今日は早めに部活を切り上げ、居残りの練習も禁止させた。当のオレは部室で詰め将棋をしている。中谷が来るまでの時間潰しである。今日がオレであることは、なんとなくだが分かっていた。
「好きだね、将棋」
驚いた。詰め将棋に集中していた分を差し引いても、中谷の存在感はほぼゼロであった。いきなり目の前に居るものだから、オレは飛車を取り落としてしまう。中谷はそれを見やり、「あら」と漏らした。
「意外、赤司くんが驚くなんて」
みんな然して驚かなかったよ と中谷は言うが、それはそうだろう。黒子は抜きにして、みんながみんな身構えていたのだから。オレは完全に油断していた。それに、気配で気付くだろうと高を括っていたしな。
「からかうな。オレだって一介の中学生だぞ」
「あはっ!赤司くんが言うとギャグにしかなんないからねー」
からからと楽しそうに笑う中谷。オレはその様子に心底安心した。話しは耳にしていたが、やはり心配だった。本当に生前通りだ。逆に、死んだのが嘘ではないかと思うほど。
「相変わらず将棋。渋いねー」
透ける腕を駒に伸ばす中谷。だがその手が駒に触れることはない。オレはその摩訶不思議な光景に、思わず息を飲んだ。幻想的だ。余りにも現実離れをしているため、逆に嘘だと思わない。思えない。
「んー。生前と同じ娯楽が出来ないのは辛いなー」
無の空間に両手両足を投げ出す彼女をはしたないと思うが、はてさて幽霊にそういう常識は通用するのだろうか。いいや通用しないだろう。元々は視認すら許されない物体なのだから、この空間でどういう風に過ごすかは彼女の自由なのだろう。勝手なことながら。
「あー暇だ」
「暇ならオレの質問に答えてくれ」
言うと、彼女はがばっ と起き上がり、双眸を輝かせる。あぐらをかいているから未だはしたないのだが、これは言わなくてもいいだろう。どうせオレが彼女を見るのは最後なのだから、今日ぐらい好きにさせようか。
「なになに?質問?赤司くんが、私に質問なんて!私が赤司くんに与えられる知恵など微かにも無いんですが……」
「別に知恵は求めてないさ」
輝いていた表情が、一気に冷めたのを見て、オレは訂正をいれる。初めから知恵なんていらない。そもそも、知恵などと言うものは自らが調べて得るものだ。他者に聞いてどうにかなるものじゃない。
「中谷は黄瀬のどこを好きになったんだ?」
「え、意外な質問」
「どういうことだ」
「だって赤司くんが学生っぽいことを聞いてくるから」
「さっき言っただろう。オレは一介の中学生だ」
だからギャグだって! と中谷は口角を上げた。オレもつられて笑ってしまう。
「そうだなー……。私、完全にギャップにやられたんだよね」
と、中谷は少しだけ照れ臭そうに言った。どういうことだ? とオレは質問を重ねる。すると中谷は鼻梁を赤くさせながら唇を開いた。
「黄瀬くんってさ、適当に見えてしっかりしてたり、逆に、やけに抜けてたりするんだよね」
例えば と、中谷は楽しそうに思い出を語りだす。
他人の誕生日は盛大に祝うくせに、自分の誕生日は案外忘れてたり。悩み事があるくせに、いつも通り振る舞ったり。誰よりも大人と関わってるくせに、子供みたいな行動したり。軽そうに見えて、ちゃんと考えてたり。
「なんか、そういうとこにやられたんだよね」
それと、笑顔 中谷はニコニコ笑いながら続けた。
「心を許した他人だけに見せる笑顔が好きで……」
彼女はそこで黙った。今の黄瀬の様子を思えば、これ以上しゃべるのは辛いだろう。今の黄瀬には、中谷が好きな笑顔は無い。
酷く申し訳なくなり、オレが謝ると、中谷はいいよ と手をヒラヒラさせた。無理をしていることぐらい気づいている。
「黄瀬くん、もう一度笑って欲しいな」
呟いた中谷の頬に涙が伝った気がした。気がしただけだ。気のせいかもしれない。なんといったって、再び見た中谷の頬に涙なんて無かったのだから。
「よし、じゃあ、赤司くんにもさよなら言わないと」
中谷はあぐらを解くと、ふわりと床に着地した。重力に逆らっている動きに感嘆する。
「あのね、バスケ部の主将が赤司くんで良かった。テツヤの才能も見いだしてくれたし、黄瀬くんを、バスケ部に迎えてくれたし」
「それは二人の力があったからだ」
「うん。赤司くんならそう言うと思ってた。でも、感謝を言わせて?」
中谷は穏やかに微笑み、半透明の口を開いた。彼女の作りは分かりそうにない。
「赤司くんが黄瀬くんをバスケ部に入れてくれたお陰で、彼は変わったよ。バスケが黄瀬くんを変えてくれたよ。ありがとう」
オレはそれに何かを返そうとしたが、止めた。今はどんな言葉も野暮だろう。だから、オレはただ頷く。彼女の最後の言葉。聞き損なうことの無いようにしなければ。
「それに、私をマネージャーにしてくれてありがとう。短い間だったけど、バスケ部の一員としてみんなと戦えて本当に楽しかったよ」
またね そう笑った彼女を視界に納め、オレは静かに瞬きをした。瞼を開くともうそこに中谷はいない。
詰め将棋を終わらせようと視線を下ろす。すると、取り落としていたはずの飛車が最高の場所に指されていた。オレは思わず笑み、もう一手進ませた。
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