dodge run 

 








 






 終礼の鐘が鳴り響き、途端に大講義堂が騒がしくなった。

 返されたレポートをカバンに仕舞いながら○○も席を立つ。


「やあ○○ちゃん。ランチの相手、決まってる? 一緒にどう?」

「うん。いいよ」


 声を掛けて来たカヅサにお昼をどうしようか迷っていた○○は二つ返事をした。


「でもリフレッシュルーム混んでないかな?」


 全訓練生が一同に授業を終えた。

 我先にと扉へ向かう生徒も大勢だ。これから昼休みに入る。


「だろうね。だから部屋にケータリングを頼むつもり」

「そんなコト出来るんだ」


 知らなかったの? と首を傾けたカヅサの前髪が目に掛かった。


 オリエンテーションの施設説明一環で知らされていたらしい。

 授業態度は勤勉な方だが覚えていない。

 何してたんだろう。


「他にも声を掛けてあるんだ。多めに頼むから他にも誘っていいよ」

「わかった。ルームメイト誘ってみるね」


 それじゃあ後で部屋に来て。


 ひらりと手を振って、カヅサは猫のような身のこなしで大講義堂を去っていった。
















 あてがわれている寮の自室に帰ってきた○○はカードの裏を見ながらぽちぽちとナンバーを入力する。

 鍵穴に鍵を差し込み解錠するタイプしか経験がなく、ハイテクノロジーな鍵にはまだ慣れない。


 軽い電子音が鳴りクリアランプが点灯してロックが解除された。


「おっかえりーぃ」

「うわっ」


 ドアを開けると声を掛けられた事に少し驚いた。


「びっくりした……居たんだ」

「悪いー?」


 ノックをしても返事がなかったため居ないと思っていたのだ。


「こっちから開けるの手間じゃんか。早くナンバー空で言えるように覚えなよ」


 確かにそうなんだが。

 それでもノックをしてしまう。


 最初は開けてくれていたが、ルームメイトであるアリィが来訪のノックにすら反応が鈍くなったのは○○のせいだった。


「そうだ。お昼どうするの? カヅサ君に誘われたんだけど、一緒にどう?」

「ごめーん。席とっといてもらってんだ」


 顔の前で手を拝み、入れ違いでドアへ向かうアリィ。


「そっか、わかった。気にしないで」


 ○○もベッドにカバンを置きに戻っただけだ。

 連れ立って廊下に出る。


「次の講義、なんだろうね?」


 知ってる? と視線を向けると、アリィは肩をすかして頭の後ろで手を組んだ。


「さあねー。手ぶらで、ってぐらいだからやっと実践演習?」


 入学を果たしてから今まで、実践的な演習はおろか模擬訓練もまだ行っていない。

 フィールドワークが数回あったが、それも模擬の模擬程度だ。


「でも訓練生全員だよね?」


 集団演習にしては人数が多過ぎる。

 首を傾げる○○にアリィはチッチッチッと指を振った。


「だから、あのアルファベット」

「なるほど!」


 返されたレポートの隅に評価とは別のアルファベットが振られてあり、確認するよう教官から指示が出ていた。

 組分けの記号なのかもしれない。


「アリィは何だった?」

「E」


 残念ながら一緒ではなかった。


「昼休み挟んだのも同じ記号の人見つけとけってコトかもね。あ。おーい!」


 魔法陣の前にいた二人組の男子に声を掛ける。

 どうやらランチを一緒に取る生徒たちらしく、手を上げ返してアリィを待っている。


「じゃあ○○、後でね」

「うん」


 手を振りアリィを見送った○○も、カヅサの部屋へと向かった。
















 カヅサの部屋にお邪魔した○○はテーブルの前でポテトをぱくぱく口に運び続けていた。


 二人部屋に今は八人。

 椅子やベッドなど座るところはすでに埋まっていたため○○は直にカーペットの上に座っていた。


 飛び交う会話の焦点はやはりあの記号。


「なんかみんな違うね。いくつあるんだろ」


 カヅサがパンにバターを付けて口に運びながら呟いた。


 10コ程であろうと踏んでいたアルファベットは、確認出来た最も遠いものでR。

 数えで18番目だ。


「エミナちゃんは、E……だっけ」


 先程飛び交っていたアルファベットを思い出しながら、○○はベッドに腰掛けているエミナを振り仰いだ。

 優雅に脚を組んで野菜スティックを口に運んでいる。


 可愛いなぁ。


 性別も食べ方も自分と変わらないはずなのに。


 量か? 速度か? 色か?


 片や脚を組んで野菜スティックを数本。

 片や床にベタ座りでシューストリングポテトを一皿(完食)。


 ……私も野菜スティック貰おうかな。


 じゃなくて。


「エミナちゃん?」


 今確かに目が合ったのにエミナはツンと横を向いた。


 心当たりは……なくもない。


「エミナちゃ……」


 ……エミナ?


 ぽそりと小さく小さく名前を呼ぶ。


「そうよ? E。○○と同じじゃなくて残念」


 うわぁ!


 向けられた綺麗な笑顔に思わず赤面する。


 上半期一の出来事。

 女神様のような女の子とお友達になれた事。


「う、うん! 私もエミナちゃ──エミナと一緒じゃなくて残念!」


 女神様は呼び捨てをご所望だった。

 以外と身近な存在。


「何組に別れてるのかわからないけど、他に同じ人いないかしら? 知らない?」


 くすくす笑いながら、セロリとニンジンを同時に食べる○○に問い掛ける。


「私のルームメイト、Eって言ってた」

「そう。どんな子?」

「えーっとね。サバサバした性格で、身体動かすのが好きで。ベリーショートで手足長くって」


 手にしたキュウリを振りながら考え考え口にする。


「もしかして、アリィ?」

「あ、うん。知ってた?」


 エミナはフルーツトマトを手に取りながら頷いた。


 男女関わらず顔が広いエミナ。

 名前出せば早かったな。


「何をするにせよ、心強いわね」

「私も一緒が良かったな〜。チームエミナ……」


 ○○の呟きにみんなの視線が集まる。


「え、何?」

「チームエミナって……なんだい?」


 眼鏡を上げながらカヅサが首を傾げる。


「私が班長なのかしら?」


 エミナも唇に人差し指を当てた。


「エミナの……Eだから……」


 チームエミナ……。


 言葉は尻窄まりになる。注がれる視線が痛い。


「あははッ面白いコト言うね○○って。んじゃオレは? GだよG」

「えと、チーム頑張りましょう?」

「うわッなんか佳作みてえ!」


 なんだよそれーとまた笑いが起こる。


 チームベストフレンズ。

 チームライジングサン。

 チームクールビューティ。


 せがまれるままに様々な名前を口にする度にわいわいと会話が弾む。


「○○ちゃんは……さしずめチームプリティかな?」

「わわ私がッ?」


 自分のコトは考えてなかった。

 というかEだってさっき思い付いただけである。


「ねえボクは? MだよM」

「どうせならS貰っときゃ良かったのになあ?」


 金髪男子がカヅサを肘でつつく。


「そりゃあ女の子に乗られるのは好きじゃないけど」

「ハハッ変態発言ー。Hでもよかったかもな」


 まーまー、み……むー……め、も……。

 ぶつぶつと考え込んでいた○○はカヅサの催促に顔を上げた。


「ねえ。M」

「M.A.D」

「え? 何?」

 聞き慣れない単語にエミナが聞き返しカヅサは目を見張った。


「どう? チームマッド!」


 我ながらぴったりじゃん! と○○は唐揚げを口に入れた。


「マッド? って何?」

「くすんでるってコト?」

「確かにいっつも着てる白い服、汚れてるしな」


 マジで合ってんじゃね?


「SでもMでも合っちゃうカヅサー? そろそろ行かね?」

「……そうだねえ」


 予鈴はまだ鳴っていないが、もうすぐ始業の時間だ。

 早め行動に越した事はない。


「りょ、料理は? まだ残ってるよ」


 もぐもぐとパスタを食べていた○○。いろんな皿に少しづつではあるがまだ残っている。


「あー廊下に下げとけば回収されるから問題ないって」


 ひらひらと手を振ってみんなは扉に向かう。

 残されたこれらは廃棄されるのだろうか。


「カヅサ君! 私食べていい?」

「これ全部かい? さすがに多いんじゃ」

「大丈夫!」

「先行ってんぞー?」


 後でなーと言い残し、扉を閉める。


 部屋には、三人。


 料理を食べている○○と、それを見ているカヅサと、それを見ているエミナだ。


「チーム、マッド……ですってよ?」


 エミナの手の中で氷がからんと涼しげな音を立てる。


「よく知ってるね。そんな難しい言葉」


 そう? と首を傾げながら空いた皿を次々と重ねていく○○。

 ペースは早いが、量自体が元々少ない。


 チームマッド。

 みんなはくすんでいる質感と捉えたが。


「mutual assured destruction……ねぇ」


 訳すると相互確証破壊。確かに自負はある。

 が、見抜かれてるとは思わなかったんだけどな。


「なんか言った?」

「いいや?」


 肩を竦めて否定する。


 しばらくカヅサを見ていた○○だが、皿に重ねて新たに引き寄せた。


 なんだろう。ちょっと阿呆のコだと思ってたんだけど。


 変に勘がいいのか?


 食べる事に忙しい○○を眺めていると、視線を遮るように手が差し出された。


「変な目で見ないでちょうだい」

「失敬な」

「だからってこっちも見ないでちょうだい」


 ほぼ視界を覆われる。

 美人は自分に向けられる視線に聡い。

 エミナが警戒しているのは知っていた。


 っていうか、○○ちゃんはボクをマッドと知った上でこの対応なワケ?


 警戒心のカケラすらない。

 これでいいのか15歳。さらわれちゃうよ?


 それとも単語を知っているだけで言葉の意味を理解してないのか。


「ああ。そっちの方がしっくりくるね」

「何よ?」

「意味、知らないんじゃないかなって」


 確かにねえ、とエミナは○○を見下ろした。

 飴をくれる人について行ってしまいそうである。


「光源氏も楽しそうだけど」

「ヒカルゲンジ?」

「知らない? 大昔の小説。クリスタリウムにも蔵書あるよ」

「どんな内容?」


 一言で言ってしまえば恋愛小説。

 女好きの主人公が好き勝手遊びなからも、ひとりのうぶな女性を自分好みに育てていく物語。


 なんて言えない。


「内緒。」

「今度借りるわね」


 不穏な空気を悟ったエミナはそう言い放った。

 これだから美人は。

 隠しても裏を読むのに長けている。


 興味対象ではあるが扱いが難しい。


 やはりこういうのは。


「カヅサ君は○○に近づくの禁止」

「ええー?」

「返事が聞こえないわね?」


 出来るわけがない。


 下手に約束を取り付けて破ったとあらばそれこそ面倒。

 カヅサを動かすのはいつでも好奇心だ。

 出来るかどうかわからない約束ならばしない。安請け合いはしない。


 好きな色は灰色。


 カヅサ・フタヒト。15歳。


「ねーえ○○? 一人でカヅサ君に近づいちゃダメよー?」


 うわそっちにいくか。


 カヅサがきかないなら○○に警戒心を抱かせるまで。

 運びが上手い。


「うん? わかった」


 そして意外な事に○○はさらりと頷いた。


「じゃあ遊ぶときは三人でだね!」


 あ、そういうこと。

 あっさりとした承諾には○○なりのそういう意図があったらしい。


「そうねえ……もう一人増えるかも。私の彼氏」

「エミナちゃん付き合ってる人いるの!?」

「エミナ、でしょ」


 思わず気色ばんだ○○を小突く。


「へえ。マドンナを射止めたのは誰なんだろうねえ」

「ふふ。今度紹介するわね」


 そろそろ私たちも行かなきゃ、とエミナは空になったグラスや重ねられた皿をトレーに乗せる。


「行くわよプリティちゃん?」

「そ、その呼び方止めてよー!」


 カヅサ君のせいだー!


 最後の一口を飲みくだし○○も立ち上がる。


「じゃあPはなんていうんだい?」


 振り返りながら○○に向けられている目は笑っている。


「パ、パーフェクト! とか!」


 対する二人の反応は言わずもがな。

 つい口から出はしたが、言い放った○○ですら無いなと思った。






















 チームプリティ(仮)。

 ○○が振り分けられたグループだ。


 プリティって似合わないよーと笑っていたのは先程まで。


 やっぱり絶対プリティじゃない。

 今なら全否定出来る。


 ちらりと○○は視線を走らせた。


 どうやら男女混合で振り分けられているらしく、訓練生の中で一番ゴツイ男子がいた。


 とても同い年には見えないパワーファイター。名前はジュラ。

 続きましてこれまた背の高い女子。
 美人だが前髪が目に掛かっているのが気になる。希薄そうな印象の、シエニ。

 反対に、金髪を短く切り揃えてヒナチョコボみたいな頭の小柄な男子はノーフェ。

 他にもフェブルンとかマーティとかメンバーは14人。

 初対面がほとんど。


 中でも一番の特記事項は彼だ。


 君の自己紹介はいらないよ。

 きっとみんなそう思ったはず。

 以来、一度も口を開く事なく佇んでいるのは学年一の実力と名高いクラサメ君。

 眠いのか眉間にしわが寄っている。

 一応、ブリーフィングタイムなんだけど……。


 やっぱりPはパーフェクトのPかも。

 これは……もしかしたら優勝出来ちゃうかもしれない。
















 振り分けられたアルファベット毎に整列させ、教官は音声拡声器を使って全員に対し説明をした。


 ルールは簡単。


 定められた枠内で相手チームの人間にボールをぶつけ、逆に自分は当たらなければいい。全員に当て相手チームを0にするか、制限時間内により多く残っていた方が駒を進められる。

 炎天下の中、一同に招集を掛けて何をするのかと思えば。


 至極単純な訓練だ。


 ……訓練か?


 ようやく演習に入るのかと思ったんだが。


 全力で臨むようにと言われてはいるが、私語も許されているゲームのようなこの行事。

 同じような考えだったのか、早々にボールを喰らい見物を決め込む人間も少なくない。


 だがそれもどうかと思う。


 端々で教官は目を光らせているし、クリップボードに何かを書き込んでいるそぶりもあった。

 何を見ているのかはわからないが下手に気は抜けない。

 騒がしい闘技場で、それでも枠内に立てば皆が必死なのは逆トーナメントに懸かっている罰のせいだ。

 俺のチームは一回戦は勝ち抜いたため、それは回避出来た。


 いい加減適当にボールを喰らいドロップアウトしたいところなのだが、未だボールには当たらずにいる。


 頭上に降り注ぐ日差しが暑い。


 クラサメはシャツのボタンを一つ外した。

 そこに掛けられた声。


「お疲れ様」


 振り向くとカヅサが立っていた。


 ……いつの間に。






















 なんとか一回戦は勝てた。

 これで逆トーナメント行きは免れたわけだ。


 あー良かった。


 ○○は胸を撫で下ろした。


 無理無理。十日間もモーグリのお付きなんて。

 訓練生とはいえ、授業の予習復習やレポートなどただでさえやる事は山積みだ。

 覚える事だって多い。


 そういう考えの人は多かったみたいで、一回戦は皆必死だった。

 が、一回戦を勝ち抜くと二回三回戦はあまり苦もなく勝ち進めた。


 なんでだろう。

 みんな賞品欲しくないのかな?


 ふっふっふ。

 罰ゲームが懸かると弱いケド、賞品が懸かると強いんだもんねー。


 コートの外にいる教官は、極力視界に入れない。

 緊張するからね。

 うん。考えない考えない。


 ナニ書いてるんだろうとか考えちゃいけないよ私。


 腹ごなしも済んだし、あと二戦でゲット。

 頑張るぞー!


 大きく伸びをしたときに、後ろから声を掛けられた。


「お疲れ様」


 聞き覚えのある労いの声に振り向くとカヅサ君が立っていた。

 いつの間に。






















「さっきはどうも。二人とも手加減ナシだもんなー」


 肩を竦めて腰を降ろすカヅサに二人とも呆れ顔だ。


「よく言う」

「最後まで逃げきったくせにー」


 避難がましい二つの視線を受けカヅサは再び肩を竦めた。


 二回戦で当たったMとP。

 ○○とクラサメのチームは4人削られたが、相手のチームをより多く弾き出したため、カヅサに当てる事は敵わなかったが駒を進めたのはPだった。


「だからって君達なんでボクばっか狙ったワケ」


 終了時の人数比は10対3。

 コート内にはカヅサの他に二人いたにも関わらず、後半は目の敵であるかのようにカヅサを狙い続けた。


「「ポケットに突っ込んだ手を出したかったから」」


 一つの疑問に揃いの答えを返した二人は、互いに意外だったのか視線を交わす。


「心証悪いぞ。これでも遊びじゃない。授業の一環だ」

「一回もボールに触れてないでしょ。なんかこう、せめてキャッチさせたかったというか」


 理由の理由は二通りだった。


「いやクラサメ君は顔面だし○○ちゃんは足元だし。無理。そりゃ避けるでしょ」

「足元狙いは基本ですー」

「手元が狂った」


 二人とも悪びれた様子はない。

 だからこのチームは残っているわけだが。


「でもよく動けるね。あんなに食べた後で」

「やっと消化されてきたよー」

「何の話だ?」


 あの場にいなかったクラサメは、成人男子以上のカロリーを摂取していた○○を知らない。


「ランチ、○○ちゃんありえない量食べててさ」


 ポテト、サラダ、パスタ、唐揚げ。

 指を折りながら料理名を上げ出したカヅサに○○は慌てた。


「ちょっと待って! クラサメ君! 誤解しないでね、全部残りだから!ちょっとづつだし!」

「それにしても、だろ。食べ過ぎじゃないのか」


 クラサメの視線から隠すように○○は腹を手で隠した。


「しょ、消費するもん」


 確かに動く前の量としては食べ過ぎた感がある。開始前のストレッチもちょっとキツかった。

 やっと身体が軽くなってきたところだ。


「アクセル全開! あと2回だよ! 頑張ろうねクラサメ君」

「興味ないんだけど」


 立ち上がり振り向いた先からは常のクールな言葉が返ってきた。


「そんな事言わないで! ほら、内申点アップ!」


 あれ。逆効果だったかな?


 ますます刻まれる眉間のしわ。


「まぁ頑張ってよ。日陰ながらボクも応援してるから。……次の対戦相手はEだけど」


 チームE。エミナ。


「「ぅわ……」」


 ○○の呟きはクラサメとまたもやハモった。

 やっぱりクラサメ君もやり辛いんだろうか。

 ちらりと視線を向けるとしわは更に深くなっていた。
















 すでにアウトになっていてくれますようにという願いは叶わず、互いを隔てるラインの向こうでエミナは綺麗な笑みをたたえていた。

 笑顔だが、圧力を感じる。


「よろしくね、クラサメ君。○○も」


 端っこにいた私にまで視線ばっちり。

 この場合のよろしくってつまりよろしくだよね。


 頭を抱える○○と苦虫を噛み潰したようなクラサメ。


「動揺してるわね。うふ」


 髪を後ろに払い、エミナは綺麗に笑った。


 人が悪い。あー同じチームでよかった。

 耳打ちされたアリィはこっそりそう思う。

 だがこんなチャンス滅多にない。存分に付け込ませてもらいますかね!


「キミには負けないよ! クラサメくん! 絶対、たたき出す!」


 ニィっと歯を見せてアリィは指を突き付けた。

 指された事にか言葉にか。


「両チーム、セット」

「そんじゃ、ま、よっしく!」


 クラサメは不愉快気に眉根を寄せたが、教官の言葉に散らばる皆同様踵を返した。


 そのクラサメの傍に近づき、○○は手首をほぐす。


「モテモテだね。さすが」


 ってなわけで。


「あの二人、よろしく」

「無理」

「早いなっ」

「俺はあのヒョロイの行く。エミナ頼んだ」

「無理」

「即答かよ」

「だって! まかり間違って珠肌に傷でも付けちゃったら私!」

「俺だって同じ理由だ。後が怖いんだよ」


 後が怖い?


 レディ。


 聞き返そうとしたタイミングで教官がボールをスローインしたため、二人は同時に腰を落とした。
















 開始時の人数比は6対7。


 3分が経過した今、逆転して4対3でPが押していた。


「残り2分!」


 教官が声を張る。


 まだ3分しか経っていない。

 半身捻ってボールを避け、○○は距離を取った。


「3、4。このままイケると思う?」

「どうだろうな」

 
 ボールから視線は外さず隣へ話し掛けるが、返ってきたのは参考にならない答え。


「……ねぇ、やる気ある?」


 ちらりと視線を向けるとクラサメも同等の視線を寄越した。


 そうデスか。

 目は口ほどに物を言う。


 向こうのコートから振りかぶられたボールを避けるため、二人は飛びのいた。


 当ててはくれてるし避けてもくれてるのだが、噂通り冷めている。

 やる気は感じられない。


 まだコート内にいるのも心証のため? 楽しくないのかな?

 唇が尖る。


 全員が全員、○○のように楽しんでいるわけではないのはわかる。


 タルい。


 そう言って初戦の第一投目で降りたチームメイトもいた。


 だけど。


 息を絞り取られつつも真正面でボールを受け止める。


 やるからには意味があるはずで。

 だったら全力でやらなきゃ意味が。


「──ないでしょうが!!」


 想いを乗せたボールは手元が狂い教官を掠めた。
















 ……生姜?


 ペコペコと教官に頭を下げる○○を視界に入れながらクラサメは首を傾げた。


 試合はボール回収のために一時中断している。

 太陽が陰ったためクラサメは開けていたシャツのボタンを留めた。動きは最小限にしているので汗をかくには至っていない。


 コート外に視線を向けると、座りながら談笑している者、教本を開いている者など様々に過ごしている。

 トーナメント戦であるため、参加人数は時間経過と共に少なくなっていた。


 こちらよりも白熱しているのは隣コートの逆トーナメント。

 必死だ。


「ごっめん! 仕切り直しね! ほら、みんなテンション上げて!」


 顔の前で手を拝みながら○○が戻ってくる。


「仕切り直しも何も、もう1分もないんじゃね?」

「ハイ、油断大敵!」


 伸びをしたノーフェに○○は指を突き付け、欠伸を止めた。


「開始直後と終了間際は注意が散漫になりやすいんだから」


 腰に手を当て上目遣いでノーフェに高説を垂れる。


 確かにそれにはクラサメも同感だった。

 よく耳にする文句だ。


「このスローインも、注意だよ」


 ちらりと相手コートに目をやった○○は何を思い付いたのかに耳打ち出来るよう皆を集めた。


「スローインはあっちにだから、私最初前にいるね。多分狙ってくると思う。誰かボール持った人と私のライン上にいて? で、私が避わしたボール取ってパス、ちょうだい。速攻やる」

「でもそれって○○ちゃんも危ないんじゃないのでは?」

「心配ありがとうシエニちゃん。平気平気」

「マジ?」

「任せてよ。あー、任せるケドね」

「ははッ。どっちだよ」

「ボール取るのは男子二人に任せる、ってコト。さっきのキツかった〜」

「あれは避けておけよ女子として」

「いやー考え事してて」

「尚更避けましょうよ」

「まぁまぁ。過ぎたコトだし! 4、2なら後は逃げ切れるっしょ」


 当ててみせるよ。


 ニィと笑って見せた○○。


 セットの声掛けで配置に付いた4人は○○が最前で他は後方だ。


 腰を落として構える○○の背中に視線を向ける。

 さすがに前過ぎやしないか。

 あからさまに狙ってくださいと言わんばかりの位置だ。

 向こうの3人も怪訝な表情を浮かべている。


 こんな中で出来るのか?


 疑いは半分。


 もう半分は。


「レディ」


 教官が声を発する。


 やってみろ。


 クラサメも意識を集中させた。
















 結果として○○は見事に有言実行を成し遂げた。


「ッしゃあ!」

「くっそー! ○○に当てられたッ!!」


 スカートの裾をはたき、コート外に移動するアリィ。


「成敗!」

「あー悔しい!! すっごい悔しい!!」


 悔しがるアリィに向かって○○は笑いながらダブルピースを突き付けた。


「やるじゃない○○。覆すのはもう難しいかもしれないわねぇ」


 頬に手を当て考え込むエミナ。


 そうしている間にも時間は進む。

 残り30秒強。


「最後まで、わかんないケド、ねっ」

「励ましてどうする」


 もう一人の相手に投げ込みながら、受け止められるのを見越して後方へ飛びのく。


 予想通り止められたボールは○○狙いで投げられるが、コートの後ろにいたため若干軌道が浮いた。

 それを逃さず横から飛び出したシエニが腕でバウンドさせて勢いを殺し、跳んで掴んだ○○はノーフェへとパスする。


「行け、ノーフェ君!」

「おうよ!」


 エミナの足元狙いで投げられたボールは、しかし当たらずに高くバウンドした。

 そして全員が行方を追ったところで笛が吹かれ、終了となった。


「や、ややヤバイ! 勝てちゃった!」


 ホイッスルを聞いて急に我に返ったかのように慌て出した○○。


「何言ってんのさ。ぴっちり作戦まで立てたくせに」

「そうですよ。ボールを一番当てたのも○○ちゃんだし」


 うろたえる○○をシエニとノーフェが労う。


「そ、そうだけど……」


 整列の声が掛かったのでコート前に並ぶ両チーム。


「礼」


 頭を下げ、上げきらない内に○○はエミナに駆け寄った。


「エ、エミナちゃ……エミナ、ごめん」

「あら。いいのよ? 気にしてないわ」

「ホント?」

「ええ。……でも」


 安堵の息をほぅっと吐き出した○○だが、続いた逆接語に身体を強張らせる。


「ここまで来たからには、優勝してもらわないとね?」


 綺麗な微笑みは○○に。

 次いでされた綺麗なウィンクは○○の後ろに投げられた。


 振り向いた先にいたのはクラサメで、ふいと視線を逸らし、シエニとノーフェと共に日陰へと移動する。


「いってらっしゃいな。応援してるわ? 私の分も頑張ってね」

「うん! ありがとう!」


 エミナに頭を撫でられた○○は、頬を上気させチームメイトのところへ向かった。


「転がすねえ。○○ちゃんも。……クラサメ君も?」


 ○○に手を振り見送るエミナに、後ろから声を掛けてきたのはカヅサ。


「なんの事かしら?」


 髪を払い、すれ違い様カヅサと視線を合わせたエミナは、そのまま日陰へと向かった。
















「優勝! するよみんな!!」

「キャ!」
「うわびっくりした! なんだよ急に!」


 3人に駆け寄ってくるなり声高々に宣言した○○。

 突然の事でシエニは肩を竦ませ心臓を押さえた。


「あ、ごめん。いやでも優勝するの! したいの! 頑張ろうね!!」

「でも……ここまで来たらぶっちゃけイケちゃいそうなカンジだよな?」


 ノーフェは頭の後ろで手を組み、ごろんと寝そべった。


「あと1回、ですものね。まさかファイナルまで来れるとは思いませんでした〜」


 それもこれも、と二人が視線を向けたのは。


「俺?」


 クラサメだった。


「クラサメ君のお陰ですね」

「やっぱり頼りになるよな!」


 拝むなよ。


 思うだけに留め、口には出さずクラサメは立てた膝に頬杖をついた。

 ブリーフィングだって自ら発言はしていないし、ここまでの4試合だって特に秀でた活躍をみせたわけではない。


 何もしてないのだが。


 クラサメがいれば大丈夫。

 クラサメがいるなら出来る。


 チーム内で飛び交っていた言葉だ。


 何を根拠に。


 耳にする度、内心溜め息をついていた。



「水、取ってくるね!」

「私も行きますっ」


 ○○が踵を返すとシエニも立ち上がった。


「俺のもよろしく!」


 それに便乗したノーフェが上体を起こして手を挙げる。

 クラサメ君は、と、聞かれた気がした。

 俯いていた顔を上げると○○が首を傾げてこちらを見ていた。

 目だけで返事をしたところにシエニからの問い掛けが。


「クラサメ君はいりますか?」


 一瞬だけ、眉根が寄る。

 聞かれたと思ったが、気のせいだったか……。


「いや……いい」


 自意識過剰加減に渋い顔になってしまい、返事もそっけなくなる。


 もとより欲する程に喉は渇いていない。

 何やら弾みながらケータリングに向かっていく二人を見送る。

 それとすれ違い気味にこちらに近付いてくる男子生徒三人は友人のようで、気付いたノーフェが手を挙げ呼ぶ。


 クラサメは溜め息をついて立ち上がった。


「どっか行くのか?」

「適当にな」


 くるりと背を向けると予想通りその場は顔をしかめる程騒がしくなった。


 溜め息をつきながら投げた視線の先では逆トーナメントのセミファイナルが行われている。

 これが終わると残りは二つのファイナルを残すのみだ。


 闘技場全体を見渡せる席の、中でも日陰を選んでクラサメは腰を降ろしていた。


 後方で女子の会話が聞こえる。





 一人だよ。行ってきなよ。

 無理無理、一緒に行こうよ。





 クラサメは溜め息をついた。

 席を移動しようかとも思うが思考から外すだけにしておく。

 自分の事ではないかもしれない。


 嘲笑が出た。


 それすらもすでに自意識過剰ではないか。


 テストで上位を収めた。

 レポートも高い評価をもらい、教官からもよく声を掛けられる。

 フィールドワークもほぼ班長だ。


 ひそひそと囁かれる自分を抜いた自分の会話。





 クラサメくん、またトップだって。

 あの班、優秀だったから更に加点だとよ。

 冷静沈着で。

 完全無欠。

 格好いいわよね。





 何だそれ。

 努力が報われているだけだ。


 アギトになるため魔導院に入った。

 他人が遊んで過ごす時間を、勉学に励み、自己トレーニングに当てているだけだろ?

 冷静になるのはそんな視線を向けられるからだ。ならざるを選ない。

 自分にだって体格に恵まれていないというコンプレックスくらいはある。

 身長が低いわけではないが高くもない。

 だからといって筋肉量があるわけでもなく、どっちつかず。


 顔は……崩れてる方ではないが、毎日見る面に何を思う事もなく。


 憧れは二人のルシ。

 シュユ卿とセツナ卿。


 両人とも数百年に渡り、陰に表に朱雀を支えている。


 自分がアギトに、とは魔導院の人間であらずとも朱雀国民ならば誰もが一度は思う事だ。

 かくいうクラサメも刷り込みのように思考回路に刻まれている。


 しかし、それ以外に自分で進む道を選択出来るのであればルシに。

 密かに思い続けている事で両親にすら話した事はない。


 だが二人に関する記述を読み解く内に、自分の身の程を思い知らされる。


 人間であられた頃は、それこそ天つ才をお持ちであったのだろう。

 比べるのもおこがましい。


 自分は、天才などではない。


 期待の新人。

 大型ルーキー。

 それくらいの評価ならクラサメだって純粋に喜べる。

 嬉しくないわけではない。


 だけれど。


 完全無欠の訓練生ってなんだよ。

 矛盾すぎやしないか。


 勝手に担ぎ上げ、ありもしない肖像を創られている今の現状には正直辟易していた。

 過大評価は止めてほしい。

 まだ一つのミッションすらした事がない、ただの訓練生だ。

 いくら座学で好成績を収めようとも、それが実践でどれ程役に立つのか。


 ちゃんと内面を見ろよな。


 後ろにいた女子が立ち上がった気配がしたので、クラサメも溜め息と共に腰を上げた。


 先程から視線を向けていたのは型を演じている集団。


 その中心には○○がいた。

 クラサメの記憶違いでなければ、確か水を取りに行ったはずではなかったか。

 その流れで何故演武をしている。


 気楽で能天気。


 幾度か会話はした事はあるが、この最中での○○に対する評価だ。


 ただ、貢献度も断トツ。

 チームがここまで残っているのは偏(ひとえ)に○○の活躍による。


 他人を乗せ、引っ張るのが上手い。ムードメーカー。

 刺す回数も断トツなのだが、パスを褒め、手柄を分けている。


 上には行けないタイプだな。


 無意識に他人を評価している自分に気付き、自嘲しながらクラサメは歩みを進めた。
















「ごめん、なんか呼んでる。私抜けるね」


 クラサメが合ったと感じた視線はやはり気のせいではなかったようで、声を掛ける事なく○○が駆けてきた。

 型を披露していた男子にクラサメが一瞥をくれると、慌てて視線をそらす。


 額に流れる汗を拭いながら○○はクラサメに問い掛けた。


「なに、じゃない。聞きたいのはこっちの方だ」


 溜め息をつきながら日陰に移動すると後を付いてくる。


「水を取りに行ったんじゃなかったのか」

「行ったよ?」


 息を弾ませながらその場でステップを繰り返す。


「ああ。あれ? 誘われたの」


 じゃあ何故、とクラサメが顎で指したのは先程の集団。

 まだ型を演っている。


「あれはもう試合がない連中だろ。一緒になってどうするんだ」


 誘われたというあの集団は、次に当たるチームの弾かれた生徒だ。

 大方、相手チームのスタミナを少しでも奪おうという作戦なのだろう。


 そしてあっさり作戦は成功。

 優勝するよと言っていたばかりなのにこの汗だくはどうだ。


「後先考えて行動した方がいいぞ」


 常に相手の思惑を読むクラサメには二つ返事で了承したであろう○○が理解できない。


「深読みしすぎだよ〜。そんなに考えて行動してたら動けなくならない?」


 ステップを止め、腿を軽く叩く。


「でも確かに今日はオーバーワークかな。筋トレ減らそ」


 腰を降ろし、指折り何かを数え始めた○○。


「いくつ演ったんだ。型」


 見ていたが、壱から順ではなかった。


「おい?」

「ああんもう! わかんなくなった!」


 頭を掻きむしりキッとクラサメを睨みつける。


「……悪い」

「えーっとね。ヤナギから始まるヤツと、チドリからのヤツと、ツバメと……あと」

「見てた限り弐と淕もあったが」


 首を傾げる○○に溜め息をつき、冒頭だけ身を振る。


「それそれ。全部で5コ、かな?」


 右手は拳になっていた。


「演るとなれば出来るのに、番号は覚えてないのか」


 ○○は軽く笑った後、小さく謝罪をした。


「流れで覚えてはいるんだけど……どうもなー……。だから、玖の型、始め! って言われても初動が遅れちゃうんだー」


 コートを見ながら肩を竦める○○に、節介ながらクラサメは勿体ないと思った。

 型自体、全てを覚えている人間は多くない。番号を覚えていないというだけで損をしている。


「語呂合わせでもこじつけても、覚えておけ」

「ん。ありがと」


 そうだ、と言って思い出したように○○はペットボトルを手に取った。


「はい」


 差し出されたのはミネラルウォーター。


「自分の分じゃないのか」


 見たところ1本しかない。


「私はもう飲んできたから。これはクラサメ君の分」

「俺よりそっちの方が必要なようだが」


 前髪は額に張り付いている。


「ん〜……でもこれ温くなっちゃったからいらない」

「飲みたくもない程温くなったマズイ水を俺に寄越すわけか」


 クラサメが眉間にしわを寄せると○○の口が引き攣った。


「う。でもでも! 水分補給、してないんでしょ?」


 カシュッと音を立ててキャップを開けると○○はそのまま口を付けた。


「あ、思ったより温くないよ! イケるイケる!」

「やっぱりお前の方が必要なんじゃねぇか」


 ハイどーぞと差し出されたボトルは、中身が半分に減っていた。


「えーと……毒味?」


 未開封な上に半分飲み干し何を言うか。


「毒だったら死んでたな」


 気まずそうに立ち上がった○○からペットボトルを受け取る。


「おっ、コート整備、終わったみたい。始まるよ!」


 屈伸をしながらクラサメを見る○○の口角は上がっていた。

 意欲に瞳が輝いている。


「いっくぞー!! よろしくね!」

「……やるからには」


 優勝に興味はないが、負かしたからにはせねばならない理由も出来てしまった。


「ドライだなあ。不機嫌なの? 楽しくないの?」

「授業の一環に特に思うところもない。不機嫌そうに見えて悪いがこれは地顔」

「実は内心、うっきうきとか?」


 思わず鼻で笑ってしまった。

 うきうきな自分。なんて滑稽な。


「どうだろうな」

「ふ〜ん? ……玖の型ー始めッ!」
「おいッ!」


 いきなり声を張り上げ手刀で天を取ってきた○○。

 右手で受け、そのまま切り返す。


「さっすがぁ!」

「左手、ペットボトル持ったままなんだが」


 しかも口は開いたままだ。


「聞こえんなあ」

「聞こえてんじゃねぇか」


 むふふと笑いながら手は止めない。


 玖の型は組み手。

 後攻はほぼ受けなのだが最後に繰り出しの攻め手がある。

 このまま続けると。


「かかるのはそっちだぞ」

「いいよぶっかけて」


 今日暑いし、すぐ乾くから。


 鉄槌をいなされた○○は後方へ距離を取る。

 型の手を止めずにクラサメは溜め息をついた。


 ぶっかけていいよ。


 水だが。

 水だけど。


 ヤマからの切り返しを受けたクラサメは決め手の天を繰り出す。


 が、手は手刀ではなく、○○の頂頭にペットボトルの尻を当て、天の代替とした。


「……あまり男子にそういう事を言わない方がいいぞ」


 お年頃の男子が、ぶっかける、で想像するのは一つだ。

 女子とは違う。

 というか直結とはいかなくても女子だってわかりそうなものだが。


「おおジェントルマン。かけられるの覚悟してたんだけどー」


 あははと笑う○○は、キツく目をつぶり肩を竦めていた。


「ん〜脳天涼しい〜」


 ……変な語彙。聞いちゃいねぇな。


「ようし! クラサメ君のテンションも上がったところで参りますか!」

「俺がいつ下がったと言った?」


 思わずそう言ってしまった自分は結構弾んでいるのかもしれない。

 仕掛けられたとはいえ、型にも付き合ってしまった。

 普段ならやらない。

 というかクラサメに仕掛けてくる人間はいない。


 なんだかんだで○○のペースに引き込まれているようだ。


「よっしゃ! 刺しまくってやる! 目指せK.O!」

「アシストしてやるよ」


 意外そうに目を見開いた○○だったが、次には目を細め嬉しそうに笑った。


 クラサメに向かって拳を突き出す。


「頼りにしてるよリーダー」

「リーダーになった覚えはないがな」


 言いつつも、クラサメも拳を合わせて応えた。






















 宣言通りの活躍を見せた○○。

 クラサメのアシストもあり、見事チームPは優勝を果たした。


 そしてそのチームで今はリフレッシュルームに来ている。ささやかな祝賀会だ。

 繰り広げられる会話を聞き流しながらクラサメも席に座っていた。


「お待たせ〜」


 そこに運ばれてきたのは人数分、14コのドリンク。

 道中、オーダーを取っていたものである。


「さすがに凄い量ですね!」


 シエニも立ち上がってトレーからテーブルに置くのを手伝い、一番個数が多いブラックコーヒーをまず配分していく。

 男子はほとんどだ。


「ノーフェ君は?」

「俺いちごミルクー!」

「ははっなんか似合うな」

「このピンクのかな。はい」

「逆に喉渇きそー……」

「あとはー?」


 紅茶、アイスフロートなど、わかりやすいものを分配し、それでも残ったのが3つ。


「私のどれだろ? ってわあ全部茶色ー」


 フタを開けて確認した○○だったが自分のはわからなかったらしい。


「あと貰ってない人ってー?」

「はいはーい。アタシらキャラメルミルクティー」


 じゃあ2、1で分ければいいんだな、と。


 ○○は3つ共に口を付けた。
















 クラサメ君に一言貰って乾杯。

 ……まぁね。思ってただけですよ。

 頂けませんよね。


 一度は合った視線だけれど、今は逸らされてブラックコーヒーに注がれている。


「それでは不肖、○○がリーダー、クラサメ・スサヤに代わりまして乾杯の音頭を取らせて頂きまーっす」

「長いぞー」

「えッ、もう!?」


 早過ぎるツッコミに笑いが起きる。


「えーっとまさか優勝出来るなんて思ってませんでした。嬉しいです。それもこれもあれも全部みんなのお陰でありまして。尊い犠牲は忘れません」


 死んだ風に言うなー。


「候補生に上がってクラスが別れても助け合っていきましょうってか助けてくださいよろしく!」


 一方通行かよ。


「アギト目指して日々精進!」

「○○長ーい」


 再びツッコミを受け、○○は肩を落とした。


「アギト目指して頑張りましょう! では! グラスを手に!」


 グラスじゃねーし。


「チームプリティ! かんぱーい!!」


 チームプリティ……?


 高らかに紙コップを掲げたのは○○だけで、皆の頭上に疑問符がぽぽぽんと浮かぶ。


 か、んぱい。

 いっただきまーす。


 そして揃わないままに各々ドリンクを飲みはじめた。
















 クラサメはブラックだろ? と、当然のように決め付けられてしまったが、驚いた事に結構な割合で男子はブラックコーヒーだった。

 よく飲めるなこんな苦い物、とは思うが否定出来ない自分の性格。

 いちごミルクと言い放ったノーフェを少しだけ尊敬の眼差しで見てしまった。


 形式的な乾杯をした後は三々五々席を離れていき、今テーブルについているのは半数強。

 口を付けるわけでもなく、クラサメはカップを弄んでいた。


「クラサメー、今度の試験勉強一緒にやらね?」

「あッそれイイ考え! ナイスッ!」

「心強いですもんね!」

「どうっすか? スサヤさん?」


 カップを回しながらクラサメは考える風を装ったが、正直他人の面倒までみていられない。


 だが断っても角が立つ。


「気が向いたら」


 考えておくと言いながら、クラサメの中ではほぼ却下だ。


 断りもせず、安請け合いもしない。


 こう言っておけば、こちらからその話題に触れない限り重ねて聞いてくる人間はまずいない。

 フェードアウト。結構な事じゃないか。


 先程からクラサメには質問か要望ばかりが投げられている。

 偶然なのか故意なのか、遮断していた○○がいなくなったからだ。


 友達を見つけたらしく、すぐに戻ると言って席を立った○○だったが。


 遅いな。


 と考えて、ふと、何故未だ自分は帰っていないのかと疑問に思う。

 ここにいる必要は無い。帰ればいいんだ。


 おもむろにクラサメは席を立った。


「クラサメ君帰っちゃうの?」

「ああ。悪いな」


 軽く手を上げ、クラサメは魔法陣へと足を運んだ。
















「何してるんだ」


 声を掛けると○○は顔だけをこちらに向けた。


「あれクラサメ君。えーと、ルームメイトがいたの。さっき帰ったんだけだ、それからは……風が気持ちよくてなんとなく。クラサメ君、帰っちゃうの ?主役なのに」


 隣に並び、窓枠に肘をついて同じく外を眺める。


「ああ。考えてみればいる必要性が無かったからな」


 魔法陣に入る直前、開いている窓から外を眺めている○○の後ろ姿が視界に入った。

 部屋へ帰る予定だったがとりわけ急いでいたわけではない。

 なんとなくつま先を向けた。


「そんなこと無いよ。みんなクラサメ君と話したがってるでしょ」

「物珍しいだけだろ。話してみたいというより質問ばかりだ。半数は帰ったし。それに」


 眩しい太陽に瞳を細めながら身体を反転させる。

 接続詞で止めたため○○が続きを促すように見ていた。


「主役は、そっちだろ」


 本当に全員を刺した○○。


「よく続いたなスタミナ。バテると思ってた」


 正直に感想を伝えると○○は口の両端を上げて顎を引いた。


「ふっふっふ。体力自慢ですから」


 言ったものの若干照れたようで、ちぅ、とストローに吸い付いた。


「でも私もごめん、だ。私もクラサメ君バテると思ってた。正直」


 体力測定だけを見るとクラサメのランクは高くない。

 身体能力でカバーしているだけだ。


 それは事実。


 だから、○○の目は謝りつつもあいこだよねと言っている。


 待ち時間に型の演舞をやっていたにもかかわらず全員刺すと言った○○。

 絶対にバテると思っていたからサポートをする事にした。

 自分の役割。パスアシストと、囮。


「クラサメ君がデコイなんて凄い贅沢。いやー食いつきすごかったね」


 室内を眺めるクラサメは紙コップを回していた。

 中に入っている氷がしゃらしゃらと涼しげな音を立てている。


「そりゃどうも」


 セットという教官の掛け声で整列していた場所から散りポジションにつくメンバーだが、クラサメだけは後ろに数歩下がっただけだった。


 クラサメ・スサヤが最前に出ている。


 全員の目付きが変わった瞬間が○○にもわかったくらい、効果は絶大だった。


 もしかしてもしかすると当てれちゃったりするかもしれないような。

 学年トップのクラサメを刺した、なんてハクがつく。

 魅力的だ。必死にもなろうというもの。


「なんだろうね」


 ○○はほお杖をつきながら、あまり表情が変わることがない綺麗な顔を眺めた。


 カリスマ性?

 フェロモン?


「なにが」


 首を捻ったクラサメは唸りながら何かを考えている○○を見下ろす。


「あ。ブランドかな? そうかも」

「は?」


 満足のいく考えに至ったのか、ひとしきり頷いた後に○○はしみじみと呟いた。


「大変だね有名人って」


 その言葉はクラサメの眉間にしわを刻んだ。

 視線を逸らして溜め息をつく。


 また、溜め息だ。


 ○○もクラサメから視線を外し、そよぐ木の枝を見る。


 特に仲が良いわけでもないし、会話だって数回交わした程度。

 しかし今日だけで何回溜め息を見た事か。


 ストローに口を付け、突然思い付いたように窓枠から肘を離す。


「はい。あげるよ」


 クラサメが視線を向けると、差し出されていたのは○○が飲んでいた紙コップだった。


「溜め息多いから。あと眉間のしわもずっとだし。カルシウム不足じゃない?」


 まだ動かないクラサメに尚も差し出し続ける。


「これ? キャラメルマキアート」


 カルシウム不足で何故キャラメルマキアートを勧めるのか。

 カルシウムが摂取出来るとは思えない上、眉間のしわにも関係はなさそうである。


「疲れてるときは甘いものっていうじゃん。眉間のしわも取れるかもよ?」


 ○○の中では脈絡があったらしい。


「何飲んでるの?」

「……ブラック」


 やっぱり。

 そう言って○○は顎を上げた。


「いや似合うけどさ、せめてミルク入れるとか。クラサメ君胃袋弱そ」
「余計な世話」


 言ってクラサメはストローを口にした。


「あっ! また眉間にしわ!」


 ほら見たことかと、○○はビシッと眉間を指差す。


「クラサメ君甘いのダメ?」

「……さあ?」

「じゃあ甘いの摂取しなさい。交換ね」


 クラサメの手からコーヒーを取り上げ、替わりに自分が飲んでいたキャラメルマキアートを押し付ける。


「そういえば乾杯してなかったね」


 優勝したぜぃと言って一方的に紙コップを合わせ、○○はストローに口を付ける。

 クラサメが見下ろす中、一口飲んだ○○は肩を竦めた。


「うひぃ苦い。よく飲めるね」


 うぇっと舌を出す。


「飲めないなら無理して飲む事もないだろう」


 クラサメも飲めないのだし。


「大人の階段を昇ってると思えば平気。こうして一歩一歩大人に近づいてゆくわけですよ」


 苦い苦いと言いながらも少しずつ飲んでいく○○。


「クラサメ君も飲みなよ。もしかして恥ずかしいとか? こんなの女の飲み物だろ、みたいな」


 見上げてくる○○から視線を逸らす。


「別に」


 とは言うものの、図星だ。

 ブラックコーヒーと決め付けられたが、何飲むと聞かれたところで同じものを頼んだだろう。


 だって当然のように皆ブラックコーヒーを飲んでいる。


 見栄というか背伸びというか。


 自分の性格と周囲からの視線もあるが、そういう年頃なのだと思う事にしておく。


「ま、ふた取らなければバレないっしょ。誰もクラサメ君がキャラメルマキアート飲んでるなんて思わないって」

「笑うな」


 睨みつけてみても○○の口はふやけてばかりだ。


「ふふ、ごめん。ブラックコーヒーにかんぱーい」


 そう言って紙コップを掲げた○○。


「何度乾杯するつもりだ」


 溜め息をつきつつも今度はクラサメも合わせ、二人はそれぞれストローに口を付ける。

 そして二人同時に眉をしかめた。


「にが……」
「おい」


 呼ばれた○○は舌を出したままクラサメに視線を向ける。

 クラサメは口を開かず紙コップを揺らすが、何が言いたいのかわからず○○は首を傾げた。


 溜め息をついてストローに口をつけ、一吸い。


「あ。」


 ○○が見る先でストローはじゅるりと音を立てた。


「一口かよ」


 持たされたときに軽くは感じたが、まさか一口しか残ってないものを寄越すとは。


「ありゃ〜。そんなに飲んだんだ私。ごめんごめん」


 謝ってはいるが、窓枠に肘をつく○○に反省の色はナシ。


「そんなに睨まないでよ。なんだったらまた頼めばいいじゃん」


 ○○はポケットに手を入れカードを取り出した。


「へへへ凄い嬉しいー。ああ明日は何にしよっかなー」


 訓練生全員で行われた今日の行事。


 ドッジ・ラン。


 優勝商品は十日間ドリンクフリーパス。


 ルール説明時にチーム全員に配られると明かされたその際は、結構な人数が色めき立った。


「クラサメ君は嬉しくないの?」

「別にパスは欲しくなかったんだけど。それよりは下を避けられた方が大きい」


 確かに、と頷きながら○○はパスをしまった。


 半分以下に課せられたのはモーグリのお付きで、こちらも十日間、モーグリの仕事を手伝わねばならない。


 トーナメント一回戦で負けるとそれは決定で、後は負け進むと仕事量が増す。


 もちろん通常の授業、課題などの免除はなく、ただ追加。


 モーグリがどのくらいの仕事を行っているかは知らないが、いつも清潔な院内、貸し出し・返却が大量なのに整然と並べられているクリスタリウムの蔵書、制服に限らず私服までのクリーニング等、陰ながらの力は計り知れない。


 それをやれと。

 必死にもなる。


「悲惨だったよね」

「死相が出てたな」


 負かしてしまった相手。


 逆トーナメントで頂点になってしまったチームの生徒は、泣き崩れているか楽観的に考えているかの二通りだった。


「そんな事に割く時間は無い」

「同感」


 意外な言葉を放った○○にクラサメは眉を上げた。


 可哀相とか、手伝えるなら手伝いたいとか言いそうなものだが。


「いやもう課題終わんない終わんない」


 笑いは乾きまくっていた。


「くっそー早く実技に入らないかな」

「入ったところで座学が無くなるわけじゃないだろ」

「そうだけど……あー身体動かしたい」


 伸びをしてブラックコーヒーを一口。

 わかっているのにまた眉をしかめた。


 何とは無しに並んで室内を見ていた二人の視界の端で魔法陣が起動し、現れたその見知った姿に○○は手を上げる。


「エミナちゃん!」


 その声に気付いたエミナはふわりと微笑んで二人の方へ近付いてきた。

 尚も大きく手を振り続ける○○にクラサメは問い掛ける。


「知り合いなのか。……あぁそういえば何か話してたな」

「うん! ととと友達!」


 何故そこでどもる。


 小さな疑問が首をもたげるが、問い掛ける間もなく○○は傍に来たエミナに鼻息荒く話し掛けた。


「エ、エミナ! 優勝したよっ!」

「知ってるわよ。おめでとう」


 何やら緊張しているようだが、エミナに頭を撫でられると頬が一層上気した。

 尻尾があるなら振り切れんばかりに振られている事だろう。


「クラサメ君も。おめでとう」

「ああ」


 そんな短いやり取りの後。

 エミナが手の平を差し出すのとクラサメがポケットに手を入れるのはほぼ同時だった。


「ドウゾ」

「うふ。ありがとう」


 クラサメの手からエミナに渡ったのは、件のドリンクフリーパス。


 二人を交互に見ながら○○の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいた。

 当然の様にパスを渡したクラサメと当然の様にパスを受け取ったエミナ。


「い、いいの? あげちゃって」


 せっかくの優勝商品を、ノートを貸してあげるようなクラサメのその態度。

 前もって約束されていたようなやり取りに○○は疑問を投げた。


 視線を受け、クラサメはエミナに目を向ける。


「さっきも言ったが別に欲しかったわけじゃない。けどエミナが欲しがってたからな」

「あら。私何も言ってないわよ?」


 よく言う。


 クラサメは心の中で毒づき窓枠に肘を乗せた。


 エミナのチームとの対戦が終わった後、目でそう言ってきたのはエミナだ。

 確かに口に出して言ってはいないが読み違えたとも思わない。


「いらないなら返せ」


 手の平を差し出してみるが。


「こういうのは女の子の方が有効的に使えるものよ」


 一つ言ったら倍で返してくるエミナには返すそぶりもなく、クラサメは力無く手を投げ出した。


 クラサメを上目遣いに悪戯っぽく微笑むエミナ。

 相変わらずの、非の打ち所のない完璧な微笑み。


「やっぱり欲しかったんじゃないか」

「お礼は言ったし?」


 ……確かに。


 やはり、口では勝てない。


「エミナちゃんも欲しかったんだ……。私のあげようか?」


 ○○もパスを出そうとポケットに手を入れるが、エミナは首を振ってそれを止めた。


「○○が気にする事じゃないわ。それより明日から女の子同士、一緒に飲みましょ」

「本当!?」


 いきなりの大声にクラサメは眉をしかめ、通り掛かっていた数人の生徒は何事かと顔を向けた。


「あ、ごめん」


 気付いた○○は口を押さえて音量を絞る。

 が、すぐにだらし無く口元を緩めた。


「えへへ……嬉しいなあ〜。優勝してよかった〜」


 一緒に、という事がよほど嬉しいらしい。


「あ、クラサメ君も一緒にどう?」


 にこにこと上機嫌ながら○○はくるりと向きを変え、クラサメの顔色を伺う。


「悪いが遠慮する」


 ちらりと二人に視線を走らせたクラサメは僅かに考えた後、窓から身体を離しそのまま歩き出した。


 た易く想像できる。煩い席になりそうだ。


「帰るの?」

「ああ」


 小首を傾げるエミナにクラサメは肩を竦めて返した。


「ね、一口ちょうだい」


 ブラックでしょ? と、手を伸ばすが、クラサメは僅かに引いてかわした。

 形の良い眉をひそめてクラサメを見る。


「……何?」

「いや……」


 珍しく言い淀みを見せたクラサメにエミナは首を傾げた。

 それを見ていた○○が間に割り込むように自らの飲み物を差し出しす。


「あ、エミナ! コレ、ブラックだよっ、ハイ!」


 動かないエミナに更に力強く差し出す。


「意外ね。○○はブラックダメだと思ってた」


 言いながらも○○から受け取ったそれに形の良い唇を寄せた。


「大人の階段駆け上がり中!」


 ……ダメはダメなのね。


 無邪気にピースサインを出す○○にエミナは心の中で分析する。

 一口もらったエミナは○○に返そうとするが。


「エミナにあげる。やっぱりまだ苦い……」


 まだ後味が残っているのか、○○は舌を出して眉をしかめた。


「大人への階段、まだまだ先は長そうね」

「道のりは険しいな」


 見守るような生暖かい二つの視線に、うっと○○はうなだれた。


「いいのっ! 頑張るのっ!」


 それより! と仕切り直すように○○は並んで立つ二人を見る。


「二人は友達だったんだね〜」


 こちらを見ている綺麗な顔が二つ。目の保養だ。


 ……友達。

 ちらりと女友達に視線を向けると、その女友達も同じ考えだったようで視線がかち合った。


 言ってないのか……。


「……友達というか」


 続けようとした言葉は頬への感触によって妨げられた。

 クラサメの肩口に手を添えて軽く背伸びをしたエミナは、○○が見ている前でクラサメの頬にキスをした。


「こういう関係?」


 さらりと前髪を揺らして○○に微笑みかけるエミナ。

 反応を面白がっているようだった。


「紹介するって言ったけど、いらないようね?」


 彼氏でーす、と言って腕を組んでくるエミナにクラサメは溜め息をついた。


「おい、人前でこういう事は」
「あら。人前じゃなかったらいいの?」

「……そうじゃなくて」


 唇を尖らせ間近で見上げてくるエミナはクラサメの反応をも楽しんでいるよう。

 見上げてくるその角度もやっぱり完璧だった。


 研究とか練習とかするんだろうか?

 言葉達者な綺麗な彼女。


 見ているだけで何故か揚げ足を取られそうな気がして、クラサメは溜め息をつきながら視線を逸らした。


 逸らした先には○○。

 顔を真っ赤にしてこちらを指差す○○がいた。


 その口はぱくぱくと開閉している。


「……なんだアレ」


 クラサメには意味不明の行動。

 エミナならわかるのだろうかと聞いてみたが肩を竦めるばかりだった。


 ち。


「え? 何?」


 何やら呟いたらしい○○にエミナが聞き返す。


「──ちッ!」


 指をさされているのはエミナではなくクラサメ。


 ちょっと待てお前ッ!


「ちかッ!ふぐッ」


 何か嫌な予感を感じ取ったクラサメは、飲み物のストローを口に突っ込むという荒業で○○の大声を防ぐ事に成功した。


「……今……何言おうとした」


 至近距離で睨みつけながらゆっくりとストローを引き抜く。


 ちかん……。


 ぽそりと言われた言葉は後ろのエミナまでは届いていない様子。

 クラサメは憤りが混ざった強めの溜め息を漏らし、○○をひと睨みして踵を返した。

 すれ違い様にエミナの手を引いて靴音高く魔法陣へと向かう。


「私も?」

「エ、エミナちゃんも?」


 慌てる○○に、クラサメは最後に顔だけを向けた。


「俺の。彼女だ。」


 文句あるか。


 再び前を向いたクラサメは○○を一顧だにする事なく魔法陣へと消えた。
















end
後書き