realize 

 








 






 礼服に袖を通したのは久しぶりだ。着なれていないからこそ、着用したときは背筋が伸びる。


「エミナ、アイツになんて言ったんだ」


 ん? と返事をする隣の人物もクラサメ同様に礼服姿で、壇上から拡声器を通して聞こえてくる候補生の心得に耳を傾けながら、場内を見回していた。


「大方、ある事無い事吹き込んだんだろ」

「嘘、まだ口聞いてくれてないの?」


 大きな目を更に見開いてこちらを見る。


 正しくは、新たに四天王に加入したクラサメを祝うべく開催された飲み会でヘマをしたのが加算されるのだが、敢えてそこは伏せておく。

 クラサメは肩を竦めてみせた。


「そんなに尾を引くとは思わなかったな……。ごめんクラサメ君」

「……いいけど」


 交際していたエミナと別れたのが約半年前。

 それから○○との会話は例の飲み会で少し話した程度で、必要最低限の会話以外はしていない。


「変なコトは言ってないんだけどな。クラサメ君のバカって言ってみたり、ちょっとだけ泣いてみたり? それくらいよ」

「明らかにそれが原因だろ……」


 クラサメは溜め息をついた。


 エミナ至上主義の○○だ。

 バカって事は最低って事で、涙は女の敵だに繋がる。


「あのとき俺が何て言われたか知ってるか?」

「いつの話?」

「俺たちが別れてすぐの頃だ。俺と○○がカヅサの研究室にいて、お前が来たときがあったろ」


 すぐに思い至らないようで首を傾げる。


「俺を訪ねて来たのに、○○に連れていかれただろ」


 まだピンときていないらしい。


「カヅサの部屋に、……害虫が出たってとき」

「ああ」


 ようやく合点がいったようだ。


「あのときアイツさ」


 クラサメは溜め息をついて話し始めた。






















 言い付けられた所用でカヅサの部屋を訪れていたときのことだった。

 必用な資料を受け取り、教官に届けるため部屋を出ようとしたとき、勢いよく扉が開いた。


「見つけた! あんた何してくれてんのよ!」


 肩を怒らせて入ってきたのは○○。

 突然のことすぎて訳がわからずクラサメとカヅサは視線を交わす。


「えーと、何の事だろう?」

「大声で怒鳴る前に扉を閉めろ」


 肩で息をしながら、とりあえず扉は閉める。


「そこの朴念仁!」

「俺?」


 指を差されているのはクラサメだ。

 カヅサの部屋なので、てっきりカヅサに向けての言葉だと思っていたのだが。


「何したのさ」


 矛先がクラサメだとわかり、カヅサは立ち上がった。

 思い当たる節が無いクラサメは、冷蔵庫を開けてコーヒーを注ぐカヅサに向かって肩を竦める。


「特に心当たりは」

「無いってか!」


 涼しい顔のクラサメに対して、ガルルと顔を真っ赤にして唸る。


「はいどうぞ」

「ありがとう!」


 アイスコーヒーが入れられたビーカーを受け取りごくごくと嚥下すると、一気に飲み干してテーブルに積まれた本の上に勢いよく置いた。


「私の大切な友達に何してくれてんのよって!」

「だから。何なんだ」

「エミナの事よ!」


 エミナ?

 眉をしかめて考えるがわからない。


「なんかしたの?」

「いや? ついこの間別れただけ」

「だけ? だけですって?!」


 信じられない! 信っじられない!

 頭を掻きむしりながら歩き回る○○。


「だから朴念仁だっていうのよ! ああもうエミナ可哀相! 男運悪いんだ!」

「ちょっと待て、なんか誤解」

「言い訳するな! 女の敵め!!」


 あんたなんか! あんたなんかねえ!


 そして○○は聞いた事の無いフレーズを口にした。


「ここにいたのクラサメ君。資料あった? それで最後」
「エミナ行こ!」


 そのすぐあとだ。エミナが入ってきたのは。

 軽いノックと共に扉が開いて渦中の人物が姿を現したが、しかし○○に阻まれて入室は叶わなかった。


「あら○○。今私たち教官に頼まれてて」

「任せとけばいいのよ! いいから! 出よ!」


 用事があって入ってきたエミナを強引に反転させると、ぐいぐいと背中を押す。


「ちょっと何? どうしたのよ?」

「今この部屋害虫出るの! 立入禁止!」

「嘘ッヤだ!」


 それを聞いたエミナは、きゃあと首を竦めて外に出た。


「えーとじゃあクラサメ君、そっちはお願いね!」


 エミナの進入を防ぐ事に成功した○○は、振り向き様に舌を出した。


「ボディメンテもおしまい! 今日から自分でやりなさいよね! どーもお邪魔しました! またね!」


 カヅサ!

 と殊更に強調された、またね、にクラサメはきっと含まれていないのだろう。

 力強く閉めたため、絶妙なバランスでテーブルに積まれていた資料がハラハラと崩れた。


「なんだったんだい……」

「俺にもわからん」


 誰か、通訳を。


「エミナちゃんと別れた事について、怒ってたんだよね?」

「多分な……」


 ○○には直接伝えていない。

 わざわざ言う必要も無いだろうと思っていたし、何だったらエミナから聞くだろうと思っていたのだが。


「何をどう言ったんだよ……」


 恐らく何か誤解が生じている。

 でなくては、あんなに言われる筋合いは無い。


「すんごいセリフだったねえ」


 初めて聞いた、と崩れた資料を拾い集めるカヅサ。

 クラサメも溜め息をつく。

 初めて聞いたし、初めて言われた。


 チョコボに刺されて大怪我しろ!


 なんて。


「どう意味だよアレ」

「そのまんまじゃない?」


 たまに酷く口が悪くなる○○だが、軽々しく死ねとは言わない。

 だからそれを除いた○○の中での最大級の罵倒なのだろう。


「チョコボに刺されて大怪我しろ、かあ。大怪我負って、医務室運ばれて、理由言って笑われながら手当てされて、しばらくクスクス指差されればいいんだ! とか、そういう意味かな?」

「……成る程」


 ひどく納得出来る。実に○○が考えつきそうだ。

 生き恥を晒せという事であり、考えようによっては死んで忘れられるより酷である。


「感心してる場合かい害虫クン」

「なんであそこまで言われなきゃならん」

「それはわかんないよ」


 本人かエミナちゃんに直接聞いてみないとね。

 他人事なので軽く肩を竦めるカヅサ。


「どこまでも面倒な」


 言いながらクラサメは席を立った。


「良かったねぇ、今チャックいなくて」

「チャック?」

「今のルームメイト。“チャックのチャックは壊れてる”ってくらい、お喋りなんだ」

「……また替わったのか」

「先月ね」


 カヅサのルームメイトはよく替わる。

 本人に自覚は無いが、恐らく性格の問題だろう。


「一応、念のため確認なんだけど、チョコボに刺されて当然のような事はしてないんだよね?」

「当たり前だ」


 別れはしたが双方納得の上だ。

 今もクラサメを訪ねてきたように、通常の付き合いに戻っている。


「じゃあ微力ながら協力してあげるよ」


 そんな言葉を背に受けながら退室して。


 話を聞こうとすらしない○○の誤解を解けるはずもなく、まともに話をしない期間が続く事になった。






















 一部始終を話し終えたクラサメは、涙を浮かべ笑いを堪えているエミナを睨んだ。


「ごめ……笑っちゃ、いけないのは、わかるんだけど……」


 言いながら小さく肩を震わせ、収まりきってない笑いと共に目の端を拭った。

 大きく息を吐いて呼吸を整える。


「さすが○○。私ったら愛されてるわあ」


 そういう問題か?


 顔は相変わらず前に向けたまま、視線だけで隣を見る。


「どうでもいいが。あの馬鹿の誤解、解いてくれないか」


 ミッションがやり辛い。

 そう小さく付け足された言葉にエミナもちらりと視線を向けた。


「それだけじゃないでしょ? もしかして、まだ気付いてないの?」

「何に」


 短い言葉は涼しい顔から発っせられた。


 ホント、鈍感なんだから。

 気付かせてあげるのも、また友達としての役割。だが。


 ああそっか。知らないんだ。


「なんだよ」

「キミはずっと1組だったものね」


 脈絡の無い言葉。

 確かに今日まで所属は1組だった。

 だがそれと何の関係があるのか。





 続きましてタヅル・キスガ兵站局局長からの祝辞です





「見てればわかるわよ」


 そう言ったきりエミナは口を閉ざした。


 わけがわからない。

 それがなんだというのだろうか。


 背筋を伸ばしたエミナの視線の先には整列している3組の姿があった。
















「お気づきになられました? 今の心境は?」


 隣を歩きながら面白がって聞いてくるエミナがレポーターのつもりか拳を差し出してくる。


「……最悪だ」


 言いながら、眉間にしわを寄せて目を逸らした。


 スピード昇格を遂げたこの良き日に、まさかこんな落とし穴が待ち受けていようとは。


 新年度の幕開けとなる、年に一度の最も大きな式典。

 新たに入学した訓練生や部署が希望通りに移動した者も含め、こんなにも最悪な気分に陥っているのは恐らくただ一人。


「ありえないだろ……」


 肩を落とす。

 自分で自分が理解出来ない日が来ようとは。


「あら。わかりやすいじゃない。私とカヅサ君は気づいてたわよ?」


 どっちの矢印も。


「……アイツ、彼氏いるだろ」


 今はいないかもしれないが、今までだって。

 その言葉を聞いたエミナは否定的に手を振った。


「そういう次元じゃないのよ。なんていうか、別格? 至上主義?」


 あ、信者! と、しっくりくる言葉を見つけたエミナは手を合わせた。


「とにかく、崇拝しちゃってるワケ」


 全然知らなかった。

 確かに、今までに式典で見ていれば気付けたのかもしれないが、クラス毎の並びで○○はクラサメよりも配置が後ろ。


 暇だな。アイツ寝てるんじゃないか。


 そんな程度にしか考えていなかった。


「胸の内に秘めてるから、軽々しく口にも出さないのよね。私も本人から聞いたのは一回きりだし」


 それは、それ程に重いという事で。


 クラサメは溜め息をついた。


 あれはどういうことだ、何故だと憤り、その憤りは想いを抱いているからだと教えられた。

 言われたことを理解するのに一切の挙動を止めた。

 到底理解出来得ない自分の気持ちに気付いたその日に、その瞬間に――どうやら失恋したらしい。


 よりによって想い人には、根底に崇める人物が。


「なんで……どこに接点が……」


 呟かれた名前に、エミナは肩を竦めた。






















「にしてもさ、いつもに増してスズヒサ教官話長くなかったー?」

「言えてる」

「もうすぐ念願の軍令部長に上がれるんじゃない?」

「いやーッ下に付く人が可哀相ー」


 目の前で繰り広げられる、いつもの面子でのいつもの会話。


 近場は混んでるから、せっかくだし遠出しようよ。


 そんな○○の発言から、式典の後の祝賀会に選んだのはキザイア。

 ○○とクラサメは何度か来た事がある店、グレイハンドだった。


 初めて○○と一緒に来たときの事を思い出す。

 まだエミナと付き合っていた頃で、誕生日プレゼントを買うために無理矢理連れてこられたのは記憶に新しい。

 会計の際、店主に○○を恋人に間違われ、即否定したことも同時に蘇る。

 まさか今はこんな気持ちで席を囲む事になろうとは。


 知らず溜め息が漏れた。


「ハイそこー! ため息禁止って言ったじゃん!」


 間髪入れずにフォークを指される。


「なーにこんなめでたい日にため息ばっかついてんのよ。しかも今日、なんか多くない?」


 理由を知っているエミナは吹き出しそうになり、すっと顔を背けた。


「……気のせいだろ」


 その横顔を軽く睨む。


 自分の気持ちに気づいてしまった手前、直前になって参加をしぶったのだが。


 いつまでもこんな状態でいいワケ? 執り成してあげるから行くわよと、半ば引きずられるように連れて来られた。


 やはりキザイア方面は女難の相でも出ているのでは。


「そうそう、意外なのはカヅサ君よ。研究志望だと思ってたケド?」


 グラスのリップ跡を拭いながらエミナが不思議そうに口を開いた。


 教官からの推薦や引き抜きもあるが、大半が本人からの移動願いを考慮されての移動となる。

 勿論、全部が全部受諾されるわけではない。希望を出し続けながらも願い適わず、院を去る者もいる。


 カヅサは物を含みながらも口を開いた。


「そりゃそうさ。届け出してないし」

「え」


 向けられた視線は3つ。


「なんで?」


 まだ候補生に甘んじているのが意外な程、ストレートで研究部門に進むものだと思っていた。

 希望を出していなかった事にはクラサメも驚いている。


「そりゃあ、いつかは、って考えてるけど、まだその時じゃないかなって。候補生は今しか経験出来ないからさ。研究者としての発想力を養うためには前線の様子も把握しとかなきゃね」


 頭でっかちにはなりたくないもん。

 そう言ってドリンクを傾ける。


 一見回り道に見える全てが経験。全ては前線で命を張る人間のための研究へと繋がる。


「うわあカヅサかっこいい! 見直したよ! ちゃんと考えてるんだ」


 喜色の表情を浮かべ、○○は小さく感嘆のため息を漏らした。


「今頃気付いた?」


 満更でもなさそうに顎を上げて前髪をかきあげる。


「だけど残念。僕の腕は売約済みなんだな」

「うっそ!」

「彼女いたの?」


 立ち上がらん勢いで身を乗り出したのは女子2名。

 カヅサを研究オタクとでも思っていた事だろう。


「前に研究を手伝っていた、あの女生徒か」


 何度か見掛けた事があった。

 言い当てたクラサメに、カヅサは指をパチンと鳴らしてさす。


「え、なになにクラサメ見たことあるの?」

「どんな子?」


 カヅサに直接聞けば早いものを、向けられた2つの勢いある視線にたじろいだ。

 口元に手を当て、目を細めながら記憶を辿る。


「……そうだな。○○より身長が低かったような。……後輩か?」

「そうでーす」


 ウェイトレスに新しいドリンクをオーダーしたカヅサは身体の向きを直す。


「今度紹介するよ。ちっこくて可愛いんだあ。150あるかなーぐらい」

「身長差すごいね」


 カヅサはもうすぐ180センチに届こうかといったところだから、その差は30センチ弱。


「首を傾げながら間近で見上げてくる上目遣いがまた、ねえ」


 思い出したのか口元には締まりのない笑みがこぼれている。


「そっかーそれがいいのか……」


 腕を組んで何やら難しい顔をした○○は、身振りで立つよう促しながら自らも席を立った。


「このくらい?」

「そうそうこんな感じ」


 少しだけ膝を曲げた○○と、その前に立ち○○の頭に手を乗せるカヅサ。


「自信なさ気に、先輩? って呼ぶ声がまたたまんないワケですよ」


 堪らないのはクラサメである。

 心中穏やかではない。

 極力視界に入れないようにして黙々と料理を口に運んでいるとテーブルの下で靴先が当たった。

 視線だけを向けると頬杖をついたエミナがこちらを見ていた。


 いいわけ?

 その瞳が物語っている。


 ……どうしろと。


「その子も誘っちゃえば良かったのに」


 見たかったなー。


 クラサメが動けずにいようがいまいが、そんな事は関係なく○○は席に座った。


「気ぃ遣うでしょ」


 カヅサも着席する。


「全然平気だよー。気にしなくていいのに」

「いや君たちじゃなくて、向こうが」


 繊細なんです僕の彼女。


 あらためて料理を食べようとしたカヅサだったが、2方向から非難が炸裂したためしばらく叶わなかった。


「やっぱりカヅサ君はカヅサ君よね」

「せっかく見直したのにー」


 ぶぅぶぅと文句を口にしながら空いた皿を重ねてテーブルの端に置く。


「えー? もしかして僕の株、落ちた?」

「元のトコに収まっただけデスー」

「将来有望株だよ? 何回か引き抜きも掛かってるからねえ」

「へえ?」


 向けられる視線はもはや冷ややかだ。


「今の内に受けといた方が出世出来るんじゃないのー?」

「言って貰える内が華よ?」

「まだまだ」


 肩を竦めて眼鏡位置を直すカヅサ。


「僕を引き抜くにはまだ条件が足りないね。もっと釣り上げる」


 研究室のひとつでも欲しいとこだね。

 ゆっくり、じっくり。すぐに飛び付いたりはしない。

 言ったカヅサの眼鏡がきらりと反射した。


「ハイ大暴落ー」

「堅実と言ってくれないかな。頼もしい限りでしょ」

「やっぱ変態」


 くるりと向きを変え、○○はウェイトレスに合図を送った。


「そんなカヅサの変態っぷりは置いといて、今日はエミナとクラサメの昇格祝いなんだから!」

「失礼しますね。おめでとうございます」


 ○○と顔なじみのウェイトレスが笑顔で運んできたのは、立派なサイズのケーキ。


「いやーん! 美味しそう!」


 手を組んで目を輝かせたのはエミナだ。


「ではでは。エミナ教官とクラサメ教官の新しい門出を祝しまして!」


 乾杯!


 新たになったドリンクを手に取り、4人はグラスを合わせた。
















 その後、のんびりと雑談に花を咲かせながらケーキを完食した一行は、自分にプレゼントと称してピアソラで大量に買い物をするエミナに付き合い、飛空艇で帰院した。

 ほとんどを発送にしたが、中でもお気に入りだけは自ら手に下げている。


「う〜ん楽しかった!」

「それだけ買い物すればねえ。ストレスも吹っ飛んだでしょ」

「しばらく忙しかったからな」

「エミナ、我慢してたもんねー」


 夕暮れ色の飛沫をあげる噴水を横切ってエントランスロビーに入り、○○はカヅサと並んで後ろを歩くエミナとクラサメに向き直った。


「今日はこれで解散だね」

「どうだった? ○○ちゃん幹事の祝賀会は」


 最高! と言ってエミナは○○に抱きついた。


「エミナとクラサメは先に昇っちゃったケド……私たちずっと友達だよね?」


 当たり前でしょ、と強く抱きしめる。


「移った部屋、片付けたら真っ先に○○を呼ぶわよ」

「楽しみにしてる」

「……クラサメ君、ボクたちも」


 ハイ、ごめんなさい。

 女性陣の熱い抱擁を見ていたカヅサだったが、発言はクラサメの眼光に一蹴され謝罪に変わる。

 ホールドアップの体勢から肩を竦めて右手を差し出すが、胡散臭そうに見るクラサメの視線は変わらない。


「メンズはこんなもんでしょ」


 催促されているそれは握手。


「別に明日から何が変わるわけでもないだろ」

「いいから。照れてないでほら」


 半ば無理矢理に手を握られる。


 すぐに追い付くよ。


 解こうとしていると強い言葉が降ってきた。


「リードしたなんて思わない方がいいよ?」


 追い付いて、追い抜かす。


 口元には笑みをはいているが口調は真剣だ。

 こうなれば売り言葉に買い言葉。


「やってみろ。四天王を舐めるな」


 解こうとしていた手を強く握り返す。


 そしてその場は解散となった。
















 ――解散になったのだが。


「クラサメ、この後ちょっと時間ある?」


 部屋への道を歩いていると、後ろから○○が走ってきた。


「あるわよ?」


 本人を差し置いて何故か横を歩いていたエミナが即答し、ぱあっと花を咲かせたような笑みで振り返る。


「それじゃ少し付き合って」

「いいわよ。はいどうぞ」


 軽やかに言いながらクラサメの背中を軽く押し出す。振り返って視線を向けるとしたり顔。

 ……気に入らない。


「こっちこっち。ついて来て」

「ごゆっくり〜」


 笑顔で手を振るエミナだが、腹の内が見えるだけに睨みつけるのを止められない。


 因みに、○○が来てから俺は一度も口を開いていない。


 理不尽に感じるのは、俺だけなのだろうか。


 溜め息をつくと、大分先を歩く○○がこらー! と叫んだ。


「どこまで連れてくつもりだ」

「クラサメは閉所も暗所も大丈夫だよね?」


 質問の意図が全くわからない。


 一歩先を歩く○○はそう言いながらも返事を待たずに扉を開けた。話を聞けとは言わないが、せめて自分のした質問の答えくらいは聞いてほしいものだ。

 答えを求めていないのであれば、溜め息を誘発させるだけ。やめてほしい。


 着いたのは薄暗い小部屋。

 ここに至るまで大分見知らぬ道を通った。魔法陣も一つ通った。


「これ、昇って」


 まだ目的地ではないらしい。

 暗がりの中で目を凝らして見ると。


「梯子か?」

「そう」


 上に行くほどに暗い。


「俺が先なのか?」


 ○○の案内なのに。


「私、制服だもん」

「……失敬」


 待ち受けているものに若干不安はあるが素直に梯子に手を掛ける。

 閉じ込められたらどうしよう。


「何よその顔。閉じ込めたりしないわよ。大丈夫、取って食やしないから」


 ……それは女子が言っていいセリフか?


 梯子を昇りきったクラサメは一度周囲を見渡し、次いで昇ってきた○○に手を貸した。


「ありがと」


 暗い中ですぐ近くから○○の声がする。

 今まで幾度も経験したはずの距離だが今日は違って感じられた。


「仲直りの印に、秘密の場所教えてあげる」


 慣れているからか夜目が利くからなのか、迷いの無い足取りで重厚な扉に手を掛ける。

 ゆっくりと徐々に開いていく隙間から、夜風が入ってきた。
















 扉を開けた○○に手で促され、歩みを進める。


 たどり着いたのはテラスよりも高い外だった。

 上を振り仰ぐと大小幾つもの鐘が配列されている。


 柵に近付き下に視線を向けると魔導院で一番高い場所だという事がわかった。


「すごいでしょ」


 後ろ手を組んで○○が隣にやってきた。

 教室からしか見えないテラスとは逆側も、遮る物がなく一望出来る。


「よく見付けたな」


 素直に口に出た。


「偶然だけどね。立入禁止じゃないみたいだから、結構来てるんだ」


 天気いいときだと、霞んでたけどマハマユリも見えたよ。


 言いながら、今は暗い稜線を指さす。


「是非今度は昼間に来てみたいものだな」


 今とは全然違って見えるだろう。


「帰り道で、覚えてね」

「ああ。お前が覚えられたんだ、問題ない」


 酷い、と呟いて○○は唇を尖らせた。


「他に知ってるのはエミナと、カヅサか?」


 尖らせた唇のまま○○は首を傾げる。


「どうだろ? 知らないんじゃないかな? 私が教えたのは初めて」

「……そうか」


 緩む口元を手で隠す。

 今が夜で良かった。

 月明かりを反射する水面を見下ろしていると視線を感じた。


「なんだ」


 ○○が、こちらを見ていた。


「いや、今日でクラサメの制服も見納めかーって思って」


 言われて、初めて気づいた。


「そうだな」


 訓練生の指導を受け持つ事になった。

 エミナと共に、教官への昇級。


「だが都合が合えば授業を受ける」

「え」


 教官になったとはいえ、まだまだ自分は未熟だ。

 知識も、実力も充分ではない。


「確かカオンさんがそうしていた」


 面白そうな授業は出てるよ。

 履修の必要はないため、レポートやテストなども受けるのは自由。

 評価もないので、純粋に知識を得るため。


「そうなんだ」

「ビャクヤさんは全く出てないけどな」

「ふふ。ぽいね」


 小さく微笑みながら言われた言葉。

 今○○の頭の中にいるだろう人物に対して、胸の中で何かが渦巻く。

 クラサメにも覚えがないわけではない。

 これは。


 嫉妬か。


 自ら振った話題で溜め息をつく事に、また溜め息をつきたくなる。


 なので話題を変えた。


「お前にボディメンテナンスしてもらってた期間、あるだろ」

「うん」

「カオンさんに褒められた」

「嘘っなんてっ?」

「筋肉が柔らかくなったって言われた。質が良くなったとも。……確かにバネはついたか」

「ふふん。誰のお陰?」

「あのありえないメニューを熟した俺のお陰かな」

「ちょっと! ……まぁ、そうだけど」

「拗ねるな。○○のお陰だ」


 感謝してる。

 そう言ってそっぽを向いた○○の頭に手を乗せると、ころころとよく変わる表情はまた笑顔に戻った。


「ちゃんと続けてるんでしょうね? 疲れててもちゃんとクールダウンしないと、あれじゃあ逆効果だよ」

「見よう見真似だけどな。その辺はユヒカさんからも言い含められてる」


 よろしい。と、○○は笑いながらも偉そうに言った。


 口をきかなかった間も、少しは気に掛けてくれていたのだろうか。

 そんな小さな事ですら喜ばしい。


「あ! ねえねえ新しい隊服どうするの?」

「ああ、スカラベのマスターに頼んだ。オーダーメイドでデザイン作製から頼んでな」

「うっわ高そ!」


 来週には仕上がる。


 それがこれからクラサメが着続ける特攻服になるのだ。


「すげぇ楽しみ。早く出来ないかな」


 その口調からも綻んだ口元からも待ち望んでいるのが窺える。


「自信作?」

「もちろん」


 気分が大きくなっていたクラサメは。


「惚れ直すなよ?」


 珍しい事を口にした。

 が、笑いながら一蹴される。


「ナイナイ。ってか惚れ直す、って惚れてるの前提じゃん。更にないって」


 笑いながら何度も同じ箇所をナイフで刺す○○。


 そうですネ。


 ○○はこういうヤツ。わかってはいるつもりだ。


 本日発覚した人生最大の珍事。俺はどうやら○○が好きらしい、と。


 これのどこがいいのか。

 やはりわからない。


 ……どこが。


 “私のどこが好き?”

 “全部が好き”


 ……違う気がする。

 というか全力で違う。

 それは力一杯否定できる。

 話を聞かない所は殴りたくなるし。


「そういえばお前」

「あ、そだ、手、出して」


 今だってそう。

 殴りたく、なるんだ。


「……なんだよ」

「いいから」


 ○○といるときに溜め息禁止は無理だろ。絶対に無理。クラサメは投げやりに手を出した。

 口の端を上げながら、手の平に置かれたのはベルベット生地の巾着。


「なんだ、これ」


 昇格祝いのプレゼントか?


「お返しします」


 返す?

 ますますわからない。


「開けていいのか?」

「是非」


 上目遣いでクラサメの反応を待っている。

 ……何やら期待されている。

 リアクションに困るんだが。


 柵に身体を預け両手で紐を解く。

 しゃらしゃらとした音から推測するに、中に入っているのは金属。チェーン。

 アクセサリーか?


 袋を逆さにして手の平に落ちてきたのは。


「これ……」

「クラサメのノーウィングタグ」


 2週間程前か。

 頑なに無視を決め込んでいたのにサロンでいきなり話し掛けてきたと思ったら、右手を差し出して一言。


 ノーウィングタグ貸して。


 耳を疑った。

 着用を義務付けられているタグを貸せと。

 貸してと言いながらもかなり本気で奪いに来た○○にまさか本気で相手をするわけにもいかず、追いはぎのように持っていかれた。





 自分、今死んだら身元不明者です。

 はははは! マジか! 腹痛えー!!

 ノーウィングタグ取られたって……くくく。

 精々死なんように気張れ。





 任務先のモンスターの巣窟での会話だ。

 ……殊更に気合いは入ったけれども。


「お前、これ……」

「好きでしょ、こーゆーの」


 チェーンを指に絡めて月明かりに照らす。

 鈍く銀の光を放つノーウィングタグは独特の金属配合で造られているという。

 タグに求められているのは戦火の跡地でも残る頑丈さ。シルバーでもプラチナでもなく、大した高価ではない。

 だが。


「すげぇ……」


 カードよりもワンサイズ小さいプレートは、捻り、延ばされ、複雑に加工されている。

 武骨なチェーンが不似合いなくらい、精緻なアクセサリーとしてもなんら遜色ない。


「マスターにね、お願いして」

「……思い出した。お前もやってただろ」

「目敏いなあ」

「サンダードッジの時にそれ聞こうと思ったんだけど、誤解炸裂で逃げただろお前」

「あ、そうだったの? って、そんな前から?!」

「今まで忘れてたけどな。見せろ」


 ……恥ずかしいんですが。

 言いながら渋々チェーンを手繰り寄せる。


「あー……ごめん……頑丈で加工が難しい金属らしくて。名前とナンバーのトコは下手に触れないし。パターンも限られちゃって」


 私は趣味丸出しで何も考えずにデザインしたんだけど、もう一つ作るとなると……それに加えてクラサメの趣味を考えると、うう、なんか似たカンジに。


 両手で顔を覆う○○はその後もごちゃごちゃ言っていたが。

 クラサメのと○○のを並べてみる。

 ほとんど、同じだった。


「もういいでしょ? 離してよ」


 ねぇと急かす○○の顔が赤い。

 目を泳がせながらもクラサメを睨む。


 これか。

 ○○のタグから手を離しながら、自分の中ですうっと謎が溶けていくのを感じた。

 たまにナチュラルにやってのけるこれが恐らくツボなんだ。普段は溜め息や怒鳴り合いばかりであろうとも。

 それをも凌駕して沸き上がる感情。


 こいつは、俺のツボをつくのが上手いんだ。


「どう? ツボでしょ?」

「は?!」

「え?」

「ああ……いや悪い。気に入ったよ」


 ノーウィングタグのことだよな。

 びっくりした……。


 早速首に通す。

 久しぶりに戻った馴染んだ重み。


「身元不明者にならずに済んで良かった」


 柵に肘をついた○○が顔を傾ける。


「無くて気合い入ったんなら要らないんじゃない?」

「馬鹿言え。死ぬ事を考えて出てるわけじゃない」


 万が一のためのノーウィングタグ。

 いつから導入されたか知らないが魔導院側の配慮だ。


「まさかこれを加工するなんてお前くらいだろうな」

「規則違反じゃないもん」

「学院側も加工するヤツがいるとは思ってないからだろ。詐欺師かお前」


 法規の穴を見付け、揚げ足取りのような手口で人々を欺く詐欺師。

 それを防ぐために規則は積み重なり、くだらない項目は増えていく。


 飛空艇での通いは認められていません。

 院内での軍神の召喚は禁止です。

 等。

 馬鹿馬鹿しい。

 が、過去に事例があったため加えられたのだろう。


「そうだけどさ」


 お揃いの加工したタグが見つかったら私どう思うんだろ。

 遠くを見ながら○○がぽつりと呟く。


「さあな」


 タグを着用している中で、加工を施すという考えにまで至る者は少ない。

 恐らく学院内でも二人だけ。

 更にほぼ同一の加工なんて。


 やばい。

 すげぇ嬉しい。


 ○○にそのようなつもりはなくとも。

 クラサメにはそこに深い絆が。

 指輪を嵌め合う事に匹敵するような絆さえ感じられた。


 記憶に残らなくても、このタグが重しになってくれる。

 心のど真ん中に居座る気はないが、隅で一生燻っていればいい。


 何気なく頬杖をつきながら普段より熱くなっている頬を冷ます。


 ユヒカに言い付けられた四天王の義務となっている日記。

 クラサメのそれには○○の名前はまだのぼっていない。

 半年前に知った事だが、○○も付けているのだという。


 その中に、俺の名前は。


 ……たくさん書かれてるんだろうな。


 ○○の日記にのぼらない程、浅い関係ではないという自覚くらいはある。

 ただ、込められている想いは薄いだろうとも推測される。

 例えば今日の事にしても。


 ……そういえば。


「俺に出された飲み物が甘かったのは、お前の仕業か?」


 席に着き、最初に用意されたウェルカムドリンク。クラサメとカヅサはブラックコーヒーだった。乾杯の後、構えて口にしたのだが舌に乗った味に眉根を解く。

 苦くない。

 ブラックコーヒーだよなと目視で確認して再び飲むがやはり甘い。○○をちらりと見るがエミナと話しながら料理を取り分けているところだった。

 飲み物が少なくなり、オーダーを取るために近づいてきたウェイトレスには。

 同じものを。

 と注文した。

 再び運ばれてきたのはやはり一見だけではただのブラックコーヒー。ご丁寧にもミルクとシュガーも添えられているが、入れずに飲んでもやはり甘かった。

 ずっと二人になる機会が無かったので聞けずにいたが、○○か、あるいはクラサメが甘党と知っているウェイトレスの機転。

 しかし甘党と知っているならそれとわかるドリンクを出せばよく、ブラックコーヒーと見える飲み物を出す意図がわからない。

 とするとやはり。


「仕業って……。余計なお世話でしたかしら?」


 不服そうに唇を尖らせ、両腕に頭を乗せてクラサメを見上げる。


「エミナとカヅサは知ってるのかもしれないけど、でもお開きになるまで突っ込まれてなかったし? あんたもいつもみたいに見るからに甘ったるそうなのオーダーしてなかったし? 隠してんじゃないの?」


 少なくとも他にクラサメと付き合いがあるクラスメイトは、クラサメを無党派だと思っている事は知っている。


「男子ってめんどくさいね。男のプライドってヤツ?」

「そういうわけじゃ……」


 ……なくはないか。

 出だしに失敗した自覚はある。


「事前に言っておいたもん。クラサメに出すやつは砂糖たっぷりで、でもブラックコーヒーです、って出してください、って」


 お手数掛けます。

 そう言って頼んでおいた。


「そんな○○さんの苦労を、あろうコトか仕業だなんて。酷いなあ」


 言葉を誤ったようだ。

 ○○のご機嫌を損ねてしまった。


「悪かったよ」


 クラサメが甘いものを好むという事を知られているのは○○だけ。

 エミナと付き合っていたときも言いそびれていた。

 ここでも再び出だしに失敗したのだが。


 もう、言う必要もないな。


 それは別れたからというわけではなく、○○とだけの共有点を減らさないために。


「最後のケーキもレッドクローバーの特製品だろ」


 見たことのないケーキだったが舌に馴染んだ味がした。


「さすがですね」


 笑いながらほお杖をつく。


 取り分けたのは○○だ。

 いいから食べてみてよ、気持ちなんだから。絶対美味しいから。


 まるで甘い物が苦手な人間に押し付けるかのように差し出されたケーキ。

 平気どころかワンホール平らげられる事を知っているのにもかかわらず。


 その、さりげなくも細やかな気遣い。


「感謝、してる」

「それ!」


 突然ぐいと制服を引っ張られた。


「その“感謝してる”っての、私好きじゃない」


 なんだか無機質で感謝してるように伝わらない。


「感謝してるなら、ありがとう、でしょ」


 すぐ真下で見上げてくる瞳。


「プリーズアフターミー。ありがとう。ハイ?」

「……アリガトウ」

「固いなあ。ま、いいでしょ」


 笑いながら掴んでいた制服を離す。


 間近で見上げてくる瞳がたまんないんだよねえ。


 カヅサの言葉が思い出される。


 今思い出すな俺。

 口元に手を当て、見上げてくる○○から視線を逸らす。


 今まで何故なにも思わなかったのか。

 どう接していたかわからない。


「そろそろ帰ろっか」


 ゆるゆると流れる雲を見ていると、○○が呟いた。

 冷えてきたしね、と手をすり合わせる。


「……そうだな」


 クラサメは寒くなかったのが。


「今日は書くコトいっぱいだなー!」


 言いながら大きく伸びをした。


「日記か」


 頷いて指を折りはじめる。


「クラサメを鐘楼に案内したコトでしょ、グレイハンドで祝賀会したコトでしょ、あとクラサメとエミナが昇級したコトと」


 ……式典。

 最後だけ殊更大事に指を折る。


 その横顔を見て思い出してしまった。


「……お前さ、カリヤ院長」

「ぅえッ! ななななに!?」


 勢いよくこちらを向いた○○を見て、寒さを感じたわけではなく一気に冷えた。

 反比例するかのように○○の頬は上気している。


「なになになに? 院長がどうしたの?」


 先程と同じ距離で見上げてくる瞳も、また違う意味を持っている。


「……別に?」

「何よ! なんか言いかけたじゃん! 教えてよ! シバル様がどうしたのよ!」


 シバル様。


 思わず眉間にしわが寄る。


「崇拝してるって……本当なんだな。エミナが言ってた。信者とも」


 エミナめ、と呟いて上気した頬に手を当てる。


「私は、あのお方のために魔導院に入ったの。あの御志に添うために。微力ながらお力添えしたいのよ」

「……なんで?」


 式典くらいでしか院長を見掛ける機会はない。

 そんなに心酔する理由がわからない。


「教えない」


 べぇと舌を出す。


「元気なお姿を拝謁出来ただけで十分」


 言いながら両手でノーウィングタグに触れる。


「知ってる? ノーウィングタグをちゃんと整備したのって、シバル様の御配慮なんだよ?」

「あ、そ」


 いらなかった。そんな情報。


「やばッ! クラサメ、行こ!」


 急に慌て出した○○はクラサメの手を引き扉に駆け出した。


 早く早く! と、扉を閉めたと同時に響き渡る鐘の音。

 扉越しでも眉をしかめる程の大音響だ。


「危なかった〜。アレを真下で受けちゃうと、耳やられちゃうんだよね」


 歯車の巻き上げ音には注意だよ。

 という○○はどうやら経験済みのようだ。


「じゃあ、帰ろうか」


 昇ってきたときは逆に、○○は先に梯子に足を掛けた。


 クラサメの浮き沈みを、させるだけさせて。






















 終わり良ければ全て良し、という言葉がある。それは終わり悪ければ全て悪し、という事か?


 先程の場所までの復路を、馬鹿丁寧に教え含められながら戻った。

 終始クラサメの眉間には深いしわ。それは○○と別れて部屋に戻った今も取れていない。


 マントを外し、制服のジャケットと共にソファーに放る。ベッドに腰掛け眉間を揉みほぐしていると足元が淡い明かりで照らされた。


「トンベリ」


 ペットというか従者というか。龍神の聖域を出身地に持つモンスターである。

 黄色い硝子玉のような目玉をしていて、丸い頭から魚のような尾まで緑色の産毛で覆われていた。その全身は赤子サイズの茶色いローブに隠れている。

 まじまじと観察させてもらったが、口や鼻、耳は見当たらない。声を掛けると反応するので聞こえてはいるようだが、呼吸、食事は今なお謎だ。

 ずっと手放さない、カンテラ、包丁も、謎。


 部屋に帰ると勝手に明かりが点くのには馴れたが、ただただ見上げてくる瞳にはまだ少し、どう接してよいかわからなかった。

 伝えたいことがあるのではないか、と汲み取ってやれない自分に小さな罪悪感が芽生える。


「覚えているか? あいつ……○○。俺はあいつが好きなんだそうだ」


 知ってたか?


 まるで自分の事ではないように話し掛ける。返事は期待していないのでほとんど独白に近い。トンベリからも何かアクションがあればと思った時期もあったが、全てに受け身だった。


 式典の最中の、カリヤ院長を見る○○の瞳。クラサメは今日初めて見た。いつもの1組の配置場所ではなく教官側にいたために。

 遠くからでもわかった、熱を帯びた視線。今にも胸の前で手を組みそうな恍惚たる表情。

 隠れていて見えなかっただけで実際に組んでいたかもしれない。


「なんだよ、あれ」


 知り合いか?


 シバル様がどうしたのよ!


 シバル様。

 知り合いをそんな風には呼びはしないはずだ。

 各地巡業の御高説で一目惚れとかをするタイプでもない……はず。


 ベタに、命の恩人とか?


 安易で幼稚な考えしか浮かばない自分に嘲笑してしまう。


 考えたところでわかるはずもなく、○○は教えてはくれなかった。

 そして理由がわかったところで院長に心酔している事実に変わりはない。


 こんなに腹が立つのに自分は、まだ……。


 ノーウィングタグを握りしめる。

 プレートではなくなり、タグの意思表示も大きくなった。

 二重の意味で。


 こんな物を寄越しておきながら、特別席は空いていない。


 何考えてるんだ。


「わからん……」


 いや、わかっている。

 何も考えていないという事が。


 あんた、こーゆーの好きでしょ。

 喜ぶかなって思って。


 動機は単純。


 ああすげぇ好きだよ。

 嬉しいさ。


 ○○を知らない人間に客観的に話せば、十中八九が相思相愛だと言ってくれる事だろう。

 プロポーズと勘違いされてもおかしくない。


 ……女子からではあるが。


 そのぐらい、揺れた。
















 前に渡しておいた手紙、あるでしょ?

 部屋戻ったら読んでみるといいわよ。


 エントランスで解散してから○○が追い付いてくる間、面白がっている色を隠そうともしないエミナがそう言っていたのを思い出し、引き出しを開けて底の方から朱色の封蝋がなされた封筒を取り出す。

 受け取ったのは、半年前。エミナと、別れた日。


 ナイフで端を切り、折り目を開く。

 そこには、見慣れた女性らしい文字が連なっていた。





 ごめんね、いきなり別れて欲しい、なんて言って。

 急で驚いた?

 あ、別に、クラサメが忙しくなったから寂しくて、っていうワケじゃないのよ?

 ……それもちょっぴり、あるけど。


 クラサメ、さ、私の前で格好つけたままなんだもん。

 格好悪いところも、全部見たかったんだけどな。


 エミナの傍は落ち着く、ってよく言ってくれたよね。

 あれ、嬉しかったよ。

 帰ってきたいと思える場所でいられたのはすごく嬉しかった。


 でもね、クラサメは落ち着きたいワケじゃ、ないよね?


 龍神の聖域に行く前、かな。

 自分で言ったの、覚えてる?

 立ち止まってる場合じゃない、って。


 まだ走ってる途中だもんね。

 気付いた? 並走してるのは誰か。

 私じゃ、ないでしょ?


 口癖までナチュラルに移ってるんだもん。

 ちょっとヤキモチ妬いちゃったんだぞ?


 なんて。これを読む頃にはきっと私、面白がってると思うから許してあげる。


 じゃあね、クラサメ。

 これからも友達としてよろしく、クラサメ君。


 PS.相談には乗るし、席の横も許すけど、膝はもう貸しませんからね?





 予言の手紙か、これは。


 あまりの内容に動揺を隠せない。

 というかクラサメに自覚症状が表れたのは今日。しかしエミナは。


「ずっと、前から……?」


 気付いていたというのだろうか。

 しかし、気付くも何も。


「今まで自分では何も……」


 ……恐らく。たぶん。きっと。

 なにぶん自分でも理解出来ていないため、ともすれば思考が沈む。


 だがしかしエミナの中では二股に当たるのでは。

 クラサメに自覚が無くとも。


「マズいだろ!」


 言ってジャケットを手に取り扉に向かう。

 そこは弁明させて欲しい。


 だが、時計が視界に入り動作が止まる。


 針はもうすぐ中点を指そうという時刻。

 こんな時間にアポなしで訪れるのはさすがに失礼ではないだろうか。


 更に言えば、会って何を言う気だ。

 今までずっとその気持ちを抱えていたエミナに対して知らずに接していた俺が。


 落ち着け。まず落ち着け俺。


 大きく深呼吸をして、とりあえずジャケットは手放す。


 何を言うにしても、次に会ったときだ。

 今ではない。


 今出来る事は。

 掛ける言葉を考える事。


「何をどう言えば……」


 ああもうわからない。


 髪を掻き乱し、ソファーのクッションを手に取る。

 軽く宙に放り、後ろ回し蹴り。


 ヒットしたクッションはボスっとベッドに弾んだ。


 殴りたい。

 だが殴りたい人物は今はいない。


 全部あの馬鹿のせいだ。


「トンベリ」


  呼ぶと、ゆっくりと近付いてきた。

 急に忙しなく動きはじめた主人に、若干戸惑っている風にも見える。


「なんだ。殴るわけじゃないぞ」


 乗ってくれ。


 頭より身体を動かしていたい気分だったクラサメは、そう言ってトンベリの負荷を掛けたプッシュアップを始めたのだった。
















end
後書き