きっと五時間待てない女

 声をかけられやすい場所というのは、どうしても存在する。人通りの多いT坂通り、夜になると栄えるJ町のネオン街、などなど。そして、東西を二つの大学に挟まれたこのS駅も、学生たちのたまり場であり——いわゆるナンパスポットである、と表現しても遜色ないくらいには、声をかけられやすい場所だった。私もよく呼び止められるし、今の私の親友たる女の子も、ここでナンパされているのを助けた時に出会ったくらいだ。そしてここでは、声をかけられやすいのに男性も女性も関係がないようで。
「えー、ちょっとお茶するだけだよ?」
「だから。悪いが、そういうのは——」
「じゃあ連絡先だけ交換しよ! おねがい!」
 ちょっと派手目な女の子二人が、先程からしつこく声をかけているのは、一人の男の子だった。無造作な茶髪のその人は、少し苛立ちを窺わせる声で女の子たちに断りを入れているが——その顔を見て、私は「ああ」と納得してしまった。
(めちゃくちゃ整ってますね、顔面が……)
 そりゃあ、あの肉食っぽい女の子たちも逃がしてくれない訳だ。イケメンとの「もしかしたら」を狙っているのがありありと分かる。一方で、迫られている色男さんは、話を聞いてくれない女の子たちに段々本気でイライラしてきているようで、眉間にめちゃくちゃシワがよっている。
(うーん、どうしよう……)
 親友の女の子の時と違って、放っておいても危なくはなさそうだけれど……あの調子だと、果たして平和に解決するだろうか。しつこい側は明らかに女の子たちなのだけれど、もしイケメンさんが怒って、事が荒立ったら面倒そうなのは——と、そこまで考えてしまって、ちょっとため息をついた。
 ……最近、お人好しで優しい親友と一緒にいるからだろうか。可哀想だから通るついでに助けていこう、なんて思うようになってしまったのは。
「——もう、なにしてるんですか!」
 イケメンさんの横に、カツカツとヒールの足音を鳴らして近寄っていく。そして、さも連れの女です、という顔をして、若干キレかけの彼に、拗ねたように声をかけてみた。それから、絶賛逆ナン中の女性たちの方を向いて……意識して、少し冷たい声なんかも出してみる。
「すみませんけど。この人、今から私と用事があるので……そろそろいいですよね」
 そうして彼の隣へ立ったあと——視線で「空気を読め」と訴えるように目を合わせた。燃えるように深い赤の瞳は、突然割り込んできた私を怪訝にしつつも、意図は察してくれたらしい。
「じゃあ、そういう事で」
 捨て台詞と共に、二人の女性たちを一瞥して、スタスタと歩き出すイケメンさん。手首を捕まれ、引っ張られるようにしながら彼の後をついて行くと、後ろから慌てたような女の子たちの声が追いかけてくる。
「え、ちょっと待ってよ、まだ——」
「……あー、遅くなって悪かった」
「本当ですよ! 五時間も遅れるなんて!」
「……」
 そして、どうやら今度は、背後で騒ぐ声は無視の方向らしい。イケメンさんが私に話しかけてきたので、テキトーに話を合わせたら何故かジトリと睨まれてしまった。うーん、なんでだろうなぁ。
 それから少しの間、ねえねえ、ちょっと、無視とかひどい、話聞いてよ、となんとも諦めの悪かったお姉さんたちだが、駅を出る頃にはさすがに諦めてバッチリいなくなっており、イケメンさんが駅の外で足を止めた瞬間、私の手首も無事に解放されたのだった。
「……五時間とか、待ってる奴もなかなかレアだろ、それ」
「確かに。私ってば実は健気だったみたいですね」
「……。……まあ、助かった」
 見るからに呆れ顔だし、ため息はつかれているけれど、どうやらこのお兄さんの怒りも治まったようだし、しつこい逆ナン女性も撒けた。大成功と言っても過言では無い。ふふん、ルナさんにも後で自慢しましょう、なんて。ちょっと満足した瞬間、あれ、そういえば今何時だ、と正気に返った。スマホの時計を取り出して——
「ぎゃっ! 二限!!」
「は?!」
 十時ジャストで、ザッと顔から血の気が引いた。二限の講義がもう始まってしまう時間だ。ヤバいヤバい、とスマホをカバンにしまって、では! と手を上げる。
「じゃ、じゃあ私はこれで! おにーさんも遅刻には気をつけてくださいね〜!」
「あ、おい! せめて礼くらいは言わせて——」
「えぇ? うーん、あ、お礼なら四丁目の『ブックカフェストリエ』で何か頼んであげてくださーい! それでは!」
「……は?」
 ぽかんとした顔でも、イケメンというのはイケメンらしい。その少し気の抜けた顔に、ブンブンと手を振って走り出す。ヒールだからちょっと転けそうで怖いけれど、単位は欲しい。つまり走るしかない。
 ……そんな状況の中でも実家のカフェの宣伝をしてあげた私、めちゃくちゃ偉いですね! マスターには感謝してもらわなければ。脳内でカフェを営む養父にドヤ顔を決めながら、私はイケメンさんに目もくれずに、大学までの道を爆走するのだった。
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