heart pounding

 








 






 今○○と飲んでるんだけど、リベルトたちも来ない?


 同僚のクロウから電話があったのは、今から二時間ほど前の空が茜色に染まり始めた頃。

 重役会の警護から解放されてすぐのことだった。


 本日の仕事は以上で終了。

 これから帰宅するだけで特に予定もなかったため、飲むのもいいかと軽い気持ちで応じたのだが、指定された場所は壁の外。一時間は掛かる距離だ。

 飛び入りの予定としては少々重い。

 今回はパスする方向へと気持ちが傾いていたニックスだったのだが、たまにはいいじゃねぇかと肩を組んできたリベルトはクロウに二つ返事をし、嘆息するニックスも引きずられるように連行され、久方ぶりに長いこと列車に揺られた。


 終着駅で列車を降りた二人は今、口頭で説明しづらいから迎えに行くと言ってくれたクロウを待っている最中である。

 大層寂れた駅を見上げながらリベルトが口を開いた。


「どんな奴なんだろうな、○○って」


 たびたびクロウの口から名前が出てくる○○。

 初めて耳にしたのは割と最近だったと思うが、それからの頻度は高い気がする。

 職場と自宅を往復するだけの色気のない日常では知り合いが増えることすら珍しい。この年齢になっては尚更だ。

 友達が出来たんだと嬉しそうに語るクロウに、今度紹介してくれよなと言ってはいたが、思ったより早い段階でその機会は訪れた。

 実際に会うのは今日が初めてだ。


 設置されてこの方、手入れなんてされてないだろう鉄柵の錆を靴底でザリザリと剥がしながら、ニックスは肩をすくめた。


「アイツと気が合うくらいだ。相当な跳ねっ返りなんだろうよ」

「はは、違ぇねぇ」


 豪快に笑うリベルトは上機嫌だ。

 可愛い妹分が友達を紹介してくれることが嬉しいのだろう。


 かくいうニックスも興味がないわけではない。


 女二人で飲んでると、馬鹿な男どもが声を掛けてくるから落ち着いてゆっくり飲めない。


 前にクロウがそうぼやいていたが、馬鹿な男だって声を掛ける女は選ぶものだ。

 それほどの美人なのだろうか。


「仕事抜きで久しぶりに外から見上げたな」


 そびえ立つ高い壁。

 王都インソムニアは、無機質で分厚いこの城壁と、王自身が生み出す魔法障壁によって護られている。


 ニフルハイム帝国の度重なる侵略により、安全と言えるルシス王国の領土は今やこの壁の中のみ。

 外壁周辺は、差し迫ったニフルハイムの脅威こそ無いものの、モンスターが我が物顔で闊歩している。

 駆逐・掃討したところで期をてらったようにニフルハイムが侵攻してくるため、管理が追い付かないのである。

 誰もが望む壁の中の平和だが、それを得ることができない人々は、知恵を絞り、寄り添って息を潜めて隙間で生きているのだ。


 故にその城壁の外であるここまで法など行き届いているわけがなく。

 追い剥ぎや物乞いは日常的で、王都中心ではよく見かけるスーツ姿の会社員などは皆無。

 この辺りに馬鹿な男が多いだけかもしれない。


 ……壁の中にも馬鹿な男はいるが。


 と、ハードルを下げておいたところで、


「おーい」


クロウが来た。




















 区画されていない道を歩き、背の低い建物郡が建ち並ぶ中、クロウの案内でたどり着いた店は駅からは裏手にあり、確かになんとも説明しづらい場所にあった。


 店自体は大きく、目立つ。

 中心を頂点として弓なりに張られた天幕がサーカステントを連想させる店構えだ。

 外周をぐるりと囲うテラスとフロアーは続きになっていて、酒場特有のこもりがちな熱気は夜風がさらっていってくれるのだろう。

 オレンジの灯りが煌々と点いており、バンジョーがメロディーを奏でる、陽気なカントリーミュージックが流れていた。

 天幕のある、半外。解放感は抜群だ。


「○○、連れてきたよ」


 木の床板を鳴らしながらクロウが駆け寄った席に座っている女が、件(くだん)の○○らしい。

 ついていた頬杖を外して後方を振り返る。


「こっちがリベルト。それと、ニックス。二人とも仕事仲間で私の兄貴分。ほら、あいさつ」


 店内の様子を見渡していたところに遠慮なくグイと腕を掴まれ、テーブル脇に引っ張り出された。


「おう! クロウから話はよく聞いてるぜ。リベルトだ、よろしくな」

「こっちもあんたらの話は聞いてる。仕事終わりなんだって? こんな遠いところまでわざわざお疲れさん」


 ニカっと懐っこい笑顔を浮かべて握手を求めるリベルトに○○も手を差し出した。

 次いで視線を向けられたニックスが一歩進み出るが。


「ニックス。ニックス・ウリックだ。会えて光栄だよ○○、よろしく」


 気のせいだろうか。

 一瞬眉が動いた。


「……よろしく」


 そう返してくれはしたものの、こちらが握手を求めようとする前にポテトに手を伸ばしたため、ニックスはそのまま向かいに腰を降ろした。


 初対面のはずだが……なんだろうか。


 あまり歓迎されてる雰囲気じゃないな、というのが○○に対する第一印象だった。






















クロウ○○とはかれこれ一年くらいの付き合いになるよね。ここで初めて会ってから。
○○そうだね。
リベルトなんだ? 隣同士で飲んでた、とかか?
○○ここで働いてるの。クロウが他の客に絡まれてたのを止めただけ。
クロウ止めただけ……って、あんたがっつり急所に膝蹴り入れてたでしょ。
リベルトうげ。
ニックスマジか。
クロウしばらく悶絶してたっけなぁ……。本当、格好良かったんだから。
○○向こうが悪い。
リベルト怖ぇ女。
ニックス怒らしちゃあ、いけねぇな。











○○先に謝っておくけど聞いていい?
リベルトなんだ?
○○あんたら、ゲイ?
ふたりブホッ!
クロウあっはっはっはっ!
ニックスハァ!?
リベルトどこをどうしたらそうなる!?
○○似たようなヘアースタイルに、揃いの服。同じような墨も入ってるんだろ。
リベルト俺たちは同郷なんだ! そこの主流なんだよ、編み込みは!
○○ふぅん。ツーブロックはゲイが多いって聞いたんだけどな。
ニックスいないとは言わないが、全員だと思うなよ。それに、このシャツは支給の隊服だ。言っただろ、仕事終わりだって。
○○あ、そう。ゲイじゃないんだ、残念。
クロウあは……っ! あっはっはっはっ! お腹痛いッ!
リベルトクロウ! 笑いすぎだ。























 酒を飲み交わしながら、そんな他愛ない話を小一時間はしただろうか。


 サイズの大きいカーディガンを羽織っている○○は化粧もしておらず、セミロングのブルネットは手櫛で大ざっぱに纏めているだけ。

 素材は良さそうなものだが自分には余り手を掛けていないようだ。


 しかし……何故だろう。

 何故か仕草が目を惹く。


 視線の伏せ方。指の運び方。首の傾げ方。


 そう思うほどにはそれとなく見ていたのだが、ふと気づく。


 一度も自分の名前を呼んでいない。

 笑顔も見せていない。


 並ぶクロウに比べて喜怒哀楽の起伏が少ないとはいえ、相づちの際には口角や眉を上げたりするなど、ロボットではないことは確認できた。

 比べられるのが酒の入ったクロウ、というのが比較対象として適任とは言いがたいが、それでもただの一度も視線が合わないのは、観察されていることに気づいていないだけか、あえて意識的にか。


 後者だよな?


 興味が沸いたニックスはテーブルの下で○○の脚をこづいた。

 一度目は当たってしまっただけなのかと素振りを見せなかった○○だが、立て続けにこづかれ、さすがに故意にだと気づいたようで対面しているこちらに瞳を向けてくる。


 なに。


 視線はそう言っていた。


「だよな兄弟。あのときはもうダメかと思ったぜ」

「ああ。クロウの魔法に助けられた」


 熱く語るリベルトがニックスの肩を叩き、ニックスは指を一本立てクロウをおだてる。


「……へえ……クロウってすごいんだ」


 テーブルの上ではそんな話が花開いていた。


「魔法なんて、普通使えないよ」

「クロウ先生は大魔法使いだ」

「やだなに? みんなして。褒めたって何も出ないよ?」


 クロウが照れたようにグラスを煽った隙にニックスは○○に視線を送った。


 小さく顎をしゃくって誘うその意図に気づいた○○は、一瞬だけ不愉快そうに眉間にしわを寄せ、ニックスの視線を断ち切るようにまつげを伏せて静かに息を吐き出した。


 視線が合ったのはそれきり。

 それからは一度もこちらを見ることはなかった。




















「風のない夜だな」


 手洗いで用を足したニックスはまっすぐ席に戻らずテラスに出て夜空を見上げた。


 先に席を立った○○を意識しつつ、しかし不自然にはならない程度にニックスも席を立ったのだが、今、テーブルにはリベルトとクロウしかいない。

 ○○はまだ戻っていないようだ。


 気のないフリをしていたが、誘われてくれたのか。

 お手並み拝見、と。


 ニックスは小さく口角を上げた。


 どこだ?


 テラスを外伝いに歩いていると裏手側の暗がりに○○の後ろ姿が見えた。

 手すりに腰掛け、組んだ脚に頬杖をついてじっと何かを見ている。


 通りすぎたテーブルから中身がまだ残っている酒瓶を手土産に引っ掛けて○○の元へ向かった。


「よう。お待たせ」


 後ろから声を掛けられたにも関わらず、特段驚いた様子はない。

 待ってないし、とため息をついた○○は脚をほどき、手すりから降りてその場を去ろうとするが、


「何見てたんだ?」


笑顔をたたえたまま、ニックスは○○の視線に近づきその動作を阻んだ。


 再びため息をついた○○は手すりに肘をついて指を差した。


「あそこ。鳥が巣を作ってるの」


 指を差されたのは天幕と壁の交わるところで、ニックスにも細い枝で作られた巣が見えた。

 相づちを打ちながら酒瓶を揺らす。


「飲むか?」


 返事をしていないにも関わらず差し出してくるニックス。

 しぶしぶながらその瓶を受け取り、一口だけ喉を潤してすぐに返した。


「卵あっためてるんだ」

「へえ。……小柄だとは思ってたけど、本当に華奢だな」

「……もう少しで孵ると思うんだけど」

「そりゃめでたい。なんの鳥? で、幾つなんだ? クロウと同じくらいか?」

「……」

「ここで働いてるって言ってたか」


 初対面で出方を窺っているなか、明らかに会話を成立させる気のないニックスをうろんげに睨み付ける。

 街中でのナンパならば無視。
 クロウが仲介者でなければ、○○にとってニックスは完全に無視を決め込む部類の男だった。


「なんなのあんた」

「あんたじゃない。ニックスだ」


 そんな心中を知ってか知らずか、飄々と肩を竦めるニックスに○○はため息をついた。


「ちゃんと聞いてたさ。あれリィタだろ。珍しいな。インソムニアじゃ見ない」

「リィタ……」


 ニックスを睨み付けていた○○はぽつりと呟き、巣を見上げた。


「知らなかったのか? あのずんぐりむっくりな後ろ姿はそうだろ」


 ○○の角度からは見えないがニックスには確認出来たのだろう。


 ○○も以前に脚立を使って見たことがある。
 確かに愛らしい姿をしていた。


「あれを見た男女は結ばれるんだぞ」

「適当なこと言うな」

「既婚なら子宝に恵まれる」

「嘘確定。」

「嘘じゃないって、リベルトにも聞いてみろよ。なあ、好きな男性のタイプは?」

「そういうこと聞かない、わたしに興味のない男」

「待てよ」


 去ろうとする○○の腕を掴んで引き寄せる。


 触れるだけの短いキスをしてゆっくりと唇を離し、伏せていた瞳を開けると間近で視線がかち合った。

 瞳を閉じて恥じることも、驚いて突き飛ばすこともせず。無感情な瞳にニックスが映り込む。


 ……へえ?


 面白そうに口角を上げるニックスに○○は眉間にしわを刻んだ。


「なに。ゲイじゃないって証明? 怒ってんの? 悪かったよ」

「違ぇよ。……わからない?」

「ッん……」


 艶っぽく視線を絡ませたニックスは瓶を手すりに置き、今度は深く口づける。

 後頭部を引き寄せ舌を入れて、腰にまわした手はカーディガンの中に忍ばせ――


「いッッ!」


 脛に強打を受けたニックスは思わずその場にうずくまった。


「酔っ払い。二回死んで」

「あれくらいで……酔うかよ……」

「なら余計タチ悪い。クロウの友達っていうから仕方なく……」


 鼻を鳴らした○○は痛がるニックスの横を通りすぎて、店内に戻るのではなく階段を降りた。


「おい」

「帰る。ゲイだったらトモダチくらいにはなれたかもね」

「ゲイじゃねぇって言ってんだろ……!」

「わたしの飲み代、あんたが払っといて」


 サヨウナラ、ニックス。


 唯一名前を呼び、ニックスに見せた笑みが、それ。


 それからは一顧だにせず○○は帰っていってしまった。




















 あれからしばらく○○が消えた方面を眺めていたが、こうしていても仕方がない、と席に戻ったニックスを赤ら顔のリベルトが出迎えた。


「おうニックス、ずいぶん長ぇションベンだったな」

「ああ……まぁな」

「ちょっとやめてよ!」

「そういや○○はどこ行ったよ。アイツもションベン」
「もうっ!」


 ガタンと席を立ち拳を振り上げるクロウ。

 実際に叩きはしなかったが、言っても聞かないリベルトに実力行使するのは毎度のことだ。

 ニックスは親指で店の入り口を差した。


「○○ならそこで会った。先に帰るってさ」

「ええっ? 帰っちゃったの?」

「楽しかった、また飲もうね、二人によろしく、だと」


 言ってもないことをしれっと付け足しニックスは腰を降ろす。

 ポーカーは得意だ。
 二人に気づいた様子は全くない。


「なら……いいんだけど。そうだね、うん。また機会つくるよ」

「次は街中にしてくれよな、さすがに遠いぜ。アイツこの辺りに住んでるのか? ……危なくねぇのかよ」


 城壁の外に出るのはリベルトも久しぶりのこと。

 妹分であるクロウの友達ということで、リベルトの中では○○も妹的な立場になっているようだ。


「壁の外って言っても障壁内ではあるし……この辺りではモンスターは見てないよ」

「そうじゃねぇよ、治安的に心配してんだ。ゴロツキとか多いんじゃねぇのか?」

「お前が言うか?」
「リベルトみたいな?」


 二段パンチをもらったリベルトは顎を突き出してグラスを煽った。

 確かに人より辛抱の効かない性格だという自覚はあるが、むやみやたらに因縁を吹っ掛けたりはしない。

 争いが好きなのではなく、沸点が少し低いだけなのだ。そう、カチンとくることが世の中に多すぎるのが悪い。

 大体クロウだってケンカっ早いではないか。職場の男性比率が高いせいか、遠慮なく拳が飛んでくるようになってしまった。淑やかさは母親の腹の中に置いてきたようである。


「ね、どうだった? ○○」

「あ?」

「○○」


 なおもぶつくさ文句を垂れるリベルトに質問を重ねる。


「お前と意気投合しただけあって、女女してないのな。裏表ない感じ、俺は好きだぜ」


 どうせ女っ気ないですよ、とクロウは口を尖らせるが、リベルトが悪い意味で言っていることはわかっている。

 彼的には誉め言葉だ。


「ニックスは?」

「強烈な女だな。是非ともお近づきになりたいね」

「でしょ!」


 親しい二人が○○のことを気に入ってくれてクロウは嬉しそうだ。


「今度はモルボ・スムルにしようぜ。あそこなら近いし安いしよ」

「そうだね。ペルナとかも誘ってみようかな」


 ニックスに勝手に付け足された“また飲もうね”の機会を早くも企画する二人だが、○○が首を縦に振るかは五分五分だ。


 しかしその機会を断られたとしても、会いたいのであればここに来ればいいだけのこと。


 職場先を知れた。しかもそこが飲食店だなんて最高ではないか。

 客として来れば店も儲かり、皆ハッピー。


「アイツともっと仲良くなるためにクロウ、○○のこと、詳しく教えてくれよ」


 ニックスは肘をついて身を乗り出し、喜色を示すクロウに手を開いた。


 テーブルの下で、脛をさすりながら。
















end
後書き