前回の勢揃いから7日後。
今日もクラサメ・スサヤは苛立っていた。
カオンさんはどこですか?
入ってくるなり挨拶もそこそこにビャクヤに問い掛けた○○。
いつもの部屋ー。
そういう答えを得て退室。
10秒弱の出来事。
「ッ!」
腕に掛かる負荷が増した。
競り勝てないと踏んだクラサメは擦り足で身体をずらし、拮抗を崩す。跳び退いて再び剣を構えたときには眼前に迫る金色。振り下ろされる大剣をぎりぎり鍔元で受けるのがやっとだった。
なんだ? 増したんだが!
今までも厳しいところを突いてきていたユヒカではあったが、冷や汗が背を伝う。
ヒユカは聞いても簡単には言葉をくれない人間だ。わかってはいたが、それでも教えが欲しくて聞いてみた事があり、頂けたのは冷ややかな一瞥と短い一言。
今忙しい。
……食事中だったのがいけなかったのか。
脱力しつつも、なにぶん自分は教えを乞う身。上長に合わせるのが筋だ。
自分的に時を選んで再度聞いてみたが、頂けたのは更に冷ややかな一瞥と更に短い一言。
くどい。
……身に染みている。
聞いても教えの言葉はない。それはすなわちその身で学べという事。
というわけで先程増した理由は。
気を逸らすなって事だろうな。
○○が入ってきて意識が傾いたのは事実。
たった数秒。視線を向けたわけでも気を抜いたわけでもないがユヒカは感じ取る。
置かれた状況はユヒカも同じで、○○が入ってきた事に気付かなかったはずはない。
会話も耳にしたはずだ。
ずっと合い続けていた視線だが、もしかしたら○○の表情、しぐさ、身なりも覚えているのかもしれない。
何が自分と違う。
「クラ子ー。集中ー」
寝そべっているようなテンションで指示を飛ばしてきたビャクヤだが、その当人は懸垂中だ。
どういう事だ。
どいつもこいつも化け物か。ついでに超能力者か。
ビャクヤの声と同時に突き出された大剣は、受ける事を念頭にすら抱かせない程の速度と重量。
今の脳内も読まれている。
くっそ!
表に出せない舌打ちは、後ほど盛大に受け止めてもらおうと心に決める。
二つ返事を叩き付けるように言い放ち、クラサメは来たる次の手に備えるべく、細く呼気をついた。
手の平サイズのパネルに軽く触れるだけで、空気圧が抜ける音とともに上下左右に二重扉が開く。
手動では絶対に開けられないようなシェルターのような重厚感だ。
「お邪魔します」
入室の言葉は尻切れになり、○○は首を傾げた。
いつもは扉付近で出迎えてくれるカオンが今日はいない。
「カオンさん?」
そろりと入室して首を巡らせると、目に入ってきたのは部屋の真ん中で仰向けに寝そべっている姿。
寝てるのかな?
もしかしてお疲れだったりするのだろうか。
いや当然疲れてるでしょ。
常にギリギリのラインに立っているクラサメが疲れてるのは当然だろうが、さりとて他の四天王が楽かといえばそうではなく。
各々レベルに見合ったミッションを熟しているのだ。
激務なのは知っている。
任務が入っていない非番の日も、ほとんどを自己研鑽に費やして。息抜きとか、しているのだろうか。自分なんかに時間を割いてもらっていて本当にいいのだろうか。少しでも休ませてあげていた方が有意義なのでは。
そんな遠慮が生まれ、自然と足取りは忍ぶ。
だがある程度近付いたところで○○はぎくりと身を強張らせた。
顔が、青白い。
「……カオンさん?」
呼び掛けにも応えず、身動きもない。
ノックする前に出迎えてくれるような人だ。気配には人一倍聡いはず。
たとえ寝ていたとしても○○に気付かないわけがない。
寝ているので、あれば。
「ッカオンさん!」
駆け寄り揺すってみるがやはり反応はない。薄く開かれている口元に耳を寄せてみても呼吸を感じ取る事は出来なかった。
手首の脈は酷く薄い。生きている。だがしかし。
「ヤだッなんでッ!?」
カオンの体温が移ったかのように○○からも血の気が失せ、指先が震え出す。
なにが。なんで。外傷もない。病気かもしれないからフルケアも掛けれない。
く……すり。薬!
そうだ病気なら薬とか持ってるんじゃ!
失礼しますと言ったつもりだが、張り付いた喉からは上手く言葉になったかはわからない。
了承を得る人も、今は。
震える手を抑えるようと重ねる手も震えている。
ユヒカさん。
上がった息はいくら取り戻そうとしても不自然になるばかり。
ビャクヤさん。
誰か。
誰か。
自分じゃダメだ。
人を呼ばないと。
ユヒカさん。ビャクヤさん。
いつも煩いと言われている大声もこういうときにかぎって出ない。
血流だけが耳につき、声が出ているかすらわからない。
クラサメ。誰か。誰か。クラサメ。
思うように動いてくれない足。
どうしようと堂々巡りをしたがる思考は無理やり遮断して、ただひとりの名前を呼び続ける。
もつれるように、それでも打破出来うる人を求めて○○は扉にまろぶ。
パネルのクリアランプ点灯と共に○○は動きを止めた。
今、声が。
カオンを振り返ると、招くように手が動いていた。
それでも動けずにいると緩慢な動きでカオンは上体を起こす。
○○ちゃん。
まだ血の気は戻りきっていないが向けられる微笑みはいつものもの。
「カオンさん!」
ばたばたと不格好に駆け寄り縋り付く。
「カオンさぁぁあん! 大丈夫ですか!? 何か持病でも!? 薬は! 水要りますか!! ありますか!? どこですか!! ないんですか!! 持ってきますかってか取ってきますすいません!!」
言い様に立ち上がる○○の手首を掴んで引き止める。
口を開いたが声にならなかった第一声。
張り付いた喉では思っていたように言葉が出なかったようで、カオンは小さく咳ばらいをした。
「病気じゃないよ。ごめんね」
「じゃあなんなんですか!」
問い掛けながら○○は自分で思い付く。
「まさか賊!? 敵襲!? やっぱり誰か呼んできます! あ、でも!」
ウォール! プロテス! インビジ!
「待っててくださいね! すぐ」
戻りますから!
そう続くはずだった言葉はカオンに抱きしめられ、止められた。あやすように頭を叩かれる。
「落ち着いて」
未だ少し枯れてはいるが、大分声も戻っていた。
耳に近い心臓からも、鼓動が聞こえる。
カオンの温もりが伝わってくる。
う〜ん予想外……。
抑えておかないと飛び出していきそうな○○をあやしながら、カオンはちょっと困っていた。
しかしいつまでも困ったままではいられない。見上げてくる瞳が説明を求めている。
素直に怒られましょう。
「ごめんなさい……。ええと」
どっきりでした。
ぽつりと気まずそうに呟かれた言葉。
さすがに純粋な瞳を直視出来ず、カオンの視線は宙をさ迷う。
「ちょっと……死んだふり、してみただけなんだけど……」
ふり、って。
だってあの血の気は。薄かった脈拍は。感じられなかった呼吸は。
息を潜めて寝ているどころではない。○○の呼吸が再び早くなる。
「意図的に心臓の働きを遅くするの。そうしたら脈も呼吸も最低限に出来るでしょ? シロが一番上手いよ」
身体コントロール。潜入を主とするビャクヤが得意とする技法。
「ごめんね。ちょっと悪ノリしすぎた……かな?」
ちらりと○○を窺い見ると怒っている風ではなかった。
「ご病気が、あるわけでは」
「ないよ」
「賊も」
「いないいない」
カオンにとってはただの技の一つ。
単なる死んだふり。
だというのにまだそんな心配をしている○○に、笑って否定をあげる。
そこまでして、ようやく○○は長い息をついた。
「よかッよかっだです〜」
言葉を詰まらせながら、へなへなと脱力する○○。
泣いてこそいないが泣き出しそうだ。
「ごめんね。ごめんなさい。もうしないから」
と言いつつ、練習と称して何度も仕掛け続けた結果。
揺り起こし、声掛け、蹴り飛ばし、踏み付けの段階を経て現在ユヒカはスルーの境地だ。
次に仕掛けたら○○はどういう反応を示すだろう。
少しだけ、そんな考えが頭を過ぎるが。
「約束、ですよ。もう絶対しないでください」
幼気(いたいけ)な少女に溢れんばかりの涙目で訴えられてはさすがに罪悪感が疼く。
「うん。しません」
化け物扱いに慣れてきている自分たち。それは残念であり、当然だった。
最初はいた友人も。触れ合いを求めて伸ばされた手はどちらからともなく不自然に空回り、向けられる視線の変わりようが怖くなって自ら繋がりを断った。
四天王の面を知っているのに自分に対する反応としては不自然なくらいのこの自然さ。
カオンも。ユヒカもビャクヤも。もちろんクラサメも。
人間だ。
○○が心臓をナイフで刺されれば死ぬように、同じく死ねる人間だ。
不死身ではない。
ただちょっと避わせるか避わせないかの違いくらいで。
ひとりのヒトとして接してくれているようなこの反応は、自分がヒトである事を思い出させてくれる。実に久しぶりで、懐かしくて暖かくて嬉しい。
そして、大切にしなければと思う。
クラサメがこっち側に来ても、恐らく○○との距離が変わる事はないだろう。
そうだよなー。フルケアちゃんだもんなー。
これ以上ないくらい最悪のファーストコンタクトだったのだから。
カオンが微笑んだ気配に腕の中にいた○○が顔を上げる。
いいなあクラ子。果報者だよ。
にこにこと頭を撫でる手を止めないカオンに、○○は首を捻った。
安心したら腰抜けちゃいました。
立ち上がろうとした○○だが、態勢を崩しカオンの横に転がった。
じゃあ少しお話ししようか、と、今は二人とも寝そべっている。話題はやはり先程の一件。
「いきなり服の中に手を入れられたときはびっくりしたよ」
「あれは! 外傷も、見当たらなかったので……発作とか起こしたのかなって……薬を、探してて……」
思い出し笑いをするカオンに、○○の顔は赤くなり語尾はか細くなる。
返事なんか求めてる場合ではなかったし、本当に発作持ちの人がいたなら迷わずまた同じ事をする。けれども全てが杞憂だった今、掘り返されると恥ずかしい。
キモノにポケットがないのは知らなかった。
見当たらなくて探した場所は。
「胸元はだけさせてくるんだもんなあ。意外と大胆」
ああなんて事。
○○は顔を手で覆った。
物を持ち運ぶ際は袖口に入れるか帯に挟み込むらしい。あるかわからない次回はその知識を生かそう、絶対に。
「健康体じゃないと、このポジションは勤まらないからね」
強いて上げるなら過労くらい? とカオンは笑った。
「発作かもしれない、って思ってケアル掛けなかったのはすごいよ。気も動転してたろうに」
体調不良イコール回復魔法と結ばなかったのは評価出来る点だ。
病気に回復魔法は効かない。というより悪化する。
○○は小さく礼を言った。
「で、発作じゃないってわかった次は侵入者? だっけ」
上げて落とされた。
○○は再び顔を覆う。
それも今思うとありえない。
侵入して狙われるのは院長を筆頭とした高位の人間であり、四天王なんて最も避けたい人達じゃないか。
忍び込み避けこそすれ、ここへ来る必要性がどこにある。
しかも真昼。
「うう。クラサメが知ったら同じ事言われそう……」
内緒でお願いします、とカオンに視線を向けるが了承は得られず向けられたのは悪戯な笑み。
それじゃあもうちょっと落としちゃおっかな。
そう言ってカオンは掛け声と共に上体を起こした。
「ウォール。プロテス。インビジ。全部掛けてくれたよね」
あ、と呟きを漏らして○○も起き上がり姿勢を正した。
「組み合わせとしてはよくないって、わかる?」
はい、と小さく頷く。
ウォールとプロテスならいい。
プロテスとインビジならいい。
が、3つの組み合わせは駄目だ。
せっかくインビジの効果で姿を消したところで意味不明なウォールが張られていることになる。
「わかってるみたいだからいいよ」
再び微笑んで、カオンは○○の頭を撫でた。
3つ同時に発動。手放しで称賛されこそすれ、咎められる謂われはない。
全て成立したファントマの気配に思わず目を開けてしまいそうになった。
わかってないのかな。
俯き反省中の○○を見ながらそう思う。
滅多にいない逸材。何故まだ埋もれさせているのかカオンには理解出来ない。規則重視もいいが、実地に赴けばそんなものに構ってなどいられないのに。
相手はルールに合わせてくれるわけではない。出来る事はやる。使えるものは使う。
当然だ。懸かっているものは命。
「ねぇ。今掛けて、って言ったら出来る?」
「あ、はい!」
○○は弾かれたように立ち上がり、精神を集中させる。
「ウォール! プロテス! インビジ! ……あれ?」
が、成功したのはウォールのみだった。
「す、すみません! もう一回」
「いいよ」
思った通り制御仕切れていないようだ。
火事場のなんとやら?
カオンは考えるように顎に手を当てた。伸ばしてやらねばならない点だ。
モノに出来れば化ける。
「よし。それじゃあ今日のメニュー始めようか。昼まであまり時間ないけど」
「すいません」
時間が無くなってしまった原因である○○は小さく縮こまった。
突き詰めれば僕が悪いんだけど。
そこにはあえて触れない。
「○○ちゃんの腰も入ったコトだしね」
カオンに視線を向けられ、○○は思い出したように呟きまた顔を赤くした。
「みなさんの服って、自前なんですか?」
本日も例に漏れず盛大な量だった昼食。どの皿も綺麗に空となった今、食後の歓談をしていた。
ティーカップを両手で持ち、冷ましながら○○が話題を振る。
最初に口を開いたのはビャクヤだ。
「だって武官服だっせェんだもん」
「ださいかどうかは別として、僕も好みじゃなかったかな」
「私はアレで良かったんだが」
え、と○○とクラサメは同時に声を発した人物を見る。
意外だ。何なら一番こだわっていそうな特効服なのに。
「よくそれだけドハマリな服見繕ってきたよなー」
「審美眼は確かだよね」
「もしかして、スノウさんに見立てて貰った、とか?」
笑い合うビャクヤとカオンに、無謀にも○○はその名を出した。隣にいたクラサメの心拍数は密かに上がる。
「いや。アイツは服装に頓着するタイプではなかったらしい。寝癖も構わず、クリーニングに出しそびれた服で出掛けた事も珍しくなかった」
と、日記に書いてあった。
そう締めくくり、ユヒカは長い扇型の睫毛を伏せカップを口に運んだ。
「そうなんですか。ね、カヅサみたいな人だったのかな」
「カヅサ?」
「同期の男の子です。クラサメも仲いい友達で」
「へえ?」
「僕話した事あるよー。噂のマッドサイエンティスト」
「そうなんですか? あれー。カヅサなんも言ってなかったケド……」
「変装してたからね」
「溶け込むの得意だもんな」
「なぁんかトゲない? どうせ平凡ですよ」
「んなコト言ってねぇっつの」
クラサメの胸中などお構い無しに会話は進む。歓迎会の酒の席ではあんなに張り詰めたのに。
タイミングか? 時間経過か?
とにかく不公平だ。
「何睨んでんのよ」
「拗ねンなって。クラ子も連れてってやるからよ」
「どこにですか」
「え? ビャクヤさんの行き着けの服屋さんでしょ? 革製品も扱いあるんだって」
お気に入りに登録されるかもねと微笑む○○は、単純にその事が嬉しいようで。見当違いな事を考えていたクラサメは、後ろめたさから素っ気ない返事をしてカップを口に付けた。
「そだ。気になってたんだよ。クラ子もイイの着てるよな。それドコの?」
頬杖をつくビャクヤは純粋に知りたがっている。
教えてあげればいい。
キザイアにあるスカラベという店だと。
だが。
「秘密です」
口から出たのは真逆の言葉だった。
代わりに答えを返そうとしていた○○が驚いてクラサメを見ている。
その反応はビャクヤも一緒で、カオンも意外そうに目を丸くしていた。
ユヒカまでも片眉を上げている。
「教えてあげません」
沈黙が気まずくて、わざと音を立ててカップの中身を飲み干し立ち上がる。
「そろそろ時間ですよね」
「ああ」
ユヒカもカップをソーサーに置き、隣に座っていたビャクヤに目で促す。
片せ。
そういう事だ。
「あ、自分、やります!」
立候補した○○はカタンと椅子から立ち上がった。
「カオンさんの服は蒼龍のですよね」
「着心地がよくてねー。すごい楽なのコレ」
ゆったりとした布を帯紐で止めただけ。
確かに締め付けはなさそうだ。
「キモノ、でしたっけ」
「う〜ん。キモノっちゃあキモノなんだけど、これはユカタっていって。部屋着みたいなものだよ」
「いろんな種類があるんですね」
何やら興味津々の○○。片付ける手を止めて感心している。
「インナー着なくて寒くないんですか?」
「中に着るこういうのもあるけど、今は一枚。シャツとかは着ないよ。イキじゃないから」
ワゴンに皿を置きながら笑うカオン。
その後のやり取りにクラサメの手は止まる事になった。
「あ。でもパンツは履いてるよ」
「そうなんですか」
「あれ? 見なかった?」
「見てないですよ!」
「は?」
思わず口から出てしまった疑問符。
なんだそのやり取り。
「どういう事だよ」
睨まれる形となった○○は言葉に詰まり後ずさる。
「あのね、さっき○○ちゃん」
「わあ!」
続く言葉を阻止すべく、○○はカオンの腰にしがみついた。
「内緒って言いましたよね! 言いましたよね私!」
「約束してないし? ほら、クラ子知りたがってるよ?」
「説明してくださいカオンさん」
「ダメ! ダメです! 絶対秘密!!」
カオンを揺さ振り、声を荒げる○○。
「……秘密なら全部きっちり仕舞っとけよ」
一片足りとも漏らさずに。半端に知ってしまうと気になって仕方ない。
「なぁーにやってんだアレ」
ビャクヤの視線の先には、腹を抱えるカオンと、仏頂面で皿を片付けるクラサメと、そのクラサメを牽制しながらテーブルを拭く○○がいた。
「子供か。カオンの笑い上戸にも困ったものだ」
腹を抱え、浮かんだ涙を指で拭うカオンを見てユヒカは溜め息を漏らした。
あそこまで酷くはないがミッション中に発動して呪文詠唱に支障をきたした事もある。使い物にならなかったので鉄扇でも振るってろと前に出した。
「カノーン。さっさと○○返せー」
「はいどうぞ」
まだ笑いの発作を燻らせながら最後の皿をワゴンに乗せ、○○を手で促す。
「すいません。お待たせしました!」
内緒ですからねと何度もカオンを振り返りながら、○○はビャクヤの元に駆け寄った。
「いつもの部屋ですか?」
「おう」
「今日もよろしくお願いします!」
ぺこんとお辞儀をして、ビャクヤが開けた扉からワゴンを押して○○は出ていった。
いつもの部屋。
それで通じる程、二人は何やらを行っている。
カオンともだが。
空いている時間を有効利用しているだけ。別にクラサメに何か支障あるわけでもない。
だけど。
それでもクラサメの心中は穏やかではない。
何やらユヒカと会話をしていたビャクヤだったが、区切りが付いたのか扉へと向かう。
「ビャクヤさん」
「んあ?」
名前を呼ぶと、ビャクヤは足を止めずに顔だけを振り向かせた。
「返して、くださいね」
意外そうに片眉を上げたのは一瞬。
口角だけを上げて、ビャクヤは返事をせず扉を閉めた。
この間まで“借りる”だった。
それがいつの間にか“返せ”になっていた。
アレとかコレとか散々言っておいてなんだが、○○だってクラサメ貸してと言っていた事がある。○○をモノとして扱うというソコは置いておくとして、貸してと言われていた間、所属はクラサメだったはずだ。
○○を返せと言われていい気はしない。
コイツは、俺の。
「うわー! イイ香りー!」
……ではないけれど。
俺のじゃないけれど、だからってビャクヤさんのでもない。
「美味しくないデスか。私が煎れたのじゃあ」
唇を尖らせながら対面に座るクラサメを睨む○○。
「いや? 美味しいが」
「そうだよね〜」
言ってみたが、美味しくないわけないのだ。
だって高級茶葉。
入れ方は上手じゃないけど、手順を間違えない限りまずくなるわけはない。
そんな皮肉が出てしまったのはクラサメの眉間に深いしわが刻まれているからだ。
「せっかくなんだからさ、リラックスしなよ。なんか悩み事? 私でよければ相談に乗るけど」
気遣いはありがたいが、悩みの種に相談は出来るわけがなく。
「いや。なんでもない」
そう言って肩を竦め、紅茶を口に含んだ。
「どんな人なんだろうね。ユヒカさんに贈り物する人って」
四天王のファンなのかな。
勝手な想像をしつつ、○○はティーポットから二杯目を注いだ。
「ファンだったとして、こんな馬鹿高いのを大量に贈るヤツなんかいるのか?」
しかもユヒカはいらないと言っていた。それなのに送り付けた強者。誰だ。ちょっと会ってみたい。
「ユヒカさんのご両親とか」
思わぬ切り口にクラサメの挙動は止まった。
本当に発想力が豊かだ。クラサメには考えつかない。
贈り主の存在など考えすらしない。
「確かに一番ありえる線かもな」
「今度聞いてみてよ」
「断る。なんで俺が」
たまに振った話題で何度か地雷を踏んでしまったことがある。
自ら喋る性質ではないのに幾度かそういう経験をすれば、更に受け身にもなろうというもの。
ぶぅと言いながら○○はカップをソーサーに置き、空になったクラサメのカップに紅茶を注いだ。
「自分で聞けばいいだろ」
四天王ではないという関係性からか、世間話は○○の方がしていると思う。
頬杖をつきながら紅茶がストレートからハニーミルクに変わる様を。○○が変える様を眺める。
「それでもいいけどさ、クラサメ話題少ないじゃん。普段何話してんの? スカラベも教えてあげなかったし。ビャクヤさんと服装の話とかしないの?」
普段。
四人でいる場合はビャクヤとカオンが振ってくれるし、本気なのか何なのか、ボケ倒されるのでひたすら突っ込み続けている。
思い返してもそれくらいしか掘り起こせない。
「……特に、何も。」
それか○○の話題。
どっちも言いたくない。
「何も。」
○○は首を傾げながら返事をして、クラサメの前に紅茶を差し出した。
end