「なぁなぁ速水。明日、楽しみだな」

 部活終わり、陸上部の部室で着替えていた速水 司は、隣から飛んできた声に「は?」と返した。

「だぁかぁらぁ! 明日、バレンタインじゃん!?」
 
 古びたベンチに腰掛けた部活仲間の市田が、妙に血走った目でつっかかってくる。

「市田、やめとけって。速水みたいなイケメンの彼女持ちに、お前の気持ちがわかるわけねーよ」

 話に割り込んできたのは、2年生の馬渕先輩だ。馬渕先輩は憐れむような目をしながら、市田の肩に手をポンと置いた。
 
「先輩だってチョコ欲しいくせに! ってか、彼女欲しいくせに!」
「ああ、欲しいよ! めちゃくちゃ欲しいよ!」
「じゃあなんでマネージャーのことフッたんですか!?」
「実はオレ……めちゃくちゃ理想高いんだよ」
「ええ……マネージャーレベルでも満足できないんですか? じゃあ、誰なら先輩の理想を満たせるんすか?」
「決まってるだろ……志野ちゃんだよ……」

 馬渕先輩の言葉に、市田は、大きく開いた目によりいっそう血をにじませた。

「あの人はダメっすよ! なんつーかあの人は、芸能人とかそういう次元の人なんです。だから、付き合いたいとかそういう感情は抱いちゃダメなんです! これ、うちの中学の男の常識っすよね!?」

 男たちが話しているのは、水々丘中学――いや、県に存在する中学の中で最も可愛いと評判の2年生、志野泉美のことだ。

「わかってる……! でも、どうしても妄想を止められないんだ。もしオレが志野ちゃんと付き合ったら、あんなことやこんなことを……」
「こいつ、なんて外道な……!」
「神様、明日の帰り道死んでもいいです! だからどうか、どうか志野ちゃんのチョコを俺に恵んでください! 同じクラスだからワンチャンある!」

 志野泉美の弟がそばに居るとも知らず、男どもはバカな妄想を繰り広げていく。

「あーあ、もうだめだこの先輩……。速水もなんか言ってやってよ」

 市田に話を振られた司は、学ランを羽織りながら、「さすがに理想が高すぎると思います」と言い放った。

◇ ◇ ◇

 くだらない妄想劇を聞かされたせいでげんなりした。あいつら、もし俺が志野泉美の弟だって知ったら、どんな顔をするだろう。

 そんなことを考えながら帰路についていると、隣を歩く彼女が学ランの袖を引っ張ってくる。

「ねー、明日も一緒に帰れるよね?」
「うん。帰れるけど」
「チョコ渡すから、受け取ってね」
「うん」
「他の子のチョコ、受け取らないでね」 
「うん」

 ――ああ、なんか、何もかも面倒だな。

 司は小さく、聞こえないようにため息をつく。

 我が物顔で束縛されるのも、こうやって歩調を合わせて歩くのも。明日、渡されたチョコレートの味に関わらず、美味しいって言わなきゃいけない義務感も。

 本当に欲しいものが手に入らないから、その気持ちを紛らわせるためにこの子と一緒にいるけど。なんかもう、限界かもしれない。

 げんなりしながら彼女と別れ、アパートに帰ってきた司。家の扉を開けた瞬間、漂ってきた甘い香りにぎょっとして立ちすくむ。

「おかえり、司。遅かったね」

 居間から姿を見せたのは、陸上部の部室で話題になっていた張本人であり司の姉、志野泉美だ。
 美術部に所属する泉美は、とっくに部活を終えて帰ってきていたのか、制服を着替えてエプロンをつけている。

「部活長引いちゃって。それよりこの匂い……」
「うん。明日、バレンタインでしょ。部活の子に配るお菓子作ってたの」

 廊下を歩いて居間に入ると、チョコレートの香りがより一層強くなった。キッチンには、ミキサーやボウルなどの調理器具が散乱している。

「女子は大変だね」

 バレンタインデーなんて正直、お菓子メーカーの陰謀でしかない。ホワイトデーのお返しも面倒だし。
 そんな可愛くないことを考えながら、自室に移動しようとした司の目の前に、可愛くラッピングされたピンク色の袋が突き出された。

「はい。これ、司のぶん。1日早いけど」
「……え、俺に?」

 家族なのだからお菓子だけ渡せば良さそうなものなのに、わざわざちゃんとラッピングしてくれるところが泉美らしい。
 らしくもなく高鳴る胸を抑えて袋を開けると、中からチョコレートのケーキが姿を現した。

「パウンドケーキって言うの。食べてみて」

 促されるまま一口頬張る。生地のしっとり感と、ビターチョコレートの甘すぎない風味がいいバランスだ。
 やっぱり泉美、料理上手いな。

「美味しい?」

 問われた司が素直に頷くと、泉美は「よかった」と明るい笑顔になる。

「……これ、男子にはあげないの?」
「なにそれ、嫌味? 残念ながら、あげたい男子がいませーん」

 やはり、泉美の眼中に馬渕先輩はいないらしい。わかっていたことだけど、司はちょっと愉快な気分になる。

「男の子にあげるのは、司だけだから」
「……そっか」

 泉美にそう言われた司は、ピンク色のラッピング袋をぎゅっと握りしめた。

 ――その言葉に、深い意味なんてないんだろうな。

 もう一口、パウンドケーキを頬張る。口の中に広がるビターチョコの風味が、なんだかさっきより苦く感じた。





2022.12.11
数年ぶりにACTOR書きました。メモアプリを整理してたら、いつ書いたのかわからない書きかけのバレンタインのお話があって、ちょっと手加えたら書き上げられそうだったので、勢いで。
ガッツリ設定を作ったわけではないのでイメージですが、司は今回のお話の子とはすぐ別れて、高1の途中くらいまで、より泉美に似た子を選んで付き合っては別れるのを繰り返してそうです。



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雪月花