「え……?ごめん、もう一度言って欲しい」
目の前の彼が俯いて言った言葉が理解できなくて、つい聞き返してしまう。彼、火神 大我は酷く落ち込んだ様子でもう一度口を開いた。
「俺、来年日本に行くんだ」
9thグレードの冬のことだった。
あまりにも急すぎる彼の発言に理解が追いつかない。一つ年下の彼は近くのミドルスクールに通う8thグレード(日本で言う中学二年生)だ。アメリカと日本の学年制は少し異なり、彼の年でミドルスクールを出て、来年にはハイスクールに上がる。だから中途半端ということはないけれど、それでも納得がいかなくて、こういうところばかり大人になれなくて嫌になる。
父の仕事の関係で日本からアメリカに移住したのは小学六年生の時。彼や辰也くんと出会って、友達ができるか不安だった私は救われた。私にとって二人はかけがえのない友人で、恩人なのだ。
大我くんはもともと小学三年生の時にアメリカに父親の都合で移住したらしく、もしかしたら日本に戻る可能性は確かにあった。それでも見ないフリをしてきた。このままみんなで何事もなく成長していくのだと思っていた。
だが、現実はそううまくいかない。
「お仕事の都合なの?」
「ああ、親父と一緒に日本に行く」
「辰也くんには?」
「…………」
大我くんは苦々しく歯軋りを立てる。彼らの勝負はまだ決着がついていない。それから小声で「……裕によろしく言っておいてくれ」と付け足される。弟の裕も彼らにとても懐いていた。一緒にNBAに行くんだって張り切っていたし、悲しい顔を想像しただけで苦しくなる。
いや、それ以上に彼と離れるのが辛いと感じる私がいた。そして、一つの可能性に思い当たる。可能性……というより、選び取れる道だ。
だが、それはあまりに無謀で、親不孝で、自分勝手だと思った。私は大人だから大丈夫なんて通じるわけがない。悲しませたいわけでもない。でも、でも。
「独りよがりだってのは分かってる」
彼の大きな手が、私の肩をがしりと掴んだ。
燃え盛る炎のような瞳に見据えられて、一瞬呼吸が止まった。
迷いを全て焼き尽くそうな熱に、どくりと鼓動が悲鳴を上げる。
「俺と、来てくれ」
私はあの日大我くんの手を取った。
周りの意見とか世間体とか、迷惑とかわがままとかそういうのが全部、彼の言葉でどうでも良くなってしまったんだ。だから両親にこの想いを包み隠さず伝えた。まだ彼のそばにいたい、彼のプレイを見ていたい、と。相変わらず適当な母は少しの心配も無さそうに「行ってこい!」と背中を押してくれた。裕は泣いてたけど、「泣かないで」と言ったら「泣いてない」と言い返されてしまった。父は心配そうだったが、それでも「したいようにしなさい」と言ってくれた。私は本当に恵まれていると思った。
だから私は全てを投げ出して、日本へ渡ったのだ。
「大我くん!起きて!」
大きなベッドで穏やかな寝息を立てる彼をゆすり起こす。もうリビングにはしっかりと朝ごはんを準備してある。冷める前に食べてもらわなくちゃ。
眉をしかめた大我くんはゆるりとまぶたを持ち上げ、「なまえ……?」と眠そうな声で言った。
「はいはい、寝ぼけてないで起きて!朝練あるからね!」
日本に渡ってから一年が過ぎ、私は高校二年生、大我くんは高校一年生になった。通う高校は誠凛高校。もちろん二人ともバスケ部(私はマネージャーだが)だ。そしてこの大きなマンションに今は二人で暮らしている。大我くんの父親は、またお仕事の都合で単身遠くの県に行ってしまった。今はこの家が広くて仕方ない。
「わり……起きるわ」
のそりと体を持ち上げ、大我くんは伸びをする。その時Tシャツがめくれチラリと腹筋が見えて思わず目を逸らしてしまった。あんなに可愛かった大我くんが、今やもう男の人なんだから目のやり場に困る。相手は高校生……精神的には犯罪だというのに……。
「なまえ?」
「は、早く顔洗って!朝ごはんできてるから!」
こちらを覗き込もうとする大我くんに思わず後ずさってしまう。引き止める彼の声を背中に聞きながらリビングに戻った。
しばらくすると洗面所で顔を洗い、制服を着た大我くんがリビングに戻ってくる。洋風の朝食を食べてから二人で並んで洗い物をし、歯磨きをしてから家を出る。朝の空気は澄んでいてとても美味しい。
「今日もカントクにしごかれんだろうなぁ」
「リコちゃん厳しいからね」
「あれは鬼だぜ鬼。まぁ、確かに力がついてる気がするけどよ」
「気じゃないよ。大我くんはちゃんと強くなってる」
「……おう」
大我くんは太陽のように笑った。思わず眩しいなぁと目を細めてしまう。きっと彼はどこまでも強くなれるんだろう。そう確信せざるを得ない。
「絶対日本一になろう」
私の言葉に頷いた彼は「そうだ」と何かを思い出したように呟く。どうしたのだろうと覗き込めば、今度は彼が視線を逸らしてしまった。その耳が赤いのが見えて、無条件に心を躍らせてしまう。
「その、なんだ。WC終わったら言いたいことがあんだよ」
「え……?」
「今度こそ日本一になってきてやるから、……本当は夏に言うつもりだったんだけど……。そしたら絶対言うから」
顔を紅潮させた大我くんが勢いよくこちらを向く。それがうつったように、私の顔まで熱くなってきた。
「待っててくれ!……です」
あの日と同じ燃え盛る炎のような瞳だった。この目はいつも私を捉えて離さない。彼の言う言葉はもうなんとなく予想がついたけれど、それでも頭の中をバクバクと心音が響いていた。
「はいっ!」
やっと絞り出した返事は、案の定裏返ってしまって、一瞬きょとんとした大我くんは、それからニカっと笑みを見せてくれた。
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