クラサメ・スサヤは苛立っていた。
自身に向けて放たれるエアロBOM。
その爆風によりマントがはためくのも構わず、目を凝らして相手を探す。
マズい。見失った。
視覚から情報が得られない。視線は動かしながらも意識配分を3:7にし脳内を漁る。
次の手は。
耳に飛び込んできた飛来音。飛び退くと今さっきまでいた場所に刺さっているのはエアロラSHGだった。
冷や汗が、背中を──。
あまいよ。
伝い落ちる前に全身が粟立ち、とっさに剣をヤナギに構える。
聴覚に感じたのと剣に応える重圧は同時。振り下ろされたのは鉄扇だ。
「……あれま」
「そこまで」
特に張られたわけでもない声に、だが二人は動きを止める。
腕に掛かっていた負荷が無くなると、クラサメはその場に座り込んで詰めていた息を吐きだし、吸い込むを繰り返した。
「止めた止めた。お兄さんは嬉しいよ」
成長してるねえ。
クラサメに手を貸し、立ち上がらせたのはカオン。
鉄扇を得手とする四天王の一人だ。
成長。
しているのか、など疑問になんて思わない。
急成長だ。自覚ないわけがない。
ただ成長している実感はあっても追い付いている実感は全く無かった。
だって柔和な笑みをたたえている目の前のカオンは息一つ乱していない。
「どう? ユヒカちゃん」
「60点。」
お、高いんじゃない?
耳打ちをしたカオンはクラサメを肘でつついた。
まだ息が整わないまま、意外な高評価を下した人物を視界に入れる。
何故トレーニングルームにこんな不似合いな物がと最初は思ったが、居丈高に脚を組み頬杖をついている様は納得させるに足る。
背もたれの高い豪奢な椅子。それがやたら似合っているその人自体も豪奢。
ユヒカ・ジャックリーン。
四天王唯一の女性であり、ボスだ。
「相手を見失う失態はしたもののリカバリーは良かった。ただ反応はまだ遅い。鍛練を積め」
見据えられる視線は全ての反発を力で捩じ伏せる。
全身にナニかを感じて構えた剣。
あれでもまだ遅いとボスは言う。
粟立ってから構えるまでも遅かったのだろうか。
……同時くらいなんだけど。
じゃあなんだ。
粟立つ前に構えろと?
それこそヤマ勘。闇雲でしかないではないか。
「何か言いたそうな面だな」
「いいえ」
とは言うものの、さぞ自分は仏頂面になっている事だろう。
さして追求はせずに鼻を鳴らしたユヒカはクラサメに返事を求めた。
「イエス・ボス」
「カノン、お前もだ。仕切り直す際、相手の左方向を好む癖がある。だからクラ子にショットガンを読まれた」
「わーこっちくるかー」
カオンは笑いながら肩を竦めた。
前に幾度か喰らっていたSHG。
ユヒカの言うとおり、避けれたのは偏(ひとえ)に経験からだ。
「今日のお前は30点だ」
「……相変わらず、厳しいなあ」
いつもと変わらないユヒカのトーンに返すカオンも変わらない。
しかしクラサメの呼吸は不自然に潜められ、横を向くのにも躊躇いを生ませた。
「ボスの機嫌を損ねないようにがんばりますか、クラ子くん」
覗き込んでくるカオンはいつもの調子。
否、先から調子は変わってないはず。
「はい」
しかしカオンに微笑みを向けられてやっと、返事も出来る程に呼吸は戻ったのだった。
「クールダウン始め。リード・カノン」
緩い返事をして鉄扇を帰還させたカオンは、腕の力を抜いて軽く跳びはねを始めた。
稽古前後のアップとダウン。
リードの指名を受けたものがメニューを組み他はそれに倣うスタイルだ。
演習でも行うような軽い体操。
これくらいなら自分にだって出来るのにとは思うが下手に名乗り出せない。
言い出しておきながら何か一歩でも間違えたのなら冷ややかな一瞥を喰らう事になる。
そして稽古で重点を置いたところを確実にほぐす内容を組むのは、やはりまだ自分には甘い部分だ。
「クラ子。お前、紅茶は飲むか」
思い出したように投げ掛けられた言葉に、屈伸をしながら返事をする。
「いえ。自分から進んでは」
そうか、と呟き顎に手を当てるユヒカ。
「何、ユヒカちゃん。まだあるの?」
股割に次いで肩入れをしながらカオンが笑った。
「思っていたより大量でな。いらんと言ったのに」
珍しく溜め息をついたユヒカにクラサメは首を傾げる。
「前に飲んでませんでしたか?」
欲しいですと言う程好きなわけではないが、ユヒカが前に口にしていたのは見た事があった。
自ら購入したわけではないその様子だが、あるなら自分で飲めばと思う。
「出されれば飲むさ。しかし如何せん茶葉だ。茶になるまでの手間が煩わしい」
そこまで……。
脱力しながら腰を降ろし前に身体を倒した。
その椅子に腰掛け、馬鹿みたいに高価なカップで紅茶を飲んでいる姿は容易に想像される。
しかし目の前の人物はそんな考えをあっさりと裏切ってみせるのだ。
「どうしてやろうかと悩んでな。2、3袋バスタブにぶち込んでみたんだが」
まだ臭う。
そう言ってユヒカは鼻面にしわを寄せた。
「香水を……替えたんだと思ってました」
数日前から前を歩くユヒカの香りがいつもと違うのは気付いていた。
紅茶だったんだ。
というか入浴剤として紅茶を入れるなんて……。
なんという発想。
「わかるか」
「今は……いつもの香水の匂いと混ざってますけど」
臭うと嫌悪する程キツイわけでもないし、混ざったそれもそれ自体が香水としてありそうである。
掛け合わさっているそのどちらもが、恐らく高価だ。
「ハイ。壱の型から始め」
立ち上がったカオンに倣い、クラサメも立ち上がった。
カオンがちらりとユヒカに視線を送る。
「流しでいくよ」
言い様に型を始める。
「ッ合図くらいください!」
壱から玖まである型は、後半が組み手だ。
スタートは各々だが組み手でいつもクラサメは待たせてしまう。
「はい追い付いて追い付いて」
よそ見をしながらカオンのスピードは落ちない。
染み付いている型だ。クラサメも考える事なく身体は動く。
「ビャクヤさんと○○は何やってるんですか」
全員が揃って始まった今日の稽古。
クラ子ー、○○借りるぞ。
途中入室してきた○○だが、すぐにビャクヤと出て行った。
「気になる?」
「……普通に気になりますが」
借りると言いながら返事を求めていたのは当初のみで、クラサメの意思とは関係なく○○と出ていく。初めての事ではない。
それはカオンもだ。
二人に聞いても、内緒、という言葉しか返ってこない。
気になるのが普通だろ。
だからその笑みは止めてほしい。
「手が止まっているぞ」
止めてはいないし緩めたつもりもないが、カオンはすでに伍の型を終えていた。
小さく謝罪をし、急いで身を振り、待つカオンの前に立つ。
「お願いします」
短く息を吐きだし、一礼の後、両者腰を落とす。淕の型は段蹴りから。
「終わったらメシだ。今日は何だろうな」
頬杖をついたままユヒカは扉へと視線を向けた。
という事は二人が帰ってくるのだろう。また凄い量なんだろうな。
トレーニングの間に挟む昼食としては広げられる量は凄まじい。
全てビャクヤが作っているのだと思っていたが、ビャクヤと組んでいた際に運んできたのはカオンだった。
作ってるのはモーグリだと前にカオンが教えてくれた。
事前にオーダーしておけば、時間通りに用意される。メニューは特になく、全てリクエスト。
それも四天王の特権の一つ。
メシ……。
けだる気にそう呟くユヒカは昼食を本当に待ち望んでいるようだ。
“メシ”っていうのが男の名前だったら、あれ、恋患いですよね。
距離が詰まった際、カオンに言ったら笑われた。
「野郎どもーごはんだぞぃ」
「お疲れ様です!」
カオンとクラサメが終礼をしたのと同時に扉が開き、入ってきたのはワゴンを押したビャクヤとフルーツを抱えた○○。
「クラサメ汗だく! ちょっと、タオルは?」
流しとはいえ型の壱から玖までを10分強でやったばかり。
ダウンであろうと息はまだ弾んでいる。
しかし。
「いいから、先にそれ置け」
「見てわかるでしょ? 塞がってんの。手伝ってよ」
踵を返しテーブルに向かう○○の後に続くと、山盛りになっているそれを次々にテーブルに置いていく。
「なんでそんなに抱えきれないぐらい持ってるんだ。ワゴンに乗せればいいだろ」
「乗り切らなかったから私が持ってるんだってば」
「だからってお前、腹」
「フルケア。梨」
「はい!」
ユヒカに梨を所望された○○はクラサメとの会話をぶった切り、むんずと梨を掴んで駆けて行った。
溜め息をついてその背を見ていると、対面で料理を並べているビャクヤが笑いを零していた。
「やめて頂けませんか。アレで遊ぶの」
「何のコトかしらぁ〜??」
どこまでも惚けるビャクヤにクラサメの眉間にしわが刻まれる。
○○が抱えていたフルーツ。
量としてはキャパシティオーバーだ。
「最初は3つ4つ持って貰う予定だったんだけど」
思い出しているのかビャクヤが笑った。
両手にひとつずつ。更に渡すと腕に抱えればいいものを、○○は制服の裾をエプロンにした。ビャクヤの視界にはバスケットもあったのだが。
片眉を跳ね上げたのは一瞬。
更に更に渡すと更に更にエプロンを深くする○○。
「どこまでサービスしてくれんのかなーって」
しゃがんで頬杖をついて堪能させてもらったが○○は首を傾げるばかり。
何か落ちそうです?
そんな事を言うくらい気付いていない。
そんな理由で腹を晒しながら○○は部屋まで歩いてきたわけである。誰とすれ違ったわけでもないだろうが、好ましい事態ではない。
「……女の腹なんて、ビャクヤさんなら見慣れてるでしょう」
見慣れているのは腹どころではないはずだ。
それを何故わざわざ○○に求める。
「今までにないタイプで新鮮なんだよな、アイツ」
ユヒカの足元で頬を上気させている○○に視線を向ける。
色気があって考えが大人。今まで抱いてきたそんな恋人たちとはまるで対極。
「釣り合いませんよ、ビャクヤさんには」
仏頂面になりながらもワゴンから料理を運び、テーブルに並べるクラサメに口の端が上がる。
可愛い後半が出来たもんだ。
自分のだとは言えないでいる様は見ていてむず痒い。超青春だ。
「ま、もっと出っ張ったりへっこんでたりする方が好みなんだけどー」
そんな○○には誰が釣り合うんでしょうねー?
ビャクヤが覗き込むとクラサメの眉間には深いしわが刻まれた。
逡巡の後、クラサメは呟く。
「同期の……ダレか、……とか。」
それはただのビャクヤ除けの言葉。
相手が俺じゃなくて同期だったらどーすんだか。
笑いながらクラサメの頭を一撫でして、ビャクヤも手を動かしはじめた。
だって他に何て言える。
ビャクヤになくてクラサメにあるモノ。
誠実さ、とか?
頼りがい、身体つき、愛想、気配り、女の扱い。
たった2歳しか違わないのに全てにおいて勝てる気がしない。
同期とかがいいんじゃないすか。
だからそれくらいしか言えなかった。
同い年である事だけは唯一絶対だが、けれども○○は年上が範囲外というわけではない。
四天王にクラサメが加入して以降、○○も彼らと接する時間は増えた。
この頃はよく密にビャクヤやカオンと過ごしている。長く一緒にいればいる程彼らの魅力に気づくのではないか。惚れ出したらどうしよう。
クラサメは眉間を揉みほぐした。
「眼精疲労? 大丈夫?」
背中をマッサージしていた○○が覗き込んできた。
「首も少しやっとこうか」
膝で歩きクラサメの背に座った○○は指の腹で首筋を揉みほぐしにかかった。
「痛くない?」
「ああ」
カオンからも褒められただけあって、やはり○○のマッサージは気持ち良かった。
力加減が絶妙。
「寝ちゃっていいからね」
「……悪い」
「悪くないよ。ハードなんでしょ」
クラサメが小さく欠伸をした事への気遣い。
教員に加え四天王の仕事も熟すクラサメに、○○は心配する風をよく見せるようになった。
嬉しいような申し訳ないような情けないな。
でも嬉しい。
「貰ったお茶っ葉、今度飲もうか」
ユヒカが処分に困っていた茶葉は、帰り際、○○が貰い受けていた。
「お前、自分で入れる程好きだったのか?」
「あんまり詳しくないけど……ロールストランドだよ。聞いたコトくらいあるでしょ?」
やっぱり高級品だった。
茶葉と茶器の一流ブランドだ。
疎いクラサメも知っている。
だって。
「エミナが好きなブランドだもんねー。喜ぶよ」
他にくれてやっても構わん、と、貰ったのは一式。
茶器に至っては未開封だ。
「エミナみたいに上手には煎れれないけど」
それでよければ。
そう言って○○は笑った。
「構わない」
違いなんてクラサメにはわからない。
「エミナの前じゃ、ストレートでしか飲めないもんね」
「そうだな」
○○の前だと甘く出来るからというわけでもなく。
はちみつとレモンとミルクと。
指折り、用意するものをあげる。
「ティーポット、ある?」
「ああ」
クラサメの部屋にも来客用にティーポットくらいはある。
「じゃあまた今度」
「ああ」
軽く肩を叩くのはマッサージ終了の合図。
「おやすみなさい。……トンベリも」
相変わらず視線すら合わせてくれない従者に向かっても○○は軽く手を振り、小さな茶瓶を置いて出て行った。
伺い立てる事なく当たり前のように言われた、また今度。
何をどうにも出来ない今のクラサメにとってはそれだけが重要。
end