夜空に星は輝かないけど

 レティと紅明の付き合いは非常に清廉で慎ましいものだった。たまに離宮の花園でお散歩したりする姿を見たり、一緒に鳩にエサをあげたり、とても穏やかな時間が流れて行った。紅明には血の繋がった兄が一人居て、紅炎と言う。彼は紅明とは正反対で血の気が多く好戦的 とても武芸に精を出していた。そして紅炎を気にかけていたのが第一皇子の白雄と第二皇子の白蓮で、自然とレティは交友関係の輪を広げて行った。
 けれどそれはレティが嫁いで3年が経とうとしていたときに崩れ去った。

「白雄様と白蓮様が、逝去された…?」
「昨日の大火でお亡くなりになったそうです。白瑛殿と白龍殿は無事なようですが…」

 昨日禁城内で大きな火災があったのは知っていた。レティも万が一のためにと避難したからだ。夜遅かったし、また明朝に詳細を聞けば良いと思っていたのだ。なんて甘い考えをしていたのだ。悲痛な面持ちの紅明と呆然と立ちすくむレティの元に、伝令が慌ただしく入ってきた。普段なら騒々しいと咎めるところだが、その余裕も二人にはなかった。

「皇帝が!!」

 白徳皇帝は紅明からすると叔父に当たる。現在近隣国との戦争のために禁城を留守にしていた。戦争にて勝利した報せは届いたが、まさか、と紅明の脳裏にある可能性がよぎった。
 結論から言うと、白徳皇帝は煌へ帰還中に敵国の敗残兵に闇討ちに遭い逝去された。第一皇子と第二皇子が亡くなったこのタイミングでの訃報にとうとうレティは足からすべての力が抜けて床にぺたんと座り込んだ。

 葬儀はつつがなく終えた。新たな皇帝の座には紅明の父である紅徳がつく予定だ。これにより紅明は第二皇子にまで継承権が跳ね上がった。ゆえに、一時期レティは一連の騒動はレティシアーナ姫の陰謀だとまで噂され心労が絶えなかった。元よりレティはまだ15の少女であって身体も心も成熟しているとはとても言えなかった。すっかりレティは病がちになり私室に篭ることが多くなっていった。


 それから5年後。紅炎に引き続いて紅明が金属器を手にした。その頃にはレティの身体は回復していたが、紅明は多忙な人になっていてとても夫婦の生活が上手くいっているわけではなかった。下世話な話になるが夜の営みはとても事務的なものであったし、以前のように身体をいたわり隅々まで愛してくれるような気遣いはなかった。
 紅明という人の温もりを側で感じなくなって初めてレティは紅明を愛していたことに気が付いた。お互い政略結婚だった。だから立場や役目にがんじがらめに囚われていたせいで、愛がなくともできると思っていたのだ。偽りの愛がいつの間にか本物の愛に転じていた。それに離れてしまった今気付くなど皮肉なものだとレティは自嘲の笑みを浮かべる。
 紅炎と紅明は皇帝の血を色濃く継いでいる以上世継ぎの問題が浮上した。以来レティの他にもたくさんの娘達が側室に召し上げられたし、レティの立場はどんどん危ういものになっていった。以前レティとした散歩や鳩の餌やりを側室の女性としているところを見たことはなかったが、今自分の手に触れている手が他の女を愛した手だと思うとレティの胸に寂寥感が充満し猜疑心を助長していった。

 レティはもの寂しくなって久方ぶりに自室から出た。ふらりと後宮の中を進むと、ちらほらと見たことのない娘たちを見かける。レティが嫁いでもう8年になる。12歳の少年少女はもう20歳になり、心身ともに成熟した。皇子たちの年齢もあって、ここにはレティより若い者がたくさんいた。なんだかそれすら眩しくて、レティはそっと目線を下げたまま肩身狭そうに足早に去る。
 一階に降りたレティは適当な女官を捕まえて鳩のエサを貰う。以前紅明と一緒にした思い出の動作。それを一人きりでやるのはとても虚しいが、鳩がお腹を空かせているのだから、と意味の分からない言い訳をした。紅明の足がレティから遠のいて以来、レティには紅明と過ごした思い出しかない。思い出に縋ることしか許されていなかった。

「ああ、待って。みんなの分、沢山あるから。こら、ちょっと」

 紅明がよくエサをやっていた場所に向かうと、何羽か鳩が居た。しかし、レティがエサを持って来てからはどんどん増えていくのだ。そしてぱらぱらと地面に落とすより早く、レティの手から直接エサをつつきに来る。沢山の鳩に群がられて、レティはパニックを起こしてエサを力任せにばらまいた。ばらまいてからは鳩に見つからないように物陰に隠れるという、側室らしからぬ行動を起こした。
 しばらくその場に残って鳩たちを観察していると、誰かがこちらへ来る足音がした。どきりとして身を隠す。鳩たちが羽ばたいた。気になってそっと覗くと、その人は紅明様だった。大分お疲れの様子で、長い御髪が絡まってばさばさと広がっているし、目は殆ど閉じかけていた。手だけはお椀状に保っていて、鳩たちがそこに群がっていた。鳩がエサを食べ尽くしたのか、何羽かいなくなったように感じる。それでも紅明はその場で手をお椀状にしたまま立っていた。
 訝しんだレティが足音を立てないようにそっと近づくと、紅明は立ったまま眠っておられるようだった。この状態の紅明は何をしても起きない、というのはなんとなく知っていた。レティは紅明の両手を握り、そっと歩いてみる。紅明は起きているのか眠っているのか良く分からないが、そのまま歩いてくれる。レティはエサやり場にある長椅子の端に腰かけて、尚も眠り続ける紅明様に膝をお貸しした。絡まる髪が勿体なく感じて、撫でるついでに手櫛でほぐしてやる。
 レティが一方的に行った行為であるが、はたから見ればこれは夫婦らしい行為なのだ。それがなんだかくすぐったいのと懐かしいので、レティはやわらかな笑みをたたえる。あわよくば、この時間が長く続きますように。
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