今日は私だって、赤司くんが言っていた。それを聞いてから私はどうしても落ち着かなくて、一人きりの体育館をうろうろしている。
とりあえず、笑顔で会うことは決めてる。紗夜には心配かけたくないから。だから、笑顔で会うんだ。私は大丈夫だと教えるために。
「落ち着きなよさつき」
いきなり頭の上から声が降ってきた。私は前に踏み出した足を止める。そして、上を、頭上を見上げた。
帝光の制服を着た紗夜が、宙に浮いている。ニコニコと生前通りの笑みを湛えながら、愉快そうに。
瞬間、視界が歪んだ。
「さつき」
ふわふわと紗夜が降りてくる。本当は笑って迎えるはずだったのに、いざとなるとダメだね。視界がぐにゃぐにゃになって、真っ直ぐ紗夜を見ることも出来やしないよ。
「大丈夫だよ。さつき、大丈夫」
まるで子供をあやすように言った紗夜に、涙腺は更に緩んだ。ダメだ。当分止まりそうにないよ。
紗夜の手は私に伸ばされて、頭を撫でるように動かされる。実際は触れられていない。分かってはいたけれど、実体が無いことに驚きが隠せなかった。ただしかし、頭がほんの少しだけ温もりに包まれているような気がする。
「さつきにお別れを言いに来たんだよ」
うん。分かってる。分かってはいるけれど、私は何も言えない。紗夜は苦しそうに笑って、ぽつりぽつりと呟いた。
「やめ、てよ、さつき……。さつきが泣いちゃうと、わた、しも……泣いちゃうんだから……」
前から泣き声が聞こえ始め、私は目を疑った。幽霊の彼女が泣いている。その滴は、確かに体育館の床に染み渡っている。恐る恐る涙に手を伸ばせば、一瞬だけ指先が濡れた。少しだけだけど、涙は実体を持っているんだ。暖かい涙。
私は思わず微笑んでいた。
「笑った」
そう言った紗夜は細く涙を流しながら微笑む。生前と同じ、綺麗な笑みだ。その笑顔が、きっと様々な人を支えてきたのだろう。テツくんも、きーくんも。もちろん、私も。支えられてきたんだ。
「さつきは笑った方が可愛いよ」
「紗夜も笑った方が可愛い」
「さつきより可愛い子なんていないよ」
「紗夜の方が可愛いってば!」
「さつきの方が………止めようこの会話。めちゃくちゃ恥ずかしい気がする」
先に会話を切ったのは紗夜だ。心底恥ずかしそうに両手で顔を覆いそう言う。隙間から見えた頬はガラスの様に透き通った赤だった。紗夜ってば可愛い!
そうだね と私が言えば、紗夜は顔を覆う手を離し照れ笑いを浮かべた。やっぱり紗夜は可愛いよ。きーくんが好きになっちゃったのも頷ける。紗夜は天然だから。打算で、計算して可愛さを演出していないから。自然の可愛さだから素直に可愛いって言える。それだからきっときーくんも紗夜を溺愛してたんだ。
私が男の子だったら、きーくんには簡単に渡さないけどね。というか、誰にも紗夜は渡さないと思う。紗夜と付き合うのは私だもん!
「楽しかったよ、さつき。ありがとね」
まるで最後みたいに言う紗夜に、思わず首を傾げてしまった。そして思い出す。本当に最後だということを。忘れていた。紗夜は幽霊なんだ。事実、今だって紗夜は浮いている。重力に逆らって、ふわふわと。不思議な感覚だった。目の前で人が浮かんでいるんだ。不思議にもなるだろう。
最後……か。思い出すと、ついつい泣いてしまいそうになる。でも、泣くのは紗夜が消えてしまってからだと私は下唇を噛んだ。泣かない。紗夜の前じゃあ泣かない。
「さつきにお別れを言うね?」
「うん……」
「さつきと出会えて本当によかった。友達になれてよかった。親友になれてよかった。親友がさつきでよかった…!!」
「うん……っ」
「楽しかったよ。さつき。ありがとう。色々大変だった時もあったけど、さつきが側にいてくれたから耐えてこれた」
それは私も一緒だ。私の方が紗夜に会えたことを感謝している。私だって、紗夜がいたから耐えてこれたんだ。きっと私一人じゃ出来なかったこともいっぱいある。紗夜がいたからこそ出来たことが。
「さつき。これからも大変だろうけど、みんなのことよろしくね。黄瀬くんのことよろしくね…!!」
「うんっ」
「テツヤのこと頑張って…!!」
「うん……っ!!」
「さよならだよ……!!」
「うん……っ」
「さよならだよ………っ」
「うん………さよなら……っ」
泣かないはず、だったんだけどな。結局泣いてしまった。でも、今は止められる気がしない。
「さつきのこと、ずっとずっと大好きだから……っ」
紗夜の手がこちらに伸びてくる。半透明な手。私はそれを思わず取ってしまった。取れないはずなのに。
なのに、感触があった。一瞬だけ。そのことに驚いて瞬きをすると、紗夜はもういなくなっていた。私の前から消え失せていた。
見ると、私の手の甲に涙が一粒。これが私のではないことを、私は知っていた。
「紗夜……」
私も、紗夜が大好きだから。
心の中でそっと呟く。
彼女の命日は明日。
私は涙を拭って、体育館を後にした。
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