなんてすげーな」

「メロエどうだった〜?」

「○○、大怪我負ったんだって?」

「キングベヒーモスがハゲてるって本当?」





 八割方何度も答えた質問だ。

 いっそ掲示板にでも貼り出した方が早いかもしれない。


 レポートを書きながらクラサメは溜め息をついた。


「ああ見た。ミッションを終えてきたんだろうな、返り血だらけでの寄宿であられた。特に個人的に会話はしていない。ミッションはキツかった。メロエはいい街だし○○の怪我はかすり傷。キングベヒーモスはふっさふさだ」


 後半になる程返しは適当だ。

 一気に言い終えるとガタンと席を立つ。


「悪いが、急いでいる」


 素早くかばんを持ち、早足で教室の扉へ向かう。

 追い掛けてくるクラスメイトを遮るように扉を閉め、すぐに魔法陣を起動してロビーへと渡った。


 さて。どこへ逃げよう。

 一番縁遠いとされているチョコボ牧場か。


 あまり時間は無い。


 大魔法陣に向かって大股で歩みを進めていると聞き馴染みのある声で呼び止められた。


「エミナ」


 振り返ると手を振りながら駆け寄ってくるエミナの姿があった。


「大変そうね。私まで聞かれたわよ」


 おどけたように肩を竦める。


「丁度良い。エミナ、次授業か」

「え? うん、そうだけど……どうしたの?」

「じゃあ部屋のキー貸せ」

「ええ!?」

「匿ってくれ。クラスメイトだけじゃ飽き足らず教官からも質問攻めなんだ」

「ちょ、ちょっと待って!」


 くるりとクラサメに背を向け、両頬に手を当てて今朝方の部屋の様子を思い出す。


 下着、干したままにしてなかったわよね。ベッドメイクもきちんとしたし、机の上も……あ、雑誌開きっぱなし!


「エミナ」


 クラサメに急かされ、上目遣いでしぶしぶカードキーを渡す。


「変なトコ、見ないでよね。クローゼットとか、開けちゃダメだからね!」

「……それは開けてくれということか?」

「馬鹿っ!」

「冗談だ、開けない。借りるぞ」

「次の授業終わったら戻るから!」


 寮へと続く魔法陣に向かう背への呼び掛けにクラサメはカードを振って返した。


 クラサメは次の授業が無いというだけで他の生徒は授業中という事もあり、誰ともすれ違う事なくエミナの部屋まで来る事が出来た。


「エミナが一人部屋で助かったな」


 さすがに二人部屋だったら選択肢には入らない。

 クラサメも一人部屋ではあるが、そこにはクラスメイトではなく部屋が近い生徒が押しかけてくる。

 逐一出るのも億劫になり、昨夜は居留守を使っていた。


 息をついて定位置となっているソファーに腰掛け、かばんを開きミッションのレポートに取り掛かる。


 特にする事もないしな。


 インク壷を借りるため机に向かうと、開かれたままの雑誌に目が止まった。


 こういうの読むのか。


 インテリアが掲載された雑誌。

 何箇所か、角に折り目が入っている。

 中身は飛ばして、パラパラと折り目の付いたところだけを開く。


 レポートに手を掛けずしばらく雑誌を見ていると、静かな室内に廊下からの軽い足音が聞こえてきた。

 そんなに読み耽っていたかと時計を見ると授業開始からまだ二十分と経っていない。


 サボったのか?


 他の生徒は授業中のはず。

 こんな半端な時間に部屋に帰ってくるのはエミナしかいない。


 雑誌を閉じて扉へ向かう。


 エミナだと疑う事無く開けたのが間違いだった。





 そこにはノックをしようと右手を上げ、変な顔でこちらを見る○○がいた。





 しばらくお互いに見合ったまま、身動きが取れないでいた。


 先に動いたのは○○。

 数歩下がって部屋番号を確認する。


「……間違ってないぞ、エミナの部屋だ」


 そもそも女子寮。クラサメの部屋であるはずが無い。


「……もう体調はいいのか」

「あ……うん、今さっき出てきたとこ……」

「……とりあえず、入ったらどうだ」

「……とりあえず、お邪魔します」


 部屋主ではないが勝手に○○を部屋にあげる。怒られる事は無いだろう。


「エミナは?」

「授業中」

「クラサメは?」

「今日の講義は終わった」

「……なんでエミナの部屋にいんの」

「……クラスメイトを撒くためだ」


 短く繰り返される質疑応答。

 なんだか微妙なのはここがエミナ不在のエミナの部屋だからか。


「お前は医務室で爆睡してたから知らないだろうけどな、大変なんだ四天王に関する質問が」
「あーッそうだ四天王!!」


 お前もか。

 突然の大声に耳を押さえる。


 人の部屋で急にデカい声出すんじゃねぇよ。


「ねぇクラサメ、ビャクヤさんと喋った?」

「ビャクヤ……?」

「全身真っ黒い人!」


 ああ。……あの人。


「いや。どうかしたのか」

「謝らなきゃいけないコトが……!」


 眉間にしわが寄る。


「……何で名前知ってるんだ。接点無いだろ」


 何やら○○は唸りながらソファーに座り、頭をかいて散々迷った挙げ句クラサメを呼び付けた。

 向かいに腰を降ろして身を乗り出す。


「ミッション前日、貸してくれたの……あのガードエンブレム」

「はあ? いつ」


 ホテル前で初見のときは、ボスと呼ばわれていた金色の四天王の記憶しか無い。

 名前はおろか、物の貸し借りなど。


「ぇーと……夜中?」


 ○○はごにょごにょと言葉を濁した。

 思い至る節にクラサメは目を見開く。


「まさか変質者って……!」

「わーッ声が大きいよ!」


 止める○○の方が声がデカいのはいつもの事。


「やっぱりそうなるよね? ビャクヤさんイコール変質者ってなっちゃうでしょ?」


 だから言えなかったんだよぉ〜と、ソファーの背もたれに崩れる。


 真夜中の女子の部屋に! 窓から忍び込んで! アクセを押し付け! 名前を名乗り! 耳をかじって去っていくヤツのどこがッ!!


「立派な変質者だろうが!」

「助けてもらったじゃん! クラサメ酷いッ!」

「酷くない!! それとは話が別だ!!」


 助けてもらいはしたが、“変態の”という枕詞がクラサメの中で付け足された。


「でね、でね? 借り物なのに壊しちゃったみたいなの!」


 でね、じゃねえよ。

 その話はいいのかその話は。

 頬を引き攣らせる。


「武装研のカタログに載ってなくて……。どこに売ってるんだろ……高いのかな。むしろ買えるのかなあ!?」


 涙目になりながら本気で心配している○○。


 クラサメは背もたれに肘を乗せて溜め息を付いた。


 エミナ、早く帰ってきてくれ。

 一緒に説教しよう。


 力無く時計を振り仰ぐが、針は遅々として進んでいなかった。

 そんなクラサメの心境など露知らず、○○はしばらくの間、問い掛けとも独り言ともとれる言葉を発していた。


「どうしよう……次に会ったとき莫大な金額請求されたら……。ありえないようなミッションの報酬とかだって考えられるわよね。メンテとか出来ないのかな? ……どうしよう……どうしよう! いやーッ」


 適当に相槌を打ちながら両肘を背もたれに乗せる。


 重傷負ったくせに貰い物のアクセの心配かよ。

 自分の心配しとけ馬鹿。


「……気にしなくていいんじゃないか」


 久しぶりのまともな言葉に、○○は上目遣いでクラサメを見た。


「覚えてないのか。最後にあの人、プラマイゼロだ、って言ってたんだ。可愛い後輩へのプレゼントみたいなもんだろ」


 例え馬鹿高いとしても。


「投資だ投資。金もあるだろうしな。気にする事はない」


 さもクラサメが貸したかのように言い切る。


「……繋ぎも取れないしね……」


 幻の0組と並び立つくらいレア度は高い。

 噂には聞いていたが、四天王なんて入学してから初めて遭遇した。


「じゃあお守りにしよーっと」


 立ち上がって伸びをする。切り替えが早いのは長所の一つだ。


「エミナも居ないし、私帰る。これ二人で飲んでいいよ」


 テーブルに出された紙袋。

 中には飲み物が二つ。


「エミナとお茶しようと思ってリフレッシュルームに寄ってきたんだけど。あげるよ」


 後ろ手を組んで扉へ向かう。


「怪我、もう本当にいいみたいだな」

「そう、聞いて! 全っ然大丈夫! さっすがだわ……。医務の先生に聞いたけどケアルだけなんでしょ?」


 魔法で傷は治せても疲労は回復出来ない。長引くミッション中は身体を騙してハイにしてるだけだ。

 だから○○は、怪我が治っても気絶したわけなのだが。


「お前の言う大丈夫は当てにならんからな。酷い目に遭った。もう二度と信用してたまるか」

「ひっど! それケアル掛けてくれた四天王にも失礼!」


 怪我の完治は喜ばしい事だが、全快だとやはり喧しい。


「レポート提出忘れるなよ。お前の期限は三日後だ」


 溜め息と一緒に追い払うように手を振ると、○○は重い返事をして部屋を出ていった。
















 ○○の去った室内は先程よりも更に静かに思える。


 開かれたままのレポートは進んでいない。クラサメは背もたれに身体を預け、空を見ていた。






















「頼むから壁には当てんなよ!!」

「そっちこそ! 全弾命中させてよね!!」


 魔力を存分に込め放たれたファイアSHGに、クラサメはブリザドSHGを全弾命中させた。


 相反する魔法同士がぶつかる。


 途端に視界は水蒸気で覆われた。


「今のうち!」


 魔法を放つ前に確認しておいた入り口への道に走る。


「お前! 一つ壁ぎりぎりだったぞ!!」


 濃い水蒸気の中から隣に来たクラサメが怒鳴る。


「いいじゃん当ててくれたんだし!! 褒めて欲しいの!?」

「煩いッ」


 そんな軽口も続く轟音に妨げられた。

 姿の見えないキングベヒーモスだが、狂ったような咆哮と岩盤が崩れる音がする。


「くそッ暴走突進か!!」


 一際大きな轟音。どうやら近かったようで頭上の岩が崩れ落ちる。


「わっ」
「○○ッ」


 岩は回避したが、避けた先で運悪くキングベヒーモスの踏み付けを喰らった。

 その重量を真に受けて血を吐く。

 背骨も嫌な音がした。


 キングベヒーモスが○○とクラサメを見失っているのは良い事なのか悪い事なのか。

 踏み付けた事も気付かないベヒーモスからはすぐに解放された。

 しかし、地べたに倒れたまま起き上がれない。


 次に来たら。


「○○ッ!!」


 圧死してしまう。


 力が入らず震える腕でなんとか起き上がろうと顔を上げたが、濃い靄の中視界にうつったのは赤く光る眼光。


 まず、い。


「○○!!!」

「ッビャクヤ……さんッ!!」


 耳につんざく雷鳴。


 呼んだ名すら掻き消されるような轟きの中現れたのは。


「これでチャラだぜ?」


 歯茎を剥いて肉食動物のように笑う漆黒の四天王だった。
















「おい、そこの候補生!」


 両腕から幾筋にも放たれたワイヤーでベヒーモスと力比べをしながらクラサメを呼ばわる。


「この子連れてもうちょい走れ! 先にボスがいる!」


 突如現れた人物に動けないでいたクラサメは、その言葉に金縛りを解いて○○に駆け寄った。


「○○!」

「だいじょ……ぶ、ごめ」

「喋んな!! 背骨イってんぞ!!」


 言葉をぶった斬り怒鳴り付ける。

 全く大丈夫ではない。


「担ぐぞ……歯ァ食いしばれ!」


 クラサメ自身も顔をしかめながら一気に肩に担ぐ。

 くぐもった悲鳴を上げて○○は気絶した。


 会話中も雷鳴は止まない。


 突然現れた四天王が危機的状況を救い、ベヒーモスの暴走を止めてくれている。

 何故かはわからない。どうやって現れたのかもわからない。


 理解出来ることはひとつで、そしてそれは唯一の望みでもあった。


 ──ここからの離脱。


「御前失礼致します!!」


 黒ずくめの人物に叫んでクラサメは走り出した。


「最近の若いモンは躾がなってるなァ」


 聞く耳を持たないキングベヒーモスに向かって漆黒の四天王は独白した。






















 カタン、とテーブルに何か置かれる音がした。


「ごめん、起こしちゃった?」


 目を開けると向かいのソファーにエミナがいた。

 今置かれたのは○○が持ってきた飲み物のようで、クラサメの前にはブラックコーヒーが手付かずで置かれていた。


「いつもに増して眉間にしわが寄ってたわよ?」

「寝てたのか」

「今私に気付いたくらいには」


 お疲れなのねとエミナはクラサメの前に広げてあったレポートを手に取った。


「エミナ」


 名を呼びソファーを叩く。


「なに?」


 どうやら来いという事のようなのでクラサメの隣に移動する。


「あら」

「寝る」


 ひざを借り、目を閉じた。

 自分が思っているより疲労は溜まっていたようだ。


 全部あいつのせいだ。


 身の危険を感じて叫んだ名前は、どこにいるかもわからない四天王。

 傍にいたクラサメではなかった。


 そんなに、頼りないか。


 奥歯を鳴らす。


「やだ歯軋り?」

「寝てない。嫌な事を考ただけだ」


 頭に乗せられる温かい手。

 時折レポートをめくりながら髪を撫でる。


「エミナ」

「ん?」


 気をつけろ。


「あいつの言う大丈夫は」


 信用するな。
















end
後書き



数日後──










「異議のある者はいるか」


 大きく取られた窓から日差しが降り注ぐ中、四天王は一つの部屋に集まっていた。


「いいんじゃねーの?」

「とりあえず加えないとこっちの身が持たないよ」


 背もたれに腰を掛けているのは黒づくめの青年。

 ソファーに座って頬杖をついているのは藤色の髪の人物だ。


 いるのは三人。

 一人、欠けていた。


「突貫だろーが穴は埋めにゃあマズいっしょ」

「上からの仕事量は変わらないからね。本当……考えてほしいよ」


 無理無理、と黒づくめは笑った。

 三人に掛かる負担は増えていた。


「では二月(ふたつき)後の遠征に加えろ」

「あれ、すぐに引き抜かないんだ?」


 意外だというように目の前の人物を見遣る。

 二つの視線をその身に受けた人物は、フンと鼻を鳴らして脚を組み替えた。


 いくつか、言葉を交わした。


 ファイアにブリザドをぶつけ、水蒸気を目隠しに使用した判断は評価に値する。

 だが、発想はと問うと自分では無いと言う。


「甘すぎる。気絶している者に手柄をくれてやる必要は無い。そんな甘い考えの人間なんぞ加える意味も無い」


 特定の人物が共にいなければ発揮されない力など。


「無意味だ」


 強い視線。

 睨む先は二人ではない。


「引き離して見極めるぞ」


 了解、と二人は短く返事をし、藤色の四天王は書類にペンを走らせた。


「提出してくるよ。通達もお願いしちゃっていいんだよね?」

「構わん」


 その言葉を聞いてひらりと手を振り出ていった。


「厳しいっスねえ」


 茶化すように言って近付き、高い背もたれに腕を掛ける。


「慎重にもなるさ。簡単に死なれては困る」


 四天王が欠けるのは、加わってから初めての事だ。

 情が厚いとは思わないが、行動を共にする仲間に死なれるのが辛くないわけない。


「殺しても死なない仲間が欲しいよ」

「無茶ゆーなって」


 俯いているその頭を撫でる。


「殺したら死ぬだろうけど、しぶとくなってもらいますかね」

「ああ。精々叩き上げてくれ」


 加えたミッションまで、まだ二ヶ月ある。


 行き先は龍神の聖域。










END