Fight club 

 








 






 クラサメはテーブルに広げられた書面にちらりと視線を向け、脱力感に苛まれながら背もたれに身体を預けた。

 対面にいるエミナと○○は重い溜め息と共にクラサメに差し出された書面を順に読んでいる。


「お気の毒さま……」

「でも大抜擢じゃない?」


 最後の1枚を読み終えたエミナは天を向いているクラサメに労いの言葉をかけたが、それに続いた○○の言葉は軽かった。


「本当にそう思ってるなら替わってくれ」

「いや親展だし。ご指名頂いたのはクラサメでしょ」


 ストローに口をつける○○を軽く睨んで再び書面に目を落とす。


「俺が何したっていうんだ……」






















「自分が、ですか……」


 廊下で呼び止められたクラサメは、教官から書類が入った封筒を差し出され納得がいかないながらも受け取った。


「大変名誉ある抜擢だ。気を引き締めて事に当たるがいい」

「あ、の!」


 渡すだけ渡してさっさと帰ろうとする教官を呼び止める。


「理由、は……。何故、自分が選ばれたのでしょうか……」

「俺は渡すように言われただけだ。それに書いてあるんじゃないか」


 返ってきた言葉は素っ気なかった。手元にある封筒を見るとまた教官は歩みを再開する。

 縋るように口を開いたが、掛ける言葉も教官が答えを持ってないのもわかっていた。


「怠惰は許されないが、多少の授業やレポートは考慮してやるぞ」


 教官、それは優しさではありません。


 言葉の裏を読み取ったクラサメは溜め息をついた。

 要するに免除が適用される程厳しいというわけである。






















 何度も読んだが理由は書かれていない。


 謎だ。何故、名指し。

 接点など、この間の任務一度きり。それもすれ違った程度のものと言っていい。


「この間四天王にお目通りしたとき、何かあった、とか?」


 ケーキを一口食べながら考えこむエミナ。

 クラサメも考えた事だ。

 それ以外に思い当たる節はないのだから。

 だが。


「……なにも」


 唯一の接触の中でさえ、理由は捜し当てられない。

 メロエの街で任務後であろう四天王と初めて会い、次の日にベスネルで手を借りた。


「何か会話してないの?」

「アイスファイアの発案はどっちだ、とか、ベヒーモスを剥ぎ取らないのか、とか……それくらいなんだが」


 会話らしい会話をしたのはそこのみ。


「う〜ん……なんでかしらねえ……」


 エミナもほお杖をついて考える。


「期待されてるんじゃないの? 見込みあり、って思われたんだよきっと」


 音を立ててドリンクをすすった○○は飲みきった紙コップをテーブルに置いて唇を尖らせた。


「くそぅ。私のびてたからなあ……」

「仮にそうだとしてもだ。キングベヒーモスにすら苦戦する候補生を加える必要がどこにある? 順序ってものがあるだろ」


 切実な様子のクラサメから視線を落とし、エミナは書面をつまんだ。


「次の任務に於いて、クラサメ・スサヤに従属を命ずるものとする。つき・火の月23日、ところ……龍神の聖域」

「え? マジで? クラサメ、龍神の聖域に行くの?」


 降って湧いた第三者の声に三人は同時に振り仰いだ。


「ケント君」

「よ」


 飲み物を片手にテーブルに手をつく。


「なになに。なんでよ。いつから?」

「再来月末から。予定では3週間だ」


 うひー、と言いながらストローを噛む。


 龍神の聖域。

 世界地図の端の端にあるような場所だ。


 そんな辺境の地へ赴くというクラスメイトを心配しているのかと思えば、彼の懸案事項は全く別のところだった。


「マジかよ。クラサメいねえ間俺のノートどーすんだよー」

「知るか。いい機会だ、自分で付けろ」


 ケントはクラサメと同じ1組だ。

 ノートを写させろと毎回クラサメを頼ってくる。


「被ってるやつでよければ私貸すよ?」


 申し出たのは○○。


「本当? 助かるー」

「甘やかすなよ……」

「でもレポート手伝ってちょうだい」


 ……甘やかしたわけではなかった。

 どうやら利害の一致を求めた下心があっての申し出。

 それに安請け合いしたケントは再びクラサメに向き直る。


「しっかし大変だな。授業にレポート、来週にはテストもあるだろ」

「いくつかは免除になるらしいがな」


 当然よねぇとケーキを食べるエミナに対して、やたら食いついたのは二人。


「羨まし!」
「いいなー!」


 揃いも揃って。

 本当に思っているのだろうか。

 授業を受けている方がよほど楽だ。


「それ程過酷な任務って事だろ。いいもんかよ。何度も言うが、替われるものなら替わってくれ」


 龍神の聖域だぞ、とクラサメは手の平に顔をうずめた。

 明らかにレベルが違う。実力不足は否めない。

 無駄死にさせるために連れていくわけではないだろうが、実力を計るにしてももっと適所が。


 死んだらノーウィングタグは回収してくれるのだろうか。

 ボス、と呼ばれていた金色の四天王の瞳を思い出す。


 ……回収すらしてくれなさそうだな。


 クラサメが溜め息をついたと同時に予鈴が鳴った。


「行かなきゃ」


 ○○は空になった紙コップをダストボックスに放り入れ、立ち上がった。


「それじゃまたね」


 沈むクラサメとは対照的に、どこまでも軽く○○は魔法陣へと消えた。





















「クラサメ? 入るよー」


 いるはずなのだが何度ノックをしても返事が無い。

 しばらく待ってみたのだが扉が開く気配もないのでそろりと押し開く。


 窓から入る月明かりのみで、明かりはついていなかった。

 カーテンも引かれていない。


「もう寝てるの?」


 ○○は先程夕食を食べてきたところだ。

 眠りにつくにはまだ早すぎるような時間だが、薄暗い中、明かりを点けずに中を見渡す。

 視線が止まったのはベッド。


「……クラサメ?」


 倒れ込むように横になっていた。

 何事かと思い、急いで駆け寄る。


 息はしている。規則正しい寝息。

 どうやらただ寝ているらしい。


 にしても。


「なんでこんな状態で?」


 制服のまま靴も脱がず、かばんはソファーに投げ出されたままだ。

 しかも掛け布団の上に横になっている。


「風邪ひくよー? おーい起きろー」


 呼んでみるが反応はない。

 仕方ないので反対側から掛け布団でくるみこむ。


「……全然起きないし」


 しゃがみ込んでほお杖をつく。


 眉間には深いしわ。

 ……これはデフォルトなのだろうが。

 しわを延ばそうとすると、急にバチっと目を見開き飛び起きた。

 が、再びうずくまる。


「いッてぇ……」

「ちょっと大丈夫? 怪我?」


 さすろうと手を伸ばすがどこがどう痛いのかわからない。

 黙ったままのクラサメに、○○も手を動かせないでいた。

 ゆっくりと、顔だけを○○に向ける。


「お前か。……勝手に入ってきたのか。なんの用だ?」


 首をさすりながら上体を起こしたクラサメは○○を一睨みすると緩い動作で部屋の明かりを点け、冷蔵庫まで行ってミネラルウォーターを取り出した。

 そのままもたれ掛かって口に含む。


 そのいつもとは違う様子に○○は怪訝な表情で首をひねる。


 なんの用だ、ですって?


「……頼まれてたノート、持ってきたんだけど」


 出てなかったから、と差し出されたのは同じ履修の授業ノート。

 確かに借り受ける約束をしていた。

 取り付けたのは。


「……悪い。忘れてた」


 クラサメ自身だ。


「……いいけど」


 肩を落とすクラサメに声を掛ける。


「あんた大丈夫? ……には見えないんだけど」


 なしたの? 怪我? 具合悪いの?


 のそりと視線を向けるクラサメの顔には疲労感が濃く見えた。瞳にも覇気が無い。

 理由がわからないので眉は寄ってしまうが心配ではある。


 一体どうしたというのだろう。


 溜め息をついたクラサメは、ぎこちない動きで机に向かい一枚の紙を持って戻ってきた。

 首を傾げる○○に突き出す。


「今日で、6日目」


 言いながらベッドに座り、そのまま仰向けに上体を倒す。


 ○○はクラサメから紙に目を向けた。





・チェストプレス
・ローロー
・アブドミナル
・レッグプレス
・レッグカール
・アームエクステンション
・カーフレイズ
・スコーピオン
・クランチ








 つらつらと書かれているのは筋力トレーニングのメニュー。

 しかもセット数が半端ない。

 軍隊並だ。

 しかも新人を篩(ふるい)に掛ける程のレベル。


「あんたコレ毎日やってんの!?」


 振り返るとクラサメの手がふらりと上がった。


 プラス、プッシュアップ・シットアップ・スクワット各100回。


 投げやりに付け加えたクラサメは、上げた手を力なくベッドに横たえた。

 もはや嘲笑さえ含んでいる。


「そりゃ死相も出るわ……」


 この疲れようにも納得だ。


 お疲れ、と投げ出されている太ももを叩く。

 その手の平に感じる熱。


「ちょっとあんた! 嘘でしょ!?」

「お前ッ何乗っかってきてんだよ馬鹿!」

「馬鹿はあんたよ! おとなしくしてなさいったら!」


 顔に髪がかかる距離で睨みつけられる。

 起き上がろうにも肩を抑えつけられている。

 腹筋に力は入らない。


 脱力したクラサメの肩や腕、胸や腹に手の平を移していく○○。


「なんだってんだ」

「信じられない! どこもかしこもパンプアップしてんじゃないの!」


 言うなり制服のジャケットを剥ぎ取ろうとする。


「剥くな!」

「メンテナンスしてあげるっつってんのよ!」


 おとなしく上着脱いでそこに直れ!!

 尋常ではない迫力でビシィと指をさす○○に、もはや抗う気力も体力もクラサメには無かった。
















 俯せに寝そべるクラサメの脚にマッサージを施す。


 聞けば、あれだけの運動量をしておきながら軽いクールダウンとシャワー後のリンパマッサージだけしかしていなかった。


 あのメニューは四天王から言い付けられたのだという。

 ベスネルで○○を治療した藤色の四天王から。


 授業終わったらここ来て。


 クリスタリウムで前触れもなく現れた彼から一枚の紙を渡され、行ってみると器材が揃った初めて訪れる一室だった。


 手を振る藤色に迎え入れられ、説明もなく強制的にウォームアップ。


 それじゃあレッスンいってみよー。


 訳もわからず次々と機器の前に連れられ言われるままにメニューを熟す。


 小休憩を挟みながら約2時間。

 筋肉に負荷を掛け続けた。


 へばる身体を立ち上がらされ、最後にクールダウンを付き合ってもらう。

 その間、部屋に戻ってから行うボディメンテの要点を言っていたが、その頃にはもう右から左だ。


 なんだ、これ。


 呟いた言葉は思わず拾われた。


 ん〜叩き上げられ中?


 教官より通達を受け賜った翌日から、そんな日々が毎日続いた。


 講師は毎日違った。

 藤色だったり漆黒だったり。二人だったり。

 一度だけ金色も。





 寝てもいいと言っておいたが、このような状態になった理由をぽつぽつとクラサメは話してくれた。


 しかし、次第に言葉数が少なくなり、疲労困憊だったクラサメはすぐに寝息をたてはじめる。

 ゆるゆるとマッサージをフェードアウトし、布団を掛けた。

 眉間のしわは見なかった事にしておこう。


 ドアに鍵は掛ける事は出来ないが、気にせず○○は部屋を後にした。

 徴集命令が下ったと、エミナと○○に話してくれた翌日から始まったらしいトレーニング。


 クラサメ、スタミナ無いしな。


 トレーニングという名の叩き上げ。

 要するに、期待されているのだ。


 特例が下ったのはクラサメ一人。


 私も、いたんだけど。

 落ちていた自分が情けない。


 しかし、仮にくたばっていなかったとしても枠が一つならばクラサメにいっていた。

 ビャクヤからは謎の礼を掛けられたが、恐らくボスと呼ばれていた金色の四天王からは嫌われた。


 退け。


 第一声が、アレだもんなあ……。


 今思い出しても頭を抱えてしまう。明らかに好印象ではない。

 しかもミッションの尻拭いまでさせている。


 任務隊長は経験した事はあるが、片や3組の候補生。

 対してクラサメは。


「1組トップで四天王直々に従属命令、かあ」


 差が、開いてゆく。


 他人と比べても仕方のない事。

 自分は自分。

 わかってはいるが。


「うじうじしてんじゃないわよ全く!」


 殴りたくなる程の書類通達後のヘコみ様だった。


 替われるものなら替わってくれ。


 こちらのセリフだ。


 だがどんなに志願しても親展はきっと覆らない。

 ○○を知った上でのクラサメへの指名なのだから。


 ならばせめて全力でサポートを。


 ボディメンテナンスでケアぐらいはしてあげようと。

 そう決める。


 それぐらいしか、出来ない自分が歯痒かった。
















 人にしてもらうという行為は、何においても気持ちがいいものだ。


「今日は?」

「脚」


 了解、と言って、それまで施していた背中から脚に移った。


「確かにいつもより張ってるか」

「自分じゃわからん。そうなのか?」

「なんでわかんないのよ。無頓着すぎじゃない?」


 だって全身に違和感が。

 とは言いたくないので無言を返す。


 トレーニング開始からの一週間は○○のボディメンテナンスもなく授業も休んでしまう程だったが、今ではそれも大分和らいでいる。

 確かに今回の一件で少し気にしなさすぎかもしれないと考えるようになった。

 最初の頃は自分ではメンテナンスを組めず、トレーニングメニューを○○に見せてメンテナンスを組んでもらっていたのだ。


 トレーニングはメインの基礎に加え、ローテーションで重点的に部位強化を行うメニューに移行していた。

 今日は脚。ビーバーと段差昇降が追加。

 腕の日は翌日の授業で字が震え困ったが、脚も脚で歩行に困難が生じている。


「お疲れ」


 溜め息に疲労感が滲み出ていたのか労いの言葉を掛けられた。


「お前もな」

「何が?」


 毎日メンテナンスに来てもらって。


 言いながら腕を組み替える。


「別に? 同期代表なんだから、あの人たちの足引っ張るんじゃないわよ?」


 手が少し乱雑になったのは照れからか。


「……もう少しだね」

「ああ」


 龍神の聖域への任務。


 未知の世界だ。


「トレーニングも明日で一旦中止だそうだ」


 あとは身体を休めて万全に。


「じゃあ私の出張マッサージも一時休業だね」


 良かった。

 ○○も明後日から任務が入っている。


「ねえ、明日ごはん一緒に食べようよ」

「いいけど」


 わざわざ誘ってまでなんて珍しい。


 授業が終わってからトレーニングを2時間。

 その後に学食で待ち合わせ。


 約束を取り付けた○○は再びマッサージを再開した。






















 先に待っていた○○だが、持ち込んでいた本は頭に入ってこない。

 コーヒーも冷めたまま半分以上入っていた。


 ほお杖を付いて暗い外を見ていると、シャワーを浴び髪の毛がまだ湿っているクラサメに声を掛けられた。


 それぞれにメニューを選び席に戻る。


「サラダもりもりだね」

「夜はこれがいいんだって」


 確かに夜はあまり摂取しない方がよいと聞く。

 野菜を中心にするとなお一層良いと。


「ただでさえ食が細いのに」

「ちゃんと食ってるぞ」


 ノンオイルのドレッシングが掛かったサラダをフォークで口に運ぶ。


「そうだ聞いてくれ」

「なに」


 急にテンションが上がったクラサメに驚きながらも視線を向ける。


「体脂肪率が二桁切ったんだ」

「嘘っすごいじゃん!」


 ずっと自己流でトレーニングはしていたが、まさかこんな短期間で叶うなんて。


「念願だったもんねえ」


 おめでとう、とグラスをかかげる○○にクラサメも合わせる。

 いつものように注文品をわざわざ交換して○○はアイスコーヒー、クラサメはカフェラテだ。もはや通例になりつつあった。


「的確な指導の成果だな」

「あとあんたの頑張りでしょ」


 あのメニューはさすがに凄すぎる。


「なんだ珍しい。持ち上げても何も出ないぞ」

「何よ褒めちゃいけないワケ? 純粋に凄いと思ってるわよ」

「……それはどーも。」


 あまりない○○のテンションに気味悪いという気持ちが勝るが、若干の照れもある。

 だからフォークにトマトを突き刺し○○の口に突っ込んだ。


「ちょっと何すんのよ!」


 口をおさえて咀嚼しながらもごもごと喋る。


「礼だ」


 全てを食べ終えたクラサメは涼しい顔でカフェラテをすする。


 トマトなら私もあるんですけど!?


 その後はいつも通りの言い合いになった。






















「今日は肩でしょ」

「そうだが……なんでわかった」


 ジャケットを脱ぎ、いつものように寝そべるべくベッドに向かったクラサメだがソファーへ促された。


「ローテーション的にそうかなって。基本メニューにも肩は少なかったから」


 今日はラッドプルダウンとか各レイズとかしたんじゃない?

 ○○も上着を脱いでクラサメの後ろに立つ。


「お前も筋トレメニュー組めそうだな」


 今回知れた意外な事実だが、ケアも含め、そちらの方向に進む事も視野に入れていい程だ。


「後方医務官? そうだなあ。歳取ったら考えようかな」


 前線で身体を張れる内は前に出ていたいが、ピークを過ぎたらそれもありかもしれない。


「いやいや私の話じゃなくて。クラサメさ、右で物投げるとき変な癖ない?」

「……スローの最後に捻るやつか」

「あ、自覚ある? そう。だからここが」

「痛ぇッ」

「ってわけ。意識して直した方がいいよ。だから狙いは的確なのに物を投げるとノーコンなのよ」


 確かに、的に当てるだけでいいのなら利き手ではないが左の方が的中率は高い。


「……ビャクヤさんにも言われた」


 捻る癖も言われて初めて気が付いた事実。

 自身が知らない癖を二人もの人間に見抜かれていた事がクラサメを憮然とさせる。


「今日はビャクヤさんだったんだ」

「ああ」

「ガードエンブレムのコト、言ってくれた?」

「……」


 故意に言っていない。

 四天王であり、教えてもらっている身ではあるが、クラサメの中でビャクヤの印象は良くない。

 だって変質者。

 気をつけてはいるが、恐らくビャクヤに対しての声も固い。


「ちょっと?」

「い……ッてぇよッ! 今度言う!」

「絶対だからね」


 脅しのように力を入れたが、あまり強くやり過ぎても筋肉に負担が掛かる。

 元の力加減に戻して○○はマッサージを続けた。
















「……なんかエラそうな体勢ね」

「お前がしろって言ったんだぞ」


 そのエラそうな体勢とは。


 ソファーに座り、背もたれに両腕を乗せて体重を預け、脚を組んでいる状態だった。

 今のクラサメの体勢である。


「脚を組めとは言ってないわよ」

「楽だし」


 因みに、テーブルには湯気の立つホットココアまで完備している。


「もうちょっと殊勝になったらどーなのよ」


 数拍の考えた後、労いの言葉を掛けるがその言葉のチョイスが。


「ご苦労」


 どこまでもエラそうだ。


「ったく。エミナに言い付けるわよ」


 トレーニングが行われている事を、エミナには言っていなかった。

 初めの散々な状態だったクラサメに驚いていたが、なんでもない、と貫き通した。


「かなり心配してたわよ? 私も聞かれたもん」


 なんで言わないのかと一度聞いたのだが、格好悪いからと言われた。

 ○○にしてみればくだらない理由。

 だが折角張っているそんな見栄を○○が崩すわけにもいかず、私も知らない、あの任務に向けてコソ練でもしてるんじゃないの? と、付き合うはめに。


 微妙にはぐらかしながらも嘘は付いていない。

 トレーニングの事まで芋づる式に話す事になるため、ほぼ毎日やってるマッサージも言えていなかった。


 嘘は付いていないし、言ってないだけ。

 そう言い聞かせても良心はちくちくと痛む。

 言って欲しいと思うんだけどなあ。


 右腕のマッサージを終えた○○は、左腕に移った。
















 彼女にだからこそ、言えない事はあると思う。


 スマート、クール、完璧。


 教官やクラスメイトからのクラサメに対する評価だ。


 人目がある場所で○○と絡む場合は殊更気を遣う。

 ともすればテンションに引きずられてすぐに怒鳴り合いになるからだ。


 例外は任務中。それすら瑣末事なので構ってられない。思う存分怒鳴り付ける。

 帰院した次の日に声が枯れて最初は驚いたものだ。


 クラサメってあんなデカい声出るんだな。


 何度かそんな言葉を掛けられた事もある。


 別に気取っているわけではないがそういうキャラ付けをされてしまったため、今更こんな不様な姿は見せたくない。


 好きな女になんて特に。


「言えるかよ」

「……見栄っぱり」


 そうは言うがな。

 左腕は施術中なので動かさないようにマグカップを取る。


「当然の心理じゃないか? 格好つけたくも」


 見下ろしてくる○○と視線がかちあう。

 クラサメは、はたと動きを止め、それからゆっくりとココアを一口飲んだ。


「悪かった。俺の人選ミスだ。○○だもんな」


 何やら馬鹿にされた雰囲気を読み取り、クラサメを見下ろす瞳が細められる。

 格好付けるも何も。


「表も裏も無いお前だ。そりゃあ隠し事も無いよな」

「異議あり!」


 どうぞ○○さん。

 再び前に向き直ったクラサメはぞんざいに右手を上げて発言を促す。


「確かに裏表無い性格ですが! 中身があればいいと思います!」


 高らかに左手を上げ、クラサメのつむじに向かって大声で宣言。


 出た○○語録。


「ちょっと今鼻で笑ったわね!?」

「痛い痛い痛い」


 暴力反対、と○○を振り仰ぐクラサメは涼しい顔だ。

 それもそのはず、力はあまり込めていない。


「いいじゃないのよ博愛主義って言ってほしいわ? 万人に等しい○○さん。あら素敵ー」

「等しすぎだ。上に対してくらい猫被れ」

「失礼な。被ってるわよ」


 後ろから掛けられた予想外の言葉にまた鼻で笑ってしまった。

 意識せず顎が上がる。


「随分と小さい猫だな。デカいのに替えるか数を増やせ」

「重ね重ね失礼だな!」


 べしりと後頭部をはたく。


「叩くなよ」

「だったら叩かれるようなコト言うんじゃないわよ! 帰るよ!?」


 ご自由に。

 と言うのはさすがに自粛する。

 何事にも加減は必要だ。


 言い合いをしながらも○○の手は動き続けている。

 それは今も。終わる気配は無い。


 感情的なくせに律儀。

 大分読めるようにはなってきたが、思考回路は把握しきれない。

 突飛すぎる。


「仕方ないからちゃんとやりますよ。……最後だもん。ハイ腕終了。次背中と脚。ベッド行って」

「ああ」


 首を左右に伸ばし肩を回したクラサメは、促されるままベッドへと向かった。


 痛いんだけどいつも途中で寝ちゃうんだよな。


 意外に上手い○○のマッサージ。

 しかし○○に落とされているとは考えたくないので蓄積された疲労のせいだと、そう考える事にしておく。


 お水貰うねと冷蔵庫に向かった○○をベッドに俯せになり両腕に頭を乗せて待っていた。

 が。


 何してんだあいつ。

 さすがに遅すぎる○○に訝しがりながら顔を向けると、ミネラルウォーターのキャップを開け固まっていた。

 体勢を横向きに変え、頬杖をついてしばらく観察していたが動かない。

 向けられている背中が、心なしか丸い。


「○○?」

「あっごめん! 今行く!」


 訝しがりながら声を掛けると、思い出したようにボトルに口を付け、キャップをしめながら小走りで戻ってきた。


「……どーしたの?」

「こっちのセリフだ」


 促されるまま、再び俯せになる。


「なんか沈んでないか」

「別に?」


 そうは言うが、明らかに暗い。


 何かあったか? 何に引っ掛かった?

 先程までの会話をフィードバックする。


 ……まさか。


「お前、縁起でも無い事考えてるんじゃないだろうな」

「えッ!?」


 図星かよ。

 全くわかりやすいやつ。


「あっちょっと起き上がるんじゃないわよ、背中やるんだから!」

「一時中断」


 抑えつけようとする手を振り切って、ベッドにぺたんと座る○○に向き直り片膝を立てて頬杖をついて、じっと観察。

 何を言うでもなく見ているが、○○は唇を尖らせたまま終始視線を泳がせていた。


「景気悪そうな面だな」

「……あんたのが移ったのよ」


 デフレよ。どうしてくれる。とクラサメを睨む○○。


「どうしてくれると言われても」


 そもそもクラサメのせいなのだろうか。


「……通達受けた頃はこの世の終わりみたいな顔してたくせに」


 否定しようと口を開くが否定出来ない。

 あのときは本当に理不尽さしか感じていなかった。


「確かにな。でも今は違うぞ」

「何がどう違うのよ。行く事には変わりないじゃない」

「そうだが……なんだお前泣いてるのか?」

「泣いてないわよ!」


 俯いていた顔を上げる。

 睨みつけてくる瞳は確かに泣いてこそなかったが、若干潤んでいた。


「へえ。心配?」

「誰が! 誰を!」

「お前が。俺を」

「ッ!」


 ふいっと視線を逸らす。


「ッだって! 龍神の聖域だよ? キングベヒーモス以上がうじゃうじゃいるんだよ? あんたなんかイチコロよ!」


 ああ怖い。怖くて涙出てくる。

 そう言って小さく鼻を啜った。


「だろうな。だがなんでか今の俺はインフレだ」

「なんでよ!」

「さあな。……強いて言うならお前がデフレだからじゃないか?」

「ますます意味不明よ!」


 普通デフレは感染するものでは。


「あれだ。困難な任務後に、達成感で泣いてるヤツらを見ると冷める感覚」


 もらい泣き、という事象もあるが、クラサメは完璧に冷めるタイプだ。


「……先に酔っ払らわれると酔えなくなるカンジ?」


 クラサメにその感覚はわからないが。


「……みたいなもんだ」


 下戸に出す例では無いが、遠からず当たっていそうなので肯定しておく。


 なんだろう。

 鼻の先が赤くなっている○○を見ていると口の端が上がる。


 気分が昂揚していくのがわかる。


「……何、笑ってんのよ」


 口元に手を当てているクラサメを睨む。


「なんか知らんが……上がってきた」


 はあ!? と目を剥く○○。


「泣いてる女子目の前にしてテンション上がるってなんなのよ!」


 この変態! と○○は膝で数歩引く。


 自分でもわからない。

 何故上がるのか。上がったのか。


 そんな性癖は無いはずだ。


「引くなよ」

「引くわよ!」


 不気味なクラサメから離れに離れ、○○はベッドの端まで移動していた。


「戻ってこいって」

「そのニヤつきを何とかしてくれたらね」


 そんなにか。

 歯列を舌でなぞりつつ○○から視線を外す。

 何故こんなに気分が高ぶる。謎の昂揚感にまた可笑しさが込み上げてくる。


 ○○が心配してくれる事がそんなに嬉しいのか?


 いや、違う。


 四天王に付随して龍神の聖域だ。

 普通の神経なら心配するだろう。


 そしてその辺は○○も普通の神経を持ち合わせている。


 エミナもカヅサも、クラスメイトも教官も。

 掛けてくる言葉はみな一律だった。


 ただ、本気で替われと言ってきたのは○○だけ。


 大抜擢じゃないのよ。


 あの頃と今はまるで反対の様相だ。


 ああ。

 これか?


「さっき言ってた……なんだ、酔われると酔えなくなるってやつ? そんな感覚だ」


 泣く、という例では考えづらいが、怒るという点でなら。


「例えば……そうだな。俺がザイドウ副局長に厭味を言われたとするだろ」

「それと何の関係が」

「いいから聞けよ。それも全く謂れのない厭味をねちねちと」

「……うん」

「お前、その場にいたらどうする?」


 眉根を寄せて考えながらも口を開く○○。


「……あんたが悪くないってわかってるなら意見する、かな」

「だろ?」


 想像がつく。

 謂れがない厭味に黙って堪えるクラサメと、耐え切れなくなって副局長に噛み付く○○。


「お前には、……言い方悪いが関係無いよな。言われてるのは俺だ」

「でも」

「噛み付いてくれるんだろ?」

「……うん」


 だから俺はイライラが飛ぶんだ。

 そこで○○が無言だったらクラサメの眉間には深いしわが刻まれたままのはず。


「お前が行くと俺は引く。逆は滅多に無いだろうがな。で、今はお前が下がってるから俺が上がってるんじゃないかと」


 そう思うんだが。


 ちらりと○○に視線を向けるが首を捻ったままだ。


「自分でも言っててよくわからんな……」


 がしがしと頭を掻く。


「要するに、お前が俺の分まで心配してくれてるっぽいから俺は気が楽になったんじゃないかと」

「そうなの?」

「ああ。ヘコんでる人間がいたらヘコんでられないだろ。一緒に落ちてたら泥沼だ」

「……確かに。友達が落ち込んでたら励ますもんね」


 なんとなく理解を得られたようでクラサメは頷く。


「だからお前、3週間泣き暮らせ」

「ヒドッ」


 なんでそうなんのよ!?


 ぶつぶつ不平を呟いていた○○だが、それでも離れていた距離は元に戻した。


「てゆーかそれこそ可愛い彼女にお願いすりゃいいんじゃないの?」


 無事を祈っててもらうには適役だ。


「可哀相だろ」

「私は可哀相じゃないってか!」

「痛いって」


 固まった背中の筋を解(ほぐ)すように押していた手の平に体重を掛ける。


「エミナは言わなくても心配してくれるからな」


 わざわざ言う必要はない。


「泣かせなくないし」

「だから! 私は!?」


 顔の向きを逆に変え、目を閉じるクラサメ。


 無視ですか!?


 舌打ちせんばかりの険しい表情ながらもマッサージは丹念にしていく。


 エミナの泣いているところをクラサメは見たことがない。恐らくフリーズしてしまうだろうなと予想はつく。


 大丈夫だと宥めて。

 帰ってくるからと言い聞かせて。


 それではクラサメのテンションも上がりはしない。

 先程のようなやり取りにはならない。

 絶対に。


「お前って」


 なんなんだろう。

 ただの同期の女子。では片付かない気がする。

 女子扱いしているかと聞かれれば首を捻ってしまうし、男友達ともまた違う。

 小動物のようだと思うときもあるが、ペットのような可愛いげも無い。


 格好つけて言えば唯一無二の存在。


 飾らない言葉で言えば。


「変だよな」

「口開いたと思ったらそれ!?」


 予想通りの反応を返したと思ったら突拍子もない言動をしたりする。


「変」

「しみじみと重く言ったところで意味はかわんないっつの!」

「お前の脳みそ見てみたいな」

「うわ、どうしたの? カヅサみたいなこと言わないでよ……」


 ○○の脳内解剖のプロジェクトが立ち上がったら思わず志願するかも。


 本気で心配する○○には無言を返しつつ、クラサメはそんな事を考えていた。
















 ハイ、終了。


 いつもは寝てしまう事が多くそろりと退室していたのだが、さっきまで話していたため合図に脚を叩いた。


「起きてる?」

「……起きてない」


 あ、そ。


 動かないクラサメをほっといてベッドから降りると、上着を掛けておいたソファーに向かった。


「帰るのか」

「帰るわよ」


 さっさと羽織り扉へ向かっていると後ろから声を掛けられた。


 賭けないか。


 ノブに掛けた手が止まる。

 何を、とは聞き返さない。

 対象くらい予想出来る。


「俺は、俺が帰ってくる方にレッドクローバーのケーキ全種類」

「じゃあ私は! スカラベでレザーメンテ用のオイル1ダース!」

「私は、って……同じ方に賭けたら成立しないだろ」


 イライラする。

 ノブから手を離して振り返るとクラサメは眠そうながらも面白そうに笑んでいた。


「そんな賭け!! 最初っから成立してないわよ!! 寝ぼけてんの!? 馬鹿じゃないの!? 馬鹿なコト言ってんじゃないわよ!!」


 イライラする。

 イライラする。


 そして○○がイライラすればする程クラサメの口角は上がる。


 きっとこれでいい。


 ずんずんとクラサメの元へ大股で向かい、おもむろに頭を押さえ付ける。


「なんだいきなり」

「クリスタルの加護あれ!!」


 すうっと息を吸ったかと思うと、怒鳴りつけるように言い放った。


「……いつも式典で院長が言っている言葉だな」

「そうよ! ありがたいお言葉よ!」

「この手は?」


 未だ押さえ付けられ頭を上げられないでいた。


「前に魔法局の綺麗なお姉さんにしてもらったのよ!」


 ……なんだそれ。


「私もそのとき、任務控えてたときだったから! ……景気付けよ、上がるでしょ!? あんたなんか加護でもなんでも無いとッ!」


 嫌だ。


「護ってもらっても! 情けなくても! 不様でもなんでもいいから! エミナには黙っててあげるから!」


 だからお願い。


「ちゃんと帰ってきて……大怪我は許すけど、帰って来ないのは許さない!」


 最後に一際力を入れてほとんど投げるように手を離す。


 クラサメが顔を上げたときには部屋を出ていくところだった。


 しばらく○○が出ていった扉を見ていたが、やがてクラサメは上体を投げ出した。


「随分色々と言ってくれたな」


 腕で視界を覆う。


 クリスタルの加護あれ。

 確かに院長がよく口にする。


 クラサメは信じていなかった。


 不確かな加護よりも信じられるのは確かな己自身。

 体力の底上げは確実に成果をもたらしていた。

 足手まといには違いないだろうが、それでも足元くらいには。


「届くのか? クリスタルの加護」


 地図で確認しても龍神の聖域は遥か彼方。


 届くかわからない、あるかもわからない加護より押さえ付けてきた○○の手。その力の方がクラサメにとっては。


 どうだ、帰ってきたぞと傲慢に見下ろしてやるのも悪くない。そのときの顔が見ものだ。

 帰院してからの楽しみができた。


 笑いが込み上げてきてベッドから跳ね起きる。


 そこで感じた違和感。


 拮抗して力を入れ続けたこの小さな首の痛みも、確かに確かだ。
















end
後書き