No.5 

 








 






 床を叩いていた水音が止まる。

 シャワー室から出てきたクラサメは、バスタオルで髪を拭きながらベッドに腰掛けた。


 疲れた。


 今しがたミッションから帰ってきたばかりだった。
 一度落ち着いてしまうと億劫になってしまうため先にシャワーを浴びたが、まだ荷解きもしていない。

 がしがしと乱雑に水分を飛ばしながらも、重い瞼が下がってくる。横になればすぐに泥のように寝てしまえそうだった。

 ミッションから帰院するといつも温もりを感じながら寝るのだが。


 フラれたしな。


 今、隣に温もりは無い。

 ただ、温もりが無いからといって眠れないわけではなく、疲労感は平等に襲ってくる。

 クラサメは鈍くなっている思考を払拭するように頭を振って立ち上がった。


 明日は全休だが早めに就寝しよう。

 まずは荷を解かないと、と鞄に手を掛けたとき、派手な音がして窓が開いた。


「よーぅ! 暇だろ? 俺の部屋来いや」


 開け放った窓から入ってきたのは四天王の一人、ビャクヤ。先程、別れたばかりの人物だった。

 クラサメは立ち上がって目を見張る。


「なんですかいきなり! なんで窓から!」

「甘いねぇ。鍵なんてモンは俺様の前には無いに等しいっちゅーのに」

「にしても! ここ6階ですが!?」

「軽い軽い」


 これが、さすが四天王というべきなのか、ビャクヤだからなのかはまだ模索中だ。

 いつもの笑みを浮かべ、ずかずかと部屋の中に入ってくる。


「おまえ明日オフだろ? 歓迎会するから俺の部屋集合ー」

「それは……またいずれという話になりませんでしたか……」


 帰りの飛空艇の中で。

 というか。


「……さっき、帰ってきたばかりなんですけど……」

「なーに言ってンだよ。みんな同じだろうが」


 それはそうなんだが。

 だから何故あえて今日。

 日にちを変えるべきでは無いのか。


「次のミッション入ったからまたすぐ発たにゃならんくなったかんなー。延び延びになるから、んじゃ今日やろうやってコトに。ほーら! さっさと行くぞ!」

「ちょっと待ってください!」


 言うだけ言ったビャクヤは突っ立ったままのクラサメの腕をぐいと引いたが、頬をひきつらせたクラサメはその手を振り払った。

 怪訝な表情をされたがその顔を睨みつける。


「服! 着させてください!」


 クラサメは半裸だった。
















「ウェルカ〜ム」


 そう言いながら自らドアをくぐる。

 通された部屋は、らしいといえばらしかった。調度品は少ないが脱ぎ散らかされた衣類や食事の跡がそのままになっている。

 足の踏み場くらいはかろうじてあるものの、散らかり放題だった。


「ま、ちょいと散らかってるけど気にすんな」


 誰も気にしねーから。

 誰も、というのは他の四天王と、恋人か。
 ということは、この部屋の惨事はデフォルトという事らしい。


 床やソファーに放置された衣類を拾い集めてまとめてベッドに放り投げ、何食分かの食器もまとめてシンクに置いた。

 その様子を見ていたクラサメは深い溜め息をついた。

 ドア付近で立ったまま。


「んなトコ突っ立ってないでソファーでも座ってろ主役」


 今度は雑誌を集め、積み重ね始めたビャクヤ。


 そう。主役のはずだ。
 自分以外はみな先輩。大先輩に囲まれる事になるが、加入を祝われる席。


「自分も、手伝います」


 シャツの袖ボタンを外し、腕まくりをする。


「くつろいでていいんだぞ?」


 隣室から声が返ってくる。


「……嫌でなければ」


 性格からして、片付けとかは全部恋人任せだろうと踏んで、返事を待たず身近なジャケットを拾いあげる。


「ナニお前。潔癖症じゃねえだろーな」

「……そういうわけでは」


 ないけれど。


 だってくつろげと言われたソファーは座るスペースが無い。
















「今日は片付いてるねー」

「次の女は尽くすタイプか?」


 入るなりいつもと違う部屋の様子に驚く二人。


「コレ、新しいカノジョ。よろしく」

「しません。」


 肩に置かれた手を払う。


「クラサメくんかあ〜。几帳面ぽいもんね。いい奥さんになれるよ」

「なりません。」

「嫁に来るか」

「行きません。」


 同行したミッションはまだ3、4回。毎回思うが、ツッコミが不足している。

 先任がいたときはどうだったのだろう。四人でボケ倒していたのだろうか。それとも同じ気苦労があったのだろうか。

 後者であったのならば是非とも語り合いたい。

 そこの引き継ぎは無いまま後釜に入った。取り扱い説明書が欲しい。


 クラサメは眉間を揉みほぐし、ついさっき洗ったばかりのグラスを人数分取り出した。


「そういやお前、酒は? 飲めんの?」

「自分はまだ未成年なので……酒は」


 ルブルム国では18歳から解禁されている酒と煙草。

 一応、規律を建前に出してはみたが。


「固い事を言うな」


 ビャクヤが出してきた瓶の封を歯で開けながら、ボスが口を開く。

 予想通り一蹴された。


「……飲めません」

「酒なんて物はなクラサメ」


 開封した瓶をドンとテーブルに置く。


「飲んで吐いて飲んで吐いて吐いて吐いて覚える物だ」


 そんな極意の伝授はいらない。


 だがしかし、瓶を突き出された手前、グラスを持ち上げるしかなかった。


「クラサメ・スサヤくんの四天王加入を祝しまして、かんぱーい」


 ごちりとグラスを重ねて豪快にグラスを煽る三人。

 クラサメはおそるおそる口を付け、ちびりと舐めた。

 にが……。

 気付けば他の三人のグラスは空で、次を注いでいる。


「自分、やります」

「いいからグラス持ってなさい」


 酌をしようと立ち上がるが、先を制された。


「カノンさん……」


 その言葉に三人ははたと動きを止める。


「そういえば、改まって自己紹介ってしてなかったっけ」


 目配せをする三人。


「そういえば蔑(ないがし)ろになってたか」

「いい機会じゃね?」

「もー。二人が呼ぶからだよー。えーっとね、クラサメくん」


 言いながらクラサメに居直る。


「改めてまして。僕の名前はカオン。二人とも呼びにくいからってカノンって呼ぶんだけど、カノンじゃなくてカオンっていいます」

「……すいません。知りませんでした」

「いや教えるの忘れてたこっちも悪いし。コードネームは知っての通り。由来も?」


 そこは頷く。


 コードネーム、マスター。

 四大元素の魔法を使いこなすマジックマスターからきている。

 主にサポート魔法と失われつつある風属性に通じている。

 だからといって接近戦が不得意というわけではなく、巨大な鉄扇を奮って敵を薙ぎ倒す様を間近で見ている。


「呼び方は任せるよ。どっちでもお好きにどうぞ」


 言ってグラスを空け、違う種類の瓶を開封した。


「じゃあ次シロね」
「次はクロか」


 促されたのはビャクヤ。

 そう、これが不明だ。

 カオンはシロと呼び、ボスはクロと呼ぶ。


「名前は知ってるよな。ビャクヤ。ユヒカちゃんがクロって呼ぶのは、ま、見た目通り?」

「黒いからだ」

「そゆコト。んで、カノンちゃんがシロって呼ぶのは、俺の生まれたところでビャクヤって白い夜って意味なんだ」


 なんでも太陽が沈まない日があるらしい。

 白けた夜。


「俺が生まれた日がそんな日だったらしい。その由来と、もう一つ」


 ビャクヤは帽子を取った。

 現れたのは、真っ白な髪。


「不思議だろ? 黒いのは毛先だけであと真っ白なんだ」


 染めてるわけじゃねーんだけど、と前髪をつまむ。


「潜入にはもってこいなんだな、コレが。全身黒づくめから、帽子取って羽織り変えると別人だもんで」


 確かに印象はまるで変わる。


「鍵開けも得意だもんね」

「詐欺師」

「鍵師って言ってちょーだい」


 ボスやカオンが派手に立ち回り、裏でビャクヤが将校を叩く事もあった。

 意外な事に、作戦の組み立てもビャクヤが主だった。


「こー見えて、結構頭脳派なんすよ」


 帽子を被り直しながら、悪戯っぽく歯を見せて笑う、コードネーム、ヘッド。

 四天王のブレーンだ。
















「ユヒカだ」


 居丈高に脚を組み替え、早くもグラスに注ぐのが面倒になったのか瓶を掴み、


「紹介するような自己は特に無い」


ぐいと瓶を傾けた。


「我らがボスです」

「ユヒカちゃん簡潔すぎじゃね? もうちょっとなんかあるでしょーよ」

「ユヒカ・ジャックリーン。……ブラッドタイプB+」

「そんなプロフに載ってるようなコトー」


 カオンが笑いながら缶のプルタブを起こす。


「趣味は筋トレ。……だって無いぞ」

「ふふ。クラサメくん質問無い?」


 矛先がこっちに来た。

 しばし逡巡した後、口を開く。


「身長、いくつですか」

「ははッ気にしてんのかチビ助」


 小さいわけでは無いが、唯一女性であるユヒカを含め四天王全員がデカい。


「そうだな。前の検診で計ったときは確か175だったか」


 やはりヒールを差し引いてもクラサメより少し高かった。


「まだまだ成長期だからねえ。伸びてるんじゃない?」


 その言葉にぴたりと動作を止める。


 ……成長期?


「失礼ですが……いくつですか?」

「だから。175」

「……申し訳ありません。身長ではなく年齢は……」

「18」

「は!?」


 思わず立ち上がってしまい、持っていたグラスから酒が少し零れた。


「貴様……うら若き乙女に年齢を聞いておきながらその反応はなんだ」


 じろりと睨まれ口元を抑えるが時既に遅し。


「だって……! ひとつ上……!?」


 信じられない。せめて2つ3つ上だと思っていたのに。


「上等だ……。表に出ろ」


 決闘だ。

 そう言ってユヒカは静かに瓶を置いた。
















 立ち上がったユヒカを二人が諌めて、なんとかその場は収まった。


「わかってんでしょーが。そゆイミじゃないってコトぐらい」

「実力差と年齢差が合わないって思ったんでしょ?」


 認めたくはないが歴然たる差は明らかだ。

 クラサメは頷く。


「そりゃそうだよねぇ。8歳からだっけ? 入ったの」

「6つだ」


 15歳から入学資格がある学院だが、ユヒカはその行程を踏んでいないという。


「だから院生というわけではない。授業も受けた事は無い」


 学ぶのは全て実践。


 成る程。

 こんなに目立つ人物を、式典などで一度も見た事がないというのも頷ける。

 少し納得がいった。

 グラスに口を付け、目の前の人物を見る。


 しかし。

 決闘……。


 男にすら言われた事が無いこのワードをつい最近も言われた。

 似てるのか?

 ハイペースで空いていく瓶や缶。

 それを端に片付けながら、身近な人物を思い浮かべる。


「もちろんそれだけではない。鍛練も怠らんぞ」


 瓶を置き、立ち上がるユヒカ。

 出た筋肉自慢、と二人は視線を交わす。


「触ってみろ」


 すぐ近くで見下ろされる視線。

 指されているのは恐らく腹筋の事。

 困り果て二人を見ると、にやにやと話していた。


「あれってパワハラ?」

「いーやセクハラっしょ」


 どっちもです。

 というか見てないで助けてください。


「……」

「ほれ」


 うろたえるクラサメを急かすユヒカ。

 うら若き乙女が腹筋を触れと急かすのはどうかと思う。思うが、触らないと収拾はつかなさそうなので。


「失礼……します……」


 怖ず怖ずと手を伸ばし腹筋に触れる。


「どうだ」


 いやまあ。


「……固いですね」


 としか言いようがなくて。


「だろう?」


 とりあえず満足したようで、今まで座っていた背もたれの高い椅子に戻った。


 及第点は頂けたようだ。

 触れた感触の残る指先を、なんとなく膝上で握る。


 直接触れと、服をたくしあげられなかっただけよかったか。


 ……ありえそうで怖い。
















 どんどん空になっていく瓶と缶。出した量の半分は既に空だ。

 新しいのを補充するためにビャクヤは立ち上がった。

 クラサメも立ち上がろうとするが手で制される。

 向かったのはキッチンではなく違う扉。最初に揃えられた量からしてもアルコールの貯蔵スペースがあるようだ。


 無尽蔵か……一体何時にお開きになるのだろう。


「クラサメの呼び名も、与えねばならんな」


 気付けばユヒカが頬杖を付いて思案するようにクラサメを見ていた。


「自分は、別に」


 いりません、と言おうとした所に。


「なあクラ子ー、なんか飲める酒ねぇの?」

「採用」


 タイミング悪すぎだろ。

 ユヒカがパチンと指を鳴らすのとクラサメが頭を抱えるのは同時だった。


「あン? ナニナニ」


 腕に持てるだけ酒を抱えて戻ってくるビャクヤ。

 カオンは声に出さずに腹を抱えて笑っている。


「お前は今日からクラ子だ」


 あああ。

 即拾った事は、表情から見て直感した。

 そしてこうなると覆せないのも、残念ながら身近な人物で学んでいる。


「悔しかったらその華奢な身体付きをどうにかしろ」


 華奢。

 初めて言われたが、確かに体格が良いわけではない。トレーニングはしているが筋肉が付きにくい方だった。

 パワハラ、セクハラときてイジメが加わった。まさか先任はそのせいで脱退したのではないだろうか。


「……自分加入前の四天王って、どんな方だったんですか」


 ぴたりと三人の動きが止まる。

 それを見たクラサメも挙動を止めた。

 何か、変な蓋開けたか?


「死んだよ」

「え」

「死んだ」


 ぐいと瓶を煽ってユヒカが呟いた。


「お前とメロエで会った前日にな」


 聞いていない。

 怪我とか、なんらかの事情で引退だと思っていたのに。

 通達もされていなかった。


「……失礼しました」

「構わん」


 重い沈黙が続く。

 破ったのは、ユヒカがプルタブを起こした音。


「おつまみ欲しいねえ」


 空になった缶をテーブルに置いてカオンがぽそりと言った。


「遠征帰りだし食材なんもねぇよ」


 キッチンを振り仰ぎながらビャクヤが言った。

 片付けの際に思ったが調理用品は一通り揃っていた。

 想像出来ないが、料理をするのだろうか。


「つまらんな」


 ユヒカが鼻を鳴らして缶を回し揺らす。


「退屈だ。そうだアレを呼べ」


 会話をぶった切ってどこぞの貴族のような物言い。

 瞳を向けられているのはクラサメだが、意図がわからない。


「アレだ。フルケアの」

「な……!? 何故ですか!」


 ここへきて指されているのが○○だと思い至る。


「メロエで思い出した。まだ固いんだお前。アレと絡むと多少は和らぐだろう」

「勘弁してください! 無理です嫌です駄目です!」


 ニヤリと笑うユヒカ。


「みてみろ。少し面白そうだろう?」


 なあ、と二人に視線を向ける。


「……ッ! 喧嘩中、なので……ッ!」


 正しくは喧嘩ではなく、一方的に無視をされている。

 どう伝えたのか知らないが、エミナと別れてからずっとだ。


「とにかく! 夜も遅いですし!」


 言いながら空の瓶と缶を集め、持てるだけ持ってキッチンへ逃げた。
















 焦った……。

 ○○を呼べと言われた事もだが、まさか前メンバーが死んでいたなんて。

 誰か教えとけよ。


 地雷かと思った。

 一瞬向けられた、底冷えする金の瞳。腹筋を触れと強要してきた人物と同じとは思えない。


 がちゃがちゃとシンクに瓶を置き終え、一つ深呼吸をしてクラサメはリビングに戻った。


 一人、欠けている。


「ビャクヤさん……は……」

「遣いに出した」


 まさか……!


「小腹空いたしね〜」

「ああ……」


 危なく見当違いに噛み付く所だった。

 しかし。


「どちらに……?」


 店なんて開いてない時間だ。厨房だって閉まってるはず。


「そこはほら。鍵師の出番でしょ」


 くすねるのか……。


「心配はいらん」


 金は置いてくるよう躾けてある。


 しかも常連……。

 はあ、と溜め息に聞こえない程度に言葉を発し、元の席に座る。


「いい機会だ。あいつの事でも話してやろう」


 缶を見たまま呟いたユヒカに視線を向ける。


「お前の先任、キャプの事だ」


 そして、私の恋人だった。






















 皇国への遠征だった。


 試作の新しい戦闘兵器を潰し、機密書類も焼き払って。いつものようにミッションを熟し、いつものように帰院するだけだった。変わりない、通常業務だったのに。


 何が問題だったのか。

 ルシが、立ちはだかった。


 白虎の甲型ルシ、ニンブス。


 帰りがけ、ただでさえ視界の悪い吹雪の中で、姿を自在に消す事が出来る相手。圧倒的に歩が悪い。

 向こうは無作為にレーザーを降らせるがこちらが姿を捉える事は難儀だった。防戦一方で体力だけが消耗していく。だからといって連れ帰るわけにもいかず、決め手に欠けたまま時間だけが流れていった。


 吹雪が弱まったその一瞬、ルシの姿を捉えたのはただ一人。


 冷気の魔法を感じ、振り返ったときには白い世界で一際鮮やかな赤が飛び散る様だった。


 その場に固まった三人を、叱咤して溶かしたのは硬直を生み出した当人。

 慌てて気配を尖らせるが、もう皇国のルシは去ったようで。


 武器を納め、赤が強い方へ駆け寄る。


 仲間は。脚を。

 潰されていた。


 両の脚が、文字通り潰れていた。


「……ヘンな顔」


 力無く笑ってごぷりと血を吐く。


「……お前こそ、脚、変だぞ」


 処置しようが無いのは、誰の目にも明らかだった。


「はは、ドジった……」

「馬鹿者が……ッ!」

「ユヒカ」

「……なんだ」

「タグ……お願いしていい?」

「……貰い受けてやる」

「ありがと……」


 ファントマがゆるゆると流れていく様が目に見える。


 寒いね。

 当たり前だ。吹雪だぞ。

 酒飲んであったまりたいな。

 お前の分まで飲んでやる。

 うん。ユヒカ、ごめん。

 ああ。

 お願い。

 ……ああ。

 愛せて、幸せだったよ。

 私もだ。




 その身に刻んで、逝け。




 愛する者の願い通りに。

 大剣を、その胸に突き刺した。






















「それがお前の先任、スノウの最後だ。コードネーム、キャプテン」


 チームの舵取りだった。

 カタンと軽い音を立てて缶を置き、新しい瓶の封を相変わらず歯で開ける。


「何か聞きたい事は」


 あるが、どれも地雷のような気がする。

 だがしかし今聞かねば機会は一生無い。意を決してクラサメは口を開いた。


「最後は、御自分で……?」

「ああ。約束だったからな」


 助かる見込みがない重傷を負った場合、留めは生あるものが加える。


「腕ならまだしも両脚だ。魔導院はまだ遠い。荷物なだけだ」


 荷物って……!

 思わず立ち上がりそうになったが堪える。


 自分が口を出せる立場では無い。これがデフォルトな考え方のラインに、クラサメ自身も既に立っているのだ。


「もう一つ……。何故そこまで詳しく覚えてらっしゃるんですか……」


 クリスタルの恩恵で死者の記憶は残らない。

 それなのに。

 言われた言葉は意外な物だった。


「は……?」


 日記?


「そうだ」

「よく女子が寝る前に付ける、あの、日記……ですか……?」

「それ以外にあるのか」


 無いけれど。


「自分の事はどうでもいいが、親(ちかし)い者が死んだとき、それを守れなかった自分を戒める事が出来る」


 それが、登場する回数が多い人物だと尚更な。


「別に誰それと目が合ったウフとか書けとは言わん」


 それこそまるで女子。


「最初は箇条書きで構わん。付けろ。命令だ」


「……イエス、ボス」


 いい返事だ。

 目を細めて笑い、ユヒカは瓶を傾けた。


「難しく考えなくていいんだよ。今日あった出来事を書いてけば」

「クロのやつのなんか笑えるぞ。“今日も俺様絶好調ー! メシが旨かった”とかな。そんなのばかりだ」

「しかも汚い字でね」


 言いながら笑いあう。


「気軽な気持ちで書いてけばいいから」

「はあ……」

「クラ子のはフルケアの事ばかりになりそうだな」

「はあ……は!?」


 突然大声を出したクラサメに、二人も、え、と動きを止めた。


「なんでそこであいつが出てくるんですか!」

「なんでって。彼女だろう?」

「違いますが!」


 全力否定。思わず起立。


 おや。
 あら。

 二人は視線を交わす。


「しまったな。クロに偽の情報を掴ませたか?」

「しかも喧嘩中、だっけ」

「何が……ですか」


 嫌な予感がする。


「すまん」
「ごめん」


「面白そうだからクロに連れて来るよう言い付けてしまった」

「厨房行くついでに、シロに寄るようにって」


 先程から修飾語ばかりで述語はまだ聞いていない。が。聞かなくてもわかりきった事だった。


 頼むから断れ。来るな。


「ただいま俺! そしておかえり俺!」


 クラサメが力無くソファーに収まったとき。

 勢いよく扉が開いて紙袋を抱えたビャクヤが戻ってきた。


 後ろに、○○を従えて。
















「おい!」


 紙袋を置くためビャクヤはキッチンに向かったが、呼んでも気付かない○○は入り口に立ったまま室内を見回し入ってこない。

 ここまで来ておいて今更遠慮か?

 眉間に深いしわを刻みながら大股で扉へ向かう。


「お前何ほいほいついてきてるんだよ」

「あれクラサメ! なんでこんなトコいるの」

「……あのな」

「いや今それどうでもよくって!」


 ブンブンと頭を振ってクラサメのシャツをぐいっと引っ張る。


「ケント、どこ」

「……は?」

「どこにいるのよ!」


 ○○の口から出たのは彼氏の名前。


「……居るわけないだろ。なんで居るんだ」

「だってビャクヤさんに言われたのよ! なんでか知らないけど! おたくのカレシも居るからおいでよって!」


 ……コレか。

 ぐるんと振り向くが、今までこちらを見ていたであろう三人は揃って視線を逸らした。


「ねえ、連れて帰るから! どこに隠してるのよ! 教えてってば」


 どうするんですかコレ。

 悪い。適当におさめて。


 そんな会話が視線でなされた。


 溜め息をついて振り返る。


「本当に居ない。隠してねぇよ。……ビャクヤさんに担がれたんじゃないの」

「やっぱそうだよね……」

「帰れ」

「……帰るケド。なんであんたがエラそうなわけ? ビャクヤさんの部屋でしょここ。そもそもなんであんたがいるのよ」


 そして振り出しに戻るのか。


「それはクラ子が主役だからでーす」


 のしりと頭に乗せられた腕。肩を竦めながら振り仰ぐと、声の主、ビャクヤがいた。


「騙して悪かったなァ。せっかくだから○○も参加してけよ」

「ちょッ」


 発言は、増した腕の重みによって潰された。


「いえッそんなッ! 自分は帰ります!」

「フルケア。来い」

「はいッ! 失礼します!」


 殊勝にも辞退した○○を引き止めたのは、貴族然としたオーラさえ放つユヒカの一言だった。


 土台無理だったんだ。この人が所望した事を断るなんて。

 任務で○○が院を離れてたりしてない限り。


 その○○だが、呼ばわれて返事をしたもののその場から動かなかった。


 さすがに緊張してるか。

 背中を叩いて中へ促す。

 ドアを閉じて○○の前を歩くと後ろをついて来た。


 視線が集中している。


 ……紹介とか、した方がいいのか? 自分でさせた方がいいのか?


「同期の、○○です……。おい、自己紹介でもしろ」


 身体を半身ずらして○○を見えるように位置取る。


 何故か妙に気恥ずかしい。


 紹介して、紹介させる。

 結局半々を選んだ。


「先日は! 大変御無礼を働き、その節挨拶も致しませんで申し訳ありませんでした!」


 礼というかすでに前屈。自己紹介はどうした。

 膝に顔がつきそうな勢いで謝罪を始めた。


「いつの話をしている。もう締め切った」


 興味なさそうにユヒカはぐいと瓶をあおった。


「時にフルケア、お前は」

「ああぁぁあ!」


 お辞儀の際に被ってしまったフードを払いながら、膝をついてテーブルの上にある瓶を見る。


 クラサメの頬が引きつった。


 ユヒカさんの言葉ですら聞かないのかこいつ……。

 いっそ特技かもしれない。


「これ、さざ波ですか!? さざ波ですね!? うーわっ初めて見た! すっご……! ぁ」


 注がれる四つの視線。


「……そこへ直れ」

「も、申し訳ありま」
「直れと言っている」

「はい!」


 その場で正座をする○○。


「クロ」

「あいよ」


 キャビネットから放られたグラスを片手で受け取り、ユヒカは掴んでいた瓶と共にテーブルに置いた。


「面白い」


 お前はイケる口だな。

 そう決め付け、口の端を上げて尊大に笑った。


「はい、クラ子もグラス持って」


 ○○が掲げたグラスに酒が注がれる様を見ていると、カオンにグラスを渡された。


「んじゃま、こっから○○も参加っつーコトで仕切り直し! 改めましてー」


 かんぱーい!


 一際大きい声は○○。

 クラサメは軽く頭痛を覚えながらグラスを合わせた。

 因みにクラサメ以外の四人は一気飲み。


「いい飲みっぷりだねえ〜」

「恐縮です!」


 未成年なのに……。


「酒は誰に習った」

「両親並びに親族に!」


 ……未成年なのに……。

 誰でもいいからこの会話に突っ込める人員を寄越せ。

 良い御両親だって何ですか。


「お前、あまり外でそういう事を言うなよ……」

「いいじゃない。固いコト言わないでよ。あそだ」


 新たに注がれた酒を手に、クラサメがいるところまで膝でにじり寄る。

 クラサメが座っていた位置を少しずらすと○○は隣に収まった。


「なんであんたがここにいんのよ」

「……なんだクラ子。言ってなかったのか?」


 傾けていた瓶から口を離しユヒカが二人に視線を向ける。


「……ええ、まあ」


 話し掛けようとしても、○○は聞く耳を持っていなかったから。


「え、何?」


 誰も口を開かない。


 ……自分で言えと。

 言ってくれるような優しさは無かったようだ。

 また煩いんだろうな。


「……この度、四天王の一員になりました」


 はあ!?

 と、即座に噛み付いてくるのを予想していたのだが反応が無い。

 ちらりと隣を伺うと、○○は絶句していた。


「え、嘘……ホントに? 本当ですか? なんで? だって」


 もう一人は。

 そう続いたであろう言葉をテーブルの下で足を蹴り、遮る。

 空気を読んだ○○はそれには触れずに会話を続けた。


「ぇ、えー!? すごい、すごいじゃん! おめでとう! 小間使いじゃなかったんだ!」

「一言余計だ」


 立ったり座ったり回ったり、隣で忙しない○○。


「か、乾杯! クラサメ乾杯! ちょっと何グラス置いてんのよ」


 強引にグラスを持たせ、強引にグラスを合わせる。

 そして。


「また一気かよ……」


 クラサメはげんなりと呟いた。


「そうよ。何あんたまだお酒飲めないの?」


 飲めなくて困った事は無いのだが。


「男でしょーが。飲んで吐いて飲んで吐いてモノにしなさいよ」


 それを聞いたビャクヤとカオンが吹き出した。


 ○○は目をしばたく。


「何か、自分変なコト言いました?」

「いンや? ユヒカちゃんとおんなじコト言ってんなあと思ってさ」

「同意見だ」


 ビャクヤが向けた指の先で、ユヒカは瓶を煽る。


「こッ光栄です!」


 何がどう光栄なんだ。そんな所で合致してんじゃねえよ。


 フンと鼻を鳴らしたユヒカは、空にした瓶をビャクヤに投げ渡し顎でキッチンを指す。

 カオンからも空いた缶を受け取り、ビャクヤはキッチンへ向かった。


「ねえ〜なんか先に無い? 僕もうお腹空いて具合悪いんだけどー」


 先程までビャクヤがいた背もたれに頭を乗せ、力無くお腹をさするカオン。

 それを見て○○は両手をぱちんと合わせた。


「あっフルーツありました! 只今お持ちしますね」
















「なぁんか仲よさ気だねえ〜?」


 カオンが見ているのはキッチンに並ぶデコボコ。

 確かに会話や笑い声が聞こえる。


「いいのかクラ子」

「……おっしゃる意味がわかりません」


 手の中にあるグラスを見ながら言葉を返すと、二人は視線を合わせて肩を竦めた。


「取られちゃうよ?」

「あいつは今フリーだ」


 言ってそれぞれドリンクを傾ける。

 取られるも何も。


「……何度も言いましたが」


 落ち着け俺。相手は大先輩。


「あいつは、ただの同期です。確かにミッション中はよくこちらの呼吸を読むのでやり易いです。が、普段は、馬鹿で、煩くて、喧(やかま)しいだけの、顔を合わせると怒鳴り合いばかりしているエミ……元彼女の親友です」


 それ以上でも、それ以下でもありません。

 何度言っても聞かない先輩方を睨む。


 いつもだ。みんなそうだ。

 ○○と出掛けるとその出先で恋人かと言われる。何だったらクラスメイトからも言われた事さえある。

 怒鳴り合いしかしていないのに。


 何故そんな勘違いが生まれるのか理解できない。

 そう思われるのは。


「不本意です」

「ふぅ〜ん?」


 カオンのその返事は理解してくれたのか判断出来ない。

 ユヒカに至っては、次はどの瓶を開けようかと品定めをしていた。


「……聞いてましたか」


 テーブルから視線を上げる。


「あいつに恋愛感情なんてこれっぽっちも無いんです。零です。皆無なんです。ってだから! 聞いてくださってますかユヒカさん!」

「五月蝿いぞクラ子」


 ……もう嫌だ。帰りたい。

 なんで俺の周りには話を聞かない女子が集まる。


「ちょっとクラサメ、ナニ大声出してんのよ」

「お前のせいだよ馬鹿野郎!」


 はあ!? 何よそれー!


 また、怒鳴り合いになった。
















「おーすっごい! コレ全部今の間にやったの?」


 置くだけ置いて再びキッチンへ向かいながら歯切れの良い返事をする。

 テーブルに置かれたのは二皿に盛られている飾り切りされたフルーツ。


「見事な物だな」


 ヒユカも感心したように身を乗り出した。


「お褒め頂きありがとうございます!」


 三つ目の皿もテーブルに置く。


「え〜……と、あ、あった」

 テーブルの上にあったワインを手に取りコルクを開けようと格闘する。

 が、開かない。

 栓抜き、とテーブルを見渡してるとクラサメにボトルを奪われ、軽くコルクを開けて返された。

 ボトルの口を指で塞ぎながらフルーツに回し掛ける。


「どうぞ! チーズとワインは合いますのでマズくないハズです!」

「ああ。悪くない」

「ん〜おいしっ!」


 ひょいひょいと口に運ぶ二人。


「だがコレは甘すぎだ」


 眉間にしわを刻み、三つ目に持ってきた皿を指す。


「しッ失礼致しました! では失敗作はクラサメに」

「なんで」


 はいと押し付けられたプレートには、プラムやアプリコットがシロップ掛けで盛り付けられていた。


「さっきシロと何話してたの?」


 シャクシャクと洋梨を食べながらカオンが口を開いた。

 シロ? と首を傾けた○○に、カオンはキッチンを指さす。


「ああ……えーと。飾り切りもいーけど丸まんま持ってった方がいいよ、と」


 それを聞いたユヒカがコルクを指で弾いた。


「あっぶねぇなあ。俺今料理中なんすけどー?」


 キッチンから笑いを含んだ声がする。


「やっぱり足りませんね」


 もうちょっと持ってきます。

 また○○はキッチンへ行くため立ち上がった。
















「な? 言った通りだったろ?」


 上体を屈め、こそりと言われた言葉は頷くのも失礼なので○○は曖昧に笑った。


 あいつら質より量だから、そんな小洒落たコトしなくていーって。


 先程フルーツをカットしていた際に言われた言葉である。


「でも喜んで頂けました」


 へへと笑う。

 それでもやっぱり追い付かないから。


「次は普通にカットするだけにします」

「旨い旨いって食ってくれんだけど、作り手としてはちぃーっと物足りねえんだよなー……おっと」

「聞こえてるぞ」


 二発目が飛んできた。

 肩を竦めたビャクヤと目を合わせて笑い合う。


「ナイフ、お借りしますね」


 適当にフルーツを選び腕に抱えて戻るとすでにプレートは空だった。


 あ、どうしよう。


 その困惑は空だった事に対してではなく。


 欲張って抱えすぎた。

 置くに置けない。

 動けず困っていると、クラサメの手が伸びてきていくつか取っていった。


「どれがいいですか?」


 視線を向けるがソファーが一つ空いていた。


「カオンさんなら向こう」


 膝上に置かれたままのプレートからアプリコットを口に運びながらクラサメが口を開いた。

 ユヒカも顎でドアを指す。


「大方、キセルだろうさ」


 え、とユヒカに向けられた視線は二つ。


 意外だ。

 キセル吸うんだ。


 クラサメも見た事が無かった。


「知らなかったか。私の前では吸わんからな」


 煙は好かん、と瓶を煽る。


「フルケアは吸うのか」


 突然の質問に思わず目を泳がせてしまったので恐らくバレた。

 別に内緒にしているわけではないし、○○が吸うという事は知っている。が、あまりいい顔をされないのでクラサメの前では吸わない。

 一応、未成年だし。


「吸うのは勝手だが、向こう行け」

「はぁい……」


 ああクラサメの視線が痛い。


「りんご」

「はい!」


 弾かれたように顔を上げ、りんごを手に取り皮を剥きはじめる。


 ただ欲望の赴くまま口を付いただけかもしれないけど、話題が外れたのは気を遣ってくれたのだろうか。

 まだよくわからない。


「お前、案外器用だったんだな」


 途切らせずに皮を剥く様を見て感心したようにクラサメが呟いた。


「出来ないの?」


 言外に、これくらい、と含まれている。


「悪いか」


 りんごなんて洗ってそのまま丸かじりだ。

 包丁なんて持った事は無い。


 出来るのが普通なのか。

 判断基準がわからず合わせていた視線をちらりとユヒカに向けると、小さく鼻を鳴らしてりんごを手に取った。

 そのままソファーから離れて仁王立ち。


 ……りんごの皮を剥くんだよな? と二人が訝しがっていると、自らの得手である大剣を召喚した。


 二人は、慌てた。
















「ちょいちょい! 人の部屋で物騒なモン出さないでちょーだい」


 器用に腕にまで料理を乗せてきたビャクヤが笑いながら窘める。


「やって見せろと言うから」

「そんなつもりでは……!」


 クラサメが腰を浮かせる。


「ユヒカちゃんに出来るわけないっしょ」


 空いた瓶を退かせながら、テーブルに皿を並べていく。


「6歳のときからストレートで武官の人生だし、キッチンに立ったコトすら無いんじゃね?」

「経験が無いだけだ。出来る気がする」

「そりゃ気のせいだ。まずナイフの握り方から教えますかね。とりあえず、それ置きなさい」


 言いながらワイヤーで大剣を搦め捕り、先程までユヒカが座っていた椅子に立て掛けた。


「でも、立派な朱雀の飾り切りとか出来ちゃいそうですよね!」

「だろう?」

「煽んなよお前」


 鼻息の荒い○○をクラサメが小突く。


「またの機会に披露してやる。先にメシだ」


 召し上がれ〜と言いつつ、ビャクヤは一皿持ってカオンがいる部屋に消えて行った。


「一つ、聞いてもいいでしょうか」


 クラサメが見ているのは大剣の柄。

 すでに料理を頬張っているユヒカは視線だけで促した。


「その飾り房って……」


 ああ。

 酒で流し込み、口を開く。


「キングベヒーモスのトサカだ」


 トサカ……。


「あッ! だから?」

「……みたいだな」


 二人は合点がいったようだが、ユヒカには何の事だかわからない。

 向けられる視線に、クラサメは居直った。


 ユヒカたちと会ったベスネルでの任務後だ。

 四天王に遭遇するという格好の話題があったため陰に隠れがちだったが、根強く噂になっていた。

 ○○やクラサメが対峙したときは立派な紫色の毛が生えていたので否定していたのだが。


「一時期、クラス中で噂になったんです。……その、キングベヒーモスが、……ハゲてると」

「おや。……私のせいか」


 抱えていた皿を平らげてテーブルに置く。


「ヤツのあの色がえらい気に入ってな。以来、討伐した際には必ず毟って帰る」


 確かに、手入れが行き届いているとはいえ、使い込んでいるはずのその大剣の房は綺麗だ。

 定期的に替えているのか。


「死して尚、生き恥を曝させてしまったか。悪い事をしたな」


 思ってないでしょう。

 缶を煽るユヒカを見てプラムを食べながらそう思う。


「ハゲてるベヒーモス……」


 ぶふっと吹き出す○○。


「あんなに苦労したのになあ〜」


 ざんばら頭のキングベヒーモス。

 威厳も何もあったもんじゃない。


「死にかけといてよく言う」

「あっ酷ッ!」

「酷くねぇよ。メロエでユヒカさんたちに会ってなかったらお前本当に死んでたぞ」

「今生きてんだからいいじゃん!」

「少しは反省しろ。後悔しろ。我が身の無鉄砲振りを振り返れよ」

「あーもう! うっさいわね! お酒がマズくなるでしょ! 今やめてよ!」

「いつなら聞くんだお前は! いつだって話聞かないだろうが! ってどこ行く!」

「あ、ごめん。なんかビャクヤさんが呼んでる」


 切り分けていたナイフを置いて○○は隣の部屋に駆けていった。


 クラサメはこめかみを揉んだ。

 やはり話を聞かない……。

 いつでもどこでも。

 聞いたためしがない。

 溜め息と共に最後のひとすくいを口に運び皿をテーブルに置くと、にやにやと笑むユヒカが目に入った。


「……いかが致しました」

「面白いな。喧嘩中ではなかったか?」

「……あれは単細胞なので。大方、皆さんを前に忘れているんでしょう」

「それが地か?」


 猫を被る必要なんか無いぞ、と、また瓶を煽る。


「被る猫なんかいません」


 クラスメイトや教官と対するときが地であると、クラサメは思っている。

 怒鳴り合いになるのは○○だけで、むしろあれが地では無い。

 何故かは、わからない。


「気に入ったぞフルケア。酒がわかるのもいい。帰院した際にはまた飲みたいものだ」


 光栄です!

 とか、また言うんだろうな。想像に難くない。

 クラサメは溜め息を付いた。


「……自分より、あいつを加入させるべきだったのでは?」


 クラサメにそんな社交性は無い。

 僻みっぽくなってしまったのは仕方が無いと思う。


「お前、案外馬鹿なのか?」


 カーテンがひかれている窓を見ていると、スコン、と音が聞こえてきそうな、そんな言葉が投げ掛けられた。


「それとこれとは話が別だ」


 案外馬鹿、のレッテルを貼られたクラサメは、口を尖らせながらその言葉を投げ付けてきた人物を見る。


 アレは駄目だ。

 言いながらユヒカは新しい皿に手を付けた。


「駄目、ですか」


 そこまで迷い無く言われると逆に擁護してしまう。

 多少馬鹿だが実力だってある。機転だって効く。

 クラサメが選抜されたのだし、選考に入るくらいはしても。


「お前以上に甘い上、頑固ときている。到底使い物にならん。あれではすぐ死ぬ」

「そんな、事は」


 多少危なっかしい所はあるが。


「そしてアレと一緒だとお前も死ぬぞ」


 引きずられる。

 拳で口を拭いながら、いつの間にかあの強い眼差しを向けられていた。


「死にたがりの周りは共に腐る物だ」
「訂正願います」


 思わず、口を付いて言葉が出ていた。


「あいつは死にたがりではありません。申し訳ありませんが、今の言葉は聞き流せません」


 訂正を。と、重ねられた言葉。

 温度の低い視線同士がぶつかり合う。


「悪かった」


 折れたのはユヒカだった。


「だがすぐ死ぬという事は否定出来んな」


 そこは相変わらず曲げないユヒカに溜め息をつく。


「何を根拠」
「守ってやれ」


 急に言われた言葉に目を見張る。


「と、言いたい所だが、クラ子もひよっこだからな。ひよっこ同士では話にならん。駆け足では温い。全力疾走だ」


 早く背中を任せられるまでに成長しろ。

 缶を煽り、空になったであろうそれをテーブルに置く。

 クラサメは返事はせず、膝上で拳を握った。

 四天王加入は、力を付ける良い機会ではある。というか付けねば自分が死ぬ。

 順序が逆である気もするが。


「クラ子にした決め手がもう一つある。そして、だからフルケアは駄目だともいうな」


 まともな口調に、視線を上げる。


「死んだスノウが、ブリザド使いだったんだ。適任だろう? 氷剣の死神」


 また返事に困る事を……。


「ビャクヤはフルケアを押した。カノンは二人入れてしまえばと言った。だが私が却下した」


 言いながら新しい瓶の蓋を開ける。


「フルケアが却下なのは先の理由の通りだ。そしてカノンの意見だがな。守るものがあると強くならねばならないため、成長せざるを得ないのも事実」


 だから誤解だと。


「だがな」


 口を開いたクラサメを先に制する。


 考えてもみろ。

 ヒユカがそう言ったとき、隣の部屋へ通じるドアが開いた。






















「失礼しまーす」


 すでに軽く開いている扉を更に押し開いて入室する。


「お呼びですか?」


 どうやら寝室のようで、クローゼットや大きなベッドが配置されている。

 ビャクヤとカオンは窓際にいた。

 手招きされたのでドアを閉めて向かう。


「用、ってワケじゃないんだけど」

「○○ちゃんも吸うんだってね。これ吸ってみる?」


 差し出されたのは螺鈿の細工が施されたカオンが吸っているキセル。


「いえ! 大丈夫です!」

「クラ子に怒られる? 黙っててやるよ」


 クラ子……。クラサメのコトか。


「バレたら、悪いオニーサンに無理矢理吸わされたって言えばいいよ」

「ソレ俺のコトかしら?」

「僕は良いオニーサンだもん」


 ひっでぇなあ、と、笑いながら自らも煙を吐き出す。


「仲、いいんですね」


 思わず、微笑んでしまう程に。


「でもまだ出会って5年だぜ? 訓練生だったときに初顔合わせだったからなあ」


 お互い第一印象最悪だったよねーと、カオンは窓の外に煙を吐き出した。


「○○ちゃんとクラ子も仲いいよね。幼なじみ?」

「……入学してからですので、まだ3年ですが……」

「えっ?」


 実際は3年も経っていない。


「すげえ呼吸だな」

「うん。息ぴったりだよね」


 嬉しくない。


「……大きいベッドですねー」


 話題を逸らすため、そんな事を口に出す。

 意外な事に割と片付いている。自分の部屋よりよほど綺麗だ。

 ベッドメイクまでしてある。

 近付くと、恋人の残り香なのかふわりと甘い香りがした。


「寝てみる? お嬢さん」

「わっ」


 耳元で囁かれた言葉。

 気付くとビャクヤがすぐ後ろにいた。

 えーと……彼氏いるんですけど……。ってそーゆーコトじゃないか。単純にベッドの寝心地自慢?


「こーら。幼気(いたいけ)な少女をからかうんじゃありません」


 返事に困っていると、くすくす笑いながらカオンが優雅にキセルの煙を吐き出した。


「噛み付かれるよ?」

「だーよなあ」


 虫歯無さそうだし手加減もしなさそー。

 そう言って窓へ戻る。


 ……虫歯は無いけど手加減しますよ。

 ってか私噛み付いたりなんか。

 どんなキャラになった。


 知らず、難しい顔をしてしまったようで。


「ほらー変な顔してるじゃん。シロのせいだよ」

「煙吹き掛けんなっ!」


 ……まあいいや。どんなキャラでも。

 激レアで、雲の上の存在だった四天王と今こうして話せているコトだし。

 不死身とか言われてるけれど、触れてみるとやっぱり普通の人間である。

 自分がクラスメイトとするような中身の無い話ばかりしていて。

 楽しいし。お酒美味しかったし。


 ただ、楽しい時間はあっという間に過ぎるもので。

 空が白んでいた。


「そろそろ私帰ります。1時限目、入ってるんで」


 部屋に帰ってシャワーを浴びたらもう寝る時間は無い。

 久しぶりの徹夜だ。


「あら。悪い事したねえ」

「あ! 大丈夫です」


 視線を交わす二人に慌てて付け加える。


「スズヒサ教官の講義なんで寝ときますから」


 ひゅうとビャクヤが口笛を吹いた。


「言うね〜。確かにアイツ、しょーもない武勇伝ばっかで意味ねぇもんなー」

「寝るのもいいけど見つからないようにね。あの人に目、つけられたら厄介だから」


 すかさず返された言葉からも長年あのままなのだろうなと想像がつく。

 どこでも良い噂を聞かない。あの人を慕う人物はいるのだろうか。


 コツがあるんで大丈夫です、と力強く拳を握る。

 その様子にまたビャクヤがくくっと笑った。


「いやあウケるわ○○。また飲みに来いよ。美味い酒用意しとくから」


 なぁ、と視線を向けられたカオンも頷いていた。


「嬉しいです! こちらこそです!」


 喜び回る○○を微笑ましく見ながらカオンはキセルの葉を落とし、布に包んで仕舞った。

 コレ吸ったら戻るかーと、ビャクヤは煙を輪にして吐き出す。


「いいのか○○」


 指されているのは煙草。

 そこまで必要とするほどスモーカーじゃないんだけど。

 でも重ねて断るのも悪い気がしたから。


 じゃあ一口だけ。


 言って窓枠に手を付き背伸びをして吸いかけの煙草に唇を寄せた。

 ジジ、と閉じた瞼の向こうで火が進む気配がする。

 煙を深く肺に入れ、薄く吐き出しながらへにょりとしゃがみこんだ。


「ん……キツいやつですか? ……寝てないせいかな……ちょっとくらっと来ました……」


 長く伸びた灰が窓枠にぽとりと落ちた。


「……俺も、くらっと来ました……」

「なるほどコレかあ〜……」

「ナニコレ小悪魔? ツンデレ? あ、天然?」

「それも保護が必要な類いの天然記念生物かも……」

「やっぱまとめて四天王に入れちゃえばよかったんじゃね? そしたら力も付くわ、近くで守れるわで一石二鳥」

「駄目ですよ!」


 二人は視線を下へ向けた。

 割って入ったのはしゃがんでいる○○。


「だってそんなコトになったら!」






















「マジウケる! 超ウケるんだけど!」


 ゲラゲラ爆笑しながらビャクヤが部屋から出て来た。


「ヒユカちゃん聞いて〜。○○ちゃん何て言ったと思う?」


 後ろに続くカオンも腹を抱えている。

 涙を拭いながら話そうとするが言葉にならない。


「ちょ、○○、ユヒカちゃんたちに、教えッくくッ」


 ぱたんと扉を閉じて、最後に出て来たのは○○。


 何言ったんだアイツ……。


「えーと、私も四天王に加えちゃえばって話になったんです。けど、そうなると大問題が、って言ってそれは「朱雀五天王になる」か?」


 見事にハモり、言葉尻を取ったのは瓶を傾けたユヒカ。


 そのワードが、また二人の笑いを誘う。


「五天ッ五天王って!」

「子供の正義の味方じゃないんだから……ッ」


 腹をよじりながら苦しそうな呼吸をするビャクヤとカオンを見ながらクラサメはゆっくりとユヒカを振り返った。

 涼しい顔で料理を口に運んでいる。

 が、何やら無言の圧力を感じる。


 ……言ったら、怒るんだろうか。


「お前な、ユヒカさんと同じこ」


 喋っていると頬にプルタブが飛んできた。

 料理を口に運びながらこちらを睨んでいる。


「もう! そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」


 何色着る? と話し始めた二人に向かって恥ずかしさからか大声を出す○○。


「すいません、私講義入ってるんで帰ります!」

「え」

「そうよ、徹夜よ! ……と、今日はお招き頂いてありがとうございました! 楽しかったです」


 ああ、どうしてこんな慌ただしい去り際に……。

 ぺこんと一礼してドアを開ける。


「待て、俺も」

「フルケア」


 呼ばわれて振り返ると、ユヒカが酒瓶をゆらゆら掲げていた。


「また来い。とっておきを出してやろう」


 顎を上げて笑っている。


 光栄です! 必ず!


 最後にまた頭を下げ、部屋をあとにした。






















「眠い」

「うん。部屋帰って早く寝よ?」

「今日だよ今日。任務から帰ってきたばっか」

「そうなんだ。おかえり」

「まだ荷も解いてねえし。日付替わって昨日か」

「そだね」

「酒飲めないって言ってんのに」

「うん」

「酒しかないんだ」

「うん」

「一応、俺の加入祝いの席なのに」

「おめでとう」

「ビャクヤさんの部屋の片付けまでして」

「やっぱり」

「ん?」

「服の畳み方とか、雑誌の配置順とか、ベッドメイクとか、クラサメと一緒だったから」

「気づいたのか」

「うん」

「部屋すげえ汚かったから」

「うーん……うん」

「日を改めましょうって言ったのに」

「うん」

「俺の都合、全無視」

「それは、まあ、一番新人だし」

「尊敬はしてるんだ。学ぶ所も沢山あるし」

「そっか」

「でもすげえ強引で」

「うん」

「お前みたい」

「えーとごめん」

「ホントだ」

「ねえクラサメ君。とりあえず立とうか。ね?」






















「あんたまで来る事なかったのに」


 自室に帰るためビャクヤの部屋をあとにした○○は、一緒について来たクラサメに向かって口を開いた。


「疲れてんだよ。今日ミッションから帰ってきたばかりだぞ」


 やはり何時になるか終わりは見えなかった。

 酒豪という面でも化け物らしい。そっち方面は付き合ってられない。


 ○○は、ふぅ〜ん? と言って歩き出した。


「案内してよ。魔法陣、どっち?」

「ここまで来たのに?」

「連れられてきただけだもん。それに頭ン中それどころじゃなかったし」


 いかにスマートに、彼氏を連れて辞退するか。それだけを考えていた。

 じゃなくても少し方向感覚が鈍いのに。


「そだ、ねえ、四天王のもう一人は? そもそもなんでクラサメが」

「死んだそうだ」


 歩みを止め、クラサメを振り返る。


「先任、スノウさん。俺達とメロエで会った、前日に」


 やはりあの血は返り血だった。ただし、仲間の。

 ファーストコンタクトがあれ、というのも運が無いが、あれだけ神経が尖っていたのも納得がいく。


 今日だけは、落としたくなくってな。そう言って笑ったビャクヤを思い出す。

 心が壊れていたと感じた○○のフィーリングも正しかった。


 しばらく無言が続いた後、そう、と短く呟いた。


「クラサメは、」


 死なないでね。


 言いかけた言葉は声にはならなかった。

 戦闘職種である自分たちは、いつでも心の底に死を覚悟して任務に当たる。

 それは四天王でも候補生でも同じだ。


「強くなるよ」


 無言を破ったのはクラサメ。


「俺だって死にたくはない。付け焼き刃だろうが叩き上げだろうが望むところ。上等だ」


 順序が逆だろうがな。

 口の端を上げる。


「私も頑張ろー」


 とりあえず、授業だ。


「ああ。頑張るけど……」


 気持ち悪い。

 言って壁に手を付くクラサメ。


「あんた、飲んだの!?」

「乾杯のグラスだけ……」


 だらし無い……。

 背中をさすりながら、上戸である○○はそう思ってしまう。

 クラサメはそのまま壁に体重を預け、ずるずると廊下に座り込んでしまった。


「あ、こら! こんなトコ座り込まないでよ! せめて魔法陣まで案内」

「少し、休ませろ」


 立てた片膝に腕を乗せ、俯くクラサメ。


 今何時だろう。

 思うが、一人では陣までたどり着くのも時間が掛かる。

 放置していくのも気が引ける。


「俯くより、顔、上げといた方がいいよ」


 横にしゃがみ込みながら、アドバイスを掛ける。

 クラサメは素直に頭を壁に付けた。


「大丈夫? 背中さする?」

「いい……」


 眉間にしわを刻みながら深い呼吸を繰り返す。


「頭、重い……」

「疲れてるんだよ」

「そうだよ。ミッションから帰ってきたばっかだ」


 おっと。それさっき聞いたよ。

 よくない傾向を感じる。


 そしてクラサメは眠いと言い出した。
















「クラサメッ立って! ほら、部屋帰ったらふかふかベッドで寝れるよ?」


 腕を引っ張るが動く気配がない。

 立ち上がるつもりのない男子を立たせるのは小柄な○○では無理だ。


「ここでいいや」

「はあ!?」


 普段のクラサメからはありえない、そんな信じられない事を言う。

 酔いと疲労に加え、四天王しか来る事がない、人通りの無い廊下だからこんな事を言うのだろうか。


「ここもふかふかだし」

「確かに、高そうな敷物だけど! そゆ問題じゃない! クラサメってば!」


 ともすれば横になろうとするのは、なんとか阻止する。


「ねぇ、起きてよ! クラサメ! 立ってってば! ちょッ」


 あろう事か抱きしめられた。


「ちょー!? ナニすん」

「エミナ……」

「はぁー!?」


 どうやら元カノと勘違いをしているらしい。


「エミナ違う! 起きろ、馬鹿!」


 暴れるが腕は解けない。


「エミナ、なんか酒臭い……」

「だからエミナ違う! ○○! 私○○だし!」

「○○……」


 ふっとクラサメの目が開いた。


「そうよ、よく見ろ! あんたが抱きしめてんのは○○! わかったら離し」

「いいやお前で」


 我慢してやる。


 そう言ってクラサメはまた目を閉じた。


「我慢ってナニよ我慢って! こら、我慢するくらいならいらないでしょーよ!」


 耳元で怒鳴りつけるが眉をしかめるだけで目は開かない。


「こんの、朴念仁がー! そんなだからエミナにフラれんのよ! ってそういや無視してたんだった! 忘れてた! 離せ! はーなーせー!!」


 ○○はビャクヤの名を呼んだ。

 はいつくばりながらキングベヒーモスと目が合ったとき並に。


 それはもう、必死に。






















 クラサメが目を覚ましたのは、開けられたカーテンからの眩しい太陽光によってだった。

 自室ではない。

 だが起き抜けの頭でさえ、どこなのかはわかる。

 だってここは昨日自分が片付けた部屋。

 掛け布団を剥がしリビングへ続くドアを開けると、そこにはくわえ煙草で雑誌を読むビャクヤの姿があった。


「よぅ。おはよーさん」


 にやりと笑い煙を吐き出す。


 ……自室に帰ったはずだ。

 ○○と部屋を出たのに何故自分はここにいる。

 覚えがない。記憶が途切れている。


 本当に帰ったのであれば今までビャクヤのベッドにいた事実は何故なのか。


「具合は? 頭痛くねぇか」


 冷蔵庫からミネラルウォーターを出して放られた。

 受け取りながらも小さく否定する。

 そういえば重かった頭は今はすっきりしていた。


「すいません……。自分、ご迷惑を掛けてしまったようで」

「気にすんな。一緒に寝た仲じゃねぇか」


 にやにやと言われる言葉は、クラサメの反応を絶対面白がっている。


「……申し訳ありませんでした」


 それがわかるだけに努めて冷静に返答した。


「謝るなら俺じゃなくて○○にかな」

「は?」


 びっくりしたわーと笑うビャクヤ。


「いや、二人が帰って三人で飲んでたんだけど。しばらくしてから○○の声が聞こえてさ」


 とっくに帰ったと思ったんだけど。

 呼ばれて向かった先では、クラサメにしがみつかれた○○が困り果ててこちらを見ていた。
















「た、助けてください!」


 縋るように向けられた瞳は本当に必死だ。


「あはははははは」

「いやあの笑ってないで!」


 壁に手をつけ爆笑。


「離してくれないんです! マジで講義遅れちゃう」


 お願いします!

 べしべしとクラサメの腕を叩く。


「いいんじゃね? も、休んじまえば」

「後でいちゃもんつけられる方が嫌なんで!」


 確かにねえ、と二人の前にしゃがみ込む。


「ごめんねクラ子ー。幸せの続きは夢の中で味わってくれ」

「何が幸せですか! 思いっきし眉間にしわ寄ってますでしょ!」


 またツボる事を。


「ありゃ……指解けないわ」

「ご冗談を!」


 ビャクヤに解けないはずはない。


「それ脱げば?」

「なるほど!」


 もぞもぞと腕を抜きはじめる。

 ビャクヤが部屋に迎えに来たとき、就寝間際だったため○○は薄着だった。正装に着替えようとしたのだがそのまま連れ出され、道すがら、ビャクヤが着ていたパーカーを羽織らされた。


 なんとか腕を抜いた○○は、ビャクヤの力を借りてクラサメの腕の中から脱出に成功した。


「なんかもうコイツこのまま転がしといていいですから!」


 鼻息荒く、頭をごちりと殴る。


「あ、そだ以前にお借りしたガードエンブレム……! あの、壊してしまいまして……。べ、弁償を……」

「ありゃあげたモンだ。どう使っても構わねえよ」


 ビャクヤがひらひらと手を振ると、安心したように息を吐いて笑った。


「良かった……あ、いや……。えっと、あ! 今メンテに出してるんです! 普段つけておけるアクセに改造してもらおうと思って」

「嬉しいコトしてくれるじゃん」


 普段は馬鹿な言動が多いのに、たまにツボを付いてくる。

 頭をかいぐりしていると、今は寝ている番犬が目に入った。


 噛み付かれるよ?


 カオンの言葉が蘇る。


 だーよなあ。

 面倒はごめんだ。からかう程度で止めておこう。


「いーよ、行きな。クラ子は持って帰るから」

「すいません! その馬鹿よろしくお願いします!」


 勢いよく礼をして駆けて行く○○。


 そっちじゃねえよ!

 あれ?


 パーカーを抱きしめて眠るクラサメを放置して、先に魔法陣まで案内をした。
















「そんなわけっすよ」


 語られた話に、クラサメはソファーの背もたれに手をついた。

 酒のせいではない頭痛がする。


「任務終わりで飲めない酒飲んだとはいえ、あれはマズいんじゃね?」

「……マズいですね」


 さすがに。

 久しぶりに話したが、また無視が続く気がする。


「さっさと謝っとけよ」


 クラ子と○○が喧嘩してたら飲みにも呼べないしな。


「ええ」


 確かに謝るなら早い方がいい。

 自分の意思ではないとはいえ、自分が悪い。

 10:0で。


「帰ります」

「ちょい待ち」


 扉に向かうと呼び止められた。


「パーカー置いてけ。それ俺の」


 言われて初めて手に握られたままの物を見る。

 昨夜○○が着ていたパーカーだった。


「すんげーしっかり握っててさ。指剥がせなかったから○○に脱いでもらった。寝てるときもしっかり抱きしめて寝てたしな」


 にやにやと煙草を灰皿に押し付ける。

 そんなビャクヤの考えとは違う思いでクラサメは肩を落とした。


 ビャクヤのパーカーを抱きしめながらビャクヤのベッドで寝る自分……。

 情けない……。

 しかも酒臭いパーカーを。


「洗って返します」


 言ってドアをくぐった。





「○○が着てたパーカーはそのまんま返せないってか? ますますやらしー」


 青春だねー。

 一人になった部屋でビャクヤは新たに煙草に火を付けた。
















end
後書き